第三十九話 宇宙人
宇宙人とは読んで字の如く宇宙の人、つまり地球以外の宇宙に存在している生命のうち知性を持っているものを指す。
我々が存在しているのだから地球以外に知的生命体が存在しないなどと考える人は近年では居ないだろう、だからといって宇宙人を見たなどという話しを信じる人は少ない。
何故信じないか、答えは簡単だ。広い宇宙を行き来するなど想像を超えた科学力が必要になる。SF物語によくある空間超越、俗に言うワープは理論上は実現可能になるかもしれない、NASAが現在研究しているらしい、だが仮に出来たとしてそれに生き物が耐えうる設備が必要になる。それだけではない、旅をするには壮大な時間と乗員の食料から乗り物の燃料など莫大な物資が必要だろう、ワープが出来るから必要最低限で良いとはならない、故障した際の為にもある程度の用意は必要になる。その他にも数々の問題があり現実的ではないと考えられているのだ。
だがそれら全ての問題をクリアしたものが居ないとも限らない、宇宙は広いのだ。人間の想像を超えたものが居ないとは誰も断言出来ないだろう。
その宇宙人たちが乗って地球にやって来る乗り物がUFOだ。
何であるのか確認されていない飛行物体の事を未確認飛行物体と呼ぶ、本来は航空用語である。当局で把握できていない航空機や観測気球、ドローンなど様々なものを指す言葉だったが本やテレビで宇宙人の乗り物、未確認飛行物体「UFO」と紹介されてから日本では一般的にUFOは宇宙人の乗り物と認知されるようになった。
UFOを見たと話す人は皆同じような絵を描く、だから本やテレビで見たものを真似て描いているだけで全て嘘だと言う人たちが居るがこう考えることは出来ないだろうか?
広い宇宙を自在に行き来できるほどの科学力をもつ宇宙人は流石に少数で地球に来ている宇宙人は限られた種族しか居ない、同じ種族なのでUFOも同じ形のものになる。何の目的で来ているのかは分からないが用事が済めば来なくなる。その様な宇宙人たちがやって来るサイクルがあり流行のように目撃されるUFOの形が変わっていくのだ。
信じる信じないは置いておくとして、夜空にきらめく星々を見てあの星の何処かに我々と同じような生物が住んでいると想像するのは楽しいことではないかと思う、だが人間に善人と悪人が居るように宇宙人にも悪い奴らがいるのかも知れない。
哲也も宇宙人に連れ去られたという人を知っている。その人はUFOに乗せられて体の中に色々なものをインプラントさせられたのだという、怪奇現象は好きだが宇宙人やUFOなどは今一好きではない哲也にその人はインプラントされたものが出てきたと言って見せてくれた。
彼女が見せてくれたものは何の変哲もないガラス片だ。それを見た哲也は彼女も心の病気だと何とも言えない気持ちになった。
夕方の見回りを終えた哲也が食堂で少し遅い夕食をとっていた。
規定の時間は過ぎている。今から食べ始める者など居ない、見回りをしている哲也は特別に用意して貰っているのだ。それでも食堂には疎らに患者がいた。食べるのが遅くてまだ食べている人、お茶を飲みながら談笑している人、夢中になって本を読んでいる人などが十数名残っていた。
「今日は麻婆春雨か、辛口はピリッと辛くて御飯が進むよな」
食事の載ったトレーを持って席に着くと壁際に立っていた男の看護師がやってきた。
「じゃあ、哲也くん後頼めるかな」
「了解です。お疲れ様です」
哲也がペコッと頭を下げると看護師は軽く手を上げて挨拶を返して食堂を出て行った。
患者が揉め事を起さないか監視をしていた看護師だ。食事時刻には数人が見張っているが時間の過ぎた今は一人だけ残っていた。看護師は忙しいのだ。時間外の監視に回す余裕など無い、かといって談笑している患者を直ぐに追い出すことなど出来ない、邪魔をすれば怒り出す患者も多い、そこで遅く夕食をとる哲也に白羽の矢が立った。警備員だと思っている哲也も仕事の一環として快く引き受けたのだ。
「やっぱ旨い、最後だからいつも大盛りにしてもらえるし、太らないか、それだけが心配だけど食べちゃうよなぁ」
ガツガツと食べていた哲也が箸を止めた。
「インプラントよ、インプラント、知ってる? 」
「インプラントって入れ歯の事だろ? 」
「違うわよ、そっちのインプラントじゃなくて宇宙人のインプラントよ」
「宇宙人? 」
今座っている長机の列の3つほど後ろから何やら面白そうな話しが聞こえてきた。
「宇宙人ってUFOに乗ってるアレかい? 火星人とか金星人とか」
「源さん、古いよ、宇宙人って言ったらアールグレイって奴だろ」
「工藤さん、何言ってんのよ、アールはいらないわよ、グレイだけでいいのよ、アールグレイじゃ紅茶になっちゃうわよ」
お茶を飲みながら哲也が振り返る。
中心になって話しているのは30歳くらいの女だ。哲也の記憶には無い、新しく入った患者らしい、その女が男2人と女1人、計3人の患者に左腕を見せながらインプラントがどうやら話していた。
「それで宇宙人がどうしたんだい? 」
風間源が30歳くらいの女に訊いた。源は哲也も知っている60歳過ぎの患者だ。
「宇宙人に連れ去られたことがあるのよ、私」
30歳くらいの女が得意気にこたえた。
哲也は食事の載ったトレーを持って立ち上がると並んでいる長机の2列後ろへと席を移動した。話している連中の斜め後ろの席だ。食事の途中で席を替わるなど不作法だとも思いながらも話しが気になってよく聞こえる場所へと移動したのだ。
「藤北さん、本当かい? 」
「またまた、冗談言ってぇ~~ 」
源の隣で工藤がバカにするように笑った。30歳くらいの女は藤北という名前らしい。
「冗談じゃないわよ! 本当よ、証拠があるのよ」
怒ったのか藤北が声を大きくした。
「証拠? あるなら見せて欲しいねぇ」
からかうような口調で工藤が訊いた。工藤は40歳くらいに見える。名前を知っているくらいで哲也は余り話したことはない。
食べながら聞いていた哲也が口の中に入れていたものをお茶で流し込む、喧嘩になったら止めようと振り返って見ていると藤北が何やらテーブルの下でゴソゴソしているのが見えた。此方からは背中しか見えないので何をやっているのかはわからないが両手をテーブルの下に入れて右手を動かしているのがわかった。
「どんな証拠なのかなぁ~~ 」
嘲るように話す工藤に藤北の隣りに座っている阿江が仲裁するように声を掛ける。阿江は50歳くらいの女性で哲也は挨拶する程度の知り合いだ。
「工藤さん、もう止めなさいよ、もっと楽しい話をしましょうよ」
言い争いを嫌ったのか源が追従する。
「そうだね、楽しい話をしよう」
「いや、俺も別に喧嘩しようなんて思ってないよ、藤北さんが証拠があるって言うからさ」
2人を敵に回すと厄介だと思ったのか工藤が声を和らげた。
「あるわよ、見せてあげるわよ」
藤北が左腕をテーブルの上に置いた。
「これが証拠よ、ここを見て」
藤北の左腕に3人が注目する。
「赤くなってるね」
「これが何で証拠なんだ? 」
不思議そうに見ている源の隣で工藤が半笑いで訊いた。
「インプラントよ、さっきも話したでしょ、宇宙人に何かを埋め込まれたのよ」
「埋め込まれたって何を? 」
得意気に話す藤北の顔を横から阿江が覗き込む、
「さぁ、何が埋め込まれたなんて出さないと分からないわよ」
「出さないとって、出せるのかい? 」
興味深げに訊く源に藤北が頷いた。
「深く埋め込まれているのはダメだけどこれくらいなら出せるわ」
言いながら藤北が左腕に右手を伸ばす。
「痛っ! 」
「血が出てるよ」
「大丈夫だから……痛てて………… 」
心配する源に顔を顰めながらこたえると藤北は左腕から針を取り出した。
「痛てて……これがインプラントされてたものよ」
「針だ……何で針が? 」
驚く源の隣で工藤が疑わしそうに顔を顰めて黙って見ている。
「藤北さん、血を拭いて」
阿江の差し出すティッシュを左手に当てながら藤北が口を開く、
「針に見えるけど只の針じゃないわよ、地球に存在しない物質で出来てるのよ、本当よ、大学で調べて貰った報告書があるのよ……ここには持ってきてないけど家にはちゃんとあるんだからね、疑うなら見舞いの時に持ってきて貰うわよ」
得意気に話す藤北の向かいで源が感心したように声を出す。
「凄いねぇ、調べて貰ったのなら本当だねぇ」
「取り敢えず俺も信じてやる。今度報告書を見せてくれ」
工藤は内心信じていないのが分かる顔だ。
「連れ去られたってことはUFOに乗ったのかい? 」
こういう話しが好きなのか源が身を乗り出して訊いた。
「聞きたい? 少し長くなるわよ」
藤北が勿体づけるように3人の顔を見回した。
箸を置いて哲也が手を合わせた。
「ごちそうさま」
食べ終わった食器の載ったトレーを持って哲也が立ち上がる。
厨房へと食器を返しに行くのに態と遠回りして藤北の後ろの通路を通った。歩きながら観察すると左手にぽつぽつと赤い斑点が見える。インプラントされた証拠らしい。
「机の下でゴソゴソしてたのは針を左手に刺してたんだな、そこまでして嘘をつくのか……凄いなぁ、別の意味で感心するよ」
指定の場所へ食器を戻しながら哲也が独り言だ。
「でも嘘だとしてもどんな話しをするのか興味はあるな」
元の席に戻ってお茶でも飲む振りをして話しを聞こうと歩き出す哲也に厨房で働いている調理師のおばちゃんが声を掛けた。
「哲也くん終ったよ」
厨房の掃除が終ったのを聞いて哲也が食堂内を見回した。
「食堂閉めますから出て行ってくださぁ~い」
哲也が大声を出すと疎らに残っていた患者たちが腰を上げる。勿論、藤北たち4人も立ち上がって食堂を出て行った。
