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第五十二話 社(やしろ)

 社とは神様を祀っている場所だ。有名な神社にある神殿のような大きなものから道端や田畑にぽつんとある小さなものまで日本では彼方此方で見掛けることができる。

 様々な社があるがよく目にするのがお稲荷様だ。

 全国に八万社ほどあるとされる神社のうちの三万社が稲荷神社というデータもある。お稲荷様ほど近しい神様はいないだろう。

 稲荷神社の総本営は京都にある伏見稲荷大社だ。

 お稲荷様にもいくつかの系統があり全てが伏見稲荷大社と繋がりがあるわけではないが、多くのお稲荷様は伏見稲荷大社から全国にある有名な稲荷神社を含む各神社に広がり、そこから個人宅や村などで祀る社へと本家の神様に分霊(神霊)勧請してもらい、あちこちに小さな社が見られるようになった。


 先にも述べたが、神道の神様としてのお稲荷様は複数いて、伏見稲荷大社とは全く関係のない神社も稲荷神社と一括りで呼ばれるようになったところも多い。

 仏教におけるお稲荷様は空海が日本にもたらした密教に登場するダキニ天様だ。お寺でお稲荷様を祀っているところの殆どはダキニ天様だと思ってもいい。

 お稲荷様は怖いと言われる一因がこのダキニ天様だ。

 ダキニ天様は元々はインド神話に出てくる神様で「ダーキニー」と呼ばれている。ダキニ天という名は日本にもたらされてから付けられた名である。

 このダーキニーという神様は生きた人間の心臓を食べて力を得ているという夜叉・羅刹という怖い存在で、それが密教の教えで仏法に帰依して現在では福の神として祀られるようになった。

 ダキニ天様は拝めばご利益がもたらされると言われるが、ご利益にあずかったのちにお礼をしなかったり、不義理をすると罰として祟るという。その祟る力が強力でお稲荷様は怖いと言われるようになったのだ。


 お稲荷様の神社でよく見る狐は神様の眷属だ。即ち神様のお使いである。

 今でこそお稲荷様は様々な願いを叶えてくれる神様だと祀られているが元々は稲作の神様だった。そして、狐は農事が始まる春先から秋の収穫期にかけて里にやって来て鼠やモグラや雀などの害獣を退治してくれていた。悪さをすることもあるが農耕を見守る守り神のように考えられていたという説もある。

 そのような狐を霊獣、白狐として信仰し、五穀豊穣の神様であるお稲荷様のお使いだと考えるようになり、これが稲荷神社に狐が鎮座するようになった由縁だと言われている。


 名のある大きな神社に祀られているお稲荷様はともかく、街角や田畑、個人宅に祀っている小さな社のお稲荷様はそれほど力は持ってはいない。

 個人や街角で祀っている小さな社は神社にいる神様に分霊(神霊)勧請してもらい、お社に来てもらったもので神の使いとしての力しかない、お参りした者の願いを神に届けるのが役目で小さな社そのものにはそれほどの力は無いという事だ。そういう事もあり、願いを聞き届けてくれる事もあるがそれは小さな願いだ。家内安全や所有する田畑の豊作などささやかな願いを叶えてくれる。楽して億万長者になりたいなど願うと逆に祟られることもある。


 医術も未熟で現代のように情報伝達も遅かった大昔は神頼みをすることが多かった。何かあれば神様を拝んでいたのだ。それで町や村の彼方此方に神を祀った。豪農や商売をしている人は個人宅に社を建て神様を祀ることも多かった。そういう事もあり今でも彼方此方に小さな社が残っている。


 個人宅で神様を祀っていたという人を哲也も知っている。だがそれが本当の神様だったのかは今でも分からない。



 磯山病院の敷地に小さな社があった。本館の裏手、焼却炉がある反対側だ。

 朝食を終えた哲也が日課の散歩をしていた。

 敷地をぐるっと回る遊歩道から離れて本館の裏手に通じる小道を通る。

「たまにはいいよな……佐藤さんや池田先生に会うと気まずいけどさ」

 本館の近くは医者や看護師や事務員たちに会う可能性が高いので普段は歩かないコースである。

「香織さんや早坂さんの私服が見られることもあるしさ」

 恋心を抱く看護師の東條香織の私服姿を思い浮かべてニヤつきながら歩いていると向こうに事務員の眞部代古が何やらしているのが見えた。

「眞部さんだ。お参り? 何してるんだろう」

 石造りの小さな社で何かしている眞部に哲也は駆けていった。

「眞部さぁぁん、おはようございます」

 息を整えながら元気よく挨拶をすると眞部がニッコリ微笑んだ。

「はい、おはよう、元気だね哲也くん」

 眞部が箒を持っているのを見て直ぐに分かった。

「なんだ。掃除してたんですね」

 哲也の声のトーンが落ちた。眞部が霊能力を持っているのを知っているので何か術的な事でもしているのかと少し期待していたのだ。

「時々手入れをしないとね、誰もしないからね」

 掃いたゴミを塵取りで掬い取りながら眞部がこたえた。

「そうっすね、掃除してるの初めて見たっす」

 哲也が社を見つめる。

 台を入れた高さ一メートル三十センチくらいで横七十センチもない石造りの小さな社だ。中には石で出来たお地蔵様みたいな仏像が置かれていた。

「みんな忙しいからねぇ、裏なんて焼却炉に用事が無いと来ないからね、ここに社があるって知らない人も多いんじゃないかな」

 反対側にある焼却炉を見ながら眞部が呟くように言った。

「僕は知ってたっす。香織さんから逃げて社の後ろに隠れたこともあるっすよ」

 得意気に話す哲也を見て眞部が笑い出す。

「あははははっ、そりゃお社さんもいい迷惑だ」

「それで何を祀ってるんすか? 病院だから厄災っすか、商売繁盛とかだったら怖いっす」

 冗談っぽく訊く哲也を見て眞部が更に笑い出す。

「ははっ、あははははっ、病院で商売繁盛は怖いねぇ」

 眞部に受けたのを見て哲也が調子に乗って続ける。

「怖いなんてもんじゃないっす。そんな病院絶対に行かないっす」

「怖いよねぇ、でも葬儀屋で恵比寿様の熊手を飾っているのを見たことがあるよ」

 楽しげな笑みの中に少し意地悪も浮かべて眞部が言うのを見て哲也が嫌そうに顔を顰めた。

「葬儀屋で商売繁盛願ってるっすか、絶対怖いっす」

「そうだねぇ、お祭りで貰ってきて置いちゃったのかもねぇ」

 嘘か本当か、とぼけ顔の眞部に哲也が再度訊く。

「それで、このお社は何祀ってるんです?」

「さぁ……」

 小首を傾げてから眞部が続ける。

「何かは知らないがここができる前からあるんだよ、山の神様でも祀っていたのかねぇ」

「磯山病院ができる前からあったんすか……それで何が祀ってあるのか分からないのに世話してるんすか?」

 分からないものの世話がよく出来るなと、哲也は呆れ半分、感心半分といった顔だ。

 哲也の心を見通してか、眞部がこたえる。

「そうだねぇ、知らないものに触れるのはよくないよねぇ、ここが誰も入らない山なら私も放って置くよ、でも今は病院だ。大勢の人が行き来している。何かあれば大変だからね」

 なるほどと哲也が頷いた。

「そうっすね、聞いたことがあるっす。放置された神様が祟ったりするって、それで眞部さんは世話してるんすね、流石っす」

「人が作って祀ったからには最後まで面倒を見なければいけないんだよ」

 哲也が分かってくれたと嬉しそうに眞部が話を始める。

「困ったもので何かは知らないが一度神として祀ったからには世話をしないと祟るようになる。霊的な関係が出来るんだよ、信仰心が力となる。人々が願い祀る思いが溜まって力となる。力を持った何かが人々の願いを利く、それが何年、何十年と続く、力は溜まっていくだろうね」

「力が溜まるか……わかるような気がするっす」

 真面目な表情で呟く哲也に眞部が続ける。

「そんなものが急に祀るのを止められて恨みが出来れば、その力は凄いよ、怖いものだよ、だからこうして時々世話をするんだ。それだけで静まってくれるものなんだよ」

「わかるような気がするっす。僕だって褒めそやされてから無視されたら、馬鹿にされたのかと怒るっすよ」

 そうだろうと言うように眞部が頷く。

「責任だよ、一度始めたものには何事にも責任が生まれるものだ」

「責任っすか……」

 軽い気持ちで冗談を言っていたのが重い話しに変わって哲也も神妙な面持ちだ。


「何で病院なんだよ! 病院じゃダメだ!!」


 向こうから騒ぐ声が聞こえてきた。

「誰か来たようだね」

「新しい患者っすか?」

 社を掃除する手を止めて眞部と哲也は本館の表に向かった。



 病院の職員や保護者らしい初老の男性に連れられて男が騒いでいるのが見えた。

「俺は病気じゃない、病院じゃなくて寺か神社へ連れて行ってくれ」

 騒いでいる男は三十歳くらいで足が悪いのか松葉杖をついていた。

「よくないねぇ」

 患者らしき男を見て眞部が顔を顰めた。

「よくないって? もしかして……」

 眞部の様子に何かあると哲也はピンときた。

「ダメだよ、あの人にはよくないものが憑いている。変な気を起して近付いたらダメだよ」

 期待顔の哲也を眞部が窘める。

「眞部さんがダメって言うなら……よくないものって? 悪霊ですか」

 何度も助けて貰って眞部の力を知っている哲也は素直に従うつもりだが、何が憑いているのかは気になって訊いていた。

「只の霊じゃない、あれは……」

 眞部がこたえようとしたとき、患者が騒ぎ出す。

「ダメだ! 病院なんかじゃダメだ。寺か神社に連れて行ってくれ」

「大丈夫ですから、ここは安全ですから」

 職員が必死に宥めようとするが患者は止まらない。

「食われる。影が……稲荷が俺を食いに来るんだぁぁ」

「正輝! 落ち着きなさい、病院で検査を受けたら寺でも神社でも連れて行ってあげるから」

 騒ぐ患者を父親らしい初老の男性が一喝した。

「ほっ、本当だな……検査をしたら寺に連れて行ってくれるんだな」

 大人しくなった患者を連れて職員たちは本館へと入っていった。


 本館の陰で見ていた哲也が眞部を見つめる。

「お稲荷さんって言ってたっすよ」

 眞部が渋い表情で口を開く。

「お稲荷さんかどうかは分からないが、それなりに力を持った悪いものが憑いているよ」

「ヤバいっすね」

 哲也の顔が険しく変わる。オカルト好きな哲也は当然お稲荷様の怖さは知っている。

「近付いちゃダメだよ、忠告を利かないなら私は知らないよ」

 渋い顔の眞部に見つめられて哲也は引き攣った笑みを浮かべる。

「あははっ……わかりました。流石にお稲荷様の祟りとかは御免です」

「わかってくれればいい、じゃあ私は社の世話に戻るよ」

 社の手入れに戻る眞部に哲也が付いていく。

「掃除手伝うっす」

 哲也を見て眞部が嬉しそうに微笑んだ。

「そうかい、そりゃ助かる。中の仏像をどかせて掃除をしたかったんだが私一人じゃ運べそうもなかったんで助かるよ」

「中の石像どかすんすか? 重そうだけど任せてください」

 哲也は張り切って眞部を手伝った。

 何かと助けて貰った眞部の役に立てる事が嬉しかったのだ。


 社の掃除を終えて哲也が自分の部屋に戻っていく。

「もう昼だ。何だかんだ二時間は手伝ってたぞ」

 手伝ってくれるのならこの際だから徹底的にしようと眞部に言われて社の掃除だけでなく、周りの草抜きなどもしたのだ。

「疲れたけど眞部さんが喜んでくれたからいいや」

 部屋に戻るとベッドに転がる。

「稲荷に食われるとか言ってたな……食われるって、マジで食べられるってことかな」

 新しく入ってきた患者の事を考えているうちに眠っていた。


〝ピピッ、ピピッ、ピピピピピ♪〟


 テーブルの上に置いていた目覚まし時計の音で目を覚ます。

「あぁ……完全に寝てた。目覚まし掛けといてよかったよ」

 伸びをして哲也が起きる。時刻は昼の十二時前、目覚ましをセットしていなければ昼食を食べ損なうところだった。

「お稲荷さんか……」

 新しく入った患者の事が妙に気になった。

「ダメだダメだ。眞部さんに怒られるのは嫌だしな」

 忘れるように頭を振ると昼食をとるために部屋を出て行った。



 食堂の前で仲の好い患者の波瀬邦夫と山口茂雄に見つかった。

「あっ、哲也くんだ」

「おぅ、哲也くん、一緒に食おうぜ」

 嬉しそうな笑みを見せる山口の隣で波瀬がこっちに来いと手を振った。

「ははははっ……」

 乾いた笑いを上げながら哲也が二人の元へと歩いて行く、出来る事なら余所へ行きたいというのが本音だ。二人に見つかると遊びに誘われる。毎回用事があると言って断る訳にはいかない、今日は付き合うしかないと思った。

