27
ジェニの部屋に来て机に突っ伏したままのレーの前に、湯気の立つお茶が置かれた。
同じ聖女の部屋だが、ここは私室としてきちんと整っていた。ベッド、壁に据えられた本棚や飾り棚、くつろげるソファに白い猫脚のテーブルと揃いの椅子。二脚のうち、一つを占領して、レーは今ジェニの入れてくれたお茶をすすっている。
洗いざらい話しつくした後だった。終わってからまた同じ煩悶にうなされるうちに、立ち上がったジェニがお茶を入れてくれた。温かくてのどに優しい。
「……これ、知ってる」
「あれ? 飲んだことあるの? 結構新しい組み合わせの茶葉なんだけど」
「たぶん……前に聖騎士セアが淹れてくれたのと同じ……」
ああああ、と項垂れる。呻き声に意味はない。強いて言うならあの絶対に入れなかったはずの高級宿の調度や、過去のもろもろを思い出しただけだ。
セアと会ったのは午前中で、気づいたら夕方だった。仕事帰りのジェニを部屋の前で待ち構えて、そのまま自室には戻っていない。
同じお茶を飲みながら、レーの前に座ったジェニは、こてんと首をかしげた。
「レーちゃんはさぁ……何を悩んでいるの? お断りの方法? それとも、自分の気持ち?」
「……わかんない」
正直、その一言に尽きる。セアの前では、結局何も言えず、混乱を察して、返答の先延ばしを申し出たセアに、ただ頷いただけだ。
「じゃあ、一個ずつ考えるしかないね」
「一個ずつ……」
「そう。まずは……仲直りできてよかった?」
ぎこちなく、レーは頷いた。結果として爆弾を抱えてしまったが最初の目的は一応果たせたと思う。
「聖騎士セアと話せてうれしい?」
「うん」
「じゃあ、もう気まずくなりたくない」
「うん」
「またリュシュに乗りたい?」
「うん」
ふーん、とジェニが納得する。聞かれるままに答えていたが、全くレーは要領を得ない。
レーちゃんはとジェニが続ける。
「聖騎士セアの事、好きだよね」
「……うん、まあ……嫌いじゃないよ。いい人だし、優しいし」
「いや、そうじゃなくて。特別でしょ、やっぱり」
「そ、れは……」
特別ではある。ジェニの言葉は外れない。けれど、ある意味当然なのだ。衝撃の出会いからして、セアを特別視しない理由がない。ただ遠くからあこがれたこともある。
だが、恋愛感情か、と考えると、途端に袋小路に突き当たる。
「私、あんなに……大変なこと考えてないよ」
「聖騎士セアは重そうだし、基準にしない方がいいよ。感情は天秤に乗らないんだから、レーちゃんがちょっとでもいいな、って思うなら、そのまま了解しちゃえば?」
「なんでそんなに軽いのジェニ」
言われたセリフはそっくり伝えてある。ほぼ半泣きだったが、ジェニは見放さずにふんふんと頷いていた。
「まあそこはほら。腹据えたんだろうし」
「なにそれ……」
「ちょっと独り言。というか、全然意識しないで行っちゃったの? 欠片も、予測もなしで」
「じゃあジェニはしてたって事?」
うん、と大きく首肯されて、レーは呆然とした。その様子に、ジェニの方が額を押さえた。
「マジですかそーですか……あんなに分かりやすかったのに、全然伝わっていなかった、と」
あーでも、とジェニは思い返す。レーは最初から、聖女として扱われているからだ、という態度を隠していなかった。だから顔をしかめたり困惑したり、逃げようとすることが多かった。セアの態度に気を取られて、レーの方の見極めを怠ったのは確かだ。
「んじゃレーちゃんは、聖騎士セアの事、信じられないの」
「……ううん」
レーは首を振った。
今日のセアは、なぜ、という疑問すら抱かせず、 どこが、とかいつから、なんて質問も浮かばないほど、ひたむきで真っ直ぐだった。
レーは時折――聖女の力なのかは分からないが――隠し事や心の迷い、はたまた言葉の裏を読み取れることがある。例えば、今目の前にいるジェニが、セアとレーの事で、何か別の事を考えながら話しているとか。
だからと言って、暴こうとか指摘しようとは思わない。大抵は無視し、何となく匂わせた時にはツッコミを入れる。はぐらかされたなら、それまで。
あの時のセアには、一分の隙間もなく、心の色は一色だった。何色、と問われると、答えるのは難しいのが、キラキラと光って綺麗だった。基調は白、虹色が垣間見える真珠に似ていた。
「心変わりを心配してる? それとも聖騎士セアがひどい目に遭うとか」
「うーん……むしろ想像できない」
「じゃあいいんじゃない? その内ほだされて好きになるかもよ。それに、振っても結局同じな気がするし」
「……」
