第9話:牙をもって闘う者達
辿り着いた先で、雷志ははじめて目にする存在に期待に満ちた目をする幼子のように、その視線を忙しなく動かす。
興味、そして困惑。学校という場所において、雷志の価値観に当てはめればこの施設はあまりにも不相応極まりない。
果たして日本のどこに、円形闘技場を設けた学校が存在するだろう。
世界中のどこを探したって、そんな学校は存在しない。
だがありありと見せつけられている現状では、全生徒を収容しても尚も余裕のある円形闘技場をなきものとして扱えない。
(どうしてこんなものが……この場所はなんなんだ!?)
根本的に解決せねばならない問題を前に、一先ず雷志も空いている席にどかっと腰を下ろした。
円形闘技場なのだから、用途が全然わからないわけではない。
闘技場……呼んで字の如く、戦士が戦う場所だ。
その戦士とはこの【聖ペルブランティノス学園】に通う生徒達と行き当たるのは、そう難しい話ではない。
雷志が抱くべき最大の疑問は、どうして【聖ペルブランティノス学園】の生徒がわざわざこんな大それた場所で戦うのか。
何かしらの催しにしても、ここまで大規模な施設はいらないはず。
疑問の渦から脱却できない雷志を他所に、観客席から歓声がわっと上がった。
リングの中央に、女子生徒が一人出てきた。
《え~、皆様大変長らくお待たせしました! ただいまより貴津祢可梨菜選手と、竜崎恋選手による試合を執り行いたいと思います!》
「試合……それも、あの二人が?」
《実況は毎度お馴染み、桜田実子がお送りします! 皆さま二人を盛大な拍手で迎えてください! それでは選手入場!》
その言葉と共に、万来の喝采が円形闘技場を包み込まれて、全身に浴びる二人の戦士がリングにその姿を見せた。
貴津祢可梨菜と竜崎恋だ。
以前と違うのは、彼女らは学生服を着用していない。
巫女服と忍び装束を兼ね備えた、機動性に重きを置いているであろう装いに対し、恋はチャイナドレスをモチーフとした拳法着で身を着飾っている。
どちらにも共通して言えるのは露出とが高い。ちょっとなどと生易しい物ではなく、肌の面積に大して比例していない。
機動性を重視したがためのあのデザインなのだろう、そうと思わなければ雷志は直視することすらも躊躇った。
(なんだよあの衣装……少し動いたらパンツが見えそう――)
雷志の心配は、準備体操によって現実と化してしまった。
白と桃色、両者とも個性的な色とデザインのパンツが露わとなる。
もちろん二人は気にしている様子は皆無で、同じく観客も早く始めろの一点張りで大した反応を示さない。
雷志だけが、ただ赤面して目をそっと伏せていた。
(頼むからもう少し羞恥心ってものを持ってくれ……)
いくら彼が望もうとも、気が遠くなるほど昔から根付いてきた意識を改革させるだけの影響力を持てるはずもないので、やはり自分が一刻でも早く馴染んでいくしか他にあるまいと結論付けた雷志は、ゆっくりと目線を上げる。
顔はまだ赤いままで、ほんのりと熱も帯びていた。
「あ、あの少しいいか? これからその、何が始まろうとしてるんだ?」
下心を抱いたままでは、彼女らを邪な目で見てしまうと危惧した雷志は隣にいた女子生徒に声を掛ける。
気を紛らわすためのもので誰でもよかったのだが、声を掛けられた当の本人はそうでもないらしい。
一瞬目を丸くした後、胸を張って気取った態度を装う。
これがかっこいい、そう本気で思っているのなら失笑ものだが、羞恥心が冷めたので雷志は逆に感謝した。
「どうしたの? この私に聞きたいことがあるならなんでも聞いてちょうだい。あぁ、心配しないで。恋人とかはまだいないし、それに私は大切な宝は誰にも渡したくない主義なの。せっかくの男を誰かと共有するなんて……そんなバカげたことあなただっていやでしょう?」
「ちょっと何言ってるかわからないんだが……――とりあえず、どうしてあの二人は戦おうとしてるんだ? それにこの闘技場はいったいなんなんだ?」
