第二十一話 予知夢
楽しい夢、悲しい夢、怖い夢、夢に色々あるように霊現象にも色々ある。親しい人なら幽霊でも会いたいと思うだろう、可愛がっていたペットが死んでもまだ近くにいるような体験をした人もいるだろう、楽しい霊、悲しい霊、怖い霊、色々な出来事が起るのだ。
夢と霊現象は似ているのかも知れない、どちらもハッキリとしない捕らえ所のないものである。見間違いや幻かも知れないが霊現象にあった人が感じた恐怖や不可思議な思いはその人にとっては事実なのだ。だから哲也はどんな話しであろうと頭ごなしで否定はしない。
霊現象に遭ったことの無い人でも夢なら有り得ない不思議な体験が出来る。夢なら怖い目に遭っても安心だ。目を覚ませば元の世界に戻れるのだから、だが現実と繋がっているような夢を見ることもある。
行ったことはもちろん見たこともない景色を夢で見て後日同じ場所に行って驚いたという体験をした人もいるはずだ。偉い学者先生は本やテレビなどで見た記憶が残っていてそれを夢に見て後日現地に行って驚いただけだと言うが果たしてそれだけだろうか?
宝くじが当たる夢や縁起物の蛇などが出てくる夢を見て後日本当に当たったなどの話しも時々耳にする。逆に怪我をする夢を見て現実に怪我をしてしまう事もある。
これらから夢が何かを予知していると考える人も多い、哲也も予知夢を見たという人を知っている。その人に関わった哲也は危うく大変なことになるところだった。
朝の9時過ぎ、朝食を終えた哲也がもう一眠りしようと部屋に向かって長い廊下を歩いていると同僚の警備員と話し合いながらやって来る嶺弥を見つけた。
「嶺弥さんだ……まだ帰ってなかったんだな」
普段なら引き継ぎを終えてとっくに帰っている時間帯に嶺弥を見つけて哲也が首を傾げる。
「明日休みだからゆっくりしてるのかな? 」
哲也は部屋に戻ろうとした足を止めて嶺弥の元へと歩いて行った。嶺弥は5日間の夜間勤務を終えて今日と明日の2日間は休みのはずである。
「おぅ、哲也くん」
哲也に気付いて嶺弥が手を振る。
「おはようございます。嶺弥さん、角田さんもおはようございます」
嶺弥と同僚である警備員の角田に哲也がペコッと頭を下げた。角田は夜間ではなく日中勤務だ。
「まだ帰ってなかったんすね、何かあれば僕も手伝いますよ」
何かトラブルでもあって残っているのかも知れないと哲也が訊くと嶺弥が微笑みながら話し出す。
「坂上さんが休みになって俺が昼まで残業する事になったんだ」
嶺弥の隣で角田が弱り顔で続ける。
「身内に不幸があったみたいでね坂上、3日ほど休むことになったんだ。急だったから本部からの援軍も昼からになるって、昼まで1人でいいって言ったんだけど何かあったら困るって須賀くんが気を利かせてくれてね、夜勤明けで疲れてるのに本当に助かるよ」
角田は36歳で嶺弥より10歳ほど年上の先輩警備員だ。
「困った時はお互い様ですよ、明日明後日は休みだから昼までの残業なんて平気ですよ」
照れるように後頭部を掻く嶺弥の向かいで哲也が口を開く、
「坂上さんが休みなんですか、それじゃあ僕も手伝いますから何でも言ってください」
角田も坂上も顔見知りの警備員だ。嶺弥ほどではないが親しくしてもらっている。
「そうだな、何かあったら頼むよ、本部からの援軍は新入社員らしいから哲也くんの方が先輩だから頼りにしてるよ」
優しい顔で言う角田の横で嶺弥が思い付いたように続ける。
「哲也くんアイスでも食べるか? 昨日箱で買ったのが残ってるよ、坂上さんの分を哲也くんにあげるよ」
「アイスっすか、ゴチになりまぁ~す」
調子よく返事を返す哲也を見て嶺弥と角田が大笑いだ。
病院の売店にもアイスは売っているが代わり映えしない品揃えにハッキリ言って飽きている。嶺弥や看護師の香織たちが外から買ってくるアイスやお菓子は貴重なのだ。
「じゃあ、私は坂上の代わりが来るって連絡しに行くから……私の分のアイス置いててくれよ」
笑いながら歩いて行く角田と反対方向の警備員控え室へと哲也と嶺弥が向かった。
A棟を出て外を歩いていると看護師の早坂が新しい患者を連れてくるのが見えた。
「新しい人だね、朝から来るのは珍しいな」
「そうっすね、私服だから部屋替えとかじゃなさそうですね」
立ち止まって見ている2人に早坂が小さく手を振りながら歩いてきた。
「須賀さん、おはようございます。哲也さんもおはよう」
満面の笑みで話す早坂の声が普段と違う、嶺弥に気のある早坂が可愛らしく作った声だ。
「おはよう、早坂さん」
「おはようございます」
爽やかな笑みをして返す嶺弥の隣で自分の時とは全然違うと思いながら哲也もペコッと頭を下げた。
「新しい人だね、おはようございます。自分は警備員の須賀嶺弥です。こっちは中田哲也くん、同じく警備員です」
早坂の後ろにいる患者に嶺弥が自己紹介だ。
「哲也って呼んでください」
