~その頃の兄⑥~ マニ車みたいな印象だな
「なぁ。オレにも魔法とか使えないかな」
「……急にどうしたの?」
焚き火の前で野営の見張り番をしていたトリーシャは、オレの唐突な発言にもいつもの無表情を返す。ちなみに姫さんとエレナは後の番なので、今は毛布に包まって眠っていた。
「いやー、せっかく剣と魔法のファンタジー世界に来たんだから、魔法の一つでも使ってみたいと思うのが人情ってもんだろ」
「何を言っているのかよく分からないけれど、何を言いたいかはなんとなく分かったわ」
彼女は焚き火に枯れ枝を一本くべてから、こちらに向き直る。
「でも、そうね。初めに結論から言っておくと、アキトが『魔法』を使うことは不可能よ。『魔術』なら扱えるかもしれないけれど」
「? その二つって違うものなのか?」
オレは明確に区別しないで話題に出していたが、そういえばトリーシャは自身が扱うものを一貫して『魔術』としか呼んでいなかった気がする。
「アキトの世界ではどうか分からないけど、この世界で魔術は、『心象を具現化する技術』だと言われている」
「心象を、具現化……」
「炎の矢を放つ。水の弾を飛ばす。瞬時に足元を凍らせる。そういった、自然には起こりえない事象を思い浮かべ、実現させる技術が――」
「――魔術、ってわけか」
「ええ。ただ、魔術は魔力を媒介――燃料として消費する。だから、例えば一つの街を破壊するような魔術を思い浮かべたとしても、それに見合った魔力がなければ術は発動しない」
「何事にも限界はあるってことだな」
「そう。そして、他にも制限はある。それは、私たちが扱う魔術には詠唱が不可欠ということ。というのも、魔術は心象を――精神を具現化したもの。でも、肉体という檻に精神を閉じ込めている私たちは、思い浮かべるだけでは精神を檻の外に出せない。檻を閉ざす扉を開けるには鍵が必要だし、開いた後は魔術の効力を具体的に決定づける道筋もいる」
「その鍵と道筋が……詠唱ってことか?」
トリーシャがコクリと頷く。
「これが、魔術の概要。魔力と知識、それに精神修養の訓練があれば、理論上は誰でも扱える技術。――でも、魔法は違う。それは、かつて神々が扱っていた万能の奇跡」
「神……? 万能……?」
急に話が大きくなってきたぞ。
「『世界に法則を生み出す大魔術』。それが、魔法だと言われている。星々の運行。季節の巡り。数多の自然現象。それら全てを魔法によって世界に組み込んだのが、肉体を失う前の神々」
「ふむふm……え? 神さまなのに、肉体があったのか?」
そしてそれを失ったのか?
「神話では、創造神――〈白の女神〉アスタリアが世界を生み出した後、それを奪おうと〈黒の邪神〉アスティマが襲いかかってきて、争い合った末に互いの肉体を破壊したと伝えられている。その二神の欠片から新たな神々や悪魔が生まれ、それらも戦いの果てに身体を失った、と。もはや誰も真相を確かめられない、おとぎ話なのだけれど」
肉体を持っていたけど失った神々と悪魔たちか。なかなか面白そうな神話じゃないか。
「ってことは、今、この世界には神も悪魔もいないってことなのか?」
「いえ、精神だけの存在になってこの世界に留まっていると言われてる。ただ、肉体がないからこの世界に物理的に干渉できないのだけど」
「ん? じゃあ、オレが神さまから授かった加護とかはどうなるんだ?」
「それについては色々意見もあるのだけど、精神だけになった神々は、同じ精神になら干渉できるとされている。だから加護は、神が人の精神に特殊な魔術式を刻み込んだ状態という説がある。授かった者がこれに意識を集中させ、魔力を流し込むことで、私たち人間でも詠唱を必要とせずに特異な魔術を発動できるのだと」
回すだけで功徳が得られるマニ車みたいな印象だな。
「話が逸れた。つまり魔法というのは、かつてあった神々の奇跡で、今はもう失われたもの。当然人間に扱えるものじゃないし、その全容も分からない」
「なるほどなぁ。そりゃオレじゃ使えないわけ……」
……って、ん?
「あのさ。姫さんみたいな神官が扱う法術ってのは、どんな仕組みなんだ? 姫さんは、『奇跡の一端を借り受けてる』って言ってたが、今の話からすると、もう神さまの奇跡はないんだろ?」
そう聞くとトリーシャは、いつもの無表情にわずかに難しい顔を浮かべる。
「今アキトが言った通り法術は、神々の奇跡の一端を借り受ける技術。使うには何よりも神々への信仰心が必須。そのうえで、祈りと魔力を捧げる必要がある。とりあえずの事実として、その仕組みで神官は法術を扱うことができている。ここまではいい?」
「おう」
「専門じゃないから私もそこまで詳しくはないけれど、一般的には、人々が祈りと魔力を捧げる対価として、神々は法術を授けてると言われてる。でもこれだと、肉体と共に奇跡を失った神々が、今現在どうやって人々に法術を貸し与えているのか、論理的な説明ができない」
そうだよな。オレもそこが気になった。加護と一緒で、精神に干渉するなんやかやで、なんとかしてるのか?
