第6話 沈まぬ太陽、渦巻く暗雲
魔王討伐から、十日ほどが過ぎたある朝。
ガヴェインは、誰にも行き先を告げぬまま、静かに王都を発った。
「――しばらく、外に出る。詳しいことは、聞かんでくれ」
見送りに出たランスロットに、彼はそれだけを告げると、荷も持たず、ただガラティーンだけを背負い、街道を北へと向かって歩き出した。
その足が向かう先は、かつて彼が、幾年もの歳月をかけて山籠もりをしていた、あの山だった。
山の中腹、切り立った岩肌の上に立ち、ガヴェインは、静かに目を閉じた。
魔王との戦いで、彼は、確かに新たな力に目覚めた。夜明けの光を浴び、ガラティーンを天へ掲げたあの瞬間、身体の奥深くに眠っていた何かが、確かに変わったのを感じていた。
だが――それは、まだ、完全なものではない。
あの戦いの中で得た力は、いわば、偶発的に引き出された、一瞬の閃光に過ぎなかった。己の意志で、いつでも、その力を完全に制御できるようになるためには、もう一段階、深いところへ踏み込む必要がある。
そう、ガヴェインは、直感的に理解していた。
だからこそ、誰にも告げず、この場所へ戻ってきた。
かつて、幾年もかけて、ガラティーンという剣と向き合い続けた、この静かな山へ。
目を閉じたまま、ガヴェインは、ゆっくりと、ガラティーンの柄を握りしめた。
「――お前と、もう一度、向き合わせてもらうぞ」
低く、そう呟く。
刃の奥に眠る、太陽の力。かつては、ただ「借りる」だけの関係だった。だが、あの夜明けの瞬間、確かに何かが変わった。
己自身が、太陽そのものになる。
その感覚を、もう一度、はっきりと捉え直す。
ガヴェインは、山頂に降り注ぐ陽光を、全身で受け止めながら、静かに、深く、意識を沈めていった。
外界の音が、次第に遠のいていく。
風の音も、木々のざわめきも、鳥の声も――全てが、静かに消えていく。
残るのは、ただ、己自身の内側に流れる、確かな熱の脈動だけだった。
それから、どれほどの時間が経っただろうか。
一刻か、一日か、あるいは、もっと長い時間だったのか――ガヴェイン自身にも、判然としなかった。
ただ、気づけば、彼の全身は、これまでとは、明らかに違う感覚に包まれていた。
太陽の力を、「借りる」のではない。
昼であろうと、夜であろうと――己自身の内に、絶えず燃え続ける、小さな太陽を宿している。
そんな確信が、はっきりと、全身に満ちていた。
「――同調、したか」
目を開いたガヴェインの瞳には、これまでとは違う、静かで、それでいて底知れぬ光が宿っていた。
試しに、日の陰った岩陰へと足を踏み入れる。
これまでであれば、日陰に入った途端、力の減衰を、はっきりと感じ取れたはずだった。
だが――今は、何も変わらない。
昼と、変わらぬ力が、確かに、その身の内に満ちている。
「……本当に、夜も、変わらんということか」
呟きながら、ガヴェインは、静かに、拳を握りしめた。
これで、夜になれば力の弱まる「夜明けの騎士」ではなくなる。
これから先、いかなる時であろうと、この力を、存分に振るうことができる。
そのはずだった。
だが――同時に、ガヴェインは、はっきりと、あるものを感じ取っていた。
全身の奥底に、じくじくと燻る、重い熱。
それは、力の漲りとは、また違う種類のものだった。
まるで、身体の内側で、絶えず何かが焼け続けているかのような、そんな感覚。
魔王との戦いの後、感じていた、あの僅かな違和感。あの正体が、今、ようやく、はっきりと、その輪郭を現し始めていた。
「――やはり、な」
ガヴェインは、独り、山頂に佇んだまま、静かに、自らの手のひらを見つめた。
そこには、これまでと変わらぬ、日に焼けた掌があるだけだった。だが、その内側で、確かに、何かが、少しずつ、削られ続けているような感覚がある。
夜も昼と変わらぬ力を発揮するということは――夜であっても、太陽の恩恵に頼ることなく、己自身の内から、その莫大な熱量を、絶えず生み出し続けなければならないということだ。
「……この身体、いつまで持つや、わからぬな」
誰に聞かせるでもなく、ガヴェインは、静かに、そう呟いた。
その声には、これまでの彼らしからぬ、深い陰りが滲んでいた。
けれど、それも、一瞬のことだった。
「……まあ、いい」
