七話・Part2 水面の月 浮かぶ木の葉
夜、バウズメットエンヴィの居城の一室。暗い部屋、いや、黒い部屋と言い表したほうが適切な部屋。その部屋の中にいるのは烏のブーイ。
名を、葉月。
キングが命名し、本人も許諾した名。本来ならばブーイに名があるなんて最上位種ではない限りはあり得ない。名付けをする文化なぞブーイにはないのだから。
椅子のうえに姿勢よく腰掛け、机のうえに広げた白紙にインクをつけた羽根ペンで線を走らせている。本人にしか分からない、どういった意味があるのか他人からは皆目見当もつかないグチャグチャ具合だ。
目を開けたままに街なかの風景を視る。黒い羽根を落とし、マーキングした各所の景色を視る。街の保安?いいや、彼自身の保全だ。
黒い翼を持つ彼は仲間から迫害された過去を持つ。世にも珍しい黒い色素が身体の大部分を占めているブーイ。人間側から見ても正に特異だ。
『足りませんね。それも大幅に…十数人なら気にしませんが、数百単位で減少しています』
何故?考えうるのは皇帝からの出兵か。
とりあえずはキングに訊いた方が良いだろう。もしも出兵でないのなら、侵入者がブーイを襲っている可能性もある。まぁ、そんなものは万が一のことではあるのだが。憂いは払拭して然るべきだ。
椅子から立ち上がり部屋をあとにする。
「へぶっ…!」
『あぁ……?人間がなんでこんなところに居るのでしょう…あぁ、キングが連れてきたのでしたね』
扉を開くとゴスンと鈍い音。同時に誰かの悲鳴。
何だと扉の裏を確認すると、額をおさえた人間の女性が居た。キングが連れてきた人間だ。
そのまま無視してキングの部屋へ向かおうと考えたが、一応は来賓だ。それに、信用に足る存在かどうかも確かめたい。面倒だが話をしてやろう。
『あなた…キングが連れてきた人間ですよね。俺に何か用でもありましたか?…というか、何故この部屋の前に居たんでしょう』
「え、えっと…ですね」
『はい。話すならば話してください。もじもじするだけならば時間の無駄なので俺は行きますよ?』
「あっ!待ってください!わ、私、迷子になってしまいまして……」
『………迷子に?』
葉月は眉間にしわを寄せた。
「はい…ミワクさんと別れた後に、案内してもらった道を思い返しながら食堂へ向かっていたのですが…」
何故ここにたどり着く。迷惑にも程があるだろう。
『はぁ…丁度いいです。俺は今からキングの部屋に向かう予定ですが、一緒に来ますか?というか、それしか選択肢はないのでしょうけど』
「は、はい…!一緒に行きたいです…!」
『では…』
黒い片翼を女性の方へと差し出す。
『お手を』
「え?で、でも…」
『一緒に行きたいのでは無かったのですか?それとも、迷惑をかけたいということでしょうか』
にこやかに、そして淡々と話を進める葉月。話し方が悪い自覚があるが、直すつもりは毛頭ない。どうせ葉月に関わり合おうとする者なんて変わり種しかいないのだから。
彼はいちいち反応を示されるのが嫌いだ。何かアクションを起こすたびに過敏に何かをされるのが嫌だ。生まれ育った場所では、行動のすべてが監視されていたが故に鬱陶しくてたまらないのだ。
「えっと…綺麗な翼だったので、触れるのが恐れ多いなぁ…と」
『……はぁ。焦点が合っていませんし、声も震えていますよ。褒め言葉など、誰が吹聴し………ミワクか』
とりあえず褒めておけと言われていたのでしょう。奴は招集か遠くから眺めてくるのみで、俺に対して積極的に関わろうとしないタイプです。…配慮か敬遠かは定かではありませんが、何をもって褒めれば良いと考えられるのでしょう。
顎に手を当てて、いや、翼を当ててブツブツと一人思考する。
「あの…?」
『…あぁ、落ち着きましたか?随分と時間がかかるのですね』
女性の返答を待たずに彼女の手首を片翼で掴む。厳密に言えば、片翼の先にわずかばかり生えている三本爪でそっと掴んだ。
人間に触れるのが初めてである葉月は力加減が分からない。だが、人間の脆さに関しては耳にたこができるほど聴き及んでいる。
剣をまともに振るえない。弓を引く力が弱く遠くまでは飛ばせない。骨を折ったら痛みですぐにうずくまる。握っただけで何か折っちゃった。
どれもこれも士気上げと見栄っ張りが多く含まれているだろうが、参考にしておく。たまには過去の記憶も役に立つんだな。はっ、置かれてた場所が集落の納屋で良かった。
『ほら、あなたに構った時間のぶんだけ予定が遅れているのです。本来ならばゆっくり歩いて向かうつもりでしたが、致し方ありませんね』
「…すみません」
『俺の翼は触れてもらって構いません。ですが、それ以外に触れないでください。今から外を飛んで、直接ベランダから窓をかち割って入りにいきますので…』
片翼だけで羽ばたけただろうか。見てくれでは軽そうに感じる。
廊下の窓を開いて人間の女性に片翼を掴ませる。痛みはない。俺の翼は特異だから、こんな芸当も可能なのだろう。
『落ちれば死ぬので、生きたければ落ちないように気をつけくださいね』
「ま、また空を……!」
窓枠へ女性を抱えて軽く跳び乗り、そのまま外へと身を乗り出す。
