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第二十九話 恋心

 恋を辞書で調べると概ね次のような事が書いてある。

 特定の異性に深い愛情を抱き、その存在が身近に感じられる時は他の全てを犠牲にしても惜しくないほどの満足感に心が高揚する一方で破局を恐れて不安や焦燥に駆られる心的状況である。


 つまり恋心とは好きな相手が出来てその相手に気に入られるためならどんな事でもしようと思うが逆に嫌われたらと考えて思い切ったことが出来ずに苦悩している状態のことだ。

 告白して相手が受け入れてくれれば一方的な恋心から互いに思い合う恋愛へと進むことになる。


 恋の対象は現実の人だけではない、漫画やアニメなど実在しない物語の登場人物にも恋心は生まれる。叶わぬと分かっていてもアイドルや芸人に恋することもあるだろう、相手に告白さえ出来ない、出来たとしても全くと言ってよいほど可能性の無い一方的な恋心だが素晴らしいと思う、この様な気持ちは高度な精神を持っている証だ。


 動物には人間のような恋は無い、殆どが繁殖のためであり繁殖行為が終ったら雄は何もしないでさっさと消えて子育ては雌だけでするものが多いのだ。人間のようにあれこれ悩んだりせずに繁殖期が来れば選り優れた子孫を残すために雄同士が争ったり優れていると思われる雄を雌が選ぶだけである。

 群れを作っている動物は多少なりとも恋心などはあるかも知れないが人と比べるほどには達してはいない、突き詰めれば人間もより良い子孫を残すために相手を選ぶのであって最終的には他の動物と同じようなものではあるのだがその過程の心理状態が複雑なのだ。


 哲也も人でないものに恋をした男を知っている。その人は自分の気持ちを伝えようと頑張った。そして気持ちをぶつけることが出来た。だが相手が悪かった。しかし彼の恋する気持ちは嘘ではなかった。



「哲也くんちょっと…… 」


 昼食後、レクリエーション室で他の患者たちと一緒に大画面でテレビを見ていた哲也が香織に呼ばれた。


「なんすか? 」


 また用事でも頼まれるのかと哲也が香織の元へと歩いて行く、


「ついさっき新しい人が入ってきたんだけど話し相手になって欲しいのよ」

「新しい患者さんの話し相手っすか? 僕が? 」


 哲也が自身を指差して聞き返した。


「柳田さんって言って22歳だから哲也くんと話しが合うと思うのよ」

「話し相手っすか……別にいいけど………… 」


 少し困ったような表情の香織を哲也が正面から見つめた。


「どんな患者さんなんですか? 」

「うん、パニック障害で怖がって部屋から出てこないのよ、お昼も食堂へ行くのが嫌だって……仕方ないから部屋まで運んで食べさせたのよ」


 顔色を窺うように香織がこたえた。


「それで僕が話し相手っすか? 」

「お願い哲也くん、この病院は安全だって柳田さんに教えてあげて欲しいのよ」


 眉を顰める哲也の前で香織が手を合わせて拝むようにして頼んだ。


「パニック障害か……わかりました。僕でよければ手伝いますよ」


 厄介事を押し付けられたような気もしたが香織が弱り顔で頼むのを断れる哲也ではない。

 パッと顔を明るくした香織が嬉しそうに口を開いた。


「助かるわぁ、1人で考え込んで錯乱状態にでもなったら危ないからどうしようか困ってたのよ、私たちが付きっ切りで面倒見られたらいいんだけど、そういう訳にはいかないからね、哲也くんが引き受けてくれて本当に助かるわよ」

「まぁ香織さんには色々世話になってるから別にいいっすけど……柳田さんでしたっけ? 詳しい話しを聞かせてください」


 柳田の部屋に行く道すがら香織が詳しい病状を説明してくれた。


 柳田久志やなぎだひさし22歳、少女の幽霊に襲われると騒ぎ正気を失って暴れているところを同じマンションに住む住人たちに取り押さえられた。

 警察に保護されて迎えに来た両親と一緒に実家へと帰るがそこでも少女の幽霊が殺しに来ると騒ぐので心配した親が医者に診せると妄想型の統合失調症で幽霊が出るとの恐怖からパニック障害も併発したらしいと診断され磯山病院を紹介されて入院して来たのだ。


「幽霊っすか」


 話しを聞いた哲也がニカッと笑うのを見て香織が溜息交じりに注意する。


「妄想だからね、幽霊なんていませんから」

「わかってますよ、それでどんな幽霊が出るって言ってるんですか? 」


 ニコニコ笑顔で催促する哲也を香織が呆れ顔で睨み付ける。


「教えてあげるから柳田さんに変なことを訊くのはダメだからね」

「香織さんが詳しく教えてくれるなら柳田さんに聞く必要はないっすよ」


 期待顔で見つめる哲也の隣で香織が困り顔で話し出す。


「頭が割れた血塗れの女の子が一緒に死のうって首を絞めてくるらしいのよ、初めて一人暮らしをしたマンションで襲われて怖くなって引っ越したんだけどそこにも現われて実家に帰ったんだけど…… 」

「実家でも襲われたんですね」


 話に割り込んできた哲也に頷くと香織が続ける。


「そうなの、幽霊が付き纏うって怯えて錯乱して大変なのよ、今は落ち着いているけど部屋に引き籠もって1人で考え込んでいるみたいだから……変な妄想してまた錯乱状態にでもなったら危ないから哲也くんに頼もうって思ったのよ」

「そういう事ですか…… 」


 血塗れの少女の幽霊が付き纏うと怯え部屋から外へ出ない柳田の話し相手に哲也を選んだのだ。歳の近い哲也と話をしていれば気が紛れて幽霊が出るなどの妄想をしないだろうと考えた。香織や他の看護師が付きっ切りで面倒を見られないので哲也に任せることにしたのだ。


