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第五話 お面

 お面と聞くとどのようなものを思い浮かべるだろう、おたふく面やひょっとこの面に翁の面、無表情の能面など昔からあるお面だろうか? アニメや特撮などが好きな人なら縁日で売っているプラスチックで出来たお面を思い出すかも知れない。

 運動好きなら剣道で使う面やアイスホッケーで被る面、演劇が好きなら鉄仮面やマスクなど、童心に返って節分の豆撒きで使う鬼の面や保育所や幼稚園などで作った紙製のお面を思い出す人もいるだろう、日本だけでなくお面や被り物などは世界中にある。

 演芸だけでなく飾りや魔除けに使われる事も多い、何か別のものになりたいという変身願望や不思議な力が与えられると考えて作られた面も多い、呪いの面というのもよく聞く話しだ。人形と同じように人の姿を象ったお面にも念が籠もりやすいのかも知れない。

 哲也も何度かお面を被った事がある。一番遠い記憶では幼稚園の時に豆撒きをして紙で出来た鬼のお面を被ったのが思い出される。一番近い記憶では大学のコンパで大仏か何かの被り物を被らされたのを思い出す。

 今回の話しはそんなお面にまつわる話しだ。



 普段は深夜3時の見回りを終えると午前9時ごろまで寝ている哲也が珍しく早起きした。早起きと言っても午前7時前だ。


「3時間ほどしか眠ってないのに今日は眠くないな、久し振りにみんなと一緒に朝飯でも食べるかな」


 磯山病院の規定では朝食は午前7時~9時の間となっている。警備員として深夜巡回をしている哲也は特別に9時半まで認めて貰っているのだ。治療の一環として池田先生が進言してくれて認められた特例である。