哲也が他の患者より夕食の時間を遅らせているのを認められているもう1つの理由がこれである。
疎らに残った患者が揉め事を起さないように監視するのを看護師に任されて、食堂を閉める際に残っている患者に退室してもらうように声を掛ける。当初はぐずる患者も居たが人当たりの良い哲也が根気よく話しをしている内に信頼が生まれて今では一声でみんな出て行ってくれるようになった。
「あぁ……宇宙人の話もう少し聞きたかったなぁ」
患者たちが全員出て行ったのを確認して最後に哲也も食堂を出た。
「藤北さんか…… 」
自分の部屋へと向かっていた哲也がくるっと進路を変えた。
「香織さんたちも食事終えて一休みしている時間だな」
藤北のことを訊こうと哲也はナースステーションへと向かった。
「香織さんか早坂さん、居なければ森崎さんでもいいや、教えて貰えるだろう、腕に針刺してたもんな」
仲の良い香織や早坂だけでなく、知り合いの看護師なら理由さえあれば警備上で必要だと言えば話せる範囲で説明はしてもらえる。今回は藤北が食堂で腕に針を刺していたことを話せば説明して貰えると考えた。
長い廊下の中央にあるナースステーションが見えてくる。
「なんだ、香織さん居るじゃないか」
香織が居るなら話は聞けたも同然だと近付こうとした哲也が足を止める。
「げっ、佐藤さんも居るぞ、今日は諦めるか…… 」
苦手な佐藤の姿を見て哲也がサッと柱に身を隠した。
どうしようかと様子を伺っていると後ろから肩を掴まれた。
「ひはっ! 」
思わず変な悲鳴が出る。
「何してるの? 」
焦りながら振り返ると看護師の早坂が怪訝な表情で立っていた。
「はっ、早坂さんか……あぁ~~吃驚した」
「吃驚したのはこっちよ、ナースステーションを覗いてる怪しいのが居るからそっと近付いたら哲也さんなんだから…… 」
早坂が疑いの眼差しで哲也の顔を覗き込む、
「それで何してたの? 」
「いや……別に…………丁度良かった。早坂さんに訊きたいことがあって」
言い訳を考えていた哲也が早坂に聞けばいいと閃いた。
「私に? 」
怪訝な顔をしながら自身を指差す早坂がニヤッと悪い顔で笑った。
「そういう事か……東條さんに訊きに来たんだけど佐藤さんが居るから止めたんでしょ」
「えへへっ、当たりです」
誤魔化すように笑う哲也を見て早坂が呆れながら口を開く、
「佐藤さん良い人よ、真面目だし、愚痴一つ言わずに仕事するし……まぁ、よく怒鳴っているのは確かだけど、心配して叱ってくれる人はありがたいのよ」
「それは分かってます。暴れる患者さんを一緒に取り押さえたこともあるし、意味もなく怒鳴ったりしないってのは分かってます。けど体育会系はどうも苦手で……それと顔が怖いっす。佐藤さんだけじゃなくて望月さんや下垣さんは怖いっす」
望月や下垣は佐藤と同僚の男性看護師だ。3人とも如何にも体育会系といった巨漢で強面、どちらかというと看護師ではなくヤクザのような風体に見える。
嫌そうに顔を顰める哲也の前で早坂が声を出して笑う、
「あははははっ、それは私も同意するわね、強面よね、でも睨みを利かせてくれるから私たちは頼りにしているのよ」
「それは同意っす。暴れる患者も佐藤さんたちの前じゃ猫被ってるっす」
「哲也さんも猫被ってるじゃない」
「猫どころか鼠でも被って震えてるっすよ」
普段の様子に戻って冗談まで飛び出した哲也を見て早坂が話を戻す。
「それで何を訊きに来たの? 」
「藤北さんのことで…… 」
哲也が話す前に早坂がわかったと言うように頷いた。
「宇宙人のことでしょ? 」
「そうっす。宇宙人に攫われたってマジっすか? 」
パッと顔を明るくする哲也の頭を早坂がポンッと叩いた。
「そんな事あるわけないでしょ、哲也さんは宇宙人も信じてるの? 」
呆れ顔の早坂の向かいで哲也が笑顔で話し出す。
「居るなら見たいって思いますけど信じてはないですね、UFOとか宇宙人は全部幽霊とか妖怪とかの見間違えだと思ってますから」
「そっちか! 」
思わず突っ込む早坂に笑顔のまま哲也が続ける。
「だって幽霊は何度も見たことありますから……宇宙人だって見たら信じますよ」
「まぁ、幽霊かどうかは分からないけど不思議なことがあるのは私も認めるわ、でもUFOとか宇宙人は無いわよね、みんな同じようなのばかりで胡散臭い、幽霊もそれ系の映画が流行ると同じようなのばかりになって胡散臭いけどね」
呆れながら話していた早坂が話を戻した。
「それで藤北さんが何かしたの? 」
「それなんですけど…… 」
哲也が食堂で見た宇宙人の話をしながら自分の腕に針を刺していた藤北のことを説明した。黙って話しを聞いていた早坂の表情が強張っている。
「インプラントとか言ってたけど……あそこまでして嘘をつきたいんですか? 何の病気なんです? それが気になって……宇宙人の話も気になりますけど」
「虚偽性障害よ」
険しい表情でボソッと呟くように言った早坂の前で哲也が首を傾げる。
「虚偽性障害? なんですそれ? 」
「一般的にはミュンヒハウゼン症候群って言った方が通りやすいわね」
不思議そうに訊く哲也に早坂が説明してくれた。
ミュンヒハウゼン症候群とは周囲の関心や同情を得るために病気や怪我を装う精神疾患だ。重度の病気を装ったり、繰り返し自身を傷付けて、私は病気や怪我と闘っているとアピールして家族や友人など周囲の同情をかって励まされたり褒められたりすることに喜びを感じて患者の振りをしてしまう病気である。
ミュンヒハウゼン症候群という名前は精神医学では余り使われておらず「虚偽性障害」という診断名が使われていることが多い。
自身を傷付けたり病気だと仮病を装うのはまだいいが自分自身ではなく他人に対して傷害を加えて周囲の関心を引こうとする代理ミュンヒハウゼン症候群というものもある。
その対象は多くの場合に自分の子供に向けられる。我が子を重病だと言い触らして懸命に看病したり親が我が子に怪我を負わせて病院へと連れて行き治療させ、大変だったと周囲に話して同情を得る。
看病がどれ程大変か、病を負う子に対してどれほど自分が愛情を注いでいるかなど我が子を利用して自身へと同情が向くように言葉巧みに話すのだ。自らの精神的満足を他者から得ようとするのが代理ミュンヒハウゼン症候群である。
簡単に言うと構ってもらいたくて仮病をつかったり自身を傷付けて私はこんなにもかわいそうなのよとアピールする心の病である。同情して貰えるなら誰でもよいというところが恋人や親友など特定の相手だけの関心を引くために行う自傷症とは違うところだ。
説明を聞いた哲也が大きく頷いた。
「病名は知らなかったけど話しは聞いたことがあるっす」
「自身を傷付けるならまだいいんだけど、児童虐待の原因にもなっているからね」
早坂がやり場のない怒りを嘆くように溜息をついた。
「でも何で宇宙人なんですか? 普通は病気とか怪我ですよね」
「さぁ……詳しくは知らないのよ、藤北さんには5歳になるお子さんがいてね、それが行方不明になったのよ、ニュースでも報道されたから哲也くんも知ってるんじゃない? 」
暫く考えていた哲也が思い出したのか大きく相槌を打った。
「行方不明? ああ、2ヶ月、いや3ヶ月ほど前にテレビで何度もやってましたね、男の子が行方不明になったって、あれが藤北さんのお子さんなんですか? 」
驚く哲也の向かいで早坂が頷いた。
「そうなのよ、今も見つかっていないわ」
「それが何で? 何で宇宙人と関係あるんですか」
興味深げに訊く哲也の前で早坂が表情を曇らせる。
「藤北さんが言うにはお子さんは宇宙人に攫われたって事なのよ、自分と一緒に攫われたらしいわ、UFOの中で色々な実験を受けたって……それでインプラントされたって言って自分の手足に針やガラスを刺して周囲の人に証拠だと言って取り出して見せて注目を浴びてるのよ」
早坂が藤北のことを話してくれた。
藤北和佳31歳、4ヶ月ほど前に夫と離婚して5歳になる息子を引き取って実家に戻った。親元で暮らして1ヶ月ほどして息子が行方不明になる。大掛かりな捜索が行われたが3ヶ月経った現在でも息子は見つかっていない。
息子が行方不明になって2ヶ月ほど経ったある日、藤北はUFOに乗せられて宇宙人に色々な実験をされ、その際に体に何かを埋め込まれたと騒ぎ出す。息子も宇宙人に連れ去られたと言い始めた。周囲の人は我が子を失ったショックで心を病んだのだと同情していたが宇宙人にインプラントされたと言って手足から針やガラスの破片などを取り出し始めるのを見て心配した父親が磯山病院に入院させたのだ。
「宇宙人にインプラントされたって騒ぐ前は子供が病気がちだって騒いでいたらしいわよ、夫が浮気して離婚することになったって、担当の看護師に聞いたんだけど夫は病気がちの子供と私を捨てたって……私はかわいそうでしょってオーラがびんびん出てたわよって言ってたわ、代理ミュンヒハウゼン症候群ね」
呆れ返って言葉も無いといった様子の早坂に哲也は食堂で聞いた話しを思い出すようにして尋ねた。
「でも出てきた針やガラスは地球上のものじゃないって言ってましたよ、証拠として大学で調べて貰った分析結果があるって」
「あるわけないでしょ、全部嘘よ」
やんわりと叱り付けるように言った後で早坂が続ける。
「針やガラス片って事もおかしいけど本当に宇宙人が居るとして、インプラントするとして何で手や足だけなの? 」
「それは……僕も信じてないけどあそこまで堂々と言われると……風間源さんや阿江さんは信じてましたよ」
