1ヶ月後、2025年5月1日午前8時41分
2025年5月1日午前8時41分 埼玉県秩父市 ???
耳に刺さる機械音。彼はその音に幸せな眠りの世界から叩き出された。
音の発生源は、急ピッチで進む施設工事だ。やることは積み上がるが体制も設備もないこの状況をさっさと片付けるには必要な作業だ。が、不機嫌になるのは仕方ない。なぜなら、彼のこの1ヶ月の平均睡眠時間は3時間に満たない。
「…耳栓買うか…」
彼が起きたその部屋は、3人がけのソファーと大きいL字型のオフィスデスクに少し良いオフィスチェアー、そしてデスクトップとラップトップ合わせて6台のPC以外には物があまりない。
書類は増えるが棚が来ないので、”紙の塔”が床から生えている状態だ。
彼は再び眠りにつこうとする。二度寝とはどのような環境でも至高の時間だとの考えからだ。
例え寝床が19800円の安物ソファーだったとしても。
が、彼がそれを味わうことはできなかった。
「…久慈屋さん!起きてください!副大臣がいらっしゃいましたよ!」
セミショートで利発そうな女性が部屋に来て、彼…久慈屋を仕事に引きずり込んだ。
久慈屋は重々しく起き上がり、重い溜息を付きながら激しく目を擦って立ち上がる。
不服だが、仕事を始めなければいけない。
午前8時50分
二人は部屋を出て、歩きながら今日の業務打ち合わせを軽く行う。
その業務量は膨大だ。さらに頭の痛いことに、ここの組織改編が完了するとさらに増える。
そうなったら流石に人のやりくりをしなければ…
だが、”運営元”である欧州も再編の真っ最中で、その目処は立っていない。
本当に嫌になる。それもこれも…
「久慈屋さん、”悪い顔”になっていますよ。」
「え?そんなにひどい?」
「ええ、疲れ顔と相まって劣悪ですね。」
久慈屋は顔に手をやり、その劣悪な悪人顔を打ち消すように激しく揉みしだく。
程なくして多少気分転換できたところで、その指摘を行った彼女を見やり、一言冗談を言ってみた。
「…君も結構疲労が酷」
「なんですか?」
「…いえ。」
彼女は古湊美香。大学では経営学を専攻していたらしい。
以前から、久慈屋の秘書的な立場に就いていて、回り回って縁が続いているという感じだ。
そのうち目的の扉前までたどり着いた。第二大会議室。
久慈屋はカードキーをかざし入室する。
そこに居たのは、短髪で賢そうな桑年男性に、書類とメモ帳を準備している如何にもなエリート青年達。全員パリッとしたスーツに身を包んでいる。
「おはようございます、中田副大臣。」
「おはようございます久慈屋さん…かなり疲れた顔をしていますね?」
「ええ、おかげさまで…副大臣も同じでしょう?」
「それは仕方ないですね。では、早速始めましょうか…」
桑年男性…中田特命副大臣(防災担当)が、傍らにいるエリート青年の一人から書類を受け取る。
久慈屋たちも別の青年から同じものを受け取った。その書類は、”人員名簿”だ。
「対策本部の人員ですが、大方揃いました。文字通り、”全ての省庁”から優秀な人材を集めています。」
名簿に目を通す久慈屋。何人かの名前には覚えがある。
大学の同窓生、高校の同級生、”研究所”の関係で”激しい話し合い”をしたことのある技官…
その名簿に名前のある人間は、日本の中枢である霞が関の役人だ。
世間的にはいろいろ言われる彼らだが、やはり優秀で有能なことには変わりない。
”国家”というこの世に存在する最大の組織を運営しているのだから当然だ。
が、久慈屋はそんな彼らが”苦手”である。結果、こういう反応になる。
「正に”霞が関”ですね…何人か知ってる人間も居ます。」
「それなら仕事も円滑に進」
「その半分とは仲が悪いです。」
相変わらず一癖ある久慈屋の態度には、世間一般的に見て至極真っ当な人格を持つ中田副大臣は困惑するしかない。これに目を瞑れば、彼も”周り”も文句なく優秀なのだが…
しかし、自身も奇々怪々な永田町で生きる政治家である中田副大臣は、そろそろ久慈屋という人間の扱い方を理解し始めている。なので、ここはすばやく切り替えて仕事を進めた。
「…そうですか。まあ、仕事は別ですからね?」
「ま、そうですね…”政府”は何時から稼働を?」
「今日の午後です。今後、実務連絡は針崎君をメインにします。」
「針崎さんですか…えーと…」
久慈屋は渡された名簿を読み漁る。
だが、すぐに名前を見つけられない。完全にまだ寝ぼけている。
副大臣は名簿をガサガサと乱雑にめくる久慈屋を見兼ねて、情報を教えてあげた。
「国交省です。国交省総合政策局情報政策課長。」
「あー、はい、ありました…わかりました。」
