Synchronicity-07 無自覚な狂信者の存在
少女の家から、発狂した男の大声が響き渡る。近所の人たちが心配して出て来ようとするけど、今から対峙するのはアンデッド。
状態にもよるけど人を認識したら食おうとするはず。バスター以外が近くにいるのは危なすぎる。
「みなさん、危ないので家の中に入っていて下さい!」
「レイラさん、俺はあの男黙らせてきます。警察には」
「電話してもらってる、もうすぐ着くはずだから、そっちは任せましょ」
どんよりと暗い1軒屋の軒先には、雪に埋もれて枯れた花壇。きっと、男の奥さんは生前に手入れし大切に育てていたんだろう。
1カ月どころか、あの管理所のマスターがアンデッド化した後、裁判が行われてすぐの頃からもうこうだったのかもしれない。
「開けます」
「うん、だ、大丈夫」
「開けてすぐいる事はない、大丈夫です。あの男だって自分が襲われないよう対策しているでしょう。玄関開けてガブッじゃさすがにな」
「そっか、分かった」
警察も来て、侵入の許可はもらった。玄関を破ろうと考えていたけど、リビングの窓が1つ開いていた。雪が積まれた場所を足場に、まずオレが中に入る。
「くさっ……間違いない、アンデッドだ」
「おぉう」
グレイプニールが臭いを嗅げるのかは分からないけれど、異変には気付いたようだ。内側から玄関のカギを開けた瞬間、その臭気が一気に放出されて全員が鼻をつまんだ。
この中で生活するなんて、まともな状態ならきっと無理だ。男は奥さんと一緒にいたいという気持ちで狂ってしまい、臭いなど分からないんだろう。
明かりのない室内に、扉を引っ掻く音だけ。かつて男の妻だったものは、リビングのすぐ右の部屋にいる。
「……治癒術を掛けるから、下がってて。警察官さん、耳を塞いで下さい」
レイラさんがそう言ってオレを扉の前に立たせ、対象者の一定の範囲を巻き込んで回復するヒール・オールを発動させる。
扉の前に生きた餌があると分かったアンデッドは、オレを襲おうと扉を引っ掻いたり体当たりしていたから、ヒールの範囲に巻き込むのは簡単だった。
淡い光が天井付近から降り注ぐ。それと同時に人のものとは思えない叫び声が耳をつんざき、俺は耳を覆った。
「ぷぇっ、うるさいます」
「びっくりした……アンデッドで間違いないって、事だね」
扉の鍵を開け、オルターが警官を安全な場所まで下がらせる。オレはグレイプニールを構え、そっと扉を押した。
ギイイと不快な軋みを響かせながら、扉は更に暗い室内を露わにする。
そこには這いつくばりこちらへ来ようとするアンデッドがいた。
「警察官さん、写真!」
「は、はいっ!」
「ヒール!」
「俺、銃は持ってきてないです!」
「何かあればオレが止める!」
緊迫した状況。アンデッドは動きが鈍ったものの、一番近くにいるオレへと這い出てくる。
その時、背後で男のやめろという声がした。
「やめてくれ、お願いだ、妻は治るんだ!」
どうやら、隣の人と別の警察官が男を連れてきたらしい。両手を縛られ肩をがっちり掴まれているせいで動けないが、それでも暴れて拘束を解こうとする。
「イース、あんたとグレイプニールに人殺しはさせたくない。あの男にとって、まだこのアンデッドは生きた妻だから」
「でも」
「あと数回唱えたら終わる、うまく逃げ回るから黙らせて!」
「わ、わたしが援護します!」
警察官がレイラさんを護り、オルターがアンデッドを惹きつける。
確かに、アンデッドはモンスターの扱いだけど、目の前にいるのは元は人だった何かだ。グレイプニールが人を斬るのはオレも避けたい。
オレは振り返り、男へとオレの思いを訴えることにした。
テレストで泣きながら後悔を述べていたお婆さん、管理所の元所長さん、ご遺族、色々な人がこの死霊術で悲しむ事になった。
もう、死霊術を死者を蘇らせる事の出来る魔法のように扱って欲しくない。こんな悲しみの連鎖は止めないといけないんだ。
