七話・Part1 仲間達と
あらすじ…キングは人間の女性と婚約を結ぶと突然言い出してマノモノ会議が終わり次第自らの国へ帰還している最中なのだ!
希国エディ=クラム。尊敬している人物の名を流用し命名されているが、実際のところはブーイに攻め落とされた土地の集合地帯であり、正確な領土を理解している者はその国には居ない。
人間の暮らしていた街や村を襲撃しては手の内に治める。その繰り返しのお陰で一国と呼べるほどの領土を誇っているのだが、そんな国に名を使われた人間は何とも可哀想である。人間を虐殺し蹂躙した土地に己の名前をつけられるなど、侮辱されたと思われても仕方がなかろう。
最上位種である皇帝達に対してそのままの国名は明かしていないため、実は希国エディ=クラムは偽名扱いだ。正式名、及び表向きの国名はバウズメットエンヴィ。それが本来の名であり、地上で暮らす魔物達の住処である。
地底から這い上がるように出たキングとその胸に抱かれている人間の女性は、ミワクに運ばれながら国の外壁を越える。
自らが壊したくせに修復の進んだ家々、腹立たしくも和気藹藹と賑わいを見せる住人、空を飛ぶキング達に手を振る住人。このそれぞれが、現在のキングが手中に収めている配下である。
知能的には上位種だが、実力的には普遍種と同等。故に同胞から虐められ蔑まれた者達だ。そんなに強くはないが、知性だけは一般レベルなので受け入れられている状態と言えようか。加えて、反旗を翻すような愚図が出ようとも、実力でねじ伏せられるというところも受け入れに一役を買っている要素のようだ。
キングは上位種の中では上澄み。だが、特異種上がりの上位種とは違い、特筆して身体に優れた機能は備わっているようには見えない。つまり、キングはシンプルに戦闘センスが優れているのだ。なんとロマンの無いことか。
『はいはーい、到着だよ〜』
『感謝する、ミワク。あとは…そうだな。皆に集まるように声をかけて回ってほしい。頼めるか?』
『もっちろん!キングから呼ばれるって言えば皆ワクワクしながら一瞬で来ると思うよ。あの子達全員、キングのこと信頼してるからね』
『……場所は第三大広間。来たものから順に席に座らせるから、いい席を取りたいならさっさと来いと言ってこい』
『りょーかい!んじゃ、行ってくるね』
キング達が降り立った場所は、バウズメットエンヴィの中央に無駄に堂々と聳え立つ居城。そのベランダ。
室内に人がおり、外から吹き込む風で涼んでいるといった気配が無いのにもかかわらず、ベランダに繋がる窓が大っぴらに開かれている。コレはおそらく、今回のベランダからの帰宅を想定してのことだろう。それかシンプルに、普段からこの帰り方をしているのか。
居城は、基本的にはキングの家として使われており、キングが直々に仲間と認めた者たちもここで暮らしている。…寝るとき以外は外に出払っているので室内は無人なことが多いのだが。
「今から集まるブーイ達は、最低限の信用は置ける奴らだ」
ベランダから室内へ向かい歩みを進めるキング。
「全員が集まるのにさほど時間は掛からんだろうな…この場所の説明もしたいところだが、今日は会議の予定を組んでいる。直前にやっぱなしは面目がない」
棚の引き出しへ手を伸ばし、中から紐で一束に綴られた書類を手に取る。パラパラと内容を確認してから引き出しへ戻し、また別のものを手に取って繰り返す。
目的のものが見つかったのか、片手に紙の束を持ち棚を閉める。
そして、ようやく気がつく。
「…おい、いつまでそこに突っ立ってるつもりだ?さっさと来い」
「っふぇ…!は、はい…!」
「………はぁ。…いい、そこで待ってろ」
ギクシャクとした動きで近づいてくる人間の女性。…を、見るに堪えないといった様子で逆に近づいてゆくキング。内心、仕方のないことだと理解しつつも、それでもなお、もどかしさやむず痒さが勝ったらしい。
ガチりと動きを留めた女性の手を引き、ソファの上へと連れて座らせる。少々乱暴さが目立つが、これは彼なりに配慮を頑張っている上でのもの。ブーイなら怪我をさせても良いというスタンスだったが故の、人間に対する手加減ミスである。
突然にも座らされた女性に手渡される紙束。おずおずといった調子で捲ると、そこには。
「ブーイの…名簿…?」
「名前と顔くらいは予め把握しておけ。今から集まる奴らのリストだ。…敵じゃないし、人間を積極的に襲うこともない。ビビり散らかすのは勝手だが、話くらいは聴いてやってくれ。どうせ質問攻めが来るだろうしな」
「な、名前があるなんて、そんなの聴いたことない」
「ああ。俺が名を与えたからな。ヨルやミワクだってそうだ。呼称できるモノがないと何かと不便だからな」
「そう……なんですね…」
キングは言い終えると外を眺め、その目を細める。視力が優れているようで、何かに気がついたかのようにベランダへ通じる窓を締めた。
そして何事もなかったかのように、素知らぬ顔で女性の隣へドカッと腰を下ろす。チラリと横目で捉えるのは紙束だ。
