cruise ship-06 救出作戦! グレイプニール、初めての〇〇
皆は俺にとっての雑音しか聞き取れていなかった。人族の耳では全てが混ざり合い、会話を拾う事はおろか会話がある事すら分からなかったらしい。
「どこの部屋だ? 他に何かないか」
「手あたり次第入ればいいじゃないか、すぐ見つかるさ」
「親子で泊まっている部屋って、どこですか」
船員に確認すると、該当する部屋が周囲に4部屋あった。母親と子供の組み合わせは3部屋だ。
4人家族で2部屋に分かれているところを除けば、絞られたのは1部屋。2等2024号室だ。
「会話の内容は確かなの?」
「はい。それに、4人で過ごせるほど広くはないのに、わざわざ他人と1か所に集まる必要はないです」
「赤の他人が乗り込んできた、と見るのが当然よね。ああ、大丈夫! ちゃんと君を信じるから」
「その一言が余計だって。ったく……」
「もう、あんた達兄妹喧嘩止めてくれる? えっと、後はどう入るかよね。銃を持っているなら刺激できない」
部屋は突き止める事ができた。ただ、人質状態の乗客がいる事は予想外だ。オレ達はいったん全員で階段まで戻り、そこで話し合うことにした。
「このまま気付かないフリをして、出てくるのを待つしかない」
「下船する時も、親子を盾にして要求を突きつける可能性があるわ」
「突入するよりはリスクがないのでは?」
「下船の際は奴らも万全を期す。今は咄嗟に立てこもっただけだ」
モンスター相手ならこんなに悩まないんだけどなあ。皆腕っぷしは強いけど、こうした状況は経験がないらしい。
悩んでいる間、数人がトイレへと向かった。船員は再び放送を流し、警戒解除と明日は入港する事を告げている。
それを聞き、幾つかの部屋から人が出てきて、慌ててトイレに駆け込んでいく。
「奴らも放送を聞いているはずだ。危機が去ったと思って油断してくれないものかな」
「部屋から出てくれば何とかなるんだけど」
「あっ」
そうだ。部屋を出るタイミングは必ず来るじゃないか、絶対に!
「犯人、さすがに部屋でお漏らしとか、しないですよね」
「……トイレに出て来た隙を狙うって事か? でも人質と一緒に来るかも」
「用を足している時は無防備ですよね。相手が1人なら万々歳、見張りが1人ついていても、救出の確率は上がります」
「まあ、1人で2人を拘束しつつ、人質もしくはこちらに危害を加えるのは簡単じゃない」
加えて、見張りを付けるなら必ず2人を連れて出る。1人なら1人を連れて出るか、もしくは犯人だけか。
人質がトイレに行きたいと言っても「そこで漏らせ」と言う可能性があるけど、犯人がその場で漏らすとは思えない。
「……イース? 階段で集まって何してんの?」
「あ、レイラさん」
「あなたがレイラ・ユノー!?」
「えっ、あ、はい。そうですけど……」
ある程度話がまとまった時、突然レイラさんが現れた。顔色を見る限りでは、魔力がまだ残っているんだと思う。
自分にケアを唱えながら船酔いをやり過ごす治癒術士なんて、聞いた事がない。
バスター達は、レイラさんとの思いがけない遭遇に大はしゃぎだ。
「一度会ってみたかったの! お父さんに似てパッチリしてるのにキリっとした目が素敵ね。噂には聞いていたけど、本当に美人だわ」
「あ、有難うございます、でも美人だなんて、そんな。仲間にも言って貰ったことないです……イース、今の聞いた? あたし美人だって」
「美人じゃないとも言ってないですよ、綺麗な女性だなとは思ってます」
「思うだけじゃダメ、ちゃんと言って。それで、イースは何してんの?」
事情を話すと、レイラさんは成る程と言って小さくケアを唱えた。やっぱり気分悪いのか。
「あたしが部屋を訪ねて来てあげよっか? 小さなお子様がいるお部屋を回ってますーって」
「いや、それよりトイレに出てくる所を狙おうかと」
「そうね、大人はともかく子供は一晩中我慢するなんて出来ないだろうし」
「ところで、レイラさんはどうしてここに?」
「オルターが心配だから下りてきたの」
