12 リーゼガルードの港には観光船やボートなどが並んでいた。
最終回です。
リーゼガルードの港には観光船やボートなどが並んでいた。
外洋とは違い湾内であるため、沖に行かなければ波も穏やかだ。
海岸沿いの道にはレンガ作りの建物やガス灯が並んでおり、ノスタルジックな雰囲気を醸し出している。雑貨屋やレストランが数多くあり、店を冷やかしながら散策を楽しむことができる。
レイナとミネルバは、クルーズ船の客引きをしている者に話をつけて、五十人程度が乗れるほどの船を一隻、あっという間にチャーターしてしまった。
「湾内を半周して、アース島ってところで一泊して、またこの港に戻ってくるコースがあるんですって!他のお客がいると邪魔だから、一隻丸ごと貸し切りにしたわ!もともと食事は船のほうに用意されているんだけど、お菓子とかケーキももう少し欲しいから、それ、侍女たちと一緒に買いに行ってくる!出航は一刻後っ!クロムとシアレーゼは先に乗っていて!」
侍女全員と護衛の半数を連れて、ミネルバたちはさっさと行ってしまった。
残されたのは護衛の半数と、シアレーゼとクロムだ。
「えーと、じゃあ、先に船に乗って待っていようか?」
制服を着た船の乗組員に案内されて、シアレーゼはクロムと共に船内に入る。
船内に入るとすぐに木製の飾りの舵や看板、錨が飾られ、その周りを色とりどりの花で美しくディスプレイされていた。
案内係の乗組員が、その場で足を止め、船内の案内図を指さしながら、言う。
「船の一階と二階の両方に広いダイニングがあり、その窓から海を眺めることも出来ます。船の後方にはゆったりとくつろげるサロンスペースもありますので、そちらで出航までお待ちになりますか?ああ、一番のお勧めは三階の展望デッキです。お申し出があれば、船長室や操舵室などもご見学可能です」
「そうだな……、その展望デッキのほうにコーヒーと紅茶を持ってきてもらうことは可能かい?」
「はい、もちろんです」
「では、僕たちは展望デッキに行くよ。ああ、それから連れが船に戻ってきたら、展望デッキに居ると伝えてもらえるかい」
「畏まりました。お飲み物と伝言、確かに受けたまわりました」
添乗員が恭しく一礼をした。
シアレーゼは軽い足取りで階段を上がり、展望デッキへと向かった。
「わあ……っ!」
思わず駆け寄って、手すりから身を伸ばす。船の上から眺める海は、いつもより一層輝いて見えるようだった。
風も波も穏やかだ。止まっている船は、揺れもあまり感じない。
シアレーゼは海風を胸いっぱいに吸い込んでみた。
(ああ……、なんて気持ちが良いんだろう)
アレンに別れを告げて、それからすぐにレイナとミネルバに振り回されるようにして旅をした。戸惑うシアレーゼの側に、常にクロムが居てくれた。
(お従姉様達の言う通り『時間薬』っていうのは本当ね……。旅の間、アレン様のことなんて、たった一度も思い出さなかったわ……)
シアレーゼはじっと自身の指を見た。
アレンに投げ返す前までは、ここにずっと婚約指輪が嵌められていた。毎日毎日アレンの無事を祈り続けた。
外した後、跡が残っているのが嫌でごしごしと擦り、皮膚が痛んだ。
(もう……跡も、痛みも残っていないわ。初めから何もなかったように)
指輪の跡は綺麗に消えた。それはクロムが治してくれた。
馬車の中で大泣きして、涙が収まるまで、クロムが優しく抱きしめていてくれた。
(あの時……クロムお従兄様から聞いた未来……。エメラルダお従姉様が見た未来で……、わたしは『恋をしたかった』と告げて死んだ……)
そうして、クロムに告白された。
シアレーゼを幸せにしたいなら、他人に任せるのではなく、僕が。シアレーゼが僕に恋をしてくれるように努力するべきだったんだ……と。
この旅の間、その話をクロムは一切しなかった。
ミネルバたちに引きずり回されてあたふたとしながら、それでも旅を楽しんでいるシアレーゼの側に居てくれた。
(ミネルバお従姉様達に引きずられるように旅をして……有耶無耶になってしまっているけど、わたし、ちゃんとクロムお従兄様の事、考えたいって思ったんだったわ……)
ただ、ミネルバの言う通り、心に余裕がない時に考えていても、どうしてアレンに捨てられたのか、などと悲しむばかりでクロムのことなどもきちんと答えが出なかったのだろう。
優しいクロムに甘えるだけになってしまったかもしれない。
(わたしはクロムお従兄様のことが好き。その好きは家族としての感情……。でもクロムお従兄様はわたしを妹としてではなく、一人の女性として愛してくださっている……)
きちんと考えてクロムに向き合うべきだ。そうシアレーゼは決意した。
くるりとクロムの方を向けば、クロムはのんびりとデッキチェアに腰を掛けていた。船の乗組員がコーヒーと紅茶を持ってきて、クロムの席に一番近いテーブルに置く。
「お連れ様からのご伝言です」
そう言って、乗組員が二つ折りにされたメモ用紙を渡してきた。
クロムはそれを受け取って、少しだけ眉根を寄せた。
(何が書いてあるのかしら……?)