「自分のついている嘘が悪いって認識はないからね、悪意がないから堂々としているわよ、頭や背中は勿論だけど、藤北さんは右利きで右腕からはインプラントされたって針やガラス片は出てきてないのよ、インプラントされたって言うのは全部利き手の届く範囲だけ、それも刺しやすい手足だけ、利き手じゃない左手じゃ旨く刺せなくて怖いんでしょうね」
話しを聞いて哲也も呆れ顔になっていた。
「そういや、テレビで見たインプラントされたって人は耳の後ろや頭からも金属片が出てきてましたね、藤北さんが手足だけってのはおかしいですね」
「私もテレビで見たことあるけど普通は1つか2つでしょ? 藤北さんなんて30近く出てきてるわよ」
「30も……痛くないんすかね? 」
嫌そうに顔を顰める哲也を見て早坂がクスッと笑った。
「そりゃ痛いでしょうね、でも精神的満足を得るために痛みは我慢出来るのよ、それに何度もすれば慣れも出てくるわよ」
「そういうもんすか……話してくれてありがとうございます」
ちらっとナースステーションを見て哲也が頭を下げた。余り長居すると香織が気付いて出てくるかも知れない、香織だけならまだしも佐藤まで出てくると厄介だ。
「どう致しまして、それと…… 」
去ろうとした哲也の腕を早坂が掴んで止める。
「須賀さんって甘いもの好きかな? 」
先程までと違い照れるような可愛い顔で早坂が訊いた。
「甘いものっすか? 嶺弥さんはアイスはよく食べてますよ、ケーキとかシュークリームとか時々奢って貰いますね、結構好きだと思いますよ甘いもの」
「良かった。実家から薩摩芋送ってきたのよ、1人じゃ食べきれないからみんなにもお裾分けしたんだけどまだあるから大学芋かスイートポテトでも作ろうと思って…… 」
安堵する早坂を見て哲也がニコッと笑顔になった。
「御馳走様っす。僕の分もあるなら嶺弥さんには旨く言っときますよ」
「もちろん哲也さんにもあげるから宜しく頼むわね」
パッと顔を明るくして早坂が即答した。
「んじゃ、早坂さんの手作りお菓子楽しみにしてるっす」
嬉しそうな哲也の腕を掴んでいた手をそれ以上に嬉しそうな笑みをした早坂が離した。
「それと藤北さんは気を付けておいてね、構って貰えなくなると次は何をするか分からないからね」
「了解しました。何かあれば直ぐに先生や看護師さんに連絡しますよ」
ナースステーションに入っていく早坂に敬礼するように返事を返すと哲也も自分の部屋へと戻っていった。
「ミュンヒハウゼン症候群か……宇宙人でも幽霊でも無く今回は本当に心の病だけみたいだな」
構って欲しくて自分で針やガラスを刺してインプラントされたと騒ぐのだと聞いて哲也はよくある虚言癖だと興味を失った。
その日の夜、10時の見回りでC棟の5階廊下を歩いていると窓際の長椅子に腰掛けている人影を見つけた。
「消灯時間過ぎてるのに…… 」
またかと言うように哲也が近付いていく、夜中歩き回る患者は時々見掛ける。頻繁にあるようだと睡眠導入剤が処方されるようになるので誰なのか確認しておく必要があるのだ。
「何だ? 子供? 」
長椅子には2人が座っている様に見えた。哲也から見て向こう側、奥の方に座っている1人が妙に小さく見える。まるで子供のようだと不思議に思いながら近付いた。
「あれっ? 」
思わず声が出た。長椅子には1人しか座っていない、もしや幽霊かと驚きながら更に近付くと女の患者だと分かった。
「藤北さんだ…… 」
自然と口から出た。座っていたのは藤北だ。夕食時に会ったばかりなので直ぐに分かった。幽霊ではないとわかって安堵した哲也が声を掛ける。
「藤北さん、もう消灯時間過ぎてますよ、早く寝ましょうね、トイレ以外は部屋を出ないでください」
「UFOが……UFOがいたのよ」
優しく声を掛ける哲也に振り向きもしないで藤北は窓の外を指差した。
「UFO? 」
長椅子に膝を載せるようにして哲也が窓から外を見た。
「どこですか? UFO」
「あそこ! あそこに居たのよ、緑色で光ってたわ」
「どこです? 緑の光なんて見えませんよ」
「もう飛んでいったわ、でもさっきまであそこに居たのよ」
窓から食い入るように見るがUFOなどいない、だが藤北はあそこに居たと言い張った。
「 ……そうですか、僕もUFO見たかったな、でももう消灯時間過ぎてますから藤北さんは部屋に戻ってください、眠れないなら睡眠導入剤を貰ってきてあげますよ」
嘘だと思ったが刺激しないようにやんわりと部屋に戻そうとした哲也の腕を藤北が引っ張った。
「貴方、名前なんて言うの? 」
「中田哲也です。哲也って呼んでください、警備員をしています。それで見回りをしているんですよ」
笑顔で見上げる藤北に哲也が笑みを返しながら名乗った。
「そう、警備員さんなの、大変ねぇ……哲也くんって呼んでもいい? 」
「はい、いいですよ、みんな哲也って呼んでますから…… 」
「じゃあ、哲也くん、ここに座って」
藤北が自分の隣りに座るように哲也の腕を更に引っ張った。
「あのぅ、見回りの途中だから…… 」
断ろうとした哲也の腕に藤北がしがみつく、
「おおぅ! 」
腕がおっぱいに挟まれるようになって驚いて声が出た。
「早く座って」
「あのぅ…… 」
藤北に抱き付くようにされて哲也が隣りに座った。ハッキリ言って腕を包み込んだおっぱいが気持ちが良かったのだ。
「哲也くんUFO見れなくて残念だったわね、さっきまで飛んでたのよ、信じてないでしょ? 」
横に座って腕に抱き付きながら藤北が哲也の顔を覗き込んだ。
「まぁ見てませんから……信じるも何もないですけど」
哲也は刺激しないように慎重に言葉を選んでこたえる。
「本当、残念ねぇ、UFOは見れなかったけど宇宙人が居る証拠を見せてあげるわよ」
哲也の腕に絡み付かせていた自分の手を解くと藤北は袖を捲って左手を見せた。
「見えるでしょ、赤くなってる奴、宇宙人にインプラントされたのよ、インプラント、知ってる? 」
「金属の破片とかを宇宙人が埋め込む奴でしょ」
こたえながら哲也が顔を顰めた。藤北の左手には赤くなった傷が10以上付いていた。
哲也の表情など気にした風もなく藤北が嬉しそうに続ける。
「よく知ってるわね、そうなのよ、それでね、私、宇宙人に攫われたことがあるのよ、UFOに乗せられてね、実験されて、それでインプラントされたのよ」
藤北の手が離れたのを幸いと哲也が立ち上がる。
「済みません、見回りの途中なんですよ、サボってるの見つかったら怒られるから……そうだ! 明日の昼過ぎにでも話しを聞きに行きますよ」
立ち上がった哲也を捕まえようと藤北が手を伸ばす。
「そうなの……私はもっと哲也くんと話をしたいなぁ~~ 」
捕まらないようにサッと横に避けると哲也が続ける。
「明日、藤北さんの部屋に行きますからその時に宇宙人の話しを聞かせてください」
「明日かぁ~~ 」
手を引っ込めた藤北が不服そうに哲也を見つめた。
機嫌を損ねて暴れられても困ると哲也は咄嗟にお菓子の話しを持ちだした。
「お菓子持って行きますよ、バターサンドにチョコレート、飲み物も持っていくから……お茶かコーヒーか炭酸でもいいですよ」
藤北の顔がパッと明るくなる。
「お菓子? バターサンド美味しいよね、うん、そうだね、哲也くんの仕事の邪魔したらダメよねぇ……わかったわ、明日約束だからね、絶対だからね」
「明日の昼過ぎ、昼食終った後に部屋に行きますよ」
旨く凌げそうだと哲也は安堵してこたえた。
藤北が甘えるように哲也を見つめる。
「あっ、それとコーヒーがいいなぁ、チョコとバターサンドだったらコーヒーだよね」
「了解しました。缶コーヒー、甘くない奴を持って行きますよ、温かい奴」
「うん、ならいいわ」
笑顔を見せる藤北に哲也も笑みを返しながら話を切り出す。
「じゃあ、部屋に戻って寝てください、患者さんが歩き回ると看護師さんや警備員が困りますから」
「哲也くんを困らせたらダメだよねぇ、わかった部屋に戻って寝るわ」
藤北が自分の部屋へと入ったのを確認してから見回りを再開する。
「504号室か…… 」
藤北の部屋番号を確認すると哲也は長い廊下を歩いて行く、
「隣に座ってたのが宇宙人? まさかな……見間違えだな」
最初に2人座っているように見えたのを思い出して振り返る。長い廊下には誰も居ない、窓際に長椅子が置いてあるだけだ。
「甘いもので釣る作戦は旨く行ったけど、先生に貰ったバターサンドとチョコ勿体無いなぁ……まぁ仕方ないか、藤北さんってちょっとメンヘラっぽいな」
疲れを顔に浮かべて哲也は階段を下りていった。
翌日の昼過ぎ、お菓子と温かい缶コーヒーを持って藤北の部屋を訪ねる。約束などすっぽかそうとも思ったが後で何をされるか分からないので一応話しだけ聞くことにしたのだ。
恨みを買って殴られたり物理的に仕返しをされる事もあるがペラペラとあることないこと話す患者は何を言い触らすのか分からないのだ。適当に話しを合わせて旨く付き合うのが一番だ。それに昨晩見た隣に座っていた小さな人影も気になった。宇宙人などではないと思ったが何か関係があるのかと気になって話しを聞くことにしたのだ。
哲也がドアをノックすると藤北は直ぐに出てきた。
「本当に来てくれたのね」
「約束しましたから」
笑顔の藤北に招かれて部屋へと入る。
「これ、約束のバターサンドとチョコ、それに缶コーヒーです」
「わあぁ、ありがとう、そこ座って」
袋に入ったお菓子を受け取ると藤北はテーブル脇の折り畳み椅子を指差した。
「私もお菓子持ってるから食べながら話しましょう」
哲也の持ってきたお菓子の入った袋をテーブルの上に置くと藤北は小さな饅頭や最中などが入った袋入りの和菓子を見せてニッコリと笑った。