なんとか取り繕いながら答える久慈屋。流石に格好悪かったかと思う。
少しバツの悪さを感じている久慈屋をよそに、副大臣は話を続けた。
「実際の顔合わせは、今日中に日程をお知らせします…では、次です。”他領訪問”の調整について…これは、野原君から説明します。」
中田副大臣の右隣にいた男性が立ち上がる。
そして胸ポケットから名刺を取り出し挨拶した。
この何の変哲もない社会人としては基本的な動作にも、久慈屋は”エリート臭”を感じ取る。
「はじめまして。外務省危機管理調整室長の野原と申します。」
「…よろしくおねがいします…すいません、組織立ち上げの真っ最中で、名刺などの小物は用意が全く間に合っていなくて…」
久慈屋はぎこちなく名刺を受け取る。さらに、体裁を整えるために慣れない断りを入れる。
その見た目はお世辞にも良いとは言えない。彼の感情と疲れの溜まった表情が相まって、
あまりにも無粋な雰囲気となっている。しかし、そんな雰囲気をもろともせず野原という男性は話を続けた。最強のホワイトカラーたる官僚は、その程度のことでは動じない。
「構いません。早速ですが、訪問について”王国側”からなにか要望はでていますか?」
「ん~…正直、彼らは”足元”を固める方に手を取られているようで…具体的な話はまだ…」
「なるほど…そういえば、支援に関してはどうでしょうか?なにか不都合が発生していなければいいのですが…」
「現在のところ概ね好評ですよ…一点気になる話はありますが…」
「なんですか?是非お聞かせください。」
「どうも、先方から見るとあまりに”利他的”な行動ゆえ、訝しむ派閥もいるようだと、リリー…王国の王立研究院院長からやんわりと…」
「そこは…”文化の違い”というものでしょうか?」
「だと思うのですが、少し”きな臭い”雰囲気もあると、院長の個人的所見を聞いております。独自に調べるとの話だったので、詳細は本日の調査にて聞き取りします。」
「…よろしくお願いします。」
ここで久慈屋は、野原の表情を見逃さなかった。
現在日本が王国に対して行っている支援は、ある意味日本国の”力”を王国に対して見せつける側面もある。
それが逆効果となっている可能性を示唆されれば、政府としてはいろいろと”問題”だ。
中田副大臣や、他の官僚も同じような表情と視線を送る。久慈屋はすぐに提案する。
こちらとしては、彼らにも動いてもらったほうが良い。
「…今日の調査で、次回の日程や訪問する人員も協議します。その際に、対策本部や関係省庁の人間を入れられるように調整しましょう。政治的な判断は、やはり我々だけでは手に余るので…」
「配慮感謝致します。至急人員を手配いたします。」
「わかりました…ああ、そうだ。人はどこの”役所”から来ますか?王国の人間はどうもこちらの体制を把握したいようでして…説明が必要なんですよ。」
久慈屋の質問には中田副大臣が答える。すぐに必要な情報を話せるというのは、それが全て頭に入っているということだ。それは彼が有能な証左となる。
「支援に関しては主には総務省、国交省、厚労省ですね。あとは外交関係の協議も必要な可能性が高いので、外務省からも出します。あとは状況に応じて…ですかね。」
「わかりました…さて、他にはありますか?」
「あとは関連法案です。”第一次久慈屋報告書”を元にしていますが、幾つか質問事項が…」
午前9時58分
「…もう疲れた…」
「…これから午前1時まで予定は埋まってますよ?」
「…辞めたい…」
中田副大臣たちとの会議が終わり、移動している久慈屋と古湊。
しかし、久慈屋の顔はさらに疲労の色が濃くなっていた。この事態に対処する関連法案の原案作りが各省庁で行われているが、あまりに常軌を逸した現象と現実、そしてそれに対処する分野の幅広さから、ほぼすべての省庁が関わることとなっている。結果、古来からの権力構造や縄張り争い、さらには来年度予算を睨んだ牽制も相まって不穏な空気が流れている…というのが中田副大臣の説明だった。主に研究と調査、その報告が職務である久慈屋にとっては他人事感があったのだが、質問事項を見るとその空気を嫌でも感じ取ってしまった。
さらに、その法案が自分がまとめた報告書が”始まり”となっているのだから、関わらないわけには行けなかった。報告書に自分の名を冠するように仕向けたあの”女傑”に少し怒りが湧く久慈屋である。
「まだ辞めるわけには行きませんよ?私も久慈屋さんも”参考人”ですからね?」
「…"労役"を科せられてる気分だよ…普通に裁いてほしいね…」
「ま、今はそれをどうこう言ったってしょうがないです。」