 考え込む哲也の顔を香織が覗き込む、


「幽霊のこと訊こうと思ってるでしょ? 」

「思ってませんよ、話し相手になるだけっす」


 とぼけ顔で返事をする哲也を見て溜息をつくと香織が続ける。


「まぁ哲也くんなら大丈夫でしょ、頼んだわよ」

「了解っす」


 調子よく返事をする哲也を連れて香織が歩いて行く、どの病棟へ向かうのかと思っていると外へ出る様子は無い、同じA棟に部屋があるようだ。


「柳田さん、入りますよぉ」

「507号室っと」


 ドアを開けて入っていく香織の後ろから部屋番号を確認した哲也が続いた。


「看護師さんか……その人は誰です? 」


 寝ていたらしくベッドの上で上半身を起した男が哲也を指差した。痩せた男だ。窶れたように血色の良くない青白い顔、寝不足なのか目の下に隈ができている。


「僕は中田哲也、警備員をしています。19歳で柳田さんより年下です。哲也って呼んでください」

「警備員さんか…… 」


 笑顔を作って挨拶する哲也を見て呟くと柳田はゴロッとベッドに横になった。


「え~っと………… 」


 柳田の態度に戸惑った哲也が香織を見つめる。


「じゃあ、私は仕事があるから」


 ニッコリと笑顔を見せると香織は逃げるように部屋を出て行った。

 丸投げっすか? 哲也は呆気に取られて声すら出てこない。


「あのぅ……柳田さんって大学院生なんですよね、凄いっすよね」


 柳田は誰でも知っている有名大学の院生だ。褒めて話しの口実を作ろうとしたがベッドに寝転がったまま背を向けて振り向こうともしない。


「 ……柳田さんは趣味ありますか? 僕は漫画読んだりゲームしたり映画見たりするのが好きっす。最近の映画は見てないけど……柳田さんは何か映画見ましたか? 」


 色々話し掛けるが眠っているのか柳田は返事どころか振り返りもしない。

 哲也は最後の手段とばかりに幽霊の事を口に出した。


「お邪魔みたいっすね……柳田さんが幽霊で困ってるって聞いたから何か力になれたらいいなって来たんですけど」


 これでダメなら撤収しようと思った時、柳田の肩がピクッと揺れた。哲也が透かさず続ける。


「僕も幽霊を見たことがあるんですよ」


 寝返りを打つように柳田が振り返った。


「本当か? 本当に幽霊を見たことがあるんだな? 」


 怪訝な顔の柳田を見つめて哲也が頷いた。


「マジっす。何度か見たことがあります」

「話してみろ、嘘だったら二度と口は利かんからな」

「わかりました。それじゃあ……初めはこの病院に伝わる岩田さんって男の幽霊の話しです」


 ベッド脇に円椅子を持ってきて座ると哲也は今まで体験した怪異を幾つか話して聞かせた。

 三つ目の話しに入る。興味深そうに聞いていた柳田が哲也を指差して悲鳴を上げた。


「あぉっ、うわぁあぁ~~ 」


 バッと布団を被った柳田を見て哲也が慌てて振り返る。

 幽霊でも出たのかと辺りを見回すが何も居ない。


「どうしたんです? 何も居ませんよ柳田さん」

「居る! お前の後ろに女が立ってニタリと笑ってた」


 哲也が声を掛けると柳田は布団に潜ったまま怯えた声を出した。

 もう一度部屋を見回すが何も居ない、幽霊の気配も感じない。


「何も居ませんよ、幽霊が居るなら気配でわかりますから、今は居ませんよ、安心して出てきてください」


 哲也が優しい声を掛けると柳田が怒り出す。


「煩い! お前に何がわかる!! 彼奴は居るんだ。俺を狙ってるんだ……俺を……俺があんな事をしたから………… 」

「もう消えましたから出てきて大丈夫ですよ」


 あんな事って何をしたんだろう? 話しを聞きたいが柳田は布団に潜り込んだまま出てくる気配は無い。


「煩い! お前が出て行け!! お前が幽霊の話しなんかするから出てきたんだ。さっさと出て行け! 」


 布団の中から顔も見せずに怒鳴る柳田を見て哲也が立ち上がる。


「わかりました。今日はこれで帰ります。また明日来ますよ、次はお菓子か何か持ってきますね」


 無理強いしても無駄だと思った哲也は諦めて部屋を出た。


「自分から話せって言った癖に………… 」


 愚痴りながら廊下を歩いて行く、


「それにしても相当捻くれた性格だな」


 香織が頼んできた訳がわかったような気がした。


「幽霊の話し聞きたいけどなぁ」


 哲也はどうすれば話しを聞き出せるのか考えながら自分の部屋に帰っていった。



 その日の深夜、見回りをしていた哲也が気配を感じて振り返る。


「なっ!? 」


 長い廊下の先に女の子が居た。


「だれ………… 」


 誰なのか確認しようとした哲也が言葉を詰まらせる。患者ではない、セーラー服を着た中学生くらいの少女だ。

 息を呑んで動けない哲也が見つめる先で少女はスーッと滑るようにドアを抜けて病室へと入っていった。

 あの部屋は……、哲也が慌てて駆け寄った。


「507……柳田さんか」


 少女が入ったのは柳田の部屋だ。少女の幽霊に付き纏われているという話しを思い出して哲也がドアの傍で中の様子を伺う、


「うわぁあぁ~~ 」


 悲鳴を聞いて哲也がバッとドアを開けた。


「柳田さん! 」


 声を掛けながら部屋に飛び込んだ哲也がその場で固まる。セーラー服姿の少女がベッドの脇から柳田の首を絞めていた。


『愛してくれるって言ったじゃない…… 』


 恨めしげに呟く少女の頭が割れていた。肩の上まで伸びた髪が血でべったりと頬や首筋に貼り付いている。


「ぐぅぅ………… 」


 苦しげな柳田の呻き声に哲也が正気を取り戻す。


「やっ、柳田さん! 」


 哲也は柳田に声を掛けると直ぐに少女を睨み付けた。


「お前! 何をやってるんだ。柳田さんを離せ!! 」


 少女がゆっくりと振り返る。


「ひぅっ!! 」


 哲也の喉から短い悲鳴が飛び出した。


「あぁあぁぁ………… 」


 哲也が思わず後退あとずさる。

 少女は頭の左半分が砕けていた。貼り付いた髪の毛や赤黒い血の間から灰白色の脳らしきものが見えている。それだけなら怪異に慣れた哲也は後退るほど驚かないだろう、正面を向いた少女の左目が無かった。いや、目玉はある。ただ目玉の収まっている眼窩からずるりと落ちて頬の辺りに貼り付いていた。その目玉がじろりと哲也を睨んだのだ。


「ふあぁぁ…… 」

「がっ、がはっ、がはぁ………… 」


 逃げ出そうとした哲也の耳に苦しげに咳き込む柳田の声が聞こえた。


「柳田さん……くそっ! 」


 震える足を踏ん張って哲也が怒鳴りつけた。


「柳田さんから離れろ! ぶん殴るぞ!! 」


 少女の幽霊が柳田の首から手を離した。


『愛してるって言ったのよ…… 』


 哲也に言ったのか、柳田に言ったのか、少女は悲しげに呟くとスーッと消えていった。


「かっ、がはっ……ぐがっ、ぐぅぅ………… 」


 嘔吐えずくように咳き込む柳田に哲也が駆け寄る。


「柳田さん、大丈夫ですか」


 抱えるようにして上半身を起すと柳田の背を摩ってやる。


「ががっ……はぁはぁ……あっ、ありがとう……大丈夫だ。ありがとう」


 柳田が息を整えるようにして礼を言った。


「あれが柳田さんに纏わり付いている幽霊なんですね」


 落ち着いたのを見計らって哲也が訊くと柳田が頷いた。


「ああ……警備員さんにも見えたんだな、俺の他に見えたのは警備員さんが初めてだ」

「見えましたよ、昼間言ったでしょ、僕は幽霊を見たことがあるって」


 ベッドの上で上半身を起した柳田が身体を捻るようにして哲也の方を向くと頭を下げた。


「ああ……昼間は済まなかった。謝るよ、許してくれ」


 哲也が照れるように口を開く、


「わかって貰えればいいですよ」

「ありがとう警備員さん、あの女は……あの幽霊は………… 」


 申し訳なさそうな顔で話し出す柳田の背を哲也がポンポン叩く、


「明日にしましょう、見回りの途中なんですよ」


 柳田がうんうん頷いて続ける。


「そうだったのか……わかった明日また俺の部屋に来てくれ、警備員さんになら全部話すよ……哲也くんだったな、哲也くんなら俺の話を信じてくれるだろう」

「信じるも何も僕も見ましたからね、じゃあ、明日の夕方にでも部屋に行きますよ」


 ニッと笑う哲也を見て柳田も窶れた顔に笑みを作る。


「わかった。待ってるよ、助けてくれてありがとう」

「警備員の仕事ですから、何かあればナースコールを押してください、お休みなさい」


 横になった柳田を見て哲也は部屋を出て行った。



 深夜3時の見回りを再開する。

 長い廊下を歩いて階段の前で立ち止まると哲也が振り返った。


「愛してるって………… 」


 消える直前に呟いた少女の声がとても悲しそうだったと思い出しながら哲也は柳田の部屋を見つめた。


「あの女の子、部屋に入るまでは普通に見えたのに……何やったんだ柳田さん」


 何とも言えない悩むような顔をして哲也は階段を降りていった。



 翌日、夕方の4時頃だ。哲也は約束通り柳田の部屋を訪ねる。


「柳田さん、哲也です」


 A棟の507号室、哲也がドアをノックすると柳田が顔を見せた。


「哲也くん待ってたよ、入ってくれ」


 昨日の昼間とは全く違う笑顔で歓迎してくれた。


「これ、お菓子と缶コーヒー買ってきました」


 哲也が売店で買った菓子と缶コーヒーを差し出す。


「ありがとう、話をしながら食べよう、さぁ座ってくれ」


 柳田に促されて哲也がテーブルを囲む円椅子に座った。


「少し長くなるけど警備員の仕事はいいのか? 」


 柳田は受け取った袋に入った缶コーヒーを自分と哲也の前に置くと菓子をテーブルの上に広げた。


「構いません、見回りは夕方と夜だけですから……警備員って言っても僕はバイトで基本的に夜間の仕事ですから」


 こたえながら哲也が缶コーヒーを開ける。向かいで柳田も同じように開けていた。


「そうか、じゃあゆっくりと話ができるな」


 コーヒーを一口飲むと柳田が話を始めた。

 これは柳田久志やなぎだひさしさんが教えてくれた話しだ。



 ある有名大学の院生へと進んだ柳田は大学の近くに新しく出来たマンションへと引っ越した。

 柳田はそれなりに裕福な家庭で育った所謂いわゆるお坊ちゃんだ。大学生になって一人暮らしをしたかったのだが母親が許してくれなかったので我慢していた。だが院生へと進む際に勉学に集中したいと大学の近くに住むことを父親に認めさせ母の反対を押し切って一人暮らしを始めたのだ。


 去年出来たばかりの新築のマンションだ。その10階建てマンションの5階に柳田の部屋がある。本当はもっと上の階に住みたかったのだが季節外れの引っ越しで空いている部屋がなかった。ゆったりした間取りの2LDKの部屋だ。友人たちと遊べるように大学生らしからぬ大きな部屋を選んだのだ。

