16話 いい加減寝てろ
「……ん……ハル、ちゃん……?」
俺の呼び掛けにハル姉は目覚め。ゆっくりとまぶたを開いていく。昔の呼び名で呼んだからか、彼女も俺を子供の頃のあだ名で呼んでいた。
「馬鹿な!? もうしばらくは目覚めないはずだ!」
驚愕に目を見開く須堂。しかしすぐに気を取り直すと……
「……いや、問題ない。このまま僕たちが一つになればいいのだから! 既成事実だ!」
奴は再びハル姉に迫ろうとする。そこでようやく彼女のまぶたが完全に開き、自身を取り巻く状況が急速に視界に入り込んでくる。
「……? 須堂、くん……? どうして、そんな近くに……え……ここ、どこ……? わたし、どうして寝かされて……」
「ハル姉っ!」
まだ状況を処理しきれず困惑する彼女に、俺は堀田の野郎に羽交い絞めにされたままで叫ぶ。
「晴人、くん? ここで何して……というか、今わたしのこと、ハル姉って……」
「それは今どうでもいい! とにかくそこから逃げろ!」
「え? 逃げる、って……」
そこで須堂の野郎が身を乗り出し、ハル姉の退路を塞ぐようにダンっ!と地面に手をつく。クソが……!
「す、須堂くん……? 何を……」
「言ったろう? 君に好意を抱いていると。だから今日、僕たちは結ばれるんだ」
「え、え? 結ばれるって……それに、ここ、外で……そういえばさっき、コーヒーを飲んでから、わたし……。……!」
ようやく事態の前後を思い出し、状況を呑み込めたのか、彼女の顔がサーっと青くなる。
「い……嫌……! やめて、須堂くん……!」
「なぜだ……なぜ拒む、古城くん……! ……いや、もはや何も言うまい。結果は変わらないのだから!」
そう言うと須堂はハル姉の身体を跨ぐように覆いかぶさり、顔を近づけようとする。クソ……! どうにか、どうにかできないか……!
唯一自由に動く眼球で、須堂の野郎を射殺さんとばかりに睨みつけるが、当然そんなことは叶わない。
しかしそこで、不意に気づく。奴とハル姉の位置関係に。そして思い出す。先刻不良を軽くあしらった秋月の動きを。
「ハル姉っ!」
助けを求めてこちらに視線を送る彼女に、俺は再び叫んだ。
「――思い切り足を振り上げろ!」
「……! ――えい!」
迷わず俺の声に従った彼女は、その意図に気づいただろうか。いや、気付いていたら実行できなかったかもしれない。何せ、そうすることで彼女の膝は……ズボンを下ろしてパン一の須堂の股間を、思い切り蹴り上げていたのだから。
「むぐ……お……!?」
急所を膝で打たれ悶絶する須堂。俺はそれを確認しながら、秋月が先刻やっていたもう一つの動きを再現する。
「ふん!」
「がっ……!?」
頭を思い切り後ろに倒し、堀田の顔面に頭突きを入れる。そして奴が怯んだ隙に身体を暴れさせ、拘束を振り解く。もっと早く思い出して実行すべきだった。
無事に着地し、即座に彼女の元へ駆け出そうとするが……
「――てめぇ!」
顔面に痛みが走る。激昂した堀田に肩を掴まれ、無理やり振り返らされ、顔面を殴りつけられたのだ。
「ぐ……!」
さっきからこいつが邪魔だ。要所要所で動きを妨害される。だからこそ須堂は、こいつをこの場に連れてきたのだろうが。
(ここで片付けなけりゃ、ハル姉まで辿り着けねぇ……!)
そう判断した俺は堀田に向き直り、いつかのように殴り倒すべく前進する。
狙うは以前と同じ腹部。左拳のボディーブローで悶絶させたところで、位置の下がった頭部をぶん殴るつもりだった。
堀田は、避ける様子がなかった。こちらの動きを視認したうえで、防ごうともしていない。その顔にかすかに笑みが浮かんだ気がした。嫌な予感を覚えつつも、身体の勢いを止められない――
ゴオン――!
「……っ!?」
人体を殴ったとは思えない音と感触。拳に走る鈍く重い痛み。俺は思わず腕を引いて一歩後ずさる。これは……
「ふ、ふへははは……! まんまと引っ掛かりやがったな……!」
堀田は得意げに笑うと、ワイシャツの裾をめくりあげてみせる。その下から出てきたのは……腹部に括りつけられた、鉄製の板。
「てめぇは前と同じ攻め方してくると思って、腹に鉄板仕込んでたんだよ! 間抜けがぁ!」
……道理で硬ぇわけだ。さっきから左拳がジンジンと痛みを訴えてくる。骨折、までいかなくとも、ひびくらいは入っているかもしれない。
「言ったろ、てめぇにゃ何もできねぇってな! オラっ! オラっ! どうだ、クソチビが!」
こちらが痛みで怯んだのを見て、堀田が勢いづいて殴り掛かってくる。右、左と拳を交互に突き出し、顔面を殴打していく。
「ハルちゃん!」
背後から響くハル姉の悲痛な叫び。ああ、また心配させちまってる。無茶はするなってこないだ言われたのにな。
けど、悪ぃ。俺は無茶しかできない。兄貴のように器用には立ち回れない。愚直に前に進むしかできない!
「これで、終わり、だ!」
とどめとばかりに堀田が右腕を大きく振りかぶったところで……俺はむしろ前に出て、頭を前方に突き出した。
ゴっ――!
「ぐっ……!?」
痛みに呻いたのは俺ではなく、殴りつけた堀田のほうだった。
俺は、奴の力が乗り切る前にあえて距離を詰め、硬い額で拳を受け止めたのだ。つまりさっきの俺と同じように、相手は予想外に硬い物体を殴って拳を壊されたことになる。手首も痛めたかもしれない。
そうして狼狽える堀田に向けて、俺は腕――ではなく、足を振り上げた。
「終わるは……てめぇのほうだ!」
鉄板を仕込んでいるという腹を目掛け――
ドゴォ――!
――足裏で思い切り蹴りを入れる。
「ぐ……ぶぇ……!?」
蹴りの衝撃は鉄板越しにも腹に届いたのだろう。いや、むしろ鉄板に圧迫される感覚すらあったかもしれない。勢いに負けた堀田は吹き飛び、屋上入口の壁に背中を打ちつけ、くずおれる。そこへ――
「――いい加減、寝てろ!」
ようやく位置を下げた顔面に、無事な右の拳を喰らわせる。
「ぐべっ……!? お……」
顔面を殴り飛ばされ、その勢いで今度は後頭部を壁に打ち付けられた堀田は、そこで意識を失ったのだろう、ずるずるとずり落ちた後、動かなくなった。