外れそうにない、容赦ない一言に、レーはさらに気が遠くなる。ジェニの言うとおり、セアはきっと揺らがない。だから、是と否によって変わるのは、レーの心。後は、聖騎士セアの未来がほんの少し、自由になるかもしれない、という点だ。
飲むお茶が、急に苦くなった気がして、顔をしかめる。
「レーちゃん、聖騎士セアは、いい人なんでしょ」
「うん」
「こういう言い方はあれだけど、相当お買い得じゃない?」
「まあ…そう、かな」
「それでも……好きになりたくない?」
レーの体が硬くなる。瞼が半分下りた黒の目には、取り払えない影があり、はっとした、という表情が、図星だったと告げていた。
抑えようとする表情を、ジェニが覗き込む。
「もしかして……怖い?」
はっきりと問われて、レーは言葉を反芻した。ジェニが形にした感情の名前は、少し似ている。もやもやしていた心の一部が、当てはまったのは確かだ。
「怖い、と思う」
「どうして」
「……戦えなくなりそうで」
「大事な人が出来るから?」
「大切なことを忘れてしまうから」
薄い黄色の液体に、レーが映っている。ありふれた色は、いまはただ濃淡だけがお茶の鏡に映っていた。目立つ所も、自慢できることもない。メテナ語を操れるくらい、頭が良ければ、または記憶力に優れていればよかった。
レーの手のひらには、もう何も乗らないと思っている。乗せてはいけないのだ、とも。
けれど、時折、あの聖騎士は――すべて忘れさせてしまうと、確信に近い予感がある。
聖女の力をよすがに生きて来たレーを、変えてしまう。そんな気がしてならないのだ。
黙って聞いていたジェニは、レーちゃんは、のあとを、とっさに飲み込んだ。突きつけてしまうのは、確定に蝋を垂らすようで嫌だった。
幸せになりたくないんだね、なんて。そう簡単に口にしていいはずがない。例え、いまレーを突き動かしているのが、聖女になる前に突き落とされた絶望と、喪失感だとしても。
レーの一番は、魔物を倒すこと。そこに、確かに聖騎士セアは不要だ。聖女の力さえあれば、事足りる。
だが、今回――相手となるのは、人間だ。
すっと息を吸って、流れを考えてから、じゃあさ、と続けた。
「保留、でいんじゃない?」
「ジェニ……」
「でもほら、告白ってつきものよ、引き伸ばしも」
「それじゃあ……あんまりにも一方通行過ぎない?」
「そーゆー関係もあんじゃない?」
もごもごと、レーが反論を探して続けるが、まるで言葉にならない。あーとかうー、と唸るレーに、ついにジェニが噴き出した。
「ねえレーちゃん。そうやって、色々考えてる時点で、一方通行じゃないって気づこうか」
「……」
何とも言えない顔になったレーに、またおかしくなる。複雑怪奇な心に、レー自身も持て余しているのが丸わかりだ。
「物語なら、絶対このままめでたしな流れなのにね」
「物語?」
「聖女イシュリアと聖騎士ハーザ、初代国王の伝説だよ」
ふーん、と気のない返事で流されて、あれ、とジェニは違和感を覚えた。あれはもう、本当にそのままだと言えるくらい、今と似ている。どこまでも魔物を倒したい聖女と、それを支える騎士、横恋慕と政治の旗頭に担ぎたい国王。うがった見方をしなくても、騎士と聖女の魔物退治の旅路は、王国の権威闘争からの逃亡に他ならなかった。
だからこそ今は、政治と神殿がはっきりと二分されている。
「レーちゃん、もしかして、知らない?」
「えっと……なんとなく?」
「ねえ待って、なんで知らないの 勉強したよね、授業で」
「授業?」
「……」
嫌な予感がして、ジェニは必死に瞬きだけを繰り返した。意識しないと、盛大に顔をしかめそうだ。机の下でこぶしをぎゅっと握ってから、頑張って開いた後で、出来る限り普通に切り出した。
「前から不思議だったんだけど。レーちゃんって……授業出てなかったの?」
「その、授業って何? 子供のころからいるけど、全然知らないよ」
「……子供のころからいたからかな? じゃあメテナ語、どうやって勉強したの」
「え……? えっと、本渡されて、終わり。よく分かんないから、最初くらいでやめちゃったけど」
「なるほど」
なるほど、と繰り返した。危うく低く物騒な声になりそうだった。代わりに、にっこり笑って、堪える。
「じゃあ、一緒にいろいろ勉強しよ? 聖女の基礎知識」
「え? なんで」
「だってずっと聖女でいたいんでしょ。いいじゃん。大事な所だけ、かいつまんで、ね」
ええ、と言われようが、まあまあ、といなしてジェニは反論を許さなかった。勉強かあ、と項垂れるレーの前に、本棚からかつて使った「教科書」を引っ張り出す。
どん、と机に乗った分厚い書物を前にして、レーの視線がジェニと本とを見比べて、二往復した。