 家賃も食費も生活費は全て親から貰っていたがアルバイトもしていた。それなりに名の知れた大学だったので家庭教師のバイトを週に2回だ。



 柳田の一人暮らしが始まった。気の合う仲間を部屋に招いて毎晩のように酒を酌み交わした。勉強に集中したいと言っていたが只の口実である。親の目が届かないところで自由に遊びたかったのだ。遊びに勉学にバイトに、充実した毎日を送っていた。


 ある日、夕食を兼ねて友人たちと居酒屋で飲んで夜の9時半過ぎに家に帰った。


「ふぃ~~、面白かった」


 柳田は部屋へ入ると直ぐに上着を脱いでハンガーに掛けると壁のフックに吊した。


「眠たいけど汗をかいたからな」


 サッとシャワーを浴びるとそのままベッドに寝転がった。酔っていたので直ぐに眠気が襲ってくる。


「うぅ…… 」


 どれ程眠っただろう、気配のようなものを感じて柳田が目を覚ます。


「うぅぅん…… 」


 尿意を感じて寝返りを打つ、薄く開けた目に何かが見えた。


「おしっこ………… 」


 目を擦りながら上半身を起す。そのまま固まったように動きを止めた。


「ふぁぁ! 」


 驚きに鼻から音が漏れた。薄暗い部屋の中、ドア横の壁の前に女が立っていた。


「だっ、誰だ!! 」


 震える声で呼びかけるが女は微動だにしない、


「なっ、なんで俺の部屋に居るんだ? おい、聞いてんのか! 」


 柳田が語気を強めた。怖かったがよく見ると女はセーラー服を着ている。中学生くらいの少女だ。喧嘩に自信の無い柳田でもどうにかなる相手だ。


「お前1人か? 他に誰か居るのか? 泥棒だったら警察呼ぶぞ」


 柳田が枕元に置いていたスマホに手を伸ばした。同時に少女がスーッと動いた。


「ふわぁっ! 」


 ビビって身構える柳田の見つめる先で少女が止まった。柳田のベッドの手前だ。


「あっ…… 」


 柳田の手からスマホがするっと滑り落ちた。

 可愛いぃ……、近くで見た少女に一瞬で心を奪われた。肩の上くらいまでのストレートの黒髪、顔にはまだあどけなさが残っているが目鼻は整っていて美人だ。その大きな瞳には物悲しげな光が見える。


「あの、君は…… 」


 名前を聞こうとした柳田の目の前で少女が倒れた。


「あぁぁ………… 」


 倒れた少女が床に埋まるようにして消えていく、


「えぇぇ……うわっ、うわぁあぁあぁ~~ 」


 一瞬呆然となった後で幽霊だと気が付いて叫びを上げる。


「うわぁぁあぁぁぁ~~ 」


 叫びながら柳田が目を覚ます。上半身を起していたはずが枕に頭を付けていた。


「なっ、何が……夢か……夢だったのか」


 横になったまま見回すが何も居ない、普段と変わらない部屋だ。


「夢かよ、ビビらせやがって…… 」


 尿意を感じて柳田が起き上がる。


「夢か……でもあの娘は可愛かったな」


 夢で会った少女を思い出して柳田の顔が緩んでいく、


「あれくらい可愛かったら幽霊でもいいよな」


 冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してペットボトルに口を付けて飲むと部屋に戻って直ぐにベッドに潜り込む、


「マジで可愛かったよなぁ…… 」


 横になりながら少女の物悲しげな顔を思い出す。たとえ幽霊でも怖くないと思った。夢の中で少女に会えるかも知れないと期待しながら眠りについた。



 翌日、家庭教師のバイトを終えて午後の9時過ぎに帰った柳田は飲みに行こうとSNSで連絡してきた友人の誘いを断ってベッドに寝っ転がった。


「ふぅ……このくらいの時間だったよな? 10時は回ってなかったと思うんだけどな」


 スマホで時間を確認すると目を閉じた。


「可愛かったよなぁ……夢か現実か、どっちでもいいから名前くらいは知りたいよな」


 昨晩見た少女に会いたくて早めに寝ることにしたのだ。柳田は夢の中の少女に恋心を抱いていた。


「うぅ……トイレ」


 どれ程眠っただろうか、尿意を感じて目を覚ます。


「まだ1時かよ」


 トイレを済ませて時間を確認すると午前の1時を少し回っていた。


「やっぱ夢かぁ~~、はぁぁ……飲むか」


 少女に会えなくてモヤモヤする気持ちを誤魔化すように缶ビールを3本も空けて酔っ払って眠った。



 5日ほど経ち少女のことなど忘れていた夜、遊び疲れて早めにベッドに潜り込んだ柳田が気配を感じて目を覚ます。


「うぅぅ…… 」


 寝返りを打った柳田の目に誰かが見えた。

 あの娘だ! 柳田の寝惚け眼がカッと見開く、ドア横の壁の前にセーラー服を着た少女が立っている。


「また会えたね」


 柳田がベッドの上で上半身を起す。怖いという気持ちよりも可愛い少女にまた会えた嬉しさが勝った。


「俺は柳田久志、君の名前は? 」


 柳田の問い掛けに少女は返事どころか目も合わさない、悲しそうな瞳は伏せるように少し下を見つめたままだ。


「君は何なの? 幽霊? 妖怪? それとも宇宙人? 」


 無視しているのか、じっと動かない少女に近付こうと柳田が腰を浮かせた。立ち上がろうとした時、少女がスーッと動いた。


「俺は柳田久志、君は何ていう名前なの? 」


 近付いてくる少女に訊いた。

 近くで見るとやはり可愛らしい、肩の上までのストレートの黒髪、目鼻の整った美人だがあどけなさが残る幼顔、それが逆に清楚に感じられる。そして柳田が一番惹かれたのが大きな瞳だ。潤んだ瞳に物悲しげな光がみえた。


「ねぇ、名前だけでも…… 」


 ベッドの手前で立ち止まった少女に声を掛けるが見向きもしない、まるで柳田など見えていないようである。


「ねぇ…… 」


 柳田が立ち上がろうとした時、少女が飛ぶように倒れ込んだ。


「あっ、ああぁぁ………… 」


 倒れた少女がフローリングの床に埋まるようにして消えていった。


「何で? 」


 ベッドの脇で柳田が立ち尽くす。


「夢じゃないよな」


 呟きながら少女の消えた床を叩いたり摩って確認するが何の変化も無い普通の床だ。


「夢じゃないよな」


 同じ事を呟きながら太股を抓る。


「痛ててて……、夢じゃない」


 夢ではないと確認しながら時間を確かめる。


「10時15分か……この前も同じくらいだったな」


 初めて少女を見た夜のことを思い出す。


「夢じゃなければ幽霊か…… 」


 床をじっと見つめながら呟いた。初めて会った時は幽霊だと思って怖くて一時的に気を失って夢と勘違いしたのかも知れないと考えた。


「幽霊でもいいから名前が知りたいな……可愛かったんだ」


 柳田がブルッと震えた。幽霊かも知れないという事実に恐怖したからだけではない、少女が夢でなく実在するという喜びと恐怖が混じった複雑な震えだ。


「夜の10時過ぎに出てくる幽霊か…… 」


 柳田はベッドにゴロンと転がった。


「新築のマンションだぞ、何で幽霊が出てくるんだ? どこかで俺に憑いてきたのか? だったら俺を無視するなんておかしいだろ……事故物件じゃないと思うけど一応訊いてみるか」


 色々考えているうちに眠りに落ちていた。



 翌日、マンションの管理会社に電話を掛けて事故物件ではないかと訊くが有り得ないとの回答だ。当然である。去年建ったばかりの新築マンションだ。

 ただ一つ気になることがある。管理会社の話しでは柳田の前に借りていた会社員が半年ほどで理由も告げずに引っ越ししたらしい。


「会社員もあの娘を見たんじゃ……幽霊が怖くて引っ越したんじゃないのか? 」


 前の住人が引っ越した理由を考えていると怖い妄想が浮んできた。


「その会社員がこの部屋であの娘を殺したんじゃないだろうな、それで化けて出てきてるんじゃ……あの倒れた床で殺されたんじゃないだろうな」


 柳田が頭を振って妄想を振り払う、


「まさかな……中学生くらいの女の子が行方不明になったなんて聞いてないし、防犯カメラも付いてるんだぞ」


 それなりの高い賃料のマンションだ。防犯対策はしっかりしており監視カメラもマンションの出入り口はもちろんエレベーターや階段に設置してある。少女を連れ込んだりしても何処かのカメラに映っているはずだ。


「だいたいここで殺されたとして何で床下に消えていくんだ? 」


 少女の幽霊が消えた床をじっと見つめる。


「俺の部屋じゃなくて下の部屋で何かあったんじゃ……それで何か訴えたくて俺の前に出てきたんじゃ…………いや、だとすると俺を無視するのはおかしいだろ、何か訴えたいのなら目くらい合わせるはずだぞ」


