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第8話:裏切りと計略

【シーン1:面白くない『二軍』たち】


 二年B組の教室は、文化祭に向けた「体験型・物語カフェ」の準備で、かつてないほどの一体感を見せ始めていた。


三軍の山本一誠やまもと いっせいたちが描く背景画は息を呑むほど壮大で、佐々木小鳥ささき ことりを中心とした一軍女子たちが演じるストーリーは、クラスの誰もが認めるクオリティへと仕上がってきている。


 鈴木悠太すずき ゆうた田中悟たなか さとる古賀美紀こが みきの三人がかじを取る運営は、驚くほど順調だった。


 一軍が「華」となり、三軍が「技」を振るう。これまで隔絶されていた階層が混ざり合い、新しい化学反応が起きている。


 だが、その輝かしい変化を、暗い情念を宿した瞳で見つめる者たちがいた。


「反吐が出るな、まったく」


 教室の隅で、二軍の大森大地おおもり だいちが不機嫌そうに舌打ちをした。


 彼はチャラい髪を指でいじりながら、教壇で一軍のエース・押尾仁おしお じんと楽しそうに話している悟を睨みつけた。


 以前なら、押尾のような一軍メンバーに気安く話しかけることができるのは、自分たち二軍の特権だと思っていた。下の連中には許されない「選ばれた者だけとの交流」。それが、大森にとってのアイデンティティだったのだ。


「なんだよ、最近。鈴木や田中が仕切っちゃってさ。一軍の連中もあいつらを『仲間』みたいな顔して受け入れてるし。あんなの、ただの圏外のゴミだろ?」


 大森の声には、隠しきれない焦燥感が混じっていた。


 彼ら二軍にとって、自分たちより「下」の存在がいることは、何よりも心の安定剤だった。自分は一軍ではないけれど、三軍や圏外の連中よりはマシな場所にいる。その優越感こそが、彼らが教室という戦場を生き抜くための武器だったのだ。


 しかし、今の教室はどうだ。


 悠太は「殺人鬼」ではなく「頼れるリーダー」として女子たちからも信頼され、悟は「病弱な欠席児」ではなく「ガッツのある実行委員」として押尾たちと肩を並べている。


 自分たちが必死に守ってきた「中間層」という特権が、音を立てて崩れ去ろうとしていた。


「石田、お前も何か言えよ。あいつらに主役を奪われていいのか?」


 大森が隣の席でノートを睨んでいる石田優成いしだ ゆうせいに話を振った。


 石田は、小テストでの一件以来、クラスでの発言力が目に見えて低下していた。今の彼は、まるで一軍からも二軍からも忘れ去られた存在になりつつある。


「フン。調子に乗れるのも今のうちだよ、大森くん」


 石田は、メガネのブリッジを中指で押し上げた。そのレンズの奥で、粘りつくような嫉妬と憎悪が渦巻いている。


「責任者というのはね、成功すれば称えられるけれど、失敗した時には真っ先に全ての責任を負わされる立場なんだ。もし、文化祭の成功が『絶望的』な状況になれば、彼らの輝かしい名声は一瞬で泥に変わる」


「絶望的?」


 大森が身を乗り出す。石田は低く、不気味な笑みを漏らした。


「鈴木くんたちが管理している、あの『予算の入った封筒』。あれが消えたら、どうなると思う? 買い出しにも行けず、準備は止まる。そして何より、クラスメイトたちは疑い始めるだろう。あの殺人鬼と、信用できない病弱野郎が、金を使い込んだんじゃないかってね」


 石田の言葉に、大森の口元が醜く歪んだ。


「なるほどな。一軍の瑛太たちも、金が絡めば、あいつらを庇いきれねえ。最高じゃねえか。ゴミはゴミらしく、また地べたを這いずり回らせてやろうぜ」


 二人の間に、真っ黒な計略が共有された。


 一軍の華やかさも、三軍のひたむきな努力も、彼らにとってはどうでもいいことだった。ただ、自分たちを追い越そうとする「圏外」の3人を引き摺り下ろし、再び自分たちが優位に立てる「元のカースト」を取り戻すこと。そのためなら、クラスの夢を壊すことすら厭わない。


 同じ二軍の女子、井上ゆかり(いのうえ ゆかり)は、少し離れた席からその様子を静かに見ていた。彼女はいつも通りの穏やかな笑顔を浮かべていたが、その瞳は石田たちの悪巧みを見透かしているようだった。

 

 夕暮れの教室。


 笑い声の絶えない準備作業の裏側で、静かに、けれど確実に、破滅へのカウントダウンが始まっていた。


 石田の薄ら笑いと大森の冷たい視線が、悠太たちの背中に突き刺さる。


 そして、二年B組を揺るがす最大の「裏切り」が、牙を剥こうとしていた。


【シーン2:消えた予算】


 その日は、文化祭の目玉となる内装用の材料を一気に買い出しに行く予定の日だった。


 午後一番、運営チームの鈴木悠太すずき ゆうた田中悟たなか さとる、そして古賀美紀こが みきは、最終的な買い物リストを確認するために、教室の後方にある席に集まっていた。