「開けにくいわね、鋏持ってこよう」
菓子の入った袋を開けようとした藤北に座っていた哲也が声を掛けた。
「僕が開けますよ」
「いいわ、鋏で開けるから……哲也くんはお客さんなんだから座ってて」
針金でも切れそうな大きな鋏で袋を開けると哲也の隣に座った。向かいに座るとばかり思っていた哲也が驚くのを見て藤北が楽しげに笑う、
「哲也くんって彼女いるの? 」
「えっ!? いや……居ませんけど」
突然訊かれて焦る哲也の腕に自分の手を巻き付けて腕を組むようにすると藤北が甘えるように声を出す。
「ほんとぅ、哲也くん結構格好良いのに」
「おわっ! なっ、何を…… 」
「本当に居ないの? 」
焦りまくる哲也に胸を押し付けるようにして藤北がまた訊いた。
「いっ、居ませんよ……そっ、それより宇宙人の話を………… 」
「居ないのね、良かった」
真っ赤になってこたえる哲也を見て嬉しそうに笑うと藤北が椅子に座り直す。
「僕の話は後にして宇宙人の話を教えてください」
抱き付いていた藤北が離れて冷静になったのか哲也が本題を切り出した。
「そうね、その前に喉が渇いたわ」
藤北は指を使わずにテーブルの上に置いていた鋏を使って缶を開けるときに押し上げるタブを引っ掛けて缶コーヒーを開けた。
「じゃあ、私が実家に戻ったところから話そう、離婚して戻ってからよ、UFOを見たのは…… 」
缶コーヒーを一口飲むとべったりと哲也に身を寄せるようにして話し始めた。
これは藤北和佳さんが教えてくれた話しだ。
夫の浮気によって離婚した藤北は5歳になる息子を連れて実家へと戻ってきた。
藤北の実家は農業をやっていて母は早くに亡くなったが父が健在で今は料亭に卸すような高価な野菜を作って農家としては成功している。
生まれ育った村だ。娘が孫を連れて帰ってきたと父も喜んで近所に触れ回り、藤北は直ぐに馴染んで農業を手伝って息子と共に暮らし始めた。
戻ってきて1ヶ月ほどが経ったある夜、眠っていると窓が緑色に光った。
「んん……なに!? 何で光ってるの? 」
窓から差し込む緑の光に藤北が目を覚ます。
「お祭り……じゃないわよね」
車のヘッドライトを此方に向けたような強い光だ。
「光一…… 」
何かわからないが不安を感じた藤北は5歳になる息子の光一に手を伸ばす。
「光一! 光一、光一ぃ…… 」
隣で寝ていた我が子が居ない、飛び起きて部屋の中を探すが光一の姿はどこにも見当たらない。
「光一、どこなの? トイレに行ったの? 」
5歳児だ。歩き回ることが出来ると言っても夜中に1人でトイレに行くなど怖がって無理なのは藤北が一番わかっている。
「光一…… 」
とにかく探そうと部屋を出ようとした。その後ろでザーッと窓が開く音がした。同時に部屋の中いっぱい、緑色の光で満たされる。
「なっ……何が? 」
振り返った藤北は開いた窓の外に浮んでいるものを見た。
「きゃぁあぁぁ~~ 」
窓の外で緑色の宇宙人が息子を抱きかかえて浮いていた。
いつの間に部屋に入ってきたのか悲鳴を上げた藤北の横にも緑色の宇宙人が居た。
「いやぁあぁぁぁ~~ 」
宇宙人が藤北に手を伸ばす。次の瞬間、目の前が真っ暗になり気を失った。
気が付くと硬いベッドの上に縛られて寝かされていた。周りを見回すと見たことの無い機械でいっぱいだ。
「ここは……UFO? 」
藤北は宇宙人にUFOの中に連れ込まれたのだと思った。
どうにかして抜け出そうとしたが手足に枷をはめられて動けない。
『キー、キキ、キーキー 』
ガラスを引っ掻いたような高い嫌な音を出して3人の宇宙人が部屋にやってきた。
「たっ、助けて…… 」
『キー、キキキ、キーキキ』
怯える藤北の服を宇宙人が切り裂いていく、
「いやぁ~、いやあぁぁ~~ 」
悲鳴を上げる藤北に宇宙人が何やら機械のようなものを押し当てる。
ビリッと痺れて身体の自由が利かなくなる。声も出せなくなった藤北に宇宙人が色々な実験を行った。
手足にチクチクと痛みを感じる。何かを埋め込まれたのが分かった。
『キッ、キキ、キーキキ、キキ、キーキー 』
3人で何やら会話らしきものをして宇宙人は部屋を出て行った。
「あぁ……助けてぇ………… 」
暫くして身体の痺れは取れたが手足に枷が付いているので動かせるのは首だけだ。
『キキ、キー、キキー、キキキ』
また宇宙人がやってきた。今度は2人だ。1人が大きなカプセルのようなものを持っている。
『キー、キキ』
宇宙人がカプセルを見せるように藤北の目の前に持ってくる。
「こっ、光一…… 」
透明なカプセルの中に5歳になる我が子が入っていた。何かの液体に浮んで動かない我が子を見て死んでいると思った。
「いやぁあぁあぁ~~、光一を! 光一を返せ!! 」
藤北は半狂乱になって我が子を返せと暴れた。枷をはめられた手足が千切れそうなくらいに暴れる藤北に宇宙人が手を伸ばす。
「光一…… 」
緑色の光を浴びて藤北は気を失った。
次に気が付いたら自分の部屋の布団の中で眠っていた。
「光一! 光一、どこにいるの? 光一、光一ぃ………… 」
慌てて我が子を探すが居ない、宇宙人に連れ去られたのだと藤北は思った。
騒ぎを聞いた父親がやってきた。
「どうした和佳? 」
「お父さん、光一が……光一がぁ~~ 」
泣き叫ぶ藤北の背に手を当てながら父親は孫の光一を探す。
「光一がどうした? 光一はどこにいるんだ? 」
「宇宙人が……緑色の宇宙人が光一を連れて行った……光一ぃ~~ 」
藤北が泣きながら先程の出来事を話した。
自分はどうにか戻ってこれたが5歳の息子が宇宙人に連れ去られたと話す藤北を脇へ置くと父親は部屋の中を探し始める。
「光一、どこにいるんだ? 返事をしなさい」
藤北の部屋は勿論、家の中から納屋に庭まで家の周りを全て探すが光一の姿は無い。
時刻は深夜というより早朝に近い、午前4時過ぎだ。
「光一は何処へいったんだ? 」
どこを探しても見つからない、父親が改めて訊くと藤北は泣きじゃくりながら宇宙人が連れて行ったと同じ事を繰り返す。
「だから宇宙人が…… 」
「宇宙人なんて居るわけないだろ! 」
娘を怒鳴りつけると父親は携帯電話を取りだした。
父親が警察に通報する。暫くして警察官がやってきて事情聴取が始まった。藤北が言った宇宙人の話は我が子を失って錯乱しているのだろうと軽く流された。
翌日、5歳児の行方不明事件として大騒ぎになる。宇宙人の話は父親に止められた。藤北自身も大事になったのに臆したのか宇宙人に息子が連れ去られた話しはしなくなった。
警察による捜索が始まった。
「藤北さん大変ねぇ」
「和佳ちゃん、かわいそうに…… 」
「光一くん何処行ったんだろうねぇ、きっと見つかるから気を落とさないでね」
「こんな時だから母親はしっかりしないとダメなのよ」
「済みません、取材ですが話しを聞かせてください」
近所の人だけでなくテレビの取材まできてみんなが心配してくれる。
「心配をお掛けします」
「私はいいんです。光一がどうなっているか……それだけが心配で………… 」
「ありがとうございます。警察は勿論、捜索に加わってくれている皆さんに感謝しています。どうか光一を探してください」
藤北は警察や近所の人、取材のカメラの前で涙を流して我が子の無事を願い、捜索の礼を述べて深々と頭を下げた。健気な姿にテレビを見た全国の人から同情の声が上がった。
5歳児童の行方不明として大掛かりな捜索は1ヶ月続いたが光一は見つからず、捜索規模も徐々に縮小されて2ヶ月後には警察官数人だけとなる。事実上の捜索打ち切りだ。
捜索が打ち切られマスコミどころか近所の人たちの話題にも上がらなくなる。藤北に気を使っているのか、近所の人たちは光一はもう生きていないだろう、かわいそうにと陰で噂するくらいだ。
暫くして藤北は宇宙人が息子の光一を攫ったと騒ぎ出す。
「宇宙人なのよ、光一を連れ去ったのは宇宙人なの」
隣近所は勿論、道で会う見知らぬ人々にまで藤北は宇宙人が我が子を連れ去ったと訴え始めた。
「藤北さん……かわいそうに」
「嘘じゃないのよ、本当なのよ、緑色の宇宙人が光一をUFOで連れて行ったのよ」
同情する近所の人に藤北は懸命にあの夜の出来事を話して聞かせた。
父親は止めなかった。愛する我が子を失って妄想に走る娘を哀れんだ。
「本当なのよ、私もUFOに乗せられたんだから…… 」
藤北は近所の人に左手を見せた。
「ほら、ここに何か入っているのよ、宇宙人にインプラントされたのよ」
話しながら左腕の赤く腫れた場所から針を取り出した。
「ほら、この針が証拠よ、宇宙人がインプラントしたのよ」
手足から針やガラス片が出てくるのを見て近所の人も初めは心配してくれたが毎日のように今度は釘が出たなどと言って藤北が騒ぐのを見て自分で入れたのだと噂し合うが我が子を失ったショックで心を病んだのだろうと近所の人たちは温かい目で見てくれた。
「宇宙人が何で針やガラス片を入れるんだ? そんなもの入れて何をするんだ? 」
「そうだよね、昔テレビで見たヤツは謎の金属片とかだったよ」
「そうだよな、宇宙人が縫い針なんて使うかよ」
何度も話す内に初めは温かな目で見てくれていた近所の人も次第に相手にしなくなる。
「本当なのよ……本当に宇宙人が………… 」
「只の針とガラスでしょ? 宇宙人のものかなんて分からないじゃない」
ある日、近所の奥さんに指摘されて藤北がキレた。
「本当よ! わかったわよ、証拠を見せてあげるから……大学で調べて貰うわ、只の針やガラスじゃなかったら謝ってもらうからね」
藤北はインプラントされた物を全て出してくると言って町から離れた遠くにある大きな病院へと行った。