「飯の事考えてたら腹減ってきたな……食べに行くか」


 ベッドから起きると手早く着替えて部屋を出る。

 長い廊下を歩いているとナースステーションの近くで看護師の香織から声が掛かった。


「あら、珍しいわね」

「おはようございます。なんか目が冴えちゃって」


 元気よくこたえる哲也を香織がまじまじと見つめる。


「はい、おはよう、哲也くんハイになってない? 」

「えへへっ、そんな事ないですよ」


 朝一番で美人の香織に会えて舞い上がっているだけだ。

 嬉しそうに笑う哲也を見て香織が首を傾げる。


「新しくした薬が合ってないのかな? 続くようなら言ってね」

「大丈夫っすよ、新しい薬飲んでるけど昨日もその前もぐっすり眠れたから、今日はなんか目が冴えちゃって……腹も減ったから御飯食べに行きます」

「それならいいんだけど……何かあったら私か池田先生に言うのよ」


 心配そうに言うと香織はナースステーションへと入っていった。


「へへへっ、朝から香織さんに会えるなんて今日は良い事ありそうだ」


 ニヤニヤ嬉しそうに長い廊下を歩いていると階段の近くでしゃがんでいる患者を見つけた。


「気分でも悪いのかな? 」


 哲也が慌てて駆け寄っていく、


「大丈夫ですか? 」

「ええ……大丈夫………… 」


 ボーイッシュな髪をした若い女が苦しげにこたえた。

 とても大丈夫には見えない女の脇に哲也がしゃがむ、


「大丈夫じゃないでしょ? どのような状態ですか? 眩暈はしますか? 頭は痛くありませんか? どこか痛いところはありますか? 」


 1年近く警備員として見回りをしているので気分の悪くなった患者の対応も手慣れたものだ。


「ありがとう、大丈夫だから…… 」


 大丈夫と言いながら女は階段の壁を背に蹲って目を閉じた。


「看護師さん呼んできますから」


 確認するように顔を近付ける哲也の耳にスースーと寝息が聞こえてきた。


「なん……眠ってる? 」


 20秒ほど呆れて見ていたがハッと思い付いたように立ち上がった。


「ヤバい、昏睡状態かもしれない」


 哲也は慌てて廊下の奥にあるナースステーションへと走った。



 看護師の香織と佐藤を連れて哲也が戻ってくる。


「あの人です」

「石月さんだわ」


 香織が女の傍にしゃがんで手首を握った。


「石月さん、大丈夫ですか? 」


 声を掛けながら脈をとる。


「 ……よかった。眠っているだけだわ」


 顔色や呼吸などを確かめると香織がほっと息をついた。


「眠ってるって? こんな所で? 」


 怪訝な顔をする哲也を見て香織が苦笑いして口を開く、


「この人は石月佳鈴いしづきかりんさん、PTSDの患者よ」

「PTSDって心的外傷なんちゃらってヤツですか? 」

「よく知ってるわね、心的外傷後ストレス障害よ、彼女は少し前に事故に遭ったの、その後遺症でね…… 」

「後遺症? それで眠るんですか? 」


 不思議そうに訊いた哲也を見上げて香織が話し出す。


「夢よ、毎晩悪夢を見るらしいの、それで寝るのが怖いって……眠剤飲まずに寝なかったのね、2日くらい寝なくて倒れたのよ、たぶんね」

「悪夢か…… 」


 眠剤とは睡眠導入剤の事だ。

 弱り顔の香織の話しを聞きながら哲也は石月佳鈴を見つめていた。


「うぅぅ…… 」


 蹲るようにして眠っていた石月が苦しげに呻いた。


「石月さん大丈夫? 」


 香織が起こそうと体を揺すった。


「きゃあぁあぁ~~ 」


 悲鳴を上げて石月がビクッと飛び起きた。


「いやあぁぁ~~、やめてぇ~~ 」


 泣き叫ぶ石月を香織が抱き締める。


「石月さん落ち着いて、大丈夫だから……夢よ、また怖い夢を見たのね」

「ああぁ……ゆめ……ああぁぁ………… 」


 香織に縋り付くようにして震えている石月を見て哲也は以前悪夢に悩まされていた内海裕子の事を思い出す。裕子を殺そうとした影のような女と夢の中で戦ったのだ。


「落ち着いた? もう大丈夫よ」


 震えが止まった石月に優しく声を掛けると香織が佐藤に振り向く、


「佐藤さん、石月さんを病室に運んでください」


 支えるように立ち上がった香織の反対側から大柄の佐藤が石月の肩に手を回す。


「僕も手伝います。香織さん代わりますよ」


 香織と代わって哲也と佐藤が石月を挟んで支えて歩き出す。

 石月の部屋はC棟の212号室だ。


「ベッドは嫌! 」


 部屋のベッドに寝かそうとすると石月が哲也にしがみついた。


「いっ、石月さん…… 」


 急に抱き付かれた哲也は驚きながらも嬉しそうだ。ボーイッシュな髪型と中性的な顔立ちで男にも間違えそうな石月だが大きな胸の膨らみが女である事を主張していた。


「ちょっ、石月さん…… 」


 哲也の緩みきった顔を見て香織がジロッと睨む、


「何喜んでるのよ哲也くん」

「違いますよ、そうじゃなくて……ベッドが嫌なら椅子に座ろう」


 哲也が慌ててベッド脇にあった椅子に石月を座らせた。


「ありがとうございます」


 落ち着いたのか石月がやつれた顔で礼を言った。

 まだ睨んでいる香織をちらっと見て哲也が誤魔化すように口を開く、


「石月さん朝御飯まだでしょ? 僕が持ってきてあげるよ、僕もまだだからここで一緒に食べていいかな」


 怖い顔から一転して香織が笑顔になった。


「そうね、哲也くんが一緒なら安心出来るわ、夕方まで哲也くんと一緒に居ればいいわ、その間に眠ればいいわよ、怖い夢見ても哲也くんが起こしてくれるから、これでも頼りになるのよ」


 看護師は忙しいのだ。一人の患者に構っていられないのが本音だ。石月を哲也に任せるつもりだ。


「哲也さん? 」


 椅子に座って首を傾げる石月の前で哲也が自身を指差した。


「僕です。中田哲也です。哲也って呼んでください、夜間の見回りの警備員やってます。石月さんが寝てる間、僕が付いててあげるから安心してください」

「私は石月佳鈴いしづきかりんです。石月でも佳鈴でもどっちでもいいので呼んでください、お願いします。哲也さんがいてくれれば少しは休めそうです」


 石月が頭を下げて頼んだ。初めて会った男に寝てる間傍にいて欲しいなどと頼むほど石月は切羽詰まっていた。


「頭なんて下げなくてもいいからね、僕は警備員だから、患者さんたちを守るのも役目だらさ」

「ありがとう哲也さん」


 頼るように見つめられて哲也の頬が赤く染まっていく、


「嬉しそうね」

「なっ、何言ってんですか、これも仕事ですよ、それよりも朝御飯貰ってこなきゃ」


 キッと睨む香織に誤魔化すように言うと哲也は先に部屋を出て行く、


「じゃあ石月さん、何かあったらナースコール押してね」


 哲也の後を追うように香織と佐藤が部屋を出て行った。



 石月の部屋から少し離れた廊下で哲也が香織を待っていた。


「香織さん、石月さんは何でPTSDになったんです? 事故って石月さんは別に怪我とかしてないみたいだし」


 PTSDは戦争や大災害など普通では考えられないくらいの大きなショックを受けて生じる精神障害だ。事故に遭って死にそうになるくらいの大怪我をしたのならともかく石月はPTSDになるくらいのショックを受けたようには思えない。


「患者の事は教えられません……って言いたいところだけど哲也くんに石月さんの様子を見てもらえれば安心だし、私から聞いたって誰にも言わないでよ」


 他には話すなと釘を刺した後で香織が教えてくれた。



 石月佳鈴いしづきかりんは一ヶ月前に交通事故に遭った。酷い事故で運転席がぺしゃんこに潰れて運転していた彼氏は亡くなったが助手席に乗っていた石月は打撲だけで済んだ。怪我こそしなかったが押し潰された車内で身動きが取れない石月は大好きな彼が死んでいくのを目の前で見たのだ。

 彼氏は右半身が潰され頭の骨も砕けて酷い有様だったが5分ほどは意識があり『痛い、苦しい、死にたくない、助けてくれ』と石月に訴えながら息絶えたのだ。

 愛する彼とはいえ砕けた頭から溢れる血や灰白色の脳、半分そげ落ちた顔、潰れた上半身、苦しげに唸る声、これらを間近で見れば恐怖するだろう、そのショックでPTSDになり悪夢にうなされて寝るのが怖くなり不眠症になった。

 心配した親が近くの心療内科に行って睡眠導入剤を貰って石月に飲ませるがそれでも悪夢にうなされて目を覚ます。特異な体質ならともかく睡眠薬が効かないなんて有り得ない事だが石月は目を覚まして朦朧としたまま泣き叫んだ。

 その挙げ句、睡眠薬で意識が朦朧とした中、寝るのが怖いと、夢を見るのが怖いと手首を切って自殺未遂をはかる。心配した親が磯山病院へと入院させてきたのだ。


「それでね、今でも眠るのが怖いって渡した睡眠薬も飲んでないみたいなのよ、あのままじゃ衰弱して益々おかしくなるわ、だから気を付けてあげて、私もちょくちょく見に行くけど……哲也くんが付いていてくれれば私も安心だから頼んだわよ」


 付け足すように言う香織の前で哲也が任せろと胸を張る。


「そういう事なら任せてください、嶺弥さんから仕事頼まれるとき以外は昼間は暇なんで僕でよければ石月さんの傍にいますよ」

「ふ~ん、石月さんぱっと見、男の子みたいだけど胸も大きくてスタイルいいものね」


 からかう香織の前で哲也がブンブンと手を振る。


「ちっ、違いますよ……そりゃ気がないって言ったら嘘になるけど、変な事しようなんて思ってないですからね」

「あはははっ、わかってるわよ、哲也くん気が多いからね」


 笑う香織の向かいで哲也が弱り顔で反論する。


「わかってないでしょ」

「あははははっ、まぁ任せたわよ、哲也くんなら安心だ」


 大笑いしながら歩いて行く香織の背を苦虫を噛み潰したような顔で哲也が見つめた。


「まったく香織さんは……まったく……朝御飯取りに行こう」


 愚痴りながら食堂へと向かう哲也がボソッと呟く、


「悪夢か…… 」


 もしかしてあの女が……、影のような女がまた悪さをしているのではないかと考えた哲也は石月に詳しく夢の話しを聞こうと考えた。



 石月の分と自分の朝食を持ってC棟の212号室へと入っていく、


「石月さん大丈夫? 御飯持ってきたよ」


 ベッド横の椅子に座ってぼーっとしている石月に声を掛けながらテーブルに二人分の朝食が入ったトレーを置いた。


「うん、ありがとう……3日寝てないから倒れちゃった」


 ぼーっとしながらも恥ずかしそうに石月が笑った。


「3日も寝てないのか、倒れて当然だ…… 」


 向かいに座る哲也がギョッとして壁を見つめる。

 石月の右側、ドアのある壁に気味の悪いお面が掛かっていた。


「アレは? あのお面どうしたの? 」

「ああ、あのお面ね」


 くるっと振り返るとお面を見上げながら石月が話し出す。


「彼の形見なの……一ヶ月前にドライブに行って事故って彼は死んだの、ドライブに行く前にお土産だってくれたの、社員旅行で……何処だったか忘れたけど南の島に行ったって、そのお土産よ、魔除けのお面だって言ってたわ、その後ドライブに行って………… 」