 自分を無視するかのような少女を思い出して考えを否定するが少女の消えた下の階が気になった。


「訊いてみるか……どうやって訊くかだが、よしっ! 」


 良い考えが浮んだのか柳田は近くのスーパーへ行って缶ビールの六缶パックを買ってくると真下の部屋へと向かった。



 真下の部屋の呼び鈴を鳴らすと新婚風の若い女が出てきた。


「済みません上の階の柳田といいます。半月ほど前に引っ越してきたんですが夜煩くなかったですか? 友人と宴会して騒いでいたから迷惑かと思って……済みません」


 頭を下げながら缶ビールの入った袋を差し出す。


「これ良かったらどうぞ、煩かったら何時でも言ってください」

「ああ、そうですか、別に気にならなかったですよ」


 若い女が笑いながら袋を受け取った。


「それであの……変な事を訊きますが怒らないでくださいね」

「はい? 」


 首を傾げる若い女に柳田が床下に少女の幽霊が消えていったと話して其方では何か変わったことがないかと訊くと若い女は変な事を言うなとけんもほろろに怒り出した。


「変な事言わないでください! これ返します。もう来ないでください」


 柳田に缶ビールの入った袋を押し付けるように返すと若い女は怒りながらドアを閉めて引っ込んだ。


「済みませんでした」


 ドアに向かって頭を下げると柳田は自分の部屋へと戻っていった。



 部屋に戻って缶ビールを冷蔵庫に入れる。


「そりゃ怒るわな、俺だって怒るわ」


 なんであんな事をしたのだろうと思いながらソファに座る。


「やっぱりあの娘に訊くしかないな、10時過ぎに出てくるんだ。暫く遊びは無しだ」


 その日から夜出歩くのを止めて少女の幽霊を毎晩待つ事にした。怖さもあったが少女に会いたい思いの方が強かった。



 1週間ほどが経って少女が現われた。


「名前を教えてくれないか? 俺に出来る事があれば何でもするからさ」


 少女の幽霊に話し掛けるが相変わらず視線さえ合わさないで床下へと消えていく、


「夜の10時7分だ。天気は曇りで今日は火曜日か…… 」


 柳田は少女の出てくる条件を知りたいと冷静に分析した。


 また1週間経って少女が現われた。それでわかった。毎週火曜日の夜10時7分に少女の幽霊が現われる。

 次の火曜日は部屋の明かりを点けておいた。少女は現われなかった。出てきているのかも知れないが見る事は出来なかったのだ。火曜日の代わりに次の水曜日に現われるかと待ったが出てこない。


「毎週火曜日の10時7分に出てきて13分頃に床に消えていく、天気は関係ない、明かりを点けていると出てこない、もしくは見えない」


 少女の幽霊が出てくる条件はわかった。何故出てくるのかが気になった。


「あの娘に訊くしかないな」


 どうやって少女と話せばいいのか必死に考える。もう幽霊でも妖怪でも構わない、柳田は少女に夢中になっていた。



 次の火曜日、柳田はベッドに転がると寝ずに少女を待っていた。

 午後10時7分を20秒ほど過ぎたところで少女の幽霊が現われた。肩までのストレートの黒髪に幼さの残る顔、セーラー服姿で何処かの中学生に見える。


「俺は柳田久志、君の名前を教えてくれ」


 ドア横の壁の前に立つ少女に声を掛けながら柳田が起き上がる。


「君の力になりたい、俺に出来る事があるなら何でも言ってくれ」


 柳田が少女の正面に立った。1メートルほどしか離れていない所に少女が立っている。


「なぁ、なんとか言ってくれ、俺を見てくれ」


 俯いたままぴくりとも動かない少女に柳田が手を伸ばす。少女がスーッと滑るように前に出てきた。

 50センチほど手前に少女の顔が近付いてきた時、柳田が心の内をぶちまける。


「すっ、好きなんだ! 」


 俯いていた少女がフッと顔を上げた。


「ああぁ…… 」


 少女が柳田を通り抜けていく、その一瞬、確かに目が合った。

 身体を少女が抜けていく瞬間、正座をして足が痺れた時のようなじんじんとした痺れが柳田の全身を包み込んだ。時間にして3秒もない、ほんの一瞬だ。


 柳田がバッと振り返る。ベッドの手前で少女は立っていた。


「好きだ! 初めて見た時から好きになったんだ」


 思いの丈をぶつける柳田の前で少女が飛ぶように倒れて床下に消えていった。


「まっ、待って………… 」


 柳田が慌てて床に手を伸ばす。


「なんで……君はなんて名前なんだ」


 座り込んで床を撫でながら呟く、暫くして柳田が立ち上がった。


「目が合った。今まで何をしてもダメだったのが今日は目が合ったんだ。確かに彼女は俺を見た。意思の疎通が出来るって事だ」


 恋は盲目とはよく言ったもので柳田は相手が幽霊でも構わない、どうにかして自分の思いを遂げたいと少女をどうにかして振り向かせようと考えた。


「どうにかして床に消えないようにしないと話もできないな」


 ベッドに横になりながらあれこれ考える。


「御札を貰ってくるか…… 」


 アイデアが浮んだのか柳田はいつの間にか眠っていた。



 翌日、柳田は近くの神社へ行って御札を貰ってきた。厄除けの御札だ。神主さんには部屋の中で何か気配を感じる。気味が悪いので御札か何かくださいと話すとお祓いをしてくれて厄除けの札をくれたのだ。


「どうなるか分からないけど何もしないよりマシだな」


 部屋に戻ると御札を棚にしまって家庭教師のバイトへ向かった。

 大学やバイトは真面目に行っていたが友人たちとは疎遠になっていた。少女の幽霊がどのような条件で現われるのかを調べていて友人からの誘いを断っていたので当然だ。柳田はそれでもいいと思っていた。飲んでバカ話をして遊ぶ友人たちよりも少女の幽霊を選んだのだ。



 1週間が経ち火曜日になる。


「簡単に剥がれないようにしないとな」


 フローリングの床、いつも少女が消える場所に御札を一枚貼り付けた。


「怖がって出てこないなんて事はないだろうな」


 御札を見つめながら缶ビールを開ける。


「目が合ったんだ。どうにかして話しが出来ればいいんだが」


 期待だけでなく怖さもあったのだろう、缶ビールを2缶飲み干すとベッドに転がる。時刻は午後10時を少し回っている。柳田は寝たふりをしながら少女を待った。

 いつものように午後10時7分を20秒ほど過ぎたところで少女の幽霊が現われた。


「君が好きなんだ。名前を教えてくれ」


 話し掛けながら柳田が起き上がる。少女はドア横の壁の前で俯いたまま動かない。


「名前を教えてくれ、何て呼べばいい? 」


 柳田が少女の正面に立った。俯いたままの少女がスーッと滑るように前に出てくる。


「俺は柳田久志っていいます。君の名前が知りたいんだ。すっ、好きになったから……君が好きだ! 」


 真っ赤な顔で話す柳田の直ぐ前で少女がフッと顔を上げた。


「好きなんだ。マジで君が好きだ! 」


 目を合わせながら少女が柳田の身体を通り抜けていく、じんじんとした痺れが柳田の全身を包み込む、少女が通り抜けると柳田がバッと振り返る。

 柳田が見つめる先で少女が床を見つめて立っていた。


「行かないでくれ、俺の話しを聞いてくれ、君の名前が知りたいんだ」


 必死に話し掛ける柳田の前で少女が振り向いた。


「俺は柳田久志、君が好きだ。君の名は? 何て呼べばいい? 」


 柳田が優しく声を掛ける。暫く見つめ合っていたが少女は御札を避けるようにして身体を捻って床下に沈んでいった。


『ここか……とった………… 』


 少女が倒れる寸前、微かな声が聞こえたような気がした。


「ここか? とった? ここかさん? とった……とだ? トダココカ、どういう漢字か分からないけど、戸田ココカさんって言うのかな」


 初めて聞いた少女の声に自然と顔がにやけていた。


「一先ず話ができた……俺を見てくれた」


 フローリングの床にべたっと座り込んで貼り付けてある御札に手を当てる。


「御札を避けてた……もっと御札があれば消えないかも知れない」


 片言ではなく少女と会話がしたいと思った柳田は少女が通り抜けられないくらいに多数の御札があればいいと考えた。少女の事情などは一切考慮していない、少しでも長く少女と一緒に居たい、その思いだけで勝手な判断をしたのだ。


