怪物と夢見る神子 5
最近、無理に書かなくても、場面ごとに話数を分ければいいじゃないかと思い付いた。
月の光が薄暗い廊下を照らす。時たま、大きな人影が窓の光を遮りながら動いている。
詳しく描写するまでも無く、俺だ。ただし、俺の姿はここ数十年馴染みのなかった人の姿だ。
建物の中を“狭い”ではなく、“広い”と感じるのは、やはり俺が人間の姿だからなのだろうか?
やはり怪物と人間の感覚の差は酷いな。
手で握れる物とか、細いと思ってた物が意外と手にしっくり来たり、小さいと思っていた物がそれほど小さくなかったりなぁ。
リセルは小さい小さいと思っていたが、怒りで真っ赤になったあいつは、異様に大きく思えた。
おかしいな……、竜種とか魔鉱種は平気だったんだが……。
ギラギラした牙や、圧し潰されそうな岩の拳より、リセルの眼力に怯えてしまうとは、俺も歳を取ったということなんだろうか。
何故かな、最近になってよくあなたの言葉を思い出す、母よ。
女って、よく解らんな……。
結局俺は何故あの部屋に呼び出されたのか、それを聞く前にミーシャさんの爆弾発言で俺が爆破された。
男女の理解の縺れから、悲劇が引き起こされるという貴重な体験だった。
だが本来の目的であるリセルの用事について、何も解らない。
入った直後にからかわれ、自分の失態を暴露され、そして爆破と氷結のダブルパンチを受けるものだと思っていたら部屋を追いだされ……、あれ、なんだろう? 目から汗が……。
今まで考えないようにしていたが、ここ数日、俺はもしかして虐待を受けているんじゃないだろうか?
怪我をしているリセルに負担を掛けるのは悪いな、と思い、食料の調達から寝床の確保まで旅の隅々を手伝った。
俺の個体としての価値が貴重だから解剖させてくれ、と頼まれれば、そもそも今の状態で解剖しようとしたらどうなるか解らないぞ、と言って説得した。
何かしらイライラが貯まると、会話しながらでも蹴りかましてくるリセルに、まあこんなもんなんだろう、とジワジワ痛む脚を引き摺った。
ん? もしかしなくとも、俺はかなり不当な扱いを受けているんじゃないだろうか?
怒ってもいいんじゃないか?
むしろ、拳骨くらいくれてやってもいいんじゃないか?
でもなぁ、そんなことしたら、あいつは確実に怒るよなぁ。
氷漬けにされて粉々に爆破されるだろう、たぶん。
さっきの変な叫び声を聞くに、相当怒っているんじゃないか?
これはまずいな、明日謝っておいた方が良いか。母曰く、「女が本気で怒ったら無視するから、それ以外の時はほとぼりが冷めてから謝るのよ」、とのことなので、明日になれば話くらいは聞いてくれるだろう。
「まったく、本当に手間の掛かる奴だな……」
溜息をつき、月を見上げ、なんとなく、自分が苦笑しているのが解る。
恐らく、俺はこんな想いも、悪くないと感じているのだろう。
あの日から、ただ生きて、この世界の母を忘れぬ為に、巡り巡って森の覇者となった。
古く錆びれた記憶の姿と、怪物であった己と、二つの隔たりを埋めるように、ただ自分を見つめ鍛えてきた。
強靭な肉体、自在に動く四本腕、死闘を繰り返して学んだ智恵、そうしていつのまにか、俺はピウスとして、違和感なくこの世界に生きていた。
超常現象への混乱から始まり、森の主となってからの隠遁生活。母と死に別れ、それからはずっと独りだった。またはボッチというが……、それはまあ、うん……。
数十年ぶりに人間と接した感想としては、なんか、これは良いとも悪いとも、騒がしい日々だったなとしか言いようがない。
顔面を凍らされ、拳骨を食らい、補修先の遺跡を爆破され、いつの間にか人間に……、騒々しいな、母よりはマシだと思うが。
そういう騒がしさを、懐かしいと感じてしまうくらいには、時が流れてしまったということなんだろう。
そういえば、人間ほどの大きさだった時期もあったんだったな。懐かしく感じる訳だ。
「今度は、何処へ向かうべきなんだろうな。人間から怪物と来て、怪物から世界を救う勇者か……」
いつかは死ぬと思っていたが、まだまだ先の話のようだ。
怪物として終わるのも、悪くは無いと思っていたんだが……。何の因果か、俺は随分奇特な運気に恵まれているらしい。
「まあ、しばらく騒がしい怪我人を世話するのも悪くないだろう」
流されている内に、目的の方から勝手に流れてくるだろう。
俺の人生は、大体こんな感じで、周りのどうしようもない出来事に流されて始まるもんなんだな、と改めて実感する。
「…………しばらくは、静かだったんだがなぁ」
仕方あるまい。どうせ自分には、それを邪険に思う気概も無いのだから。
面倒でも、うるさくても、それが幸せなんだと、遠い昔に教えて貰った。
そして、リセルとの騒動の余韻を心地良く感じられるくらい、自分は今の状況が嫌いではない。
「寝るとするか」
明日もまた煩わしい日々が始まる。声を聞き、声を出す、会話をする。気に入らないとあいつが言えば、どうして気に入らないのかと俺が相槌を打つ、そんな明日が来る。
それを無理なく過ごすには、少しばかり、身体の調子を整えておかねば。下手をすれば、人間の俺だと死にかねないからな。
死の恐怖とは、久しく縁が無くて勘が鈍っているからな。
「やはり、早まっただろうか?」
そう、月に尋ねてみる。
月は悠々と夜の帳を照らしながら、ただ空に佇んでいた。