 石月が言葉を詰まらせる。


「そっか、大事なお面なんだね」

「うん、彼が最後にくれたから……形見だから…………彼が……私1人だけ………… 」


 正直言って気味の悪いお面だが魔除けならそんなものかと哲也も気にするのを止めた。


「もう言わなくていいよ、ドライブの話しは聞いたから、大変だと思うけど元気にならないとダメだよ、お父さんやお母さんが心配してるよ、御飯もしっかり食べないとね」


 元気付けるように言いながら哲也が割り箸を手に取った。

 向かいで石月も割り箸を持つと呟くように口を開いた。


「うん、わかってる……でも怖いの、あんな夢さえ見なきゃ……何で私があんな夢を見るのかな、先生は病気だって言うけど……事故の夢を、彼が死んだときの夢を見るならわかるけどそんな夢じゃないのよ、私が殺される夢なのよ」


 向かいに座る哲也が割り箸を割る手を止めて神妙な面持ちで石月を見つめる。


「その夢の事なんだけど、影のような女が出てくる夢じゃないよね」

「影のような女? そんなの出てこないわ、原住民みたいな男たちが出てきて私を殺すのよ、大きな刀で私を切るの」

「原住民? 詳しく話してくれないか」


 険しい表情の石月を見て哲也は思わず訊いたがしまったと思い直して慌てて続ける。


「あっ、その前に朝御飯食べよう、冷めちゃうよ、寝不足で食事もしなかったら益々弱っていくだけだよ、少しでもいいから食べないとダメだよ」


 気遣って言いながら哲也は影のような女が悪さをしているのではなくてほっと安堵していた。


「うん、哲也さんありがとう、いただきます」


 はにかむように微笑むと石月が食事に手を付けた。


「いただきます」


 向かいで哲也も食べ始める。

 石月を気遣って食事中は夢の話しや事故の話しは一切しない、哲也が警備員の仕事で失敗して怒られた話しや先生や看護師たちの失敗話などをして楽しく食事を終えた。



 食事を終えると直ぐに石月が椅子に座ったままうとうとし始めた。


「石月さん、寝るならベッドで横になった方がいいよ」


 向かいに座る哲也がテーブルに伏せるように寝始めた石月の肩を揺するが反応が無い、


「御飯食べて眠くなったんだな、3日寝てないなら当り前だ」


 朝食の乗ったトレーを手に哲也が立ち上がる。


「今のうちに食器を返しに行くか」


 テーブルに突っ伏すように寝ている石月を置いて哲也は部屋を出て行った。



 食堂に食器を返すと哲也は石月の部屋へと急いだ。


「香織さんに頼まれたからな」


 時間があるときは出来るだけ様子を見てやってくれと香織に頼まれただけではない食事をしながら話をしているうちに石月の事が少し好きになっていた。相変わらず惚れっぽいのが哲也だ。


「いやあぁぁ~~ 」


 212号室が見える所までやってきたとき悲鳴が聞こえてきた。


「石月さん!! 」


 長い廊下を哲也が全力で走る。


「石月さん大丈夫か! 」


 ノックもせずにドアを開けた哲也の目に床に直接蹲って泣いている石月が映った。

 転げ落ちたのかテーブルも椅子も倒れている。


「止めて……殺さないでぇ~~ 」

「石月さん大丈夫だから…… 」


 ブルブルと震えている石月の横にしゃがむと哲也がそっと背に手を当てた。


「怖い夢を見たんだね、でも夢だよ、もう大丈夫だから」

「哲也さん…… 」


 泣きながら抱き付いてきた石月の背を落ち着かせるように優しくポンポン叩いていた哲也がぞわっと悪寒を感じて震えた。

 ふと壁に掛かるお面を見る。


「なうっ…… 」


 しゃっくりでもしたような短い悲鳴が出た。

 壁に掛かっているお面と目が合ったのだ。穴になっているはずのお面の目の位置に目玉が見えた。その目が哲也と石月をじっと見下ろしていた。


「もう……もう嫌……こんな怖い夢を見るくらいなら死んだ方がマシだわ」


 ギュッとしがみつく石月に視線を下ろす。


「何言ってんです。死ぬなんて言わないでください、僕が付いてますから、悪夢なんかに負けちゃダメだよ」


 石月を宥めながら視線をお面に戻した。

 見間違いか? お面には何も異常は無い、目玉など無い、穴が空いているだけだ。

 石月を怖がらせまいと目の話しは当然しない、それに数秒の間の出来事だ。気味の悪いお面だと思っていた事も有り見間違えという事も考えられる。



 落ち着いたのを見計らって石月から悪夢の話しを聞く事にした。


「石月さん、夢の事を話してくれないか? 僕に出来る事が何かあるかも知れないから、出来る事があればどんなことでもするからさ」

「 ……わかった。哲也さんならどうにかしてくれるかもしれないから、今も来てくれたから、怖いけど全部話すわ」


 躊躇しながらも石月が話し始めた。

 これは石月が眠りに陥る度に見ている悪夢の話しだ。



 日本の植物ではない熱帯地方に生えているような大きな葉をした草木に覆われた森の中、テレビなどで見るようなジャングルに石月は居た。


「ここは? 」


 声に出そうとしたが口は動かない、木か何かを咥えさせられて口を塞がれていた。

 視界も狭い、目を端に動かすと暗くなり見えなくなる。仮面か何かを被せられているようだ。


「ヴヴぅ…… 」


 体も自由に動かない、寝かされて何かに縛り付けられていた。

 状況を確かめようと石月が辺りを見回した。

 直ぐ傍に浅黒い肌をした男がいる。顔や体に模様のような入れ墨をしていた。服は着ていない何かの葉で出来た腰蓑を着けているだけだ。

 言葉は悪いが未開の原住民のような男だ。他にも数人が傍にいる気配がする。


「ラウラウレラァーーッ 」


 男が何か叫んだ。

 ドンドコ太鼓の音や笛の音が聞こえてくる。

 不意に石月の体が起き上がる。縛り付けられたまま立ち起こされたようだ。


「うぅぅ…… 」


 石月の目に踊っている人々が映った。

 一段高い位置にいるらしい、ジャングルの中にぽっかり開けた広場、その真ん中辺りで人々が太鼓や笛を鳴らし輪になって踊っていた。男も女も全員が腰蓑を着けているだけだ。テレビで見た未開に住む原住民のような人々だ。


