11話 後半が問題なんだろが
小春との勉強会から数日後、予定通り期末テストは実施された。
ちょっとした緊張感の中、問題の書かれた紙ぺらと格闘する数日間。それが終わった次の週には、その紙ぺらが返却される日がやってくる。
「秋月ー」
「はい」
四限目の数学。男の数学教師に名を呼ばれ、隣席の秋月が採点された答案用紙を受け取りに向かう。
「流石だな秋月。このクラスの最高点だ」
「……それはどうも」
褒められてはいるが、当の秋月に喜ぶような様子はない。にべもなく無表情に礼を返すだけで、すぐに席に戻ってくる。むしろわずかに機嫌が悪いようにも見える。
というかこの先公、さらっと点数が推察されるようなこと口走ってやがるが、昨今のコンプラ的にいいのか?
「えー、次は一ノ瀬。一ノ瀬弟」
いちいち弟ってつけるんじゃねえよ。
苛立ちながらも席を立ち、渋々受け取りにいく。が、その苛立ちは次の先公の台詞でさらに勢いを増す。
「まぁ赤点は免れたようだが、ギリギリだったぞ? お前の兄ならこのくらいの問題は――」
「……るっせーな。兄貴は関係ねぇだろ」
思わず拳を握り締める。殴りたい衝動を抑え込みながら、それでも怒りの漏れ出る声を吐き出すと、無神経なクソ教師はわずかにたじろいだ様子を見せる。
「な、なんだ、その態度は……! 教師に向かって――」
「……チっ」
それに舌打ちし、奪い取った答案用紙を握り潰しながら、俺は窓際最後尾にある自分の席へと戻る。が――
「赤点ギリギリだって――」
「ほんとに一ノ瀬先輩の弟――?」
怒りを隠さず席への帰り道を辿っていた俺の耳に、こちらを盗み見てひそひそ話す女子連中の声が届いてくる。俺がじろりとそちらに視線をやると、そいつらはビクリと肩を震わせ、そそくさと顔を背ける。クソが。ビビるなら聞こえるように喋ってんじゃねぇ。
結局その時間はそれらの苛立ちを抱えたまま、身が入らない授業にじっと耐え、昼休みを待つしかなかった。
***
チャイムの音が鳴り、昼休みを迎えると同時に俺は立ち上がり、教室を出た。苛立ちは収まらないままだが、それを少しでも解消する意味でも体力的にも昼飯を食わねばならない。
今日は母さんが弁当を作り忘れたので、購買でパンか何かを買うつもりだった。学食でも良かったのだが、この不機嫌な状態で不特定多数の人前で食事をする気にはどうにもなれなかった。だからどこかひと気のない場所で――
「……なんでついてくる、秋月」
俺は一度足を止めて振り向き、席を立つ時から背後をついて回ってきていた黒髪サイドテールの女に声を掛けた。
その女――秋月寧は、テスト返却の際の無表情とは打って変わって、薄い笑みを浮かべて平然と答える。
「別に後をつけてる訳じゃないよ。行き先が同じというだけさ」
そういや、こいつは基本的に購買でパン食だった。確かに行き先が被ってもおかしくはないのだが。
「という訳で行こうか、晴人くん。急がないと目ぼしい物は売り切れてしまうよ」
昼休みの購買はちょっとした戦場だ。こいつの言う通り、急ぐ必要があるのも分かる。結果的に同行する形なのが釈然としないだけで。
「……勝手にしろ」
俺は一つため息をついてから、渋々秋月を連れて購買に向かった。
***
「……で、なんでここまでついてきてるんだ?」
無事に目当てのカツサンド(好物なのだ。ちょっとお高めだが食ってイライラを解消したかった)とクリームパンにコーヒーを買い終えた俺は、ひと気のない場所を探した末に、誰もいない屋上に辿り着いた、のだが……
「ぼくも今日は静かな場所でのんびり食べたかったからね。たまたま場所が被っただけだよ」
「そう言う割にはずっと後ろにいたじゃねぇか」
そう。結局秋月は教室から購買、そこから右往左往して屋上に到達するまでの間、俺から離れなかった。後をつけていた以外の解釈ができない。
「実を言うと、君と話がしたくてね。察しの通り、後をつけさせてもらったよ」
やっぱりじゃねぇか。
「見て分かると思うが、俺は今機嫌が悪ぃんだが……」
だから一人で飯を食おうと思ってたんだが。
「奇遇だね、ぼくもそうさ」
「あん?」
「今は他の人間がいる場所で食事をする気にはなれなくてね。かと言って一人では吐き出しどころもない。そこでどうだろう、親友。お互いに愚痴り合っての昼食会というのは?」
「……」