3日後、聞いたこともないような研究機関の名前が付いている用紙を近所の人たちに見せびらかせた。
「ほら、調べて貰ったわよ、やっぱり宇宙人のものだったわよ、宇宙人がインプラントしたのよ」
研究所分析結果と仰々しく銘打った用紙には藤北の身体から出てきた針やガラス片は地球上の物質ではないという事がグラフなどと共に書かれてあった。
「それとインプラントされていたものは全て取りだしたからこれで安心よ」
自慢気に胸を張る藤北を見て近所の人たちも疑って悪かったと謝る。
「疑って悪かったわ、ごめんなさいね」
只の針とガラスだとバカにした近所の奥さんが頭を下げた。
「いいのよ、分かってくれれば……私は宇宙人に連れ去られて実験されたのよ、インプラントされて大変だったんだから」
満面の笑顔で返す藤北に集まっていた近所の人たちも声を掛ける。
「本当に大変だったわね、藤北さん」
「ほんと、ほんと、同情するわ」
でっち上げて作った分析結果だと直ぐに分かったがこれ以上関わり合いになるのを嫌ったのか近所の人たちからは悪口の一つも出てこなかった。
「でも、もう安心よ、インプラントされてたのは全部取り出したからね」
何度も同じ言葉を繰り返す藤北に愛想笑いをして近所の人たちは帰っていった。
その日の夜、藤北は身体を揺すられて目を覚ます。
「うぅ……なぁに? 」
父が起こしに来たのかと目を開けた。
『マァマ…… 』
「ひぁうぅ………… 」
絞り出すような悲鳴が出た。枕元に緑色をした毛むくじゃらの化け物がいた。
『ァマ……マァァマ』
緑色の毛むくじゃらの化け物が両手を伸ばして横になっている藤北の身体を揺する。
「ひぃ……いやぁぁ………… 」
恐怖で強張り悲鳴も出てこない、緑色の毛むくじゃらの化け物は藤北の足下へと移動した。目の前から居なくなり消えたのだと安堵した藤北の足に痛みが走る。
「痛っ! 」
叫びながら片手を着いて上半身を起す。
「ひぁうぅ! 」
消えたと思った緑色の毛むくじゃらの化け物が居た。
「痛い! 」
化け物は藤北の足に何かを刺していた。その度にチクチクと痛みが走る。
「痛い……痛い……止めて………… 」
痛みの所為か強張っていた緊張が緩んだ。次の瞬間、藤北は甲高い悲鳴を上げた。
「きゃあぁあぁぁ~~ 」
悲鳴を聞いて父親が駆け付ける。
「どうした和佳? 」
「お化け……お化けが………… 」
震える声を出す藤北が見つめる先で化け物は既に消えていた。
「お化け? 」
「緑色のお化けが足に何かを刺したの」
話しながら自分の足を見て藤北はその場で身を固くした。
「お前……何をしてるんだ」
父が驚きの声を出す。藤北の両足に小さなガラス片が幾つも突き刺さっていた。
「違うのよ! 私じゃない」
藤北は慌てて先程の出来事を説明した。
「お前、まだそんな事を言っているのか!! 」
娘の狂言だと父親が叱り付ける。
「違うのよ、これは本物よ、本当に緑色の…… 」
弁解していた藤北がハッとして言葉を止めた。
「緑色の宇宙人…………本当に緑色の毛むくじゃらの宇宙人が出たのよ、本当よ、あれは宇宙人よ、本物の宇宙人が出たんだわ」
何度も頷きながら藤北は本物の宇宙人が出たと騒ぎ出した。
「いい加減にしろ! お前がそんなんじゃ光一は浮かばれないだろが!! 」
父親も孫の光一はもう生きてはいないだろうと諦めていた。
「こっ、光一……あの子は…………宇宙人……そうよ、宇宙人が連れて行ったのよ、緑色の毛むくじゃらの宇宙人が連れて行ったのよ」
一瞬顔色を変えたが藤北は口元に厭な笑みを浮かべて宇宙人が連れて行ったと口早に捲し立てる。
「お前……宇宙人なんていない、二度と話すな」
父親は怒りと哀れみの混じった複雑な表情で部屋から出て行った。
翌日から藤北は本物の宇宙人が現われたと大騒ぎをはじめた。
緑色の毛むくじゃらの宇宙人が出てきて針やガラス片を自分に突き刺してくると言う、近所の人はまたかと言った様子で呆れて相手にしない、父親はキツく叱り付けた。
ある夜、悲鳴を聞いて父親が駆け付けると藤北は針やガラス片を手足に刺して暴れていた。
「ひぃぃ……宇宙人が…………緑色の宇宙人が……はひぃひひ…………宇宙人がぁ~~、インプラント……インプラントしてくるのよぉ~~ 」
錯乱しているのか声を掛けても返事もしない、手足を血塗れにしている娘を見て父親は救急車を呼んだ。
その後も何度も騒ぎを起す藤北に父親は手に負えないと磯山病院へ連れてきたのだ。
これが藤北和佳さんが教えてくれた話しだ。
長い話を終えた藤北が隣から哲也の顔を覗くように近付けた。
「はい、私の話はこれでお仕舞い、面白かった? 」
「ちょちょっ! 面白いというか……大変でしたね」
近付いてくる藤北の顔を仰け反るようにして避けながら哲也がこたえた。
「そうなのよ、大変なのよ」
座り直すと藤北がテーブルの上に左手を置いた。
「これがね、宇宙人にインプラントされた痕なのよ」
藤北の左手、手首から二の腕に掛けて赤い傷痕がポツポツと10以上は付いていた。
「凄い……そんなに刺して痛くないんですか? 」
藤北が自分で刺していることを知っている哲也が思わず訊いていた。
「いつの間にかインプラントされているから痛くはないわよ、でもね、インプラントを取り出すときが痛いのよ」
自慢気にこたえる藤北に哲也は言葉を選びながら続ける。
「大変なんですね……それで宇宙人は今も現われるんですか? 」
「出てくるわよ、昨日もUFOを見たのよ、哲也くんが来てくれなければまた攫われてUFOの中でインプラントされていたわ、哲也くんの御陰で助かったのよ」
藤北が哲也に抱き付いた。
「ありがとう哲也くん」
「おわっ! ちょっ、ちょっと…… 」
驚いて引き離そうとするが横から抱き付かれているので左手は使えない、と言うより左腕はおっぱいに挟まれている。
「ちょっ、藤北さん……ちょっと………… 」
引き離そうと伸ばした哲也の右手を藤北が引っ張って逆にもっと身体を押し付けてきた。
「何か御礼をしなくっちゃね……何がいい? 何でもいいわよ」
哲也の耳元で藤北が囁くように言った。
大人の女の匂いが哲也の鼻を擽った。左腕だけでなく胸までおっぱいが当たって柔らかで気持ちがいい。
「彼女居ないんでしょ? だったらいいわよね…… 」
藤北が哲也の頬にキスをした。
「ちょっ、だっ、ダメっすよ……こんなところ誰かに見られたら…………そっ、それより宇宙人の話をしましょう」
どうにか逃れようと哲也は必死で話題を逸らす。
「おっ、お子さんはどうなったんですか? こっ、光一くんは見つかったんですか? 」
息子の話を持ち出すと藤北はバッと離れた。
「あの子は……宇宙人に連れ去られたままよ」
顔を曇らせる藤北を見て哲也も顔を顰める。
息子の話が出てきたのは初めだけだ。途中から宇宙人に連れ去られた我が子のことを一切心配していないような口振りに哲也は不信感を抱いた。
「本当に宇宙人なんですか? 窓から入って来た不審者が光一くんを連れ去ったって事はないんですか? 」
「なっ、何言ってんの? 私が嘘をついているって言うの? 宇宙人よ、光一を攫ったのは宇宙人よ、私もUFOに連れ去られて色々実験されてインプラントまでされたんだからね、宇宙人が全部悪いのよ」
焦りを浮かべながら怒り出した藤北を見てこれ以上興奮させると危ないと思った哲也が頭を下げる。
「ごめんなさい、そういうつもりじゃ……可能性の一つとして言っただけで藤北さんの話を信じてないなんて言ってません」
「宇宙人は本当にいるのよ、光一は宇宙人に攫われたのよ、私も連れて行かれそうになったのよ、UFOに乗せられたんだからね」
謝る哲也を見つめながら藤北が真顔で話した。
「ほんと、済みませんでした」
「わかればいいのよ、哲也くんなら許してあげるわ」
ニコッと笑顔を見せる藤北の横で哲也が苦笑いをしながら早く退散しようと口を開く、
「あのぅ、僕はそろそろ…… 」
「あっ、トイレ行って来るから少し待っててね、勝手に帰ったら怒るわよ」
哲也の話しを遮ると藤北はテーブルの上に置いてあった大きな鋏を持って立ち上がる。
「いや、僕も…… 」
「ダメよ! 夕方の見回りまでまだ2時間もあるじゃない」
誰かに聞いたのだろう藤北は警備員の見回りの時間を知っている様子だ。夕方の見回りがあるからという言い訳ができなくなった哲也を置いて藤北は部屋を出て行った。
暫くしてトイレへ行っていた藤北が戻ってきた。
「ちゃんと待っててくれたのね、良かったぁ~ 」
藤北が嬉しそうに微笑みながら哲也の横に座る。
勝手に消えたら後で何をされるか分からないので仕方なく残っていたとは言えずに哲也は苦笑いを返すだけだ。
「あのぅ……一つ訊きたいんですけど」
「なぁに? 」
おずおずと話す哲也の左腕に自分の右手を絡めて抱き付きながら藤北が顔を覗き込んでくる。
「UFOに乗せられて実験されたときに服を切られたんですよね、それで気を失って目を覚ましたときに布団に寝ていて服も元通りだったんですよね」
全部夢だったのではないかと訊きたかったが怖かったので絡めてから質問した。
「うん、服は切られたわよ、バラバラにされたわよ、でも目を覚ましたときには元通りだったわ、凄いわね宇宙人の技術って、服を直すことなんて簡単なのね」
哲也に抱き付きながら藤北が平然とこたえた。
「じゃあ、もう一つ、緑色の…… 」
哲也が次の質問をしようとしたとき、藤北がバッと離れて左手を伸ばした。
「いっ、痛い……インプラントされたのが出てきたわ」
「マジっすか? 」
藤北が伸ばした左手を哲也が身を乗り出して見つめた。
「痛い……痛たた………… 」