「ウレラルルレラァーー 」


 傍にいた男が大声を出した。

 太鼓や笛がピタリと止まり踊っていた人々が一斉に此方を向いた。


「アンサァ~、フリレレイィ~~、リルラレリィ~~ 」


 歌うように叫びながら男が石月の前に出てきた。

 鳥の羽だろうか? 頭にカラフルなかんざしのようなものを挿し、顔を真っ白に塗っている。明らかに他とは違う入れ墨を体中に付けている男だ。


「ヴヴぅ…… 」


 石月が恐怖した。白い顔をした男の手にキラッと光るナイフが見えた。


「アンサァ~~、ハベベリ、リルラァ~~ 」


 男が踊りながらナイフを突き刺した。

 石月の胸に殴られたような痛みが走る。次の瞬間、男がナイフを横に引いた。


「がっ…… 」


 きゃーっと叫んだつもりが何かを咥えさせられているので言葉にならない。

 胸に熱さと痛みを感じる。気を失いそうになる石月の目に白い顔をした男が赤い何かを掴んだ手を掲げているのが見えた。


 あれは……心臓だ。私の心臓が……、胸の痛みと男が掲げる赤い肉塊で直ぐに自分の心臓だと想像出来た。


「あヴヴぅ…… 」


 余りの恐怖にもがくが縛られた体は動かない。


「アンサァ~、リベラベェ~~ 」


 白い顔の男が叫ぶと石月の体が倒されていく、


「うぅ…… 」


 恐怖に引き攣った石月の目に左右にいる男が大きな剣を抜くのが見えた。


 殺される……、心臓を抜かれて殺されるもないが何故か意識のある石月は次こそ殺されると思った。


「ナハリ、バハララァ~~ 」


 白い顔の男の歌うような声が聞こえた。

 仰向けになった石月の目に左右から男たちが大きな剣を振り下ろすのが映った。

 次の瞬間、石月の首に鈍痛が走る。同時に視界がクルクル回った。


「あぁ…… 」


 石月の目に木に縛り付けられている自分の体が映った。私は下にいるのに自分の体は上にある。

 ドンドコ太鼓の音と笛の音がまた聞こえてきた。

 自分の体を確かめようと石月が視線を動かした。


「きゃあぁぁ~~ 」


 頭が無かった。首が切り落とされて赤い肉と白い骨と黄色い脂肪や繊維のようなものが見えていた。

 切り落とされた頭から体を見上げていたのだ。


「いやあぁあぁぁ~~ 」


 叫び声を上げながら石月が目を覚ます。


「ああぁ……いやぁ………… 」


 泣きながら辺りを見回す。自分の部屋だ。


「夢……夢だ…………よかったぁ………… 」


 全て夢だとわかって石月は心から安堵した。



 これが石月から聞いた悪夢の話しだ。

 こんな夢を毎晩見ていればおかしくなるのは当然だ。


「生きたまま胸を裂かれて心臓を抜かれてその後で首をはねられる夢か…… 」


 正直言って一度くらいなら見てもいいかもと思ったが毎晩は御免だ。そんなものを毎晩見れば正気を保っていられる自信が無い。

 同情するように顔を顰める哲也の向かいで石月が窶れた顔でか細い声を出す。


「夢なのに痛みを感じるのよ……胸を刺されて首を…………何度も何度も……もう怖くて眠れないよぉ………… 」


 険しい顔のまま哲也が考え込むように口を開く、


「事故に遭ってPTSDになったとしてそんな夢を見るのかな? 」

「私もそう思うけど……見るようになったのは事故の後なの、先生は彼だけが死んで自分が死ななかったのは何故かと責める気持ちが見せる夢だって言ってた」


 石月自身も病気のせいで悪夢を見ているとは信じていない様子だ。

 そこへ香織がやってくる。


「石月さん、ちゃんと薬飲みましたか? あらっ、哲也くん居たの? 」


 朝の事もあり心配して見に来てくれたのだろう、


「居たも何も香織さんが付いていてやれって言ったでしょ」

「そうだっけ? そうそう、偉いなぁ哲也くんは」


 迷惑そうに言い返す哲也にとぼけ顔で言うと香織は石月の薬を確かめる。


「飲んでないじゃない」

「睡眠薬なんて飲みません、あんな夢を見るくらいなら寝ない方がマシよ、眠くならない薬なら喜んで飲みます」


 顔を強張らせる石月を宥めるように香織が口を開く、


「夢を見ないほど深く眠れば大丈夫よ、その薬は強力なんだからぐっすり眠れるわよ」

「色んな薬飲んだけど全部見たわよ、どんな薬飲んでも怖い夢を見るのよ」

「その薬は初めてのはずよ、いいから飲みなさい、それでもダメなら他を用意するわ」

「薬は嫌! 怖い夢見て起きてもぼーっとなってまた寝て怖い夢を見るの、繰り返し見るのよ、だから薬は嫌」


 駄々をこねる石月に香織がきつい口調で言い放つ、


「そんな事言ってたら治らないわよ、どれか体に合うかも知れないから飲みなさい」

「香織さん、嫌がってるのに無理矢理は…… 」


 口を挟む哲也を香織が睨み付ける。


「哲也くんは余計な事言わない、薬の事は私や先生に任せなさい、それより須賀さんが何かしてたわよ、防犯システムを新しいのにするらしいわよ」

「防犯システム? 聞いてないよ」


 哲也が腰を上げた。警備員の一員だと思い込んでいる哲也にとって警備の仕事は何よりも優先されるのだ。


「警備員だから行かなきゃ、終ったらまた来るからね」


 石月の顔を窺いながら続ける。


「昼は時間がある限り会いに来るから、夜は毎晩見回りしてるから、何かあれば直ぐに駆け付けるから、だから変な事……自殺とかしちゃダメだからね、僕が力になるから、だから石月さんももう少し頑張ろうよ、薬も飲んでさ、香織さんの言ったように体に合う薬があるかも知れないよ」

「 ……うん、哲也くんが傍にいてくれるなら怖いけど頑張ってみる」


 あれ程嫌がっていた薬を飲む石月を後に哲也が部屋を出て行った。



 深夜3時、夜間の見回りで哲也がC棟へと入っていく、


「取り敢えず5冊持ってきたけど一つでも気に入ってくれるといいんだけどな」


 漫画本を数冊脇に抱えながら哲也が最上階まで上がっていった。一番上まで上がって下りながら各階を見回るのだ。

 夜10時の見回りでは石月は起きていた。眠るのが怖いという石月と少し話しをして漫画を貸してあげる事にしたのだ。本に夢中になれば眠気も覚めるかも知れない、ギャグ漫画を読んで眠ったら怖い夢を見ないかも知れない、何か力を貸してやりたいと思う哲也の優しさだ。