「ちょうど其奴か。そのページの奴が今から来るが、あまり無視してやるな。むしろ反応を示したほうが無害だと思え。いいな」
「は、はい……」
名簿にはこう書かれている。
人類側登録済。上位種、ラビットブーイ。
漢名、兎魔。
命名、東。
兎のブーイ。特異種上がりの上位種であり、跳躍力に優れている。
噛みつきや爪による攻撃は、丸太でさえも粉雪のように削り取る。聴き分けることに特化した長い耳は、諜報において目覚ましい活躍を遂げられるだろう。
「アズマ…くん。…いや、さん?ちゃん?………ん?」
全身の皮を剥がされた状態で発見。死地を彷徨っていたところを保護。人類への恨みつらみは表に出していないが、うちに秘める憎悪は計り知れない可能性が高い。
人間不信であり、対象から不安な要素が感じ取れると質問を浴びせる。納得がいかない場合。不安を払拭出来なかった場合は、自らが離れるか、その対象を殺…
「おっと」
手のひらを紙束と視線の間に差し込み、情報を遮るキング。しかし、女性は口を開いて固まっている。そう…遅かったのである。
その対象を殺害する。もちろん、不安を払拭出来なかった場合ではあるが、対面したこともない相手の不安を拭いきれるなんてイメージはつかない。むしろさらなる不信感を与えてしまう可能性の方がよっぽど高く思える。
少しずつ、本当にほんの少しずつほぐれていった緊張が改めて張り直された。キングなりに頑張ってはいたようだが、結果として逆に緊張感を与えてしまうとは何と愚かしいことだろう。
「え…?あ、あの…?」
「相変わらず到着までが早いな」
『キーング!!』
「………ひぃっ!」
閉じられた窓の外へ視線を向けると、そこには。
『キーング!!キーング!!開けてよぉ!!ねぇ〜えぇええええ!僕一番に来たよ!?どーして閉じてるの!?キーングゥゥゥゥゥウウウウウ!!』
「まぁ……どうだ?なかなかに愉快な奴だろう」
「ひぃぃ…!わ、私…こ、ここ…今度こそ死んじゃうんだ……!」
「………」
頭を抱えて震える女性を尻目に、ソファからベランダへ続く窓の前へと近づく。スライド式の取っ手を掴み、そのまま開こうと、そうしたところで。
「ちょちょちょ……ちょっと待ってください…!」
女性に腕をガシりと掴み止められる。
「なんだ?急に積極的だな。あんたからアクションを起こすとは想像もしていなかった」
窓に張り付きキューキューと騒ぐ白い兎から、人間の女性へと視線を移す。
無言で何かを訴え、首を横に振る涙目と目が合うと、キングは思わず吹き出しそうになった。ようやっと人間らしい感情を出してくれたことに対して、その不意打ちを受けて吹き出しそうになった。
まるで小動物のように震える姿は庇護欲が駆り立てられる。外から窓を叩いている兎よりも小動物している彼女は、この国にいる誰より生きるために必死だ。
不安が拭いきれなかったら殺される。その一文が脳裏から離れてくれないのだろう。極力窓の外に目を向けないように…いや、そもそもを視界に入れないように、キングを見つめている。
『キーーーーング!誰!その人間!ねぇぇ!僕に隠し事はしないって言ってたよね!?何でも答えてくれるって、何でも共有してくれるってさぁああぁぁぁあ!』
『アズマ!』
『っなに!』
『今日は玄関から入ってこい!それと、直接部屋に来るんじゃなく、第三大広間と告げられていないのか?』
『いやぁ、言われてたけどぉ〜……キングと入場するのが一番いい席取れそうだからさぁ』
『とにかくだ、説明は後でする』
『はぁ…!?やっぱり…そうだ…!僕は怪しいと思ってたんだ!僕のこと本当は騙そうとしていたんでしょ…!信じようとしてたのに、君も他の奴らと…』
『特等席に座らせてやるからさっさと行け!五月蝿くてかなわん』
特等席。そう告げられた兎はキュッと口を紡ぎ、目を見開いた。期待に満ちた、歓喜に満ちた、そんな瞳をキングへと真っ直ぐ向け、とろんと目尻を垂らして笑みを浮かべる。
キングがにやりと微笑み、兎の考えを肯定するように頷くと、アズマという名の白い兎は足早に階下へと跳び降り指定の場所へ駆け出した。
両手で自身の長い耳を抱きかかえるようにして走りゆくさまは、人間から見てもとても可愛らしく映るだろう。…扉に耳の先端が当たってしまわないように工夫しているだけ、本当にそれだけのことなのだが、何故だかなんとも微笑ましい。
「行ったぞ。このまま腕を掴んでいたいのならそうするといい。だが…他のブーイに対しては同じことをしないように気をつけるんだな」
「行った……はぁ……あっ。す、すみませ…う、腕掴んじゃった…」
「構わん。俺は痛みを感じない」
本当ならば、取引の魔神リスクリタンとオルバース・ヤッシュゲニアの取引。そのリスクである〝血に受けた呪〟の影響で、想像を絶する痛みを伴うはずなのだが、キングは大した反応がない。
リスクの対象効果が及ぶのは〝ブーイの血〟である。まさか身体に血が通っていないわけでもあるまい。