「それもそうか…」
自分を取り巻く”事情”に表情が暗くなる久慈屋。しかし、古湊の言う通り、今は選択肢はない。
無理やりな気晴らしのために他愛もない世間話をしながら、程なくしてこの”研究所”の中枢である、中央管理室に入る二人。すると、そんな二人に飛びかからんとする勢いで近づいてくる人が居た。
「遅いよクジャ!!全然準備終ってないのにー!」
「うるさいよ…副大臣との予定があるって昨日言ったろ。」
「…そうだっけ?」
「まーた話を聞いてないのかこの”スコッチガール”は…」
「あー!スコットランド馬鹿にしたぁ!」
「うるせぇ!ロンドン育ちの癖に妙な郷土愛持ちやがって!」
このうるさいセミロングヘアーのアングロサクソン女性はジル・ウィンストン。専門は量子力学を中心に物理学全般と電子工学…にエネルギー工学、数学、計算機科学…あと幾つか…つまり”天才”、それも正真正銘だ。
ただ、人間の住む世界では理解に苦しむ行動を取ることも多々ある。
スコットランド王家に近い格式高いウィンストン家の次女に生まれ、”第一印象”は快活で人懐っこい。さらに整った容姿であるため”様々な縁”を繋ごうと彼女に近づく人は多い。が、大体の人は人間離れした頭脳とそれが生み出す奇怪な行動について行けずに脱落する。
概ね半年以内に。
一方、久慈屋は脱落しなかった…というより”腐れ縁”が出来上がってしまった珍しい一例だ。
だが、彼女のその才能は真っ当に評価している。
だから、すぐにこの研究所に共同所長として引きずり込んだ。他に取られる前に。
先程のやり取りは、久慈屋とジルが出会ってから10年以上変わらないものだ。
しばらく久慈屋と軽い口論をしたあとに、ジルは突拍子もなく話題を戻した。
この展開に着いてこられるかが、彼女との関係を気づけるかどうかの第一関門だ。
「あ、今回は通信設備を設置するんでしょ?使い方はどうするの?」
「…とりあえず、口頭で説明して文章起こしは向こうでやってもらうしかないだろう。」
「あー、だよねぇ…しかし、なんで会話は問題ないのに文章はダメなのかなぁ…」
「それを調べるのが俺らの仕事…だが、本当に謎が多すぎるな…」
「そうよ!あ、昨日の夜ちょっと計算したんだけどさ、やっぱりどうやっても”爆発事故”だけじゃ"次元壁"の破壊を促す程のエネルギー作れないのよねぇ…これ見てくれる?」
「ん?ああ…これはあれか?財団物理学局の資料か?」
「そうそう。でさ、この推定値を出すには、格納容器の容量の2.44倍は必要でさ…」
久慈屋とジルはこうして仕事の話を進める。
その話題はあちらこちらに飛ぶが、完全には逸脱しない。
なぜなら、今目の前には彼ら科学者の”知的好奇心を滾らせる対象”が存在しているからだ。
二人の周りでは、多数の科学者がそれぞれの仕事をこなす。一人はデータを精査し、一人は資料を読み漁り、一人は黒板に仮説を証明する図式を書きなぐる。
そんな彼らがいる中央管理室には、一枚の巨大モニターがある。
モニターの四隅には現在の気温や湿度と言った天候や、生体反応の有無、日時報告などの文字情報が流れていく。
そして、モニターの中央には石城、あばら家、田園…日本ではまず見ないであろう光景が広がっていた。
それは、2025年3月30日に発生した日本高度素粒子研究所(JHEL)の爆発事故で引き起こされたとされる、”超次元的現象”により出現した。
今、奥秩父山塊には広大な草地が広がり、その中ほどには石城がそびえる。
あの日以来、このようなものが世界中に一斉に出現した。
これらは我々とは別の世界から”転移”してきたと考えられる。
”特異物群”と称されるこれらには、もちろん”住人”もついてきた。
住人は人間(と思われるもの)、長い耳を持った”エルフ”、小柄な”ドワーフ”、そして、頭部が狼の”狼人”と様々な種族がいた。そして、彼らが全員、”魔法”を使うことで、世界は再び驚きに包まれた。
”特異物群”に対する世間一般での呼び名が広まる頃、日本政府は”特異物群総合対策本部”を立ち上げる。同時に政府は調査研究を、爆発事故の原因究明を行うという目的と合わせてJHELに完全委託した。
JHELの所長は久慈屋だ。
3月31日付けで辞職する予定ではあったが、事故の発生で責任逃れや混乱により後任も理事会もほとんどが逃げ出した結果、全てが流れた。
その後、紆余曲折ありながら久慈屋は辞職を”取り下げられ”、所長留任となる。
”彼ら”は誰もが想定しない事態、”異世界の出現”に最前線で対応する。
19/6/28:少々の加筆、添削など