哲也の挨拶が終るのを待ちきれない様子で早坂が話し出す。
「こちらは五味洋司さん、今日からB棟の308号室に入るので何かあれば頼みますね」
普段なら此方が訊いても教えてくれないのに嶺弥の前では自分から話し出す早坂に哲也は呆れ顔だ。
「五味です。ご迷惑を掛けるかも知れませんが…… 」
顎を動かすようにして頭を下げた五味が哲也を見て口を開けたまま固まった。
「あっ、あんた……あんただ! 」
青い顔をした五味が哲也を指差して怯えるように震える声を出す。
「僕? 僕が何か…… 」
自身を指差して聞き返す哲也の前で五味が騒ぎ出す。
「うわぁあぁぁ~~、追ってきやがった……殺される……俺も殺される…………嫌だぁあぁ~~、助けてくれぇ……死にたくない」
嶺弥を見つめていた早坂がバッと振り向く、
「哲也さん! 」
「何もしてないから……僕は何もしてませんから」
すっかり言い訳癖の付いた哲也が顔の前で違うとブンブン手を振った。
「夢で見たんだ……あんた……哲也とかいったな、あんた殺されるぞ……それで……それで俺も殺される…………追ってきたんだ……死にたくない、嫌だ! 嫌だぁぁ~~ 」
哲也を睨み付けるようにして言うと五味は逃げるように走り出す。
「ヤバい! 」
嶺弥が直ぐに追い付いて五味を取り押さえた。哲也と早坂も慌てて2人に駆け寄った。
「五味さん、落ち着いてください、大丈夫ですから、ここは病院ですよ、殺人犯など入ってきませんから、警備員も沢山いるんですよ、安心してください」
落ち着かせようと優しく声を掛ける早坂の向かい、嶺弥に羽交い締めされておとなしくなった五味が哲也を見上げる。
「病院……でも……でも見たんだ。夢で見たんだよ、あんたが……哲也とか言ったな、あんたが殺される夢を見たんだよ」
焦りを浮かべて話す五味の前で哲也の顔が強張っていく、
「僕が殺される夢? 縁起でもない」
妄想か何かに取り憑かれた心の病だと思いながら哲也が五味に話し掛ける。
「大丈夫ですよ、この病院の警備はしっかりしてますから、今だって五味さんを直ぐに捕まえたでしょ? この病院は安全です。それに僕はこの病院から出ませんから、だから誰かに殺されたりしませんよ」
「この病院なら安全か……警備員もいるし看護師さんもいるから安全か…… 」
落ち着いた五味を見て嶺弥が取り押さえていた腕を離す。
「そうですよ、自分たちがしっかり見回っているので安心してください、それに哲也くんは警備員です。訓練を受けているので簡単に倒されたりしませんよ、だから安心してください、この病院に入った五味さんも安全です」
訓練を受けているというのは嶺弥の嘘だ。五味を落ち着かせるためについた嘘である。
嶺弥を見てわかったと言うように五味が頷く、
「警備員……あんたも力が強かったからな、そうか……警備員なら安心かもな」
しゃがみ込んでいる五味の背を早坂がポンッと叩く、
「じゃあ部屋に行きましょうか」
「自分も付き添います」
嶺弥が五味を支えるようにして立たせた。
「ありがとう須賀さん、夜勤明けなのに悪いですね」
悪いと言いながら早坂は嬉しそうだ。
暴れる患者だ。何かあれば大変だと思ったのだろう嶺弥と哲也も部屋まで付いて行くことにした。
B棟の308号室、ドアを開けて五味と一緒に部屋に入った早坂がひょいっと顔を出して哲也にネームプレートを差し出した。
「哲也さんこれ付けておいて」
「了解っす」
五味のネームプレートを渡されて哲也がドアの横にある枠に嵌めた。
「大丈夫そうだな」
「そうっすね、僕を見て驚いただけみたいだしもう大丈夫でしょう」
暫く様子を窺っていたが落ち着いて早坂の話しを聞いている五味を見て嶺弥と哲也は部屋から出て行った。
「でも吃驚しましたよ、僕が殺されるなんて縁起でもない」
長い廊下を歩きながら愚痴る哲也の横で嶺弥が楽しそうに笑い出す。
「あははははっ、まぁ色々あるさ、夢で見たって言ってたから哲也くんと似てるのが出てきたんだろ」
「似ててもいいけど勝手に夢に出して殺されるのは御免ですよ」
弱り顔で横を向いた哲也の目に走ってくる早坂が映った。
「もう説明済んだんですか? 」
普段は廊下を走るなと言っている癖にと思いながらも嶺弥の前なので哲也は厭味など言わずに訊いた。
「取り敢えず済んだわ、詳しい話しは後でするから…… 」
息を切らせてこたえる早坂は哲也ではなく嶺弥を見つめていた。
「須賀さん済みません、夜勤明けなのに手伝って貰って」
「嶺弥さん、今日は昼まで残業っすよ」
哲也が言った後に嶺弥が残業になった経緯を説明した。
「そうだったんですか大変ですねぇ」
何故か嬉しそうな早坂を見て今ならいけると哲也が口を開いた。
「五味さんって何の病気なんですか? 僕が殺される夢なんて気になりますよ」
「ダメだよ哲也くん、患者さんの事を訊くのはよくないよ」
やんわりと注意する嶺弥の向かいで早坂が慌てて話し出す。
