第十五章 兄妹の再会
捕らえた男たちのことは、荷運びの仲間に任せることになった。荷車も無事だったため、事情を話せば彼らは烈月たちを引き留めなかった。
烈月と花英は、紅雀を連れて精霊市へ急いだ。
夜の市は、昼間とは違う顔を見せていた。
客の姿はまばらになり、灯りの落ちた店も多い。それでも、並べられた檻が消えるわけではない。
中には鎖につながれたまま、身を寄せて眠る精霊もいた。
紅雀の足がわずかに鈍る。
「……こんなに」
小さく漏れた声に、先ほどまでの威勢はなかった。
「昨日はもっと人がいた」
烈月が言う。
「檻の中の精霊を見て、強そうだとか、いくらになるとか……そんな話ばっかりしてた」
紅雀は何も答えなかった。
ただ、檻を見る深紅の瞳が険しくなる。
「こちらです」
花英が先を示した。
三人はさらに奥へ進む。
やがて烈月は、見覚えのある檻を見つけた。
「あそこだ」
薄暗い檻の奥。
壁にもたれて座っていた藍色の髪の精霊が、足音に顔を上げた。
その瞬間、紅雀が駆け出す。
「兄さん!」
剛玉の目が大きく開いた。
「……紅雀」
紅雀の足が、檻の前で止まった。
格子越しに兄の姿を確かめる。
傷はない。弱っている様子もない。
それでも紅雀は、しばらく何も言わなかった。
「紅雀?」
「……無事だったのね」
「ああ。お前もな」
「当たり前でしょ」
紅雀はすぐにいつもの調子へ戻った。
「あんな連中に、あたしが捕まるわけないじゃない」
「そうか」
「何よ。その反応」
「いや。お前らしいと思っただけだ」
剛玉の口元が、わずかに緩んだ。
紅雀は何か言いたそうにしていたが、結局そっぽを向く。
その様子を見て、烈月もようやく肩の力を抜いた。
「ちゃんと会えてよかったな」
剛玉が烈月へ目を向ける。
「約束を果たしてくれたのだな」
「俺たちは大したことしてねぇよ」
「ちょっと!」
紅雀が振り返った。
「そこで否定するの?」
「だってお前、俺たちが助けなくても精霊狩りを一人で追い回してたじゃん」
「追い回してないわよ。居場所を聞いてただけ」
「殴って?」
「答えないからでしょ」
「やっぱり追い回してんじゃねぇか」
「うるさい!」
剛玉は二人のやり取りを見て、少し意外そうな顔をした。
「ずいぶん親しくなったようだな」
「なってない!」
紅雀が即座に否定すると、烈月は不思議そうに首をかしげた。
「なっただろ?」
「なってない!」
「なっだと思うけどなあ」
花英が小さく息をつく。
「烈月様。まずは剛玉殿をここからお出しする方が先かと」
「あ、そうだった」
烈月は檻へ向き直った。
「鍵はどこだ? あいつらから奪ってくれば――」
「必要ない」
「え?」
剛玉が立ち上がった。
足元につながれた鎖を手に取る。
ひとつ息を吐いた次の瞬間、鈍い音が響いた。
「……は?」
烈月の口が開いたままになる。
鎖が切れていた。
剛玉は続いて格子へ手をかけ、ぐっと腕に力を込めた。
硬い鉄が軋んだ。
一本、また一本と格子が歪み、やがて人ひとりが通れるほどの隙間ができる。
剛玉はそこから悠々と外へ出てきた。
「本当に自分で出られたのかよ!」
「言ったはずだ。ここを出るだけなら難しくないと」
「だったら、なんでずっと入ってたんだ?」
烈月が尋ねると、剛玉は紅雀へ目を向けた。
「こいつの居場所が分からなかったからだ」
「……あたし?」
「俺だけ逃げれば、奴らが紅雀を追う可能性がある。それに、ここにいれば連中の話から何か掴めるかもしれないと思った」
「そんなことしなくてもよかったのに」
紅雀が眉を寄せた。
「あたし一人でどうにかできたわ」
「ああ」
あっさり肯定され、今度は紅雀が面食らう。
「……何よ」
「お前なら、切り抜けられたかもしれない」
「だったら――」
「それでも、あの場ではお前を逃がす方がいいと判断した」
剛玉の声は静かだった。
「お前が無事だった。それでいい」
紅雀は口を開きかけた。
けれど、何も言わずに閉じる。
「……そういうところ、昔から気に入らないのよ」
顔を背けてしまった紅雀を見て、烈月は首を傾げた。
言葉とは裏腹に、本気で怒っているようには見えなかった。
その隣で、花英は別のことが気になったらしい。
「剛玉殿」
「何だ?」
「先ほどの力は……」
花英は曲がった格子を見る。
「紅雀殿には契約主がいらっしゃらないと伺いました。それでも、あれほどの力を使うことができる。ですが、剛玉殿も――」
「ああ。俺と紅雀は違う」
剛玉は答えた。
「俺には契約主がいる」
「えっ?」
烈月が剛玉を見る。
紅雀だけは驚かなかった。
それどころか、なぜか少し不満そうに唇を尖らせている。
「紅雀、知ってたのか?」
「当たり前でしょ。兄さんのことなんだから」
「じゃあ、なんでそんな顔してんだよ」
「どんな顔よ」
「嫌そうな顔」
「してない!」
「してるだろ」
「してないって言ってるでしょ!」
「紅雀」
