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今、自分がどんな顔をしているのかわからない。
笑顔の仮面を被りすぎて、自分の本当の気持ちと表情が乖離して気持ち悪い。
こめかみのあたりがズキズキと痛み、足元がふらつく気がする。視界も揺らぎ、すぐこの場を離れなければ、倒れてしまいそうだ。
リースに腰のあたりを背中から支えられ、ようやく落ち着いて目の前の出来事を脳が受け入れた時には、私を案じるリースの表情が目に入った。
持っていたシャンパンのグラスは、既にリースから奪われて立食テーブルの上にに置かれていた。
私の異変に気づいて肩を並べるリースに目配せして見せると、目の前にいる二人へと正面から向き直る。
身体が辛いからと休憩室に移動する前に、すべきことがある。
アシュトンとマリーヌは私の体の異変になんて微塵も気づかず目もくれず、頬を赤らめて体を寄せ合い見つめ合っていた。
こっちはかろうじて2本の足で立っているだけという有り様なのに。
「最後に1つだけ、言いたいことがあるの。それに答えてくれたら、解放してあげる。」
なんとか最後の力を奮い立たせて、リースに支えてもらいながらも、きつく鋭い目つきでアシュトンを見遣る。今までは大好きなアシュトンと一緒に過ごせれば幸せだったから、そんな顔をする必要がなかった。いつも作られた仮面のような笑顔じゃなくて、自然な笑顔でいられた。
こんな風に苦々しく狂おしい想いを心の奥底に抱えながら、愛しいアシュトンを睨みつけるなんて、一か月前ならありえなかった。
私の刺すような視線にアシュトンはたじろぐ。それに構わず、私は続けた。
「私に言うべきことがあるんじゃないかしら?いえ、私にというより、ウォード侯爵家に対して。」
アシュトンは、父が参加できない代わりに夜会に参加したと言った。ならば彼を、ビアス侯爵家の名代として扱う。
ビアス侯爵家からもらったのはたった1枚の謝罪の書状だけ。
そんな程度で、私も家族も許したりはしない。
私の剣幕にアシュトンはハクハクと浅く息を吐いて、どうにかしてくれと言いたげに懇願するような目を向けて来た。一か月前の私なら、愛しい相手からのそんな視線を受けたら、喧嘩をしていたとしても許していた。けれど今日は逃がさない。
私の様相が変わらないことに気づいたのか、アシュトンは息を呑むと、小さな声を漏らした。周囲の人には聞こえないが、我々にだけは聞こえる程度の声で。
「すまなかった。君は良い婚約相手だった。でも俺は愛しいマリーヌと婚約させてもらう。ウォード侯爵家に対しても……申し訳ないと思っている。」
言葉の棘が深く心臓に刺さる。
「……その謝罪、父にも伝えておくわ。貴方も、良い婚約者だった。」
精一杯の強がりだった。
アシュトンはそれだけ言ってリースと私に軽く会釈すると、マリーヌと連れ立って、数多いる夜会の他の参加者の中に紛れて消えていった。
まるで逃げるようなそれに、嘆息する。
公衆の面前で謝罪されたら、少なからず満たされたり、溜飲が下がるかと思っていた。
でも実際は胸がすく思いをするどころか、むしろ惨めだった。
私は彼にとって良い婚約者というだけで、愛しい人にはなれなかったという事実を突きつけられただけだった。
「ノヴァ、貴方は休憩室に行くべきよ。ほら。」
リースに促され、王宮侍女に案内され休憩室に移動しリースと2人きりになると、ようやくひと心地つくことができた。
周囲に余計な視線を向ける人がいないというだけでも、心が休まる。
休憩室の豪奢なソファに体を預けると、リースは休憩室に置かれていたピッチャーの水をコップに注ぎ、私へと押し付けた。
水はお酒に酔いすぎた人の為か、少し柑橘の酸味がついていてサッパリとしていて、飲むと胃の辺りがすっとした気がする。
「あまり、寝れていないのでしょう?上手に化粧で隠しているけど肌艶も悪いし、それに痩せたわ。食欲もないのね。」
リースに指摘されたことが図星すぎて、つい笑ってしまった。
「リースにはバレちゃうのね。」
「そりゃあ、長い付き合いだもの。」
「婚約する前からの長い付き合いのアシュトンは、まったく気づかなかったのにね。」
自嘲気味に笑うと、リースが私の右隣りに並んで座った。ギシリとソファが沈むのと同時に背中に手を回され、肩を寄せられた。そのままリースの左肩に頭を乗せる。ふわりとリースから香る薔薇の香水の香りが、私を落ち着かせる。
「愛しいマリーヌ……だって。」
ボソリと息を吐きながらつぶやく。
婚約解消を言い渡されてから、夜はろくに寝れないし、食欲もなくて。今着ているドレスも、身体に合わせて2度もサイズ直しをした。
「婚約して6年目だけど、5歳からの付き合いだから、今年で総合したら11年目よ。なのに突然現れた女にとられるなんて……そんな惨めなことってあるかしら。」