ガヴェインは、すぐに、いつもの表情へと戻ると、大きく伸びをした。
「この力があれば、守れるものが、これまで以上に増える。それだけで、十分だ」
そう自分に言い聞かせるように呟くと、ガヴェインは、山を下り始めた。
山道を下る途中、ガヴェインは、思いがけない光景に出くわした。
道の脇、茂みの中から、獣の唸り声と、人の悲鳴が聞こえてきたのだ。
「――なんだ?」
駆けつけてみると、そこには、一人の旅人が、巨大な山犬に襲われている光景があった。旅人は、既に足を負傷しているようで、まともに立ち上がることもできずにいる。
「――離れろ!」
ガヴェインは、迷うことなく踏み込むと、抜き放ったガラティーンの一閃で、山犬を斬り伏せた。
山犬は、断末魔の唸り声を上げる間もなく、その場に崩れ落ちた。
「大丈夫か」
ガヴェインが、旅人に声をかけながら、その傍らに膝をついた。
「あ、ありがとう、ございます……足を、やられて……」
旅人の足には、深い噛み傷が刻まれ、血が滲み出していた。
「ひとまず、血を止めねばな」
ガヴェインは、手早く布を裂き、傷口を縛ろうと、旅人の足に手を伸ばした。
その瞬間だった。
ガヴェインの手のひらから、淡い、金色の光が、静かに溢れ出したのだ。
「――なっ」
ガヴェイン自身、驚いて、思わず手を止めた。
だが、光は、まるで意志を持っているかのように、旅人の傷口を、優しく包み込んでいく。
見る見るうちに、深く抉れていたはずの傷が、塞がっていく。
「――え……? 痛みが……」
旅人が、信じられないというように、自分の足を見つめた。
先ほどまでの激痛が、まるで嘘のように引いていた。傷口も、既に、かさぶたを形成し始めている。
「……俺は、何も、していないんだが」
ガヴェインは、呆然と、自分の手のひらを見つめた。
回復の魔法など、彼は一切、心得ていない。ただの一介の剣士に過ぎない自分が、こんな力を発揮できるはずがなかった。
それなのに――確かに今、傷は癒えた。
「あ、あなたは……もしや、聖職者様、でしょうか……」
「いや……違う。俺は、ただの騎士だ」
ガヴェインは、困惑したまま、そう答えるしかなかった。
旅人を近くの村まで送り届けた後、ガヴェインは、一人、街道の傍らで、静かに自分の手を見つめ続けていた。
「……力を求めれば、意図せず漏れ出る、か」
呟きながら、ガヴェインは、小さく息を吐いた。
あの光は、明らかに、先ほどの同調によって得た、太陽の力の一端だった。だが、あれは、自分の意志で発動したものではない。まるで、身体そのものが、勝手に、誰かを癒そうとしたかのような、そんな感覚があった。
――力が、漏れ出ている。
その事実に、ガヴェインは、ある種の危うさを覚えずにはいられなかった。
得た力は、確かに、攻めにおいても、守りにおいても、これ以上ないほどの恩恵をもたらすものだった。傷を癒し、闇を打ち払う――そこに、負の側面は、何ひとつ見当たらない。
それでも。
この力を、完全に己の制御下に置けているとは、到底言えなかった。
意図せず漏れ出る光。そして、絶えず身体の奥で燻り続ける、あの重い熱。
「――まだまだ、俺には、扱いきれん力なのかもしれんな」
ガヴェインは、そう呟くと、再び、王都への道を歩き始めた。
この違和感の正体を、今はまだ、誰にも打ち明けるつもりはなかった。
その頃、王都では――
私は、いつも以上に慌ただしい日々を過ごしていた。
ガヴェインが、何も告げずに、しばらく王都を離れると言い出したのは、十日ほど前のことだった。
「詳しいことは、聞かんでくれ」
そう言われては、無理に問い詰めるわけにもいかない。魔王との戦いを経て、彼が、何か己自身と向き合う時間を必要としていることは、なんとなく察していた。
だが、そのおかげで、王都の警備は、いくらか手薄になっていた。
魔王討伐に参加した近衛の多くは、まだ怪我の療養中か、周辺の村々の復興支援に駆り出されている。結果として、城の周辺警護の多くを、ランスロットが、ほぼ一人で担うことになっていた。
「――大丈夫なのか、そんなに根を詰めて」
ある日の夕刻、政務の合間に顔を合わせたランスロットに、私は、思わずそう尋ねていた。
「問題ない。これくらい、どうということはない」