寄り掛かっていた手すりから手を放し、シアレーゼはクロムの方へ近寄って行った。
「クロムお従兄様。ミネルバお従姉様達に何かあったのですか?」
「ああ……。レオハルトの『伝達』能力を使ってレイナに連絡があったんだけどね。内容が多すぎて、レイナがちょっと頭痛だってさ」
手を繋げるような位置に居るのならば、レイナとレオハルトはどんな内容でも瞬時に伝えられるし、体に負荷はない。
だけど、王都と南端の港町では距離も遠く、また伝達の内容も多かったのだろう。
そんな時は送信者のレオハルトにも、受信者のレイナにもそれなりの負担がかかる。
「頭痛が酷いから、客室のベッドでしばらく寝ているってさ。ミネルバがレイナに付いているって」
「わ、わたしも……」
「シアレーゼはゆっくりのんびりしていなさいって、このメモに書いてあるよ」
「で、でも……」
「それにね、レイナが受信したのは勇者アレンの動向だ。知りたいだろう?」
「え?」
シアレーゼは目を二・三度瞬かせた。
アレンの名と、知りたいという言葉が頭の中でうまく結びつかなかったのだ。
所在なさげに、きょろきょろと、視線を彷徨わせた後、シアレーゼは俯いた。
「……わたし、薄情なのかしら。七年も思い続けていたのに。アレン様のことなんて、もうどうでもよくなっているわ……」
キャサリエナとアレンの結婚式を知らされた時。そして、それを目の前で見た時。
アレンからもらった婚約指輪を投げつけて「さようならアレン様」と背を向けた時。
馬車の中で、盛大に泣いて、クロムに抱き止めてもらった時。
確かに、胸は切り裂かれるように痛んだはずなのに。
「世界が終わるくらいに、辛かったはずなのに……」
シアレーゼは自身の心の変化に呆然とした。
クロムは嬉しそうに目を細めた。
「良いんじゃないか?いつまでも覚えていたって無意味だろう」
「でも、だって。わたし、あんまりにも薄情というか、切り替え早すぎませんか?」
「良いんだよそれで。例えばディナーでグレイビーソースのかかったローストビーフが出たとする。食事中はその美味しさに舌鼓を打つかもしれないが、食べ終わった後、皿の上に残ったソースのことを考えるかい?もったいないなどと言って、ソースまで綺麗に完食する美食家もいるだろうが、食後は洗われるのを待つだけの汚れた皿に過ぎないよ。そんなソースのことをいつまでも考えている者はいないだろう」
「クロムお従兄様……、食後の食べ残しのソースって……」
例えにしてもあんまりではないか。
「その程度のものだよ、別れた男など。それでいいんだ。何時までも過去に囚われなくとも。アレンのことがもうどうでもいいと思えるのなら、もうシアレーゼの心は未来へ向かって進んでいるんだよ」
「そう……なのかしら……?」
「過去の男にこだわることなく、未来の男に心奪われてほしい……。そうしてその未来の男が僕だったら、これ以上の幸せはないよ」
クロムの口調はさらりとしたものだった。が、ビリジアン色の瞳にはこれ以上もない熱が込められていた。
シアレーゼの胸が早鐘を打つ。それと同時に船の汽笛が鳴った。出航だ。
ゆっくりと動き出す。船も……シアレーゼの心も。
「クロム……お従兄、様……」
少しずつ、速度が上がる。港が、街が、遠ざかっていく。海に波が立つ。ゆっくり、ゆっくりと。
「ああ、そうだシアレーゼ。出来ることならば僕のことはこれから『お従兄様』をつけないで、『クロム』とだけ呼んでくれないか。改めて、従兄としてではなく、一人の男として見て欲しいから」
真剣なクロムの眼差しに、シアレーゼの鼓動が速くなる。どきどきと、走り出したこの気持ちが恋なのか、シアレーゼには分からない。
だけど。
「クロ……ム……」
「うん」
ぎこちなく名を呼んだシアレーゼ。
クロムは立ち上がり、シアレーゼの側に立つ。クロムは右の手をシアレーゼに差し出した。まるで雨上がりの青空のように鮮やかな顔で。
シアレーゼはおずおずとその手を取る。
ぎゅっと握られた手と手。
固く握られて、そうしてそのままクロムに引っ張られる。
(あ……)
抱き寄せられて、クロムの胸に頬があたった。クロムの腕が、シアレーゼの背中に回される。