「一つの神社で何枚も貰うのは変に思われるな……休みを使ってぐるっと回るか、一つの神社で3枚貰うとして四つほど神社回ればいいだろ」


 冷蔵庫から缶ビールを取り出すとグイッと飲む、片言だが少女と話が出来た祝いだ。

 先程飲んだビールと合わせて3缶だ。酔いが回ってきてベッドに転がり込む、


「でも可愛かったなぁ~~、近くで見るとやっぱ美人だ。中学生みたいだけど幽霊だったら関係ないよな……俺も幽霊でも関係ない、あの娘と付き合えるなら幽霊でも妖怪でも何でもいい」


 少女を思い出しながら幸せな気持ちで眠りに落ちていった。



 翌日、直ぐにでも近くの神社を巡って御札を買い回りたいと思ったが大学や家庭教師のバイトで忙しかったので諦めた。母親の反対を押し切って一人暮らしを始めたのだ。勉強だけはしっかりとやって結果を出さなければならない。

 3日ほどしてどうにか時間を作ると柳田は近隣の神社を巡って御札を12枚貰ってきた。


「これだけあればどうにかなるだろう」


 床に御札を並べると少女の幽霊を足止めできると満足気に頷いた。



 更に3日経った火曜日、柳田は12枚の御札を少女が消えた辺りの床に敷き詰めるようにして貼り付けた。


「旨く行きますように」


 夜の10時、並ぶ御札に手を合わせて祈ると柳田はベッドに寝転んで少女の幽霊が現われるのを待った。

 いつものように午後10時7分を20秒ほど過ぎたところで少女の幽霊が現われた。


「待ってたよ、戸田ココカさん、ココカちゃんって呼んでもいいかな」


 柳田はベッドの上で起き上がると笑顔で少女に話し掛けた。

 ドア横の壁の前で少女は相変わらす俯いたままだ。


「マジで好きなんだ。初めて会った時からココカちゃんが好きになったんだ」


 必死で話し掛ける柳田の声が聞こえたのか少女が顔を上げた。


『本当に愛してくれる? 』


 少女が口を開いた。消え入りそうな声だがハッキリと聞こえた。

 柳田の顔に嬉しげな笑みが広がる。


「ほっ、本当だ。好きだ。愛してる。ココカちゃんが幽霊だって構わない、俺はココカちゃんが好きだ」


 やっと思いが通じたと興奮した柳田の声が上擦っている。


『本当に愛してくれるの? 』


 少女がスーッと前に出てきた。


「ああ、マジで好きだ。愛してる。ココカちゃんのためなら何でもできるよ」


 嬉しそうにこたえる柳田の前で少女が立ち止まった。

 足下の御札をじっと見つめる少女に柳田が必死で話し掛ける。


「それは……その御札はココカちゃんと話がしたくて、ココカちゃんが消えないように……いつも床下に消えるだろ? だから消えないように貼り付けたんだ」


 ベッドから降りると柳田が少女の前でしゃがんだ。


「気に入らないなら直ぐに剥がすよ、ココカちゃんと話がしたかっただけだからな、話ができたら……出来るのなら必要無い、消えないで暫く話をして欲しい」


 証拠を見せるように柳田は貼ってある御札の一枚を剥がした。


「ココカちゃんが暫く俺と話をしてくれるなら全部剥がすから…… 」


 しゃがんでいた柳田が見上げると少女がニッコリと可愛い笑みを見せた。


『本当に愛してくれるのね? 』

「好きだ! ココカちゃん、俺と付き合ってくれ、幽霊でも妖怪でも関係ない、俺はココカちゃんが好きだ。愛してる」


 少女の可愛い笑みを見上げながら柳田が熱く語った。


『本当に愛してくれるのね……こんな私でも………… 』


 思いが通じたと喜びに頬を緩ませる柳田の上で少女の顔が崩れていく、頭がぱっくりと割れ、顔の左半分がぐしゃぐしゃに潰れて左の目玉が眼窩からずるりと落ちて頬に貼り付いていた。


