一話「転生しました。悪役に」
「初めまして。アイラ・ハボットです」
キターーーーーー!!!!
そう声に出さず、黙って前を見る事だけに集中できている事を、誰かに褒めてもらいたい。
アイラと名乗ったピンク色の髪をした少女が目の前に現れるのを、どれだけ待ち望んだことか。
自分がこの世界に来てたった三日だが、たった三日がとても長かった。あとどれだけ待てば、この少女に出会えるのだろう。そう浮足立った心を何とか鎮め、この時を迎えた。
「ハボット嬢は今年からの編入生だ。慣れない事も多いだろうから、皆色々と教えてあげなさい」
担任がそう言うと、生徒たちは困惑しながらも控えめな拍手をする。あまりにまばらすぎるその音は、彼女を歓迎しているようには思えなかった。それもそうだろう。この学園は、由緒正しい王立学園。生徒の殆どは、王族や貴族など身分の高い家の子供たち。入学できる人間は限られており、編入してくる生徒など滅多にいない上、アイラはとある事情があった。
「では、授業を始める」
いそいそと空いている席へ向かうアイラは、すれ違う生徒にぺこぺこと頭を下げながら机の間をすり抜けていく。誰も、会釈の一つも返さない。にこりと微笑みかけるくらいしてやれば良いものを、貴族というのはどうにも気位が高すぎるように思えた。歓迎されていないと誰でも分かる様な空気に、アイラの表情は緊張が更に強まっているように見えた。
ああ、可哀想に。誰でも良いから優しくしてあげなさいよ。ああ、もっと席が近ければ、小声で「よろしくね」と囁く事くらいはしてあげられただろうに。
やきもきとした気分で手をまごつかせ、苛立ちながら教科書を開く。見慣れない文字が並ぶその本は、じっと見つめているうちに見慣れた日本語へと変わる。あまりに不思議な事象だが、この世界へ来るという経験が既に不思議な事。今更何かに驚くのも無駄だと溜息を吐き、黒板に文字を書く担任の後頭部を見つめる事に集中した。
◆◆◆
不思議な事には驚かない。というよりも、いちいち驚いていては身が持たない。
三日前、目が覚めると見慣れない部屋にいた。何事だと大慌てでベッドから転がり落ち、部屋の中をうろうろしているうちに、部屋の隅に置かれた鏡の前で動きを止めた。
真っ赤な髪に水色の瞳。吊り上がった目は気が強く見える。私はこの顔を知っている。
大好きな乙女ゲームの悪役令嬢、エリザ・バートレイだ。
愕然としながらも、これは夢だと何度も自分に言い聞かせた。だが、何度言い聞かせて目を覚ませと自分の頬をひっぱたいても、夢が醒める事はなかった。
「ごきげんよう、エリザさん。また明日」
「ごきげんよう。また明日ね」
所謂異世界転生とやらをしたのだろう。そう結論付けてからは早かった。どうせ醒めない夢なのならば、いっそのことこの世界を思い切り楽しんだ方が得。エリザとしてこの世界で生き、とある目的を果たす為に動き回ってやろうと思った。
学園の廊下を歩きながら、声を掛けてきた女子生徒ににこやかに手を振る。カツカツとヒールの音を響かせ、毛先がくるくると巻いた髪をゆらゆらと揺らしながら歩くのは気分が良い。荷物が入った鞄を抱えて歩くだけでも、自分が美しいというだけでこんなにも気分が良いなんて不思議なものだ。
「……みぃつけた」
にんまりと口角を上げ、エリザは遠くに見える一人の女子生徒をじっと見つめる。わざとらしく足音を少し大きくして歩くと、女子生徒はくるりとこちらを向いて、ホッとしたように表情をやわらげた。
「あ、あのう……」
「ごきげんようハボットさん。どうかされまして?」
「あ……同じクラスの方ですか?すみません、まだ皆さんのお名前もお顔も覚えきれていなくて……」
「沢山いますものね。私はエリザ・バートレイ。ドーラム公爵家の娘ですわ」
