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第7話:女たちの戦い

【シーン1:完璧な少女の『仮面』】


 夏休みが終わり、二学期が始まったばかりなのに、二年B組の教室は文化祭準備の熱気に満ちていた。


 悠太たちが提案した「体験型・物語カフェ」という前代未聞の企画は、当初の予想を遥かに超える勢いでクラスを動かし始めていた。


 教室の壁には三軍の山本やまもと 一誠いっせいたちが描いた壮大な美術設定図が貼られ、二軍の石田たちは予算表を片手に電卓を叩いている。そんな活気あふれる空間の中心にいるのは、やはり一軍の女子グループだった。


「ねえ小鳥、次はこの和モダンなドレス着てみちゃって! 絶対、雑誌の表紙より可愛くなるっしょ!」


 ギャルの村田悠亜むらた ゆあが、三軍の小森蒼こもり あおいが試作した豪華な衣装を抱えて、声を弾ませる。


「本当だ! 小鳥ちゃんなら、どんな無茶な設定でも着こなせちゃうもんね。あ、こっちの髪飾りも合わせてみてよ!」


 他の女子たちも次々と小鳥を囲み、まるで着せ替え人形を楽しむかのように盛り上がっていた。


 その輪の中心に立つ佐々木小鳥ささき ことりは、いつものように完璧な笑顔を浮かべていた。


「わあ、すごい! 小森さんの作る衣装、本当にクオリティ高いね。ありがとう悠亜、着てみるのが楽しみ!」


 クラスに響く明るい声、一寸の乱れもない仕草。彼女は「現役モデル」という肩書きに相応しい、クラスの誰もが憧れる女神としての役割を、完璧に演じきっていた。


 小鳥にとって、この笑顔は「装備品」のようなものだった。


 雑誌の撮影現場でも、学校の教室でも、彼女は常に「佐々木小鳥」という商品を演じ続けなければならない。みんなが期待する通りの、明るくて、優しくて、文句一つ言わずに何でもこなす完璧な美少女。もし一度でも疲れた顔を見せたり、不満を漏らしたりすれば、周りの期待を裏切ってしまう。その恐怖が、彼女の心をずっと縛り付けていた。


(足、もうパンパンだな。この靴、少しサイズが合わないかも)


 そんな本音を喉の奥に飲み込み、彼女は今日も「完璧」を継続する。衣装を変えるたびに上がる歓声、向けられるスマホのカメラ。それに応えるたびに、彼女の心の中にある「本当の自分」は、どんどん深い闇へと沈んでいくようだった。


 そんな一軍の騒がしい輪から離れた、教室の席。


 古賀美紀こが みきは、大量の備品リストと、買い出しの領収書を前に、黙々と在庫チェックを行っていた。美紀はこの「物語カフェ」の全データを管理する、いわば司令塔のような役割を担っている。


 美紀は、ペンを動かす手を止め、ふと教室の中央に視線を向けた。


 そこには、新しい衣装を身にまとい、女子たちの中心でポーズを決める小鳥の姿があった。


「きれい」


 隣で資料をまとめていた田中たなか さとるが、思わずといった様子で呟く。


「さすが小鳥さんだよね。あんなに忙しいのに、いつも笑顔でみんなを引っ張ってくれて。僕たちとは住む世界が違うみたいだ」


 けれど、美紀の瞳は悟とは違うものを見ていた。


 美紀は観察のプロだ。本を読み込み、登場人物の僅かな心の揺れを読み解くことに慣れている彼女にとって、現実の人間もまた、解析すべき「物語」の一部だった。


 レンズ越しのように冷静な視線が、小鳥の横顔を捉える。


 女子たちの一人が冗談を言った拍子に、小鳥が「あはは、面白い!」と大きく笑った。

 

その瞬間だった。


(引きつってる)


 美紀は見逃さなかった。


 小鳥の美しい口角が、一瞬だけピクリと震え、頬の筋肉が硬直したのを。それは、心の底から楽しんでいる人間の表情ではない。限界まで張り詰めた糸が、今にも千切れそうになっている、悲鳴に近い「笑顔の残像」だった。


 小鳥が、ふと、女子たちの会話をやり過ごすように視線を窓の外へ泳がせた。その一瞬の無防備な横顔には、絶望的なまでの疲労と孤独が張り付いていた。まるで、広大な砂漠の真ん中で、たった一人で踊り続けているような、そんな寂しさ。


