透明な系譜、あるいは久留米の雫
十月の半ば。西新のマンションの玄関に、少し小ぶりな、けれどずっしりと重い段ボール箱が届いた。
送り主は、久留米のよし子。
愛が震える手でカッターを入れ、中を開けると、そこには丁寧に新聞紙で包まれた最高級の椎茸や煮干し、そして一通の封筒が入っていた。
『愛へ。あんたがこの間、私たちの出汁は「時間」でできていると言ったこと、ずっと考えていました。これ、あんたのおばあちゃんが、私が嫁いできた時に渡してくれた吸い物のレシピです。ずっと仕舞い込んでいたけれど、今のあんたなら、この味を濁らせずに引ける気がします。』
便箋の中には、少し黄ばんだ紙に、墨で書かれたような細い文字が並んでいた。素材の分量よりも、水の温度や灰汁を取るタイミング、そして最後に一滴だけ落とす酒のタイミングについて、驚くほど細かく記されている。
「……おばあちゃんの味。私、これ、食べたことある」
愛は、キッチンに立ち、よし子が送ってくれた乾物を並べた。律子は、その横で黙って見守っている。
鍋の中で、ゆっくりと、けれど確実に、限りなく無色に近い黄金色の出汁が抽出されていく。
最後に落とされた一滴の酒。その瞬間、キッチンに広がったのは、久留米の古い家で嗅いだ、あの凛とした、背筋が伸びるような香りだった。
「……できた。りっちゃん、飲んでみて」
律子は、差し出された椀を両手で包み込んだ。口に含んだ瞬間、驚くほど淡い。けれど、後から後から、喉の奥から湧き上がるような、深い慈しみが全身を駆け抜けた。
「……美味しいわ、愛。……よし子さんの、そしておばあさまの誠実さが、この一杯に全部詰まっている」
食卓には、西新のぬか漬けと、久留米の吸い物が並んだ。筑後の父から受け継いだ土の力と、久留米の母から譲り受けた水の清らかさ。
「……お母さんに、電話してくるね」
愛が、明るい声でスマートフォンを手に取る。
律子は、空になった椀を見つめながら、自分の心の中にある孤独な壁が、また一つ、静かに崩れ去るのを感じていた。