「今回はいいですよ、哲也さんが殺される夢なんて気になって当り前ですから、それにまた暴れることもあるかも知れないから須賀さんにも説明しておきますね」
早坂が五味のことを話し始めた。普段なら言い渋るのに嶺弥と少しでも話をしたい為なのは哲也には直ぐに分かった。
五味洋司28歳、長身だが細身で頼り無い感じのする大男だ。運動も得意には見えない、どちらかというとひょろ長いオタっぽいタイプである。被害妄想が激しく自分は殺されると騒いで警察の厄介になり入院してきた。不安障害の一つである強迫性障害だ。
五味は悪夢を見るという、人が殺される夢だ。首を絞められて死んでいく人が夢に出るのだという、夢だけなら騒いで入院などしない、夢に見た人が実際に死んだのだ。
その夢の最後に倒れて血を流している自分を見るという、それで殺人犯が次は自分を殺しに来ると騒いだのだ。
「夢で見た人が近くであった殺人事件の被害者と偶然似ていたようなのよ、それで予知夢だと思い込んだらしいのよ、次は自分だって怯えてさっきみたいに騒ぐことがあるから気をつけてあげてくださいね」
哲也に話す口調とは全く違う丁寧な口調で話し終えると最後に嶺弥を見つめて可愛い笑みを作った。
「了解した。他の警備員にも注意するように言っておくよ」
爽やかに微笑む嶺弥の向かいで早坂の頬が赤く染まっていく、
「予知夢か…… 」
考えるように呟いた哲也に早坂が向き直る。
「哲也さん、また話しを聞こうとか思ってるでしょ」
睨む早坂の横に嶺弥が並ぶ、
「まったく仕方ないな哲也くんは」
呆れ顔の嶺弥の隣で早坂がパッと顔を明るくする。
「本当です。須賀さんからも言ってください、私じゃ何度言っても利かないんですよ」
「済みません、俺からも叱っておきますから」
「よろしくお願いしますね、須賀さんが叱ってくれれば安心です」
呆れ顔のまま謝る嶺弥を見つめて頬を赤く染めた早坂が嬉しそうに笑った。
「なっ、2人して僕を悪者扱いしなくてもいいでしょ」
哲也がムッと怒り顔だ。本気ではなく冗談だ。自分をダシに嶺弥と少しでも話しをしたいと考える早坂の気持ちは分かっている。嶺弥も早坂も2人とも哲也は好意を持っている。仲良くしてくれれば嬉しいのだ。
「はいはい、哲也さんが悪さしなきゃ怒らないわよ」
「まったくだ。哲也くんは時々無茶するからね」
並んで睨む2人を見て哲也がニヤッと悪い顔で笑う、
「へいへい、どうせ悪者ですよ……悪者ですから警備員控え室の冷蔵庫にある嶺弥さんのアイス全部食い荒らしてやる」
言い終わるや否や哲也がバッと走り出す。
「哲也くん! 」
直ぐに嶺弥が追い掛ける。
「哲也さん!! 廊下は走っちゃダメでしょ」
後ろで怒鳴る早坂は当然のように哲也しか叱らない。
警備員控え室から哲也が出てきた。
「アイス美味しかったなぁ~、マジで全部食べたかったな」
呟きながらA棟へと歩き出す。
アイスを全て食べる気などはなかったが走りは本気だった。本気で走ったのだが建物から出る前に嶺弥に捕まった。スポーツ万能で普段から身体を鍛えている嶺弥と食っちゃ寝してる哲也と比べるのが間違いである。
「走ったのとアイスですっかり目が覚めたよ」
B棟の前で立ち止まるとニヤッと悪い顔で笑う、
「話しを聞きに行くかな、午前中は早坂さんたち忙しいからやってこないしな、僕に似てるヤツが殺されるって事だから気になったって言えば教えてくれるだろ」
五味に予知夢の話しを聞きに行こうとB棟へと入っていった。
B棟の308号室、五味の部屋だ。
哲也がドアをノックすると患者の服に着替えた五味が顔を出した。
「先程は済みません、少しいいですか」
また暴れないかと哲也が慎重に声を掛けると五味がペコッと頭を下げた。
「こっちこそ済みません、どうぞ入ってください」
先程の怯えようから一転して五味は落ち着いた様子で部屋に入れてくれた。
「さっきの話しなんですが…… 」
言葉を選ぶ哲也を見て五味が苦笑いしながら口を開く、
「まぁ座ってください、俺もあんたとは話したいと思ってたんだ」
「哲也です。警備員の中田哲也19歳です。哲也って呼んでください」
自己紹介すると哲也が椅子に腰掛けた。
「哲也くんか……夢で見たのとそっくりだよ」
五味の顔から笑みが消えた。
「それです。その話しが聞きたくて……気になるじゃないですか、僕が殺される夢なんて……よければ教えてください、警備員ですから夜の見回りもしているので何かあれば五味さんの役に立てるかも知れませんから」
真剣な表情で身を乗り出す哲也の向かいに座ると五味が大きく頷いた。
「俺も話そうと思ってたところだ。夢で見たのが哲也くんなら助けることが出来るかもしれないからな、先生たちは偶然だって言うが……病気で妄想してるだけだって言うが、違うんだ。俺は本当に予知できるんだ。夢で見たんだ。予知夢なんだよ」
念を押すように言った後で五味が話し始めた。