左手の二の腕の下、肘の上辺りに血が滲んでいる。
「痛てて……出てきたわよ、ほらっ! 」
藤北が左腕に右手を当てて何かを取り出した。
「これがインプラントされていたものよ」
藤北がテーブルの上に血塗れの小さな金属片を置いた。
「これは…… 」
哲也が顔を顰める。小さくて分かり辛いが缶の蓋に付いているタブの破片に見えた。ちらっと藤北が飲んでいた缶コーヒーを見るとタブが無くなっていた。
「これが証拠よ、宇宙人にインプラントされたのよ、本当だったでしょ」
横から藤北が哲也の顔を自慢気に覗き込んだ。
「うん、本当だ」
哲也は頷きながらタブをどうやって小さく切ったのかと考える。
「ああ…… 」
思わず声が出た。私もお菓子があると袋に入った和菓子を持ってきたときに開け難いと大きな鋏を持ってきていた。トイレに行くと言って鋏を持って立ち上がったのを覚えている。その鋏を使って缶のタブを細かくしたのだろうと気が付いた。
「信じてくれたみたいね、全部本当の話なのよ、全部宇宙人が悪いのよ」
嬉しそうな笑みを湛えて藤北が言った。仕掛けに気付いて思わず出した声を驚き声と勘違いしてくれた様子だ。
「うん、信じるよ、これは宇宙人じゃないと出来ないよね」
行方不明になった我が子を心配するより宇宙人にインプラントされて大変だと訴えかける藤北に何とも言えない不気味さを感じて哲也は話しを合わせる事にした。
「そうよ、宇宙人は居るのよ」
座り直すと藤北が真剣な表情で話し始める。
「緑色の毛むくじゃらの宇宙人は本当にいるのよ、本当に出てくるようになったのよ」
隣に座る哲也の腕を引っ張りながら藤北が続ける。
「本物が出てくるようになったの……ここに入院してからも何度か出てきたの、ガラス片や針を足に刺してくるのよ、このままじゃ、宇宙人に殺されるかも知れない、だから……だから哲也くんに助けて貰いたいの」
「たっ、助けるってどうしたらいいんです」
先程までとは違う真剣な顔に哲也も真顔で返していた。
「毎晩見回りしてるんでしょ? 宇宙人が入ってこないように私の部屋を厳重に見回って欲しいのよ」
「ええ……はい、見回りはしてますから、藤北さんの部屋もしっかり見回りますよ」
そんな事かと安請け合いする哲也に藤北が抱き付いた。
「宇宙人が出てこないように部屋の中まで確認してね、私を助けてくれたら良いことしてあげてもいいわよ、哲也くん可愛いし…… 」
藤北を振り払って哲也がバッと立ち上がる。
「見回りはします。部屋の中を確認しろって言うならドアを開けて中も見ますから安心してください、じゃあ、僕は仕事がありますから…… 」
「あぁ……哲也くん」
引き留めようとする藤北に構わず哲也は逃げるようにして部屋を出て行った。
長い廊下を早足で歩き、階段を下りながらほっと息を付いた。
「全部嘘だな……デタラメだ。ミュンヒハウゼン症候群で構って欲しくてデタラメ言ってるんだ」
藤北は心の病だと再認識した。宇宙人の話は全てデタラメで怪異などではないとわかって少しがっかりしながら階段を下っていく、
「でも危なかった……好みのタイプじゃなかったから我慢出来たけど………… 」
また足を止める。藤北に抱き付かれたことを思い出してニヤけた頬を両手で挟むようにしてパンパン叩いた。
「ダメだぞ! 香織さんに見つかったら大変なことになるぞ、嶺弥さんに軽蔑されるなんてごめんだからな」
自身に言い聞かせるようにして階段を下りていく、階段の前にある出入り口からC病棟を出ようとして1階の長い廊下を見る。窓辺に置いてある長椅子が目に付いた。
「本物の宇宙人が出てくるとか言ってたな…… 」
昨晩見た長椅子に並んで座っていた小さな影を思い出して振り返ると階段を見上げた。
「見回りだけはしっかりとやるか」
険しい顔をした哲也がC病棟を出て行く、宇宙人など信じたわけではないが本物が出てくるという言葉も気になった。
夜10時の見回りで哲也がC病棟へと入っていく、
「屋上の鍵は掛かってるな、異常無しっと」
いつものように最上階へと上がってから1階ずつ下りながら各フロアを見て回る。
「異常なぁ~し」
5階へと出た。長い廊下を歩いて504号室の前で足を止める。
「藤北さんか…… 」
呟きながらドアをそっと開けて中の様子を伺う、
「哲也くぅ~ん、入って来ていいわよ」
ベッドで横になっていた藤北が嬉しそうに声を掛けてきた。
「ダメです。入りませんから、仕事中ですから……約束通りちゃんと見回ってますから出歩かないようにしてくださいね」
「もうっ、哲也くんったらぁ……じゃあ、仕事中じゃないときにいいことしましょうね」
「しっ、仕事中ですからっ! 」
頬を赤くした哲也が覗いていた首を引っ込めてサッとドアを閉めた。
「いっ、異常無し……まったく藤北さんは…… 」
逃げるようにして廊下を歩いて行く、無理矢理迫られたら断れるだろうか? そんな事を考えながら見回りを終えた。
深夜3時の見回りで哲也が504号室の前で立ち止まった。
「もう寝てるよな」
呟きながらそっとドアを開けた。薄暗い部屋の中、藤北はベッドに横になっている。
ぐるっと部屋を見回してから藤北に視線を戻してドアを閉めようとした。
「んん? 」
口を閉じたまま鼻から抜けるような声が喉から出た。
此方に顔を向けて横向きになっている藤北の後ろに何か居る。横向きに寝ているにしては布団も大きく盛り上がっていた。
「ぬいぐるみ? 」
ぬいぐるみか抱き枕でも置いてあるのかと確認するために哲也が部屋の中へと入っていく、
『マァマ…… 』
数歩入ったところで微かな声が聞こえて哲也が立ち止まる。
寝言でも言ったのかと起しては不味いと様子を見ていると藤北の後ろで何かが動いた。
『ンマァ……マァァマ』
「ふぅぅ…… 」
悲鳴を上げそうになる口を哲也が咄嗟に手で押さえた。
ぬいぐるみや抱き枕ではない、緑色をした化け物が藤北の後ろで横になっていた。
『ァア……ウマァァ……マァマァ』
横向きになって寝ている藤北の後ろで鳴き声を上げながら化け物がむくっと上半身を起した。
「何だ!? 」
哲也が顔を顰めてその場で身を固くする。今までに腐乱した姿の幽霊や恐ろしい形相で怒る幽霊などを見ているので多少の事なら平気だと自負していた。だが前に見える化け物はフードを被ったように頭全体を緑の毛が覆い顔はハッキリとは見えない、全身が縮れた毛糸のような緑色の毛に覆われ、包帯でも巻いているのか幅広の茶色い紐のようなものが所々から見えている。緑色をした毛むくじゃらの化け物としかいいようのない姿だ。
「うっ、宇宙人…… 」
藤北が話していた緑色の宇宙人に違いない、哲也が警棒にも使える懐中電灯を握り締めた。
『ンマァ……マァマ…………マンマァ』
緑色の化け物が喉に何かが詰まっているのかゴボゴボと泡を吹くような音と共に奇妙な声で鳴きながら眠っている藤北の腕を摩りだした。
『マァンマ……ンマァマ…… 』
「うぅぅ……痛い……痛いって………… 」
目を覚ました藤北が横になって寝ている自分を後ろから覗いている化け物に気が付いた。
「ひゃあぁ~~ 」
「藤北さん! 」
悲鳴を聞いて我を取り戻したのか哲也が駆け寄る。
「この野郎! 」
緑色の化け物を哲也が殴りつけた。
『ママ…… 』
「なん? 」
化け物が吹っ飛んで壁にぶつかって床に倒れた。
濡れたタオルでも触ったようなぐちゃっとした感触は感じたが重さは殆ど感じなかった。殴った感触が軽かったのだ。床に倒れる化け物は想像以上に小さい、身長は1メートルほどしかない、まるで幼子だ。
『マァマ……ママぁ………… 』
倒れていた化け物がスーッと消えていった。
「あれは…… 」
哲也が震える声を出して化け物を殴った拳を見つめた。
呆然としている哲也にベッドの上で上半身を起した藤北が声を掛ける。
「あっ、ありがとう哲也くん…… 」
怯えて顔を引き攣らせる藤北に哲也が険しい表情を向ける。
「あれは? 」
「あれが宇宙人よ、本当だったでしょ……痛てて」
藤北が左の袖を捲った。
「見て哲也くん、インプラントされてるわ」
哲也が懐中電灯を当てて見ると藤北の二の腕に小さなガラス片が1つ刺さっていた。
「本当だったでしょ、緑色の宇宙人、私は嘘なんて言ってない……全部宇宙人が悪いのよ、哲也くんは信じてくれるわよね」
ガラス片を抜き取りながら藤北が哲也を見つめた。その顔には怯えは消えて期待するような目付きに変わっている。
「あれは宇宙人なんかじゃない」
哲也が真剣な表情で藤北を見つめ返す。
「あれは子供だ。子供の幽霊だ。ママって言ってた。あれは…… 」
「子供…… 」
藤北の表情がさっと変わる。
「本当のことを話してくれ藤北さん! あれは光一くんじゃないのか? 」
「なっ、ちっ、違うわ! あれは宇宙人よ……宇宙人が私を狙ってるのよ」
焦りを浮かべて否定する藤北に哲也が畳み掛ける。
「ママって言ってたよ、本当のことを話さないとこのままじゃ大変なことになるかも知れない、彼奴からは悪い気は感じなかった……でもこのままじゃ、本当の事を話してくれ、僕が力になれるなら何でもするから、だから本当の事を教えてくれ」
「ママ…… 」
焦りと怯えを浮かべた藤北の手を哲也が掴んだ。
「このままじゃ大変なことになる。殺されるかも知れない」
「殺される……いやっ! そんなの嫌…… 」
「話してくれ藤北さん、僕が力になるから」
真剣な表情で見つめる哲也に縋るような目をして頷くと藤北が話を始めた。
「前に話した宇宙人の話は全部嘘よ……光一が連れ去られたのもインプラントも全部嘘、でも宇宙人は本当よ、哲也くんも見たでしょ? 緑色の宇宙人……あれは本当よ…………本物の宇宙人だって思ってたのよ、あれが光一なんて嘘よ…… 」