 階段を降りて2階の長い廊下に出る。石月の部屋は212号室だ。階段は建物の左右と真ん中の3つある。一棟が学校の校舎くらいある大きな病院だ。

 212号室は反対側の階段の近くの部屋だ。今の哲也から見て長い廊下の一番奥から二つ目が石月の部屋だ。


「トイレは異常無し、石月さん起きてるかな」


 階段横のトイレを簡単に調べると漫画本を抱えながら哲也が歩き出す。眠くて面倒な深夜の見回りも今日は少し浮かれていた。


「うぅ……ああぁ………… 」


 石月の部屋から微かな呻き声が聞こえてきて哲也が慌ててドアを開ける。


「石月さん! 」


 抱えるように持っていた漫画本が哲也の手からこぼれ落ちていく、


「 ひぅっ!! 」


 哲也が息を詰まらす悲鳴を上げる。

 眠っている石月のベッドの向こう、壁一面に人の顔があった。1人2人じゃない、ぎゅうぎゅう詰めに顔が並んでいる。男、女、子供、年寄り、大小様々な顔が苦痛に歪んでいた。そのどれもが日本人ではないと一目でわかる。南国系の顔付きをした外人だ。観光地の島々にいるような人たちの苦しむ顔が壁一面に並んでいた。


「ひぃ………… 」


 奥の壁だけではなかった。左右の壁にも顔はあった。

 ヤバい……、無意識にあとずさる哲也が落とした本を踏んでバランスを崩す。

 体勢を立て直す哲也の目にドアの横、少し高い位置に飾ってあるお面が見えた。


「うわぁあぁ~~ 」


 壁に掛けていたお面が血の涙を流していた。他の壁とは違い顔は無い、壁に掛かるお面だけだ。血の涙の跡か、お面の下に垂れる赤はまるで生首から血が滴っている様にも見える。


「きゃあぁあぁ~~ 」


 哲也の叫びに呼応するように石月が悲鳴を上げて飛び起きた。


「石月さん! 」


 今にも逃げようとしていた哲也の足が止まる。


「くそったれ!! 」


 震える足に力を入れるとベッドに駆け寄っていく、


「石月さん、大丈夫だから……夢だよ、それは夢だから」

「 ……哲也さん……来てくれたのね、ありがとう」


 哲也にしがみつくようにして石月が泣きじゃくる。


「大丈夫だから…… 」


 石月を抱きながら哲也が壁を見ると顔は消えていた。

 バッと後ろを振り返る。お面も異常は無い、血が流れた跡など何処にも見えない。


「見間違いか? 」


 強張った顔できょろきょろ辺りを見回す哲也に石月も気付いた。


「どうしたの哲也さん? 」


 震えながら訊く石月に躊躇していた哲也が壁に掛かるお面を指した。


「あのお面が原因かも知れない」

「お面が? 」


 怪訝な顔で聞き返す石月に先程見た光景を話した。


「血の涙……顔がいっぱい…………本当なの」


 驚く石月の向かいで哲也が頷いた。


「確かに見た。でも見間違いかも知れない、石月さんがうなされてたから部屋に入ったら壁一面に顔があった。それで後ろのお面は血を流してた。でも石月さんが悲鳴を上げてそれで僕が抱きかかえて、それから見たらもう顔も血も無かった」

「何でお面が……彼から貰ったのよ、魔除けのお面だって」


 驚く石月に哲也が首を振って続ける。


「わからない、きっと僕の見間違いだよ」

「見間違いじゃなかったら……あのお面が……彼が私を呪ってるんじゃ…………私だけ生きてるから……彼が私を………… 」


 焦る石月を落ち着かせようと哲也がポンポンと背を叩いた。


「本当に魔除けの面なのかな? 」

「彼はそう言ってたわ、でもそうじゃなかったら……呪いの面だったら彼は私を呪ってたって言うの? 」


 石月が寄り掛かるようにして哲也を見つめる。


「わからない、けど違うと思うよ、知らなくて買ったんだと思う、だいたい魔除けや呪いなんて信じないよ、土産物として買ってきただけだよ」

「でも……本当に呪いの面だったら……あの面の所為だったら」


 哲也が怯える石月の背を先程より強くポンッと叩いた。


「わかった。試してみよう」


 覚悟を決めたような哲也に石月が真剣な目を向ける。


「試す? どうやって」

「僕にあの面を貸してくれ、僕が部屋に飾って寝るよ、あの面を飾った部屋で寝ると誰でも悪夢を見るなら石月さんの彼は関係ない、逆にあの面は関係なく石月さんだけ悪夢を見るなら…… 」


 哲也の申し出に石月も硬い表情でこたえる。


「彼が私を呪っている」

「違うよ、先生の言う通りPTSDだ。石月さんは病気で治療が必要って事だよ」


 呪いより病気と思った方がいい、そう考えて哲也は元気付けるように続ける。


「確かめればわかる事だ。じゃあ面は借りていくからね」


 哲也は椅子に上がって壁に掛かっているお面を取った。


「哲也さん、何で私なんかに優しくしてくれるの、呪われるかも知れないのよ」


 椅子から飛び降りると哲也がニッと笑った。


「僕は警備員だからね、それとさ、何か腹が立たないか? 呪いの面か何か知らないけどまったく関係の無い人に祟るなんてさ……色んな人に会ってきたんだ。自業自得なのが多かったけど……でも石月さんは何も悪くない、だからさ、僕が出来る事はなんでもしようって思ったんだ」