女性が人間ではない。その線もあるかもしれないが、可能性としてはかなり低いだろう。この世界における生物の人型の種類は人間かブーイかしかないのだから。
改めて確認しよう。リスクは〝人間から触れられると激烈な痛みを負う〟こと。人間との縁を断ち切ったオルバースであるからこそ生まれた副産物と言えよう。
いったいどんな仕掛けがあって、キングは痛みを感じないのだろうか。
「さぁ、俺達も移動しよう。どうせもう皆着いているだろうからな」
「えっ…あぁ…」
「こっちだ。俺の近くにいれば突然死ぬことはないだろう。少なくともこの国の中ではな」
女性の手を引き、紙束を棚へ仕舞いつつ部屋を出る。先程までいたのがキングの私室であり、二階の中央、玄関口の真上の部屋である。だからだろう、兎が直接キングの部屋へと跳んできたのは。
廊下は清掃がなされており、花瓶に挿し込まれた花は元気に咲いている。壁には様々な絵画が飾られており、まるで人間かのような生活感が見え隠れしていて。
扉の上にはここが何の部屋であり、使用中か否かの木札が垂れ下がっている。機能性に優れている単純かつ安価な表示なのだが、意外と人間の国中を見てもこんな物は見つからない。見栄えが悪く、こんなものがないと部屋の区別がつけられないと馬鹿にされるというのもあるが、育った文化的に木札の発想がないのだ。致し方なしだろう。
窓には瑠璃菊の模様が彫られており、差し込む光によって壁へとソレが投射されている。
「綺麗…」
「………これから、全員揃っていればだが…ブーイが俺を含めず八名いる部屋に入る。何度も言うが積極的に人間を襲うことはない。これには、あんたが何もしなければという前提条件がある。約束できるか?俺の仲間を拒絶しないと」
「えっ…えとっ…わ、私は人間です…」
「ああ。誤って触れれば攻撃されたと勘違いされる可能性もあるだろうな」
「そ…そうです…なのでっ、なので…」
「…必要な事なんだ。………ごめんな」
キングは優しく申し訳なさげに微笑みかける。誰に対しての申し訳なさか?それは仲間を試すことに対して、女性をソレに利用することに対して、ここまでの経緯全てに対して。
キングは仲間と口出は言いつつも信用していない。
だからこその紙束。だからこその情報。だからこその人間の女性。全てを利用することに対する申し訳のなさ。
慕われていると理解しているが故の息苦しさ。
今日で判る。彼等の人間に対する反応が。憎悪の量が、恐怖の量が。
一応、妻…として囲うことで殺害されないようにはしているらしいが、果たして上手くいくか…キングにとって今回の行動はリスキー且つ大胆。全てが崩れるかもしれないし、やはりブーイと人間は相容れない存在だと結論が出てしまうかもしれない。
だがやるのだ。なおやるしかないのだ。いつか誰かがやらないといけないのだ。今回がキングであっただけだ。
「ど…どうしてそんな顔をするんですか」
「………」
キングは答えず、足を止めた。
「この部屋だ。安心しろ。俺が居る限りはあんたは死なん。何かがあっても慌てるな。悲鳴を上げるな。手を出すな。俺から離れようとするな。……お願いしてもいいか?」
目を合わせて弱気に問いかける。先程までの厳かな態度は何処へやら。背丈容姿も相まって、ただの一人の子供のようにキングは。
真紅の瞳、額から生えた二本の…瞳と同色の角、偶蹄目のような二本脚、全身を覆う白い体毛。何の変哲もない基本的なブーイの容姿。キングという名に反してロマンに欠ける凡庸な身体。
ブーイの特徴か、背丈はさほど高いわけではない。しかし侮ることなかれ、身体に触れられれば分かることだが、彼等は筋肉の塊だ。その上に刃を受け流す毛皮があるのだ。
俺でも普遍種くらいなら。そんな思想は捨て置くべきである。単身で野犬に挑んで君は勝てるのか?つまりはそういう事である。
キングはブーイが人類に対して何をしているのか、嫌なほど理解している。本当は人間の側に立ち戦うべきだということも。だが、そうしないのは理由がある。
今回、その理由は実行される。その第一歩は実行される。
ブーイにも良い奴はいて、人間にも嫌な奴がいる。種族だけの隔たりで、なぜこうも。キングはヒトが良い。それこそ、馬と鹿がつくほどに。
「…わ、私は…本当はお家に帰りたいでふ…」
「でふ?」
「な、流してください…!…でも、本当に安全を保証してくれるなら…私は、……私は従います…」
「そうか、感謝する。だが…従うなんてしなくていい。俺とあんたに上下はない。これから会う奴らにもだ」
「ちょ、ちょっと待ってください…深呼吸を…し、しても良いでしょうか…?」
「ああ。心の準備が出来たら…いや、出来るわけがないか…」
自身の胸に手を当て、スー…と深く息を吸い込み、フー…と長く息を吹く。
そういえば…と、キングは思う。この女性には外傷が見られないと。衣服等の汚れはあれど、流血や骨折、擦り傷すらも見当たらない。