「だから、説の一つとしてこういうのがある。法術の仕組みもまた、神々が世界に組み込んだ法則の一つなのではないか、と」
「……毎日陽が昇って地平線に沈む。果実が重力で木から落ちる。みたいに、祈りと魔力を捧げれば法術を扱えるという自然法則……?」
「そう。ただこの説は、当の神殿からは否定されている。まぁ、当然だと思う。それは彼らが主張する、『神と人との橋渡し』という立場を、否定しかねない話だから」
そう言うと、トリーシャは眠っている姫さんにちらりと視線を送る。姫さんもそれには否定的ということだろうか。
この世界の宗教がどういう立ち位置なのかは正直分からないが、神さまに祈って奇跡の一端を授かってるという建前で権勢を保っているのだとしたら……
「確かに、そんなシステマチックな仕組みを認めるわけにはいかないだろうな。大義名分も神秘性も薄れちまう」
「そういうこと」
話は一段落ついたのだろう。トリーシャは一つ頷く。
「まぁ、つまり、魔法は無理だけど、魔術や法術ならオレでも使えるかもしれないってことだよな」
「その通りだけど、アキトに法術は難しいと思う」
「なんでだ? 極端な話、神さまを信じて祈れば使えるんだろ?」
「じゃあ聞くけど、名前を聞いたこともない、何を司ってるかも知らない神を、アキトは心から信仰できる?」
「……言われてみれば難しいな」
そもそも現代日本に住んでいたオレにとって、神を信仰するって行為があまりピンとこない。神道や仏教の教えは日常生活にも浸透しているが、それだってなんとなくだ。信仰心なんてものに縁はない。
「ってことは、実質魔術一択か。でも、そうなると問題は魔力か? オレの世界には魔力なんてなかったし、どうやれば身につくのかも分からないしなぁ」
そう呟くと、トリーシャはほんの少しキョトンとした顔を見せる。
「アキトはもう魔力を持ってるけど」
「……え? オレ魔力あるの?」
「ええ。〈解眼〉を使う際に消費している魔力はどこからきていると思っていたの?」
「……そういえば、加護はそういう仕組みだって言ってたな……」
それに思い返せば、初めて聖剣を抜いた時に魔力を持っていかれるような感覚は感じていたんだったな。すっかり忘れてたが。
「ともあれ、それなら使える条件は揃ったわけだ。少しでいいからやり方教えてくれないか?」
「それは構わないけど、姫様たちを起こさないように静かに、小規模のものだけね」
「ああ、本当に基礎的なやつでいい。ちょっとでいいから魔法的なものをこの手で使ってみたいだけなんだ」
ゆくゆくは、実戦で使える攻撃用の魔術なんかも覚えたいところだが。
「分かった。今のアキトでも使える基礎なら……明かりを生み出す魔術がいいと思う。まず、指先を立てて」
そう言って、顔の前に人差し指を立てるトリーシャに倣い、オレも指を立てる。
「次に、心臓の辺りから指先まで魔力が通っていくのを意識して。そして立てた指の先に炎が浮かび上がるイメージを、心の内に思い浮かべて。なるべく鮮明に」
魔力が通る意識……指先に炎……なるべく鮮明……
「そうしたら、こう唱えて。……《我が手に集え炎の精。その指先に火を灯せ》」
短い詠唱と共に、トリーシャの指先に言葉通り火が灯って、焚き火の明るさと混じり合う。オレは目の前で見せてくれた実演に興奮しつつ、それを基にさらにイメージを強固にして、集中して……
「……《我が手に集え炎の精。その指先に火を灯せ》」
ボっと小さく燃える音と共に、オレの指先にも炎が現れる。
「お……おぉぉ……! ほんとに、オレにも魔術が……!」
ほんのわずかに身体から力が抜けるような感覚――これが魔力だろう――もあったが、そんなもの気にならないくらいの感動が湧き上がり、思わず歓声を上げそうになり――
「――しっ」
と、炎を消した指先を口元に当てたトリーシャに、静かにするように注意された。ごめんなさい。
「……驚いた。たった一回、やり方を教えて手本を見せただけなのに、すぐに使えるようになるなんて」
ってことは、普通はこんなに早く使えるもんじゃないってことかな。
「オレは元の世界でも大抵のことは、一回見ればすぐにできるようになってたからな」
加えて、現代日本人は創作物に常日頃から触れているおかげで、イメージを浮かべやすくなっているんじゃないかと思う。
「それは頼もしい。この旅でもその力を発揮してほしい」
「ああ、任せとけ。しかしほんとに魔術使えるなんて感動ものだな……小春や晴人にも見せてやりたいもんだ」
「アキトの世界の人?」
「ああ。小春は幼馴染で、晴人は弟だ。小さい頃はよく三人で遊んでてな――」
「そう。実は私にも妹がいて――」
一見クールで人を寄せ付けないトリーシャだが、こうしてみると意外と話しやすい。彼女とのお喋りは、見張りの交代の時間が来るまで続いたのだった。