「 ……哲也さん、ありがとう」


 嬉しそうに目に涙を溜める石月を見て哲也の頬が赤く染まっていく、


「あははっ、礼なんていいよ、じゃあ借りてくね」


 照れながらドアに手を掛けた哲也が止まった。

 足下に転がっている漫画本を拾うとベッドの脇にあるテーブルの上に置いた。


「漫画持ってきたけど読むのは明日からだ。石月さんは寝るんだよ、これで悪夢を見なかったらこのお面が悪いって事だからね」

「うん、哲也さんの言う通りにする」


 嬉しそうにベッドに横になる石月におやすみというように手を振ると哲也は部屋を出て行った。



 見回りを終えて自分の部屋に戻るとお面を壁に掛ける。石月の部屋と同じようにドアの横の壁に飾った。


「さてと……格好つけたけど呪われたらどうしよう」


 ベッドに座りながらお面を見つめる。

 時刻は午前4時前だ。


「悪夢を見るだけならいいけど……良くないけど、夢の中で戦った事もあるし、どうにかなるだろ」


 ごろっと横になる。体は疲れているので直ぐにうとうとと眠りに落ちていった。



 熱帯地方にあるようなジャングルの中に哲也は居た。


「なん!? 」


 体が動かない、木に縛り付けられていた。声を出すが言葉にならない、何かを咥えさせられて口が塞がっている。

 額や頬に何かが当たっている感触で仮面か何かを被せられているのがわかる。仮面の穴から見える視界は狭い。


 何が起きてるんだ? 状況が判らず哲也が辺りを見回す。

 近くに肌黒い男たちがいた。腰蓑だけを巻いた上半身裸の男だ。


「ラウラウレラァーーッ 」


 男の叫びで太鼓や笛の音が鳴り出す。同時に哲也の体が浮いていく、縛り付けられている木ごと起こされた。

 哲也の目にジャングルに開けた広場で輪になって踊っている人々が映った。老若男女、全員が腰蓑だけを纏った姿だ。

 何が始まるんだ? 怯えながらも冷静に観察するように見ていると傍に居た男が叫んだ。


「ウレラルルレラァーー 」


 叫びが聞こえたのか太鼓や笛がピタリと止まり踊っていた人々が一斉に此方を向いた。


「アンサァ~、フリレレイィ~~、リルラレリィ~~ 」


 踊りながら顔を真っ白に塗った男が出てきた。

 呪術者か? 異様な姿に驚いていると男の右手がギラッと光った。


「アンサァ~~、ハベベリ、リルラァ~~ 」


 哲也の胸に痛みと衝撃が走った。首だけを動かして下を見ると白い顔をした男が胸にナイフを突き刺していた。


「ぐがっ!! 」


 逃れようともがく哲也の胸に男が手を突っ込んだ。


「ハベベリ、ハベベリィ~~ 」


 白い顔をした男が哲也の胸から取り出した赤黒い肉塊を掲げる。


「がぐぅ…… 」


 僕の心臓だ。心臓が……、一目でわかった。学校の授業で習った心臓と同じだ。

 恐怖で気を失いそうになる哲也の耳にまた叫びが聞こえる。


「アンサァ~、リベラベェ~~ 」


 白い顔の男が叫ぶと哲也の体が倒されていく、


「ぐうぅ…… 」


 恐怖に目を見開く哲也の左右で男が大きな剣を抜いた。

 横になった哲也が逃れようともがくがきつく縛られていてどうにもならない。


「ナハリ、バハララァ~~ 」


 白い顔の男が歌うように叫び、左右にいた男たちが剣を振り下ろす。

 次の瞬間、首に鈍痛が走り同時に視界がクルクル回った。


「があぁ………… 」


 落ちていく哲也の目に自分の体が映った。肩は見えるが頭が無い、頭のある筈の場所が真っ赤に染まっている。

 落下していく間、周りがスローモーションのようにゆっくりと見える。


 首を切られたんだ……、落ち着いて考える時間もあった。


 ドンドコ太鼓の音と笛の音が聞こえる。その直後、衝撃を感じてスローから時間が元に戻った。


「ぐがっ!! 」


 地面に落ちた衝撃で仮面が外れたらしい、哲也の目の前に見覚えのあるお面が転がっていた。


「あの面は…… 」


 言葉が出た。口を塞ぐものはもう無い。


「あの面だ!! 」


 叫びながら哲也が上半身を起こした。


「ここは……夢……夢か…… 」


 哲也がドア横の壁に掛けてある面を見つめる。


「生け贄だ。あのお面は生け贄に付ける面だ」


 今は知らないが何十年、何百年も昔なら何処か未開の部族が生け贄を捧げる祭りをやっていても不思議ではない。


「石月さん、あんな夢を何度も見たのか……くそっ 」


 怖いと言うより腹が立ってきた。そのまま眠らずに朝を迎える。



 翌朝、朝食前に石月の部屋へと向かった。


「石月さん、夢を、悪夢を見たよ、石月さんが言ったように首を切られる夢だ。石月さんは大丈夫だった? 」


 部屋へ入るなり真剣な表情で訴えるように話す哲也を見て石月は驚きながらも安堵した顔で頷いた。


「私は大丈夫、悪夢も見なかったよ、ぐっすり眠れたよ、こんなに眠ったの一月振りだよ、ありがとう哲也さん」


 石月の血色が良くなっている。本当に眠れたらしい。


「あぁ……良かった。良かったよ、石月さん、良かった」


 良かったを繰り返す哲也の向かいで石月が不思議そうに首を傾げる。


「良かったんだよ、石月さん」


 意味が分からないというような顔の石月に哲也が嬉しそうに続ける。


「全てあのお面の所為だ。死んだ彼の所為じゃない、彼は石月さんを恨んでなんかないし呪ってもいない、お面を借りて飾った僕が悪夢を見たのが証拠だよ、彼が石月さんを呪ってるならお面関係無しに石月さんが悪夢を見るはずだよ」

「あっ、ああぁ…… 」


 石月の目から涙が溢れ出す。


「あぁ……良かった……本当に良かった。ありがとう哲也さん」


 嗚咽しながら礼を言う石月の向かいで哲也がうんうん頷いてから話し出す。


「たぶん生け贄に被らせていたお面だと思う、夢の中でハッキリと見たんだ。首を落とされてお面が外れて転がったんだ。その時に見たんだよ、あのお面と同じだった。僕はあのお面を被らされて首を切られたんだ。石月さんも同じだよ、あのお面は生け贄の儀式に使うお面なんだよ」

「生け贄のお面…… 」

「そうだよ、呪われて当然だ。生け贄にされた何人もの怨念が籠もってるんだからね」


 ハッと何かを思い出したように一瞬間を置いて哲也が続ける。


「僕が見た壁一面の顔、あれは生け贄たちの顔だったんだ。お面が流した血も…… 」

「魔除けじゃなくて呪われた面だったのね」


 全て理解した様子の石月に同意するように哲也が頷いた。


「そうだね、呪いというか怨念が籠もった面だよ、亡くなった彼は知らずに買ってきたんだよ、きっとそうだよ」

「うん……でもどうしよう? 彼の形見だけど………… 」


 言葉を詰まらせる石月に哲也も困り顔で口を開く、


「処分した方がいいと思う、供養して貰わないと放って置けばもっと酷い事が起きるかも知れない、彼だって呪いの面を形見になんてして欲しくないと思うよ、僕が彼氏なら石月さんに幸せになって欲しいと願う事はあっても苦しませたいなんて思わないよ、だから供養して貰って処分しよう」

