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旧作3-1  作者: 智枝 理子
Ⅴ.約束
106/149

115 優雅で感傷

 人が走ってくる音。

 多くの人が行き交う広い通りで、それが、まさか自分の背中にぶつかってくるとは思わなかった。

「いってぇ」

 誤ってぶつかった、っていうレベルじゃないぞ。

「助けて」

 女の声に振り返る。

 振り返って最初に見えたのは、ツインテールに結んだ黒髪の頭。

 その頭が動いて。

 輝く黒い瞳と目が合う。

 視線をその後ろに向けると、男が三人走って来るのが見えた。

 追われてるらしい。

「……ったく」

 紫色の玉を取り出して、地面に叩きつける。

「来い」

 そして、相手の手を掴んで走る。

 割れた玉から噴き出した紫煙が辺りに漂った。

 少量の混乱薬が混ざっているけど、ほとんど無害なものだ。煙が収まるまでには落ち着くだろう。

「ありがとう」


 なんで……。


「あなたじゃないと、だめなんだ」


 どうして……。

 

 ※

 

「おはよう。エル」

「おはよう」

 柔らかく微笑んだかと思うと、今度は不思議そうに首を傾げる。

「いつ帰って来たの?」

 いつって。

「昨日の夜だよ」

『リリーが寝てる間に決まってるだろ』

 気づいたリリーの頬が膨らむ。

 いつも通り。

「起こしてくれても良かったのに」

「おかえりって、ちゃんと言ってくれただろ」

 また、リリーが首を傾げる。

『言ってたよ』

 寝惚けてたから覚えてないだろうけど。

「ごめんなさい。無理させて」

 なんで、謝るんだ。

「無理なんてしてないよ。早くリリーに会いたかったんだ。着替えて朝食にしよう」

 ベッドから出る。

 部屋の空気が冷たい。今日は、暖かい服装にしないと。

 クローゼットを開く。

 ……中に入ってる服が冬物に入れ替わってるな。ライーザが用意したんだろう。

「今日の予定は?」

 リリーの服も色々あるな。ロザリーが作った物もありそうだ。

「カーバンクルの腕輪が出来たから、王妃様のところに取りに行く予定だよ」

 フォルテのカーバンクル、腕輪に加工したのか。

「なら、この辺にしておくか」

 王妃に会いに行くならシンプルな奴の方が良いだろう。

 これなら、丈も長くて暖かそうだ。

「私、近衛騎士だよ?」

 ワンピースを出すと、リリーが不満そうな声を出す。

「近衛騎士の仕事を頼まれてるのか?」

 リリーが唸る。

 特にないらしい。

「だったら非番だ。これで良い」

 このワンピースに合うリボンは……。

 ベロア生地の良いのがあるな。リリーの為のセットだろう。頭に結ぶものが二本と、腰に巻く大ぶりなものが一本。

「主命があるよ」

「主命?」

「エルと一緒に砂漠の封印の棺を封印し直して欲しいって」

 それ、主命か?

 まぁ、俺の護衛を主命にされるよりましだろう。

 クローゼットから自分の服を出して着替える。

 アレクは、すべての封印の棺を書き換えるつもりなのか?

 その方が安全かもしれないけど……。

「棺の正確な場所は?協力を頼める精霊は居るのか?」

「場所は聞いてないけど、風の大精霊は王都に居るかもしれないんだ」

 砂漠にある魔法陣の封印を解けるのは、風の大精霊。

「誰か、見かけたことはあるか?」

『ないわ』

『ないな』

『ジオは?』

『ないよー。でも、オイラたちは賑やかなところが好きだからねー。王都は結構、風の大精霊が好きな場所だと思うよー』

 王都に立ち寄る可能性は高いらしい。

 風の精霊は常に移動する精霊だ。居場所の情報を仕入れてから会いに行ったんじゃ間に合わない。こちらから探しに行くよりも、立ち寄る可能性の高い王都で待ってた方が無難だろう。

 大精霊は、いくらでも人間に化けられる。

 でも、女王の娘を騙すことは出来ない。

「頼りに出来るのはリリーだけだな」

「えっ?」

 おぉ。そのワンピースも似合う。

「うん。頑張るね」

 リリーが微笑む。

 いつもの柔らかい笑顔。

 ……いつも通り。

「こっちに来て」

「うん」

 リリーの腰にリボンを巻いて、長い黒髪をツインテールに整える。

 完成。

 リリーを後ろから抱きしめて、その頭に顔を乗せる。

「エル?」

 今朝の夢。

 出会った時の事。

 あの時、どうして……。

「リリー。愛してる」

 腕の中で振り返ったリリーが、俺に抱き着く。

「私も、エルが大好き」

 聞けない。

 