「哲也くん、お昼終ったらオセロしようよ」

「おぅ、じゃあ俺とは将棋だな」

 哲也を挟んで食事を貰う列に並びながら山口と波瀬が遊びに誘ってくる。

「そうっすね、今日は用事頼まれて無いっすからいいっすよ」

 少し考えてから哲也がこたえた。三回に一回は付き合うことにしている。二人から他の患者の情報を貰うことも多いのだ。

「やったぁ~~、哲也くんとオセロするの久し振りだよ」

「だな、この前も、その前も、看護師に用事頼まれたって言ってたからな」

 大喜びする山口、前に並ぶ波瀬はじろっと哲也を睨んでいる。

「ごめんね、でも仕事優先だからさ」

 顔の前で手を合わせて謝る哲也の後ろで山口が波瀬に向かって口を開く。

「そうだよ、哲也くんは警備員で忙しいんだからね」

「もう止めちゃえよ警備員、俺たちとずっと遊ぼうぜ」

 無責任に誘う波瀬の後ろで哲也が弱り顔だ。二人は治療の一環として哲也が警備員の真似事をしているのを知っている。

「ははっ、ははははっ、そういう訳には……時間あるときは遊びに付き合うからさ」

 笑って誤魔化す哲也の後ろから山口が援護する。

「波瀬、哲也くんを困らせたらダメだよ」

 それ以上言わなくても分かっているというように波瀬が手を振る。

「わかってるよ、哲也くんが警備員してるから何かあったときに俺たち庇って貰えるんだからな」

「そうそう、この前も夜騒いで怒られてテレビ取り上げられそうになったのを哲也くんが助けてくれたんだからさ」

「だな、哲也くんは警備員やってろ、そんで俺たちを守ってくれ」

 波瀬が哲也の肩をポンッと叩いた。先程と言っていることが正反対だ。

「あははははっ……」

 哲也は苦笑いするしかない。

「あっ、そうだ! 哲也くん知ってる。新しい患者が入ってくるって」

 思い出したように山口が言うと波瀬が相槌を打つ。

「お稲荷さんの罰が当たって左足を切ったって噂だぜ」

「足を……」

 今朝見た松葉杖の患者のことだと哲也は直ぐに分かった。

「よく知ってるなぁ」

 感心する哲也に波瀬が得意気に続ける。

「長浜くんに聞いたんだ。面倒な患者の担当になったって愚痴ってたぞ」

 新人看護師の長浜か……。哲也は自分のことを棚に上げて仕方のない奴だと思った。

「それでお稲荷様の罰ってどんな事したのか知ってるの?」

 パッと顔を明るくする哲也を見て山口が笑い出す。

「はははっ、哲也くんほんとに怖い話しが好きだねぇ」

「うん、御飯の次に好きっす。それで長浜さんから話は聞いたの?」

 身を乗り出すようにして再度訊いた哲也の前で波瀬が手を振った。

「残念、俺も聞いたんだがダメだって教えてくれなかったよ」

「当り前だけどね、罰が当たったって言うのも長浜くんが呟いているの聞いただけだし」

 後ろで山口が笑いながら教えてくれた。

「そっか……仕方ないなぁ」

 看護師の長浜に聞くしかないかと哲也は思った。


 談笑しながら昼食を終えた。哲也はお稲荷さんの罰で足を切断したという新しく入った患者の事が気になって仕方がない。

「悪いけどちょっと用事を思い出して……」

「ダメだよ、今日はオセロするって約束だよ」

「そうだぞ、どうせ長浜くんに話を聞きに行こうって考えてるんだろ、ダメだからな、俺たちの約束が先だからな」

 昼食を終えた哲也を波瀬と山口が自分たちの大部屋へと引っ張って行った。


 夕食前の見回り時間まで二人に付き合わされた。

「山口さん、将棋強くなったなぁ、本気で負けそうだったぞ」

 二人相手の遊びは哲也がわざと負けてやっていた。波瀬は入院する前は段持ちだったと吹聴するくらいに将棋は強かったので哲也も本気でやって負けるが山口は定跡も知らずに当てずっぽうで打ってくるので余裕で勝てる相手で今まではわざと負けてやっていたのだが今日は本気を出してギリギリ負けてやったという感じだった。

「波瀬さんと毎日やってりゃ強くなって当然か、その方がいいかな、わざと負けるのも大変だしなぁ……さっさと見回り済ませて晩御飯食べに行こう」

 二人のいる大部屋を出てそのまま見回りをする。

 D病棟へ行こうと外を歩いていると私服姿の長浜がいた。

「あっ、長浜さんだ」

 哲也が駆け寄っていく、

「おっ、哲也くん見回りか、大変だな」

「お帰りですか? お疲れ様です」

 笑顔の長浜に哲也がペコッと頭を下げた。

「今日は日勤だからな、明日は休みで明後日から夜勤だから大変だよ」

 大変と言いながら明日が休みなので長浜の機嫌が良い。それを見て哲也が鎌を掛ける。

「そうっすか、新しい人も入ってきて大変らしいっすね」

「おっ、何で知ってんだ?」

 食い付いてきた長浜に哲也が旨くいったと思いながら続ける。

「警備員の情報網を甘く見ないで欲しいっす」

「あはははっ、どうせ波瀬さん辺りに聞いたんだろ」

 楽しげに笑う長浜を哲也が下手に見つめる。

「えへへっ、当たりっす。それで面白いこと聞いたんですけど……」

 哲也が話を切り出す前に長浜がダメだと言うように手を振った。

「倉崎さんのことだろ? お稲荷さんの、ダメだからな、他の患者の話したら怒られるのは俺なんだからな」

「そこを何とか……誰にも言いませんから」

 顔の前で手を合わせる哲也の向かいで長浜がとぼけ顔で横を向く。

「俺が言ったって誰にも言うなよ」

 長浜は念を押してから哲也に視線を合わせずに独り言を言うように続ける。

「火事だよ、火事で足を挟んで大火傷して切ったんだ。本人はお稲荷さんの祟りだって言ってるけどな、火事の恐怖で心神喪失してそのままおかしくなったんだ。一時的なものだ。三ヶ月、長くて半年ほどで元に戻るって先生たちも言ってるからな、俺が知ってるのはそれくらいだ。細かい話なんて下っ端の俺は一々知らんからな」

 じゃあなと言うように手を振ると長浜が歩き出す。

「長浜さん、ありがとうっす。何か用事が出来たら何時でも言ってください、手伝いますから」

「ああ、頼んだよ」

 頭を下げる哲也に背を向けて長浜は帰っていった。

「火事か……」

 呟くと哲也は見回りでD病棟へと入っていった。



 夕食を終えた哲也が食堂から出てくる。

「やっぱ気になる。何で火事が起きたとか……火事が祟りだったら」

 何をやれば足を取られるほどの祟りを受けるのか哲也は気になって仕方がない。

「今日は佐藤さん休みみたいだし行ってみるか」

 自分の部屋には戻らずに足はナースステーションへと向かっていた。

「香織さんは怒りそうだし……早坂さん居ないかな」

 柱の陰からナースステーションを窺う。苦手な看護師の佐藤は休みで望月は他の病棟だと事前に調べてあるので後は香織に気を付けるだけだ。

「しめた。香織さん居ないぞ」

 哲也がナースステーションの受付口へと歩いて行く。

「あのぅ……早坂さん居ますか?」

 受付の近くにいた看護師に声を掛ける。

「早坂主任? 何か用なの」

「ええ、用事頼まれてて……」

 笑みを作りながら哲也がペコッと頭を下げた。用事など頼まれてはいない、哲也が本当の警備員ではないことは看護師なら全員が知っている。親しい看護師ならともかく、余り話したこともない看護師相手ではこうでもしないと追い払われるので嘘をついて呼んでもらうのだ。

「早坂主任ね、ちょっと待ってて」

 看護師が奥へと行くのを見て哲也は窓口横のドアの前で待つ。

 暫くしてドアが開いた。

「すみません……」

 早坂さんと言いかけて哲也がその場に固まった。

「うぇっ!」

 早坂ではなく香織が怖い顔をして立っていた。

「あっ、あへへっ……じゃっ、じゃあ、そういう事で…………」

 逃げようと後ろを向いた哲也の襟首を香織が、ガシッと掴んだ。

「どういう事? 何で逃げるの」

「ちっ、違うんです」

 泣き出しそうな怯え顔の哲也を香織が睨み付ける。

「何が違うの」

「香織さんじゃなくて早坂さんに用事が……用事を頼まれて……」

 必死で嘘をつく哲也の耳に声が聞こえた。

「用事なんて頼んでないわよ」

 香織の直ぐ後ろに早坂がいた。

「ああぁ……ごめんなさい」

 瞬時に理解すると哲也は項垂れるように謝った。

「なんで嘘つくかなぁ~~」

 香織が睨みながら呆れ声を出した。

「だって、こうでもしないと呼んでもらえないから……」

「まったく、哲也さんは……」

 怯えた子犬のように縮こまる哲也を見て早坂は怒る気もなくなった様子だ。

「早坂さんに迷惑掛けるんじゃないの!」

 香織の拳骨が頭に落ちた。

 早坂がその辺で止めなさいと言うように香織の手を押さえる。

「そうね、嘘はダメね、普通に呼んでくれればいいわよ」

「はい、今度からそうします」

 叩かれた頭を痛そうに摩りながらこたえる哲也に早坂が訊いた。

「それで何の用なの?」

「それは……」

 哲也が怯えた顔のまま香織を窺う。

「またお化けの話でも聞きに来たんでしょ」

 香織は姉が弟を叱り付けるように哲也を睨み付ける。

「だってお稲荷さんの祟りだって……」

「ああ、倉崎さんね」

 早坂は直ぐに分かった様子で頷く、隣で香織が呆れ顔だ。

「祟り? そんなものあるわけないでしょ」

「だって祟りで足を切ったって……」

 不服顔で口を尖らせる哲也を見て早坂が優しい顔で口を開いた。

「倉崎さんは火事で大火傷して左足を切断したのよ」

「その火事のショックで心を病んで暫く入院することになっただけよ」

 早坂の隣で香織が話をしてくれた。



 倉崎正輝二十七歳、大学を出て二年ほど通信機器を扱う会社に就職していたが上司と諍いを起して退職した。その後は職にも就かずに時々バイトをしている。俗に言うフリーターだ。

 二ヶ月ほど前に伯母が亡くなり身寄りの無かった伯母から倉崎は家を譲り受けて一人暮らしを始める。

 二週間ほど前、その家が火事で全焼して倉崎は足先が炭化するほど大火傷を負い、左足の膝から下を切断した。火事で倒れてきた何かに足を挟まれて動けなくなってパニックを起したらしい、深夜だったので道路が空いていて消防車が間に合って助かったが昼間なら助からなかっただろうというほど酷い状況だった。それで心に深い傷を負ってお稲荷様の祟りだと騒ぐようになり心配した両親が磯山病院へと入院させたのだ。



「じゃあお稲荷様とかは?」

 全部妄想か何かだと思いながら哲也が訊くと早坂が顔を顰める。

「譲り受けた家に祀ってたらしいわ、庭に小さな社があったって、でも祟りで火事が起きるわけないでしょ火元は倉崎さんの部屋だし」

 早坂に付け足すように香織が続ける。

「お稲荷さんなんて関係ないわよ、火事の原因も煙草の消し忘れだってことだし、誰かの責任にしたくて妄想してるのよ、自分は悪くないって、よくあるでしょ、あれよ」

「煙草の火事っすか」

 消防署が言うなら間違いない、期待外れに哲也はがっくりだ。

 香織が哲也の頭をペシッと叩いた。

「なに気落ちしてんのよ、仮に祟りだとして、ずっと置いてあるお稲荷さんが火を点けるはずないでしょ」

 早坂が同意するように付け足した。

「お稲荷さんは怖いって言うけど、全焼させちゃったら社も撤去されちゃうわよ」

「そうっすね、行き成り火事にするほど怒るなんておかしいっすよね、それに自分を祀ってる場所が無くなるっす。そんな事してお稲荷さんにも得は無いっすよね」

 納得したように頷く哲也を香織が怖い顔で睨む。

「わかったら部屋に戻りなさい、今度、早坂さんに変なこと聞きに来たら本気で怒るからね」

「ふふっ、私はいいけど、東條さんは怒ると怖いからね」

 二人の様子を見て、からかう早坂に香織が慌てて口を開く。

「ちょっ、何言ってんですか、早坂さんが甘やかすからダメなんですからね」

「はいはい」

 早坂は笑いながら奥へと入っていった。

「まったく、先輩も哲也くんも」

 香織はキッと哲也を睨んでから奥へと戻っていった。先輩とは早坂のことだ。早坂は香織の大学での先輩だ。

 愛想笑いで返すと哲也も自分の部屋へと戻る。

「なんだ……祟りなんて無かったのか」

 足を切断するほどのショックを受ければ心を病んでも仕方がない。霊現象とは関係無さそうだと哲也から興味が薄れていった。



 三日ほど経った深夜、哲也が見回りでB病棟へと入っていった。

「ふぁあぁ~~っ、眠い、もう少しだ頑張ろう」

 大きな欠伸をしながら最上階へとエレベーターに乗っていく。

「屋上の鍵、異常無しっと」

 鍵を確かめると階段を下りながら各フロアを見て回る。

「異常なぁ~~し」

 眠そうに欠伸をしながら五階へと降りてきた。

「おおっっと!」

 警棒代わりに使える長い懐中電灯を振り回して歩いていると手からすっぽ抜けて廊下に転がった。


〝コツン、ガッ、カラカラ、シャラララー〟


 振り回したときに蓋が緩んでいたのかリノリウムで出来た床の上で懐中電灯から電池が転がり結構な音を立てた。

「やばっ!」

 深夜の三時だ。患者は眠っている。煩くて目が覚めたなどと苦情が入れば哲也が叱られる。

 慌てて懐中電灯を拾う哲也の耳に悲鳴が聞こえてきた。


「わあぁぁーーっ、止めろ! 俺を食う気だな」


 斜めの部屋からだ。転がった電池を拾うのを止めて哲也が向かう。

「どうしました。入りますよ」

 声を掛けると同時に部屋番号を見る。

 503号室、名札は倉崎正輝と掛かっていた。

「倉崎さん大丈夫ですか」

 ドアを開けて中へと入る。倉崎という名前に聞き覚えがあった。お稲荷さんの祟りと騒いでいた患者だ。

「たっ、助けてくれ……音が……影の化け物の音が聞こえたんだ」

 ベッドに駆け寄ると倉崎が抱き付いて助けを求めてきた。

「大丈夫ですよ、落ち着いてください」

 落ち着かせようと哲也が倉崎の背を優しくポンポン叩いた。

「音が……カチカチゴロゴロって音が聞こえたんだ」

 怯える倉崎の言葉に哲也が気まずそうに話出す。

「……ああ、えーっと大丈夫です。あれは僕が懐中電灯を落とした音ですよ」

「懐中電灯?」

 倉崎が抱き付いたまま怪訝な顔で哲也を見上げた。

「あんた誰だ?」

 抱き付いていた手を離して倉崎が哲也を睨み付けた。

「僕は警備員です。警備員の中田哲也です。哲也って呼んでください」

 哲也が改まって自己紹介する。

「警備員か……驚かすな! 化け物だと思っただろうが!」

 怒り出した倉崎を見て哲也はお稲荷さんのことを思い出した。

「驚かしてすみません、謝ります」

 姿勢を正して頭を下げてから哲也が続ける。

「でもそれほど驚くなんて、何かあるんですね? お稲荷さんの祟りって本当ですか?」

「ああ……本当だ。誰も信じてくれない、俺を病院へ入れやがって……」

 睨み付ける倉崎の正面に顔を持ってきて哲也が見つめ返す。

「僕は信じますよ、嘘だったら音くらいでこれほど怖がらないでしょ、本当に何かあるから怖いんですよね」

 大きく頷く倉崎の目から怒りが消えている。

「ああ、そうだ。本当だ。本当にお稲荷様が俺を食おうとしたんだ」

「話を教えてくれませんか?」

 思い切って訊いた哲也に倉崎が怪訝な目を向けた。

「話してもいいが警備員に何か出来るのか? 俺を寺か神社に連れて行ってくれるのか?」

「病院から患者を勝手に出すことなんて出来ません、でも御守りか御札を貰ってくることは出来ますよ」

 話しが聞けるならと、哲也が切り出すと倉崎が乗ってきた。

「御札……本当か? 本当に持ってきてくれるんだな」

「直ぐには無理ですけど五日ほど時間掛けていいなら御札持ってきますよ」

 哲也が調子よく頷いた。仲の好い看護師や警備員に頼めば買い物はどうにでもなる。

「わかった。話してやる。その代わり御札を持ってきてくれ」

「約束しますよ」

 頷く哲也にそこに座れというようにベッド脇のテーブルにあった椅子を倉崎が指差した。



 これは倉崎正輝さんから聞いた話だ。


 倉崎は生来の怠け者で自分を良く見せるために嘘をつくほら吹きだ。おまけに酒や煙草にギャンブルが好きという、どうしようもない男である。会社を辞める原因になった上司との諍いも深夜まで遊んで寝坊して遅刻や欠勤を繰り返したことが発端だ。