「あぁ、あなたって今日ここに来たばかりなんだっけ。それに目覚めたばかりだから、知らないことも多くて当然か――いいわ、この私が教えてあげる。その代わりっちゃなんだけど、あなたの童貞くれないかしら? なんなら所有権も――」
「他の人に尋ねるとする邪魔して悪かったな」
「もう、冗談だってば冗談」
「どこが……」
股間に躊躇なく手を伸ばしただけに留まらず、熱の籠った視線と艶めかしく吐息をもらしていては、彼女の台詞もまったく説得力がない。
舌打ちまでご丁寧に残されては余計に拍車をかけるが、何事もなかった体で女子生徒が喋り出す。
いやいや無理があるぞ、とそうぶり返して事態がややこしくなるのは彼としても避けたい展開なので、雷志は無視をして彼女の言葉を傾聴する姿勢を整える。
「まず、基本的な知識なんだけど――」
曰く、ケモノビトは古来より本能がままに動く傾向が強いのだとこの少女は言った。
雷志もこの程度の情報であれば事前に習得している、が然程自分の人生史において必要性はないものとしてそれ以上の追及を彼は止めてしまっている。
本能のままに動く……、男を強く欲し、性欲を満たすことを意味しているものばかりと思っていた雷志だったが、彼女の口ぶりから察するにまだ奥があると考察する。
「特に自分が大切にしているものを取り合いになった時とか、好きな男におか……じゃなくて、レイ……でもなくて、とにかく楽しいことをする順番でもめた時とか」
「まったく隠せてないんだが……」
さりげなく尻を撫でまわそうとしてきたので、雷志はその手を払いのける。
油断も隙もあったものではない、こんな時でさえも自信の貞操や尊厳を守るために注意を払わなくてはいけないのかと思うと、無性に悲しくなってきた。
尚も諦めようとしない女子生徒に、いよいよ肉体言語をもって応じなければならぬと、雷志が握り拳を作った――その時。
《あーっと! 可梨菜選手、鋭い右ストレートを恋選手に叩き込んだぁ!》
熱の籠った実況と、それを上回る観客の盛り上がりに雷志の思考は強制的に中断させられてしまう。
「……嘘だろ」
どうやら自分は、ケモノビトについてまだ何も理解できていなかった。
その事実を突きつけられるかのような展開を前に、雷志は唖然とした面持ちでリングを食い入るように見やる。
可梨菜と恋……どちらとも凄まじい戦いを繰り広げている。
言葉にして形容しようとすること自体が愚かしくなるぐらい、二人は目まぐるしい速度と、リングに敷き詰められた石板をも砕く破壊力を難なく見せつける。
人間ならば同等の領域に到達するのも不可能なのは言うまでもない――何故なら、人間になんとか波的な、いわゆる超必殺技は出せないのだから。
《可梨菜選手と恋選手、どちらとも譲らない譲らない! 激しいパンチとキックの応酬が続くかと思いきや、ここで可梨菜選手十八番の、狐火碌玖が炸裂するゥ~!》
「その程度ですか可梨菜さん。以前より技のキレがないように見えますよ?」
「そう思うのなら、眼下にいくことをオススメしておきますよ先輩――ボクの技はいつだって絶好調なんだから!」
《可梨菜選手止まらない! しかし同じく恋選手、可梨菜選手のパンチの嵐を見事に捌き切っているぅぅぅぅぅっ!!》
海のような青い……ゆらゆらと燃える炎は、彼女が狐であることから考察するに狐火と呼ばれる類だろう。
青い炎を纏わせた状態で打ち出される拳は、空気を鋭く切り裂いて恋へと襲い掛かる。
直撃はもちろん大ダメージなのは火を見るよりも明らかで、拳が当たらずとも炎による間接的なダメージをも与える彼女の攻撃への対処は、回避するしかない――あくまで、自分であったなら、という場合。
古代人などと周囲は雷志を謳うが、彼はケモノビトと比較すれば実に脆弱な生き物でしかない。
だから、恋のように真正面から拳を打ち合うといった人間離れした荒業を模倣することはできない。
炎の対極は水……龍としての要素が含まれている竜崎恋だからこそ可能な戦法である。
一点の穢れもない、清らかにして拳をすっぽりと包み込めるだけの大きな雫が、彼女の攻撃に水の性質を与えるだけでなくプロテクターとしての役割も担っていた。