 ※

 

 食堂は、城で働く人間なら誰でも利用することが出来る。

 一般の兵士やメイドはもちろん、貴族や騎士、オルロワール伯爵とノイシュヴァイン伯爵まで見かける場所だ。流石に王族が利用するって話しは聞かないけど。リックは使ってそうだな。

 メニューは朝食、昼食、夕食、夜食の四つの時間帯で変わる。と言っても、特に切り替えの時間はなく、食べ物が足される過程でメニューが順次変わっていくという感じだ。

 いつでも食べるものがあるから、食事を手早く済ませたい時には丁度良い。

 でも、ラングリオンの朝食と言えば温かいスープが定番だ。スープだけは並んで給仕から貰うことになる。

 リリーと一緒にスープを貰ってから、二人掛けの席に着く。

「すごい人だね」

「毎日こんな感じだ。城で働くなら慣れておいた方が良いぜ」

 これでも混んでいない方だろう。衛兵の交代時間が一番混むけど、その時間はもう過ぎている。

 後は……。

 隣のテーブルを片付けているメイドを手招きで呼び寄せる。

「コーヒーを二つ」

「かしこまりました」

 頭を下げて去るメイドを、リリーが目で追う。

「今の人は?」

「給仕係だよ。飲み物は注文しておけば持って来てくれる」

 混雑時は忘れられることも多いけれど。

「誰が給仕係なの?」

「首から注文用の札をぶら下げてて、室内用の帽子をつけているのがそうだ。ここで食事をするなら帽子を外すのがマナーなんだよ」

 フリルのついたモブキャップは、城で清掃や給仕を行うメイドがつける帽子だ。アニエスたちのような世話係はホワイトブリムをつける。

 帽子を外すのは、仕事中の人間と休憩中の人間を区別することはもちろん、防犯上の理由からも、顔を隠して食事をすることは禁じられている。

『エル、リリー』

 ナインシェの声。

 顔を上げると、マリーがこっちに来るのが見える。

「おはよう。エル、リリー」

「おはよう、マリー」

「おはよう。昨日は帰らなかったのか?」

「リック王子の伯爵叙任式が今日行われるんだもの。その準備で大忙しよ」

「え?今日なの?」

「随分急だな」

「始めから、帰還次第すぐにと言われていたみたいなの」

 そういえば、仕事が片付いたらすぐに行かなきゃいけないって言ってたっけ。

 でも。

「あの派手な頭はどうするんだよ」

「鬘を被るような人じゃないもの。そのまま出席するんじゃないかしら」

 今からじゃ、金髪に戻す時間もないか。

「明日には領地へ出立の予定よ」

「え?明日?」

『エル』

 耳元でナインシェの声が聞こえる。

 内緒の話?

『お願い。今日一日、リリーをマリーに貸してあげて』

 リリーを?

 風の大精霊探しは急ぐことじゃないから良いけど。

 そうだな……。

「リリー、一人で王妃の居室まで行けるか?」

「えっ?」

「え?」

 リリーとマリーがこちらを見る。

『無理じゃない?』

 だろうな。

「マリー。リリーを王妃のところに案内してやってくれ。カーバンクルの腕輪を取りに来いって言われてるんだ」

「そうなの?今日は王妃様もお忙しいのよ。朝食が終わったらすぐに行った方が良いわ」

「じゃあ、リリーを頼むぜ。俺はこれから別の用がある」

「もう。勝手なんだから」

『エル、ありがとう』

 さてと。

 今日の予定は……。

 まず、イレーヌを迎えに行かないとな。

 残りのスープを飲み干して立ち上がる。

「リリー、後で迎えに行くからマリーと一緒に居て」

「後でって?」

「今日の夜」

 夜までには終わるだろう。

「わかった」

『なら、ボクはリリーと居るよ』

『イリスちゃん、後でねぇ』

 メイドがコーヒーを持って来るのが見える。

 食後のコーヒーはマリーに任せよう。


 ※


 真っ直ぐ魔法部隊の宿舎へ。

 ロビーにレティシアが居る。

「おはよう、レティシア」

「エルロック」

「魔法陣、借りるぜ」

「お前が外出時には、近衛騎士が付き添うと聞いているが」

 その約束、まだ続いてるのか。

「イレーヌを迎えに行ってくるだけだよ」

「イレーヌ様なら王都に帰還済みだ。今朝、ローグバル様が御迎えに行った」

 早いな。

「なら、用はない。邪魔したな」

「待て」

 昨日の続きか?