 それまで親元に住んでいたのだが二十七歳になった年に親戚から遺産相続を受けた。子供の頃から可愛がってもらっていた伯母さんが大往生で亡くなった。夫に先立たれ、子もなかった伯母が財産を倉崎に譲ったのだ。遺産といっても町外れの小さな庭付きの家と貯金が少々あるだけだがフリーターの倉崎にとっては一財産だった。

 両親は独り立ちさせる良い機会だと倉崎に家から出て譲り受けた伯母の家で生活するように言い聞かせた。伯母の残してくれた貯金も八百万円ほどあったので数年は暮らしていけるだろうと倉崎は実家を出て一人暮らしを始めた。



 伯母の葬儀や遺品の整理などを終えて一ヶ月後に倉崎は引っ越した。

 譲り受けた伯母の家、その小さな庭に社があった。小さなお稲荷さんだ。

「まだあったのか……」

 家の裏、丁度伯母が寝室として使っていた壁一枚隔てた裏に小さな社があった。

 伯母が大切にしていたお稲荷さんの社だ。

 亡くなる前に病院へ見舞いに行った際に伯母からくれぐれも社の世話を宜しくと念押しされたのを思い出す。

「ラッキーだったよな」

 社を見ながら呟いた。親が見舞いに行くというのでたまたま付いていったのだ。その際に伯母に社の世話を頼まれた。倉崎は任せてくれと言って伯母を安心させた。それを聞いた伯母が財産を譲ると遺書を残したのだ。

「庭がどうたらとか、授かったとか授けたとか言ってたな、入院してからよっぽどお稲荷さんが気になってたんだな、おばちゃんボケてたみたいだし、あの時に任せてくれとか言わなかったら他のヤツに取られてたかもな、本当にラッキーだ」

 伯母には実子はいなかったが親戚は倉崎の他にも何人かいたのだ。可愛がられていた者も数名いた。その中で倉崎が選ばれたのは見舞いにいった際に社を任せてくれとこたえたからだと思っていた。

「ガキの頃、屋根に登って叱られたっけな」

 毎月のように遊びに行っていた小学生の頃、社の屋根に上がって伯母に叱られていたのを思い出す。社の屋根と雨樋の柱を伝うと二階のベランダに登れるのだ。逆に降りることも出来る。両親に叱られたときや悪戯するときにベランダから出入りをしていたのだ。

「おばちゃん、怖かったなぁ」

 思い出すと倉崎がニヤつきながら呟いた。

 普段は優しい伯母が社に悪戯したときは別人のように目を吊り上げ、怖い顔をして怒っていた。

「まぁ、これだけ綺麗にしてたら怒るよな」

 高さ一メートル三十センチ、幅七十センチほどの小さな社だが綺麗に整っていた。

「これも何かの縁か……」

 伯母が亡くなって二週間ほど経っている。綺麗だが社のあちこちに埃や雨汚れがついていた。

「俺の家だからな……金は無いからお供えは無理だけど掃除くらいはしてやるか」

 倉崎は社と庭の掃除を始めた。

 優しかった伯母が大切にしていたという事もあるが将来家を売ることになるかも知れない、その時に家もそうだが庭や社が汚ければ評価額が下がるだろうと考えた。

 生来の怠け者だ。一軒家を維持して住もうなどとは考えてはいない、二年ほど住んでから売ろうと思っていた。直ぐに売りに出すと両親に何を言われるか分からない、伯母が残してくれた貯金も八百万円ほどある。それで生活して二~三年ほど住んでからこっそり売りに出してやろうと考えたのだ。


 社の屋根や壁などに付いた汚れをホースの水とブラシで適当に流す。

「中も拭いとくかな」

 倉崎が社の中に安置してある像に手を伸ばした。

「おお、狐だ。化けて出そうだ」

 三十センチほどの狐の石像を手に取った。

 御影石だろか? 墓石に使っている石と同じような材質で出来た石像だ。目と口元にだけ色が付いている。赤目に赤い口だ。

「出して見るのは初めてだ。触るだけでおばちゃん怒ったからな」

 両手で抱きかかえるようにして繁々と眺めた。

「おわっ!」

 狐の像が地面に転がった。目が赤く光ったような気がして思わず放り投げたのだ。

「なんだ? あはははっ」

 転がっている石像を足で踏み付けるようにして、ごろっと回して上を向かせる。

「吃驚したぁ、光が反射しただけかよ」

 只の狐の像だ。石像には何の変化も無い。

「どこも壊れてないよな? 割れたりしてないよな」

 狐の像を持ち上げると社の端に置いて確認した。

「よかった壊れてない、こんなのでも高そうだからな」

 無事なのを確認するとホースの水とブラシを使って汚れを落とす。

「時々水浴びさせてやるよ」

 適当に洗い流すと拭きもせずに社の中へと狐の像を戻した。

 その後、社の前、家の横にへばり付くようにある長細い小さな庭を箒で掃き掃除すると煙草一服と缶コーヒーで一休みだ。

「働いた。働いた。じゃあ晩飯でも買いに行くか」

 煙草の火を社の屋根で押し消すと飲み残しの缶コーヒーを狐像の前に置いた。

「半分残ってるからお供えってことで」

 ぽんっと手を合わせて拝むような振りをしてから、排水口に繋がる溝に吸い殻を捨てると倉崎は買い物へ出掛けた。

 倉崎はお稲荷様はもちろん神様なんて全て信じていない。売るときに価値が下がらないために社や庭を適当に掃除しただけだ。



 その夜、倉崎が寝ていると物音で目が覚めた。


〝カチカチ、ガチャ、ゴロゴロ、ガチャガチャ、カチカチ〟


「何の音だ?」

 寝惚け頭で寝返りを打った。

 倉崎が寝ているのは二階だ。

 小さな家で一階に四畳ほどの台所とそれに繋がるように四畳半の居間があり、隣に伯母が寝室に使っていた六畳の和室がある。台所を挟んで玄関横、風呂とトイレの上を登るようにある階段を上がって二階には四畳半と八畳の二部屋だ。

 伯母が寝室に使っていた六畳の上に四畳半の部屋があり、台所と四畳半の居間の上に八畳の部屋があるという事だ。


〝カチカチ、ガチャ、ゴロゴロ、ガチャガチャ、カチカチ〟


 耳を懲らすとまた聞こえてきた。

「下からか?」

 カチカチと小石を叩き合わせたような小さな音だ。

 二階の四畳半で倉崎は寝ていた。八畳の部屋には整理出来ていない不要品などが置いてある。日常使いなら四畳半の方が掃除も楽だと此方を使っていた。

「何の音だ?」

 呟きながら倉崎は上半身を起した。


〝カチカチカチ、ゴロゴロゴロ〟


 石を叩き合わせたり転がすような音だけでなく、何やら話すような声が聞こえてくる。

『さずかった……さずかった……』

 籠もったような小さな声だ。

「誰か居るのか?」

 泥棒でも入って来たのかと身構える。

 窓枠もアルミサッシではなく木枠といった築五十年近く経つ古い家だ。侵入しようと思えば窓枠ごと外して入ることも簡単にできる。


〝カチカチカチ、ゴロゴロゴロ〟

『さずかった……さずかった…………』


 微かな物音と声だが確かに聞こえる。

「さずかった? あずかった? 何だ? 泥棒じゃなさそうだな」

 伯母が亡くなって空き家になったと思った近所の悪ガキでも入って来たのだと、倉崎はそっと階下に降りていった。


〝カチカチ、ガチャ、ゴロゴロ、ガチャガチャ、カチカチ〟

『……さずかった……さずかった…………』


 音と声は伯母が寝室として使っていた六畳間から聞こえてきた。

 誰か居るのか? 倉崎がそっと引き戸を開ける。

「別に何もないな」

 明かりを点けて部屋を見回すが声はもちろん音を出すようなものは何もない。

 伯母の寝室だった一階の六畳間は綺麗に整理してあり古い箪笥や本棚が置いてあるだけでカチカチとなる金属や皿などは置いていないのだから当り前だ。

「気の所為か……」

 古い家だ。鼠や蝙蝠が入ってくる隙間くらいあるだろう、暫く部屋の中で耳を澄ますが音も声も何も聞こえない。

「鼠だな」

 泥棒ではないことに安心すると倉崎は二階へと戻っていった。



 翌日、昼過ぎまで寝ていた倉崎は起きるとインスタントラーメンで朝食を済ませ、近くのパチンコ店へと向かった。

「三万だけ遊ぼう、勝ったら寿司か焼き肉で負けたらカップ麺だな」

 ズボンのポケットに入れた財布をポンッと叩くと自転車に跨った。

「伯母さんの御陰で暫く遊んで暮らせるなぁ」

 ニヤけながら自転車を漕いで駅前のパチンコ店へと走らせる。

 当座の生活費は伯母から譲り受けた金でどうにでもなる。根っからの怠け者だ。貯金が心もとなくなってからバイトでも始めればいいと考えていた。


 三時間ほどして倉崎がパチンコ店から出てきた。

「ふひひっ、やったぞ、寿司でも食おう」

 大勝ちして顔のニヤけが止まらない。これほど勝ったのは初めてだ。

「九万だぞ、三時間で九万だ。時給三万のバイトなんて無いぞ」

 まだまだ勝ちそうな気がしたが腹も減ったし、ここらが潮時だと一丁前のギャンブラー気取りで店を出たのだ。

「寿司だ寿司、腹一杯食ってやる」

 そのまま自転車に跨って駅の反対側にある寿司屋に向かった。

 寿司といっても回転寿司だ。高級な鮨屋など入ったこともないので腰が引けて行くことなど出来ない、小心者ということだ。


 回転寿司で夕食を終え店を出たのが午後六時前だ。

「あ~旨かった。スーパーの半額になったパック寿司とはやっぱ違うなぁ」

 一人暮らしを始めてからの食事はインスタントラーメンやスーパーで特価になった弁当ばかりだった。伯母から相続した金はもっぱら酒や煙草にギャンブルで使っていた。他の事に金を使うのは勿体無いと考えるのが倉崎である。

「まぁ贅沢は勝ったときだけだからな」

 自転車に跨って帰路につく。

「寄ってくか……」

 駅の反対側にもパチンコ店はある。

「今日はツイてるんだ」

 倉崎はパチンコ店へと入っていった。


 夜十時前、パチンコ店から倉崎が出てきた。

「やっぱ今日はツイてるんだ」

 満面の笑みで呟いた。また勝ったのだ。

「合わせて十六万だ。バイトなんて馬鹿馬鹿しくなるぞ」

 七万円ほど勝った。昼の九万と合わせると十六万円ほど勝ったことになる。

「長田や岩田でも誘って飲みに行くかな……でも仕事で忙しいとか言ってダメだろうな」

 上機嫌で自転車に跨る。知人を飲みに誘おうかと思ったが止めた。

 怠け者でほら吹きという性格の悪さが災いしてか友達と言えるものはいない、かろうじて付き合いのあった級友たちは社会人として生活している。フラフラしている倉崎とは年に数回飲み会などで会うだけだ。