 美紀は無言で、手元のメモ帳の端に、小さな文字でこう書き込んだ。


『一軍・看板・佐々木小鳥。仮面、損壊の兆候あり。早急なメンテナンス、必要』


「古賀さん? どうしたの?」


 悟の不思議そうな問いかけに、美紀は「…なんでもない。紙、足りなくなる。追加、頼む」とだけ答え、再びリストに目を落とした。


 文化祭の準備は順調だ。出し物は最高のものになるだろう。


 けれど、その成功の鍵を握る「主役」の心が、音を立てて崩れ始めていることに、まだ誰も気づいていなかった。美紀を除いては。


 教室に響く女子たちの華やかな笑い声。


 その裏側で、静かに、けれど確実に、嵐の予感が忍び寄っていた。


【シーン2:図書室の逃げ場】


 校舎の影が長く伸び、空が燃えるような茜色に染まる頃。文化祭準備で騒がしい教室の熱気も、ここまでは届かない。


 古賀美紀こが みきは、静まり返った図書室で一人、返却された本の整理を行っていた。


 窓から差し込む夕日は、棚に並ぶ背表紙を琥珀色に照らし、美紀がページをめくる音だけが、心地よいリズムとなって室内に響いている。


 その時、図書室の重い扉が、遠慮がちにギィと小さな音を立てて開いた。


 美紀が顔を上げると、そこには意外な人物が立っていた。


 一軍のモデル美女、佐々木小鳥ささき ことりだ。


 いつもなら、彼女の周りには村田悠亜むらた ゆあをはじめとした多くの取り巻きが、付き従っているはずだった。けれど、今の小鳥はたった一人だ。その手には自分のカバンを握りしめ、まるで何かに追われて逃げ込んできたかのように、肩で小さく息をしていた。


「あ。古賀さん、まだいたんだね」


 小鳥は美紀に気づくと、一瞬だけいつもの「完璧な笑顔」を作ろうとした。けれど、その頬はひどく疲れ切っていて、笑顔はすぐに崩れ落ちてしまった。


 彼女は力なく歩み寄ると、美紀の隣の席に、糸が切れた人形のように座り込んだ。


「少しだけ、読書」


 美紀は短く答えた。けれど、隣から聞こえてくる小鳥の呼吸が、あまりに浅くて頼りないことに気づき、もう一度口を開く。


「佐々木さんは? ダンスの練習、まだやってるはず」


「ちょっと、休憩。悠亜たちには、先に帰ってていいよって言ったの。本当は、一人になりたかっただけなんだけどね」


 小鳥は机の上に顔を伏せ、夕日に照らされた自分の指先をぼんやりと見つめた。


 美紀は、何も言わずに小鳥の前にペットボトルの水を置いた。それを見て、小鳥は小さく「ありがとう」と呟き、喉を鳴らして一口飲んだ。


「ねえ、古賀さん。古賀さんは、どうしていつもそんなに、堂々としていられるの?」


 不意に投げかけられた問いに、美紀は本を置いた。


「堂々なんて、してない。私は、人と話すのが怖いから、ここで本を読んでるだけ」


「いいな。それは自分の意志でしょ?」


 小鳥はゆっくりと顔を上げると、その大きな瞳に夕日の光を宿しながら、絞り出すように続けた。


「私、もう、わかんなくなっちゃったんだ。みんなが期待する『明るくて可愛い小鳥ちゃん』でいなきゃいけないのが、最近すごく苦しくて」


 小鳥の声は、今にも消えてしまいそうなほど震えていた。


「雑誌の撮影では『もっと笑って』と言われ、学校に来れば『小鳥ちゃんなら何でもできるよね』って言われる。悠亜たちも、私のことを大好きだって言ってくれるけど、それはきっと、私が彼女たちの理想通りの『モデル』でいるからなんだと思う」


美紀は黙って、小鳥の言葉を一つひとつ受け止めるように聞いていた。


「モデルの仕事も、学校の人間関係も、全部あらかじめ決められた型にはめられてるみたい。一度その型から外れたら、私はもう誰からも必要とされないんじゃないかって。そう思うと、怖くてたまらないの」


 小鳥の瞳に、大きな涙が溜まり、頬を伝って机の上に落ちた。


 クラスの頂点に立ち、誰もが羨むような華やかな毎日を送っているはずの少女。けれど、その実態は、自由などどこにもない、最も高い場所にある「目に見えない檻」に閉じ込められていた。