レイラさんにこちらは任せてくれと伝え、オルターの看病に行ってもらった。モンスター相手ならともかく、レイラさんまで目を付けられて危険な目に遭って欲しくないんだ。
というか、こんな事態になってなかったら、オレだってオルターの看病に行きたい。船酔いで死ぬことはないと思うけど、まさか……と頭をよぎるくらい苦しんでるからね。
今は待つ事しか出来ないし、オルターを助けて欲しい。
「じゃあ俺達で見張ろう。ただ、他の乗客が不安になるから、見張るのは2人だ」
「私達の姿が見えるとまずいよね。どうやって見張る? 男子トイレとかさすがに入れないんだけど」
「うーん、個室で待つか……」
数人は犯人の部屋で待機。数人は階段で待機。加えてトイレの個室に2人が向かうことになった。
「オレ、トイレの個室に入ります。個室は3つあるし、上の階にもあるからそこまで迷惑は掛けないと思います」
「問題は、犯人達が声を出さないと、誰が入ってきたか分からないってところか」
「あ、いや、それは大丈夫です。歩調とか靴の音とか、覚えてます」
皆がそうだったと頷き合い、俺と剣盾士のバスターがトイレの個室に向かうことになった。犯人が来たらオレが簡易水栓のレバーを下げ、水を流す。それが合図だ。
「ぬし、ぬし!」
作戦が決まった時、グレイプニールがやけに興奮して声を発した。みんな、まさか犯人達が部屋から出てきたのかと廊下に視線を移す。
「どうした、何か見えたか」
「ぬし、トイレ、行きますか!?」
「え? ああ、うん。行くけど」
「ぴゃーっ!」
何故かは分からないけど、グレイプニールが嬉しさのあまり「ぴゃーっ」を発した。何で? 何でトイレに行くと聞いて嬉しがるんだ?
「ボク、持て行くますか!」
「え、ああ、持って行くけど。犯人の身柄を確保したら、すぐに心を読んでくれ」
「ふひひ! 任ててくまさい! ボク、しまわせ」
「え? 何で?」
「ボク、トイレ行く、するまいなす! あちめて! ぬし、ボク置いて行く、あびちぃ」
……。トイレという場所に入るのが初めてだから、楽しみだって事か?
グレイプニールはトイレを何だと思ってるんだ?
* * * * * * * * *
「おぉう、トイレ、出ますか?」
「まだ」
「おぉう……ボク、おるちゅまんしたいます」
「おう。もうトイレに持って行けって言うなよ」
トイレの個室に剣盾士とグレイプニールと一緒に潜んでから、いったいどれくらい時間が経過しただろう。グレイプニールはトイレの臭いと経年の汚れが嫌いらしく、もう二度と来ないと愚痴をこぼす。
うん、活動中の野外は仕方ないとして、オレも自分が用を足すところは見られたくないし、ちょうどいい。
「……グレイプニール、お喋りは終わり、静かに」
船体が軋む音に、扉の開く音が混ざり込んだ。複数人の足音が近づいて来る。
「……来ました」
「本当に分かるのか」
「4人……1人は踵が重い靴、つま先を擦る音、特徴が一致します。鍵の鎖が鳴る金属音もそうですね。同じ摺り足でも軽い方は子供です」
「……全く聞こえんし、聞き分ける自信もない。まるで探偵だな」
間違いない。いや、間違えるはずがない。確実にこのトイレに近づいている。子供は歩幅にバラツキがあるけど、これは揺れのせいじゃない。恐怖で動きがぎこちないんだと思う。
もう間もなくやってくる。と、そこで足音の数が減った。
隣の女子トイレの扉が軋んだ後、大人と子供の足音が男子トイレに響いた。
「ほら、さっさとしろ」
「ふっ……ふえぇ……」
「泣くな、ぶたれたいか。あーオレもついでに……」
おそらく、1人が母親を見張って廊下に立ち、もう1人が男の子をトイレに連れて来た。しかも男は尿意を催して無防備。
剣盾士に目配せで合図をすると、剣盾士がまず水瓶から水を流し、個室から出た。誰もいないと思っていたのか、犯人が短く「えっ」と声を漏らす。
「大きな声を出すな、どうなるか分かってるよな。そっちの坊やはお前の子供じゃないだろ。坊や、どうだ」
「あっ……う、お」
「な、なんだ、なんだいきなり!」
「外に仲間がいるな? 首を縦に振るか、横に振るかで答えろ。返答の方法次第で貴様のズボンが小便臭くなる」