これは五味洋司さんから聞いた話しだ。
五味は小さな商社に勤める普通のサラリーマンだ。勤めて5年以上経つので仕事の段取りは全て把握している。会社にとって主力社員という感じである。
それなりに収入もあり少し古いが2DKの賃貸マンションに1人で暮らしていた。模型と映画鑑賞が趣味なので大きなテレビを置く部屋と模型を作れるスペースが欲しくて2DKにしたのだ。築27年経っているマンションだ。地方という事もあり家賃もそれ程高くはないので満足していた。
取引なども1人で任せられるようになり部下も付いた。順風満帆に進んでいたある日、五味は夢を見た。人が死ぬ夢だ。
「ここは…… 」
薄暗い道を五味は歩いていた。いつから歩いているのか? 何故ここにいるのか? 頭の中は靄が掛かったようでハッキリしない。
「まぁいいか……歩かなくちゃ」
一歩踏み出すごとに気持ちが良い、ふわふわと雲の上を歩いているような気分になる。
何も考えられない、何かに操られるかのように足が勝手に進んでいく、
「誰? 」
薄暗い先に人がいた。ふわふわと五味が近寄る。
「ぐがっ! がっ!! ぐふぅぅ…… 」
場面が切り替わったように女の顔が見えた。
苦しげに呻き声を上げる女の首に手があった。誰かが首を絞めている。
「かっ……かはっ、くぅぅ………… 」
ビクッと震えると女は動かなくなった。女の首から手が離れていく。
気持ち良い……、五味は何とも言えない心地好さを感じた。
次の瞬間、バッと場面が切り替わる。
「誰? 倒れてる」
男が倒れていた。誰だろうと確かめるように近付いていく、
「俺? 俺だ……俺が死んでる」
男に自分の顔が付いていた。その頭がぱっくりと割れて辺りが真っ赤に染まっている。
「俺が……俺が死んでる……俺が……… 」
頭の中に掛かった靄が晴れていく、
「うわぁあぁ~~ 」
叫びを上げながら目を覚ますとベッドの上だった。
「ゆっ、夢か……マジでビビった」
ぜいぜいと息をつきながら上半身を起して時間を確かめる。
「まだ3時か……まったく、なんて夢だ」
血溜まりの中、頭を割って倒れている自分を思い出す。最後に見た自分の死顔が強烈で夢の最初の方は完全に頭から消えていた。
トイレに行って二度寝をする。毎朝起きるのは7時だ。まだ4時間も眠れるのだ。
夢のインパクトが大きくて暫くゴロゴロしていたがいつの間にか眠りに落ちていた。
「ここは? 」
気が付くと薄暗い道を歩いていた。ふわふわと頭も身体も気持ちがいい。
「向こう? 」
薄暗い道の先がぼうっと明るい、そこへ向かって五味が歩き出す。
「女だ…… 」
道の端を女が歩いている。ウォーキングだ。両手を振りながら早足で歩いていた。
ふわふわとぼやけた頭で五味が近付いていく、
「ぐふっ! くあぁ…… 」
場面が切り替わるようにして苦痛に歪む女の顔がアップになった。その首に手が掛かっている。女は首を絞められていた。
「かっ……がはっ……くあぁぁ………… 」
口から涎を垂らす女の苦痛に歪む顔をじっと見ていると何とも言えない快感を感じて五味は心地好さに笑みを漏らした。
「気持ちいぃ…… 」
「くぁがっ! 」
ビクッと震えると女は動かなくなった。
首を絞めていた手がすっと離れていく、ホラー映画でも見ているような気持ちでもう終わりかと五味ががっかりしながら倒れた女の顔を覗き込む、
「ふぅぅ…… 」
驚きに五味が仰け反る。
「おっ、俺だ…… 」
倒れていた女がいつの間にか五味自身に変わっていた。
血溜まりの中、頭がぱっくりと割れて灰色の脳が見えている。
「ふぁぁ……うわぁぁあぁ~~ 」
叫びながら目が覚めた。
「なっ! まっ、また夢かよ…… 」
五味がベッドの上で上半身を起した。窓からは日が差し込んでいる。
「なんて夢だ……ホラー映画の見過ぎかな」
映画鑑賞が趣味である五味には映画を見ているような感じに思える夢だった。
「6時半か……一寸早いけど起きるか」
変な夢を見たと、何かの映画の影響かなと苦笑して気にもせずに起きる。寝汗でシャツはぐっしょりと湿っていた。
普段は浴びないシャワーを浴びてから仕事に向かった。
その夜、同じ夢を見て深夜に飛び起きた。
「うわぁあぁ~~ 」
布団を捲るようにしてベッドの上で目を覚ます。
「ゆっ、夢か……なんて夢だまったく、縁起でもない」
深夜の2時を回っていた。まだ眠れると愚痴りながら目を閉じた。
「ここは? 」
気が付くと薄暗い道を歩いていた。靄が掛かっているかのように頭がぼーっとする。何も考えられないのではなく、考えようともしていない、ただただふわふわとして気持ちが良かった。
「あれは……女だ」
前を歩いている女がいた。中年女性だ。ウォーキングをしている。
「行かなきゃ」
何かに操られるかのように五味が近付いていく、
「くがっ! ぐぅぅ…… 」