「説教なら聞かないぞ」

「今日はフェリックス王子殿下の伯爵叙任式がある。早く支度をしてアレクシス様の元へ行くんだ」

「ん」

 適当に返事をして、魔法部隊の宿舎を出る。

 今、アレクのところに行ったら、叙任式に付き合わされるらしい。

 報告もあるし、聞きたいこともあるけれど。行くなら叙任式の後だろう。

 どうするかな。

 マリーが研究中の内容を教えてもらいたかったけど、今日は無理そうだ。

 風の大精霊探しだって、俺一人でやれることには限界がある。

 何か時間を潰す方法を考えないと。

 ……そういえば、最近、行ってなかったな。


 ※


 雨だ。

 降りはじめた雨が鼻先に当たって、徐々に通りを濡らしていく。

 最近では雨が珍しくないのか、慌てた様子もなく周囲で傘が開く。

『濡れちゃうよー』

 さらさらとした雨。

 すぐに止みそうだし、レインコートは必要ないだろう。

 フード付きのマントを取り出して羽織り、フードを被る。

『どこに行くの?』

『花屋だ』

 正解。


 ウエストにあるフローラの花屋。

「いらっしゃい」

「あら。エルじゃない」

「キアラ?」

 珍しい。

 カウンターで、キアラとフローラがお茶を飲んでいる。

「なぁに?私が花屋に来てはいけないと言うの?」

「別に」

 日中は、あまり見かけないから。

「ちょっと付き合わない?」

「これから墓参りだよ」

「必要ないわよ。あなたが行かなくてもリリーシアが行くもの」

「リリーが?」

「やっぱり知らなかったのね」

「知らないの?あの子、良く来るのよ。誰かさんと違って、百合以外の花も選んでくれるわ」

 知らない。

 リリーが、なんで?

 墓に刻んだ文字を消したって話しは聞いたけど……。

 っていうか。

 毎回、迷わずに行ってるのか?

「ほら。行くわよ」

 袖を引かれて、顔を上げる。

「付き合うなんて言ってない」

 無視して、キアラがそのまま店を出る。

「エルのせいで友達が帰っちゃったじゃない」

「なんで俺のせいなんだよ」

「あら。傘を忘れてるわ」

 カウンターに傘がかかっている。

 わざとだな。

 ……仕方ない。

「俺が届けるよ」

「墓参りは良いの?」

「また今度」

 傘を取ろうとすると、フローラが邪魔をする。

「恋人が居ると言うのに、花の一本も買わずに行く気じゃないでしょうね」

 リリーに贈る花?

 結局、好きな花はわからないままだな。

「薔薇を包んで」

「薔薇?嫌いじゃなかったの?」

 この前、泣かれたから。

「もう一回、ちゃんと贈りたい」

「良い心構えね」

 フローラが微笑んで、華やかに咲いた深紅の薔薇を一本包む。


 赤い薔薇とキアラの傘を受け取って、店から出る。

「ふふふ。早かったわね」

 軒先で雨宿りしていたらしい。

 傘を渡すと、キアラが傘をさして歩き出す。

『ついて行くのぉ?』

 どうせ暇だ。

 マントの内ポケットに赤い薔薇をしまう。

 渡すまで潰さずに持ち歩けたら良いけど。

 ウエストの枝道を通って、そのまま小さなカフェに入る。

「いらっしゃいませ」

 嗅ぎなれない臭いが立ち込める。

 喫煙者向けのカフェだ。

 紫煙が漂う空間で、コーヒーを片手に愛煙家たちが席を跨いで雑談しているのが見える。

「二階に行くわ。コーヒーを二つお願いね」

「かしこまりました」

 キアラについて階段を上ると、さっきまでの臭いが薄れる。

 意外だな。

 二階は開放的な屋根つきのテラスになっている。

 景観が悪い上に天気も良くないせいで誰も居ないけど。

「シガレットは苦手でしょう」

「好きじゃない」

 二人掛けの席に着くと、キアラがくすくす笑う。

「嫌いなだけだったわね」

「だったら、どうしてこの店にしたんだよ」

「ここのコーヒーが好きなの。後、甘いケーキを置かないところも良いわね」

 喫煙者用のカフェは未成年者の入店を禁じている。

 女性の利用も少なそうだし、そういった物はなさそうだ。

 リリーと来ることもないだろう。

「暇つぶしには良い場所よ。話し相手になってくれる人がたくさん居るの」

「面白い話しでもあるのか?」

「商人さんが、小麦の価格がつり上がるから、買い込むなら今だって言っていたわ」

 アレクが懸念してたことか。

 商人の出入りが多い店らしい。

「今年の出来は良いんだから、そう簡単に吊り上らないぞ」

「そう言っていた人も居たわね。私にとってはどうでも良いことだけど」

 本当に暇つぶしに来てるんだな。

 階段を上る足音が聞こえて、ウエイターが現れる。

 そして、テーブルにコーヒーを二つと砂糖壺を並べた。

「どうぞ」

「ありがとう」

 一礼をして去るウエイターを見送ってから、コーヒーを飲む。

 苦めのブレンドだ。嫌いじゃない。

 キアラは、コーヒーに角砂糖を三つ落としてスプーンで混ぜる。

「エル。そろそろ、フラーダリーのことは忘れてあげた方が良いわ」

 え?

