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【完結】兄が異世界に行った弟の話  作者: 八月森


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エピローグ ちゃんと言ってなかったと思ってよ

 ハル姉と抱き合う俺の視界の端に、見覚えのあるものが映る。

 コオォ……と、形容しがたい音を響かせながら、それは徐々に大きさを広げていく。


 穴だ。穴が開いている。


 屋上の床にも校舎の壁にも繋がっていない中空に、浮かぶようにぽっかりと、問答無用で、空間の裂け目のようなものが生み出されている。それはあの夜、兄貴の部屋で見たのと全く同じもので……


「――よっ、と」


 その穴の奥から、場違いに気楽な声と、金属質なものが落ちるガシャンという音を立てながら、一人の男子が現れる。


「って、うちじゃないな。どこだ、ここ? ……学校の屋上か?」


 見慣れた黒髪黒目、平均より少し高い身長、しかし見慣れぬ西洋風の鎧姿に身を包んだその男は……


「兄貴……!?」


 それは紛れもなく、あの日、異世界へと姿を消したクソ兄貴、一ノ瀬(いちのせ)章人(あきと)その人だった。手には何やらネックレスのようなものを持っている。というか、なんなんだ、その珍妙な格好は。


「ん? よう、晴人(はると)。こんなとこで女子と抱き合って何してんだ?」


 そんな、間が悪いうえにデリカシーの欠片もない台詞を吐くクソ兄貴に早速イラっとさせられたのも束の間。


「え、え? アキちゃん? アキちゃんがいるの? どこ?」


 ハル姉からは死角になっていたのだろう。俺たち兄弟のやり取りを耳にした彼女はキョロキョロと辺りを見回し、ようやく目当ての相手を見つけ、目を合わせる。


「アキちゃん……! よかった、無事だったんだね……!」


「あ、なんだ小春(こはる)だったのか。二人して屋上で何を――」


 そこで、兄貴の動きが止まる(と同時に背後の穴が閉じた)。そしてわずかに間が空いたあと、努めて平静を装ったような声で、恐る恐る聞いてくる。


「……えーと。その、だな。二、三、聞きたいことがあるんだが……二人して、こんなところで何してるんだ……?」


「あ? 別に兄貴にゃ関係ね――」


「あのね。色々あってハルちゃんに助けてもらったの」


 ハル姉の言葉に兄貴は改めて周囲を見回し、倒れてる須堂(すどう)を発見する(背後で倒れている堀田(ほった)には気づかなかったらしい)。


「へ、へー……でも、なんでそれで抱き合って……?」


「え? それは、その……やっぱり、怖かったのと……なんだか、想いが溢れちゃって我慢できなくて……」


 俺から離れないまま、少し頬を赤らめてもごもごと返答するハル姉を目にした兄貴は、わずかに震える声で問いかける。


「……あの……もしかして、もしかしてなんだけどな……? 小春って、晴人のことが……」


「え? うん、好きだよ」


 あっさりとした当たり前のような告白に、にわかに顔が赤くなる。さっきも思ったが、それってどういう意味で……とか思ってたら兄貴が声を張り上げて矢継ぎ早に質問する。


「LIKEのほう!? LOVEのほう!?」


「え、う……ら、LOVEのほう……」


「いつから!?」


「その……子供の頃、初めて会った時から、ずっと……」


 顔を真っ赤にしながら、消え入るような声音で答えるハル姉。その心音は早鐘を響かせてこちらにも鼓動を届かせてくる。


 え? というかマジか? 幼馴染じゃなくて恋愛的な意味で、ハル姉が俺のことを好き……!? しかも……


「本当か、ハル姉……? そんな前から、俺のことを……?」


「……うん。名前に共通点があったのが本当に嬉しかったし、そのあともずっと見てきた。わたしは、ハルちゃんのことが好きなの」


 まだ顔は赤く染まっていたが、もう隠す意味もないと覚悟したのか、ハル姉はまっすぐに俺を見つめて改めて告白してくる。つられてこっちも赤くなっちまうが……めちゃくちゃ嬉しい。けど……


「けど、それじゃあ、デートしたあの日、兄貴が帰ってくればよかったって言ってたのは……」


「だって、アキちゃんの無事が分からないままで心配だったし……わたしだけがハルちゃんと楽しく過ごすなんて申し訳なくて」


 ……なんだ、あの時のあれはそういう意味だったのか……俺の勘違いでハル姉に当たり散らしちまってたのか。かっこわりぃなぁ、俺。


 そんな俺たち二人のやり取りを目にしていた兄貴は、その間もブツブツと何事か呟き、やがて頭を抱え、上体を(ひね)り、一通り悶えたあとで――


「…………も」


 も?