首を絞められている女の顔がアップになる。それを恍惚の表情で五味が見ていた。サスペンスやホラー映画を見ているような気持ちだ。
「ふぐぅ…… 」
女がビクッと震えて動かなくなる。女の首を絞めていた手がすっと離れていく、もう終わりかと五味が近付いていった。
「はっ、はぁあぁ………… 」
驚いて五味が尻餅をつく、倒れていた女が自分に変わっていた。割れた頭から血を流した自分自身が倒れていた。
「ふはっ! ふぁあぁぁ~~ 」
叫びを上げて目を覚ます。
「ゆっ、夢か……なん!? 」
また夢かと安堵して辺りを見回した五味がその場で固まる。
「玄関? 」
夢の中で尻餅をついた体勢で固まった五味の目の前に玄関のドアがあった。
「なんで? 」
混乱した頭で必死に考える。
「寝惚けたのか……怖い夢を見て逃げようとして寝惚けたまま歩き回ったんだな」
自分に言い聞かせるように理由を作った。
「もう6時半か…… 」
顔を洗おうと立ち上がった足に異常を感じた。
「ん? 汚い……玄関で汚れたか」
足の裏が砂で汚れていた。玄関に置いていたマットで拭くと気にした風もなく洗面所へと入っていった。
普段通りに仕事にいくと夢のことを部下たちに聞かせた。悪夢を見ると、女が首を絞められて死ぬ夢を何度も見るので疲れると話すと部下たちはストレスでも溜まっているんじゃないかと心配してくれたが最後に自分が倒れて死んでいると五味が話すと冗談と思ったのか大笑いしてその場は終った。
五日ほど経った。毎晩のように首を絞めて殺される女の夢を見ていた。最後に自分が倒れて死んでいる夢だ。
「おわっ! 」
深夜、ビクッとして目を覚ます。
「ここは? マンションの階段かよ」
五味の部屋はマンションの3階にある。エレベーターもついているが疲れた時以外は運動を兼ねて階段を使っていた。その階段の踊場に寝間着代わりのジャージを着たまま立っていた。
「また寝惚けたか……あの夢の所為だ。まったく」
悪夢を見て逃げるように寝惚けたまま部屋を飛び出したのだ。ここ数日の内に玄関前やマンションの廊下に出ていたことが数回あった。全て悪夢を見た後だ。
「自分が頭を割られて死ぬ夢だ。逃げ出したくもなるよな」
寝惚けているのを人に見られると恥ずかしいと慌てて部屋へと戻った。
「3時でよかったぜ、朝なら誰かに見つかってるところだ」
時間を確認するとベッドに潜り込んだ。
「死んだ後の俺はどうなるんだろうな? 夢の続きはどうなるんだ? 」
五味が考えながら目を閉じる。
悪夢でも何度も見ると慣れるものだ。初めの頃の恐怖など無くなっていたが最後に見る血塗れの自分だけは驚いて目を覚ましてしまう。
続きがあるなら見たいと思いながらいつの間にか眠りに落ちていた。
「ここは…… 」
気が付くと薄暗い道を歩いていた。
頭の中はハッキリとしないがふわふわと気持ちがいい。
「女だ…… 」
何かに操られるかのように歩いているとウォーキングをしている中年女性が前にいるのが見えた。
挨拶でもしようと五味が近付いていく、次の瞬間、場面が切り替わるようにして女の顔がアップになる。
「ひぅっ! かはっ、がぁあぁぁ………… 」
涎を垂らしながら苦しげに顔を歪める女の首に手が見えた。
「いへへっ……ふふっ」
誰かに首を絞められている女を見ながら五味は笑っていた。何故だか分からないが苦しむ顔を見ていると何とも言えない快感を感じた。
「ふはっ? 」
大きな音で目が覚めた。
「なんだ? 」
五味が布団の中で身を固くする。
「パトカーか? 事故でもあったか」
大きな音はパトカーのサイレンの音だ。
「朝っぱらから煩いなぁ~~ 」
時間を確認すると早朝の5時半だ。
五味はベッドから出るとバルコニーから外を見る。
「救急車も来てるな、人身事故でもあったのかな」
家々に塞がれて見えないが自分の住むマンションから直線距離で50メートルほどの先でパトカーや救急車が集まっている様子だ。
「事故か……そういや俺が死ぬところ見れなかったな」
サイレンの音で起されて悪夢の続きを見ていないのを思い出し苦笑した。
「今から寝ると寝坊しそうだから起きるとするか」
三度寝は流石にヤバいと5時半だが起きることにした。
時間に余裕がありネットやSNSをしてゆっくりとした朝を過ごして仕事に向かった。
仕事から帰ってきてニュースを見て驚いた。近くで殺人事件があったという、その事件で早朝にパトカーが集まっていたのだ。
「一人歩きの女が殺されたのか……直ぐ近くだし物騒だな、朝は起されるしマジで勘弁してくれ」
迷惑顔で呟きながら晩酌を終えると普段のように風呂に入ってテレビを見ながらネットやSNSをして寝床についた。
「ふぁあぁぁ~~、よく寝た」
午前7時にセットしてある目覚まし時計が鳴る前に目を覚ました。
「6時47分か……そういや変な夢見なかったな」
寝惚け頭で悪夢を見ていなかったと考える。
「ふぁあぁ~~、まぁ悪夢を見るのがおかしいんだけどな」