空中。地面からは少し遠い。ブーイの身体なら生き残れそうだ。だが、もしもこの人間を落とせば確実に死ぬだろう。
片翼のみで落下する身体の向きを正し、力強く羽ばたきかける。重心バランスの調節はほんの少しの落下時間で終えた。羽根の量を変えたのだ。
『体重は四十と幾数キロですか。どうりで片翼でも違和感なく飛べるわけですね』
「えぇ!?な、なぜ体重がわ、わかわわ分かるのですかっ…!」
『羽一本で約三キログラムのモノを持つことが可能。そして比率を合わせるために十五本をあなたを持っていない翼に移したんですよ』
葉月は黒い羽根の操作が可能だ。マーキングだけではない。なので、今の彼らの状態は空を飛んでいるというよりも、浮いている、押してもらっているのほうが正しいだろう。
因みに、彼は羽ばたいて空をとんでいるが、別に羽ばたかなくとも飛べる。翼の羽根の一本一本すべてを浮かせるようにすれば良いのだから。だがそうしないのは力に勘付かれたくないという思いがあるからだ。
葉月は戦闘には向いていないが、搦手なら右がいない。どんな格上でも初見なら出し抜くことが可能だろう。
「そ、そう…ですか…」
『やはり外からだと効率的ですね。廊下を進むより大幅に速く到着出来ます』
風を切る音が耳を過ぎる。一人で飛ぶには気にしないのだが、今回は人間がいる。自分以外がいる。声が聞こえにくくて少し厄介だ。
ちらりと夜の街並みを眺めると、どこか人けが無い印象を受けた。いつもよりも、かなり。
あまり時間はかからずにキングの部屋のベランダへ。
『キング、話があります。窓を割られる前に開けることをおすすめしますよ』
『ああ、ハヅキか。今開けるから割るな』
キングの声が聞こえた。窓の奥、閉め切ったカーテンの向こう側から。
口ぶりから考えるに過去に事例があるのだろう。窓を割られて室内へ入ってこられるという事例が。
カーテンが開き、窓が開かれる。キングとハヅキがムスッとした顔のまま目を合わせ、前者の視線は人間の女性へと移る。刹那、彼の頭に浮かぶのは?のマーク。
理解が追いついていないのか、思考に意識が割かれているのか、目を見開いたまま硬直してしまっている。目は口ほどに物を言うとは、まさにこんな状況で使うのがベストだろう。
そんなキングを気にせず室内へ入るハヅキ。女性はベランダに置いて自分だけ入室し、適当な場所にどかっと腰を下ろした。まるで友人の家にでも遊びに来たかのようなラフさである。
「……心配していたんだが、杞憂だったらしいな。この居城の同居人は随分お人好しのようだ」
嬉しそうに鼻を鳴らしてハヅキの近くに向かい腰を下ろすキング。今だにベランダにいる人間の女性には軽く手招きをし、明るい時間帯にも座らせたソファへ目で促す。
自分がここにいていいのか…?という女性の表情を無視してキングはハヅキに目的を尋ねた。どうせここ以外にいられる場所なんて限られている。退かす必要性もないと判断したのだろう。
『国内のブーイが大幅に減少しました。考えられるのは、皇帝から出兵するように指示が出たこと。人間が侵入してブーイを狩っていること。探知用に街中へと忍ばせている羽根が一掃されたこと。キングはどう思いますか?』
『……ハヅキ。一番最初にあんたに伝えるべき事項だったな。先に言おう、すまん。あんたの推測の内の一番目、皇帝からの出兵指示だ』
『なに、謝られる筋合いはありません。彼らはいつも突拍子もなく指示を出しますので。ほんと、毎度のこと迷惑極まりないですね。頭の中がオルバースでいっぱいで、それ以外のことが何一つないのでしょう。どうせ今回も情報は見つからないでしょうに』
『オルバースは、いや、ヤッシュゲニアの文献自体が禁忌とされ書物関連は焼却されたと知っているはずなんだがな。愚かにも探し続けている。ブーイがいつまでも成長しないのは、あいつらが成長しようとしていないからなんじゃないか?』
『おや、良いことを言いますね。告げ口でもされたら公開処刑になってしまうのではないでしょうか。なんならしてきましょうか?』
『そうなれば、処刑されるのはお前だけだぞ。俺はトロペオの子だ。いくらか融通が利く』
人間の女性は彼らの話す姿をソファから眺めるばかり。何かすることもない、何かをされることもない。ただ、婚約はした。この目の前のブーイと。人間とブーイという絶対的な垣根を壊して。
捕らえられた当初はもうそのまま殺されるのかと想像していた。だが、女は子を生むために残されると知り青ざめることとなった。それならば死んだほうがマシなのかもしれないと身も蓋もないことを考えてしまった。
だが、なんだこの状態は。なんだこの状況は。
殺されるでもなく、手を出されるまでもなく、また外の世界へと出ることができ、そして何故か丁寧に扱われている。
両親のもとで日常生活を送っていた時よりも繊細に扱われている。まるで自分がガラス細工のように彼らはそっと扱う。
理解し始めてはいる。彼らが危険ではないことを。しかし本能が認めようとしない。彼らはブーイ、敵、残酷な悪魔なのだと。
「おい」
「は、はい…!?ど…どうしましたか…?」
あぁ、また。よく分からない。ブーイである彼は敵ではないのだろうか?
