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月虹  作者: 椎名みゆき
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月虹

アンドレアス視点になりますのでご注意ください。完結編とも言えるお話。

 

 私が軍人を志したのは、何も崇高な正義感や向上心に駆られたからではなかった。ただ家業の鍛冶屋は兄が継ぎ、特に商才もない自分が選択できるいくつかの可能性の中から、最も実入りの良さそうな職業を選んだだけのことだ。任務はこなすが、求められる以上のことを成す気も望外な出世を期待する気もなく、平穏な日々が過ごせればそれで良いと思っていた。


 幸いなことに自分には剣の才があったらしい。特に武功を立てた訳では無かったが、剣の腕への期待をかけるつもりもあったのだろう、最年少で分隊長を任されることになった。まだ成人して間もない若造に反発する隊員がいないでもなかったが、統率の乱れは集団の命運を分ける。そこは日々の訓練や任務の中で私の実力を認めさせるほかなかった。…あのとき最も手に負えなかったカインドが今や無二の相棒と呼ばれているのだから、人生何があるか分からないものだ。無論本人には言ってやったことなどないが。


 『茨の王』を名乗る無法者たちがこのエルケナルでも暗躍し始めたのは、ちょうどそのころだった。大陸の中心部『叡智の大地(アトラスフィア)』を挟んで対角に位置するというゲルニア帝国がその本拠と言われていたが、詳細は分からない。なにしろ『叡智の大地(アトラスフィア)』が妖魔の跋扈する樹海に囲まれている以上、最も国交の困難な相手と言わざるを得ないからだ。かの国へ入るためには、ぐるりと樹海を迂回して少なくとも大陸の半分の国を通る必要があった。もしエルケナルが大陸随一の商業国でなければ、もっと情報は限られていたに違いない。いつの世も、商人とは国境を越えてあらゆるものを流通させる存在なのだろう。


 我々の如き無骨な軍人には計りかねるが、どうやら『茨の王』はこの世界のことわりに触れる悪行を働いたらしい。我が国で『茨の王』を名乗る輩はほとんど紛い物と言ってもよい寄せ集め集団であったが、教皇国フロイツより猊下直々の達しもあって討伐隊が編成されることになった。

 その一助として我々第三分隊が派遣されたのが、かのフェロウズ家だったのである。



 たかが商家と侮るなかれ、このフェロウズ家はかつて国母を輩出し、今なお王家とは縁続きにある由緒ある名家だ。討伐隊本隊に組み込まれなかったことで、所詮は野良上がりかと私のことを嘯く向きが無かったでもないが、派遣先がフェロウズ家と分かると皆一様に口をつぐんだ。自惚れでなく、第三分隊の実力を認められた上での抜擢と言えただろう。


 そういう訳で、自分の中に僅かなりとも芽生えていた仕事に対する自尊心も十分満たされ、この先はただひたすら誠実に任務を全うしていけばよかろうとその程度に思っていたのである。



 ─────あの日、自分の“運命(アイリス)”に出会うまでは。



 思い返せば、初めて彼女を自分の腕に抱きとめた時から抗いようもなく惹かれていたのだ。アイリスは私の瞳を『星空のよう』と言ってくれたけれども、私にはよほど彼女の存在の方が尊く手に入れがたいものに見えてならなかった。


 Iris(アイリス)…それは七色に光り輝く衣を纏った虹の女神。


 虹は太陽の下でこそ美しく映えると知りながら、どうしても星空わたしの下へ留め置きたかった。だからアイリスが私を求めてくれたとき、この幸運を手放さぬためならどんなことだってしてみせようと、そう密かに決意していたのだ。



 それでも、無垢な彼女を騙すように束縛してしまうことにどこか躊躇いはあった。だからこそ二年という障害を自分に課したのだ。この二年で、必ずアイリスに見合うだけの男になってみせる。そうして、彼女には最後の猶予を与えたつもりだった。一度契りを結べば、二度と手放せないことは分かっていたからだ。…例え、『死が二人を別つとも』。


 それから二年のことは、あまりにめぐるましく過ぎたので正直なところよく覚えていない。そもそも私の出世欲の無さに歯痒さを感じていたらしい部下たちは喜んで私の暴走に付き合ってくれた。今では彼らが小隊・中隊を、私が大隊を率いるようになったのだから、我がことながら無茶をしたものだ。カインドなどは真っ先に私の不純な動機に気付いて爆笑していたが。そんなことには聡いくせに、私をからかうと走り込みが二倍になるとは学習できないのが奴らしい。


 あまりに鬼気迫る働きをするというのでいつのまにか『紅蓮の狼』などと言う二つ名が付いていたが、箔にはなるかと受け入れておいた。私に紅の要素はないはずだが、またしてもカインド曰く『いやー…ほらよ、獲物で相手をバサーッとやるとブシャーッてなるだろ。まぁ、要するにお前こえーってことだよ!』だそうである。相変わらずよく分からないことを言う。


 こうして1000人程度の大隊を率いるに至った私は、ようやくアイリスと正式に婚約を交わした。あの手この手でそれを阻止しようとする当主殿や長兄次兄を躱すのには、これまで駆逐した『茨の王』の下っ端の群れなどよりよっぽど苦心したが、母君の後押しに助けられて無事成立した。聞けば、二年の間必死にアイリスが私の妻たらんと励むので、どうしても応援してやりたくなったと言う。加えて式を挙げる前に二人で過ごす時間が欲しいと家探しに精を出すアイリスがあまりに健気で、愛おしくて、…思えばそこから私の慢心は始まったのだろうと思う。