「まぁ次に大勝ちしたら奢ってやるかな」

 帰り道にあるコンビニへと寄った。

「今日は一人で宴会だ」

 普段は安い発泡酒や缶酎ハイなのに今日は高いビールとつまみを買って帰った。



 テレビを点け、スマホを弄りながら酒を飲む。

「おっ、この缶詰旨いなぁ」

 普段なら絶対に買わない五百円もする缶詰やレジ横で売っているチキンなど美味しいつまみで酒が進む。

「ふぅ、やっぱビールは旨いわ、まぁ発泡酒もそれはそれで旨いんだけどな」

 良い気分で酔っ払って寝床に付いた。



 深夜、物音で目が覚めた。


〝カチカチカチ、ゴロゴロゴロ〟


 石を叩き合わせたり転がすような音が聞こえてくる。

「うぅ……煩いなぁ」

 寝返りを打ちながら酔いの残る頭で音の出所を探る。

「下か……」

 昨晩と同じく一階、真下の伯母の寝室だった六畳間から音は聞こえてくるようだ。


〝カチカチ、ガチャ、ゴロゴロ、ガチャガチャ、カチカチ〟

『……さずかった……さずかった…………』


 音と共に微かに声も聞こえてくる。

「小便……」

 尿意を感じてトイレに行くついでに確かめようと上半身を起す。

「あれ? 消えたぞ」

 先程まで鳴っていた音が聞こえない。

 布団の上で上半身を起したまま耳を澄ます。


〝カチカチカチ、ゴロゴロゴロ〟


 音が聞こえた。だが先程とは聞こえてくる場所が違う。

「なんだ? 向こうから聞こえるぞ」

 反対側から聞こえてくる。先程は直ぐ下から聞こえてきた音が今は反対側、つまり一階の伯母の寝室の隣、居間のある方向から聞こえてくる。

「あれ?」

 また聞こえなくなる。


〝カチカチ、ガチャ、ゴロゴロ、ガチャガチャ、カチカチ〟


 直ぐに聞こえてきた。今度は台所の付近からだ。

「回ってる……」

 倉崎の酔いが覚めていく、音が家の周りを回っていた。


〝カチカチカチ、ゴロゴロゴロ〟

『さずかった……さずかった……』


 石を叩き合わせ転がすような音が家の周りを回っている。音だけではない微かに声も聞こえた。

「誰かの悪戯か?」

 倉崎はそっと部屋を出ると一階へと降りていった。


〝カチカチ、ガチャ、ゴロゴロ、ガチャガチャ、カチカチ〟


 玄関の辺りから音が聞こえてきた。

 倉崎は音を立てないように近付くと玄関の引き戸をそっと開けた。


〝ガラララーーッ〟


 古い引き戸が砂を噛んで派手な音を鳴らす。

 しまったと思ったがもう遅い、靴箱の横にあった傘立てからビニール傘を掴むと倉崎はバッと外へと出た。

「誰か居るのか?」

 ビニール傘を前に突き出しながら辺りを警戒する。

「居るなら出てこい、怒らないから」

 傘を武器に家の周りを見回るが人はもちろん猫や犬など何も居なかった。

「逃げたか……」

 玄関へと戻る際に、ふと裏にある社が目に付いた。

「ちゃんと見張っててくれよ、泥棒とか変なヤツが入ってこないように頼むぜ」

 倉崎は神様なぞ信じてはいない、何を言ってんだと自嘲するように笑うと家へと入った。

 トイレを済ませて二階の四畳半へと戻る。

「まだ三時じゃないか……昼まで寝るぞ」

 時刻は午前三時を少し回っていた。倉崎は布団に入るとスマホを弄り始める。

 また音が聞こえてきたら今度こそ確かめてやろうと構えていたがいつの間にか眠りに落ちていった。


 気が付くと玄関に立っていた。

「えっ!? なんでここに居るんだ?」

 倉崎が辺りを見回す。

「寝惚けたのか?」

 二階へ戻ろうと階段の手摺りを掴んだとき、音が聞こえた。


〝カチカチ、ゴロゴロ、ガチャカチカチ、ゴロゴロゴロ〟


 今までで一番ハッキリとした音だ。

(誰か居る)音だけでなく気配を感じる。出所を探ろうと身構える耳にまた聞こえてくる。


〝カチカチ、ガチャ、ゴロゴロ、ガチャガチャ、カチカチ〟


 直ぐ近くだ。息を殺してじっとしていると横からハッキリと聞こえてきた。


〝カチカチカチ、ゴロゴロゴロ〟


 壁の向こうだ! 今いる階段の壁の向こうから聞こえてくる。


〝カチカチ、ガチャ、ゴロゴロ、ガチャガチャ、カチカチ〟


 音が移動して玄関までやって来た。

 倉崎が振り返ると玄関の引き戸、昭和型板ガラスという昭和初期に流行った模様の入ったガラスに影が映っていた。

 暗くてハッキリとは見えないが人のように見えたので声を掛けた。

「だっ、誰だ!」

 鍵は掛かってあるので直ぐには入ってこられない、此方が気付いているのが分かれば泥棒なら逃げていくはずだ。

『さずかった……さずかった……にわを……にぇわをさずかった』

 影が何かを言いながら引き戸に手を掛けたのがわかった。

 普段は砂を噛んでザザッと音を立てる玄関の引き戸が音も無くスーッと開いた。

「ふっ、ふぅぅ……」

 開くはずのない玄関の戸が開いたのを見て倉崎が息を呑んだ。

 音も無く開いた引き戸の向こうに黒いものがいた。細い人のようにも見えるが黒いものの顔が妙に長かった。その長い顔に垂れた細い目が付いているのがわかる。

『さずかった……にわをさずかった…………にぃわだ……にわ……』

 細い顔の下、大きな口を歪めて影がニタリと笑った。

「ふぅぅ……うわぁあぁぁーーーっ」

 倉崎は叫びながらガバッと飛び起きた。

「うわっ、うわぁぁ……あぁ?」

 辺りを見回す。自分の部屋だ。壁際に置いたテレビ台に載った三十二インチのテレビ、その前に小さなテーブル、テーブルの上にはビールの空き缶と食べかけのつまみが置いてある。その横に布団を敷いて眠っていた二階の四畳半の部屋だ。

「ゆっ、夢か……」

 安堵して力が抜けていく、夢を見ていたのだ。

 窓からは日が射している。スマホで時間を確かめると朝どころか昼前だった。

「変な音を気にして夢を見たんだ……鼠か泥棒か知らんがムカつくぜ」

 怒りながら頭を枕に戻す。

「二度寝だ二度寝」

 どこに怒りをぶつけていいのか分からず、ふて腐れてそのまま眠った。



 午後二時前に目を覚ます。

「腹減った……カップ麺があったな」

 寝ていても腹は減るものだ。空腹に耐えきれずに倉崎は起きた。

 テレビでニュース番組を見ながらカップ麺を食べた。

「今日も行くかな」

 昨日の大勝ちが忘れられない、倉崎はパチンコ店へと向かった。


 午後七時過ぎ倉崎がパチンコ店から出てくる。

「ひひっ、今日も勝ったぜ」

 午後の三時過ぎから七時まで四時間で十万近く勝っていた。

「焼き肉でも食って帰るか」

 普段は入らない食べ放題ではない焼き肉店に入って夕食を済ます。もちろん酒も飲んで良い気分で酔っ払って帰りについた。

「高いなぁ、一万近く取られたぞ……まぁ旨かったけどな」

 怠け者で自分を大きく見せるために嘘をつく、金の無いときは連日カップ麺、金が入ると豪遊する。全く計画性の無いのが倉崎だ。

「もうちょっと飲むか」

 コンビニでビールとつまみを買って家に戻る。

 テレビを見ながら酒を飲んで酔っ払ってそのまま布団に倒れ込んだ。

「昨日と今日で二十万以上勝ってんだぞ、ざまぁみろ……」

 世間に対する不満でも溜まっていたのか吐き出すように言うと眠りに落ちていった。



 どれくらい寝ていただろう、音が聞こえたような気がして目が覚めた。

「あれ?」

 倉崎が辺りを見回す。

「なんで? 寝惚けたのか」

 階段だ。階段の一番下に腰掛けていた。

「酔っ払ってたからな」

 泥酔ではないが意識を失うように眠ったのは分かっていた。酔っ払って喉が渇いて水でも飲もうと起きたんだろうと思った。

「お茶飲んで小便して寝よう」

 尿意を感じてブルッと震えると立ち上がろうと腰を浮かせた。

 その時、音が聞こえた。


〝カチカチ、ゴロゴロ、ガチャカチカチ、ゴロゴロゴロ〟


 反射的に玄関を見る。

「ふっ、ふぅぅ……」

 模様の付いたガラスの向こうに黒い人影がいた。

『さずかった……さずかった……にぇわを……にわをさずかった』

 くぐもった声と共に玄関の引き戸がスーッと音も無く開いた。

「はっ、はぁ、あぁぁ……」

 震えながら倉崎の浮かせた腰が落ちた。

 人に似ているが、やけにほっそりとした真っ黒な影だ。その頭がやけに長い、細長い顔に赤く光る垂れた細い目が付いている。

『さずかった……にわを……にぇわを……さずかったぁ…………』

 口だろうか? 細長い顔の下が横に広がりニタリと笑いながら影が玄関へと入ってくる。


〝カチカチカチ、ゴロゴロゴロ〟


 石を叩き合わせるような音と共にニタリと笑った影が階段の一番下でへたり込んでいる倉崎に手を伸ばす。

「ふぅ、ふぅぅ……うわぁっ、うわぁあぁぁーーーーっ」

 絶叫しながら飛び起きた。

「ばっ、化け物……あっ、はぁあぁ……夢かぁ」

 震える声で安堵の溜息をつく、階段では無く自分の部屋だ。夢を見ていたらしい。

「飲み過ぎだな」

 普段より飲んでいたので悪酔いして変な夢を見たんだと思った。

「雨か……」

 外は音を鳴らして雨が降っていた。倉崎はスマホで時間を確かめる。

「おぅ、もう昼じゃないか」

 雨で曇っていて朝だと思っていたが既に昼の十二時を回っていた。

「結構降ってるな……今日は止めとくかな」

 連日勝って資金は余裕がある。雨の日に態々出歩くこともないだろうとその日は家でゴロゴロ過ごすことに決めた。


 冷蔵庫に入っていた冷凍の炒飯で昼食を済ますと布団に横になってゴロゴロしながらスマホを弄っていた。

「ふぁふわぁぁーーっ」

 大きな欠伸をするとスマホを消して目を閉じる。

「結構降ってるなぁ……晩飯出前でも取るかなぁ」

 雨は止む気配は無い、風も強くなり雨が窓に当たってバシャバシャ鳴っている。

「変な夢見た所為か眠い……」

 倉崎は落ちるように眠っていた。


〝カチカチ、ガチャ、ゴロゴロ、ガチャガチャ、カチカチ〟


 音が聞こえて目を覚ます。

「うぅ……なんだ?」

 布団の上で上半身を起して聞き耳を立てる。


〝カチカチ、ガチャ、ゴロゴロ、ガチャガチャ、カチカチ〟


 音は部屋の外、階段の辺りから聞こえてくるようだ。

「煩いなぁ」

 何故かは分からないが倉崎は連日聞こえていた音のことを忘れていた。

「鼠か? もしかしたら鼬とかアライグマとか棲み着いてるんじゃないだろうな」

 昭和から建っている古い家だ。一人暮らしをしていた伯母はお稲荷さんは毎日のように手入れをしていたが家は部屋の中を掃除するだけで屋根や壁は放ったらかしだったので雨漏りの痕が天井裏のあちこちに付いていた。こんな状態では外から獣が入って来て棲み着いていてもおかしくはない。

「鼠ならいいけどデカい奴だと駆除して貰わないとな」

 面倒臭そうに起き上がると部屋のドアをそっと開けて階段を窺う。

「ふぅぅ……」

 息が詰まった。

 黒い影がいた。階段の途中だ。

『さずかった……さずかった……にぇわを……にぇわを……にわをさずかった』

 人にしてはやけに細い真っ黒な影が這うようにして階段を上ってくる。


〝カチカチカチ、ゴロゴロゴロ〟


 石を叩き合わせたり転がすような音は影から出ていた。

 階段の中程で影が立ち上がる。

『さずかったぁ……にわを……にぇわをさずかったぁあぁぁーーっ』

 細長い顔、赤く光る垂れ目、顔の下、顎など無いように見える。大きな口をニタリと曲げて影が笑った。

「ふぅ……ふぅわぁあぁぁーーーーっ」

 倉崎はドアに縋り付いたまま気を失った。


 布団の中で目を覚ます。

「なん? 夢かよ……」

 閉まっている部屋のドアを見て安堵した。全て夢だ。

「寝過ぎで変な夢見たんだな」

 スマホで時間を確かめると午後六時を回っていた。かれこれ四時間ほど眠っていたらしい。

「あんまり腹減ってないなぁ」

 出前を取ろうと思っていたが腹の減り具合を考えて、パチンコで大勝ちする前に買い置きしていたカップ焼きそばと缶詰に発泡酒と缶酎ハイで夕食を済ませた。

「明日も雨かなぁ」

 雨は止む気配は無い、昼間たっぷり寝た所為か午前零時を過ぎても少しも眠くはなかった。

「おっ、ラッキーいいのが来た」

 布団に寝転がりながらスマホでゲームをしていると音が聞こえてきた。


〝カチカチ、ガチャ、ゴロゴロ、ガチャガチャ、カチカチ〟


 あの音だ……。倉崎が身構える。


〝カチカチカチ、ゴロゴロゴロ〟

『さずかった……さずかった……にぇわをさずかった……にわをさずかった』


 石を叩き合わせたり転がすような音と共に何やら呟くような声が家の周りを回っていた。


〝カチカチ、ゴロゴロ、ガチャカチカチ、ゴロゴロゴロ〟


 音が止まった。玄関の辺りだ。

 ザザーッと砂を噛む音がして玄関の引き戸が開くのが分かる。

「なんだ? 誰か入ってきたのか?」

 もちろん鍵は掛けてある。古い引き戸で鍵も普通のものだ。だからといって簡単に開けられるものではない、じっと耳を懲らして身構えていたのだ。細工して鍵を開ける気配など全くなかった。

(あの影が入って来たのか……)

 頭に夢で見た細長い人のような影が浮んだ。

「馬鹿馬鹿しい、夢だぞ」

 今は起きている。夢の中と同じように化け物が出てくるはずがない。

「確かめてやる」

 部屋の中を見回し、スティック型の掃除機を逆向きにして持つ、誰かが入って来たのなら掃除機を武器にして殴りつけてやるつもりだ。

 出ようと部屋のドアに手を掛けたとき音が聞こえた。


〝カチカチカチ、ゴロゴロゴロ、ギィギィギィ〟


 石を叩き合わせたり転がす音と共に階段が軋む音がする。

(上がってきてる……)

 何かが階段を上がってきている気配がした。

(泥棒か? 殴り倒してやる)