本来ならば皇帝達へ送られていたであろう人間だから?だとすると、随分とまぁ、律儀な上位種もいるもんだ。極力傷をつけないように運ぶなど、道中で抵抗されることを前提条件として加味すると際立つものがある。
どんな顔か、どんな声かも興味が無くて分からないが。
「さぁ、ブーイは気が短い個体が多い。さっさと入ってさっさと紹介を始めよう」
扉に手をかけるキング…と、やはり緊張が解けずに、しゃっくりを起こし始めた女性。
ガチャリと音を立てて開かれる第三大広間の扉。その室内は、中央にU字の長机が置かれており、六名のブーイがそれぞれ好きな席に座っている。
彼等が歓談中だったのかは定かではないが、何やら楽しげな雰囲気が感じられるのは、慕っているキングから招集されたという事実が嬉しいからなのだろう。
キングの姿が目に入って一番に声を上げるのは兎。アズマだ。
『キーーングッ!ほら!ほらほらほらぁぁ!僕は待ちくたびれたよ…!もうこのまま来ないんじゃないかって……僕に不安を与えないでよ!』
『ああ、すまないな』
荒ぶる兎に軽く返し、誰も座っていない椅子を片手に取った。空いている上座へと女性を連れてゆき、もともと置いてあった方に椅子を引いて女性を座らせ、自らも片手に持ち運んでいた椅子を置きそれに座る。
ふぅ…と、一息ついて兎へと視線を向けたキングは、自身の膝の上をポンポンと叩き誘導。すると先ほどまでの狂乱気味な姿は何処へやら、兎はニンマリと笑みを浮かべて大人しく座った。
アズマの身体はかなり小さい。それこそ、少年のよつな背格好のキングですらもら余裕で膝のうえに乗せられるほどに。
『ねぇキング?その子ってさぁ…もしかしなくても人間だよねぇ。どぉしてこんな国に居るのかなぁ…?』
口を開いたのは仲間の一人。
人類側未登録。推定上位種、推定名オクトパスブーイ。
漢名、蛸魔。
命名、棗。
蛸のブーイ。人類側に認知されてはいないが、推定、特異種上がりの上位種。
下半身が蛸のようになっており、八本の触手がある。それぞれを別々に動かすことも可能であり、普通に腕もあるため器用に動きまわれる。
側頭部には、角のようにも見えるが触手、蛸足が生えておりコレもうねうねと動かせるようだ。黄色い瞳の瞳孔は横長であり、口からは墨も吐ける。
戦力的には未知数だが、もしも敵対されれば俺でも骨が折れるだろう。それに、水中で行動が可能なブーイという貴重な存在なため、仲間として置いておきたい。
足を八方から同時に伸ばして千切るという虐めを受けているところを発見し保護。人類側への恨みは無さそうに見え、むしろブーイに恨みを持っていそうだ。
温厚であり、驚くことに両方の性別を持っている。体躯がデカく、頭の先から触手の先までは三メートル弱程度。
『大丈夫ぅ…?人間ってだけで殺されたりしそうだけどぉ』
『平気だ。俺がいるからな』
『あぁなっとくぅ。キングの安心感はぁ、誰よりもすごぉいからねぇ。あたしがほしょ〜するよぉ』
『ははっ、それは有難いな。そうだ、今度また泳ぎを教えてくれないか?』
『はぁ!?もしかして二人きりってやつ…!?駄目!駄目だね!!行くなら僕も連れて行ってよ!このタコさん何だか怪しいこと企んでそうだし!』
『えぇ…ひどいよぉ…ナツメさん泣いちゃうよぉ。うえぇぇん…』
『あっ…えっ…な、泣かせようとはしてないんだけどな…ご、ごめん…ね?ナツメ…』
『おほぉ!いいよぉ!いい顔いい顔ぉ〜!』
『んんっ!』
キングが咳払いをすると場は静まり返った。蛸と兎の話が盛り上がってきているところに、彼は水を差すようで申し訳ないと思いつつ話を強引に戻したのだ。
『で、その子についてで良いんだろう?キング』
『ああ。話が早くて助かる』
『いやいや、人間を連れてきた時点で察することが出来るでしょう。普通の頭なら』
このちょっと鼻につく物言いのブーイ。こんなやつも最低限の信用を置ける仲間の一人だ。
人類側未登録。推定特異種、または上位種。推定名クロウブーイまたはレイヴンブーイ。
漢名、烏魔。
命名、葉月。
烏のブーイ。人類側に認知されていないが、特異種として処理されるのか、上位種として処理されるのか判断できない。もし知力で区別するなら上位種だろう。
腕のかわりに〝黒い翼〟が生えている。足も鳥のように。全身が羽毛で包まれているがそれは白い羽根である。何故か翼だけが黒い。
羽根を自切でき、落下した羽根はマーキングとなる。例えば、国の各所に落としておけば、理論上は国内全域を監視出来る逸材。それ以外は空を飛べるくらいか。
国内へ侵入する非国民が居ないか管理してもらっている。ただ、対象が地面に接地していないとマーキングも意味をなさないため、空を飛ぶと機能しない弱点がある。彼が味方であるうちに、いろいろと協力をしてもらいたい。
ブーイは基本的に全身が白一色なのだが、彼は翼が黒かった。故に迫害を受け、辺境にて孤独に生活していた。…にも関わらず、マーキング能力でひっそりと迫害してきた奴らを護っていたため、そこに感銘を受け仲間として誘った。