「そうじゃないと、リリーシアを失うことになるわよ」

 意味が解らない。

「なんで」

「あの子、綺麗過ぎるわ」

「綺麗過ぎる?」

「私がフラーダリーのことを悪く言うと、彼女は怒るの。エルの大切な人を悪く言わないでって」

 スプーンを皿に置いて、キアラが顔を上げる。

「おかしいでしょう。会ったことすらない昔の恋人をかばうなんて。私なら絶対にしないわ」

「リリーは優しいんだよ」

 キアラがコーヒーを一口飲む。

「優しいって良いことかしら。今、目の前にフラーダリーが現れたら、リリーシアはあなたの元を去るでしょうね」

「死んだ人間が生き返るなんて有り得ない」

「相変わらず想像力が足りないのね。なら、エルの理想であるフラーダリーに似た女性が現れる、でも良いわ」

「なんで、俺の理想がフラーダリーなんだ」

「リリーシアはそう思ってるわ」

「違う」

「どこが違うと言うの」

「誰かを理想だなんて思ったことはない」

「馬鹿ね。いつまでも死んだ恋人の墓に女々しく通っているような人間の言葉を誰が信じると言うの」

「な……」

「彼女は、いつでもあなたの元を去る覚悟があるのよ」

 去る……?

 いつ、失うかわからない。

 いつ、本当のことに気付くかわからない。

 だって。リリーが俺のことを好きなのは、もしかしたら……。

「どうすれば良いか、わからない」

『え?』

『らしくないなー』

『そぉねぇ……』

「最初に言ったでしょう」

 フラーダリーを、忘れる?

「それが、リリーが望んでいることなのか?」

「リリーシアに聞けば、彼女は忘れる必要はないって言うでしょうね」

「なんで?」

「わからない?彼女が優しいって言ったのは自分でしょう。自分の本当の気持ちを殺してでも、あなたが大切にしている気持ちを守ってあげたいのよ」

「違う。俺が一番大切にしたいのはリリーだ」

「その言葉は、彼女が信じなければ無意味よ」

 大切にしたいと思ってる。

 それなのに。

 思い出せるのは、泣いている顔ばかり。

「信じて欲しいのなら、行動で示すことね」

 忘れれば、喜ばせることが出来る?

―さぁ、全部忘れて。


 ※


 どうして好きになったかわからない。

 気がついたら好きだった。

 好きなところはたくさんある。

 でも、どれもが決め手だとは言えない。

 好きなところをすべて繋げた人間が居たとしても惹かれると思えない。

 逆に、好きな部分が欠けたとしても問題はない。


 ただ、他の人じゃ駄目だって。


 ※


「あれ?エルロックさんじゃないっすか」

「パーシバル?」

 パーシバルが、傘をさして紙袋を持ってる。

「何やってるんっすか?」

「何って……」

 イーストの裏道。

 サウスストリートの途中までキアラを送って、引き返して来たところだ。

 パーシバルが笑う。

「迷子っすか?」

「迷子なわけないだろ」

 この辺りは土地勘がある。

 昔、住んでいた場所だから。

「最近は雨も冷たいっすから、そんな軽装で歩いてないで傘を持った方が良いですよ」

「面倒なものは持たないんだよ。パーシバルこそ、何やってるんだ?」

「昼飯の買いだしっす」

 言いながら、持っていた紙袋を軽く掲げる。

「もう昼?」

「さっき、鐘が鳴ってたじゃないっすか」

 正午を告げる鐘?

