宴
それから数日のうちに、350人あまりの女官が誕生し、500人近くの候補生が仮宮を去った。この間に女官の中では長が決められた。
姜内府長のもとに、ばあやはそのまま乳母、家庭教師は先生と呼ばれるままであるが、特筆すべきは式女長が貴子(王妃の身の回りの一切を取り仕切る)、内宮官(内宮を取り仕切る女官)に明鈴宮官が収まったこと。その他教坊などは女大学の管轄となる。
この決定をした星は、早速挨拶に訪れる女官たちを一人一人確かめ、一言一言声をかける。彼女は昼の御座所にあって、貴子はこれにぬかづいて最後に挨拶を行った。朝に布令をだして、全員の挨拶が終わったのは夜も遅くになってからであった。
女たちのかしましさのなくなった夜に、貴子は寝所を辞して池のほとりを歩いていた。高揚してよく眠れなかったのである。かつ、かつと石を蹴って進んでいるうちに、池にかかる橋殿まで来ていた。
まだ冷たい夜気に息を白ませ、貴子は欄干の上にのぼり、目を閉じた。そろりそろりと進んで、橋の上におりる。山の中では細い橋を何度も渡ったりしていたので、慣れっこだったのもあり、やけに落ち着いた。
もう一度のぼろうとしていると、誰かに声をかけられた。驚いて池にぽちゃんと落ちてしまう。
「貴子」
「明鈴じゃないか」
「うわあ、ずぶぬれじゃないの」
「わざとやったのじゃなくて?」
誰か、明鈴の後ろにもう一人いた。珍しい香りのする女である。
「はじめまして。楽士の黄珠ともうします」
「黄珠さん、笑わないでください」
ふてくされる貴子を黄珠はくすくす笑って、「かわいらしい方だって聞いていましたけど」と長い髪を揺らす。
「おねがいです、そんなに笑わないで」
「ええ、ごめんなさい。でもなんでこんな時間に欄干に立っていたりなさいますの?」
「ちょっとした賭けだったんです。失敗しなければ、わたしの計画は成功するはずだと」
「じゃあお邪魔をしてしまいましたわね」
「まあ、そういうことになります」
「わたしたちも眠れなくて歩いていたら、池に人影があるではありませんか。幽霊かと思って」
足はあるのだと貴子は足を指差す。そして、くしゃみを一つ。
「着替えたいので、もう帰ります」
とぼとぼ歩き出した貴子の後ろ姿を見ながら、黄珠はつぶやいた。
「あの方、男みたいな体格をしているわねえ」
いよいよ明日上宮すると言う日、内吏の龍平昌を伴って中君の楽富山が、任命書をもってやって来た。これをもてなし、弦楽の宴が夜に催された。
酒のまわった龍が、そっと席を立つのを見て貴子が席を立とうとすると、富山がその手を引っ張った。
「どこへいくの、やっぱり龍と出来ていたのか」
「いえ、気分がお悪いようなので」
「そうか、君は薬師だったな」
「はい」
「王宮に伝わる秘薬があることを知っているかい?」
「え、秘薬ですって!」
思わず興味を引かれて声を上げる。龍がしょげてあずまやの影に姿を消してしまうのを、目で追いつつもその場から離れられない貴子を、星は珍しいと感じているようだった。
「いいの? 彼は待っているわ」
「え、ええ、でも」
「じゃあ、一曲何か演奏してもらおう。そうしたら、離してあげる」
いじわるな富山の手から、笛をとった貴子は、「山猿に笛は似合いだと思いませんか」と唇をあてた。
高く済んだ音があたりに響き渡る。その音は夜の空気をふるわせ、人々の肌に伝わっていく。体温を操るかのように、ひょうひょうと吹き分けられていく音たち。拍も正確で申し分がない。こう、すっきり目の覚めるような音であった。
「以上です」
「ずるいぞ、吹けるなんて」
「あら、富山さまだって吹けないと思っておっしゃったんですもの、ずるっこです」
それだけ言うと貴子は龍の後を追った。
弦楽の音を背にあずまやの影に入ると、龍が飲んだくれて座り込んでいた。
「一体、どうなさったんですか?」
声を掛けると、龍は「どうしたもこうしたもない」と舌打ちする。
「明鈴の奴、さっきから愛想もなくて」
「ははあ……失恋ですか」
「うるさい!」
泣きはしないものの管を巻く龍に、貴子は、本当はお前を守るために明鈴がしていることだと教えてやりたかった。しかしそれは、出来ない。
自分が王の首を取ると決めたせいだと、言わなければならなくなるからだ。
それに、男がそんなことで喜ぶとは思えなかった。好きな女に守られるなんて、情けないだろうから。
「結局、あなたはだめなんですよ」
「うるさい、ちょっとこっち来て一緒に飲め」
横に座らせられて、貴子は龍に酒をつぐ。「お前も飲め」「あ、ども」
「お前には教えておくがな、実はおれはグン・プトンの生まれではない」
「へえ、それが何か」
「記憶がないんだ」
「ふーん」
「そして、やけどの跡がある」
「まるで明鈴のお兄さんの生まれ変わりみたいですね」
「そう思うだろう」
「ええ」
「だからなんだろうな、明鈴が気になるのも。おれは本当は、お前のことが好きなんだけど」
珍しく切れ長の瞳が和らぐ。
二人はしばらく見つめあっていたが、それ以上は進展しなかった。貴子の目に光が現れないからだった。見つめあうとたいてい女は瞳孔が開き、潤んできらめくのだが、と龍は首を傾げる。
「じゃあ、お水もってくるよ」
「貴子」
立ち上がった貴子を龍が見上げる。彼の目こそ、潤んでいた。
「ありがとう」
「いえ」
貴子はさっと身を翻して、宴に戻った。
星の髪飾りが揺れて、少しとれそうだった。
前からまわって、そっと直して上げているとき、彼女の髪の香りが鼻腔に漂った。その時、髪飾りの光る部分に自分の瞳が映り込んだ。潤んで熱っぽい瞳だった。
「貴子、熱でもあるのかい?」
弦がかき鳴らされる。黄珠である。
「いえ、富山さま」
かあっと顔が赤くなる。
そうか、おれは星さまのことが。
「ちょっとお酒を飲み過ぎただけです」
星さまのことが、好きなんだ。
明鈴の言葉が頭によぎる。
<王を殺せば星に憎まれる>
おれは、どうすればいいんだ?
後宮で起きた事件を調べていた部署がある。検非違使である。
そのうちの一人に、装飾品にうるさい男がいた。所有する刀は九百九十九本。あと一本何か欲しいと思っている時に、ちょうど血のりのついた小刀がやって来た。
これを見て彼は目をまるくした。
「こ、これは誰がもっていたのですか! 象眼作りの逸品ですぞ! ただの者が持つものじゃない!」
その日、刀は彼によってピカピカに磨かれ、彼の所蔵品となってしまった。
彼の名前を、斑学文というのだが、また後に出ることになろう。