ブーイに対して恨みは感じていないらしいが、同類だからという理由がそうさせているらしい。人間に対しては果たしてどう対応するのか、実は彼が一番の吉か凶かの不確定要素なのである。
『で、キングはその人間をどうするんです?まさか殺すわけでもないのでしょう?集めてまでやる事があほらしすぎますし』
『ああ、そんなことするわけないだろ。今回、皆に集まってもらったのは、〝人間との共生〟が可能かどうかを確認するためだ』
『ふんっ、なるほど…そういうことでしたか。だから緊張しているのですか。らしくないと思っていたんですよ、王様のくせにと』
『場合によっては即襲いかかられても仕方がないからな。お前らを殺すなんてしたくはないんだ、そりゃあ緊張してなんぼじゃないか?』
『ははっ、そこは安心して良いんじゃないですか。ここにいる奴らは全員キングより雑魚。冷静に順序立てて対処すればどうとでもなるでしょ?そして、皆それを理解しています。弱いくせしてプライドが高いだとか、そんなのじゃなくて良かったですね』
やはり鼻につく。しかし一番会話を進めやすいのは彼です。諦めましょう。
『ふへへぇ〜!いちばん雑魚さんのハヅキが何か言ってるぅ』
『脳みそまでふわふわそうなその喋り方、癪に障るんですよね。口を閉じてじっとしてて貰えます?』
『おぉ…?あたしのことふわふわって思ってるのぉ…?どちらかというとぬるぬるのぬめぬめぇ〜って感じなのにぃ』
『……キング、話を戻しますが、人間との共生でしたね。横槍のせいで脱線しかけましたが…まず言えることは不可能に近いということです。あまりにも現実的ではないと思います』
蛸からの視線を無視し烏は続ける。
『長い歴史のなかで、人間はブーイの敵だという認識が染み付いているのは流石にご存じかと思います。…キングがその上で言ってるのは理解していますが、出来たとしても極少数。反発する者達が大多数でしょう』
『ああ、そうだろうと思う』
『意図が読めないのですが、お訊きしても?可能な限り分かりやすくお願いしますね』
『初めから全員を中立的にさせられるとは思っていない。可能な奴から人間に慣れてもらう予定だ。可能な奴って言っても、危害を積極的に加えにいかない奴であることが前提なんだがな』
キングの膝の上に座る兎、アズマは横目で人間の女性を捉える。共生の第一歩としてこの人間を呼んだのだろうと理解。主要な仲間しか呼んでいないのは、少なくとも僕らなら人間を即殺害なんてことをしないだろうと見込んでいると理解。
頭をずっと撫でてくれているキングを信用していないわけではないが、あまりにも無謀な発言には違和感を覚えた。なんでキングは人間と共生をしたいのだろう?
不安な感情が生まれる。
『ねぇ…キング。キングは何で共生したいって思うの?僕らが受け入れなかったら殺すの?もしも今、この人を傷つけたら、僕はキングに殺される?教えてよ』
『共生したいというか、この先の未来を考えると、共生すべきだと思ったんだ。ブーイの繁殖には結局人間が必要であり、人間の知恵がないと俺達は進化できない』
『みゅっ…』
両頬をキングに押される兎。
『やぁぁんかわいいぃ。アズマくん、タコさんみたいだよぉ』
『不安にさせてしまったな。改めて伝えておくが、あんた達は俺の仲間だ。上や下はない。この人間が傷つけられたとして、俺は何も咎めない。己の力不足さを嘆きはするが、ほかの誰かを責め立てることはしない。アズマ、俺の仲間でいるのは不安か?』
『いや…いや!そうじゃないけどさ!でも…あまりにも急で、あと、僕らが危害を加えなかったとしても、この人が危害を加えてこないとは限らないじゃん…!不安なんだ。僕はそれがただ』
『ふっ、よく見ろ。今もこうして震えている。こんな状態の奴にソレが出来ると思うか?』
…多分、キングが言うから安心するんだろう。キングの言葉だから安心してしまうのだろう。アズマは不満気ながらも飲み込んだ。
キングが連れてきた。という理由で自分自身を奮い立たせ、手を伸ばしてみる。
「っひぃ…!」
『あ、ごめっ…怖がらせようとは……してなかったんだけど』
不安なのは相手も同じなのだと理解する。その事実が彼に勇気を与える。彼女の震えている手を、掴む。
『っつぅ…!!』
『アズマ、あまり無理はするもんじゃないぞ』
『いいや!無理なんて……!そ、それにだ、それに…皮を剥がれるよりも百倍楽だねこんなの!へーきへーき!』
『アズマ…』
『は…初めまして。下手な人間の言葉で申し訳ないけど、…聴き取れてるかな?不安だな…でも、キングがいるから伝わらないなんてことは起きないはず!』
キングは驚いた。この面々の中では一番人間を嫌っている。そのはず、そんな推測だったというのに、まさか自ら歩み寄り、ブーイの血の呪を意に介さず接触しに行くなんて想定外だったからだ。
蛸も、烏もぎょっとしている。ずっと静かにしていたミワクも驚いた顔をしている。