必死で話す藤北の前で哲也が否定するように首を振る。
「見ましたけどあれは宇宙人なんかじゃないです。幽霊です。でも普通の幽霊じゃない、何かわからないけど妖怪のような感じもしました」
「宇宙人よ……あれは宇宙人なのよ………… 」
怯えを浮かべ自身に言い聞かせるように言った後で藤北が話を続ける。
「光一が行方不明になって2ヶ月ほどして捜索も終った頃に夢を見たの……緑色の宇宙人に追い掛けられる夢を……それで目を覚ましたら窓の外に光る玉が浮んでいたのよ、緑色に光ってたわ、それでUFOだと思って……それで宇宙人の話をしたのよ、インプラントされたって話せばみんなが騒いでくれる。みんなが私に同情してくれるのよ、注目してくれるのよ」
周囲の関心を集めたくて病気や怪我を装う、ミュンヒハウゼン症候群だと思いながら哲也が話を切り出す。
「宇宙人の話はわかりました。それで光一くんはどうしたんです? 何で行方不明になったんですか」
「こっ、光一は…… 」
表情を強張らせて震え出す藤北の両手を哲也がしっかりと握り締めた。
「誰にも言わないから僕にだけ話してくれ、藤北さんの力になるから」
「本当に誰にも言わないって約束出来る? 」
真剣な表情で見つめる藤北の正面で哲也が頷いた。
「約束する。誰にも言わない、破ったら藤北さんに殺されても文句は言わないよ」
暗い目をした藤北がボソッと口を開いた。
「光一は死んだのよ……私が殺したの、それでも約束出来る? 」
「なっ……殺した……藤北さんが…………わかった。約束する。誰にも言わない、約束だ」
驚きに目を見開いた後、険しい表情で哲也が約束すると藤北は観念したように話を始めた。
宇宙人に攫われたと騒いだりインプラントされたと言ってガラス片や針を手足に刺したのもみんなに構ってもらいたかったからだ。心配して貰ったり、同情して貰ったりされると気持ちが良いという、構って貰えるのが気持ち良くて息子の光一にも怪我をさせたりしていた。だが何度も繰り返していると少々の怪我や病気では相手にされなくなる。
もっと大怪我をすれば構って貰えると考えた藤北は息子の光一を湯の張った風呂に沈めた。暫く暴れていた光一が湯の中で動かなくなる。泣き叫ぶ演技をしようとした藤北が湯船から引き上げた光一の異変に気付く、ぴくりとも動かない、慌てて見様見真似の人工呼吸をするが光一は息を吹き返さなかった。
我が子を殺してしまった。このままでは逮捕されると焦った藤北は光一をどうにかしようと考えた。頭の中に子供の頃に遊びに行った山一つ向こうの沼が思い浮かんだ。背丈ほどの藪に囲まれた沼で藻が繁殖しているのか緑色に濁っている。大雨が降る度に倒木や枯れ枝などが流されてきて沈み、沼の底に重なるようにして溜まっているという、それで沼に沈むと引っ掛かって上がってこない、子供だけでは絶対に近付くなときつく言い聞かされていた沼である。
深夜、父が眠ったのを見計らって藤北は光一の遺体を山一つ向こうの沼へと捨てに行った。大きな石と一緒にガムテープでグルグル巻にして光一を緑色の沼へと沈めた。
翌日から大騒ぎになった。藤北はバレて逮捕されると怯えていたが心配は杞憂に終った。それどころか近所の人たちだけでなくマスコミまでやってきて同情された。それがとても気持ち良かった。顔見知りは勿論、町を歩けば全く知らない人がかわいそうだと声を掛けてきた。その度に藤北は涙ぐんで礼を言う、だが心の奥では嬉しさに何とも言えない快感を感じていた。
2ヶ月ほどして捜索は縮小された。マスコミも来なくなり町の人たちの関心も薄れていく、ある夜、藤北は夢の中で緑色の化け物に襲われる夢を見た。飛び起きると窓の外に浮ぶ緑色の光の玉を見つける。藤北はUFOだと思った。そこからヒントを得て注目を集めたくて宇宙人の話を作ったのだ。
「そんな事を…… 」
話しを聞いて哲也は言葉を失った。
「殺すつもりなんてなかったのよ……本当よ、溺れさせて少し入院でもすればみんなが心配してくれると思っただけなのよ」
愕然とする哲也に藤北が必死で言い訳をした。
「だからって…… 」
掛ける言葉が出てこない。
藤北が言っていた緑色の毛むくじゃらの宇宙人とは自分が殺して山一つ向こうの沼に捨てた5歳の我が子だ。藻が繁殖して緑色になった沼、そこへ石と共にガムテープでグルグル巻にして沈めた5歳児童、その遺体に藻が絡み付いたのだろう、ボロボロになったガムテープと絡まった藻で緑色の毛むくじゃらの宇宙人に見えたのだ。
「約束よ、誰にも話さないでね、哲也くんだから教えたのよ」
藤北が哲也の手をギュッと握り締めた。
「話さないよ、約束だから……でも、藤北さんは……藤北さんが自分から全て話したほうがいいと思う」
絞り出すように話す哲也の前で藤北が声を荒げる。
「ダメよ! そんな事したら逮捕されるじゃない、今までバレなかったのよ、捜索はもう終ってるし、この先もバレないわ、だから大丈夫よ、だから…… 」
握った哲也の手を引き寄せて自分の胸で挟むようにして藤北がニッと笑った。
「だから哲也くんも話しちゃダメよ、2人だけの秘密よ、黙っていてくれるならいいことをしてあげるわよ、ねぇ哲也くん、愛し合いましょう」
哲也の手を胸に押し当てるようにして藤北が艶のある目でじっと見つめる。
「すっ、済みません、今は見回りの途中だから…… 」
慌てて手を引っ込める哲也を見て妖艶な笑みを湛えたまま藤北が続ける。
「うふふっ、そうだったわね、じゃあ、見回りを済ませたらいらっしゃい」
艶のある目で舐めるように哲也を見つめながら藤北がベッドに横になる。
「待ってるわよ、哲也くぅん」
横たわり胸元を広げて誘う藤北から哲也が数歩後退る。
「そんな事をしなくても僕は誰にも話しません、でも藤北さんが話さなければ緑色の化け物は……光一くんはずっと出てきますよ、光一くんと話し合ってみてください、声を掛けて抱き締めてあげてください」
心配して声を掛ける哲也の前で藤北がバッと上半身を起した。
「あれは宇宙人よ! 光一なんかじゃないわ、もし誰かに話したら哲也くんでも許さないからね」
先程までとは打って変わって目を吊り上げた怒りの形相で睨み付ける藤北から逃げるように哲也は部屋を出て行った。
長い廊下を早足で歩く、途中で二度ほど振り返って藤北が追い掛けてきていないかを確認した。
「ダメだ……ダメだよ藤北さん」
階段を下りながら呟いた。我が子を殺しておいて今まで平然としていた藤北が恐ろしく思えた。
「眞部さんに相談するか……でも約束を破ることになるし……藤北さんが自分から話すように説得するしかないな、それでもダメなら眞部さんに相談しよう、藤北さん次第だ。警察に全て話すか、光一くんの幽霊と話し合うか、どちらかしないと大変なことになるぞ」
事の重大さに哲也はどうすることも出来ない、しばらく様子を見てから霊能力を持っている事務員の眞部代古に協力して貰おうと考えた。
翌日、昼過ぎに藤北の部屋に行って自分から全て話すように説得するが無駄だった。
息子の話を持ち出すと烈火の如く怒り出す。全て宇宙人の所為だと言って哲也の話しも聞こうとしない、怒ったと思えば抱き付いて哲也を誘惑する。元々哲也に好意を持っていたのだろう、だから秘密も話した。秘密を共有して縛ろうと考えたのかも知れない。
「ぼっ、僕は警備員の仕事がありますから」
「哲也くぅ~~ん」
抱き付いてくる藤北をどうにか引き離して逃げるように哲也は部屋を出て行った。
「ダメだ……やっぱ、僕じゃダメだ。眞部さんに相談しよう」
C病棟を出ると本館へと向かった。事務員の眞部に全て話すつもりだ。約束を破ることになるが仕方がない、このままでは緑色の化け物となった息子の光一くんに何をされるかわからない、藤北さんを助けるためだ。何より光一くんを成仏させてやりたいと思った。
「えーっと、眞部さんは…… 」
本館の建物には入らずに外から1階の窓を覗いて回る。事務員の眞部は1階にある総務室にいるはずだ。
「あっ、居た! 」
広い事務室の奥、並んである事務机とは別に置いてある机に眞部がいた。
「眞部さんって偉いさんだったのか」
驚きながら窓に近付いていく、大学生である哲也には会社の事は余りわからないが眞部は課長か係長くらいの役職に就いているらしき事は理解出来た。
「どうやって連絡しようかな、誰かに呼んできてもらおうか」
窓の近くに居る事務員に眞部を呼んでもらおうかと考えていると哲也は視線を感じた。
「ヤバ! 」
哲也が振り向いた先に香織がいた。書類か何かを持ってきたのだろう向かいにいる事務員が話し掛けているが当の香織は窓の外にいる哲也を睨み付けていた。
「あっ、あははははっ……ヤバいヤバいヤバいぃ~~ 」
引き攣った笑みで香織に手を振ると哲也は走って逃げ出した。
「ヤバいよ、ヤバいぞ……本気で怒ってる目だ香織さん」
全力で走って本館を離れて遊歩道のベンチに座り込む、
「香織さん、こえぇ~~、マジでタイミング悪かった。暫く大人しくしといた方がいいな……藤北さんには悪いけど今日は無理だ」
ベンチで息を整えながら辺りを見回す。香織が追い掛けてきていないのを確認して大人しく部屋へと戻っていった。
夜10時、見回りでC病棟へと入ると騒ぎが起きていた。
エレベーターを使わずに階段を駆け下りてきた看護師に哲也が声を掛ける。
「何があったんですか? 」
「504の藤北さんが暴れて…… 」
「藤北さん! 」
最後まで話しを聞かずに哲也は走って行った。