「うん、そうだね、あんな夢は二度と見たくないから…… 」


 石月が上目遣いで哲也を見つめる。


「でもどうしよう、どうやって供養したらいいか…… 」

「僕に任せてくれ、お面はもう石月さんには戻さない、僕が責任を持って何処かの寺か神社で供養して貰うからさ」


 哲也が格好をつけた。供養の当てなどはない。


「ありがとう哲也くん、本当にありがとう」


 嬉しそうな石月の前で哲也が胸を張った。


「任せてよ、これでもこの病院の安全を守る警備員なんだからね、石月さんはゆっくり眠って早く元気にならなくちゃ」

「うん、本当にありがとう」


 何度も礼を言う石月に照れながら哲也が手を差し出す。


「朝御飯食べに行こう、いっぱい食べていっぱい寝て病気なんてさっさと治そうよ」

「うん、お腹減った」


 元気よくこたえると石月は哲也の手を取って部屋を出て行った。



 朝食を食べた後、石月は疲れたと言って寝てしまった。

 悪夢の所為で一ヶ月の間うとうとと軽く寝入るだけだったのだ。安心した事もあって疲れが出たのだろう、


「本当に悪夢は見なくなったみたいだな」


 ベッド脇の椅子に座って20分程様子を見ていた哲也がそっと部屋を出て行った。


「さて……どうするかな」


 長い廊下を自分の部屋に向かいながら哲也が呟いた。

 騒動は終ったわけじゃない、自分の部屋に呪いの面があるのだ。


「香織さんに頼むのもな…… 」


 呪いの面を供養して貰うなどと言ったら病状が悪化したと騒がれるのがオチだ。


「嶺弥さんしかいないな、お面を飾って寝てもらえば信じてくれるだろう」


 哲也はお面を持って警備員の控え室へと行った。


「おぅ、どうした? テレビでも見に来たのか」

「こんちは嶺弥さん」


 爽やかに微笑む嶺弥に哲也がペコッと頭を下げた。


「実は…… 」


 呪いの面の事を話して何処かの寺か神社で供養してもらえないかと相談した。


「呪いの面か…… 」

「信じなくて当然です。だから今晩この面を飾って寝てください、嶺弥さんが悪夢を見なかったら供養とかはいいですから」

「 ……わかった。哲也くんの頼みだからな試すだけ試してみよう」


 嶺弥は怪訝な顔でお面を受け取ると仮眠室のドア横の壁に飾った。



 翌日、嶺弥が朝から訪ねてきた。


「マジだ! マジで呪いの面だな」


 何でも嶺弥だけでなく仮眠室で寝た警備員6人が悪夢を見たらしい、興奮気味に話す嶺弥の向かいで哲也が何とも言えない顔で笑う、


「だから言ったでしょ本物だって、病院の外に持っていって寺か神社で供養して貰ってください」

「わかった。休みだから今日にでも寺に持っていくよ」


 改めて見ると嶺弥は私服だ。今日と明日の2日休みらしい。


「頼みます。僕は外に出られないから」

「任せろ、俺が住んでるマンションの近くにデカい寺があるからな」


 じゃあと言うように手を振ると嶺弥は廊下を歩いて行った。



 お面が手元に無くなったので哲也は悪夢を見ない、石月も同じだ。

 3日後、哲也の部屋に嶺弥が訪ねてきた。


「哲也くん、すまん」


 嶺弥が浮かない顔をしてお面を差し出した。

 何でも数軒の神社や寺を回ったが全て断られたらしい、ある神社の神主曰く、こんな禍々しいものは当神社ではどうしようもないとの事だ。


「そうっすか……こっちこそすみません」


 少し引き攣った頬で哲也がお面を受け取る。


「それでどうする? 」


 心配そうに訊く嶺弥に哲也が作り笑いでこたえる。


「心配無いっす。他にも色々考えてるから大丈夫ですよ」

「 ……そうか、すまんな、危ない事だけはするなよ」


 また謝ると嶺弥は帰って行った。



 テーブルの上にお面を置くと哲也は石月の部屋へと向かった。


「石月さん、安心して、お面は供養して貰ったから、デカい神社で供養して燃やしてもらったからもう安心だよ」


 哲也は嘘をついた。すっかり元気になった石月にお面を返す事など出来ない。


「本当? ありがとう哲也さん、これで全部終ったのね、本当にありがとう」


 哲也に抱き付いて石月が礼を言った。

 石月の大きな胸が気持ち良くて哲也の顔が緩んでいく、


「全部終ったよ、もう悪夢は見ないって先生に言って親にも電話して早く退院すればいい、嫌な事なんて全部忘れて……彼との事も思い出にしてまた頑張らなきゃダメだよ」

「うん、うん、本当にありがとう」


 抱き付きながら石月が泣いた。今までの怖い涙ではない、嬉しい涙だ。

 元気になった石月と楽しい話をして時間はあっと言う間に過ぎる。


「じゃあ、僕は見回りがあるから、そうだ。もう薬は飲まない方がいいよ、病気じゃないんだからね」

「うん、わかった。哲也さんの言う通りにする」


 嬉しそうに手を振る石月に見送られて哲也は夕方の見回りに出て行った。


「どうするかな…… 」


 見回りにも身が入らずお面の事が脳裏をよぎる。

 適当なところに捨てたり嫌いな誰かに押し付けようかとも考えたがそいつが他の人に渡して石月のような犠牲者が出るといけないと思い止まる。


「仕方無いな……今日は木曜か、丁度いい」


 夕方の見回りを終えた哲也は夕食も食べずにお面を持って外に出るとE棟の裏に回る。


「すみません、これも燃やしてもらえますか? 」


 E棟の裏には小さな焼却炉がある。医療廃棄物を焼いたりはしない、ちゃんと許可を取ったものである。毎週木曜日が焼却の日だ。

 火の番をしていた事務員が振り返る。


「ん? 何だ哲也くんか」

「すみません、このお面も燃やしてもらえますか? 」


 顔見知りの事務員にお面を差し出した。


「木で出来たお面だね、それなら燃やせるけど……燃やしちゃうの? 」


 興味を持った事務員に哲也が慌てて話し出す。


「燃やしてください、運が下がるんですよ、このお面」


 呪いの面などと言うと余計に興味を持たれると咄嗟に嘘をついた。


「へぇ、運が下がるねぇ」

「そうなんですよ、良くない事ばかり起きて……だから燃やしてください」

「わかった。哲也くんの頼みだ。でもそのままじゃ旨く焼けないねぇ、割ってから焼こうか」


 事務員が近くの壁に立て掛けていた鉈を持ってきた。