皆の認識は同じ。アズマは人間を恐れているか、嫌っている。襲うことはないだろうが、不安な感情は止まらないだろうと。なのに、彼は歩み寄った。
「は、初めまひて…!」
『ひて?にひひ!緊張するよね!わかるよ僕も正直…怖くてたまらない。不安でいっぱいなんだ。でもね!キングがいるから!僕にはキングがいるからこうして君と会話できる!』
「あの…そんなに手を握って、大丈夫なんですか?」
『よゆう!…むしろなんか…不思議なんだけど慣れてきた?キングのおかげかな!』
「本当に…えっと、キングさんが好きなんですね」
『大好きだよ!ここにいるみ~んな、キングのこと大好きなんだ!』
蛸は頷き、烏は舌打ちを。ミワクは頬をポリポリと指でかき、キングは何とも言えない顔で天を仰いでいる。
キングはこっ恥ずかしいが安堵もしている。キングが紹介、または大丈夫だと言った。…その事実が前提なのだが、取り敢えずアズマは大丈夫そうだと。
…と、烏…ハヅキからの睨みに気がつく。この空気、その兎、この脱線をどうにかしろと目で訴えて来ていた。腕を組むように胸の前で重なった黒い翼が小刻みに震えているのは、彼もまた恥ずかしさがあるのか、進行の悪さに苛立ちを覚えているのか。
『あ…あー…アズマは共生に肯定してくれる、で良いのか?』
『うん、僕もオトナってのになる!なんなら…今ここにいるヒト達よりも一番大人してるよね僕今!』
『ああ、偉いぞアズマ。さて、ナツメ、ハヅキはどうする?反対の意見を上げたからといって、別に何か俺からの態度やあたりが変化することはない。今日の会議中に答えを出せというわけでもないから、持ち帰ってじっくり考えるのも良い。己の身の危険を憂うのは良いことだしな』
この第三大広間のU字の長机には、キング、人間の女性を含めず六名がいる。上座である場所にキング、膝の上にアズマ、隣に女性、女性側の列の一番近い椅子にハヅキ、キング側の列の一番近い椅子にナツメ、その隣にミワク。
兎、烏、蛸、天使の四名しか居ないではないか?いいや、室内には確かに六名が揃っている。では何処に?簡単なことだ、椅子に居ないというのなら別の場所に居るというだけのこと。
天井を見上げてみろ。キングが天を仰いだのは恥ずかしかったからという理由だけではない。
二人の様子を窺っていたのだ。
『ねぇ愚兄、どーするどーする?僕らも肯定派になる?あの人間の子可愛いから共生したいんだけど』
『まぁ、先ずは落ち着け愚弟。俺はすぐに答えは出せないな。俺達が信じようとも、人間の子が共生したいですって言うかは分からない。安易に答えを出すもんじゃないよ』
『別に大丈夫じゃない?だってキングが連れてきた子だよ?僕らも肯定派に回ることで、キングと更なる親睦が深められるかもしれないしさ』
『いや、警戒してなんぼ。だけど…ハヅキが肯定したら肯定してやってもいいかな。頭が良い人の意見に従おう』
『ハヅキが肯定するってことは問題が少ないってことだもんね。流石愚兄、良いこと言う』
天井からぶら下がるようにして二名は会話している。ぶら下がるための専用の棒が張ってあるのは、彼らが持参して取り付けたのか、はたまたキングが全部の部屋に付けているのか。
世にも珍しい全身が黒いブーイ。当然ながら迫害を受けている。ハヅキに最終的な判断を任せるかのような発言をしているのは、翼が黒いという、ブーイなのに黒があるという特徴があるあらだ。
更にいうと、空を飛べるという共通点があるからだ。ミワクだって空を飛べるが、黒いという心体的特徴が優先されているらしい。
『ユキカゲ、ツキミツ、俺に頼らないと物事を決められないわけじゃないでしょう?まったく、なんの脳みそなのか…』
『ハヅキ言い方わるぅぅいぃ』
『自分で選べと言っただけですが?いちいち鬱陶しいですね』
ユキカゲとツキミツ。天井からぶら下がる彼ら兄弟の名前である。
人類側登録済。特異種。バットブーイ。
漢名、蝙蝠魔。
命名、雪影、月光。
蝙蝠のブーイ。両者共に特異種である。
全身が黒い。腕のかわりに生えた羽根は意外にも分厚く、一回の斬撃では断ち切れない強度をしている。尖った耳をしており、兄弟間の超音波での会話を可能とさせている。ぶら下がるために脚は偶蹄目のそれではなく、猿と鳥の間のような形に進化している。
戦闘に向いているわけではないが、決して弱いという意味ではない。むしろぶら下がるために鍛えられた脚には鋭い爪がある。超音波で遠距離の情報交換という分野のほうが優れているというだけで、飛行できることを加味して強力だ。
ツーマンセルじゃないと機能しないのだが、逆にそこに目を瞑れば情報戦において素晴らしい人材。彼らは俺自身を慕っているというよりは、ハヅキを慕っているため、ハヅキ次第では敵になりうるのが懸念点か。どうにか懐柔したい。