ランスロットは、いつも通り、軽い調子でそう答えた。だが、その目の下には、隠しきれない疲労の色が、うっすらと滲んでいた。
「無理は、するなよ」
「お前が言うか。……お互い様だろう」
そう言って笑うランスロットに、私は、それ以上、何も言えなかった。
その夜。
私は、日中の激務の疲れから、自室で、早めに休むことにしていた。
侍女には、最低限の世話しかさせない。それが、この数年、私が貫いてきた習慣だった。夜、一人になった時だけが、唯一、心から気を抜ける時間だった。
いつものように、髪を結んでいた紐を解き、身体に巻いていた布を緩める。
グィネヴィアが、静かに部屋を訪れたのは、ちょうど、そんな時だった。
「――アーサー様、まだお休みになっていませんでしたか」
「ああ……少し、話し相手が欲しかったところだ」
グィネヴィアは、静かに微笑むと、私の傍らに腰を下ろした。
婚約者として、彼女が、こうして夜遅くに部屋を訪れることは、珍しいことではなかった。私にとって、彼女と過ごす、この静かな時間は、何にも代えがたい、安らぎの時間になっていた。
「今日も、大変な一日でしたね」
「ああ……ガヴェインが戻るまでは、もうしばらく、この調子だろうな」
そう言葉を交わしながら、私は、いつものように、素の自分でいられる、この時間を、静かに噛み締めていた。
その、まさに油断しきっていた時だった。
「――何者か!」
廊下の方から、鋭い誰何の声が響いた。
続けて、慌ただしい足音と、扉を強く叩く音。
「陛下、失礼します! 城壁の外に、不審な気配が!」
その声は、紛れもなく、ランスロットのものだった。
「――え……」
答える間もなく、扉が、勢いよく開け放たれた。
その瞬間、時が、完全に止まった。
ランスロットの視界に映ったのは――結っていたはずの髪を解き、身体に巻いていた布も緩めた、素のままの姿で、グィネヴィアと共に、寛いだ様子で座る、私の姿だった。
「――え……?」
ランスロットの口から、掠れた声が漏れた。
私は、咄嗟に、身を隠そうとした。だが、既に、遅かった。
薄明かりの中でも、はっきりと見て取れる、その輪郭。緩められた布の下から覗く、女性としての身体の線。
そして――何より、驚愕に見開かれたランスロットの視線が、全てを物語っていた。
「……アーサー……お前……」
言葉を失ったまま、ランスロットは、戸口に立ち尽くしていた。
グィネヴィアが、静かに、私を庇うように、前へ進み出た。だが、その落ち着いた様子――取り乱すことのない、あまりにも自然な態度もまた、ランスロットに、もうひとつの真実を、はっきりと悟らせてしまっていた。
「……グィネヴィア、お前は、知っていたのか」
その問いに、グィネヴィアは、静かに、頷くことしかできなかった。
しばしの、耐えがたいほどの沈黙が、部屋を満たしていた。
私は、震える声を、なんとか絞り出した。
「……ランスロット」
「……」
「聞いてくれ。……私は」
言葉が、続かなかった。何から話せばいいのか、どう説明すれば、彼が納得してくれるのか――何ひとつ、整理がつかなかった。
ランスロットは、しばらくの間、ただ、私を見つめ続けていた。
その瞳の中で、驚愕が、戸惑いが、そして――これまでの記憶が、次々と、めまぐるしく巡っているのが、痛いほど伝わってきた。
「……そう、か」
やがて、ランスロットは、静かに、そう呟いた。
「お前が、ずっと、俺に見せていた、あの態度……。時折見せていた、あの表情……。全部、こういうことだったのか」
その言葉に、私は、思わず、目を伏せた。
十七の頃から、ずっと抱き続けてきた、この想い。それを、悟られていたのかもしれないという恐怖と、そして――ようやく、本当の自分を、知ってもらえたのかもしれないという、言いようのない安堵。
そのふたつが、複雑に絡み合って、胸の奥を締め付けていた。
「……頼む、ランスロット」
私は、震える声で、深く頭を下げた。
「このことは、決して、誰にも、明かさないでほしい。……私の秘密は、王としての立場、そして、この国の安定そのものに関わる」
「――アーサー」
ランスロットは、静かに、私の名を呼んだ。
その声には、もう、先ほどまでの動揺はなかった。ただ、これまでにない、深い、静かな響きだけがあった。
