第10話:真相
外に出ると、心地良い微風が頬を優しく撫で上げていく。
観客らの熱気に当てられた肉体は、自身が戦っていたわけでもないのに熱く滾っていた。
それほど可梨菜と恋の戦いに魅入っていた自分に、雷志は自嘲気味に小さく笑う。
「……ったく、年甲斐もなく何を興奮してるんだか俺は」
そっと視線を落とせば、固く握りしめていた拳は小刻みに打ち震えていた。
魂が高揚している、これはその証のようなもので、これ以上高ぶらせていると年甲斐もなくあの場に飛び込みかねない自分がいる。
そうならないために雷志は静かに拳を解いた。こうするだけで、心は自然と静けさを取り戻してくれる。
正門でずっと待機している送迎者に軽く謝罪して、雷志は車に乗り込む。
「すいません、お待たせしちゃって」
「いえ、大丈夫ですよ。それではご自宅まで責任をもって送迎させていただきますので、シートベルトの着用をお忘れないよう」
「えぇ、よろしくお願いします」
ゆっくりと車が走り出す――サイドミラーをふと見やれば、先程まで死闘を繰り広げていた二人がいたような気がしたが、正にそのとおりだろう。
自分の見間違えだ……、自らに言い聞かせて雷志はサイドミラーから視線を外した。
時刻は午後五時を少しすぎたところ。
時間帯的に込み合うはずだが、運よく渋滞に巻き込まれることもなく、茜色に照らされた景色は滞ることなく気持ちよくどんどん流れていく。
(今は新鮮でも、いつかは退屈って感じるんだろうな……)
そんなことを、ふと思い――
「……しまった」
どうしてこのタイミングなのか、脳裏にふっと蘇る記憶に雷志は顔を手で覆った。
試合の盛り上がりに飲まれて、すっかり失念していた自分を恥じねばならない。
何故あの円形闘技場が学園という場所に設立されたのか、そして生徒がどうして戦わねばいけないのか。
今すぐに知るべき情報なのか……、こう問われてしまったら重要度はそれほど高くはない、中の下ぐらい。
学生という身分である雷志は、嫌でも明日になれば【聖ペルブランティノス学園】に登校する義務が発生する。
登校すれば学友はもちろん、当事者である可梨菜とも出会うのだからその時にでも尋ねればよい。
そうとわかってはいるものの、一度持った疑問を持ち越すのももどかしくなる。
「……運転手さん、一つお聞きしたいことがあるんですけどよろしいですか?」
「はい。どうかされましたか?」
「あの学園では生徒達が試合をしていました。どうしてあの学園には闘技場なんてものがあるんですか?」
現状、内なる疑問を投げかけられる相手は運転手しかいない。学園とは関係のない彼が、納得する回答をしてくれるとはあまり期待していなかったが――
「あぁ、アキラ様はご存じなかったのですね」
その口ぶりから察するに、運転手はこちらが求めている答えを持っている。思わぬ収穫に雷志は運転手の言葉に耳を傾けた。
「我々ケモノビトはかつて共存していたとされるニンゲンとほとんど似た容姿をしていながら、異なる部分がございます」
「それは、まぁ……」
「ふふっ、私の言う異なる部分とは容姿のことではございません」
ただし間違ってもいませんが、と補足する運転手。
「我々ケモノビトとニンゲンとの最大の違い……それは、どの種族よりも独占欲と闘争心が強いということ」
「独占欲……?」
「――、ケモノビト……特に女性の独占欲の強さはニンゲンはおろか、男性のケモノビトをも凌駕する。欲しいものにとことん貪欲で、誰かに譲渡するのはもちろんのことどこかで行くことさえも許さないほど独占的で――故に争いが絶えなかった、ずっと昔は死人が当たり前のように出るほどだったそうですよ」
「そ、そんなにですか……?」
「えぇ。自分の物が誰かに奪われるのを極端に嫌う傾向にある……それが限界に達したケモノビトは凄まじい攻撃性と凶暴性を露わにします。私も一度、目にしたことがありますが同じ種族であるはずなのに、どこか違う存在のように見えて仕方ありませんよ……」
雷志は、バックミラー越しに運転手の肩が小刻みに打ち震えているのを見逃さなかった。
彼の言っていることは、恐らく嘘ではない。不幸にも目撃者になってしまった過去がなければ、恐怖を感じるわけがない。
それほどまでに恐ろしい存在が跋扈する異世界に、たった一人のニンゲンが巻き込まれている……、改めて客観的に見やれば危ない橋を渡っていることを雷志は認識した。