ある日、お得意のマーキングにて不審な二人をハヅキが発見。表に出ることが嫌いなはずなのに、彼らが黒いと判明した途端に自身の仕事部屋を飛び出しそれぞれを両手に抱えて戻ってきた。舌打ちをして渡してきたところを保護。この一件からハヅキが慕われ、実質的な仲間に加わった。そう、はっきりと仲間だと言えない。
人類に恨みはないが、恐れはあるらしい。翼を持たないブーイに対して、やけに排他的な一面があるのは迫害してきたのがそういう奴らだったからだろう。〝翼がない〟のは人間も同様、ハヅキに抑えてもらいたいのだが不安が募る。
因みに、兄がユキカゲ、弟がツキミツだ。
『鬱陶しいぃなんて酷いこと言うなぁ。ナツメさんまぁた泣いちゃうかもぉ』
『好きに泣けば良いでしょう。どうせナツメは…』
『ふええぇぇぇ…うわぁぁぁん…』
『………便利な涙腺してますね。はぁ、ユキカゲ、ツキミツ、降りて来なさい。タコの相手を頼みます』
『げっ…愚兄どうする?』
『愚弟…行きたくはないよ。でもハヅキさんが指示を出したから行かないと。あのタコの吸盤に捕まらないように気をつけような』
『えぇ…愚兄がそう言うなら行くしかないのか。それにハヅキからの指示だし』
大きくため息をついた二人は天井から降り立った。恐る恐るナツメに近づき、しかし触手に絡め取られて人形のように抱きかかえられる。
必死に抵抗する二名。だが蛸の力は強力だ!蝙蝠如きでは逃げられなかった。無理もない。捕まったらキングでさえも苦労するほどなのだから。
キングは改めて話を振りなおす。
『ナツメ、あんたは共生にどう思う?』
『ん〜…難しいなぁ。例えばさぁ、あたしが良いよぉ〜ってオケしてもぉ、ハヅキとか、この子達が嫌だって言えばそっちが優先されるんでしょぉ?』
『…まぁ、そうなるな。可能な限り仲間が生きやすいようにしたいからな』
『でもぉ、それでキングは生きやすいぃ?……あたしはキングの意見に賛成するけどぉ、自分も〝生きやすい〟にいれないと駄目だからねぇ』
『いや、許容できない。俺はいい…』
俯きがちに答えると、額に吸盤が押し付けられた。
『だからぁ…キングは…』
『ほっておきましょう。キング〝は〟俺と近しい知能があるんですよ。その分の感受性も高いんでしょう。それに、大勢を殺害しておいて今更共生などと虫がいい。人柱になるのは良いけど、共生が成功しより良くなった未来に自分自身を置きたくはないのでしょう』
『…なんだかんだで一番キングの理解度高いよねぇハヅキってぇ』
『逆に分からないんですか?本当に近くにいるだけなら、仲間という言葉ではなくペットでも良さそうですね』
キュポンと額から聴こえた。吸盤が外されたのだろう。首を上に向けたアズマが咄嗟に視線をそらしたのは、額に跡が残っていたからだろう。小刻みに震えて笑いをこらえているのが裏付けだ。
『ハヅキは…共生についてどう思う?』
『肯定か否定かではなく、どう思う?ですか。そうですね…やはり厳しいのではないかと。常識として、本能として敵だと認識してしまうのが現状なので、本気で目指すのならば、これから産まれゆく人間やブーイをどうにかするほかないでしょう。一番の障壁は皇帝達、オルバースの情報を掻き集めるために人類側へと攻め入っている彼ら、そこを何とかしないと無理なのでは?』
『……そうだな』
『俺は共生するならそうしたいところですね』
『な…!本当か?』
『一番の不安要素だったんでしょう。こうして最後に訊くのが不安の表れって感じで分かりやすいですね。予め大多数が賛成の意見を上げることにより、心理的に断りづらいではないですか。…それに、この流れで肯定すると、場の空気に流されたかのようで癪に障ります』
『ははっ、最初から肯定派だったということか』
『発案がキングですからね。ブーイといえど、一ミリくらいは信じられる』
安堵のため息をつくキング。それが偶然にもアズマの耳にかかったようで、瞬時に身震いをした。
今回の会議は、仲間の皆が人間をどう思っているのかの答え合わせを兼ねている。あくまでも推測でしかないのが今までだったため、人間の女性を連れてくることで確かめたかったのだ。
もちろん、彼らに共生が出来るのか…少なくとも仲間達は共生しようとしてくれるのか。コレも今回確かめようとしていたモノだ。
意外と皆はキングに優しく人間に寛容だったのに、キングは皆を信用出来ていなかった。その事実に申し訳なさを加速させ、何とも言えない顔をしてしまう。
舌打ちが聴こえたのは情けない顔をしているからだろう。せっかくキングと慕ってくれているのにしょぼくれていては、皆の気持ちを無碍にしてしまう。慕うヒトがこれじゃあ、不安が生まれてしまうだろうな。
『今回の会議は終わりですね』
椅子から立ち上がり、丁寧にも椅子を戻して部屋を出るハヅキ。そんな彼を追いかけるようにして蝙蝠兄弟が触手から脱し、キングを一目もせず部屋を出てゆく。
ミワクは静かに、蝙蝠兄弟が開きっぱなしにしていった扉を閉め、キングの隣へと歩いて近づいた。
『キング、この子…お風呂に連れて行って良いかな?あと、新しい服とかあげたいし』