「そこに置いて、3つくらいに割れば灰まで焼けるよ」


 焼却炉前のコンクリートの地面に哲也がお面を置く、


「頼みます」


 哲也の目の前で事務員が鉈を振る。

 手慣れたものであっと言う間に4つの木片になった。


「何だ? 梵字かな」


 お面の隙間に挟んであったのか梵字のような文字の書かれた小さな布切れが出てきた。


「何で南方の民族って感じのお面に梵字が……まぁいいか」


 叩き割った後だ。祟りがあるならもう既に受けているだろうと覚悟を決めて文字の書かれた布切れも一緒に燃やしてしまう、


「本当は勝手に燃やしちゃいけないんだよ、哲也くんだから特別だよ」

「へへっ、すみません、恩に着ます」


 お面が焼ける間、事務員とあれこれ話をして盛り上がる。


「あっ!! 」

「どうしたの? 」

「いえ何でもありません」


 よく調べなかったが布切れが燃えていく瞬間、石月と日本語が見えたような気がしたが梵字がそういう風に見えたのだろうと思い直す。

 焼けていくお面が半分ほどになった頃、臭い匂いが漂ってきた。


「なんか臭いねぇ? 」

「そうですね、魚か肉か何か焼いてるみたいですね」


 顔を顰める事務員の横で哲也がとぼけるように相槌を打った。


「そんなもの焼いてないんだけどな……哲也くんが持ってきたお面かな、変な塗料とか使ってるんじゃないかな」

「そうかも知れないです。古いお面ですから……すみません」


 ペコッと頭を下げる哲也に事務員が笑いながら手を振る。


「いいよ、いいよ、もう半分以上焼いてんだ。今更止めても同じだよ」

「ありがとうございます」


 いつの間にか匂いもしなくなりお面の形も無くなった。


「綺麗に焼けたね、少しくらい残ると思ったんだけど」

「助かりましたよ、何かあれば言ってくださいね、力仕事でも何でも手伝いますから」

「おぅ、その時は頼むよ」


 綺麗に灰になったのを確認して哲也は部屋に戻っていった。



 どんな祟りがあるかと怯えたが3日経っても何も起きない、お面と一緒に呪いが消えたのか? 僕たちを呪うのはお門違いだとわかってくれたのか? どっちでもいいと哲也はほっと安堵した。


 それから数日して、すっかり元気になった石月は退院する事になる。

 池田先生や看護師の香織たちと一緒に病院のロビーで哲也も見送る。


「哲也さんありがとう、全部哲也さんの御陰だよ、哲也さんが私を助けてくれたんだよ」


 初めて会った時と同一人物とは思えないほど血色の良くなった石月が哲也の手を取って礼を言った。


「よかったね石月さん、元気でね」

「うん、哲也さんも早く良くなってね」


 少し意地悪顔で微笑む石月の前で哲也がしまったという顔になる。


「あっ、バレた。いつから知ってたの」

「昨日だよ、最後の診断受けたときに看護師さんが教えてくれたの」


 石月の両親と何やら話をしている香織たちを哲也が睨む、


「香織さんだな、余計な事言うんだから…… 」

「あはははっ、哲也さんの事が気になって訊いたら教えてくれたの」

「えっ!? 気になったって…… 」


 驚く哲也に石月が抱き付いた。


「さよならは言わないよ、落ち着いたら見舞いに来るからね」


 ギュッと抱き付くと石月が哲也に唇を重ねる。


「 なん…… 」


 バッと離れると呆然とする哲也に手を振って石月は退院して行った。


「よかったわねぇ~、哲也くん」

「なっ、何言ってんですか……僕が警備員じゃなくて患者だってバラしたでしょ? 香織さんでしょ? 」


 棘のある言い方をする香織に真っ赤になった哲也が反論だ。


「さぁ、知らないわよ、そんな事より今日は定期診断だからね」

「わかってますよ、前の薬は眠くなるので違うのに代えてくださいよ」

「そういうのは先生に言いなさい、私は忙しいんですからね」


 とぼけてナースステーションに歩いて行く香織を追って哲也も歩いて行った。

 こうしてお面騒動はどうにか収まった。だが幾つか腑に落ちない事がある。


 呪いの面なら叩き割った哲也、もしくは初めの所有者であった石月に祟りでもあっておかしくはない、それが無いという事は今回の事件にお面は関係がなく、先生の言うように石月はPTSDによって悪夢を見たと言う事だろうか? 哲也が悪夢を見たのも呪いの面という思い込みと先に聞いた石月の悪夢の話しが夢となって現われたと考える事も出来る。壁に現われた無数の顔やお面が流した血の涙も幻覚と言ってしまえば話は付く、確かめようにもお面は叩き割って燃やしてしまって確かめようがない。だがお面がまったく無関係とは哲也は思わない。


 大好きな彼が最後にくれたプレゼントだ。大切にしながらもお面を見る度に自分一人が助かったという悲しみや責め、彼への思い、色々なものが人を象ったお面に何らかの力を与えたのかも知れない。

 本当に生け贄に使われていたお面だとしたら、あの夢のような事が本当に行われていたのだとしたら……哲也は怖くなってそれ以上考えるのは止めた。


 今回の怪異は理不尽だ。石月の彼氏も魔除けのお面だという事で良かれと思ってお土産に買ったのだ。亡くなった彼氏からの最後のプレゼントだと大事に飾った石月が悪夢を見る。挙げ句の果てに磯山病院へ入院する事になった。

 格好をつけてお面を引き受けた哲也も災難だった。面を叩き割って燃やして呪いが消えたからよかったものの下手をすれば祟られておかしくなって病状が悪化したと思われて隔離病棟に送られ一生を病院で過ごす事になっていたかも知れない、医者たちは呪いなど信じないのだから。


 石月にとって幸運な事が一つある。哲也に出会った事だ。怪異が好きでお節介焼きの哲也に会わなければ精神の病気として入院生活を送る事になっていただろう、それを救えた事だけが哲也にとっても救いとなる。


 ただ、1つだけ気になる事がある。梵字が書かれたらしき布切れの事だ。

 燃える中、一瞬見えた石月という文字は見間違いだったのだろうか? 亡くなった彼は呪いの面と知って渡したのだとしたら……、嫌な考えを消すように哲也は頭を振った。

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