「――戻してええええ、姫さんんん!! エレナでもトリーシャでもいい!! こんなのあぁぁんまぁぁりだぁぁぁ! 誰かオレを向こうの世界にもう一回連れてってぇぇぇ!」


 いきなり何言ってやがんだこのクソ兄貴。


 と思ったところで、兄貴が手にしていたネックレスの宝石部分が何やら鈍く光り始める。


「あっ――やっぱ今のなし、今のなし! さすがにこのタイミングで使うのはない! ステイ! ステイ!」


 その言葉に反応したようにネックレスの光が弱まり、やがて消える。ホっとした様子の兄貴。マジで一人で何やってんだ。


「危ねぇ……うっかりまた召喚されるところだった。あぁ、でもなぁ……こんなことになるなら向こうに残ればよかったかなぁ……」


「あのなぁ、クソ兄貴。てめぇがいなくなってからこっちは色々大変だったんだからな。ハル姉は落ち込んでたし、クソ野郎から目は付けられるし、やたら大勢から兄貴の行方を聞かれるわ本当のことは話せないわで」


「あー……後始末を任せたのは悪かったが、オレだって色々大変だったんだよ。魔物に襲われるわ、戦場に向かうわ、超強いドラゴンと戦うわで」


「……ドラゴン?」


 普段なら「何言ってんだこいつ」案件なんだが、兄貴が異世界に姿を消して今突然戻ってきたのは現実だからな……一応本当にあったことなのかもしれないが、どうしても与太話に聞こえてしまう。


 と――


 バァン――!と豪快に扉を開けて屋上に現れたのは、階下の不良たちを足止めしてくれた面々――秋月(あきづき)(ねい)天王寺(てんのうじ)光姫(みつき)藤木戸(ふじきど)(けい)の三人。見える範囲では目立つ怪我も負っていない。ちょっとホっとする。


「一ノ瀬晴人! 古城(こじょう)小春は無事に助けられたのかしら!?」


「ああ。この通り」


 ぎゅう、と俺にしがみついたままのハル姉を示す。


「あんたらのおかげでなんとか間に合ったよ。本当に助かった」


「それは何よりですわ。わたくしとしても、力を貸した甲斐があるというもの。……ここに堀田勝樹(まさき)が倒れているということは、彼が首謀者ということになるのかしら? あら? けれど奥のほうにもう一人倒れて……それに、そちらに立っている鎧姿の方は……?」