 スティック型の掃除機を握り締めてドアを開けた。


『にぇわ……さずかったぁ…………にわをさずかったぁぁ…………』


 直ぐ前に細長い影がいた。

 普通の人の倍くらいある長細い顔、赤く光る垂れた細い目、顎は無い、大きく開いた口をニタリと嬉しそうに歪めている。

「はっ、はっ、はぁあぁぁーーーっ」

 しがみつくようにきつく掃除機を握り締めたまま固まった倉崎が過呼吸でも起したのか声にならない悲鳴を出した。


『さずかったぁ……にぇわぁぁ…………』


 細長い影がぬうっと顔を近付ける。

「はっ、はぁあぁ…………」

 そこからは覚えていない。

 気が付くとドアの傍で倒れていた。

「なっ……なにが……」

 辺りを見回して何も無いのを確認して安堵する。

「影が……化け物が…………夢? でも掃除機が……」

 夢だと思いたいが部屋の向こう、テレビ台の後ろに置いていたスティック型の掃除機が傍に転がっている。

 部屋を出て階段の上から玄関を見る。

「閉まってる……やっぱ夢だ」

 掃除機を仕舞ながら夢だということにした。怖かったのである。

「酒飲んで寝ちまおう」

 怖々一階に降りると台所へ行って冷蔵庫から発泡酒と缶酎ハイを三缶ほど取り出して二階の部屋に逃げるように戻った。

「何もいなかったし夢だ夢」

 一階には何の気配も無かった。

 倉崎は恐怖を紛らわせるように一気に酒を飲むと布団に潜った。



 翌朝、倉崎は気持ち良く目を覚ます。

「ふあぁーっ、よく寝た」

 変な夢も見ずに熟睡出来たのだ。

「やっぱ全部夢だ。初めての一人暮らしで緊張したのか変な夢を見ただけだ」

 一人暮らしにも慣れてきて変な夢も見なくなったのだと安堵した。

「おっ、雨止んでるぞ」

 窓から眩しい光が差していた。時刻を確認すると朝の九時半だ。

「たっぷり寝たし、パチンコでも行くかな、その前に飯だな」

 コンビニに朝食を買いに行こうと家を出る。

「汚いなぁ~~」

 倉崎が顔を顰める。玄関のドアを開けると泥や落ち葉が散乱していた。

「昨日の雨かよ」

 どうやら雨と風で落ち葉が飛んできたようだ。

「うわっ、こっちも汚ぇ」

 家に沿うようにある細長い小さな庭も落ち葉や泥で汚れていた。

「どっから飛んできたんだ? 汚いなぁ」

 落ち葉を落とすような木は近くには無い、細い庭にも小さな木はあるが落ち葉を落とすような木ではない、仮に庭木が原因だとしても、今落ちている落ち葉の全てだとはとても思えないくらいに多数の葉が落ちていた。

「飯食ったら掃除してやるよ、俺の家だからな」

 顰めっ面で呟くと自転車に乗ってコンビニへと向かった。


 コンビニで弁当とお茶とおやつにシュークリームと小さなケーキを買って帰ってくる。

「昼から掃除でパチンコはどうするかなぁ……勝ってるし明日でもいいか」

 チラッと汚れた庭を見てから部屋に戻って昼食をとる。

「食った食った。ちょっと休んでから掃除だ」

 テレビを見ながら飯を食い終わり、ごろっと横になってスマホを弄り出す。

 午後二時前、怠そうに起き上がる。

「面倒臭ぇ……俺の家だからな」

 将来売るときに少しでも高くなるように家の手入れだけはするつもりだ。

「落ち葉は箒で、泥は水で流せばいいか」

 根っからの怠け者だ。手入れをするといっても適当である。表面さえ整っていればいいと考えるタイプだ。

 玄関前の落ち葉を箒で掃いて、細長い庭の落ち葉と一緒にゴミ袋へと入れる。

「普通のゴミでいいのかな? 泥も混じってるし」

 ゴミ出しは火曜日と金曜日だったなと思い出しながら玄関横の蛇口からホースを伸ばす。

「残りの泥と細かい奴は水で流せばいいよな」

 玄関の泥を水で流して、横の細長い庭に向かう。

「排水口は前だから奥から流した方がいいな、ホース届くかなぁ」

 ホースを伸ばして細い庭の奥へと入っていく、

「お稲荷さんも汚れてるな」

 一番奥にある小さな社も泥で汚れていた。

「この前洗ったばかりだろう……まぁいいや」

 社の中、狐像が置いてある辺りが得に酷く泥で汚れていた。

「シャワーだな」

 倉崎は社の中に乱暴に水を撒いた。

「やべぇ! 強すぎたか」

 水流が強かったのか狐像がごろっと転がる。

 水が出ているホースを放り投げると倉崎は狐像に手を伸ばす。

「壊れてないだろうな?」

 狐像を取り出して確かめる。異常が無いのを確かめて社に戻そうとした。

「うぉぅ!」

 狐像の目が赤く光ったような気がして仰け反った。

 倉崎の手から狐像が社の中に転がり落ちる。

「気の所為か……」

 怖々と見るが狐像には変化はない。

「勘弁してくれよ」

 謝りながら倒れた狐像を立て直す。その時、ふと夢の中で影が言っていた言葉を思い出す。

「さずかった……庭を授かったって言ってたな」

 今までの夢を必死で思い出す。

「そうか! 俺がこの家を、庭を授かったってことか」

 パッと閃いた。

「おばちゃんが大事にしてたし、お稲荷さんが俺に世話をしろって言ってるんだな」

 パチンコで勝ったのもお稲荷さんの所為かもしれないと思った。

「あの影はお稲荷さんだ。世話をしてくれって言いに来たんだ」

 自分の考えが正しいと思った。もう影は怖くない。

 掃除を終えた倉崎は家の中へと入ると冷蔵庫からシュークリームを持って出てきた。

「お稲荷さん、お供え物です。また勝たせてくれたらもっと良いもの持ってきますから」

 コンビニで買ったシュークリームを社に供えると倉崎は手を合わせて拝んだ。

 神様など信じていないが夢の中の影がお稲荷さんと関係があるかも知れないと考えた。怠け者の倉崎だ。お供えと掃除をすればパチンコで大勝ち出来るなら楽なものだと思ったのだ。


 午後四時過ぎ、倉崎はお稲荷さんの効果があるのか確かめようと早速パチンコ店へと行った。

「マジだ! マジで勝った」

 六時前にパチンコ店から出てきた。

「一時間半くらいで三万勝ちだ」

 まだまだ勝ちそうな気がした。普段なら閉店近くまでやっているところだがお稲荷さんの御利益で何時でも勝てるような気がしたので早く出てきたのだ。

「連続だ。三日連続で勝ったぞ」

 雨の日は行かなかったが、その日を除いて三日間全て勝ったのだ。しかも大勝ちだ。今までこんな事は無かった。

 パチプロのようにその店の出玉や台のデーターを取ったり勝てる研究をしているのなら連続で大勝ちすることもあるだろうが倉崎はそんなことなど一切していない、パチンコ店にふらっと入って適当に台に座っただけだ。神様など信じていない倉崎でも何らかの不思議な力が働いたと思うのも無理はない。

「凄いぞ、あの家に住んでたら大金持ちになれるぞ」

 興奮した様子で帰路につく、家の持ち主で毎日欠かさずお稲荷様の世話をしていた伯母が別に金持ちでもなかったことなど頭から抜けていた。

「今日は家で食うか」

 外食で御馳走を食べようと思ったが今後のことを考えながら家でゆっくりと酒を飲むことにして駅前のスーパーで刺身の盛り合わせや天麩羅などを買って帰ることにした。

 スーパーを出て自転車に跨る倉崎の目に宝くじ売り場が映った。

「一等五億円か、買ってみるか……」

 駅前の宝くじ売り場で宝くじを買った。今なら当たるような気がしたのだ。



 家に帰って一人宴会を始める。

「こんなに食い切れないぞ」

 刺身の盛り合わせに天麩羅、焼き鳥などをテーブルに並べて悦に入る。

 ビールを飲みながら食べ始める。

「まあまあだな、スーパーの出来合いものなんてこんなものだろう」

 パチンコで大勝ちする前は半額になった弁当や総菜を美味しいと言って食べていたのが嘘のような口振りだ。

「もう金に困らねぇ、無職って馬鹿にした奴らに仕返ししてやるからな、札束で引っ叩いてやってもいいなぁ」

 酔っ払って気が大きくなり暴言が口から飛び出す。

「お稲荷様々だ」

 べろんべろんに酔っ払って倒れるようにして眠りに落ちた。


 深夜、尿意を感じて目を覚ます。

「小便、小便」

 立ち上がろうとして倒れそうになり布団に手を着いた。

「飲み過ぎたかなぁ」

 頭が重く、体がふらつく、祝い酒だと普段の倍以上飲んでいた。

「気を付けないとなぁ、せっかく金持ちになるのに病気になったら最悪だぞ」

 ふらつきながら布団の上に座り直す。


〝カチカチ、ガチャ、ゴロゴロ、ガチャガチャ、カチカチ〟


 立ち上がろうとしたとき、音が聞こえて倉崎がビクッと固まった。


〝カチカチカチ、ゴロゴロゴロ〟

『さずかった……さずかった……にぇわを……さずかったぁぁ』


 石を叩き合わせたり転がすような音にくぐもった声、倉崎の頭に細長い影の化け物が思い浮んだ。

 音と声が階段を上がってくる。


〝カチカチ、ゴロゴロ、ガチャカチカチ、ゴロゴロゴロ〟

『にぇわ……さずかった……にわをさずかった』


 部屋の前で音が止まった。倉崎が顔を強張らせて見つめる先、部屋の戸がスーッと開いた。

 戸の向こう、ほっそりとした真っ黒な影が立っていた。似ているが人ではない、人間の倍以上に長い頭、その細長い顔に細い垂れ目が赤く光っている。薄暗い部屋の中でも分かるくらいにくっきりとした闇のような影だ。

「ふぅっ、ふっふぅぅぅっ」

 倉崎は恐怖で固まり悲鳴が出てこない。

『にぇわ……さずかったぁ…………にわをさずかったぁぁ…………』

 影の長い顔の下、顎は無い、大きな口を歪に曲げてニタリと笑った。

「ふぅ、ふぅ、ふぅ、おっ、お稲荷様……」

 震えながら倉崎が話し掛ける。

「せっ、世話をします……掃除やお供え物を…………だっ、だから俺に幸運をくれ……パチンコとか勝たせてくれ、勝たせてくれるならずっと世話をするから…………」

 怖かったが目の前にいる影はお稲荷様だ。願いを叶えてくれる神様だと倉崎は必死に頼んだ。

『さずかったぁ……にぇわぁぁ…………』

 戸の向こうから細長い影がぬうっと首を伸ばした。

『にぇわ……にわぁ……さずかったぁぁ』

 倉崎が寝ているところまで二メートルほど首が伸びている。

「せっ、世話をします。毎日……だっ、だから俺に幸運を…………」

 直ぐ前にある細長い顔に必死に頼みながら倉崎は気を失った。



 翌日、昼前に目を覚ました倉崎はインスタントラーメンで昼食を済ますと少し離れた所にあるホームセンターへと行って掃除道具一式を買ってきた。

「よしっ、始めるか」

 長靴を履いて、手には軍手だ。バケツの中には洗剤とブラシにスコップなどが入っている。社と庭の掃除をするのだ。

「お稲荷様、今日は完璧に掃除しますから、その代わり幸運をください」

 掃除の前に社に手を合わせる。

「それから、言い辛いんですが夜に出てくるのは止めてくれませんか? 怖いので脅かしっこ無しでお願いします」

 頼み事をした後に付け加えた。神様と分かっても、あの影は不気味で怖かった。

「まずは……お稲荷様からだな」

 掃除の順序を考える。社を掃除してから庭だ。社を徹底的に掃除して庭はおまけのようなものである。

「少しの間、こちらに居てください」

 社から狐の石像を抱えるように出すとホームセンターで買ってきたタライの中へと置いた。

「じゃあ水で洗いますからね」

 ホースからちょろちょろと水を流すと洗剤を付けたブラシで優しく石像を洗っていく、狐の首の下や脇などは新品の歯ブラシを使って丁寧に洗った。

「泡を流しますから」

 洗剤を水で流すとバスタオルで石像を拭いていく。

「掃除続けますので乾くまで家にいてください」

 狐の石像を玄関の中へと置いた。乱暴に水を掛けてブラシで擦っていたこれまでとは全く扱いが違う。

「次はお社だな……洗剤掛けてブラシで洗えばいいか、中から外に汚れを追い出そう」

 社の中へホースで水を撒くと洗剤を付けたブラシでゴシゴシと擦り洗いだ。狐の石像よりは乱暴になっている。普段から怠け者で少しでも楽をすることを考えるのが倉崎だ。

「おお、綺麗になった。これくらいでいいだろ」

 ホースで水を掛けて泡を流していく、

「お稲荷様はこれでよしっと、あとは庭だな」

 倉崎が細長い庭を見回す。伯母が生前手入れをしていただけあって酷い汚れはないが壁際に沿うように雑草が生えている。庭木の間はいいが真ん中辺りに生えている雑草は目に付いた。

「おばちゃんが植えた木や花はいいか……真ん中に生えてる草は邪魔だな」

 細長い庭に生えている雑草をスコップを使って根から除去していく。

「面倒だけど根から取らないと直ぐに生えてくるからな」

 草むしりの後、箒で掃いて掃除を終えた。

「ふぅ、終わった終った」

 玄関に置いていた狐の石像を社に安置する。

「お稲荷様、掃除終りました。これからも世話をしますのでギャンブルに勝たせてください」

 掃除道具と一緒に買った蝋燭に火を点けて社の燭台へ置くと手を合わせて拝んだ。


 その夜は願いが利いたのか、あの影は現れない、当然音も声もしなかった。

「マジでお稲荷さんだったんだな」

 影が出てこなくなったと喜んだ倉崎は朝から早速パチンコ店へと行った。

「勝った。勝った」

 昼過ぎにパチンコ店を出た。普段なら夕方まで粘るのだが何時でも勝てるという自信から執着しなくなっていた。



 それから二週間ほどが経った。

 社の世話が利いたのか音も声も、怖かった影も現れなくなった。

 倉崎はパチンコに勝ち続けたがパチンコ自体に興味は無くなっていた。以前は毎日のように通っていたパチンコは週に三回ほどになっていた。百%勝てるのだ。ゲームとしてのパチンコに魅力は無くなっていた。金が足りなくなると行くといったように変化していたのだ。