伸びをして起き上がると普段のように顔を洗って食事をしてネットやSNSをチェックしてから仕事へ向かった。
夜の7時半過ぎ、仕事から帰ってきた五味がコンビニ弁当を肴に晩酌していると警察官が訪ねてきた。今朝起きた事件の被害者だという中年女性の写真を見せられて何かなかったかと尋ねられたが寝ていてパトカーのサイレンで起されたと迷惑そうにこたえると警察官は協力ありがとうと言って去って行った。
部屋に戻って晩酌を再開する。
「あの女…… 」
缶ビールを口に付けたまま五味が固まった。
「夢で見た女だ! 」
警官が見せてくれた写真に写っていた中年女性と毎晩のように夢で見ていた苦しむ女の顔が頭の中で重なった。
五味の震える手から缶ビールがすっと抜けるように落ちて床に転がった。
「まっ、間違いない……夢で見た女だ……夢で見た女だ」
床に広がるビールを無視してテレビのチャンネルを変えていく、
「ニュースだ……ニュースを見せろ」
時刻は8時前、番組と番組の間にやっている短いニュースで事件が放送された。
「絞殺……首を絞められて殺されたんだ。間違いない夢と同じだ……女が殺されるのを夢で見たんだ」
中年女性が絞殺されたとニュースでやっているのを見て五味は驚くと同時に凄いと思った。
「俺は女が殺されるのを夢で見たんだ。予知夢だ! 」
興奮してテレビのリモコンを机に叩き付けるように置いた五味の目に床に広がるビールが映る。
「うわっ! ビールが……勿体無い」
慌てて缶ビールを拾い上げるが殆ど溢れて残っていなかった。
「あ~あ、勿体無い……仕方ない缶チューハイでも飲むか」
キッチンからタオルを持ってきて溢れたビールを拭いた。タオルを洗濯機に放り込むついでに冷蔵庫から缶チューハイを持ってきて飲み始める。
「予知夢だ! 凄いぞ、俺は事件を予知したんだ」
酔いと興奮が混じって高揚していく、自分が偉くなったような気持ちになった。
「凄いぞ! 明日聞かせてやろう、俺は予知できるってな」
会社の部下たちに話しを聞かせようと浮かれながら風呂に入って普段より少し早く眠りについた。
翌日、会社で予知夢のことを話した。大袈裟に驚いてくれる部下もいたが殆どは作り話だと思っているのか小馬鹿にした顔で聞いていた。機嫌を悪くした五味は夢のことを話すのを止めた。
それから1週間ほどは何事もなく過ごした。
風呂から出た五味が仕事帰りにスーパーで買ってきた総菜をテーブルに並べる。休日前の晩酌だ。
「明日は休みだし今日は飲むぞ」
テレビを点けながら500ミリの缶チューハイを開けるとゴクゴクと喉を鳴らして流し込む、
「はぁぁ~~、これだよな、休み前の酒は最高だよな」
ネット通販で買った映画を見ながら楽しい時間が過ぎていく、
「今一だったな、初めは面白かったんだがあのオチはないよな、続きで謎が解けるのかな……まぁ明日にしよう、もう眠い」
午前0時頃、良い気分で酔っ払った五味はベッドへと倒れ込んだ。
「んあ? ここは何処だ? 」
気が付くと薄暗い道の真ん中に立っていた。酔っているためか頭の中がふわふわして気持ち良い。
「向こう…… 」
道の先に光が見える。五味は何かに操られるかのように歩き出した。
「誰か居る……酔っ払いか」
男がフラつきながら歩いていた。追い付こうと五味が足を速めた。
次の瞬間、場面が切り替わるように男の顔がアップになる。
「くっ! くはっ……ぎはぁぁ………… 」
顔を歪ませ苦しげに唸る男の首に手が見えた。
「爺だ……酔っ払いじゃなかった」
白髪頭の老人だった。苦痛に歪む老人の顔を見ていると何とも言えない快感を感じて五味の口元に笑みが浮んだ。
「くっ、くぅぅ………… 」
喉から掠れた笛のような音を出して老人は動かなくなる。
「もう終わりか」
恍惚の表情で見ていた五味が呟いた。
五味の見ている前で老人の首を絞めていた手がすっと離れていく、倒れた老人の顔を五味が覗き込んだ。
「しひぃ~~、俺だ……俺が死んでる」
いつの間に入れ替わったのか老人ではなく自分が倒れていた。血溜まりに頭の割れた自分自身が倒れている。死んでいる自分を自分が見ているのだ。
「うわっ! うわぁあぁぁ~~ 」
叫びと共に目が覚めた。
「ゆっ、夢か…… 」
ベッドの上だとわかって五味が安堵する。枕元のスマホで時間を確認すると深夜の2時過ぎだ。
「次は爺かよ……なんだってんだ。酔いが覚めちまったよ」
ベッドから出るとキッチンへ行って冷蔵庫から缶ビールを取り出した。
「明日は休みだからな、飲み直しだ」
テレビを点けて深夜番組を見ながら缶ビールを一缶空けた。
先に飲んだ酔いと合わさって直ぐに良い気分になって眠気が襲ってくる。
「ふわぁぁ~~、明日は肉でも食いに行くかな」
30分ほど起きていたが眠気には勝てずにベッドに潜り込んだ。
「ここは…… 」
気が付くと薄暗い道にいた。明るくなっている道の先へと歩き出す。
