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死神少女が命の源  作者: 和泉 きよ


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25/25

25.今日も誰かが生きる

 朝。


 目を覚ます。


 それだけのことが、以前は少し不思議だった。


 眠るということは、夜のあいだ世界から離れることだった。


 目を閉じれば、自分の考えていることしか聞こえない。


 朝になれば、また学校がある。


 また人に会う。


 また嫌なことが起こるかもしれない。


 だから、眠る前にはいつも思っていた。


 明日なんて来なければいいのに。


 けれど。


 今日は違った。


 「……朝か」


 湊は天井を見た。


 特別なことは何もない。


 カーテンの隙間から光が入っている。


 遠くで車の音がする。


 隣の家から、誰かの声が聞こえる。


 スマートフォンを見る。


 通知がいくつかある。


 学校から。


 母親から。


 そして。


 ミコから。


 『起きていますか?』


 その直後に、


 『死神は朝が苦手です』


 と書いてあった。


 湊は少し笑った。


 『知らないよ』

 

 そう返信する。


 すぐに返ってきた。


 『人間も朝は苦手なのですね』


 『人間じゃなくても分かるだろ』


 『死神なので』


 「またそれかよ」


 一人で呟いた。


 そして。


 笑った。


 本当に、小さな笑いだった。


 けれど。


 それは確かに、自分のものだった。


 朝食を食べる。


 昨日のカレーが残っていた。


 湊はそれを温めた。


 一口食べる。


 普通だった。


 昨日の男が言っていたほど、特別な味ではない。


 けれど。


 不思議と、少しだけ美味しかった。


 食べながら、湊は考えた。


 もしあの人が生きていたら。


 今頃、カレーを食べていたのだろうか。


 そんなことを考えて。


 すぐに、考えるのをやめた。


 死んだ人の代わりに生きる必要なんてない。


 誰かが死んだから、自分は生きなければならない。


 そんな交換ではない。


 自分は、自分として今日を生きる。


 それでいい。


 学校へ向かう。


 昨日と同じ道。


 昨日と同じ電柱。


 昨日と同じ信号。


 けれど。


 昨日とは少しだけ違って見えた。


 途中のコンビニに立ち寄る。


 冷蔵ケースを見る。


 プリンが並んでいる。


 湊は一つ手に取った。


 そして。


 もう一つ取る。


 「二つ?」


 隣から声がした。


 ミコだった。


 「一つは今日」


 「もう一つは?」


 「明日」


 ミコはプリンを見た。


 「明日の分ですか」


 「うん」


 「明日、食べるとは限りませんよ」


 「食べるよ」


 「何か予定があるのですか?」


 湊は少し考えた。


 「ない」


 「では、なぜ?」


 「……明日になったら、食べたいかもしれないから」


 ミコは黙った。


 それから。


 小さく頷いた。


 「なるほど」


 それだけだった。


 二人は店を出た。


 コンビニの自動ドアが閉まる。


 外は明るかった。


 駅へ向かう人。


 自転車に乗る人。


 犬を連れて歩く人。


 眠そうな顔をした高校生。


 みんな。


 どこかへ向かっている。


 どこへ行くのか。


 何のために行くのか。


 湊には分からない。


 たぶん。


 本人たちにも分からない。


 それでも。


 人は歩いている。


 理由がある人もいる。


 理由がない人もいる。


 生きたいと思える人もいる。


 そう思えない朝がある人もいる。


 それでも。


 朝は来る。


 そして。


 朝が来たあと、どうするかは。


 その人が決めていい。


 学校の前で、ミコが立ち止まった。


 「湊」


 「ん?」


 「今日も、死者を迎えに行きます」


 「朝から縁起悪いんだよ」


 「仕事なので」


 「そうだけどさ」


 ミコは少しだけ笑った。


 「でも」


 湊は言った。


 「今日も、生きてるね」


 ミコは目を丸くした。


 「……はい」


 その返事は。


 いつもの「はい」より、少しだけ柔らかかった。


 湊は校門をくぐった。


 教室へ向かう。


 まだ怖い。


 完全に平気になったわけではない。


 誰かの視線が怖い日もある。


 嫌な言葉を思い出す日もある。


