死惨欠我
夕闇がすぐそこまで迫っている、そんな時間帯。
夏本番を目前とし、日没まで時間がかかるようになっているとはいえ、午後六時を過ぎれば視界は悪くなる。
九十九市南地区のリーダー、加賀美は時折背後を気にしながら街を駆ける。
ここは九十九市にある町の一つ、四十八願町だ。東地区の隣の南地区に属し、ここにも自他宅保護兵がいる。その一人が加賀美慧七という少女だ。
加賀美は今、草原と化したアスファルトを力強く踏み、破裂しそうな心臓の痛みを堪えてがむしゃらに走っているのだ。
「はっ……はっ……はぁ」
どれだけ息が切れていようとも、加賀美は足を止めることはなかった。すぐ背後に加賀美の命を脅かす諸悪の根源がいるからだ。
「お前さぁ、そろそろ諦めてくんね? 俺らからは逃げらんねぇよ。さっさとくたばって雑草の養分にでもなってろやカス!」
背後にいる鋭い三白眼の少年は加賀美に下品な暴言を吐く。頻繁に「ちっ」という舌打ちをしながら、必死に走る加賀美を追いかける。
「あー、めんどくさくなってきた。鬼ごっこなんて何年ぶりだよ、クソが! もういい、今すぐ殺してやるよ」
少年は目元までかかった髪をかき上げ、不敵に嗤う。
追いかける足をぴたりと止めた。ゆっくりと膝を曲げ、そして――人知を超える力で跳躍する。
遠方の彼方へと消え去った加賀美の頭上を超え、スピードを殺すことなく勢いよく着地する。ザザっと大地をこする足音とともに加賀美の眼前へと降り立った少年はにやりと口元を緩め、
「どうだぁ? 俺の力は? てめえら人間みたいな出来損ないのグズなんかとはわけが違うだろ?」
自慢げに力を見せびらかす。じわりじわりと距離を詰め、加賀美へと迫る。
「あ、あなた一体何者なのよ!?」
「馬鹿かてめえは。これから死ぬようなやつに教えるなんて無駄なことすると思うか?」
加賀美の問を一蹴し、唾を吐く。
「……ち、近寄らないで!」
背負ったアサルトライフルを構え、震えた声で威嚇する。ガタガタと手足にまで震えは伝染し、加賀美は立つことすらままならないという状態だ。今にでも泣き出してしまいそうな表情で少年に銃口を向ける。
「撃てよ? ほら? 撃ってみろって言ってんだよ!」
怒号を飛ばし加賀美を煽る。
「来ないでよ!」
そう言って震えた指先で引き金を引く。だが、放たれた銃弾は、少年の体を射抜くことはなかった。引き金が引かれた瞬間、加賀美の背後へと移動したのだ。
「はっ! 銃弾なんざ当たらねーよ馬鹿がっ!」
無人の街中で少年の声がこだまする。
「あっ……あぁ……」
その異常な移動速度を目の当たりにし、加賀美は後退りしてしまう。
――こいつは人間じゃない。人の形をしたバケモノだ。
震えは増し、手に持っていたライフルを地面に落としてしまう程だ。それでも逃げようとする意思だけは辛うじて生きていた。最後の力で後ずさるものの、すぐに足がもつれ、地べたに尻餅を付く形でぺたりと倒れ込んでしまった。
「おいおい、もう終わりかよ? まぁいいか、鬼ごっこなんて飽きたしな! さて、お前はどこを抉って欲しい? 腕か? 足か? 腹か?」
「ひっ……」
恐怖のあまり、もはや声すら出ない加賀美を尻目に、ニタニタと不快な嗤いを隠せないでいる少年はまるでおもちゃを買い与えてもらった子供のようだ。
「そうだ、お前には胸を撃ち抜こうとされたしな……。俺も同じことしてやるよ」
そう言って、落ちたライフルを拾い上げ、加賀美に銃口を向ける。そして何の迷いもなく引き金を引いた。
「ぐふっ……ごはっ……あっ……」
胸を撃ち抜かれた加賀美は即座に口から血痕を吹き出した。僅かに急所を外され、死ぬこともできず、ただただ拷問にも似た痛みが加賀美に襲いかかる。せめて気を失うことができればどれだけ楽だっただろう。
何度も咳き込み、その度に鮮血を吐き出す加賀美。口元を押さえていた自分の手は驚く程に紅に染まっていた。
「はーっはははっははっはっははははっはっ! ざまぁねぇな人間風情が!」
抱腹絶倒。目尻にうっすら涙を浮かべる程に嗤い狂っていた。
方や加賀美は恐怖で足がすくんで動けない。逃げようとしても無駄だ。確実に殺される。そんな思いが心中を支配していた。
「いいねぇ! ゾクゾクするよ、その悲痛に歪んだツラを見てると!」
苦しむ加賀美を見下ろした少年は、もう何度目になるかわからない不快な嗤いを繰り返していた。
加賀美は下半身に生暖かい温度を感じ、涎を垂らし、涙と咳が止まらない状態だ。
あまりにも無様な醜態を晒し、弄ばれた挙句殺されようとしている。
「何か遺言はあるか?」
少年は加賀美の腹部にどかっと腰を下ろし、逃げられないようにした。
「…………私の、私の妹と仲間は……見逃し――」
加賀美の言葉を最後まで聞かず、少年の手刀が加賀美の喉に突き刺さる。
「殺した! 殺してやった! 最高だ! この感触は! はーっははははっ!」
少年は血に染まった手を眺め恍惚の笑みを浮かべ、いつまでもいつまでも、どっぷりと愉悦に浸っていた。
次話は7月23日です。