「あ? 爺さんだ」
先を歩いている老人を見つけた。追い掛けるように歩き出すと場面が切り替わるように老人の顔がアップになる。
「がっ……くぅぅ……かはっ! 」
苦しげに呻く老人の首に手が掛かっている。ふわふわとした心地好い気分の中で五味は首を絞められている老人を見ていた。
「がはっ……ぐぅぅぅ………… 」
喉から掠れた声を上げて老人が動きを止めた。
「もう終わりなのか? 」
催促するように五味が言った。何故かわからないが苦しむ老人の顔を見ていると心地好かった。性的快感を感じたといってもいい。
もっと快感を得ようと倒れた老人を覗き込む、
「はわっ! 俺だ……俺が死んでる。俺の死体だ」
驚きに五味が身を仰け反らせる。頭の割れた自分自身が倒れていた。
「わぁあぁぁ~~ 」
叫びと共に目を覚ます。
「夢……なん!? 」
夢だとわかって安心した五味がその場で固まる。
「こっ、公園だ…… 」
マンション前の小さな公園のベンチに腰を掛けていた。辺りは既に明るくなっている。日の昇ったばかりの早朝といった感じだ。
「夢か? 」
これも夢かと自身の頬を両手で挟むようにパンパン叩く、
「痛てて……夢じゃない」
夢でないのがわかって慌てて辺りを見回した。
「 ……よかった誰も居ない」
周りに誰も居ないのを確認して逃げるように自分のマンションへと走り出す。
「寝惚けてたんだ。怖い夢を見て逃げようと寝惚けて部屋を出たんだ」
エレベーターを使わずに階段を駆け上って自分の部屋へと戻る。
「5時か……よかった。7時とかじゃ誰かに見られて笑いものだぞ」
靴箱の上に置いてある時計で時間を確認してほっと安堵の息をついた。
素足のまま外に飛び出したらしい、汚れた足をマットで拭いて部屋へと入る。
「夢か……予知夢だ。これも予知夢に違いない、前の犯人も捕まってないんだ」
8日ほど前に起きた殺人事件を思い出す。夢で見た通りなら次は老人が殺されると五味は思った。
「警察に……いやダメだ。夢の話しなんて信じてくれるかよ、会社の連中だってバカにしてやがったんだからな」
通報しようと一瞬思ったが直ぐに止める。それよりも只の偶然か予知夢か、次でわかると考えた。
「マジで予知夢なら凄いぞ、バカにした会社の連中覚えとけよ」
五味がベッドに潜り込む、走った所為か眠気は覚めていたが予知夢ならハッキリと老人の顔を覚えておきたいと思ってまた夢が見られるかも知れないと横になったのだ。
目を閉じて眠ろうと頑張っている五味の耳にサイレンの音が聞こえてきた。
「煩いなぁ~ 」
目を開けて愚痴る間にもサイレンの音は大きくなっていく、
「パトカーと救急車か? 」
マンションの近くでサイレンの音が止んだ。
「まさか! 」
ベッドから飛び起きるとバルコニーに出る。
「マジかよ…… 」
パトカーと救急車がマンション下の道路から2つ向こうの細い道路に止まっているのが見えた。五味が先程までいた小さい公園とは反対側だ。
病人を乗せたのか救急車がサイレンを鳴らして走っていく、現場検証をしているのかパトカーは止まったままだ。
「予知夢だ。予知したんだ」
救急車には夢で見た老人が乗っているのだと五味は思った。同時に体が震えてくる。
「俺も殺される……頭を殴られて死ぬんだ」
頭を割られて血溜まりに倒れている自分を思い起こしてブルブルと震えた。
「殺される…… 」
震えながら部屋へと戻るとベッドに潜り込む、
「向こうへ行っていたら俺も一緒に殺されてたんだ」
寝惚けて出たのが公園ではなく反対側へ行っていればどうなっていたか考えると震えが止まらない。
「警察に相談するか? いやダメだ。変なヤツと思われるだけだ。どうにか外へ出ないようにするしかない、でもどうする? 鍵は掛けてた。チェーンキーも外して出てるみたいだからな」
布団に包まりながら必死に考える。
「どうにかして寝惚けて外に出ないようにしないと……寝る前にドアのところに古本でも詰めた段ボール箱を置いとけば足でもぶつけて目を覚ますはずだ」
五味は押し入れから古雑誌の入った段ボール箱を取り出すと玄関ドアの横へと置いた。
結構大きな箱である。ハッキリ言って普段の出入りに邪魔になるが寝る前にドアを塞ぐように置けば寝惚けて出ようとしても躓いて気付くはずだと考えたのだ。
「取り敢えずこれで大丈夫だろう……これでダメなら引っ越そう、殺人犯のいない場所へ引っ越せば安心だ」
落ち着いたのか震えは止まっている。
安心したら力が抜けたのか五味はソファに座り込む、何気なくテレビを付けるとニュースが流れていた。
「やっぱり予知だ……予知夢だ。俺は予知夢を見れるんだ」
朝のニュースで五味の住んでいるマンションの近くでまた殺人事件が起きたと大きく報道されていた。老人が絞殺されたと聞いて予知夢に違いないと確信した。
