(3)もしかして、日本じゃない?
さやさやと風が流れ、ちらちらとリーフグリーンの光が降り注ぐ。木漏れ日が差し込む森の道をのんびり歩いていく。
足元にはミントグリーンの背の低い草が生い茂り、その合間にかすかに地面がのぞく。スニーカーで踏みしめる土はふかふかと柔らかい。
「こっちで、あってると思うんだけどなー」
ゆめはそうひとりごちると、目をこらして森の奥を見る。
森の中は木々の合間からこぼれる光で十分に明るい。それでもまだ、道の先は見えない。
「まさか、マップが使えなくなるとか思わなかった」
頼りにしていたスマートフォンのマップは、ホームから少し離れた途端にフリーズして使えなくなってしまった。
スマートフォンも電源は入るが、アンテナは立っていない。
「まあ、たしか一本道だったし」
ホームで確認した、地図情報をしぼり出す。
マップアプリに表示されていた、街につながると思われる道は真っ直ぐな一本道だった、はずだ。
「ほかに道もなかったし。……これ、道だよね」
草の合間にのぞくローアンバー色の地面に首を傾げる。
ホームからしばらくはそれなりの広さの道が続いていた。しかし、森を進むにつれ次第に細くなり、ついには獣道のようなかすかな道幅しか残っていない。
横道にそれているつもりはないが、これがあっているかは正直なところ、ゆめにもわからない。
「……ま、道は全部つながってるって言うし、なんとかなるか」
ゆめはそう言うと、ぐ、と身体を伸ばす。
「それにしても、すごい木だなぁ」
不意にゆらゆらと足元で揺らぐ木漏れ日が視界に入り、上を見る。
フォレストグリーンの木はすっと高く伸びて、はるか上に重なりあう葉の合間から光が注ぐ。マホガニーの幹は樹齢数百年以上経っていそうなほど、太くしっかりとしている。
「なんだか、触ったらご利益とかありそう」
しげしげと木をながめ、そっと手を伸ばしてみる。ぼこぼこといびつな木肌の幹は、少しささくれたっていてざらざらしている。ただ、指先に伝わる木の感触は意外と柔らかい。
ゆめは神社のご神木にもなれそうな木を前に、ぱんぱんと手を叩くと合掌する。
「無事に街までつけますように。あと、誰かと会えますように!」
願掛けをすると視線を道の先に戻す。
「さて、そろそろ行くかな」
一人つぶやいて、道を先に進んだ。
しばらく歩いていくと、不意に視界の隅にひらひらと何がよぎる。
顔を向けると、一匹のチョウが飛んでいるのが見えた。
「わあ、きれい!」
アゲハチョウくらいの大きさのチョウは羽が透明なガラスになっている。羽を動かすたびにガラスの羽が玉虫色にきらめき、きらきらと光が舞う。
「……これってチョウ、だよね。こんなの近所でも見たことないや」
進行方向が同じなのか、ガラス羽のチョウはゆめの少し前をふわふわと飛んでいく。思いがけずチョウに先導される形で森を歩いていく。
道なりに進んでいると、ふ、と甘い花の香りが漂ってきた。道の先には、マホガニーの幹の隙間にカラフルな花がのぞく。
たどり着いた先では、道を覆うように貼り出した低木が、八重咲きの花をたくさんつけている。
視界を埋めつくすように咲き乱れていたのは、山吹にも似た、虹色の花。花びらはわずかに光沢を帯び、ゆらゆらと風に揺れては七色に輝いている。
虹色の花の間を無数のガラス羽のチョウが舞う。
「わあ、すごい……」
目の前の光景に、ゆめは感嘆の声をもらす。
花に近づき、その一つに手を伸ばす。
「これって、山吹だっけ? でもこんな色してたかな」
花の形はよく見る山吹に近い。触れた花びらはしっとりとなめらかな手触りをしている。
八重咲きの花は華やかで、七色の光沢もあり妙な存在感がある。
顔を上げ、前を向く。
さわさわとささめきあう木々の合間からは、リーフグリーンの木漏れ日が降り注ぐ。飛び交うチョウの羽や花びらに乱反射して、星のように光がまたたく。
そっと、息を飲む。
柔らかな緑と鮮やかな虹色の景色は、まるで現実感がない。
「え、もしかして私、死んだ?」
この世のものとは思えない風景に、思わずそんな言葉が口を出る。
「そういえば、電車でも猫が話してたし、二足歩行もしてたし、ここって現実じゃない?」
ホームでの出来事を思い出し、いまさらながらそんなことに思い至る。
「……いたい」
試しに頬をつねってみたら、ちゃんと痛い。それに肌をなでる風の感触もリアルだ。
「そうだよね。別に事故ってもいないし、残業しても一時間くらいで帰れるから過労死ってこともないだろうし。いや、まあ、世の中何が起こるかはわからないけどさ」
そうつぶやきつつ、首を傾げる。
「じゃあ、ここって本当に、どこ?」
少なくとも近所や旅先で、ガラス羽のチョウや虹色の山吹を見かけたことはない。それとも世界にはこんな景色があるのだろうか。
「いやー、でもなぁ。もしかして、流行りの異世界転生とか? リアルでそんなことある?」
つぶやいて、周囲を見回す。
リーフグリーンの光の中、虹色の花の間をひらひらとチョウが舞う。周りは森に囲まれていて、ほかの風景は見えない。時折風に乗って潮の香りがふわりと届く。
「えー。だとしたら、お城とか神殿に呼び出されるんじゃないの? もっとアフターケアがあってもよくない? ここ来て会ったのって、あの車掌みたいな猫とチョウだけだし」
異世界転生モノの小説や漫画も、たしなむ程度には読んできた。なかには放置プレイされるものもあるけれど、それでももう少し親切設計だったような気がする。
思えば、あの車掌猫にもろくな説明は受けず、電車から追い出されただけだった。
耳をすましてみる。たまに遠くから鳥や動物の鳴く声が聞こえてくるだけで、人の気配はない。
「……まあ、どっちみち街に行ってみるしかないか」
しばらく考えても答えは出ず、そう結論づける。
「ま、なるようにしかならないし、なんとかなるでしょ」
そう言うと、肩にバッグをかけなおす。ぐ、と腕を伸ばす。すっと深呼吸をする。
森の空気は涼やかで、凛としている。
ゆめが歩き出すと、並走するようにふわりと一匹のチョウが近づいてくる。そのまま、ゆめの少し前の道を飛んでいく。
「もしかして、アフターケアとか言ってたから、神様がサービスしてくれた? いや、神様いるか知らないけど。それとも、たまたま?」
不思議に思いつつも、チョウに先導されるように、虹色の花が覆う道を進んでいった。