「お前が、これまで、どれほどの重荷を、一人で背負ってきたのか……今、ようやく、本当の意味で、理解できた気がする」
「……ランスロット」
「安心しろ。……誰にも、言わない。この秘密は、俺の胸の内に、しっかりと納める」
その言葉に、私は、思わず、涙が滲むのを感じた。
「ありがとう……」
「礼を言われるようなことじゃない」
ランスロットは、そう言うと、静かに、目を伏せた。
その表情の奥に、何か、複雑な感情が渦巻いていることを、私は、なんとなく、感じ取っていた。
けれど、今の私には、それを深く問い質す余裕は、残されていなかった。
「……城壁の外の、不審な気配というのは」
私は、ようやく、話題を変えるように、そう尋ねた。
「――ああ、それも、もう対処済みだ。ただの野生動物の気配だったようだ。……杞憂で、良かった」
ランスロットは、そう答えると、静かに、部屋を辞する仕草を見せた。
「今夜のことは、忘れてくれとは言わない。……だが、これまで通り、俺は、俺のままだ。何も、変わらない」
その言葉を最後に、ランスロットは、静かに、部屋を後にした。
扉が閉まった後、私は、しばらくの間、ただ、その場に立ち尽くしていた。
「――大丈夫ですか、アーサー様」
グィネヴィアが、静かに、私の背に手を添えた。
「……ああ。……驚いたが、大丈夫だ」
私は、そう答えながら、静かに、息を吐いた。
これで、私の秘密を知る者は、マーリンと、グィネヴィアと、そして――ランスロットの、三人になった。
その事実に、不安がないと言えば、嘘になる。それでも――信頼できる人物が、また一人増えたのだという、確かな安堵もまた、私の中には、静かに広がっていた。
その、少し離れた回廊の陰。
誰にも気づかれることなく、その一部始終を見つめていた者がいた。
モードレッドだった。
夜、一人、眠れぬまま城内を彷徨っていた彼女は、廊下を駆けるランスロットの姿を見かけ、何事かと、その後を追っていた。
そして――彼女は、見てしまった。
アーサーの、本当の姿を。
グィネヴィアが、それを知っていたという事実を。
そして、ランスロットが、その秘密を守ると誓う、あの場面の全てを。
物陰に身を潜めたまま、モードレッドは、しばらくの間、動くことができなかった。
胸の奥で、様々な感情が、渦を巻いていた。
驚き。困惑。そして――
(……母上の、秘密)
その言葉が、静かに、モードレッドの脳裏を過った。
誰にも打ち明けられない、大きな秘密。それを、グィネヴィアは知っていて、そして今、ランスロットもまた、それを知ってしまった。
――もし、この秘密を、うまく使うことができたなら。
その考えが浮かんだ瞬間、モードレッドは、自分自身に、僅かな戦慄を覚えた。
そんなことを、考えてはいけない。
そう、頭ではわかっていた。
けれど――どれだけ功績を積んでも、決して振り向いてもらえなかった、あの日々の記憶が、その戦慄を、少しずつ、塗り替えていく。
(……母上は、私を、娘として認めてくれない)
(それなのに、グィネヴィア様には、心を許している)
(ランスロット卿にも、今、大切な秘密を、預けてしまった)
嫉妬とも、孤独とも呼べる、名状しがたい感情が、モードレッドの中で、静かに、しかし確実に、渦を巻き始めていた。
その夜、モードレッドは、誰にも気づかれることなく、静かに、自室へと戻った。
寝台に横たわりながら、彼女は、天井を見つめ、ただ、じっと考え続けていた。
自分が見た、あの光景の意味を。
そして――それを、どう使えば、母に振り向いてもらえるのか、あるいは。
もしかしたら、母を苦しめている「何か」を、自分の手で、取り除いてやれるのではないか――そんな、歪んだ形の望みを。
まだ、はっきりとした考えがあったわけではない。
それでも、モードレッドの胸の中には、これまでとは違う、ひとつの小さな種が、確かに、蒔かれていた。
その種が、やがて、この国全体を揺るがす、大きな悲劇へと育っていくことを――この時のモードレッド自身、まだ、はっきりとは、自覚していなかった。
窓の外には、静かな夜空が広がっていた。
その星々の下、王都は、束の間の平穏を保ったまま、次なる嵐の予兆を、まだ、誰も知らずにいた。