だからこそ可梨菜と真正面から恋は打ち合えている。
「やっぱあの二人の戦いっぷりはすごいよねぇ」
(……確かに、そのとおりだ)
隣にいる女子生徒は、別に自分に話し掛けたわけでなない。
独り言……胸の内に湧いた感情を言葉に変換して吐露しただけ。それでも雷志は同感だ、そう答えずにはいられなかった。
雷志は、いつしか真剣に見入っている自分がいることに気付いた。
最初こそロクでもなくて、男に対して平気でセクハラをかますわ、羞恥心が欠片もないわで、散々な気分だった。
現在は、違う。
他の生徒達と同じように、雷志は二人の戦いに魅入っていた。
魔法、異能、超能力……派手な演出と攻撃力はどれもこれも、アニメなどの創作の世界でしか体験できない。
(……この世界なら、やっていけるかもしれない)
非現実的事象を目の当たりにして、雷志は一人拳を強く握りしめる。
二年の月日を経て覚醒してからの彼は、その身に重く伸し掛かる不安といつも向き合うことを余儀なくされていた。
ケモノビトではない、古代人であること。
異なる世界の人間であること。
そして、これまでに築き上げてきた常識が通じないこと……。
これさえも超える不安が、可梨菜と恋の試合を見たことで心なしか解消された。そんな気持ちが胸中で膨らんでいくのを、雷志は感じていた。
「本当にそうよねぇ。あの二人に挑もうとする生徒ってここじゃいないし」
「あ、この間他校の生徒と可梨菜が喧嘩したっていう話も聞いたわよ」
「それマジ? どんだけ飢えてんのよ可梨菜ってば……」
二人の何気ない会話も、この後の大歓声によって強制的に中断された。ほんのわずかな時間だけ雷志が目を逸らしている間に、リングでは大きな進展が起きていた。
「はぁ……はぁ……あ、相変わらず諦めが悪いようですね、竜崎先輩」
「ふぅ……それは、くっ……こちらの台詞ですよ、可梨菜さん」
息も絶え絶えに、構えることも億劫なのだろう拳をだらりと下げているのに、闘気だけは衰えず。
異なる色の瞳をぎらぎらとさせながら見据え合う二人に、観客席から絶え間ない歓声が届けられる。
戦いが、終わろうとしている。雷志はそう直感した。
それはさておき。
(いくら男女の価値観とかが逆転してるからって、せめて羞恥心ぐらいは持っておいてくれ……!)
戦いは激しいの一言に尽きよう。
リングに敷き詰められた石板はほぼ全部に亀裂が走っていて、四方に質素ながらも設けられていた装飾は皆見るも無残に壊されている。
周囲に被害を出すぐらい、彼女らは闘りあったのだ。とくれば彼女ら自身……特に衣服も無事で済んでいるはずもなし。
個性的な衣装も、損傷すればぼろ布へと早変わりする。
要するに可梨菜も恋も、大事な部分こそ辛うじて隠れてはいるが、ほぼ裸に近い状態にあった。
そして、ついに――
《おーっと! ここでついに両者同時に膝を着いたぁぁぁぁぁっ!》
可梨菜も恋も、片膝を地に着けたままでそこから立ち上がろうとする気配がない。
これ以上、戦いが続けられることがない。雷志の予想していたとおり、コングが小気味よく打ち鳴らされた。
試合は終わった。引き分けという結果に観客は満足だと大いに盛り上がる一方で、当事者らの顔は真逆に不満の感情が滲み出ている。
まだ続けられるのに勝手に止めるな……、あの二人だったならそう言ったとしても違和感はない。
渋々と、しかし最後の余力を振り絞って固すぎる握手を交えた二人に、雷志は苦笑いをもって拍手を送った。
(本当に、この世界は俺が想像していたよりもずっとぶっ飛んでるな)
いよいよライトノベルらしい展開が自身にも降りかかってきたと認識したところで、雷志は徐々に落ち着きを取り戻しつつある観客席を後にする。
何事もイベントが終わってからの人混みはなかなか耐え難い。
何百という生徒達の濁流に一度飲み込まれれば自由になるまでに時間を費やしてしまう。
あの運転手は律義にも祓御雷志が戻ってくるのを待ってくれている。
これ以上の遅れはさすがに気が引ける。雷志は本格的に混雑するのを避けるべく、円形闘技場を後にした。