「よし、これで全部だね。山本くんたちが使うペンキの予備と、あとはカフェ用の消耗品」


 悟が、丁寧に書き込まれたリストを指でなぞりながら確認する。その表情には、自分たちの計画が形になっていくことへの、確かな手応えがあった。


「…在庫、計算済み。予算内に、ぴったり収まる」


 美紀も、愛用のタブレットを叩きながら短く告げた。


「じゃあ、金を持って行ってくるか。田中、金庫を開けてくれ」


 悠太が促すと、悟は「わかった」と頷き、教室の金庫に手をかけた。そこには、クラス全員から集めた文化祭予算が、一円の狂いもなく封筒に入れられ、保管されているはずだった。


 カチャリ、と小さな音がして、悟が金庫を開く。


 けれど、次の瞬間。悟の手が、石のように固まった。


「え?」


「どうした、田中。早くしろよ、店が混む前に」


 悠太が覗き込む。そこには、中身が空っぽになった、金庫があった。


「ない。ないよ、悠太くん! お金が、どこにもないんだ!」


 悟の声が、裏返る。彼は狂ったように金庫の中をかき回し、カバンの中や床まで探し始めた。美紀も表情を変え、周囲の棚を調べ始めるが、どこにも目的のものは見当たらない。


「鍵は、鍵は僕が肌身離さず持ってたのに! なんで」


 悟が震える手でポケットから取り出した鍵を見つめる。


 悠太は、鋭い目で金庫の縁を調べた。すると、金庫の合わせ目に、金属で無理やりこじ開けたような、新しい傷跡がついているのを見つけた。


「こじ開けられてる。盗まれたんだ」


 悠太の低い声が、静まり返った放課後の教室に響いた。


「え、お金がないって、どういうこと?」


 その声をきっかけに、作業をしていたクラスメイトたちの手が止まった。


 まず歩み寄ってきたのは、一軍の村田悠亜むらた ゆあと、その後ろについてきた芦田翔あしだ しょうだった。


「ちょ、ちょっとヤバいよ!今日の買い出しに行かないと、明日からの作業止まっちゃうじゃん」


 悠亜が困ったように眉をひそめる。


「そうだぜ。だいたい、金がないってなんだよ。お前らが預かってたんだろ?」


 芦田が、ここぞとばかりに攻撃的な口調で詰め寄った。


 そこへ、まるでタイミングを見計らっていたかのように、石田優成いしだ ゆうせい大森大地おおもり だいちのコンビが現れた。


「やれやれ。僕が懸念していた通りのことが起きてしまったね」


 石田は、メガネのブリッジを中指で押し上げながら、憐れむような目で悟を見た。


「田中くん。君の管理能力が低いのは知っていたけれど、まさか『紛失』なんていう初歩的なミスをするとは思わなかった。それとも」


 石田の言葉が、毒のように教室に広がっていく。


「本当に『失くした』のかな? もしかしたら、最初からそんなお金は、どこにも消えていないんじゃないか?」


「それ、どういう意味だよ、石田」


 悠太が、石田を射抜くような鋭い目で見据える。


「言葉通りの意味だよ、鈴木くん。君たちは最近、放課後によく三人で買い食いをしているのを見かけるじゃないか。クラスの金を自分たちの遊興費に回して、バレそうになったから『盗まれた』ことにして誤魔化そうとしている。そう考えるのが一番自然だと思わないかい?」


「ふざけんな!」


 悠太の怒号が教室を震わせた。悠太は一歩踏み出し、石田の胸ぐらを掴もうとした。


「あ、危ない! ほら見ろ、暴力で口を封じようとしている!」


 大森がわざとらしく大きな声を上げ、周囲の生徒たちにアピールする。


 教室の中が一気にざわつき始めた。


「まさか、鈴木くんたちが」


「でも、お金が無くなってるんだよ」


「最近調子に乗ってたから、ありえるかも」


 これまで築き上げてきた信頼が、石田の巧みな誘導によって、ガラガラと音を立てて崩れていく。一軍のリーダーである楠瑛太くすのき えいたも、遠くから険しい表情でこちらを見ている。