 それが誰かを認識した瞬間――


「まあ!?」


 お嬢様が猛然と駆け寄ってくる。いつの間にかお付きの少女もそれに追従していた。


「一ノ瀬章人! 一ノ瀬章人ではありませんの! 帰ってこられたんですの!?」


「あ、ああ。ちょっとぶりだな、光姫、蛍」


「ちょっとぶり――ではありませんわよ! 突然姿を消したりして!」


「そうですよ、章人さん。お嬢様も私も心配したんですからね。なんでも、神隠しに遭われていたとか?」


「あー、まぁ似たようなもんかもしれないけど、ちょっと異世界に行っててだな――」


 ワイワイと、もはや俺たちのことはそっちのけで盛り上がる三年生三人。無理もないが、少し腹立たしくもある。それを尻目にこちらに近づいてきたのは――


「――やあ、親友」


 ――一人残された、秋月だった。


「無事に小春さんを助けられたみたいだね。しかもその様子だと、諸々上手くいったと見ていいのかな?」


 ハル姉に抱きしめられる俺を面白そうに眺める秋月。そんな目で見られるこちらは面白くないため憮然(ぶぜん)とする。が、かろうじて感謝のほうが上回り……


「……今回は、助かった。礼を言う」


 短く、感謝の意を告げる。それにまた、秋月は笑みを深めた。


「それには及ばないよ。ぼくにはぼくの理由があって君に協力しただけだからね。それに、こうしていいものも見せてもらったから満足だよ」


 クソ、さては面白がってやがるな。日頃から事あるごとに焚きつけてやがったものな、こいつは。一言文句を言ってやろうと――


「あの……よく、ハルちゃんと一緒にいる子だよね。あなたも、手伝ってくれたの?」


 ――したところで、ハル姉がそう問いかける。何年も俺とはまともに接していなかったはずだが、秋月のことは認識していたらしい。俺に近づく変わり者がこいつだけだったからかもしれない。


「きちんと挨拶させていただくのはこれが初めてですね、古城小春さん。秋月寧といいます。ぼくの手助けなど本当に微力なものですよ。全ては、彼が貴女を助けたいと強く願った結果です」


 急になんだその敬語。聞き慣れないからなんかぞわぞわするな。


「そっか、ハルちゃんが……ハルちゃんを助けてくれてありがとうね、寧ちゃん」


「いえ、とんでもない。ぼくは晴人くんの『親友』ですから。助けるのは当然ですよ」


 そう言いながら秋月は、俺のほうに意味ありげな視線を送る。なんだ? というか『親友』を殊更(ことさら)強調してるのもなんなんだ?


「『親友』……そ、それならわたしは、『幼馴染』だから!」


 ハル姉は俺を抱きしめる力を強めながら、張り合うように声を上げる。こっちもどうしたんだ? わけが分からなくなり秋月のほうに視線を向けると――


「これからも楽しませてもらいたいからね。ちょっとしたスパイスさ」


「あん?」


 何を言ってんだかさっぱり分からん。と――


「晴人さん。そろそろ誰かが騒ぎを聞きつけてやって来ないとも限りません。ひとまず撤収しましょう」


 こんな時でも冷静な藤木戸蛍からそう提案される。確かに、教師にでも見つかってややこしいことになるのは勘弁だ。


「ああ、そうだな。……そういうわけだから、ハル姉。そろそろ離してくれ」


「あ……ごめん……」


 ちょっと寂しそうにしゅんとするハル姉。垂れた耳と尻尾が見て取れるようなその様子に苦笑しつつ、彼女に手を差し出す。


「――ほら。行こうぜ、ハル姉」


「ハルちゃん……うん!」


 差し出した俺の手を、ハル姉がそっと掴む。こぼれ落ちないよう握ると、ぎゅっと強く握り返してくる。その感触に愛おしさを覚える。


 ――俺はもう、この手を離さない。


 そう強く決意しながら――……俺は彼女の手を引いて、校舎への階段を駆けていった。


  ――――


 この日の騒動は公にはされなかった。

 あの後、廊下にぶっ倒れていた不良共を教師が見つけたが、そのほとんどが事情を聴かれても口を(つぐ)んだそうだ。女子に叩きのめされたことが相当堪えたのかもしれない。不良同士のケンカということで決着がつくだろう。


 屋上で倒れていた須堂も発見されたが、何があったかは黙っていたらしい。そりゃそうだ。本当のことなど言えるわけがないし、適当な嘘で事実を歪めようものなら、俺やハル姉(あるいは兄貴や天王寺のお嬢様も)が黙っていないと、あのクソ野郎も分かっている。もうこっちにちょっかいかけてくることはないだろう。


 だからあまり大きな噂にはならなかったのだが、それでも誰にも見られず、とはいかなかったらしい。倒れた多数の不良、そしていつの間にか帰ってきた兄貴――しかも鎧をガシャガシャ言わせている――の姿を目撃したやつもいたため、後日その二つが結びついて兄貴の伝説の一つに数えられた。目撃者が少ないので、噂も細々としたものだったが。


 帰り道。兄貴は異世界から持ち帰ったネックレスを手に何事かブツブツと呟いていた。


「……使っちまえばよかったかな……でもあんな別れ方した後にすぐ戻るのはカッコ悪いしなぁ……」


 何を言ってるかはよく分からないが兄貴のことだ。きっとろくでもないことだろう。


 兄貴と共に帰宅すると、親父と母さんはホっとした顔をしていた。息子への信頼と親の心配はまた別物なのだろう。その日の夕食はちょっと豪勢だった。


 翌日、兄貴が登校すると学校は大騒ぎになった。何があったのかを大勢が聞きに来たが、さすがの兄貴でも本当のところは話せないという理性は働いたらしく、無難に「突発的に旅行に行きたくなった」と説明しているそうだ。