「しっかり見ろ。あんたの奥さんは、どんな人だった。綺麗で笑顔が似合う幸せな人だったんじゃないか」
死んでこんな姿をさらすなんて、きっと奥さんは望んでいない。
「肉が腐り、頭皮が剥がれ、衣服は汚れている。こんな姿を奥さんが見せたかったと思うか」
「それも病気が治れば解決なんだ!」
「分かってるんだろ? 本当は治らない事を。死霊術は対象者を死者に変えたり、死んだ者を操るためのものだって」
奥さんの事を愛していたのは分かる。受け入れられないという気持ちを叱るつもりもない。だけど、何をしてもいいって訳ではない。
「あんたの未練が、奥さんをモンスターにしてしまった。人として安らかに眠る事を許されなかったんだ」
「お前に何が分かる! 俺はどんな手を使ってでも妻を……」
「死んだんだよ。どうあがいても死者は生者にはならない。お前は満足でも、奥さんの気持ちは考えたのか」
「妻だって、生き返って俺を暮らしたいんだ!」
「肉が腐り、あんたの事だって認識できない。分かるのは目の前にあるのが餌かどうかだけ。生きた猫にかぶりつき、爪が剥がれる程扉を引っ掻いて……」
男の自己満足のために、奥さんはこんな姿になってしまったんだ。
「綺麗な姿で、写真や思い出の中で生き続けて貰ったら良かったんだ。綺麗で優しかった奥さんのまま。こんな……こんな、アンデッドに、誰がなりたいと思う」
「あんた、もう奥さんを解放してやれよ。突然倒れて悲しいのは分かるが、愛する者の死は誰もが避けては通れないんだ」
「自分が突然死んでしまったら、奥さんはどうなる。モンスターとして処理されるのを不憫と思わないのか」
「綺麗な姿で死に化粧で着飾って、綺麗な顔してるねって送り出してあげられたのに。内臓を引きずり出して食べる姿なんて、見せたくなかったはずだわ」
いつの間にか近所の人たちが玄関に集まっていた。
アンデッドがいる場にこんな人だかり、本当なら望ましくないんだけど。それでも、オレ達はやっぱり男に納得して、受け入れてから「アンデッド討伐」をしたかった。
「……あああ……っ!」
男が泣き崩れ、レイラさんが目を逸らさずに見ろときつく言いつける。オルターを襲おうと這い回るアンデッドを、男の目が追っている。
「ヒール!」
「キァァァァァーッ」
ボロボロになったアンデッドの断末魔。その間にも、オルターを喰らおうと口をパクパクさせ手を伸ばしていた。
何の感情もない、かつての旦那へ視線を向けるでもない。ただ、飢餓感から肉を求めるだけ。
そんな姿を晒しながら朽ち果てた残骸を見て、男は静かに涙を流していた。
「……間違ったことをしていたと気付いたよね。最後の最後まであなたを見ることもなく、目の前の新鮮な肉に手を伸ばそうとしていたよね」
「あなたが好きだった奥さんは、もうとっくに亡くなっていたんですよ。体だけ維持したって、中にはもう奥さんはいなかったんです」
男はうなだれたまま。アンデッドを監禁していた部屋には、動物の死骸が転がっている。それを貪り食う様子を、男はどんな気持ちで見つめていたんだろう。
「あなたは泣いている暇なんてない。この事はしっかり取り調べが行われる。グレイプニール、この人と魔王教徒に繋がりは」
「ないます。なおうきょうと、どこいる、分かるしまい」
「魔王教徒の意図しない所で魔王教の効果が出始めている……これは、まずい」
「一般人に死霊術を公開さえしてしまえば、勝手に人々が魔王教徒の役割を担ってくれる……」
魔王教徒を全員捕まえたって、魔王教徒じゃないけど死霊術を使える奴までは分からない。これは、いよいよ深刻になって来た。
「後は警察と役所と管理所に任せましょう。明日の朝8時に事務所に集まって」
「分かりました」
少女が猫を助けてくれと言った事で判明した今回の事件。その元凶の男は警官に連れて行かれ、人々の心に靄を残したまま幕引きとなった。