「眠いのならそのまま寝てていい。朝になったら起こそう」
「す、すみま………いえ、ありがとうございます…」
「気にするな。…少しは慣れたらしいな」
何が気に食わないのか、彼の表情は硬い。だけど、優しさをかすかに感じてしまった。何故だろう。相手はブーイで、自分は人間。そのはずなのに。
身体にかけられた毛布が暖かい。
『入れ込んでいますね』
『まあな。…彼女には人類とブーイの架け橋になってもらう。その架け橋がブーイに近づけなければ、いったい誰が橋となれよう?』
『知りませんよ。未来永劫、現れないんじゃないですか?』
『だから、架け橋にした。そんな人間は現れないから』
『はぁ、なんて可哀想な人間でしょう。………で、先ほどの言葉は本当ですか?』
声色を落としたハヅキはキングに問う。眉間に寄ったしわから感じ取れるのは疑問と戸惑い、苛立ち。
先ほどの言葉。
『ああ。ナツメは出兵した。数日後には前線で人間と接敵してしまうだろう。……どうにもならない。俺たちはただ、生きて帰ってきてくれることを願うしかないんだ』
『さらに、キング。貴方まで行くのでしょう?出兵ではありませんが……前線よりももっと死のリスクのある場所へ』
『なんだ?寂しいのか、らしくない』
『ええ』
『………』
場の空気は葬式のように静まり返っている。今日、このタイミング、この時間がお互いの最期の顔合わせになるかもしれない。何年間も生きて出会えた同士だというのに、別れるときは一瞬だ。
キングには八人仲間がいる。いや…いた。ヨル、ミワク、ナツメ、アズマ、ハヅキ、ユキカゲ、ツキミツの七名に加えてあと一人。
名を旅綱。タツナというブーイだ。
彼は人間を殺さなかった。傷つけなかった。馬鹿にすることも、笑うこともなかった。
戦線に巻き込まれた人間をひっそりと避難させるほどのブーイだった。キングと同じ行動をするブーイだった。
『まぁ、タツナに会ったらよろしく伝えといてください』
『縁起でもないことを言うな。…俺は生きて戻ってくる。その時にこの国がガラッと変わって、人間絶対殺すぞってスローガンを掲げるディストピアになっていないことを祈るのだが』
『そんなことは起きませんよ』
『あんたがいるからな』
『当然。俺がいるので、この国は安泰というわけです。俺がいないと成り立たないのはどうかと思いますがね。……この国のブーイは犬より劣っている』
今日のハヅキはやけにお喋りだ。それに、本音ばかりで話してくれているとわかる。目が合う機会も多いし、口調も柔らかい。
気の所為なのかは定かではないが、気の所為として受け取っておこう。ほんのりと笑みを浮かべている気がするんだ。彼が。ハヅキが。
以降も他愛のない会話は続いた。
不思議だ。出会って数年経っているはずなのに、初めてハヅキを理解しながら会話をしている自分に驚く。俺自身が、彼らに興味を抱いていたことに驚く。
ずっと裏をかかれないように警戒して、ずっと心の何処かで不信感を募らせていたのに。
俺って、結構こいつらが気に入ってたんだな。
『では、俺はもう行きます。帰ってきた身体の量によって豪華になる墓。なかなかに良い案だったでしょう。期待してますよキング』
『どっちの意味でだ?不謹慎なことを言うな。……じゃあ、この国を頼んだぞ』
『帰ってくる頃には俺が王様になっているかもしれませんね』
『はっ、それは怖い。だが、案外悪くはなさそうだ』
窓を開いて外へ飛び立つ背中を見送る。数年分の会話をしたきがする。
『はぁ…俺も眠くなってきたな』
話疲れる。これは彼にとって初めての経験である。
明日の朝に皇帝の元へ行き、初めて話を聞くという体で驚く演技を、そして人間の生活圏へ。何処へ向かうのかは知らないが、恐らくは流浪の者として各地を巡らされるのではなかろうか。
オルバースの情報についてを略奪なしで探し、あわよくば裏から人間を支配する。そういう目的なんだろう。
「…ふぁぁあぁ……はぁ」
開きっぱなしのベランダから風が流れて来ている。心地良い。ひんやりとした風が火照った身体を冷ましてくれる。
月明かりがキングへ降り注がれる。
銀の光を反射する彼は、床に横になって虚ろとなってきた視界を遮断した。今感じるのは風の匂いと銀の冷たさ。
そして、過去の記憶と応じた寂しさだ。