 学校に行きたくない朝だって、きっとこれからもある。


 たぶん。


 これから先も。


 何度も迷う。


 何度も嫌になる。


 何度も逃げたくなる。


 そのたびに。


 「生きる意味は何だろう」


 と考えるのかもしれない。


 でも。


 もう、その問いに答えを出さなくてもいい気がした。


 意味が分からないままでも。


 今日を過ごしていい。


 理由が見つからなくても。


 明日の予定を作っていい。


 助けてほしいときは。


 助けてと言っていい。


 一人になりたいときは。


 一人になってもいい。


 逃げたいときは。


 逃げてもいい。


 そして。


 また戻りたくなったら。


 戻ればいい。


 生きるということは。


 ずっと前を向き続けることではない。


 立ち止まったり。


 振り返ったり。


 座り込んだり。


 誰かの手を借りたりしながら。


 それでも一日が終わって。


 また次の日が来る。


 その繰り返しなのだ。


 教室に入る。


 自分の席に座る。


 窓の外を見る。


 青い空がある。


 特別な空ではない。


 昨日もあった。


 明日もきっとある。


 先生が教室に入ってくる。


 「おはよう」


 「おはようございます」


 みんなが返事をする。


 授業が始まる。


 黒板に文字が書かれる。


 ノートを開く。


 シャープペンシルを持つ。


 湊はふと。


 昔の自分を思い出した。


 世界が嫌いだった。


 自分が嫌いだった。


 明日が怖かった。


 生きる意味が分からなかった。


 今だって。


 全部分かったわけではない。


 世界が急に優しくなったわけでもない。


 自分が特別な人間になったわけでもない。


 ただ。


 一つだけ変わった。


 明日を、自分で決めてもいいと思えるようになった。


 それだけだった。


 でも。


 それで十分だった。


 授業の途中。


 窓の外を見ながら、湊は思った。


 死神は、死を教えてくれた。


 死者たちは。


 最後まで、くだらないことを気にしていた。


 プリン。


 カレー。


 ケーキ。


 明日の授業。


 家族。


 謝れなかった言葉。


 会いたかった人。


 そんなものが。


 生きている間には、あまりにも小さく見えていた。


 でも。


 その小ささこそが。


 人間の毎日だった。


 大きな意味なんてなくても。


 今日という一日はある。


 そして。


 今日という一日が終われば。


 明日が来る。


 湊はノートの端に、小さく書いた。


 『明日、プリンを食べる』


 そう書いたあと。


 少しだけ恥ずかしくなって、消そうとした。


 けれど。


 やめた。


 残しておくことにした。


 それは。


 未来への約束というほど大げさなものではない。


 ただの予定だった。


 それでも。


 湊にとっては。


 十分だった。


 放課後。


 窓の外が夕方になる。


 今日も一日が終わる。


 明日も。


 きっと何かがある。


 楽しいことばかりではない。


 嫌なこともある。


 怖いこともある。


 それでも。


 湊は帰り支度をした。


 鞄を持つ。


 教室を出る。


 廊下の先に。


 ミコが立っている。


 「帰りますか?」


 「うん」


 「明日は?」


 湊は少し考えた。


 それから。


 笑った。


 「明日は、プリン食べる」


 「それは予定ですか?」


 「予定」


 「では、明日も会えますね」


 湊は一瞬だけ黙った。


 そして。


 「……うん」


 と言った。


 二人は歩き出した。


 夕暮れの校舎を。


 誰もいなくなりかけた廊下を。


 ゆっくりと。


 今日も誰かが死んだ。


 そして。


 今日も誰かが生きた。


 その中に。


 湊もいた。


 特別な理由はない。


 立派な使命もない。


 世界を救うこともない。


 ただ。


 今日を終えて。


 明日を迎える。


 それだけだった。


 でも。


 それだけのことを。


 自分で選べるようになった。


 だから。


 湊は歩いた。


 明日へ向かって。


 死神の少女と。


 まだ名前のない未来と。


 二つのプリンを。


 ポケットには入らないから、鞄の中に入れて。


 歩いていった。


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