確かに、一人で飯を食っていてもイライラは収まらなかったかもしれねぇ。それに友人や先輩など皆無な俺にとって、学校で愚痴を言える相手というのはこいつぐらいのものだ。他に話せるとしたらかろうじて小春だが……いや、ダメだ。そんな格好悪いところを小春に見せられねぇし、心配もかけたくねぇ。つまり選択肢はないに等しい。俺は小さくため息をつき、屋上に設置されたベンチに腰を下ろした。
「……しょーがねぇな。あと親友はやめろ」
「了承の返事と受け取るよ」
そう言うと秋月は俺の隣に座り、買ってきたサンドイッチの袋を開ける。俺も自分のものに手をつけ、まずはカツサンドを頬張る。美味い。それを咀嚼し、呑み込んでから、俺は口を開いた。
「しかし、お前でも機嫌損ねることあんだな」
「ぼくをなんだと思ってるんだい? ぼくだってなんでもないことに一喜一憂する、いたって平凡な一生徒に過ぎないのに」
「普段の言動や態度が平凡とはかけ離れてんだよ、お前は。まぁ、それを置いておいたとしても珍しいことには違いないからな。原因はなんだ?」
秋月はサンドイッチに小さく口をつけたあと、なんでもないことのように返答する。
「あの数学教員だよ。言動の全てがいかにも前時代的な価値観だし、デリカシーの欠片もないから、日頃から疎ましく思っていてね」
思っていたより辛辣な答えに軽く驚く。そういえば、テストの返却の際にもどことなく機嫌が悪かったようにも見えたが。
「それには完全に同意するんだが……ほんとに珍しいな。お前が他人をそんな風に嫌うのは」
「そうかい? ぼくはかなり勝手な好き嫌いで他人を線引きするタイプだよ?」
「初耳だよ」
まぁ、そこまで詳しくなれるほど、こいつと接してる訳ではないのだが。
というか、そんなやつがよく俺みたいな不良と一緒に飯を食ったりするもんだ。それこそ、嫌ってはいないってことなんだろうが。
「で? 話したかったことってのは、あの先公への愚痴か?」
「正解ではあるのだけど、それに関連したもう一つの話が本題でね」
「もう一つ?」
クソ教師への愚痴に関連する話題というのが思いつかず、俺は首をひねるが……
「ああ。――赤点回避、おめでとう。勉強、頑張ったみたいだね」
「……!」
それは、全くの不意打ちだった。
「お前、なんで……!」
「なんで分かったかって? 分かるさ。前から数学は苦手にしていたじゃないか」
「そりゃ……そうだが」
中学からの付き合いのうえに、この女は図抜けて聡い。確かに、俺の大体の学力を把握していてもおかしくはない。
「しかもこの間の中間テストは赤点だったろう? 難易度の上がった今回の期末も相当に苦戦するとぼくは見ていたんだけど……蓋を開けてみれば、君は予想以上に健闘してみせた。これは称えられて然るべきだよ」
「……」
「だというのに、あの教員は君の努力を何も分かっていない。嘆かわしいことだ。生徒の努力を認め、後押しすることが、彼らに求められる役割だろうに。だからぼくは――」
秋月の言葉は途中から聞こえていなかった。胸の内からじんとしたものが溢れ、それを噛み締めるのに手いっぱいだったのだ。
ずっと兄貴と比較され、周囲から落胆され続けて生きてきた俺にとって、こんな風に正当に努力を認められる機会など数えるほどしかなかった。それが、掴みどころのない腐れ縁の隣人からのものだとしても、それでも想像以上に嬉しいもので……
「晴人くん?」
秋月が様子を窺うようにこちらを覗き込んでくる。俺はわずかに緩んだ表情を見られないよう、慌てて顔を逸らす。
「な、なんだ? 別になんでもねえぞ?」
「そうかい? ぼくはてっきり、不意打ちで褒められて内心喜んでくれていると思ったのだけれど」
「ばっ……! てめぇ、分かっててからかってやがったのか!?」
「おっと、落ち着きなよ親友。君の努力が評価されるべきというのは本音だとも。それを正面から伝えたら面白そうという思いもまた否定できないのだけど」
「後半が問題なんだろが!」
称賛に嬉しさを覚え、からかわれたことに反発するうちに、あのクソ教師への怒りはいつの間にかどうでもいいものになっていた。これを狙って俺につきまとっていたのなら、その目論見は見事に成功していると言える。考えすぎかもしれないが。
胸の内ではそれに少なからず感謝しつつも、表面上は悪態をつきながら、俺は休み時間が尽きるまで秋月との昼食会にふけったのだった。