『これでも愛してくれるの? 』


 血を滴らせた少女がニタリと不気味に笑った。その割れた頭から灰白色の脳らしきものが見えている。


「いっ、いぃ……しひぃぃ~~ 」


 腰を抜かしたのか柳田がしゃがんだまま仰け反るようにして掠れた悲鳴を上げた。


『愛してくれるわよね……ねぇ……好きって言ったよね』


 血塗れの少女が覆い被さるように柳田の上に乗ってきた。


「ひぃぃ~~、しぃぃぃ~~ 」


 逃れようと少女の左肩に掛けた柳田の手がずるっと滑った。少女の腕が肩から外れて柳田の胸元に転がった。


『私も好きよ、愛してるわ』

「ひっ、ひしぃぃ~~ 」


 喉から空気が漏れるような悲鳴を上げながら柳田の気が遠くなる。



 どれ程時間が経ったのか、柳田が目を覚ました。


「うぅ……うわぁぁ~~ 」


 血塗れの少女を思い出して飛び起きる。


「あぁ……夢…… 」


 床に転がって寝ていたらしい、夢だったのかと辺りを見回した柳田がその場に固まった。


「ゆっ、夢じゃない……あれは…………あの娘は…… 」


 床に貼り付けてあった御札がビリビリに破かれていた。辺りに散らばる千切れた御札の彼方此方に赤い血の跡が付いている。


「あれがあの娘の本当の姿なのか…… 」


 頭の割れた血塗れの少女が引っ掻くようにして御札を破く姿が頭に浮んだ。


「どうしよう……好きとか言っちまったぞ」


 夢でないと知った柳田は部屋の明かりを点けて震えながらベッドに潜り込んだ。以前調べた通り照明を点けていれば少女の幽霊は出てこないはずである。

 暫く布団の中で震えていたが温かくなって緊張が緩んだのかいつの間にか眠っていた。


『ねぇ……ねぇねぇ………… 』


 身体を揺さぶられたような気がして柳田が目を覚ます。


「うぅぅ…… 」


 寝返りを打った柳田はおかしな事に気が付いた。

 暗い? 部屋の明かりを点けて眠ったはずなのに辺りは薄暗い、停電かとテレビや録画レコーダーを見るが電源の小さなLEDは点いていた。

 では何故暗いのか? 柳田から眠気が吹っ飛んでいく、


『ねぇ……ねぇったらぁ~~ 』


 女の甘えるような声が聞こえた。

 横になって寝ている後ろから誰かの手がポンッと置かれる。


『ねぇねぇ……愛してるって言ったわよね、ねぇ』


 誰かが起すように身体を揺さぶってきた。


『ねぇ……私も好きよ……だから愛し合いましょう』


 布団の上から誰かがのし掛かってきた。

 頭の中に左目が飛び出し頭の割れた血だらけの少女が思い浮ぶ、


「うわぁあぁぁ~~ 」


 柳田は叫びながらバッと布団を巻くってベッドから飛び出した。


「わあぁあぁぁ~~ 」


 叫びながら寝室を飛び出しキッチンへと出ると明かりを点ける。

 明るくなって少し落ち着いたのか柳田が振り返って寝室を見る。


「夢か? 寝惚けてたのか? でも明かりは消えてるし…… 」


 薄暗い寝室には何も居ない、


「1日に2回も出るなんて無かったしリモコンか何かが接触不良で消えたのか照明が壊れたのか」


 恐る恐る近付くとドア横のスイッチをカチカチと何度か押した。3回ほど押しただろうか、明かりがパッと灯った。


「壊れてない……じゃあリモコンか? 」


 テレビ台の上に置いていた照明器具のリモコンを確かめると乾電池が液漏れを起していた。


「これか……電池がおかしくなって消えたんだ。そうだよな、2回も出るなんて無かったしな、あれはやっぱ夢だったんだ。消えてたからビビって夢と区別付かなかっただけだ」


 明かりが消えた原因がわかって柳田はほっと息をついた。


「ふぅ~っ、まだ夜中の1時だぞ、飲んで寝るか」


 テレビを点けて深夜番組を見ながら缶ビールを飲み始める。先程の出来事は夢だと思ったが何処かに怖さもあったのだろう、酔っ払って寝るつもりだ。



 缶ビールや缶チューハイを合わせて4缶飲んで酔っ払ってベッドに倒れ込む、


「明日は大学休むぞ……1日くらい大丈夫だ」


 明かりはもちろんテレビを点けたまま布団に潜り込む、テレビから流れてくる低俗な深夜番組の音を聞きながら眠りについた。


『ねぇ……ねぇったらぁ~~ 』


 どれくらい眠っただろう、身体を揺さぶられて目を覚ます。


「うぅぅ……誰だ? 」


 酔いで重い頭を上げて眠そうに目を擦る。


『好きよ、愛してるわ』


 ベッドの脇に頭の割れた血だらけの少女が立っていた。


「ひぁはぁ~~!! 」


 身体を仰け反らせて驚く柳田の喉の奥から変な悲鳴が出た。辺りは薄暗い、いつの間にかテレビも明かりも消えていた。


『ねぇ、愛してるわ……愛し合いましょう』


 頭の割れた少女がニタリと笑った。


「いっ、嫌だ……ちっ、違う! あれは違うんだ………… 」


 ベッドの上で壁に貼り付くようにして逃げながら柳田が必死に口から絞り出した。


『好きって言ったじゃない、愛してるんでしょ? ねぇ、ねぇ、愛し合いましょう』


 少女が上ってこようとベッドに片膝をつく、


「ちっ、違うんだ……あれは……忘れてくれ、好きじゃない、あれは嘘だ」


 恐怖に顔を引き攣らせて柳田が必死に違うと手を振った。


『愛してるって言ったじゃない……好きって言ったじゃない……言ったじゃない』


 少女がバッとベッドに上がると柳田の首に手を伸ばしてきた。


「ちっ、違うっ、やっ、止めて…… 」


 柳田は恐怖で動けない、その首に少女の指が食い込んだ。


『好きって言ったじゃない、愛してるんでしょ』


 頭の割れた少女の左眼窩からずり落ちて頬に貼り付く目玉がジロッと柳田を睨み付けた。


「がっ、ぐぅぅ………… 」


 首を絞められて苦しそうに呻くが恐怖で竦んで体は動かない、目の前が暗くなって柳田の気が遠くなっていく、


『ここか……とった…………ここから……飛んだ…………ここから飛び降りたのよ』


 苦しさに身を捩る柳田の耳に少女の声が聞こえたような気がした。



 翌日、昼前に柳田が目を覚ます。


「たっ……助かったのか………… 」


 ベッドの上で身を起すと部屋を見回して安堵の息をついた。

 二日酔いか、少女の幽霊に首を絞められたためか、頭がガンガンと痛い、


「名前じゃなかった……戸田ココカじゃなくて、ここから飛んだって言ってたんだ」


 初めて聞いた少女の言葉『ここか……とった……』とは名前ではなくここから飛んだと言っていたのだと分かって全身が総毛立った。


「投身自殺したんだ」


 少女の頭が割れ顔の左半分が潰れて目玉がだらりと下がっていたのは飛び降りて地面にぶつけて潰れたのだと想像に難くない。


「自殺した幽霊に好きとか言ったから取り憑かれたんだ」


 柳田がベッドから飛び起きた。


「お祓いして貰おう」


 顔を洗って歯を磨き、朝食代わりのゼリー飲料を腹に流し込むと頭痛薬を飲んで部屋を出て行った。



 この辺りで一番大きな神社へ行くと少女の幽霊の事を話してお祓いをして貰った。全て話したわけではない、血塗れの女の幽霊が出てきて首を絞めてくるのでお祓いしてくれと簡単に話しただけだ。

 神主は15分程時間を掛けてうやうやしくお祓いをしてくれた。


 部屋に戻った柳田は貰った御札を指示された柱に貼ろうと取り出した。


「この前貰った御札と同じように見えるけど効き目あるのかな」


 貰った御札を繁々と見つめながら呟いた。以前、少女の幽霊を留め置こうとして床に貼り付けた厄除けの御札と同じように見える。


「これでダメなら神主さんに部屋まで来て貰うしかないな」


 御札を寝室の柱と玄関の柱に貼り付けた。

 柳田はキッチンの椅子に座って少女の幽霊が何処からやってきたのかと考える。今日は大学を休んだ。勉強は結構真面目にやっていたので講義をさぼったのは初めてだ。


「でもどこから連れてきたんだろう…… 」


 ハッと何かを思い付いて柳田の顔が険しく変わった。


「連れてきたんじゃない……ここから飛び降りたって言ってた」


 柳田は寝室へと歩いて行くと少女の消えた床を見つめた。


「ここで飛び降り自殺したんだ……倒れたんじゃなくて飛び降りてたんだ」


 少女が飛び跳ねるようにして倒れていった姿を思い出す。


「聞いたことがある。飛び降り自殺して亡くなった幽霊が同じ動作を繰り返すって……でもここは俺の部屋だぞ」


 考え込む柳田の頭の中に一つの仮説が浮んだ。


「このマンションが建つ前にあの娘は自殺したんじゃないのか? 」


 今住んでいるマンションは去年出来たばかりの新築だ。町中に建つマンションだ。当然昔も家々が建っていたはずである。



 柳田は方々に手を回して調べると次のようなことがわかった。

 今の12階建てのマンションが建つ前に5階建ての小さなマンションが建っていた。5階建てのマンションや周辺の家々を潰して大きなマンションが建ったのだ。

 その5階建てのマンションで少女が飛び降り自殺をしたらしい、進学で悩んでいたとかイジメに遭っていたなどの噂があるが詳しくはわからなかった。

 火曜日の夜10時頃に投身自殺した少女が毎週火曜の夜に出てきて今も投身自殺を繰り返しているのだ。


 大きな今のマンションは各部屋の天井までの高さも前の小さなマンションよりも少し高く、小さなマンションの屋上が丁度、柳田が借りている5階にある部屋の高さと同じくらいになったのだ。それで元のマンションの屋上から飛び降りる姿が柳田の部屋で見えたということである。


「前に建ってた5階建てのマンションの屋上が俺の部屋と同じ高さでそのマンションの端がここだ」


 柳田は寝室の床を見つめながら続ける。


「ここから向こうへ飛び降りた。頭から落ちて………… 」


 柳田が言葉を詰まらせる。

 血塗れの少女の幽霊は怖いが同時に同情も湧いた。頭が割れ血に染まって恐ろしい顔になる前の少女は可愛かった。惚れていたのも事実なのだ。


「俺が成仏させてやるからな」


 柳田は少女を成仏させてやろうと神主さんを呼んでお祓いをして貰うことにした。それで幽霊が出てこなくなるならよし、ダメなら引っ越そうと考えた。



 テレビを見ながら夕食を食べる。シャワーを浴び浴室から出るとスマホを片手にベッドに寝転がった。


「今日サボったからな、明日は行かないと…… 」


 暫くスマホを弄くっていたが眠気が襲ってきた。

 明日は大学へ行って今日の分を取り戻さないといけないと思いながら眠りについた。今日は水曜日だ。少女の幽霊は出てこないはずなので恐怖は感じない。


 どれくらい眠っただろうか、身体を揺さぶられて目を覚ます。


『ねぇ、ねぇったらぁ~ 』

「うぅぅ…… 」


 睡眠の邪魔をするなというように柳田が寝返りを打った。


『ねぇ……好きなんでしょ? 愛してるって言ったわよね』


 耳元で聞こえた声に柳田がビクッと目を開けた。


『ねぇねぇ、愛し合いましょうよぉ』


 甘い声で囁きながら身体を揺すってくる。

 なっ、何で? 水曜日だぞ……、柳田は固まったように動けない。


『ねぇ……ねぇったらぁ~~、好きって言ったよね、マジだって言ったよね……ねぇねぇ、私も好きよ、愛してるわ、だから愛し合いましょう』


 横になって背を見せて動かない柳田の肩と腰の辺りに少女は手を掛けるとくるっと引っ繰り返すように真上を向かせた。


『うふふっ、眠った振りをしてもダメよ、ねぇ、好きって言ったよね、愛してるって言ったよね、だったら愛し合いましょうよ』


 真上を向いた柳田の目の前、覗き込むようにして少女の顔が横向きにあった。

 少女は頭の左半分が砕けていた。貼り付いた髪の毛や赤黒い血の間から灰白色の脳らしきものが見えている。投身自殺をして左半身を頭からぶつけたのだろう、頭が割れて顔の左半分と左肩が砕けている。左目はぶつけたショックで飛び出して垂れ下がり頬に眼球が貼り付いていた。その垂れ下がった目玉がじっと柳田を見つめていた。