シャツ越しに、温かな体温と速い鼓動が伝わってくる。
(クロムお従兄様の腕の中は……温かい)
シアレーゼはクロムの腕の中で目を閉じる。
(クロムお従兄様は……、ううん、クロムは、いつだってこうやってわたしを温めてくれる)
従兄妹という関係で、当たり前のようにあったクロムの優しさ。
だけど、クロムは『従兄』ではなく『一人の男』としてシアレーゼの側に居たいと、そう言ったのだ。
(今はまだ、この気持ちが恋なのかどうかわからない。だけど……いつか、未来で)
シアレーゼはクロムからほんの少しだけ体を離すと、クロムの瞳を見上げながら告げる。
「わたし……、わたしはね。正直に言うとまだ、クロムお従兄……、ううん、クロムに対する気持ちが『恋愛の好き』か『兄への親愛』なのかわからないの」
「うん」
「だけど、だけどね……」
「うん」
「いつか、未来で。クロムから受け取った愛を、きちんと全てクロムに返したい。ううん、返すのではなく……わたしが、クロムに、恋をしたい。すごく勝手かもしれない。だけど、わたしがクロムに恋をするまで……待っていて欲しい」
ゆっくりと、港を出て行く船のような、そんなペースなのかもしれない。
「『恋をしたかった。それだけが心残り』なんて、わたし、絶対にクロムに言わない。それだけは、約束する。だから……だけど……これからも、ずっとそばにいてくれる?」
クロムは目を見開いて、それから、嬉しそうに顔をほころばせた。
「ああ、もちろん。シアレーゼが望んでくれるなら、僕はずっとシアレーゼの側にいるよ」
シアレーゼはおずおずと、自身の両の腕をクロムの背中に回した。
(……だけど、クロム。わたし、アレン様のこと、忘れずにいようと思います。わたしの中で、アレン様の存在が小さくなって、無くなっても。されて悔しかったことだけは、忘れない。婚約をしているのに、破棄も解消もせずに、わたしではない別の女性と結婚式を挙げるような……。そんな相手を軽んじることは、わたしはしない。アレン様への恋慕なんて、無くなっても、わたしがされて悲しかったことや悔しかったことは、心のどこか奥底にずっと置いていて……、嫌な記憶でも、忘れない。それで……わたし、同じことをクロムにしないようにする。わたしはアレン様みたいになりたくない。それから……エメラルダお従姉様の見た未来のわたしのように……。大事にしてくれていたはずのクロムを傷つけるような言葉も絶対に言いたくない。それだけは、忘れないでおこう)
辛い過去や嫌なことを忘れるのではなく。
受けた傷の分、自分が成長して、そうして、いつか。
(わたしを、大事にしてくれるクロムを、わたしも大事にしたい。そうして、いつか、クロムに恋をすることができたのなら、わたしは死ぬ前に、クロムに絶対に言おう)
愛してくれてありがとう。あなたの愛を、わたしはちゃんとあなたに返すことができましたか?あなたのおかげでわたしの人生はとても豊かで、しあわせでした。
あなたから受け取ったものを、全て貴方にお返しできたのなら。もう、心残りはありません。あなたに愛されてよかった。あなたを愛せてよかった。
……あなたが、好きです。
この先の未来で、どうかその言葉が言えるようになりますように……と、シアレーゼは祈るようにして思った。
船は、速度を上げて進む。海には白波が立ち、光をきらきらと反射する。
シアレーゼは、クロムに抱きつきながら、その光をずっとずっと見つめていた。
終わり
お読みいただきましてありがとうございました!
これにて完結です。
早速の誤字報告もありがとうございます!
ブクマしてくださった方も五月末で1000名様超えました!ありがとうございます!たくさんの方に読んでいただけて嬉しいです!
次の話は一回完結表示にした
「悪役令嬢です。縛り首になって死ぬ運命ですが、素敵な旦那様を捕まえて「ひゃっほーい!」と浮かれる人生を歩みたいと思います。」
https://ncode.syosetu.com/n3155ic/
の続きを書いていきたいと思います。
まずは主人公マルレーネと侍女イルゼの話
それから学園長と国王陛下のお話
となります。
6月連載開始予定。
そちらも読んでいただけると嬉しいです。




