二
梓乃の意識が戻ってから、更に五日後。驚異的な回復力で、もう命の危機は去ったと断言出来る状態になった頃、梓乃の元に光秀が訪れた。敷かれた布団の上で土下座したまま微動だにしない梓乃に、光秀は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「頭を上げよ、居心地が悪くてたまらんではないか」
「は、しかし…私どものような下賤の者に、情けをかけて頂いたのですから…」
「よいのだ、我が領地に屍が転がっていては、それこそ寝覚めが悪いというもの」
カラカラと朗らかに笑う光秀に、梓乃は恐る恐る頭を上げた。その顔を、光秀がまじまじと覗き込む。
「ほぅ、あの時は気付かなかったが、随分な美丈夫ではないか。…が、おぬしには異人の血は流れていないようだ」
梓乃の横にぴったりとくっつく綾女を一瞥し、再び梓乃の顔を見る。互いの関係を答えることを促されているのは一目瞭然だった。
「申し遅れました、私の名は梓乃。この女の童は綾女と申します。この童は私の養い子にございます」
「養い子か。なるほど、親子にしてはいささか年が近過ぎるし、かといって兄妹には見えんしなぁ」
顔立ちも声の調子も、穏やかな気性の男と見受けられる。それにしてもこの光秀は、異人である綾女に対して何の嫌悪も抱いていないようだ。高い身分でありながら、自分たちのような卑しい身分の者に情けをかけたり、梓乃のよく知る上層の身分の人間と、目の前の男は根本的に違うのかもしれない。
更におかしなことが起きた。
「…お話の最中、失礼します」
突然部屋の襖が開け放たれ、一人の女人が入ってきた。豪奢というわけではないが、上品な佇まいからしてそれなりの身分の人なのだろうと視線を向けた時。
「あ…」
綾女が咄嗟に梓乃の着物の袖を掴む。入ってきた女人の顔の半分が、痘痕だらけで、そこは焼きただれたように赤黒く変色していたからだ。綾女の反応は子どもらしい素直な反応だったが、だからといって許されるものではない。
「綾女っ!」
咎めるようにきつく一喝する梓乃に、女人は申し訳なさそうにその顔を歪めた。
「…驚かせてしまってごめんなさいね。お見苦しいものを見せてしまったわ」
「ち、違うの!」
大きな声を張り上げ、言葉遣いも正そうとしない綾女に、梓乃がバカ!と小突きたくなったのは言うまでもない。
「違うの、私、ただちょっとびっくりしただけよ…私の方がずっとずっと、見苦しくて醜いのに」
「まぁ…そんなことはないのよ。貴方は南蛮のお人形のようで、とても可愛らしいわ」
ふふっと笑う女人の顔は、痘痕さえなければとても美しいものだったに違いない。その様子を見守っていた光秀が口を挟んだ。
「妻の煕子だ。夫婦になる前に、疱瘡を患ってな。だが、南蛮から取り寄せた軟膏で随分良くなった」
この時代、南蛮商人から物を買うことは大名たちの間でも賛否両論に分かれていた。新し物好きで盛んに貿易をする者もいれば、外から入ってきた胡散臭い宗教にかどわかされてなるものかと、極端に忌み嫌う者もいる。この光秀は前者に違いない。部屋に置かれた精巧な金細工の置物や、二つの針が秒刻みに動く物体。これらは全て、南蛮商人から得た物なのだろう。綾女に対してさほど抵抗がないのも、見慣れているからなのかもしれない。
だとすれば、これは…。
無礼は承知の上だが、ここは一つ賭けに出てみるべきだと判断した。問題はそれを言い出す頃合いだ。梓乃の顔つきが引き締まったのを察したのか、光秀が妻の煕子に声をかけた。
「わしはこの者と二人で話がしたい。煕子、女たちと綾女を暫く頼んだぞ」
『…なっ、得体の知れぬ者と殿様が二人きりなど…』
「口を慎みなさい、お前たち。承知つかまつりました、綾女、こちらにいらっしゃいな。美味しい菓子をあげましょう」
菓子なんて上等なもの、口にした事もない。綾女は易々と梓乃の側を離れ、煕子と共に部屋を出て行った。
「…さて、邪魔者も居なくなったところで、そろそろおぬしの思惑とやらでも聞こうか」
この男はこちらの考えていることなど、すっかりお見通しなのだろう。こちらの意を汲み取る観察眼といい、この光秀という男、ただ者ではない。
「この命を救って頂いたにも関わらず、ご無礼を承知で申し上げます。どうかあの娘、綾女を、ここで下女として置いてやってはもらえないでしょうか」