「いっ、いいぃ……ひぃぃ………… 」


 喉から掠れた悲鳴が出た。動きたくても少女に肩と腰の辺りを押さえられて動けない。


『ねぇ、愛し合いましょう、私も好きよ』


 ニタリと笑う少女の口から赤いものがだらりと垂れて柳田の頬に落ちて滑ると枕元に転がった。

 柳田は見るとはなしに首を曲げて落ちた物を見た。


「ひぃぃ……いひぃぃ………… 」


 引き攣ったような悲鳴が出た。枕元には血に染まった舌が転がっていた。投身自殺して地面にぶつけたショックで舌を噛み切るか何かしたのだろう、


『好きよ、私も愛してるわ、だから愛し合いましょう』


 舌も無いのに少女が話した。


「いっ、いやっ、嫌だ! ちっ、違う……あれは…………好きじゃない……だから……だから許してくれ………… 」


 柳田が絞り出すように震える声を出した。

 血塗れの少女がじっと柳田を見つめる。


『好きだって、愛してるって言ったじゃない』

「ゆっ、許してくれ……助けてくれ」


 柳田は引き攣った顔で懇願した。少女の目が吊り上がる。


『愛してるって言ったのに…………嘘つき』


 少女が怒り猛った顔で柳田の首に手を掛けた。


「かっ、くぅぅ…… 」


 どうにか解こうともがくが少女の力は強く柳田はそのまま気を失った。



 翌日、昼前に柳田が目を覚ます。


「あっ、あぁ……よかったぁ…………生きてる」


 飛び起きると首を摩りながら安堵した。


「水曜日だぞ、何で出てきた……御札も効かないし…… 」


 講義はあったがそれどころではない、柳田は大学を休むと神社へと向かった。

 無理に頼み込んで神主さんに部屋に来て貰う、何だかんだで1時間近くお祓いをして貰い神主さんに大丈夫とのお墨付きを貰って柳田もやっと落ち着いた。


 だがその日の夜も少女の幽霊は現われた。柳田は昨晩と同じように首を絞められて気を失って目を覚ますと朝になっていた。

 神社へ行って相談すると神主曰く柳田が心の片隅で少女に心を寄せているのでその気持ちを完全に吹っ切れないと何度お祓いしても無駄だと言われた。

 柳田は納得した。恐ろしい姿になる前の少女は今でも好きなのだ。あのままの姿なら幽霊でも彼女になって欲しいという思いは今も変わってはいない。



 柳田は仕方なく引っ越しした。親には前の部屋は広すぎて1人だと落ち着かない、友人たちを呼んで遊んでしまうという理由を作って1Kの小さなマンションへと引っ越した。

 だが引っ越した先でも少女の幽霊は現われた。

 頭の割れた血塗れの少女が愛し合いましょうと迫ってくる。柳田が悲鳴を上げて逃げると嘘つきと物凄い形相で襲い掛かって首を絞めてくる。柳田は気絶して翌朝目を覚ます。


 毎晩のように現われる少女の幽霊に柳田は疲れ果てていく、また引っ越そうかと考えたが昨日の今日で許してもらえるはずがない、実家へ戻ろうかとも思ったが、そんな事をすれば母が反対してこの先一人暮らしは出来ないだろうと躊躇した。



 ある夜、恐怖を紛らわそうと酒を飲んで酔っ払った柳田の前に少女の幽霊が現われる。

 気配を感じて振り返ると血塗れの少女が立っていたのだ。


「ひぅっ! ひっ、しひぃぃ~~ 」


 柳田は持っていた缶ビールを投げ付けながら掠れた悲鳴を上げた。

 眠っている時ではなくテレビを見ながら酒を飲んでいる時に現われたのは初めてだ。


『ねぇ、愛し合いましょう……好きなんでしょ』


 血塗れの少女がニタリと不気味に笑った。


「いっ、嫌だ……助けてくれ………… 」


 完全に油断している隙をつかれ柳田がパニックを起して窓の外、バルコニーへと逃げ出した。


『うふふっ、好きよ、愛してるわ……だから貴方も飛び降りましょう』


 少女の幽霊が柳田の首を絞めて持ち上げる。


「たっ……助けて…………嫌だ。死にたくない、嫌だぁぁ~~ 」


 バルコニーから落ちそうになって柳田が大声で叫んだ。


 その後は覚えていない、どうやって部屋を出たのか錯乱しているところを近所の住人に取り押さえられていた。

 直ぐに警察が呼ばれて保護される。幽霊が出ると騒ぐ柳田は心の病だということで注意だけで済んだ。両親が呼ばれて柳田は実家へ帰ることになった。

 実家に戻っても少女の幽霊が殺しに来ると騒ぐので心配した親が医者に診せると妄想型の統合失調症だと診断され磯山病院を紹介されて入院して来たのだ。

 これが柳田久志やなぎだひさしさんが教えてくれた話しだ。



 長い話を終えた柳田が缶コーヒーをグイッと飲んだ。


「頭が割れて目玉が飛び出した幽霊は怖いけどあの娘は……投身自殺をする前のあの娘は綺麗なんだ。可愛かったんだ……俺はまだ好きなんだ」


 窶れた顔で呟く柳田の向かいで哲也は昨晩見た少女を思い出す。


「そういえば廊下で見た時は普通だったな、セーラー服を着た可愛い女の子でしたよ」

「本当か? 」


 テーブルの上に身を乗り出すようにして柳田が訊いた。


「ええ……離れてたし、ちらっとしか見てませんけど血塗れじゃなかったですよ、だから部屋に入って見た時に驚いて動けなかったんですよ」


 引き気味にこたえる哲也の前で柳田が疲れたように座り直す。


「そうか……なんで恐ろしい姿で出てくるんだ。可愛い姿で出てきてくれれば俺はどんな事でもするのに………… 」


 絞り出すように話す柳田を見て哲也が優しい顔になる。


「柳田さんはマジで好きになったんですね」


 何とも言えない顔で柳田が頷いた。


「ああ……ガキの頃から勉強勉強だった。母や父の言う通りに生きてきた。少しいいなと思う女の子はいたけど本気で好きになった事なんてなかった。でも……でもあの娘を見た瞬間好きになったんだ。何て言うか……居ても立ってもいられなくなったんだ」

「柳田さん…… 」


 初めて会った時は少し嫌な感じを抱いたが話しを聞くうちに柳田は優しい人だと分かって哲也は力になってやりたいと思った。


 照れたのか柳田が誤魔化すように時計を見て口を開いた。


「おっ、もうそろそろ飯だな」

「そうですね、僕は夕方の見回りに行かないと」


 哲也が残っていた缶コーヒーをグイッと飲み干した。


「それじゃ、今日はここまでにしようか」

「ハイ、話しを聞かせてくれてありがとうございました」


 ペコッと頭を下げると哲也は部屋を出て行った。



 その日の夜、10時の見回りで哲也がA棟の5階へと下りていく、


「あれは…… 」


 長い廊下の先、セーラー服を着た少女がいた。


「柳田さんをどうするつもりだ! 」


 哲也の声が聞こえたのか少女が振り向いた。

 10メートル程離れているのに何故かハッキリと顔が見えた。血も流れていないし頭など割れていない、肩の上くらいまでのストレートの黒髪、幼さが残る顔に大きな目をした可愛い少女だ。


『好きって言ってくれたの』


 可愛い顔で笑うと少女はドアを通り抜けるようにして柳田の部屋へと入っていった。


「ちょっ、待ってくれ」


 走り出す哲也の耳に柳田の悲鳴が聞こえてきた。


「柳田さん!! 」


 慌ててドアを開けるとベッドで横になっている柳田に覆い被さるようにして少女が首を絞めていた。


『好きって言ったじゃない……嘘つき』


 少女の恨むような声が聞こえてきた。

 哲也がその場に固まる。少女が血塗れだ。頭が割れ顔の左半分が潰れている。左の目玉が飛び出して垂れ下がり頬に貼り付いている。廊下で見た可愛い顔とは全く違う恐ろしい姿だ。


「ぐぅぅ………… 」


 苦しげに呻きを漏らす柳田を見て哲也がベッドに近付いていく、


「止めろ! 柳田さんを許してやってくれ、君を殴りたくはない」


 拳を構える哲也に少女が振り向いた。


『好きって言ってくれたのよ……嬉しかった…………それなのに…… 』


 悲しそうに言うと少女はスーッと消えていった。


「がっ、がはっ、ぐぅぅ……がはぁぁ~~ 」


 苦しげにむせながら柳田が上半身を起す。


「あっ、ありがとう哲也くん」


 礼を言う柳田の横に哲也が立った。


「柳田さん、あの女の子は悪いものとは違うような気がしますよ」


 何度も怪異に遇っている哲也には少女の幽霊が悪いものとは思えなかった。気配に嫌なものを感じなかったのだ。哲也がビビって動けなくなったのは姿に驚いただけだ。その証拠に近付いて冷静に話しをすることが出来た。悪いものだと思ったら行き成り殴りつけているはずである。