「宝くじか……そういや前に買ったよな」

 定食屋で昼間から飲んだ帰り駅前の宝くじ売り場を通り掛かって思い出した。

「確か財布に……あったあった」

 財布に入れていた宝くじを持って売り場へと向かう。

「一等五億……どうするかなぁ」

 当たっているかも知れないと期待しながらクジを確かめて貰う。

「三千と三百円です」

 店員が引き換えレシートと金を差し出す。

「えっ? ああ……」

 がっくりとして三千三百円を受け取った。

 当たるには当たっていたが末等とその上の三千円が当たっただけだ。

「億は無理か……パチンコでも精々十万円くらいだからな」

 小さな社だ。何億円も当てる力はないのだろうと倉崎は納得した。

「まぁいいか、億万長者は無理でも毎日遊んで暮らせるくらいなら稼げるからな」

 倉崎は携帯ショップに寄って新しいスマホを買うと帰りについた。

 パチンコよりスマホのゲームに嵌まって何万も使うようになっていたのだ。



 帰ると鍵も開けずに直ぐにお稲荷さんへと向かう。

「お供え買ってきました。今日は酒と油揚です」

 お稲荷さんには油揚げがいいと聞いて饅頭など甘いものと一日置きに供えている。

「明日はパチンコ行くのでよろしくお願いします」

 お供えをして蝋燭を灯し、手を合わせて頼んだ。

 神様など信じていなかったのが嘘のように信心深くなっていた。家で祀っている社だけでなく道端にある社にも通りがかるとぺこっと会釈をするくらいだ。

 俺は神様に守られている。倉崎は何も怖くないと思うようにまで増長していた。


 部屋でスマホのゲームをしてダラダラ過ごして夜になる。

「飯でも食うかな」

 スーパーで買ってきた総菜を並べて夕食だ。

「ん? 電話か」

 両親から電話が掛かってきた。

「俺だけど……ああ、もうそんなになるか」

 明日は伯母の四十九日だ。法事をするので帰って来いとのことだ。

 身寄りのない伯母は先に亡くなった夫と一緒に倉崎の墓に入っている。供養するものがいなくなるので伯母の墓を墓じまいして倉崎家の墓と合葬したのだ。それで法事なども倉崎の実家で行うことになった。

「うん、わかった。十一時だな、十時頃に戻るよ」

 法事は午前十一時から始めるとのことだ。面倒くさがり屋の倉崎も今の暮らしがあるのは伯母の御陰だと感謝しているので行くと返事を返した。

「四十九日か……今日は缶ビール二つにしとくか」

 飲み過ぎて酔っ払って起きられなくなるのを心配して普段より飲むのを控える事にした。

「オヤジたちに小遣いでもやるかな」

 両親にはアルバイトをしていると嘘を言ってある。パチンコで大勝ちして生活しているなどとは口が裂けても言えない。



 その夜、ほろ酔い気分で寝床に付いた。

 どれくらい眠っただろう、何やら音が聞こえたような気がして目が覚めた。


〝カチカチ、ガチャ、ゴロゴロ、ガチャガチャ、カチカチ〟


 音? 倉崎は寝惚け頭で耳を澄ませた。


〝カチカチカチ、ゴロゴロゴロ〟

『さずかった……さずかった……にわを……にぇわをさずかった』


 あの音だ……やっぱり聞こえる。倉崎は布団の中で身構えた。

 石を叩き合わせたり転がすような音と共にくぐもった声が家の周りを回っている。

「なんでだよ……掃除もお供えもやってるぞ」

 ここ二週間ほどは何も無かったのだ。倉崎は何か粗相でもあったのかと必死に考えるが心当たりは浮んでこない。


〝カチカチ、ゴロゴロ、ガチャカチカチ、ゴロゴロゴロ〟

『にぇわ……さずかった……にわをさずかった』


 音と声が家の中へと入って来た。

「やっ、止めてくれ! 毎日世話をしてるだろ、お供えも……何か欲しいものがあれば言ってくれ、供えてやる」

 階段を上ってくる音と声に倉崎は部屋の中から叫んだ。

『にぇわ……われのにわをさずかったぁぁ』

 戸の向こうに気配を感じる。あの細長い影がいるのだと思い、倉崎は話し掛ける。

「かっ、神様、お稲荷様……こっ、怖がらせないでくれって頼んだだろ……掃除とかお供えとかしてるだろ、だから怖がらせるのは止めてくれ」

 必死で声を絞り出して訴えた。戸の向こうから返事は無い。

 暫くして気配が消えたような気がした。

「……消えてくれた」

 あの細い影が帰ってくれたと安堵した。

「なんか飲むものは?」

 恐怖からか喉がからからに渇いていた。薄暗い部屋の中、テーブルの上にある缶ビールやスポーツドリンクのペットボトルを振るが中身は残っていない。

「缶酎ハイでも飲んで寝よう」

 飲み物を取りに行こうとドアの前で立ち止まる。

 向こうにあの影がいたら……。倉崎は身構えながらそっと戸を開けた。

「はぁぁ~~」

 安堵の息が出る。何もいなかった。階段を見るが何も変化はない。

「缶酎ハイ、缶酎ハイ、ついでに小便も」

 安心しきって階段を下りようとしたとき、後ろから声が聞こえた。


『さずかった。さずかった。われのにわをさずかった』


 反射的に振り返ると薄暗い中でも分かるくらいに真っ黒な影が立っていた。

「はふぅぅ……」

 驚きに目を見開く倉崎の前で真っ黒な影がぬっと首を伸ばす。

『にぇわだ。さずかったにわだ。われのにぇわをさずかったぁぁ』

 倉崎の顔の正面、二十センチも離れていない直ぐ前で、細長い顔の垂れ目を赤く光らせ、嫌な笑みを浮かべるように口を歪ませて影がハッキリと言った。

「ひぃっ、ひぃっ、ふひっ、ひひぃぃ……」

 恐怖の余り失神するように倉崎は倒れた。



 階段の手前で倉崎が目を覚ます。

「うぅ……うん」

 短い廊下奥の小窓や階下の玄関から日が入って辺りは明るい。

「気絶したのか……」

 布団ではなく階段の手前に居るのが分かって夢ではないと思った。

「お稲荷さんかアレ?」

 世話をしているのに出てくる影の化け物はお稲荷さんなのか。他の何かなのか。考えるが答えは出ない。そもそも神様など信じていなかったのだ。幽霊なども信じていない、幻覚を見るようになったのかと別の意味でも怖くなる。

「おばちゃんは影の化け物のことなど言ってなかったしな」

 幼稚園の頃から遊びに来ているが亡くなった伯母にはお化けの話など聞いたことがない。

「暫く出なかったからな……世話の仕方が悪いのか、お供えが悪いのかもな」

 あれこれ考えていると、枕元に置いていたスマホが着信音を鳴らした。

「ハイハイ」

 返事をしながら部屋に戻って電話に出る。

「ああ、ごめん寝坊した。直ぐに行くから」

 母親からの電話だ。倉崎が時刻を確かめると午前十時を少し回っていた。

 今日は伯母の四十九日だ。十一時から実家で法要を営むので十時には帰ると伝えてあったのが来ないので心配して電話してくれたのだ。

「わかってるよ、おばちゃんには世話になったから、ちゃんと行くから」

 面倒臭そうに言うと電話を切った。

「朝飯食ってる暇ないな」

 倉崎は慌てて着替えると家を出る。

「拝んでいくか」

 細い庭の奥、お稲荷様に手を合わせた。

「今日は用事があるから、明日にでも掃除します。お供えも……果物でも買ってきますので、あの影がお稲荷さんなら怖いので出てこないでください、お願いします」

 必死で頼んだ。いつもはパチンコに勝つように願っていたのがパチンコのパの字も出ない、それほど昨晩の黒い影は怖かった。



 伯母の四十九日を終えて泊まっていけと言う両親にバイトがあるからと嘘を言って夕食だけ食べて帰ってきたのが夜の十時前だ。

「おっと、お供えしなきゃな」

 玄関の鍵を開けて荷物を置くと下駄箱の上に置いていた蝋燭を持って社へと向かう。

「お稲荷様、りんごとバナナ貰ってきましたよ」

 実家から持ってきた果物を供えて蝋燭を灯すと手を合わせた。

「掃除は明日しますから脅かすのは勘弁してくださいね」

 あの影が出てこないように頼むと部屋へと戻った。

「ふぅ、今日は寝ちまおう」

 実家で親と一緒に酒を飲んでほろ酔い気分だ。倉崎はシャワーを浴びてスマホで少しゲームをしてから眠りについた。



 どれくらい眠っただろう、異様な気配を感じて目を覚ました。


『さずかった。さずかった。われのにわをさずかった』


 黒い影が部屋の中をグルグル回っていた。

「ふっ、ふぅぅ……」

 布団の中、倉崎は攣ったように全身が痺れて動けない。

『にわだ。にぇわだ。われのにぇわだ。さずかった。さずかった』

 倉崎が横になっている布団の周りを細長い人のような影が体をくねらせ踊るように歩き回っている。

「ふっ、ふっ、ふぅぅ……」

 倉崎はどうにかして動こうとするが痺れて指一本動かせない。

『にぇわぁ、にわぁぁ、さずかったぁ、われのにぇわぁぁ』

 影が枕元で止まった。

「ふぅっ、ふぅぅぅ……」

 恐怖に目を見開く倉崎に影がぬっと首を伸ばす。

 倉崎の真上、細長い顔が垂れ目を赤く光らせて口を広げて嬉しそうに笑った。


『うまそうだ。うまそうだ』


 俺を食う気だ。倉崎の全身に怖気が走る。

 影の大きく広げた口が倉崎の顔に迫る。

 食われた。そう思った瞬間、体の痺れが取れた。

「うぉおぉぉーーーっ」

 叫びを上げて倉崎が飛び起きる。

「うぉぉーっ、食われてたまるかぁぁーーっ」

 枕や布団を滅茶苦茶に振り回す。

 五分か、三分か、ふらついてへたり込んだ。

「あぁ……ああぁ……」

 影はいつの間にか消えていた。安堵して全身から力が抜ける。

「殺される……俺を食う気だ。このままじゃ殺される」

 倉崎がふらりと立ち上がった。

「このままじゃ殺される」

 ベランダから洗濯物を干すステンレス製の物干し竿を手にすると一階へ降りていく。

「食われてたまるか……」

 ぶつぶつと呟きながら外へと出た。

「全部お前の仕業だ……俺を食うつもりだ」

 社の前に立つと物干し竿を上段に構えた。

 蝋燭の炎に照らされた狐の石像が笑っているように見えた。

「殺されてたまるかぁぁーーっ」

 ステンレス製の物干し竿を社に叩き着けた。

「食われてたまるかぁぁーーっ、殺されてたまるかぁぁぁーーーーっ」

 叫びながら何度も叩き着ける。

 小さな社だ。金属の棒で叩かれたら一溜りもない、屋根がずれ落ち、壁が崩れ、祀ってあった狐の石像が転がり落ちる。

「ざまぁみやがれ!」

 転がった狐の石像に吐き捨てると蝋燭の火を踏み消した。

 興奮して頭に血が上っている倉崎は気付かない、蝋燭に火を点けたのは夜の十時過ぎだ。小さな蝋燭だ。炎は精々十分ほどしか持たないだろう、今は深夜だ。何時間も蝋燭が点いているわけがないのだ。

「パチンコに勝たせたのも俺を食うためだったんだ。俺を油断させて食う気だったんだ。騙されるかよ、化け物に食われてたまるか」

 壊れた社を見て悪態をつくと家の中へと戻っていった。


 缶ビールを二本持って部屋に戻る。

「くそったれが、こんな家直ぐに売ってやる」

 ゴクゴクと一気にビールを飲むとふて腐れて布団に転がった。

 一気に飲んだのが悪かったのか急に酔いが回ってスッと眠りに落ちた。

「うぅ……暑い…………うぅぅ……」

 どれくらい寝ただろう、熱帯夜のように暑くなり目を覚ます。

「うぅぅ……うん?」

 部屋の中が赤い、何事かと見回すと壁が燃えていた。

「かっ、火事だ!」

 慌てて起きようとしたが足が動かない。

「なっ!?」

 上半身を起して見ると布団の上、足の辺りに狐の石像が載っていた。

「ふぅぅ……ふわっ、うわぁあぁぁーーっ」

 叫んでどかそうとするが石像は動かない。

 三十センチくらいの細い狐の石像だ。何度か持ち上げたことがある。重さは三キロほどしかないはずだ。それがどうやっても持ち上がらない、それどころか押し倒すことも出来ない。