 美紀は、自分の心臓が少しだけ速く打つのを感じた。


 自分は、人と話せないから「圏外」にいた。けれど小鳥は、人と話し続けなければならないからこそ、もっと深い「圏外」に落ちていたのかもしれない。


 美紀は、自分のカバンの中から一冊の本を取り出した。


「これ、読む?」


「…え?」


 小鳥が涙を拭いながら見上げると、美紀は静かにその本を差し出した。


「私も、前髪で顔を隠して、自分を『型』に入れて、守ってる。みんな、何かの檻の中にいる。でも、本の中だけは、檻の鍵が外れてる」


 小鳥は、その本をそっと受け取った。


 美紀が貸してくれたのは、少し古びたミステリー小説だった。


「古賀さんも、戦ってるんだね。私、古賀さんのこと、何も考えてない地味な子だと思ってた。ごめんね」


「…いい。私も、佐々木さんのこと、お城に住んでる人形だと思ってた。データの修正が必要」


 小鳥は、クスッと小さく笑った。それは、雑誌の表紙にあるような完璧な笑顔ではなかったけれど、美紀にとっては、どんな宝石よりも価値のある「本物の笑い声」に聞こえた。


 図書室の窓の外、太陽が完全に沈み、紫色の夜が降りてくる。


 一軍のモデル美女と、圏外の読書家。


 正反対の二人が、静寂の中で同じ重みの孤独を分かち合っていた。


「古賀さん。ありがとう。少しだけ、心が軽くなった」


「…どういたしまして。…明日、ダンス、間違えてもいいと思う。田中なんて、毎日転んでるから」


「ふふ、そうだね。田中くんを見習わなきゃ」


 立ち上がった小鳥の背筋は、先ほどよりも少しだけ伸びていた。


 檻の鍵はまだ開いていない。けれど、一緒に鍵を探してくれる「連れ」が、ここにはいた。


【シーン3:新しい『絆』の形】


 図書室での「密会」から数日後。文化祭に向けた熱気は、真夏の湿気と混ざり合い、教室を独特の緊迫感で満たしていた。


 この日の放課後は、三軍の美術班と衣装班が総力を挙げて作り上げた「プロトタイプ」の衣装合わせと、演出の確認が行われていた。


「ねえ、やっぱりこれ、小鳥ちゃんだけ衣装が豪華すぎるんじゃない? 舞台のコンセプトは『和モダン』だけど、これじゃ一人だけ浮いちゃうよ」


 不満の声を上げたのは、一軍女子の一人だった。


彼女たちは、いつも小鳥を囲んで楽しそうに振る舞っているが、いざ形になってくると、その「主役」だけが際立つことに、無意識の嫉妬が混ざり始めていたのだ。


「そうそう、もっとギャルっぽく崩した方が、今の流行りだし良くない? 小鳥ならそっちの方が似合うしょ!」


 村田悠亜むらた ゆあが良かれと思って付け加える。一軍の「掟」は、常に自分たちが納得できる「可愛い」を優先すること。これまでの小鳥なら、たとえ自分の意見が違っても、「そうだね、みんなが言うならそっちの方がいいかも!」と、完璧な笑顔で折れていたはずだった。


 けれど、今の小鳥は違った。


 彼女は鏡の中に映る、三軍の小森蒼こもり あおいが心血を注いで作ったドレスをじっと見つめた。それから、一呼吸置いてからゆっくりと振り返った。


「私、この衣装でいくね」


 はっきりとした、透き通るような声。一軍の女子たちが、一瞬呆気に取られたように沈黙した。


「えっ、でも小鳥...」


「ううん。この衣装は、山本くんたちが描いたあの背景に、一番似合うように作られてるの。みんなで決めた『体験型・物語カフェ』のコンセプトを、私は一番大事にしたいんだ」


 小鳥の瞳には、迷いがなかった。これまでのような、他人の顔色を伺う「装備品としての笑顔」ではない。自分の意志でそこに立つ、一人の演者としての輝きがあった。


「それに…」


 小鳥は、少し照れくさそうに、けれど誇らしげに付け加えた。


「この衣装のバランス、古賀さんのアドバイスも入ってるんだよ。彼女の計算だと、このシルエットが一番、客席からの視線をコントロールできるんだって」


「えっ?」


「古賀さんって、あの古賀美紀?」


 教室内を、驚きと困惑の波が駆け抜けた。


 一軍の女王である小鳥が、よりによってクラスで最も「圏外」にいるはずの美紀の名前を、親しげに、そして信頼を込めて口にしたのだ。


 教室の隅。在庫リストの確認をしていた古賀美紀こが みきは、突然自分の名前が呼ばれたことに、肩をビクッと跳ねさせた。


 彼女は、一軍女子たちの突き刺さるような視線を感じ、慌てて机に置いていた分厚い心理学の本を顔の前に掲げた。前髪と本で顔を半分以上隠し、まるで亀のように殻に閉じこもろうとする。


「…あ。データを送っただけ」


 消え入りそうな声で呟く美紀。けれど、本からわずかに覗く彼女の耳の端は、リンゴのように真っ赤に染まっていた。


 その光景を見て、最後列の席で作業をしていた鈴木悠太すずき ゆうた田中悟たなか さとるが、顔を見合わせた。


「やったな、古賀」


 悠太が、不器用に口角を上げてニヤリと笑う。


「すごいよ古賀さん! 小鳥さんとそんなに仲良くなってたなんて。なんか、僕まで鼻が高いよ」


 悟は自分のことのように嬉しそうに、けれど少しだけ涙ぐみながら微笑んだ。


 一軍の女子たちは、まだ納得がいかない様子で顔を見合わせていた。けれど、小鳥の凛とした立ち姿と、それを陰で支えていた美紀の存在感に、もはや茶々を入れる隙はどこにもなかった。


 小鳥は、本で顔を隠す美紀に向かって、こっそりとVサインを送った。美紀はそれを見て、本をさらに深く被り直した。


 決して交わるはずのなかった二人の存在。


 一軍という高い檻の中で凍えていた小鳥と、圏外という深い闇の中で本を読んでいた美紀。


 その間に、確かな、そして壊れようのない「橋」が架かった瞬間だった。


 それは、ただの仲良しごっこではない。


 お互いの孤独を認め合い、補い合う、本当の意味での「戦友」としての絆。

 

 夕暮れの教室。


 二年B組の新しい景色が、また一つ形作られていく。


 「カースト」という古い物語が終わりを告げ、彼女ら自身の新しい物語が、加速し始めていた。


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