「僕たちは、僕たちはそんなことしてない!」


 悟が涙ながらに叫ぶが、証拠がない以上、その言葉は空虚に響くだけだった。


 石田は確信に満ちた顔で、とどめを刺すように言った。


「身の潔白を証明できないなら、実行委員は失格だ。今すぐその座を降りて、しかるべき処罰を受けてもらおうか」


 絶体絶命の窮地。


 悠太の拳が怒りで震え、悟が絶望に打ちひしがれる中。


 ただ一人、美紀だけは、冷静に手元のタブレットの画面を見つめていた。


「…石田くん。嘘は、データで上書きできる」


 美紀の無機質な声が、荒れ狂う教室の空気を一瞬で凍りつかせた。


【シーン3:美紀の『記録』】


「もし本当に盗まれたのなら、すぐに先生を呼ぶべきだ。ただ、石田の言う通り、俺たちに潔白を証明する手段がなければ」


「…証明なら、できるよ、楠くん」


 その場にいる全員が、耳を疑った。


 声の主は、ずっと黙ってタブレットを操作していた古賀美紀こが みきだった。彼女は一度も顔を上げず、淡々と、けれど氷のように冷たい声で言葉を紡ぐ。


「石田くん。さっき、『放課後の買い食い』って言ったよね。具体的に、何日の何時?」


「えっ? あ、あはは。そんなのいちいち覚えてないけど、一昨日とか、その前とか」


 突然の問いかけに、石田がわずかに動揺する。


「一昨日もその前の放課後も、文化祭予算を回収した日から、毎日、鈴木くんと田中は図書室で遅くまで、文化祭に向けた打ち合わせを森本さんも含めしていた。いつ見たの?図書室の入館記録が残ってる。あなたの証言は、すでに嘘」


 美紀は、タブレットの画面を石田に向けた。そこには、彼女がコピーした「図書室の入退室ログ」が表示されていた。


「私は、このクラスに、私や鈴木くんを快く思わない人間がいることを、最初からデータとして持っていた。だから、対策をしていた」


 美紀がタブレットを操作すると、画面に一つの動画が表示された。


 それは、昨日の放課後、誰もいなくなったはずの教室の映像だった。


 映像の中で、一人の男子生徒が金庫に忍び寄り、慎重な手つきでそれを弄っている。そして、小さな工具を使って鍵をこじ開け、中から予算の封筒を抜き取った。


「なっ、なんだよこれ!」


 大森大地おおもり だいちが、絶叫に近い声を上げた。映像に映っていたのは、紛れもなく彼自身だったからだ。


「動体検知カメラ。…ロッカーの上に隠しておいた。…広角レンズだから、入り口で見張っていた石田くんの顔も、しっかり映ってる」


 映像は切り替わり、廊下で大森からの合図を待つ石田優成の姿を鮮明に捉えていた。


 教室内は、一瞬にして凍りついたような静寂に包まれた。


「お、おい! これは合成だ! 嘘だろ!? 石田、なんとか言えよ!」


 大森が石田の肩を揺さぶるが、石田は顔面を蒼白にし、口をパクパクと金魚のように動かすだけで、言葉が出てこない。


「卑怯なこと、したね」


 一軍の佐々木小鳥ささき ことりが、冷ややかな視線を二人に向けた。


「私たちが、どんな気持ちで準備してきたか、わかっててやったの? 最低だよ」


 クラスメイトたちからも、「信じられない」「自分たちの文化祭を壊そうとしたのか」という怒りの声が次々と上がる。先ほどまで悠太たちを疑っていた空気は、一転して、卑劣な計略を練った二人への非難に変わった。


 悠太は、ゆっくりと石田に近づいた。


 石田は恐怖で腰を抜かし、床にへたり込む。


「ひっ! す、鈴木くん、暴力は、暴力だけはやめてくれ!」


 悠太は、石田の顔のすぐ横に手を突いた。ドォン、と重い音が響く。


「暴力? 使うわけねえだろ。お前らを殴ったら、俺たちが築き上げてきたものが汚れちまうからな」


 悠太の瞳は、怒りを超えた「哀れみ」に満ちていた。


「金、返せ。今すぐだ」


 石田は震える手で、制服の内ポケットから、封筒を取り出した。中身は一円も欠けていなかった。


「今回の件、学校には報告しない。その代わり、お前ら二人には、これから文化祭が終わるまで、一番きつい力仕事を全部やってもらう。文句、ないよな?」


 悠太の言葉に、二人は何度も何度も頷いた。


 事件は解決した。


 悟は、涙を拭って悠太の隣に立った。


「よかった。本当に、よかった」


 美紀は、パタンとタブレットを閉じると、いつものように分厚い本を抱え直した。


「…ゴミの処理、完了。…買い出し、遅れる。…急ごう」


 瑛太は、三人の背中を見つめながら、確信した。


 この3人は、もう「圏外」などではない。彼らこそが、この二年B組を導く、本物の「芯」なのだと。


 夕焼けの帰り道。


 3人は、ようやく材料を買いに駅前へと歩き出した。


 裏切りと計略を乗り越えたその絆は、どんな一軍の輝きよりも、ずっと強く、美しく光っていた。



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