『ああ、助かる』
『はーいお嬢さん、僕の手をお取りくださーい!このお城の観光ツアーをしよう〜!』
「え、あの…」
「行ってこい。この城の中なら人間でも平和に過ごせるはずだ。それと…基本的に監視室にハヅキがいる。国内の困りごとは奴にでも訊いてやってくれ。萬屋みたいなもんだアイツは」
キングが言い終えるとミワクは人間の女性の手を取り、優しく立ち上がらせて連れてゆく。驚くことに、アズマもその後ろに続いた。興味が湧いたのか、共生をしたいと俺が言ったからか。俺はアズマを子供として扱いすぎていたかもしれない。
結局開けるなら閉めなくても良かったかな…と、ミワクの声が扉の向こうから聴こえたのは気の所為ではないだろう。
部屋を出る際に手を振ってきたアズマに手を振り替えして、残るナツメに声をかける。ミワク、ヨルと続いて三番目に出会った仲間だ。因みに、ハヅキが四番、アズマが六番、ユキカゲとツキミツが七、八番目だ。
『ナツメは行かなくていいのか?』
『今日はキングに話したいことがあってねぇ〜。いいかなぁ?良いよねぇ』
『ああ…構わないが…』
ナツメから話を振られることは良くある。…が、少し違和感がある。いつもよりも真剣な雰囲気の中で彼女は。
『まずはいい報告ぅ。あたし妊娠したみたいなのぉ』
『な…!?誰の子なんだ…?この国の住民だったとして、誰一人思い当たらないのだが…』
『ん~?分かんなぁい』
『分かんないって…そんなことあり得るのか?朝起きたら妊娠していた…だとかか?』
『秘密ってことぉ。パパは内緒ぉ〜』
『そ、そうか…おめでとう…?で、良いんだよな』
『ありがとぉ〜。……でねぇ、悪い報告なんだけどぉ…』
ナツメは困り果てたかのように、もうどうしょうもないかのように笑った。その不自然な笑みに俺は、妙な胸騒ぎを感じてしまう。この先、何か悪い出来事があるんじゃないかと。
『あたし、戦線に行かないと駄目になっちゃったぁ』
震えた声で、少し潤んだ瞳で彼女は言った。
『皇帝からの指示だからぁ…断れなくてねぇ。生きて帰ってくればいい話なんだけどぉ……』
『ナ…』
『頑張ってくるねぇ。今日会えて良かったぁ…皆ともスキンシップ取れたしねぇ…』
ニュルニュルと触手をうねらせ、部屋の外へと出てゆくナツメ。ちらっとキングの方へ視線を向け、ニコッといつもの笑みを浮かべて後にした。
『……考えろ…失うのは懲りごりなんだよ…!』
広い空間でひとり、頭を抱えて呻くブーイ。
頭のなかで浮かんでは即否定される案の数々。出陣を拒否したとしてどのような理由を提示すればいいというのか。皇帝達はブーイに関心が無い。駒としか考えていない。
妊娠していることが分かれば、逆に出陣を推進してくるだろう。人間は妊婦に弱い…コレを理解しているから。言わないほうが正解なんだ。
人類に認知された上で討伐されずに帰還するのは至難の業。もちろん人間を打ち倒すか、その場のブーイと目撃者を打ち倒せば生きて帰れる。だが、ナツメは大きすぎるし目立つ。
隠れるには向いていないし、そもそもブーイに虐められないとも限らない。
「どうすれば良いんだ…!」
机を叩き、ハッとし深呼吸をする。
諦めるな。まだ可能性が全て消えたわけじゃない。
ハヅキから羽根を貰いマーキングをしてもらうのは?こっそりユキカゲかツキミツに同行してもらい、周囲の情報を常に供給出来れば接敵することなく帰れるんじゃ。
いや、蝙蝠兄弟を戦線に送るのはリスクがある。性格の悪い奴が捕らえて囮として使用してしまう可能性があるんだ。
いくら万能なマーキングだって、遥か遠い地までは管轄出来ない。まさか外へ出てもらうわけにもいかない。本人もそのリスクは避けるだろう。
俺の〝力〟だって…出来れば使いたくない。その場しのぎにはうってつけだが、長い目で見た場合、そのリスクは予想できないまでに痛いものだ。
ヨルは見ることは出来ても声を届けることは出来ない。ミワクのスピードも待機してもらわないといけないし、タイミングも指示を出さないといけない。それには現場を見れるヨルが必須。しかし声が届かないのが痛すぎる。
「………」
こっそり俺が後をつける?それなら解決する。これ以外では不確定要素が大きすぎて実行するのに躊躇してしまう。だが…俺がひっそりついていけば?
それなら、それならいける。
心臓が落ち着いてきた。熱くなっていた身体も少しずつ冷めてきた。呼吸も落ち着いてきた。
そんなタイミングだった。
第三大広間の扉が開かれ、ヨルが息を切らして入ってきたのだ。ドタドタと慌ただしくキングの傍らまで駆け寄り、ガシッと肩を掴んで告げる。
俺はその言葉を聴いて、思考が止まった。
『キングっ…!!皇帝達の話の内容はなぁっ!お前を…!お前を人間の生活圏へ送り込むって…!』
どうやら俺は、人間の街に何日間か、はたまた数ヶ月か、送り出される事になっているらしい。
じゃあ…ナツメは?どうすれば。
再び呼吸が辛くなった。