 安心してしまった私に、次の目標が手の届くところに落ちてきたのもその一因だろう。あとほんの少し、一握り残って首都に潜伏する『茨の王』さえ殲滅すれば、騎士の叙任は確実になるだろうと軍団長閣下から言い渡されたのだ。どんなに身勝手かは承知していたけれども、それは私が喉から手が出るほど欲していたものだった。絶対不可侵の、私がアイリスを縛り付ける免罪符。だから躊躇いもなく飛びついたのだ。


───愚鈍にも、アイリスが同じものを同じだけ欲していたことには気付かないまま。



 そして今日の昼下がり、ついにその掃討作戦はほとんど秘密裡に、かつ迅速に実行された。迂闊にもせっかくの昼食を忘れて不機嫌極まりなかったのだが、おかけでさっさとケリがついたとカインドには呆れられた。そもそも下降していた機嫌をどん底まで叩き落としてくれたのは奴である。結婚までにこの地位を確立するのが、私の──考えるだにくだらない──矜持だったのだから。


 まさかその話を偶然アイリスが耳にして、しかも盛大な誤解を与えたのだと聞いて肝が冷えた。やはり奴はそのまま昼抜きで使いに出して正解だったようである。幻滅されてもおかしくない話だったが、アイリスは安堵こそすれ決して私を責めなかった。


 ただ寂しかったと、私と同じ気持ちだったと、それだけを懸命に訴えてくるのだった。だから私もありのままを話し、誓った。初めから、あなたが欲しかった。そしてこれからも、あなただけを求めると───






 「それってつまり、お互い一目惚れだったと…な…なんだかものすごく熱烈な告白をされた気がしますわ…」

 「そのつもりだったが…まだ“釈明”が足りなかったか。なら───」

 「!!も、もう!今はいっぱいいっぱいで…っ!うぅ、やっぱりずるいですわ…」


 真っ赤になって悶えながらも、繋いだ手は固く握りしめたまま。ここ最近は式も迫って、もう後戻りはできないと罪悪感に苛まれていたのだろう。今日の今日まで外堀を埋めるのに精一杯で彼女の本心を慮ってやれなかった自分には腹が立つが、こうして久々に打ち解けた無防備な様子を見せられて安堵した。…無防備すぎてこちらの自制が効かなくなりそうなのは如何ともしがたいところだが。


 「虹の女神、だなんて…罰が当たってしまいそう。…あのまま白銀の髪(プラチナブロンド)でいられたら、よっぽどアンドレアス…アンドリューに似つかわしくあれた気もするのだけど…」

 「…もしかして気にしていたのか?」


 白銀の髪が年齢と共に色味を増していくのは一般的なことだが、アイリスの場合ほとんどを屋敷の中で過ごす生活が続いたこともあって、十を過ぎてもその輝きは霞むことなく賞賛の的となっていた。人並みに健康な体を取り戻してからは外出も増え、それが色の変化に拍車をかけたのだろう。


 「自分に誇れるところと言ったらそれぐらいだったのですもの…」

 「私は気が気で無かったが。白銀のあなたはどこか近寄りがたい神秘的な少女だったが、外へ出るようになってからは────日を追うごとに美しい女性へと変貌していくのが分かったからな……忌々しい有象無象が湧くほどに」


 それは私の偽らざる本心だったのだが、少なからず彼女の慰めになったらしい。はにかんでみせるのが、健気で愛おしい。

 ただ華奢なばかりだった体が丸みを帯びて、時折匂い立つような『色』まで纏いだした彼女を一番傍で見守るのは苦行であり僥倖でもあった。今思い出しても苦々しい記憶だが、アイリスとここで結婚を約束して『茨の王』討伐に本腰を入れるまでは、むしろ寄ってくる虫の駆除が主な仕事になっていたからな…。そしてそれは、これから私だけに与えられた特権になるだろう。

 

 

 それからは二人で飽きることなく語り明かした。お互いに言葉が足りなかったのですね、とアイリスは苦笑したが、それも互いが互いを想っていたが故の行き違いだ。これから二人で時間をかけて夫婦に、そして家族になっていけばいい。なんでも話そうと約束した。


 さしあたっては、これからは二人でベッドに入りたいと強請られたのが悩みどころといえば悩みどころだが…。まぁそちらも時間をかけて分かってもらえばいい。…時には体で覚えてもらう必要もあるだろうが。



 あぁそれから、どうやら知らないらしいアイリスに教えてやらねばならない。


 ───────虹は夜、星空の中で架かることもあるのだと。




 今夜はひたすらに月が輝くばかりだが、きっといつか見られるだろう。二人で過ごす夜は、これから何度でも訪れるのだから。






(ふふ、なんだかお腹が空いてしまいましたわ)

(あぁ、少し空が白んできたな)

(…そういえば、昨日のお昼…)

((ギクリ))

((?)よかったらまた差し入れをお持ちしたいですわ。みなさん何がお好みだったかしら?)

(……………芋、じゃないか)



そして芋の悪夢再び。実は割とアホなアンドレアスさまでした。


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