 噂を聞きつけた生徒連中(主に女子)は、連日ひっきりなしに兄貴の教室を訪れているという。天王寺の『お嬢様』に、『お付きの少女』である藤木戸蛍。兄貴の『親友』を自称する女に、『優等生な姉』と『人懐っこい妹』の姉妹。『ツンデレツインテ女』もいるだろう。他にも多くのギャルゲーのヒロインめいた女子たちが、兄貴を取り囲んでいるはずだ。


 けれど、そこに『幼馴染』であるハル姉の姿はない。彼女は今――


「はい、ハルちゃん。今日のは自信作だよ。ジャガイモと人参のきんぴら」


「ハル姉は結構渋いの作るよな」


「え、ダ、ダメだった?」


「いんや、美味いぜ」


「……良かったぁ」


 昼休み。俺とハル姉は屋上のベンチに並んで座り、弁当を広げていた。他には誰もいない。


 空は雲もほとんどない快晴。たまに通り抜けるそよ風が心地いい。絶好のロケーションだ。


「……静かだね」


 そんな中、ハル姉がぽつりと呟く。ちらりと見れば、箸が止まっていた。


「ここであんなことがあったなんて、なんだか信じられないよ。須堂くんに襲われて、ハルちゃんに助けられて、アキちゃんが突然帰ってきて……」


「……そうだな」


 あのクソ会長の蛮行も驚きだったが、特に兄貴の一件が非日常すぎたしな。


「……ここはまだ、怖いんじゃないか? あの時のことを思い出しちまうんじゃ……」


 この場に誘ってきたのはハル姉のほうだが、俺のほうで事前に止めるべきだったかもしれない。しかし彼女は小さく首を横に振る。


「ううん、大丈夫。確かにちょっと怖かったけど、それ以上に嬉しかったから。アキちゃんも無事に帰ってきたし……何より、ハルちゃんに嫌われてないって教えてくれた場所だから」


「ハル姉……」


 こちらに向けられる笑顔を眩しく感じ、胸にじわりと温かさが広がる。あの時の彼女の言葉、彼女の気持ちを思い出す。俺はそこで一度箸を置いた。そして意を決して彼女の耳元に顔を寄せ……


「――ハル姉」


「な、何、ハルちゃん?」


 鼓膜への囁き声にくすぐったそうにする彼女へ、さらに口を近づけ……


「――……俺も、ハル姉のこと好きだからな」


 聞いた途端、彼女は驚いた顔でこちらを見てきて。それに俺は、赤くなった顔を逸らすしかできなくて。


「……ちゃんと言ってなかったと思ってよ」


 照れてそっぽを向き、かろうじてそんな補足をする俺に彼女は――


「――ハルちゃん!」


 ガバっと、両腕で抱き着いてきた。


「うん! 好き! わたしも好きだよ!」


「ハ、ハル姉! 弁当落としちまうから!」


「あ、ご、ごめん!」


 膝に乗せた弁当を落とさないよう慌てて押さえるハル姉に嘆息しつつも、俺は告白の返事を噛み締め、嬉しさに満たされながら、表には出さないように静かに微笑むのだった。


 ――これは、俺たちの物語。

 兄貴が異世界に行ったことで変化し、それでも続いていく俺たちの日常と――

 名前に『ハル』を持つ二人がもう一度繋がり、共に歩んでいく。ただそれだけの、小さな物語だ。

異世界に行った兄、章人。その後始末を押し付けられた弟、晴人。そして彼ら兄弟の幼馴染である小春の物語に、ここまでお付き合いいただいて本当にありがとうございました。

晴人は兄へのコンプレックスを募らせながらも、今後は小春と二人手を繋いで彼の人生を歩んでいくことでしょう。

面白いと感じていただけたなら、☆で評価してもらえたりすると励みになります。

またどこかでお会いできれば嬉しく思います。それでは。

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