記念すべき初登校日で、かなりの女子生徒に目を付けられてしまった。
そこにはあの可梨菜と恋も、後はセクハラを息をするように仕掛けてきたエルトルージェも含まれている。
(本当に厄介だな……)
男子生徒を除けば、彼ともっとも近しい距離にいるのが彼女達であり、即ちいつ爆発してもおかしくない大量のニトログリセリンに周囲を固められているのも同じ現状に、雷志は項垂れた。
「……とりあえず、ケモノビトについてはなんとなくですがわかりました。じゃあ、闘技場で戦う理由は?」
そう、まだ肝心な疑問が残されている。
雷志がそう尋ねると、車が止まった。赤信号に捕まったらしく、その間窓からは痛いほど視線が雷志に集められる。
何故この車に乗っていることを知っているのか――窓を方ばかりに顔を向けていれば、自分からここにいると告げているも同じだと自身をこれまでを振り返り、それもそうか……、雷志は納得した。
(そんなに珍しいもんかね、人間っていうのは)
それはさておき。
赤から青へ。停車していた各車は一斉にアクセルを吹かす。
再びアスファルトの上を走る中、運転手が閉じていた口をそっと開いた。
「アキラ様、極度の我慢は身体の毒……と、言いますでしょう? それと同じなのですよ」
「と、言いますと?」
「我々ケモノビトが先程独占欲や闘争心が強い、と仰いましたよね? 湯銭のように湧き上がるこの感情を抑え込むことは簡単です、が長続きしない。欲望という水は小さな容器をあっという間に満たし、やがて外へと溢れだしてしまう……」
運転手の言葉は意味深で、だからこそ真意が雷志はまるでわからない。
余計な遠回しは必要ない、彼が求めているのはあくまで真実のみで、若干のもどかしさを隠しつつ雷志は本題へ入るよう運転手に先を促した。
「えっと、つまりどういうことですか?」
「ケモノビトはですね、欲求を抑え込み続けると魔獣になってしまうのですよ」
「ま、魔獣ですか?」
「えぇ、比喩表現や誇張ではなくその言葉どおり。抑え込んでいた欲が溢れ出したケモノビトは、理性を失い凶暴性を増してしまう……そうなったが最後、その者に残されているのは高い殺戮、破壊衝動のみなのです」
「あ、頭がなんだか混乱してきた……。ち、因みになんですが、もしもその魔獣とやらに堕ちてしまった場合はどうなるんですか?」
「――、魔獣と堕ちてしまった者は、もう元には戻せない。そうなれば……非情ではありますが処理するしか道は残されていないのですよ」
「…………」
今日だけで、どれだけの情報が出ただろう。
困惑する思考で整理してみた雷志だったが、状態が不調であることも相まって、整理しようとすればするほど情報はまとまるどころかばらけてしまう。
「つまり、こういうことですか? ケモノビトは疑似的に戦うことで欲求不満なのを解消している……と?」
一先ず、自分なりにまとめた仮説を運転手にぶつけてみた――結論などと格好つけてみたものの、内容の浅さと薄さにはほとほと呆れるが。
雷志の出した仮説は――
「えぇ、そう捉えてもらって問題ありません」
「あ、マジですか……」
良い意味でも、悪い意味でも的中していた。
「ケモノビトが一番魔獣に陥りやすい時期は思春期から十八歳するまでの間。あの子達があぁやって戦うのはいわば義務のようなものなんです」
「な、なるほど……」
「最近では不純異性交遊の取り締まりも厳しくなりましたからね。下手をすると政府が決定した時まで結婚はおろか、性行為もできなくなるなんて可能性も十分にあり得ますから……」
「そ、そこまで厳しいんですね……」
男性との出会いに飢えている女性にとって、その希望であり楽しみを取り上げられればそれこそ一瞬にして魔獣へと堕ちかねない。
「……本当に色々とぶっ飛んでるな、この世界は」
もそりと口にして、雷志は再び窓に視線をやった。
遠くに見知った建物が見えてくる。高さ五十階のタワーマンション、その最上階に祓御雷志の居が置かれている。
ほぼ新築に等しいだけに家賃も馬鹿にならない、収入源もない未成年者が月に数十万の家賃を支払えるわけがないのだが、彼は男にして古代人である。
家賃も学費もすべて国が負担、そして成人してからの返済もなし。
至れり尽くせりな対応は、かつて一般市民だった雷志は、未だこの現実に馴染めずにいた。