「かっ、火事だ……火が……」

 炎が壁を伝って倉崎を取り囲む。

「逃げないと……」

 必死でもがくが狐の石像はびくともしない。

「熱っ! 熱い」

 足が焼けるように熱くなる。火は点いていない、火事の炎は部屋の壁を焼いているだけで布団はまだ無事だ。それなのに足が焼けるように熱い。

「おっ、お稲荷様だ……」

 焼けるような熱さは足の上に載っている狐の石像だ。

「助けてくれ、謝る。俺が悪かった。社を元のように戻す。だから助けてくれ」

 狐の石像に必死に謝った。

『にぇわぁぁ……われのにぇわぁぁぁ』

 狐の石像が赤い目を光らせてニタリと不気味に笑った。

 こいつだ! あの影はやっぱり此奴だ。倉崎は確信した。

「俺が悪かった。謝る。だから助けてくれ、どいてくれ、足から降りてくれ」

 必死に謝るうちに煙が部屋に充満してくる。

「ごほっ、うぅぅ……」

 先程まで炎で赤かった部屋が煙で視界が無くなり暗くなる。

「たっ、助けて……」

 煙に巻かれて倉崎の意識が遠くなっていく。



 目を覚ましたときには病院のベッドの上だった。

「ここは?」

 呆然と辺りを見回す倉崎に涙ぐむ母親が映った。

「火事だ。二階で倒れていたのを消防隊の方が助けてくれたんだよ」

 母親の隣で父親が安堵したように笑った。

「火事……あっ、ああぁ……火事だ!」

 思い出して倉崎がバッと起き上がる。

「狐が……お稲荷様が足の……」

 足に狐の石像が乗っかって逃げられなかったと言おうとして倉崎の言葉が止まった。

「足が……俺の足が…………」

 左足が無かった。倉崎の左足が膝から下が消えている。

「俺の足がぁあぁぁーーっ」

 叫ぶ倉崎を父親が抱き締めた。

「大丈夫だ。しっかりしろ」

「足が……左足が……」

 倉崎が落ち着いたのを見て父親が続ける。

「切断したんだ。酷い火傷でな、切るしか無かったんだ」

 何故か左足は大火傷で骨まで炭化していて切断するしかなかったという、命があっただけでも奇跡だと両親は泣いて喜んだ。

「近くの人が消防車を呼んでくれて助かったんだよ」

 母親が泣きながら話してくれた。近所の住民が通報してくれたらしい。深夜なのが幸いした。道路が空いていて消防車がスムーズに来ることが出来て倉崎は救助されたのだ。

「俺の足が……」

 倉崎は呆然と聞いていた。


〝カチャカチャカチャ、コロコロコロ〟


 そのとき、廊下から台車が通る音が聞こえてきた。

「ふわっ、うわぁあぁぁーーっっ」

 暴れ出す倉崎を慌てて両親が押さえ込む。

「正輝どうしたの?」

「落ち着け、大丈夫だ。病院だぞ」

 父親に抱き締められて倉崎がブルブルと震え出す。

「彼奴が……影が……お稲荷様が…………」

 看護師を連れた医者が病室へ入って来た。

「どうしました倉崎さん!」

 看護師は器具が乗った台車を押していた。その音があの影の化け物がやって来る石を叩くような音に聞こえたのだ。

「お稲荷さんだ……お稲荷が……影の化け物が俺を食おうとしたんだ」

 憔悴した顔で倉崎が医者を見つめた。

「火事も化け物が火を点けたんだ」

 医者は両親にチラッと視線を送ってから口を開く。

「倉崎さん落ち着いて、大丈夫だから」

「そうよ、正輝、先生も居るから安心しなさい」

 渋い表情の父親の隣で母親が優しい声を掛ける。

 倉崎が両親に向き直る。

「違うんだ。稲荷が足に載ってきたんだ……俺の足を潰したんだ…………全部……全部、影の化け物が……あの稲荷がやったんだ」

 話の途中で何かをハッと思い出す。

「火だ! お稲荷さんの火が点いてた……消えてるはずの火が点いてたんだ。彼奴が火事を起したんだ」

 渋い表情のまま父親が倉崎の背にそっと手を当てた。

「まだ特定出来てないが火元はお前の部屋じゃないかって消防署の人が言ってたよ、お前が寝てた部屋が一番燃えているんだ。煙草の火が原因じゃないのか?」

 倉崎が煙草を吸うのを知っている父が倉崎が興奮しなようにやんわりと言った。

「違う! あの夜は煙草は吸ってない、酔っ払ってそのまま寝たんだ」

「わかった。わかった。警察の人が調べてるからそのうちに分かるよ」

 父親が落ち着けというように倉崎の背をポンポン叩いた。

「お前が無事で良かったわよ、母さんそれだけで本当に……」

 涙ぐむ母親を見て倉崎はそれ以上何も言えない。

「倉崎さん、検査しますね」

 横になった倉崎に看護師が何やら機器を付けていく、脈拍などを測る機械だ。

「うん、正常だ。一応脳波なども測っておこうか」

 簡単な診察を終えると医者は精密検査の用意をすると言って出ていった。

 落ち着いて横になっている倉崎を両親が見つめる。

「足は残念だが他は大した火傷じゃないから二週間ほど入院すれば大丈夫だって先生も言ってくれたし、本当に良かった」

「本当よ、伯母(ねえ)さんが助けてくれたのよ」

 安心した様子の父の横で母が涙ぐんでいる。

「二週間の入院か……」

 呟く倉崎にゆっくり休めといって両親は帰っていった。



 その日の夜、足を失った不安と病院の慣れないベッドの上で寝付けずに悶悶としていると音が聞こえてきた。


〝カチカチ、ガチャ、ゴロゴロ、ガチャガチャ、カチカチ〟


 また看護師さんが台車を押しているのかと思った。

「こんな夜中にか?」

 壁に掛かる時計を見ると深夜の一時過ぎだ。急患でも入って来たのならもっと騒がしくなるはずである。


〝カチカチカチ、ゴロゴロゴロ〟

『にぇわを……さずかった……さずかった……にわをさずかった』


 石を叩き合わせたり転がすような音だけでなく、何やら話すような声が聞こえてくる。

「あっ、彼奴だ……」

 あの細長い影がやって来たのだと全身に怖気が走る。

 病室のドアがスーッと開いた。

『にぇわ……さずかったぁ…………にわをさずかったぁぁ…………』

 影が入って来た。人に似ているが、やけにほっそりとした真っ黒な影だ。その頭が異様に長い、細長い顔に赤く光る垂れた細い目が付いている。

『さずかった。われのにわ、われのにぇわ、さずかった』

 黒い影が倉崎の頭に齧り付いた。

「があぁっ!」

 頭を締め付けるような痛みが襲う。左足の切断手術を終えた後だ。倉崎はベッドに固定されていて動けない。

『われのにぇわ、さずかった。にぇわぁぁ……』

 異様に長い顔の大きな口を開いて影は何度も噛み付いた。

「うわっ、うわぁあぁぁあぁーーーっ」

 倉崎の叫びを聞いて巡回していた看護師が駆け付ける。

「倉崎さんどうしました?」

「稲荷が! 影の化け物が俺を食いに来たぁあぁーーっ」

 ベッドから落ちて床で暴れている倉崎を見て看護師はナースコールを押して応援を呼んだ。

「化け物が! 稲荷が俺を食うんだぁ!」

 暴れる倉崎を駆け付けた医者や看護師が取り押さえた。



 翌日、病院から連絡を受けて両親が見舞いにやって来た。

「大丈夫か? だいぶん参っているようだな」

 心配そうな父親に倉崎が訊いた。

「家はどうなったんだ?」

 父親が少し考えてからこたえる。

「そうだな……お前の居た部屋を中心に焼けて屋根も崩れて二階は全部ダメだ。それで全焼扱いだよ、伯母さんが火災保険に入っていたから建て直せるぞ」

 保険で新築の家が建てられると元気付ける父親の前で倉崎が呆然と呟く。

「全焼……全部燃えたのか」

「あれだけ酷く焼けたのにお前が無事なのは伯母さんの御陰だな」

 父親が思い付いたように続ける。

「いや、伯母さんが大事にしてたお稲荷さんの御陰かもな、あれだけの火事なのにお稲荷さんには煤一つ付いてなかったぞ、小さいが立派な稲荷だ」

 倉崎が呆然とした顔を父親に向ける。

「お稲荷さんって……壊れてただろ?」

「いや、綺麗だったぞ、消防車の水で濡れていたけどお社は元のまま傷一つ無かったよ、流石神様だな」

 感心したような表情でこたえる父親の前で倉崎の顔が強張っていく。

「そっ、そんな……」

 倉崎が絶句した。火事どころかその前に、ステンレス製の物干し竿で滅茶苦茶に壊したはずだ。

 それが傷一つ無く無事だと聞いて驚かないわけがない。

「あいつだ……あれが……全部彼奴がやったんだ……稲荷が……あの影が食おうとしてるんだ」

 倉崎が暴れ出す。

「うぉぉーーっ、食われる! 影が……化け物がぁぁあぁーーーーっ」

 父親はもちろん医者や看護師が必死に取り押さえて安定剤で眠らせる。

 その日の内に火事のショックで心を病んだとして両親が磯山病院へと入院させたのだ。


 これが倉崎正輝さんが教えてくれた話だ。



 話を聞いた哲也が信じられないといった顔で倉崎を見つめた。

「お稲荷さんが福を……パチンコで勝たせた代わりに倉崎さんを食べようとしたって言うんですか?」

 お稲荷様が怖いというのは哲也も知っている。だがそれは世話をしなかったり不義理や無礼を働いたときに祟るのであって、何もしていないのに祟るなどは聞いたことがない。

「わからん……だけど、あの影のような化け物は庭にあったお稲荷さんだと思う」

 軽く頭を振ってこたえる倉崎に哲也が続けて訊く。

「庭を授かったって言ってたんですよね?」

「ああ、俺に庭を授けたって、伯母から家を譲り受けたから庭にあった社をお稲荷さんが俺に授けたってことだと思う、それでパチンコに勝って、お稲荷さんの御陰だって世話を始めたのに、あの夜、俺を食おうとしやがったから、怖くなって社を壊したんだ……でも、壊れてなかった。火事で俺が病院に運ばれてから親父に訊いたがお稲荷さんは無事だったって、どこも壊れてなかったって……俺が壊したはずなのに…………」

 憔悴した顔で見つめる倉崎に哲也も神妙な面持ちで続ける。

「庭を授けて……授かったから世話をした倉崎さんを酷い目に遭わすなんて変ですよ、その影の化け物って本当にお稲荷さんなのかな? 何か他のものが倉崎さんを襲ってお稲荷さんが助けてくれたってことは考えられませんか?」

「お稲荷さんが助けてくれた?」

 何を言っているんだと言うように倉崎が哲也を睨んだ。

「でも俺の足の上に狐の像が載ってたんだぞ、それで逃げられなくて左足を切ったんだぞ」

 神妙な面持ちで頷いてから哲也がこたえる。

「ええ、左足を無くしたのは残念ですけど、狐の像が、お稲荷さんが現れなかったらもっと酷いことになっていたかも知れないですよ」

「もっと酷いこと?」

 顔を強張らせる倉崎の向かいで哲也が一呼吸ついた。

「そうです。屋根が燃え落ちるくらいに大火事だったんですよね」

「ああ、親父に訊いたら隣の部屋の屋根とか階段の天井が崩れてたらしい」

 頷く倉崎を哲也が指差す。

「それですよ、もし倉崎さんが火事に気付いて逃げ出してたら落ちてきた屋根に挟まれていたかも知れない、部屋に居たから助かったのかも知れないって考えられませんか? 左足を無くしたのは本当に残念ですけど命が助かったじゃないですか」

「命が……お稲荷さんが助けてくれた…………」

 何とも言えない顔で倉崎が考え込む。

「そうかも知れないな……だったらあの細い影は? 彼奴が全部悪かったのかな」

 暫く考えた後で倉崎が哲也を見つめた。

「悪霊か何かじゃないですかね、何処かで連れてきたかも知れないですよ、パチンコとかギャンブルをする場所には大勢の人の良くない念が集まるって聞いたことがありますよ」

 こたえながら哲也は自分の推理に自信を持った。目の前にいる倉崎からは変な気配を感じない。お稲荷様が悪いものを追い払ってくれたのだと考えると合点がいった。

「パチンコか……確かに負けたときの恨みは凄いからな、そうかも知れないな……変なものに取憑かれてたのかもな」

 倉崎も納得したのか何度も頷いていた。

「そうか……そうかも知れないな、でも一応御札を貰ってきてくれ、あの細い影の化け物が出てこないとも限らないからな」

 緊張の解けた表情に変わった倉崎の向かいで哲也が胸を張ってこたえる。

「任せてください、五日以内に持ってきますよ、今日はありがとうございました。僕は見回りがあるのでこれで失礼します。倉崎さんは安心して眠ってください」

「ああ、哲也くんたちが見回りをしてくれるなら安心出来るな」

 話を真面目に聞いて貰えて安心したのか倉崎が素直に従う。

「はい、任せてください、おやすみなさい」

「おやすみ」

 倉崎が枕に頭を落としたのを見て哲也は病室を出て行った。


 哲也は廊下に転がる懐中電灯を拾って見回りに戻る。

「実際に左足を無くしてるから怖い話だけど」

 懐中電灯が点くかチェックしながら廊下を歩き出す。

「霊現象だったとしても、もうお稲荷様が解決してくれてるよな……眞部さんは近付くなって言ってたけど」

 悪いものが憑いていると言っていた眞部の言葉が気になったが倉崎の話を聞く限りはこれ以上のことは起きないだろうとも思った。

「約束だから御札は頼むけど……嶺弥さんにバレたら怒られるよな」

 誰に御札を貰ってきてもらおうか考えながら長い廊下を歩いて行った。



 三日後、二枚の御札を持った哲也が倉崎のいるB病棟へと入っていく。

「下の町の小さな神社の御札だけど、もう解決してるみたいだからいいよな」

 御札は親しくしている年配警備員の角田さんに買ってきて貰った。嶺弥には内緒だ。バレたら怒られるのは考えなくとも分かる。初めは新人警備員の工藤に頼もうかと思ったが口が軽そうなので止めて年配の角田さんにしたのだ。

「角田さんはやっぱ優しいなぁ、嶺弥さんの次に好きだ」

 上機嫌で五階へと上がっていった。

「503号室っと」

 ドアをノックしながら倉崎を呼ぶ。

「倉崎さん、僕です。中田哲也です。入りますよ」

「おお、哲也くんか待ってたよ」

 ドアを開けると倉崎が笑顔で出迎えてくれた。

「これ、約束の御札です」

「ありがとう、本当に助かるよ」

 哲也が差し出した封筒を倉崎が受け取ると早速中を見る。

「おお、立派な御札だ」

 喜ぶ倉崎を見て哲也は安心させるためか嘘をつく。

「有名な神社じゃないですけど結構大きな神社で御利益はあると思いますよ」

 磯山病院の建つ山の麓にある町の小さな神社で貰ってきたものだ。

「うん、ありがとう、早速貼ろう」

 倉崎は満足した様子で御札を握り締めた。

「二枚あるので一つはドアの上に貼って、もう一つはどこか倉崎さんの安心する場所にでも貼りましょうか?」

 足の悪い倉崎の代わりに哲也が御札を一枚ドアの上に貼ってやる。

「そうだな、もう一つはあそこに貼ってくれ」

 倉崎がベッドの脇の壁を指差した。丁度、枕の上に当たる場所だ。

「いいですね、そこなら目について神様に何時でも助けて貰えますよね」

 哲也も賛成して壁に御札を貼り付けた。病は気からと言う、見える場所に御札があれば倉崎の精神も安定するかも知れないと思ったのだ。

「ありがとう哲也くん、俺のことを心配してくれるのは哲也くんだけだ」

「これで大丈夫だと思いますが、もしもこの御札でも効き目が無かったら有名な神社に行って他の御札を貰ってきますから安心してください」

 涙ぐむ倉崎を見て哲也が得意気になって約束してしまう。

「ありがとう、これで安心して過せるよ」

「じゃあ、僕は仕事がありますから、また夜の見回りのときに挨拶に来ますよ」

 照れまくって哲也は部屋を後にした。



 その夜、事件が起きた。

 深夜零時を回った頃、倉崎の病室でぼや騒ぎが起きたのだ。

「影が……化け物が御札を燃やしたんだ」

 軽い火傷を負った倉崎が半狂乱になって訴えた。

 寝ていると細い人のような影が現れて、庭を授かったと踊りながらベッドの周りを回って気が付くと御札が燃えていたらしい。

 枕側の壁に貼ってあった御札が燃えながら落ちてきて、あっと言う間に布団に燃え広がり、倉崎は炎に包まれた。幸いな事に別の患者の様子を見に来ていた看護師に発見されて直ぐに救助されて軽い火傷で済んだのだ。

