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第20章 偽りの隣――届かないはずの腕の中で

バルスは、ミドリのドレス姿に目を奪われていた。

言葉をかけなければと思っているのに、何も出てこない。

ただ、視線だけが離れない。


そんなバルスの様子を、ミドリをやりすぎなほどに飾り立てた城のメイドたちが、満足げな顔で眺めている。

ミドリは地味な顔立ちをしているが、思った以上に化粧映えがしていた。


――もっとも。

ミドリを10年以上想い続けているバルスにとっては、化粧をしていなくても、100倍くらいの恋愛フィルターがかかっているのだが。


差し出された腕に、ミドリは一瞬だけ躊躇する。

こんなふうに触れるのは、いつぶりだろうと、思わず考えてしまう。

胸の奥が、落ち着かなくなる。


……今は、婚約者のふりをしないと。


小さく息を整えてから、そっとその腕に手を添える。

触れた瞬間、強張っていた体の力が、わずかに抜けた。

そのまま歩き出す足取りが、少しだけ軽くなる。


バルスにエスコートされ、ミドリはそのまま会場へと足を踏み入れる。

リリア王女に伴侶がいることを示すため――ミドリは、偽の婚約者としてここに立っていた。


城内は、リリア王女の送別にふさわしいほどの華やかさに包まれていた。

煌びやかな灯りと音楽の中で――


――――――――――


「あの? バルス? へ、変ですか、やっぱり……ハハハ」


先ほどから黙り込んでいる彼に、どうしていいか分からなくて、とりあえずドレスの感想を聞いてしまう。


――そういえば。

さっき、更衣室から出たとき。

正装の騎士服に身を包んだバルスを見て、心臓が止まるかと思った。


普段なら気にならないはずの、仕草や立ち姿に見惚れてしまう。

……それに比べて、私にかける褒め言葉なんて何も思いつかないだろうけど。


メイドさんたちのかなりの頑張りのおかげで、ほんの少しだけいつもの私より綺麗だなと思ったんだけれど……。

騎士なんだから、お世辞くらい言ってくれても罰は当たらないと思う。


彼が私のためにと用意してくれた緑色のドレス。

私の給料なら手が出せないくらいのレンタルの値段だったから……そのドレスに申し訳なくなってくる。


……だから、こんな高いドレスじゃなくて良いって言ったのに。


「……」


ボソッと、バルスが何かを呟く。


「あの……?」


「変ではない……その……き、綺麗だ」


こちらを見ないまま、再び呟くように言葉にする。


「へっ……あ、……ありがとうございます」


顔が赤くなるのを抑えられない。

分かっている、お世辞だって。

……だけど、嘘でも嬉しいものは嬉しい。


「この、ドレスも……あの、ありがとう」


「いや、オレが無理を言って頼んだのだから。悪かったな」


バルスはそう言って、ため息をついた。


「本当にいいんですか? その、リリア様の伴侶の話を断ってしまって。もったいないなって」


その言葉に、彼は複雑な表情を浮かべる。


「この国の騎士以外に興味はない。それに王女には相応しいお相手がいらっしゃるだろう」


「で……も……」


彼に見られて、思わず言葉を飲み込む。

何かを言おうとして――ほんのわずかに、言葉が止まる。


「……オレは」


低く、抑えた声。

その続きを待つみたいに、私は無意識に目を逸らせなくなっていた。


けれど。


「……いや、なんでもない」


ふっと視線が外される。

それだけで、張りつめていた何かが、すとんと落ちた。


「……そう」


自分でも分かるくらい、間の抜けた返事になる。


今の、なんだったんだろう。

ほんの一瞬だけ、何かを期待してしまった気がして――すぐに、それを打ち消した。


……そんなわけ、ないのに。


――――――――――


(なんだ、あれ……)


ジェイルは、エスコートされたミドリとバルスの様子を眺めながら、思わずそう呟いた。

ちなみにジェイルは、この舞踏会の警備をしている一人である。


ミドリちゃんって、あのバカの垂れ流しの愛情と独占欲に、なんで気づかないんだろうな。


苦笑いがこぼれる。

バルスの尻尾が、時折ミドリの体へと触れる。

それは、半獣人にとって伴侶を示すような仕草だった。


バルスとミドリの関係を知らない後輩たちですら、


「副師団長って、伴侶にはデレデレなんすね」


と口にするほどで、二人の仲を疑う者はほとんどいない。


だからこそ、周囲はやきもきしているのだが。


バルスの視線は、ミドリがいる限り常に彼女を追っている。

というより、今日はもう完全に彼女のことしか見えていない。


本来の目的を忘れているんじゃないかと疑いたくなるほどだ。

……まぁ、あんな様子を見せられたんじゃ、王女様も諦めるとは思うが。


――――――――――


「ジェイドさん、すみません」


「いやいや。それにしても、バルスの奴も大変なお方に気に入られたよな」


ケラケラと笑うジェイドさんの馬に、私は同乗させてもらっている。


バルスはリリア様から話があるとのことで、私を家まで送る役をジェイドさんが引き受けてくれた。


「本当に、断って良かったと思いますか? リリア様はとてもお綺麗ですし、誰が考えてももったいない話だなって」


「それは一般論だろ? あいつはこの国の騎士に誇りを持ってる。リリア様が自分の伴侶でもない限り、断るだろうって思ってたけどな、オレは」


「う……嘘をついたのがやっぱり、心苦しくて。リリア様が本気なのが分かって……」


「ミドリちゃんは、それでいいのか? 好きなんだろう、まだ」


「はい……でも、リリア様の気持ちが分かるからこそ、断るなら、やっぱり嘘をつかずに断ってほしいって……その……なんていうか」


ジェイドさんが、ぽん、と私の頭に手を乗せる。


「ミドリちゃんは相変わらず、優等生だな」


「そんなことないです。本当は……ホッとしていて……そんな自分が嫌で……」


「いいんじゃねぇの。オレが同じ立場でも同じこと思うし」


「でも……」


ジェイドさんは軽く笑ってから続ける。


「俺たち半獣人は、伴侶と認識した相手がいれば、その相手に執着する。振られない限りは、ずっとな。ミドリちゃんも知ってるだろ?」


「はい……人よりも思いが強いって」


「要は、リリア様のためにもなるってことだ。あんまり気にやむな。それに、嘘じゃないだろ。ミドリちゃんは、バルスが伴侶と認識した相手だ」


「昔の話ですから」


苦笑いでごまかす。

胸の奥に、じわりと痛みが広がる。


「なぁ」


「はい?」


「ミドリちゃんは、少し自分に自信持った方がいい。誰がどう見ても、バルスはミドリちゃん一筋だ」


「そんなはずないです。私、バルスに好かれるほど全然顔も可愛くないし、性格だって暗いし……それに」


「はいはい、ネガティブ思考はそこまでな」


軽く遮られて、思わず口を閉じる。


「少なくともオレは、ミドリちゃんにあのバカの傍にいてほしいと思ってる。あいつには重しが必要だからな。じゃないと無茶ばっかする」


「……重し」


つぶやいたところで、馬が止まる。

家の前に着いたらしい。


「ありがとうございました」


手を借りて馬から降りる。


「まぁ、あんまり考えすぎるな。あいつに甘えてやれ」


そう言って、少しだけ笑う。


「オレが思うに、あれはもう一押しで落ちるぞ」


冗談めかしてそう言うと、そのまま去っていった。


私は、その背中を見送ることしかできなかった。


……そんなはず、ないのに。


それでも――

胸の奥が、わずかにざわついた。

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