午後9時の消灯時間は過ぎているがまだ起きている患者も多く、何事かと廊下に出てきている患者たちを押し退けて藤北の部屋へと急ぐ、
「どいてください、皆さんは部屋に戻って……消灯時間過ぎてますからね」
哲也が部屋へと入ると藤北は看護師の佐藤たちに取り押さえられていた。
「いやぁ~~、いやぁあぁ~、宇宙人が……緑の宇宙人が…………連れて行こうとする…………殺される。いやあぁあぁぁ~~ 」
佐藤ともう1人の男性看護師に挟まれるように押さえ込まれた藤北が悲鳴を上げて暴れている。錯乱状態だ。
「藤北さん! 」
声を掛けながら近付いていく、普段なら苦手で近寄らない佐藤も目に入らなかった。
「何があったんです? 藤北さん」
藤北の正面に立つ哲也を佐藤が睨み付ける。
「邪魔だ。あっちへ行ってろ」
「嫌です! 少しだけ話しをさせてください」
普段なら逃げていく哲也が佐藤を睨み返した。
「 ……わかった。ストレッチャーが来るまでだ」
睨み付けながら佐藤が頷いた。普段とは違う哲也に何か感じたのかも知れない。
「藤北さん、僕です哲也です。何があったんですか? 」
三度ほど声を掛けると藤北が哲也に気付いた。
「てっ、哲也くん…… 」
両脇を佐藤ともう1人の看護師に押さえ付けられながら藤北は首を伸ばすようにして哲也に近付く、
「哲也くん! 宇宙人が! 緑色の宇宙人が私を殺そうとしたのよ」
「殺す? あの子が? 」
顔を顰める哲也の前で藤北が上を向いて胸を見せた。
「手や足だけでなく胸にガラスを刺そうとしたのよ、私を殺す気なのよ」
寝間着の胸の辺りに赤い染みが幾つも出来ていた。緑色の毛むくじゃらの化け物がガラス片を刺したらしい。
「これは…… 」
藤北の頬に片手を当てながら哲也が神妙な面持ちで話し掛ける。
「藤北さん、全部話しましょう、本当のことを話さないと何度も同じ事が続きますよ、光一くんを成仏させてあげましょうよ、今なら間に合いますから…… 」
「なっ……嫌よ! 全部宇宙人が悪いのよ、私は悪くない……そうでしょ哲也くん」
「警察に話すのが嫌なら光一くんを抱き締めてあげてください、抱き締めて謝って話し合ってみてください」
「いや、嫌よ、あれは光一なんかじゃない、宇宙人よ、緑色の毛むくじゃらの宇宙人よ、私を殺そうとしてる宇宙人よ、助けて哲也くん」
縋り付くような眼差しで見つめる藤北の前で哲也が首を振る。
「藤北さんが話さないなら僕が話しますよ」
藤北の顔色がサッと変わった。
「なっ、何言ってんの? 約束を破るの? 裏切るつもり? 哲也くんを信じて話したのよ」
目を見開いて非難する藤北の向かいで哲也が泣きながら話を始める。
「嫌われたって構いません、藤北さんに何をされても……刺されても文句言いませんよ、それで藤北さんが救われるなら、光一くんが成仏出来るなら、僕は卑怯者と言われても嫌われても構いません」
「哲也くん…… 」
目の前で涙を流す哲也を見て藤北の顔から怒りが消えていく、
「全部話しましょう、そうすれば光一くんも許してくれますよ」
「光一が……そうね、哲也くんの言う通りね、わかったわ」
哲也の言葉に観念したのか藤北は黙って頷いた。
早朝、藤北は数人の警察官に連れられて病院を出て行った。
そのまま藤北は帰って来なかった。殺人犯として逮捕されたのだ。供述通りに沼から息子である光一くんの遺体が見つかった。
藤北は精神鑑定が行われたが入院させるほどでもないと診断されて刑務所に入れられた。宇宙人だと騒いだのは殺人を隠すための芝居だと判断されたのだ。
後日、警察から話しを聞いたとして香織が詳しい経緯を教えてくれた。
藤北の話しは初めから嘘だった。夫が浮気して離婚したと言っていたが本当は逆で藤北が浮気したのだ。SNSで知り合った男と浮気して次第にのめり込んで夫にバレて離婚したのだ。
実家に戻った藤北は周囲の人々には夫が浮気したと嘘をついていた。話しを聞いた人たちは5歳の子供も居るのにと藤北に同情する。それが気持ち良かった。
ある日、息子が風邪を引いた。大した事はなかったが隣近所の人たちが心配して優しくしてくれた。それがとても気持ち良かった。
暫くして公園で遊んでいた息子が滑り台から落ちて足を二針縫う怪我をする。その時も近所の人たちはとても心配してくれて優しかった。周りから大変だと、かわいそうだと気を使って貰って藤北は快感に全身が震えた。
離婚で精神が不安定になっていたこともあって周囲の人たちが心配してくれることに心の安らぎを求めたのだろう、そしてもっと関心を集めたくてミュンヒハウゼン症候群になってしまった。
もっと気持ち良くなりたい、もっと心配して貰いたい、心配して貰うには息子の光一が怪我をすればいい、そう考えた藤北は光一の足の裏に針を刺した。
光一が歩いていて針を踏んで怪我をしたと騒ぐと隣の奥さんが車で病院へと連れて行ってくれた。治療を終えて帰ってくると大変だったねぇと近所の人たちが優しくしてくれる。ちやほやと構って貰えて藤北は快感に震えた。
それから、藤北はガラス片で光一を傷付けたり、階段から落としたりと怪我をさせては騒いで近所の人に助けて貰った。優しく気を使って貰って藤北は気持ちが良かった。
だがそれも少しの間だ。続けて怪我をするので近所の人も不審の眼を向けるようになっていた。藤北は光一が怪我をしたと相変わらす騒ぐが近所の人たちは構わなくなっていた。
疑われているのに気付いていない藤北は小さな怪我だから構って貰えないのだと考えた。もっと大きな怪我なら構って貰えると考えたのだ。
その結果、藤北は光一を風呂に沈めて殺してしまった。もちろん殺すつもりなど無い、騒ぎを起して入院でもさせて周囲の人たちに構ってもらおうと考えただけだ。
殺人で逮捕されるのを恐れた藤北は光一の死体を沼に沈めた。
5歳児童の行方不明として大騒ぎになる。近所の人だけでなくテレビの取材まで来てみんなが心配してくれる。藤北は構って貰えて気持ちが良かった。
大掛かりな捜索は3週間続いたが光一は見つからず、捜索規模も縮小されて2ヶ月後には警察官数人だけとなる。事実上の捜索打ち切りだ。
構って貰えなくなった藤北は悶々と過ごしていたがある夜、夢を見た。緑色の毛むくじゃらの怪物に追い掛けられる夢だ。自分の悲鳴で目を覚ました藤北は窓の外に光る玉を見る。藤北はUFOだと思った。
翌日から藤北は光一が宇宙人に攫われたと騒ぎ出す。近所の人は息子を失ったショックで心を病んだのだと優しくしてくれた。それが藤北には心地好かった。挙げ句の果てに自分もUFOに捕まって宇宙人に色々な実験をされ、その際に体に何かを埋め込まれたと騒ぎ出す。
インプラントされたと言って手足から針やガラス片などを取り出す藤北を見て父親が磯山病院へと入院させたのだ。
事の顛末を聞いて哲也は泣いた。
「哲也くんが気に病むことはないわ、藤北さんが自ら起した事よ、いずれバレていた事よ、バレなくても自滅していたわ、哲也くんが話したから藤北さんは救われたのよ、光一くんも救われたわ」
優しい声を掛ける香織の前で哲也がぐいっと涙を拭う、
「救われた? 救いって何ですか? 光一くんは成仏出来たんですか? 母親が殺人犯で捕まって……殺されたって母は母ですよ、自分の母親が逮捕されて光一くんは喜んだりしてるんでしょうか? 藤北さんだって本当に反省してるんでしょうか……僕にはわかりません、どうすれば良かったのか………… 」
「哲也くん…… 」
悲しそうに見つめる香織に哲也が背を向ける。
「どうすれば良かったのか……僕にはわかりません、でも謝って欲しかった。緑色の化け物のようになった光一くんと話し合って欲しかった。自分の子供だと気付いて抱き締めてあげて欲しかった。それで光一くんは全てを許したと思うんです」
涙を流しながら部屋へと戻っていく哲也に香織は掛ける言葉が見つからなかった。
注目を集め同情を引くために我が子を傷付け、挙げ句の果てに死なせてしまい遺体の処理に困って沼に沈めた。幼子が行方不明と騒動になり同情が集まり藤北は悲劇の母を演じた。
だが世間の関心は直ぐに薄れていく、捨てた子が見つからないのを良いことに藤北は宇宙人に攫われたと吹聴してまた注目を集める。産んでくれた母とはいえこれには死んだ子も浮かばれない、化けて出ても当然だ。母が自分にしたように息子の幽霊はガラス片や針を刺したのだろう、ガムテープでグルグル巻にされて沼に捨てられ藻が絡み付いて緑色の化け物のような姿となって自分を殺した母の前に現われたのだ。
男の子の幽霊がママと呼ぶ声は藤北にも聞こえていたはずだ。だが自分が殺したという罪悪感や恐怖に聞こえない振りをしていたのかも知れない、或いはミュンヒハウゼン症候群によって注目を集めたくて宇宙人だと偽っている内に我が子の叫びも聞こえなくなったのかも知れない。
疲れた様子で哲也がゴロッとベッドに横たわる。
「宇宙人……地球以外の知的生命体か………… 」
ママ、ママと叫んでいた幼子の声が耳について離れない、化けては出たが光一は母を恨んではいなかったのではないか? ただ自分に気付いて欲しい、子供として扱って欲しい、そう思っていたのではないのか? それでも気付いて貰えなくて仕方なく藤北の胸を刺したのだとしたら、手足では気付いて貰えないと考えて胸を刺したのだとしたら、
「どこが知的なんだ……人間って奴は………… 」
悔やむような絞り出す声で呟くと哲也は頭から布団を被った。他には誰も居ない部屋だが誰にも泣き顔を見られたくはなかった。本物の宇宙人ならどんなに良かったことかと哲也は思った。
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