 騒ぎに気付いて哲也も見に行ったが酷い有様だった。布団は真っ黒に焦げていて、消化器の粉が部屋中に散乱している。

「あれは……」

 ドアの上に貼ってあった御札を見て哲也が絶句した。炭のように黒く焼けていた。周りの壁は綺麗だ。御札だけが真っ黒になっていた。

「中田哲也くんだね、ちょっと来てくれるかな」

 哲也は病院の職員に呼ばれた。

「……はい、わかりました」

 だいたいの見当はついた。無断で御札を持ち込んだのだ。それが燃えた。責任追及されるのは考えなくとも分かった。


 ぼやの原因は倉崎が隠し持っていたライターで火を点けたらしいということだ。どうしてライターを持っていたのかが問題だ。

 倉崎はライターなど知らないという、気が付いたら枕元に転がっていたらしい、でも火など点けてはいない、全部、あの影の化け物の仕業だと怯えて暴れるだけだ。

 倉崎では無いとすると無断で御札を持ち込んだ哲也がライターも持ち込んだのだと疑われた。当然だ。倉崎と接点があるのは看護師と患者では哲也だけだ。

 自分では無いと必死で訴えるが疑いは晴れない、無断で御札を持ち込んだのは事実だ。倉崎はパニックを起し情緒不安定で証言などしてくれない。


 このままでは何らかの処罰を受けるざるを負えないとなったとき、看護師の香織や警備員の嶺弥、それに事務部長の眞部が庇ってくれて、疑わしいが今回は罪には問わないということで決着がついた。

 影がここにもやって来たと暴れる倉崎は情緒不安定で自傷や物損、それも今回のように放火ををする可能性があるとして二十四時間監視の付く隔離病棟へと送られた。



 香織と眞部に挟まれて哲也が叱られている。

「全く哲也くんは……」

「だから倉崎さんには近寄っちゃダメだよって言ったのに」

 散々怒った後で香織も眞部も呆れ顔だ。

「すみませんでした……でも僕はライターなんて渡してないっす。これだけは信じて欲しいっす」

 謝りながらも火事の原因であることは否定した。

 香織が怖い目で哲也を睨み付ける。

「ライターで怒ってるんじゃないわよ、御札だって勝手に持ち込んだらダメなんですからね」

 眞部が孫に言い聞かせるような優しい顔で話出す。

「そうだね、ここは普通の病院じゃない、心に病を持っている人の病院だ。心霊現象を信じている人も多い、だから御札や御守りなんかに異常に反応する人もいるかもしれない、だから勝手に持ち込むのは禁止なんだ。持ち込む際には先生方の許可がいる。それをしなかったのは哲也くんのミスだよ」

「そうよ、私にでも話してくれれば倉崎さんの精神状態なら御札の許可くらい出たわよ、それを自分勝手に……」

 眞部の話に同意して頷く香織の目から怒りは消えている。

「すみませんでした。今度からは気を付けます」

「そのセリフ、何回も聴いたわよ」

 項垂れる哲也に香織は呆れを通り越して悲しい表情だ。

「まあ、今回は本当に懲りただろう、東條さんや須賀さんが庇ってくれなかったら哲也くんもどうなっていたか……下手をすれば倉崎さんと一緒に隔離に送られていたかも知れないんだよ」

 眞部は叱ってはいるが始終優しい顔だ。

「本当に御免なさい……香織さんや嶺弥さんだけじゃなくて眞部さんも僕のために色々してくれたのは知っています。本当にありがとうございます」

 恋心を抱く香織、憧れている嶺弥、お爺ちゃんのように慕っている眞部、全てに迷惑を掛けたのが悔しくて哲也は泣いた。

「まったく……」

 何か言いたげに呟く香織の肩を眞部がポンッと叩いた。

「須賀くんは今日は夜勤だったね、一応警備員の上司という事になっているし、あとでたっぷりと叱られるといいよ」

「そうですね、あとは須賀さんに任せます。私も眞部部長も忙しいんですからね」

 香織はそう言うと歩いて行った。



 残った眞部が哲也に向き直る。

「倉崎さんに憑いていたのはお稲荷様じゃないよ」

 先程まで香織がいたので話せなかったのだろう、霊的な話を始める眞部からは笑みが消えている。

「お稲荷様じゃないって……じゃあ悪霊か何かですか?」

 涙をぐいっと拭って哲也が眞部を見つめた。

「そうだねぇ……直接対峙したわけじゃないから私も詳しくは分からないが、あれは……物の怪といったものだろうねぇ」

 所々言葉を選ぶように考えながら眞部がこたえてくれた。

「物の怪ですか」

「家の社で祀っていたらしいけど、正式な社じゃないと思うよ」

 強張った表情の哲也を見つめて眞部が話し始める。

「個人でも神様を祀ることはあるけど、正式には神社から神様を分霊してもらうんだよ、分霊勧請してもらって神様を迎え入れるんだよ、企業とかの敷地や屋上にある恵比寿様やお稲荷様のお社は全てそうやって神様に来てもらってるんだよ」

「聞いたことはあります。神様の分身やお使いが社に入るんですよね」

 知っているというように相槌を打つ哲也の向かいで眞部も小さく頷いた。

「でも、個人で祀っているものの中には神様を迎え入れていないものもある。何処かでお地蔵様や仏像を手に入れてきて自分で作った社に勝手に祀っているものがある。そういうものには神様以外の別のものが入りやすいんだよ」

「別のものって悪霊とか物の怪が入るって事っすか?」

 身を乗り出して訊く哲也は叱られたことも忘れたのか普段の口調に戻っている。

「そうだねぇ、そういうものが入りやすいねぇ、でも全てが悪いものでもないんだよ、前にも言ったけど、信仰心が力となる。人々が祀る思いが溜まると力になるんだ。祀られているものも大事にされていると感謝して人々に福を授けるようになる。そうなると神と同じだよ、力はずっと低いかも知れないけど神様と同じだ」

「何となく分かるっす。僕だってよくしてくれる人にはこっちもよくしてあげようって思うっす。神様も同じっすね」

 普段の調子に戻った哲也を見て眞部が嬉しそうな笑顔を浮かべる。

「そうだよ、元々そうして存在するようになったのが神様かも知れないね」

 ここからは見えないが眞部が本館のある辺りを見つめながら続ける。

「逆に人々が忘れ、世話をせずに放置すると神も悪いものとなる。元々悪いものを抑えるために祀り立てる社もある。世話をしてくれるのなら悪さをしないでおこうと思うんだろうね、だから最後まで面倒を見ないといけないんだよ、面倒を見れないのなら近寄ってはいけない、そういうものは遠くまでは力は及ばない、だけど一度でも近付いて繋がりが出来ると離れてもやって来るようになる。今回の倉崎さんのようにね、だから怖いんだ」

「最後までか……」

 哲也も眞部と同じように遠くを見つめる。

 眞部が見つめる先、本館の裏には小さな社があるのを哲也は思い出していた。眞部が時々世話をしている社だ。磯山病院ができる前からあった社だ。何を祀っていたのか眞部も知らない、だがそれが悪さをしないように眞部が世話をしているのだ。

「前にも言ったけど責任だよ、一度始めたものには何事にも責任が生まれるものだ」

「うん、覚えてるっす……責任っすか、そうっすよね、皆無責任だったら世の中は成り立たないと思うっす」

 哲也が視線を眞部に戻す。

「今回の僕は無責任だったっす。火事の原因が僕じゃないってことだけ考えてたっす。僕が御札を勝手に持ってきたのが原因の一つだと思うっす。本当に悪いことをしたって思います」

 改まって謝る哲也に眞部が優しい顔で頷いた。

「分かったみたいだね、じゃあ私はこれ以上は何も言わないよ」

 背を向けて歩き出そうとして眞部が振り返った。

「でも一つだけ言っておくよ、倉崎さんが隔離送りになったのは哲也くんの所為じゃない、あれはどうしようもなかったんだ。あんなものに憑かれていたら遅かれ同じようになっている。あれは倉崎さんを贄だと思っているからね」

「贄? 庭ですか?」

 倉崎が庭を授かったと言っていたのを思い出して哲也が聞き返した。

 眞部が違うと首を振る。

「庭じゃない、倉崎さんは庭を授かったって言っていたが、そうじゃない、庭じゃなくて贄だよ、生け贄のことだ」

「生け贄って……」

 何の事ですといった様子の哲也に眞部が険しい表情を向けた。

「倉崎さんは庭を自分が授かったと思い込んでいるが、そうじゃない、庭じゃなくて贄だ。授かったのは取憑いていた物の怪の方だよ、物の怪に倉崎さんという贄が授かったんだ」

「倉崎さんが生け贄ってことですか?」

 哲也の顔に緊張が走る。険しい顔のまま眞部が頷いた。

「家の持ち主である伯母は自分が祀っているものが何か知っていたのかもしれないねぇ、子や夫が早くに亡くなって一人になったと言うが、もしかしたら贄として捧げたのかもしれない、何を願って、何が目的なのか、今となっては分からないけどねぇ」

「そんな……自分の子供や夫を生け贄にするなんて…………」

 強張った表情の哲也を眞部がじっと見つめた。

「分からないよ、人の心は……哲也くんは慕ってくれているが私だって酷いことをしている側の人間かもしれないよ」

「そんな……眞部さんがそんな人じゃないのは僕が一番知っていますからね」

 哲也の強張った顔が少し緩んだ。眞部が冗談を言ったと思ったのだ。

「そうかい……嬉しいねぇ」

 嬉しいと言って笑った眞部の顔は何処か寂しそうに哲也には見えた。

「じゃあ、私は行くから事務の仕事放りっぱなしじゃ叱られちゃうよ」

「そうっすね、僕と違って眞部さんは本当に忙しいっすからね」

 哲也が改まって頭を下げた。

「本当にありがとうございました」

「うん、今回は少し危なかったねぇ、でも人を思い遣っての行動だ。私はそんな哲也くんが好きなんだよ」

 眞部の優しい笑顔に哲也の心の靄が晴れていく。

「次からはもっと考えてから行動するように気を付けるっす。ありがとう眞部さん」

 好きと言われて照れたのか哲也はもう一度頭を下げると走って行った。



 駆けていった哲也が病棟の影に見えなくなると眞部がくるっと振り返る。

「盗み聞きは感心しないねぇ」

「あらっ、話しやすいように気を利かせたつもりだけど」

 細い木の後ろから看護師の東條香織が現れた。人が隠れていられるとは思えない太さ三十センチほどの木だが香織の姿は今の今まで見えなかった。

「今度ばかりはダメかと思ったわよ、ラボの連中に哲也くん持って行かれるかと思ったわ、でも生け贄のことまで話すことはなかったんじゃないの?」

 香織が愛くるしい笑顔で眞部を見つめた。

「こことラボとどう違うのかね? 貴様らにとって、哲也くんも体のいい生け贄じゃないのかい」

 口元に笑みを湛えているが眞部の目付きは鋭い。

「それは……」

 一瞬躊躇してから香織がこたえる。

「違うわよ、哲也くんはそんなのじゃない……そんなこと私がさせない」

 愛くるしい笑みは消えている。香織は強張った顔で眞部を睨んでいた。

「そうか……言葉は信じるよ、でも君一人でどうこう出来ることじゃないだろう」

 眞部はいつもの好々爺と言った優しい言葉使いではない、低く鋭く刺さるような声だ。

「それは……」

 強張った顔のまま香織が返答に窮する。

 じっと見つめ返す香織を見て眞部の表情が緩んだ。

「悪かった。君を責めたわけじゃない、哲也くんを思っていることは私も知っているからね」

 普段の優しい目付きに戻って眞部が続ける。

「君や須賀くんのことは私も少しは信用しているよ」

 ほっと気を緩めて香織が頭を下げた。

「ありがとう、少しでも嬉しいわ」

「他の奴らよりマシってだけだよ」

 眞部がくるっと背を向けた。

「ラボの連中に好きにさせることだけは私は反対だ。それは覚えておいてくれ」

「わかりました。私も須賀も、それについては同意見です」

 背を向けて歩いて行く眞部の後ろで香織が細い木の陰にすっと消えた。



 部屋に戻った哲也はベッドに寝っ転がって考える。

「お稲荷様じゃなければ何だったんだろうな」

 お稲荷様は怖い、他の神より容易に福を授けてくれるが見返りも要求する神様だ。正しく祀って毎日のように世話をすればいいが怠ると厄をもたらすのだ。

「庭じゃなくて贄か……倉崎さんは聞き間違えていたのかな、それとも怖くて聞かなかったのかな…………」

 亡くなった倉崎の伯母は生け贄として倉崎を捧げたのだろうか?

 伯母は何を祀っていたのだろうか? 幼くして亡くなった子や夫も贄に捧げたのだとしたら何を願っていたのか? 怖くなって哲也は考えるのを止めた。

「責任か……」

 ごろっと寝返りを打った。

 小さな社は彼方此方にある。その中には正体も知らずに祀っているものが結構あるのかも知れないと哲也は思った。


読んでいただき誠にありがとうございました。

次回更新は11月末に行います。


竹書房さんから「怪奇現象と言う名の病気」発売中です。

手に取ってもらえると嬉しいです。



では次回更新も頑張りますので読んで頂けると嬉しいです。

ありがとうございました。


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