剛玉に名を呼ばれ、紅雀は渋々口を閉じた。
烈月はまだ納得できず、剛玉へ尋ねる。
「でも、その契約主はどこにいるんだ? 一緒に旅してたんじゃないのか?」
「この都の宿にいる」
「じゃあ、無事なんだな」
「ああ。ただ、身体があまり丈夫ではない。今回のことを知っても、自ら探しに出ることは難しかった」
「ふん」
紅雀が小さく鼻を鳴らした。
「紅雀」
「何も言ってないでしょ」
「顔に出ている」
「兄さんまで何なのよ!」
烈月は思わず吹き出した。
「やっぱり嫌なんじゃん」
「違う!」
「何がそんなに気に入らねぇんだ?」
「別に! ただ、兄さんならもっと――」
そこまで言って、紅雀は口を閉ざした。
剛玉が静かに彼女を見る。
「紅雀」
「……わかってるわよ」
今度は先ほどより小さな声だった。
烈月には何の話なのか分からなかった。
けれど、花英は何かを察したのか、それ以上尋ねようとはしなかった。
「俺は、あの方のもとへ戻る」
剛玉が言った。
「今回のことで、ずいぶん心配をかけた。まずは無事な姿を見せなければならない」
「……そう」
紅雀はまた少しだけ唇を尖らせる。
それを見た烈月の頭に、ふと妙な考えが浮かんだ。
「お前、もしかして兄ちゃんを取られて――」
「違う!」
「まだ何も言ってねぇ!」
「言おうとしたでしょ!」
「なんで分かるんだよ!」
「顔を見れば分かるわよ!」
「二人とも」
花英の穏やかな声に、烈月と紅雀が揃って口を閉じた。
剛玉は小さく息を吐く。
それから、妹へ向き直った。
「紅雀」
「何?」
「お前はどうする?」
「あたし?」
「ああ。もう俺を探す必要はない」
紅雀が黙った。
兄を探すため、精霊狩りを追っていた。
ようやく居場所を突き止めたと思えば、その兄は一人でも全く困っていた様子はなかった。
無事で、いつものように自分をたしなめている。
もう追いかける理由はなくなった。
紅雀は剛玉を見た。次に烈月を見る。
そして、その隣に立つ花英へ視線を移した。
「……ねえ」
「ん?」
「あんたたち、これからどうするの?」
「俺たち?」
「まだ旅を続けるんでしょ?」
「ああ」
烈月は迷わず頷いた。
「まだ見たいものもいっぱいあるしな」
「行き先は決まってるの?」
「いや」
「何も?」
「うん」
「……よくそれで旅してるわね」
「なんとかなるって」
「烈月様は、いつもこの調子なのです」
花英が困ったように微笑む。
紅雀は二人を交互に見る。
「……じゃあ、決めた」
「何を?」
「あたしも行く」
烈月は一瞬、意味が分からなかった。
「どこに?」
「あんたたちと一緒に」
「俺たちと?」
「そう言ってるでしょ!」
「おお!」
烈月の顔がぱっと明るくなった。
「いいじゃん! 三人の方が楽しそうだ!」
「でしょう?」
紅雀も満足そうに頷く。
花英だけが、わずかに困ったような表情を浮かべた。
「紅雀殿。私どもの旅は、行き先すら定まっておりませんが」
「だからいいのよ」
「と、申しますと?」
「いろんな土地を見られるってことでしょ?」
紅雀はあっさり言った。
「兄さんを探してる間、ずっと精霊狩りのことばっかり追ってたし。せっかくだから、もっといろんな場所を見てみたいの」
そこで言葉を切り、少しだけ考える。
「それに……探したいものもできたし」
「探したいもの?」
烈月が尋ねる。
紅雀はちらりと剛玉を見た。
「それは、まだいいでしょ」
「なんだよ。気になるじゃん」
「うるさいわね。そのうち教えるわよ」
そう言って、紅雀は兄へ向き直った。
「兄さん。あたし、この二人と行くから」
「ああ」
剛玉は驚かなかった。
「お前が決めたのなら、それでいい」
「……止めないの?」
「止めてほしいのか?」
「まさか!」
紅雀は即座に言い返した。
剛玉の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
「なら、行ってこい」
「言われなくても」
紅雀の返事を聞いて、剛玉はもう何も言わなかった。
「それじゃ、宿に戻るか!」
烈月が声を上げる。
「剛玉の契約主にも、無事だって知らせないとな」
「ああ」
「……あたしは別に会わなくてもいいんだけど」
「紅雀」
「わかったわよ!」
紅雀が渋々歩き出す。
烈月はその後ろ姿を見て、花英に小声で尋ねた。
「なあ。あいつ、なんで剛玉の契約主があんなに気に入らないんだ?」
「さて」
花英は穏やかに微笑んだ。
「それは紅雀殿ご本人にお尋ねになった方がよろしいかと」
「聞いたら怒るだろ」
「おそらく」
「じゃあ聞けねぇじゃん」
「烈月様でしたら、いずれお尋ねになるのでは?」
「なんで分かるんだよ」
花英は答えなかった。
少し先では、紅雀が剛玉の隣を歩いている。
兄を探すための道は、ここで終わった。
けれど紅雀自身の旅は、これから始まる。
烈月たちは、剛玉の契約主が待つ宿へと向かった。




