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5 再会

 受験生である深町和海には楽しい夏休みなどない。夏休みの平日はほぼ毎日補習である。

 一週間に一度のペースで三年生対象の校内模擬試験も行われ、勉強漬けの毎日が約束されている。八月半ばに行われる、センター試験を見据えてのマーク模試、それで、今よりも点数を上げることが当面の受験生たちの目標だった。

 はるばる日本まで来てくれたライアンとエイプリルを、遅れてくる如月の代わりとしていろいろと楽しませてあげたい気持ちはあるものの、和海は昼まで補習に出なければならない。昨日時間を作って空港に二人を迎えに行った後も、予約しておいたホテルまで連れて行って、いくつか揃えておいた観光情報誌を手渡しただけだった。

 それでも、如月が来たら、週末の休みの日を使って、一日くらいは自分のリフレッシュもかねてたっぷり遊ぼう。そう考えながら、うだるような教室で問題集とにらめっこをする和海だった。


 ***


 その頃。深町和洋との電話で和海が補習の最中だと知った如月は、ひとまずエイプリルたちと合流するべくライアンの携帯に連絡をとっていた。

 今どこにいるんだ、とやや不機嫌にたずねる如月に、ライアンは、エイプリルが見たいと言っていた映画を見に来ているのだと答えた。

(映画か。今から行っても途中からしか入れないだろうなあ。それに、今映画館に行ったら、俺は確実に寝るだろうな……)

 しばらく思案した後、映画が終わる頃に合流することにして、如月は通話を切った。

 電話を終えてとりあえず空港の外に出ると、真夏の日差しが疲労のたまる体にどっと襲い掛かってきた。

「暑い……。これ、たまんないなあ……」

 くらくらと眩暈までしてきた。和海にも会えず、エイプリルたちともあと二時間は会えない。体調のみならず、気分的にも最悪である。 

 これからどうするかなあ、と、慌しく日本入りしたわりに一気に手持ち無沙汰になった如月は、ふと思いついてオフィス街に足を向けた。

 そういえば、せっかく日本に来たのだからぜひ会っておきたい人物がいる。


 モダンな高層ビルが林立するオフィス街の中で、一際洗練されたメタリックな外観を持つ建物の前に、如月は立っていた。

 日本人であれば知らない人はいないほど有名な企業のビル。入り口の壁に、シルバーの文字で『TAKATOカンパニー本社』と書かれている。

 ここの社長室に座る、日本にいた頃の元相棒、高遠朗たかとおあきらに会っておきたかった。

 立派な正面ロビーを横目に見ながら、如月は裏に回った。本来なら、一番簡単に社長室までたどり着くには、高遠の携帯に連絡を取り、受付を通してもらえばいい。だが、確認すると手持ちの携帯は電池残量が残りわずか。和海たちを合流するまでにいろいろと連絡が必要になるだろうことを考えると、ここで無駄遣いをしたくなかった。

 それに、正面切っていかなくても、如月には他にいくつも侵入経路があった。裏口に回れば、誰にも見咎められず通ることができる抜け道がある。まだ高遠と組む前、如月は何度か深夜にこの建物に侵入したことがあった。だから抜け道は知り尽くしている。もちろん、警備員に見つかれば即警察に突き出される、不法侵入の類であるのだが。

 裏に回った如月はふと、視線の端に見覚えのある人物を捉えた。安物のスーツにしわくちゃのシャツ。くたびれた革靴。見るからに刑事といった格好のその男は、TAKATOカンパニー本社ビルを張っているらしかった。

(ほんと、よく刑事に張り込みされる会社だよな)

 呆れたような如月の呟きは、心の中だけにとどまる。

 その刑事の顔には見覚えがあった。

 以前、麻薬売買組織が海外の密売人との裏取引用に用意した資金をいただいたとき、取引現場を押さえようと張り込んでいた警察の中にいた若い刑事だ。確か、どじをやらかして見つかり、撃ち殺されそうになっていたっけ。

 彼が撃たれなかったのは如月がとっさに庇ってやったからである。当の本人はあのときの命の恩人がここにいようとは夢にも思わないに違いない。

(それにしても、あの刑事、確か、深町刑事のチームにいたよな。ってことは……やばいな。ぐずぐずしてるとほんとに和海の兄貴と鉢合わせしちまう)

 慌てて、目をつけていた裏口の侵入経路からそっと入り込む如月だった。

  

 途中にある監視カメラやセキュリティの死角を突いて難なく最上階までたどり着いた如月は社長室の扉の外から中の様子を窺った。人の気配は薄い。どうやら一人のようだった。

 ガチャ、とためらいも無く社長室の扉を開ける。


「高遠社長! 久しぶり……って、おい。何だよ?」


 元気よく声をかけて部屋に入りかけた如月は、途端に黒い銃口と対面することになって、驚いた。

 裏組織の本拠地だというなら如月はこんな迂闊な扉の開け方をしない。もっと本格的に中の様子――例えば何らかのガスが充満していないか、武器の類がこちらを狙っていないか、中の人物から殺気が感じられるか――を、探るのだが、ここは元相棒の部屋である。如月がほとんど無警戒だったとしても仕方がない。

 部屋の中の、扉と対面する社長用デスクに座った高遠朗は、入ってきた如月に向かって銃を構えていた。

 驚いて立ち尽くす如月を目にして、いきなり扉を開けた人物が元相棒の少年だと知った高遠は、はあっと大きく息を吐き出して腕を下ろした。

 そして、目の前の少年をじろりと睨む。

「如月。何でお前がここにいる?」

 彼は春から海外で暮らしている。帰国の話などは特に出ていなかったはずである。なぜ、急に日本に姿を見せたのだろうか。

 不審そうに眉を顰める相手を眺めつつ、すぐに驚きから立ち直った如月は、扉を閉め、ふかふかしたじゅうたんが敷かれた室内に足を踏み入れた。

「実は、夏休みをとったんだ。和海が遊びに来いって連絡をくれたからね」

 嬉しそうに友人の名前を出す如月を見て、相変わらずだな、と、高遠は呆れてしまう。

 前からそうだが、この年下の元相棒は、初めて作った日常世界での友人、深町和海のことになると、一気に相好を崩す。よほど彼が大事なのだろう。

 しかも、如月が大切にしている少女、エイプリルも日本に来ているのだと言う。如月は、この少女が意識不明だった頃、それこそ自分の人生を捧げて、彼女の治療費のために各国で窃盗を繰り返していた。だが、今ではその少女も奇跡的に回復し、一緒に観光に出られるくらいすっかり元気になっているようだ。

 現在、彼女の実質上の保護者である如月が、張り切ってエイプリルを案内してきたのだろうということは、高遠の想像に難くなかった。


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