出来るだけ優しく見えるように、ニッコリと穏やかな笑みを浮かべ、アイラに向けて軽い会釈をした。思惑通り、アイラはエリザを優しそうな人と思ったのか、可愛らしい笑みを浮かべてくれた。
「何かお困り?」
「あの、図書室に行きたいんです。でも道に迷ってしまって……」
「あら、大変ね」
それだけ言うと、エリザはまたカツカツとヒールを鳴らしながら歩き始める。背筋をピンと伸ばし、胸を張って、前を向く。自信に満ち溢れた貴族令嬢らしく歩くのは、なかなかに難しい。
「この学園、本当に広いですね」
「ええ、そうね。しかも古くて増設を繰り返しているから、まるで迷路みたい」
うふふと笑うと、アイラはパッと目を輝かせる。学園に通って二年目でも迷子になるとでも思ったのだろうか。もし仮にそう思われたのだとしても、二年通っていて迷子になるのはどうかと思うが。
「わあ……中庭まであるんですね」
「お昼休みには生徒の憩いの場になるのよ。軽食を食堂で買って、ここでいただくの」
「素敵!」
「私はここでお食事なんてしたことないけれどね。手掴みでお食事だなんて……ね?」
くすっと嫌な笑みを浮かべると、アイラはひくりと口元を引き攣らせる。
公爵家令嬢であるエリザは、軽食を手掴みで、しかも地べたに座って食べるなんて事はしない。ベンチに腰かけることはあっても、手掴みでの食事というのが受け入れられないらしい。
以前異世界転生物の漫画を読んでいて疑問に思っていた事がある。乙女ゲームのキャラクターになった主人公は多く見るが、ストーリーの大筋はプレイヤーとして記憶しているとして、ストーリーで描かれない細かい部分はどうするのだろうと。
結論から言えば、エリザの記憶は、頭の中にきちんと残っていた。
普段家の使用人にどう接しているか、クラスメイトの誰とどのような話をするのか。キャラクター設定には書かれていない細かい趣味や嗜好。あれはどうだったかと考えるだけで、自然と頭の中に浮かんでくる。なんと便利な事だろう。
便利ではあるのだが、頭の片隅に自分ではない別の人物の思考が残っているせいなのだろう。アイラという人間に、少しの嫌悪感を抱いてしまう。
由緒正しいこの学園に、よくもまあ孤児院出身の人間が入って来られたものだ。
そんな軽蔑するような感情が静かに渦巻くが、それ以上に「やっと会えた」という感情も湧いてくる。つまり、頭の中が大騒ぎだ。
手掴みなんて……という言葉はエリザ本人の言葉がそのまま出てしまったが、元の平凡な日本人の考えからすると、手掴みで軽食を食べる事の何が悪い、である。
「えっと……あの、図書室って遠いんですね」
「あら?私、図書室には向かっていませんわよ?」
「へ?」
「図書室はあっち。反対方向ね」
「え、でも……案内してくださっているんじゃ」
「ふふ、私は案内するなんて一言も言っていませんよ」
コロコロと笑いながら足を進めた。呆然としたアイラは、困惑しながらも悲しそうな顔をして、僅かに俯きながら来た道を引き返す。その姿を確認すると、エリザは大急ぎで中庭に飛び込み、低木の影に身を潜めた。
「案内くらいしてやんなさいよお……!」
奥歯を噛みしめ、拳を握りしめながら誰に向けるでもない言葉を吐き出す。意地悪をしているようで……否、間違いなく意地が悪い事をしたのだが、この行動には意味がある。
「おや、どうかしたのかな?」
「え……」
「よっし!」
低木の影にしゃがみ込みながら、エリザはぐっと拳を握りしめる。今歩いて来た廊下から、もう一人の目当ての人物が歩いて来たのだ。
金髪碧眼の王子様、ルイスである。彼はゲームの攻略キャラクターの一人であり、正真正銘この世界での王子様である。