宥めるように、回された手で左肩を撫でられる。
長い付き合いのアシュトンは、ちょっと体調が悪くても無理している私には、すぐ気づいてくれる人だった。
家に遊びに来ている時に、熱が出ていたら家族よりも先に気づいてくれた。
学校では少し身体がふらついただけで、体調が悪いんじゃないかと心配してくれた。
そんな人が、私の体調不良にまったく気づかなかった。今はあの子しか見えていない。
私のことなんて今はどうでも良い、証拠だった。
「泣いてもいいのよ。」
リースの言葉に、ぷるぷると頭を振る。
「貴方は人前じゃ泣けないものね。」
頭上から降る優しく穏やかな声。
私が人前で泣いたのは、母親が亡くなった時にアシュトンと共にいた時だけだった。
葬儀の時も人前では泣けなくて、葬儀の参列者から冷たい子どもだなんて言われていた。
でも私の涙を知っているアシュトンは、他の人を選んだ。
リースも私の父兄同様、私がどれだけアシュトンのことを好きか知っていた。
アシュトンがプレゼントにこんなものをくれたとか、こんなことをしてくれたとか、何度となく得意げに話していた。
でも、盲目すぎたのかもしれない。
私が好きだと幾度言っても、恥ずかしいからやめてくれと耳まで赤くしたアシュトンの顔しか覚えていない。
今思えば、マリーヌのように愛しいなんて言われたことなかった。
愛しい婚約者では、なかったのだ。
酷い相手だと思っているだろうけれど、リースは決して、そんな相手を想うのはやめときなさいとか、忘れなさいなんて言わない。そんな事を言われたら、私が意固地になることを知っているからだ。
『アシュトンは王命でマリーヌのことを受け入れただけで、本当は泣く泣く私のことを切り捨てただけに違いないわ!』なんて、虚しい言い訳で自分を無理に納得させて、自分で自分を更に傷つけるだけになるから。
こうして優しく話を聞いてくれるだけで、心が満たされて落ち着いていくし、自分の立場をよく理解させられる。
私は、アシュトンにふられたんだ……と。
しばらくそのままの態勢でいてどのくらい時間がたっただろうか。
目を閉じて少し休めたことで、脳がようやく機能し始めたのだと思う。当然のことなのに頭から抜けていた事実を思い出して、背中に嫌な汗が流れるのを感じた。慌ててリースから飛び退く。
「リース、婚約者がっ!」
この夜会は、家族もしくは婚約者がいるならば婚約者同伴が原則だった。それなのにここにリースがいるということは、婚約者を放置していることになる。それは婚約者を蔑ろにしていることになり、外聞が悪い。
それなのに私の狼狽をよそに、リースはまったく気にしていないようで、平然とした様子でいる。
「大丈夫よ。一緒に入場して簡単に挨拶回りはしたし、あの人は宰相として陛下の補佐につくのに忙しいから。ノヴァのところに行くって言ったら、馬車は頼んでおくから先に帰ってもかまわないとも言われたわ。」
つまり、自分のことは気にしないでいいと言われた……と。
宰相様の懐が深くていらっしゃるとも言えるけれど、ビジネスライクすぎる関係に思える。
リースの婚約者はこの国の宰相だ。確か年齢は三十代。五大公爵家の令嬢の相手としては身分は申し分ないけれど、かなりの年齢差ではある。
「本当に、大丈夫なの?」
「ええ。私と婚約者は政略結婚だもの。政略結婚というより、契約結婚かしら。」
私の心配をよそにあまりにあっけらかんと話す様子に、こっちの方が気にしてしまう。
でもリースから婚約者の話をはよく聞かされていたので、そう言えばそうだった思い出して納得し、私は苦笑した。
彼女は結婚せず、王宮文官になりたかった。けれど五大公爵家という高位貴族の令嬢ともなれば、当事者個人の恋愛感情や意思よりも、家や一族を守るため政治的・経済的な利益や同盟関係を得るための政略結婚は必要不可欠。まして家長である父親が容認しない限り、結婚せず王宮文官として働くなんて許されない。リースの父親、ベルビィ公爵は当然のごとくそれを許さず、リースに結婚を強いた。
そんなリースを受け入れ、王宮文官になるために足がかりとなる約束をしてくれたのが、現在の婚約者である宰相だった。
「結婚して3年後に子どもができないという理由で、白い結婚であることを隠して離婚。子どもができにくい身体であるとわざと瑕疵をつけて結婚を避け、王宮文官として働くつもり……なのよね?」
私が確認するように尋ねると、リースは破顔する。
「婚約者も私も結婚したくなかった。利害が一致したから婚約したの。お互いに燃えるような愛はないと思うけど、家族愛くらいなら持てると思うわ。」
瑕疵がつくことすら自分の夢が叶うならどうでも良いと、どこか誇らしげに見える笑みの彼女が、何だか羨ましく思えた。
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