「じゃあ何で首を絞めてくる? 俺を殺そうとしてるんだぞ」


 怪訝な表情で訊く柳田を哲也が真剣な表情だが優しい目で見つめる。


「でも死んでないですよね? 怪我もしていない、気絶しているだけです。本気で殺そうと思えば道路へ押し出したり電車に撥ねさせたり何でもできるはずですよ」

「でも首を絞めてくるじゃないか」


 険しい表情を緩めない柳田の横で哲也が頬を緩めた。


「それは女の子が柳田さんに嘘をつかれたって思ったから怒ったんですよ」

「嘘か……好きだって言ったことか? 」


 一瞬考えて柳田が続ける。


「あれは嘘じゃない、好きなのは本当だ。でもあんな姿じゃ怖くて当り前だろ」


 真剣に話す柳田を見て哲也の顔に笑みが広がっていく、


「怖い姿でしたね、僕もビビりましたよ、でも廊下で見た時は可愛かったですよ、柳田さんが好きになったのが分かるくらいに可愛い娘でしたよ」

「マジか……なんで俺の前には恐ろしい姿で出てくるんだ。飛び降りて死ぬ前の可愛い姿なら俺は逃げたりしないのに」


 驚く柳田に哲也が微笑みながら続ける。


「柳田さんが怖いと思っているからあの娘は怖い姿で出てくるんだと思います。本当に好きなら……あの娘のことを思っているならどんな姿でも怖くはないはずです。まぁ初めて見たなら驚くのは仕方ないですけど、少なくともあの娘が自殺してあの姿になったのを知っている柳田さんなら大丈夫でしょ? 」


 暫く考えていた柳田が険しい表情で話し出す。


「 ……急に現われて首を絞めてくるからビビるけど正直あの姿はもう慣れたよ、俺が怖いと思わなければ、元の可愛い姿で出てくるなら……それが本当なら俺は何でもするよ」


 何でもすると言う柳田を見て哲也は嬉しくなってきた。


「廊下であの娘と話をしたんです。僕が柳田さんをどうするんだって訊いたら好きって言ってくれたのって嬉しそうに笑ったんですよ、だから話しは出来ると思います。ビビってないであの娘と話してみたらどうですか」

「話しか……そうだな、まだちゃんと話しをしてなかった。怖がってばかりであの娘のことを……あの娘の気持ちを考えてなかった」


 柳田は少女の幽霊ともう一度向き合うことを決意する。自殺した時を何度も繰り返す少女を成仏させてやりたいのだ。


「ありがとう哲也くん、どうなるか分からないけどあの娘と話し合ってみるよ」

「それがいいです。どうしてもダメならまた何か考えましょう、僕も力を貸しますよ」


 礼を言う柳田にペコッと頭を下げると哲也は部屋を出て行った。

 長い廊下を歩き出した哲也が振り返って柳田の部屋を見つめる。


「やっぱ柳田さんは良い人だ」


 自分に出来る事があれば力を貸してやろうと思いながら哲也は見回りを再開した。



 深夜3時の見回りでセーラー服姿の少女が柳田の部屋に入っていくのを見て哲也が慌てて駆け寄った。


「まっ、待ってくれ、俺の話しを聞いてくれ」


 ドア越しに柳田の声が聞こえてきて哲也が立ち止まる。


『好きって言ったじゃない…… 』

「ああ、好きだ。本当だ嘘じゃない」

『本当? 嬉しい』


 嬉しそうな少女の声と違い柳田の声は少し震えていた。


『ねぇ、愛し合いましょう』


 甘えるような少女の声に続いて柳田の焦り声が聞こえてくる。


「待ってくれ、その姿じゃ……元の可愛い君に、怪我をする前の君に会いたい」

『愛してくれるって言ったじゃない…… 』


 少女の声のトーンが落ちた。恨むような声に柳田が必至にこたえる。


「愛してるよ、本当だ嘘じゃない、証拠を見せるよ」

『証拠? 』

「一緒に死んでやるよ、君と一緒になれるなら死んでもいいんだ」


 覚悟を決めたような落ち着いた柳田の声を聞いてヤバいと思った哲也がドアを開けた。


「柳田さん…… 」


 哲也が言葉を詰まらせる。

 ベッドの上で上半身を起した柳田の横に血塗れの少女が立っていた。


「君が好きだ嘘じゃない、俺は君のためなら何でもできる」


 血塗れの少女を見つめる柳田の手には何処で拾ってきたのかガラスの破片が握り締められていた。


「柳田さんダメですから! なん!? 」


 止めようとした哲也の身体が痺れて動けなくなる。少女の幽霊が何かしたのだろうか? 柳田が振り向いて微笑んだ。


「哲也くん、ありがとう、これでいいんだよ、彼女と一緒になるには俺が彼女の元へ行くか彼女が俺の傍にいてくれるしかないんだ。俺の気持ちを証明したいんだ。俺は本当に好きなんだって……だからこれでいいんだ」

「ダメだ! 」


 叫ぶ哲也の前で柳田がガラスの破片を自分の胸に突き立てた。


「柳田さん…… 」

「なんで!? 」


 険しい顔の哲也が見つめる先で柳田が大きく目を見開いた。


『好き、私も好きよ』


 ガラスの破片を突き刺そうとした手を少女が握り締めて止めていた。


「あっあぁ………… 」


 驚きの声を出したのは哲也か柳田か? 

 血塗れだった少女の姿が変わっていく、哲也が廊下で見た可愛らしい姿だ。肩の上までのストレートの黒髪にあどけなさが残る幼顔をした美人だ。ただ一つ違うところがあった。大きな瞳から物悲しげな光が消えている。嬉しそうな明るい光が灯っていた。

 少女がはにかむように口を開いた。


『ありがとう、私を好きになってくれて』

「おっ、俺の方こそ……色々ごめん、でもマジで好きだから、だから俺も一緒に………… 」


 少女が止めるように柳田の口に手を当てた。


『一緒に死んでくれるって言っただけで嬉しい……それだけで充分』

「俺は、俺は君のためなら何でもするから」


 柳田が思いの丈をぶつけると少女の顔に嬉しそうな笑みが広がった。


『ありがとう、じゃあ、愛し合いましょう』


 少女が柳田に抱き付いた。


「ああ、好きだ。本当に愛してる」


 目に涙を浮かべた柳田がしっかりと少女を受け止めた。


「僕は見回りに戻るから」


 2人を見て哲也はそっと部屋を出て行った。



 翌日、気になった哲也が昼食前に柳田の部屋を訪ねた。


「柳田さん、あのぅ…… 」


 あれからどうなったのかと切り出そうとした哲也の向かいで柳田が笑いながら口を開く、


「フラれたよ、彼女はもういない……最後に思い出をくれた。俺は一生忘れない」


 寂しい顔で笑う柳田を見つめて哲也が首を傾げる。


「フラれたって……あの娘は何処へ行ったんです? 」

「もう時間が無いって言って……俺とそのぅ……愛し合った後に消えていったんだ」


 話しを聞いて哲也が大きく頷いた。


「成仏したんですよ、柳田さんが本気で好きになってあげたから彼女は成仏できたんですよ、きっとそうですよ」

「成仏か……そうか、そうだな………… 」


 泣きながら何度も頷く柳田の背を哲也がポンポン叩いた。


「なに泣いてんですか、思いが通じたんだから喜んであげなくちゃ」

「そうだな……喜んでやらないとな、成仏したんだからな………… 」


 涙をぐいっと拭うと柳田が笑みを作った。


「そうですよ、柳田さんがあの娘を救ったんですよ……僕なんていつもフラれっぱなしですよ」


 とぼけ顔で話す哲也を見て柳田が頭を下げた。


「あぁ……ありがとう哲也くん」

「礼なんてよしてくださいよ、それより昼飯食べに行きましょうよ、腹減ってると心もか細くなるって誰かが言ってましたよ」


 柳田の手を引っ張って哲也が食堂へと向かった。

 並んで食事をしながら色々話し合った。年齢が近かったので何でも話し合うことができた。

 数日後、すっかり良くなった柳田が元気に退院して行く、


「ありがとう、哲也くんの御陰だ」

「お元気で、僕も楽しかったですよ」


 迎えに来た両親と一緒に笑顔で帰っていく柳田を哲也も笑顔で見送った。



 もし少女が生きている時に柳田に出会っていればどうなっていただろうか? 幽霊になったから儚げな少女に惚れたのだとしたら生きている時に会っても柳田は恋心は抱かないかも知れない、不細工でもないがイケメンでもない柳田に出会っても少女は何も思わないかも知れない、擦れ違って何も無く終っていたかも知れない。


 少女が幽霊だったから今回の恋は起ったのだ。初めから結ばれることのない悲しい恋だが少女も柳田も不幸ではない、少女は成仏することが出来て柳田には思い出が残ったのだ。最後の最後で少女に心が伝わった恋の思い出が……。


「ああぁ……僕も恋愛したいなぁ~~、香織さんか世良さん……どっちか彼女になってくれないかなぁ~~ 」


 ベッドの上で身悶えする哲也の恋は当分実りそうになかった。


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