「見ない顔だね。もしや、今日から編入してきたハボット嬢かな?」
「そうですけど……何で私の名前を?」
「編入生なんて珍しいからね、噂を聞いていたんだ。何かお困りかな?もしかして……迷子、とか」
ニコニコと微笑むルイスに、アイラは警戒しているのか鞄をぎゅっと胸に抱えている。まるで小動物のようなその仕草に、エリザは興奮の声が漏れないように口元を両手で抑えた。
ゲームで何度もこのシーンを見た。ルイスと初めて出会うこのシーンを再現する為だけに、迎えの馬車を待たせてわざわざここに来たのだ。必ずルイスと出会う選択肢を選ばせる為に、意地悪な事をしてまで、アイラを中庭まで連れてきた甲斐があった。
「やばあ……やっぱ推しカプを目の前で見られるとかオタクとして最高の誉れ……」
小声でブツブツと呟きながら食い入るように二人のやり取りを見つめていると、ルイスはそっと手を差し出してアイラを誘う。一緒に行くよという台詞と共に歩き出すルイスは、この後アイラを図書室まで送ってくれるのだ。
初対面を無事済ませた事で、ゲームではルイスルートのロックが外れることになる。あと数人攻略キャラクターがいるが、どのキャラクターも初対面を済まさなければロックは外れない。今日はゲームで言うところの初日。初日でルイスと出会えたのなら上々だ。
「この調子で推しカプをどうにかこうにかしてくっつけて、卒業記念パーティーのダンスを拝まなければ!」
ニヤニヤとだらしのない笑みを堪えきれないまま、エリザは改めて拳を握りしめる。
胸の内には「何故平民が殿下と」と嫌な感情が渦巻いているが、これは仕方のない事だろう。元のエリザは、ルイスに想いを寄せる悪役令嬢。アイラを苛める悪役なのだから。
「そんなところで何をしているんだ、お前は」
「うわああっ」
背後から掛けられた声に思わず悲鳴を上げた。慌てて振り向くと、そこには眉間に深い皺を刻んだ男子生徒が立っていた。
「ごっ、ごきげんようジョージ!」
「ごきげんよう……?お前が、俺にそう言うのか」
ハン、と鼻を鳴らしたジョージは、「お前が嫌いだ」と突きさすような視線をこちらに向ける。エリザの胸にも「大嫌い」という感情が渦巻いた。
「また、殿下を追い回していたのか」
「そうだけれどそうじゃないと言うか……貴方こそ、殿下の後を追いかける子犬の真似事かしら?」
「チッ……相変わらず腹の立つ女だ」
「あら失礼ね、仮にも婚約者相手に」
「破棄してもらえるのなら、この世の全てに感謝し涙を流すんだがな」
ぎすぎすとした言葉のやりとりが止まらない。こんな事を言うべきではないと分かっているのに、エリザが口を止めてくれなかった。
これ以上喧嘩をしたくないエリザは、苛立った気分を誤魔化す様に、自身の太腿を拳で殴りつける。
「……私の用事は終わりましたので帰ります。それでは、ごきげんよう」
制服のスカートをちょいと摘まんで軽く頭を下げ、エリザはそそくさと廊下を歩いて玄関ホールを目指す。
エリザとジョージは婚約者同士だが、エリザがルイスを追いかけ回しているせいですこぶる仲が悪い。更に言うと、ジョージも攻略キャラクターの一人で、ジョージルートに入ると邪魔な存在であるエリザは学園から追放され、他国の親戚の家に追い出される事になる。
「……あれ、もしかして上手い事やらないと私追放エンドなんじゃ」
はたと気付いたエリザは、歩きながら考えを巡らせる。ルイスとアイラがハッピーエンドを迎えた場合、エリザはアイラに非道な行いをしたという理由で学園から追放される。それを避けるとなると、推しカプを目の前で拝むという願いは叶えられない。
さて、どうしよう。
そこまで考えて、なかなか建物から出て来ない令嬢を待っていた迎えの御者が馬車の扉を開いた。