 聞こえなかったな。

 あ。

「ローグから渡してくれって頼まれてたんだ」

 預かっていたマスタードの瓶を出して、パーシバルに渡す。

「おー。ありがとうございます。どこで買ったんですか?」

「クエスタニアだよ」

「やっぱり、向こうじゃないと売ってないっすかー。兄貴にも礼を言っておいてください」

「自分で言えば良いじゃないか」

「なかなか会えないっすから」

 まぁ、アレクの側に居たんじゃ、休みなんてそんなにないだろう。

「エルロックさんは、巨大風船の打ち上げ実験の話、知ってますか?」

「巨大風船?なんだそれ?」

「錬金術研究所の実験らしいっすよ。広い場所が必要だって言うんで、うちの演習場を貸す約束をしたんですけど。その先の話が何にも来なくって」

 ばたばたしてたから、忘れられてるんだろう。

「良いよ。暇だし、聞いておく」

「よろしくお願いします。あ、ついでに、これもどうぞ」

 パーシバルが紙袋から包みを出すと、香ばしい匂いが漂う。

「何だこれ?」

 受け取った包みは、まだ熱い。

「カレーパンっす。新しく出来たんですよ」

「新しいパン屋?」

「いいえ。この一品しか置いてない店っすよ」

「変わった店だな」

 包みを開くと、揚げたパンが入ってる。

「最近は、新しい店がたくさん出来てますから」

 刀の国の人間が王都に店を構えるぐらいだ。人の出入りが活発になっている証拠だろう。

「それじゃあ、これで」

 パーシバルを見送って、歩きながらパンをかじる。

 中にペースト状にしたカレーが入ってる。

 ひよこ豆や野菜がたくさん入った具だくさんのカレーは、味も香りもすごく良い。

 スパイスも、かなり良いものを使ってるな。

 それを少し甘みのあるパンで包んで揚げている。

 リリーも好きかな。

 店の場所を聞いておくんだった。


 ※


 錬金術研究所。

 受付けには誰も居ない。

 ランチの時間だから当たり前か。

 カミーユの研究室に行けば誰か居るかもしれない。

「エル」

 声をかけられて、振り返る。

「セリーヌ。丁度良かった」

「ちょっと来なさい」

 なんで、いつもこんなに不機嫌なんだ。

 足早に移動するセリーヌの後について行く。

「三番隊が、巨大風船の実験はいつやるんだって言ってたぞ」

「あぁ、あれ?天気が悪いから無理よ」

「連絡ぐらいしてやれ」

「後で担当者に言っておくわ」

 また忘れられそうだな。

「巨大風船って?」

「物見塔よりも高い場所から周囲を見渡せるものよ」

「空を飛ぶ装置?」

「似たようなものね。入って」

 セリーヌに促されて応接室に入る。

 と同時に、書類を押し付けられる。

「これ」

「何だよ」

 何かの検査結果?

 この検査項目って……。

「リリーの?なんで検査なんかしたんだ」

「本人の希望よ。エルには言わないでってお願いされたわ。だから、私が教えたってリリーに言わないでよ」

「なら、なんで俺に教えたんだよ」

「エルは知っておいた方が良いと思ったからよ。心当たりないの?」

 心当たりなんて……。

 セリーヌがため息を吐く。

「どうせ、ないわよね」

 俺が原因?

「検査を受けたのは、俺のせいなのか?」

「それ以外に何があるって言うの」

 検査を受けた日はヴィエルジュの二十八日。

 この日に何かあった?

 この日……。

 そうだ。この日は、リリーと一緒にトゥンク村の調査から帰った日。

 俺が、フラーダリーの墓参りに行った日だ。

 ……リリー。

「セリーヌは、なんでリリーが検査を受けたんだと思う?」

「え?」

 セリーヌが驚いた顔をする。

「意外ね」

「意外?」

「まぁ、良いわ。好きな人の望みを叶えてあげたいって思うのが女心よ」

 リリーの気持ち?

「俺はリリーと一緒に居られればそれで良いのに」

「エルが納得していても、リリーが納得していないなら意味がないのよ。エルの望みを叶えられる女性がたくさん居るのに、自分じゃ叶えられなかったらどうしようって」

 なんで?

 俺はそんなこと望んでない。

 一緒に居てくれるだけで良いのに。

「結果は見ての通り。何の問題もないわ」

 じゃあ。

 この結果に問題があったら、リリーは……?

―いつ捨てられても知らないわよ。

 知らないことばかり。

 悩んでいることを何一つ話してもらえない。

 どうすれば……。

―さぁ、全部忘れて。

『エル……?』

 忘れて。

『エル、』

―大丈夫。

『エル!』

 全部。

『エルー』

 捨てて。

『エル』

 ……フラーダリー。

『エルっ』

 これが、答え?

「エル。顔色が悪いわ。ずっと忙しかったんでしょう?少し休んで行く?」

『大丈夫か?』

「平気」

『苦しい……』

「あまり考え込まないでね。リリーがエルのことを大好きなのは間違いないんだから」

 好きでいてくれる。

 でも、信じているわけじゃない。

 リリーが考えていることを知りたい。

 その為に必要なこと。

 


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