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死神少女が命の源  作者: 和泉 きよ


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01.世界が嫌いな少年

 世界が嫌いだった。


 そう思うようになったのが、いつからだったのか、佐伯湊にはもう分からなかった。


 朝、目を覚ました瞬間から、もう嫌だった。


 目覚まし時計の音が嫌だった。


 カーテンの隙間から差し込んでくる光が嫌だった。


 スマートフォンの画面に並んだ通知も嫌だった。


 学校という文字を見るだけで、胸の奥が少しだけ固くなる。


 それは痛みというほど強くはない。


 けれど、一日中ずっと靴の中に小石が入っているような、不快な感覚だった。


 取り出せばいい。


 そんなことは分かっている。


 けれど、どこに小石があるのか分からない。


 だから、ずっと痛い。


「行ってきます」


 玄関でそう言った。


 返事はなかった。


 母親はいる。


 台所からテレビの音も聞こえている。


 それでも返事がない。


 湊はもう一度言おうとは思わなかった。


 どうせ返ってこないものを待つことほど、疲れることはない。


 靴を履いて外へ出た。


 空は青かった。


 腹が立った。


 どうして空だけは、こんなに何も知らない顔をしているのだろう。


 自分が昨日何を言われたのかも。


 教室で誰が笑ったのかも。


 机の中に入れられていた紙が、どんな言葉だったのかも。


 そんなものは全部知らないくせに、空は今日も青い。


 湊は空を見上げるのをやめた。


 駅までの道を歩く。


 同じ制服を着た生徒たちが、何人も追い越していく。


 笑い声がする。


 くだらない話をしている。


 昨日見た動画の話。


 好きなアイドルの話。


 テストの話。


 昼休みに何を食べるかという話。


 そんな話をしている。


 湊は、それが不思議だった。


 どうしてみんな、明日の話ができるのだろう。


 明日なんて、本当に来ると思っているのだろうか。


 いや。


 来る。


 明日は来る。


 だから困っている。


 明日も学校へ行かなければならない。


 明後日も。


 その次の日も。


 卒業するまで。


 卒業したところで、その先には大学があるかもしれない。


 大学の先には仕事がある。


 仕事の先には、また別の何かがある。


 人生というものは、どうやら終わるまで続くらしい。


 その当たり前のことが、湊にはひどく恐ろしかった。


 死ぬことが怖いのではない。


 生きることが、終わりなく続いていくことが怖い。


 そう思うようになっていた。


 教室に入る。


 誰も挨拶をしない。


 別に、それだけならどうということはない。


 昔は何とも思わなかった。


 けれど今は、誰も何も言わないことそのものが、ひとつの言葉のように感じられた。


 ――お前はここにいない。


 そんな声が、聞こえる気がする。


 湊は席に座った。


 机の表面に、細い傷がいくつもついている。


 そのうちの一本を指でなぞった。


 昨日まではなかった傷だった。


 誰がつけたのか。


 考えなくても分かる。


 でも、考えたくなかった。


 考えなければ、まだ何も起きていないことにできる。


 人間は便利だ。


 見なかったことにするだけで、少しだけ生きやすくなる。


 だから湊は、何も見ないことにした。


 窓の外を見る。


 校庭では体育の授業が始まっていた。


 誰かが転んだ。


 周りが笑った。


 先生も笑った。


 転んだ本人も笑っていた。


 湊は、その光景をぼんやり眺めながら思った。


 笑える人間はいい。


 笑えない人間は、どうすればいいのだろう。


 その日の放課後。


 湊は一人で帰った。


 誰かと帰りたいとは思わなかった。


 誰かと一緒にいると、相手の顔色を見なければならない。


 何を言えばいいか考えなければならない。


 笑うべきところでは笑わなければならない。


 そういうことが、もう疲れていた。


 家に帰っても、自分の部屋には何もなかった。


 ベッド。


 机。


 本棚。


 制服。


 スマートフォン。


 どれも自分のものなのに、自分がそこにいるという感じがしなかった。


 湊はベッドに横になった。


 天井を見る。


 白い。


 何もない。


 それが少し羨ましかった。


 何もないということは、何も傷つかないということだから。


 目を閉じる。


 眠れなかった。


 学校で言われた言葉が、頭の中で何度も繰り返された。


 笑い声も。


 机を蹴られた感覚も。


 誰も助けてくれなかったことも。


 全部、何度も戻ってくる。


 記憶というものは、本人の都合など考えない。


 忘れたいものほど、鮮明になる。


 湊は布団を頭までかぶった。


 それでも消えなかった。


 やがて、ある考えが浮かんだ。


 最初は、ただの考えだった。


 疲れたな。


 そう思った。


 次に、


 もういいかな。


 と思った。


 そして最後に、


 消えてしまえば、全部終わる。


 そう思った。


 不思議なくらい、静かな気持ちだった。


 怖くなかった。


 悲しくもなかった。


 むしろ、少しだけ安心した。


 これ以上、明日を考えなくてもいい。


 明日の自分を心配しなくてもいい。


 誰かの顔色をうかがわなくてもいい。


 何かを期待しなくてもいい。


 期待しなければ、失望もしない。


 その単純なことに、湊はようやく気づいた気がした。


 夜が深くなった。


 家の中は静かだった。


 湊は立ち上がった。


 そのとき、自分の机の上にある漫画が目に入った。


 先週買ったばかりの漫画だった。


 まだ最後まで読んでいない。


 湊は一瞬だけ立ち止まった。


 そして、


 ――まあ、いいか。


 と思った。


 そんなものは、死ぬ理由にはならない。


 もちろん、生きる理由にもならない。


 その程度のものだった。


 だから湊は、最後まで読まなかった。


   ◇


 その夜。


 少年は、自分の人生から降りようとした。


 その瞬間だった。


「ちょっと待って!」


 暗闇の中から、女の子の声がした。


 湊は顔を上げた。


 誰もいないはずだった。


 なのに、そこに少女が立っていた。


 黒い服。


 長い髪。


 そして、場違いなほど大きな鎌。


 少女は息を切らしていた。


「間に合った……!」


 湊は、しばらく何も言えなかった。


 少女も何も言わなかった。


 やがて少女は胸を撫で下ろし、


「よかった。まだ死んでない」


 と呟いた。


 湊は思った。


 変な奴だ。


 こんな状況で、そんなことを言う奴がいるなんて。


 少女は湊を見ると、慌てて頭を下げた。


「ごめんなさい!」


「……何が?」


「あなたを助けてしまいました!」


 湊には、その意味が分からなかった。


 少女はさらに慌てた。


「違うんです! 助けたかったわけじゃなくて!」


「……じゃあ何?」


「間違えたんです」


 少女は泣きそうな顔で言った。


「死神法の対象者を」


 少しの沈黙。


「あなたに」


 湊は少女を見た。


 少女は真剣だった。


 だからこそ、湊は思った。


 こいつは、たぶん頭がおかしい。


 そのとき初めて。


 その夜になって初めて。


 湊はほんの少しだけ、


 笑った。


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