「予知夢なら俺も殺される……いや、予知夢なら避けることも出来るはずだ。その為の予知じゃないのか? そうだ。避けられるように神様が教えてくれているんだ」
必死で考えて都合のよい解釈をした。
「出来るだけ部屋から出ないようにしよう、残業も断って夜は絶対に出ないぞ」
犯人に襲われるのは深夜で場所は外だ。中年女も老人も深夜に被害に遭っている。部屋に籠もっていれば安全だと五味は考えた。
「夜中に買い物に行かなくてもいいように買い溜めしておこう、酒とつまみと……缶詰やラーメンとか買っておこう」
必要なものをメモしていく、昼間に買い物を済ませて部屋に籠城する作戦だ。
取り敢えず必要と思われるものを買い溜めした五味が安心して少し早い晩酌をしていると夕方のニュースで事件の詳細が流れた。
「やっぱり…… 」
五味が持っていた缶チューハイをテーブルの上に置く、その手が震えていた。
連続殺人事件として公開捜査が行われて前の女性と共に今回の被害者である老人の顔も発表された。
「あの爺さんだ……マジで予知夢だ」
テレビに映る老人の顔を見て五味は震えが止まらない、夢で見た老人の顔がそこに映っていた。
暫くは何事もなかったが5日ほどしてまた悪夢を見た。若い男が首を絞められて死ぬ夢だ。最後に五味が血を流して倒れている夢だ。
「うわぁ~~ 」
五味が叫びながら飛び起きる。
「また殺人事件の夢だ……次は二十歳くらいの男だ。それで俺も殺されるかも知れない」
ベッドの上とわかって安心するが俺も殺されると涙を流す。
「部屋から出なければ大丈夫だ……夜に出なければ大丈夫だ」
夜中の0時を回っていたが恐怖を紛らわそうと酒を飲み始める。いつの間にかテーブルの横に倒れ込むようにして眠っていた。
「ここは? 」
薄暗い道の真ん中に五味は立っていた。
「行かなきゃ…… 」
何かに操られるかのように歩き出す。
「男だ…… 」
前を歩いていた男に近付いていく、次の瞬間、場面が切り替わるように男の顔がアップになる。
「ぐっ! やめっ……ぐぅぅ………… 」
苦しげに顔を歪めながら若い男が首に掛かる手を解こうと暴れた。
ふわふわとした心地好い気分で見ていた五味が戸惑うように口を開く、
「違う……いつもと違う」
「ぐぅぅ……やめて……止めろって言ってんだ! 」
若い男が怒鳴りながら首を絞める手を振り解いた。
『ひひっ、失敗した』
男の横を細長い影が通り抜けていく、首を絞めていた犯人だろう。
『どけ! 役立たずが』
細長い影が近くで見ていた五味を手で払うように乱暴にどかせて走って行った。
「ああぁ…… 」
細い影に押されて倒れ込む五味が驚きの呻きを上げた。細長い影のようなものに自分の顔が付いていた。
「俺だ……俺が……… 」
倒れていく時間がスローモーションのように感じる。
先程まで感じていたふわふわとした心地好さは消えていた。倒れていく最中なので当然だが落ちていくような感覚に変わっている。
「がっ! 」
頭に衝撃を感じた。目の前が真っ暗になった後、直ぐ前に地面が見えた。横になって見ている地面に真っ赤な液体が広がっていくのが見える。
呆けていた意識がハッキリとしていく、頭の中に血溜まりに倒れている自分が浮んだ。何度も夢で見ている自分だ。俺は死んだんだと思った。頭を割られて殺されたんだと思った。
「死にたくない! 助けてくれ! 」
叫びを上げながら目を覚ますと部屋ではなく外にいた。
「ここは? 俺の部屋は? 」
50メートルほど向こうに自分のマンションが見える。マンション前の道路から2つほど向こうの道路に居るのが分かった。
「こっ、殺される……次は俺が殺される。早く戻らないと…… 」
五味が怯えながら部屋に戻ろうとした時、人影が見えた。
「きっ、来た……殺される……嫌だ……死にたくない…………ひぃぃ……嫌だぁ~~ 」
走って逃げ出す五味を人影が追ってくる。
「ひぃいぃ……殺される……うひはぁぁ……ひぅぅ…………ひひっ、ひしぃぃ…… 」
パニックを起して暴れている五味を巡回していた警察官が取り押さえる。
「ひぅっ! ひひっ、いひひっ、くはぁぁ~~ 」
正気を失った五味は警察に保護された。
翌日、五味は事情聴取を受ける。夢の話をして自分も殺されるので保護してくれと訴える五味の目付きは普通ではない、言動もおかしく訝しんだ警察が心療内科医に診てもらうと不安障害と診断された。
情緒不安定になったのか2日経っても殺されると喚き散らす五味に手を焼いた警察がしばらく入院することを勧めてくる。
五味自身も警察が保護してくれないのならと自ら磯山病院へと入院する事にした。心の病とは思ってはいないが何かに操られて外に出て殺されるよりましだと考えた。病院は安全と考えて入院してきたのだ。磯山病院も被害妄想が激しく不安障害の一つである強迫性障害だと判断して入院を認めた。
これが五味洋司さんの教えてくれた話しだ。
話し終えた五味がじっと哲也を見つめる。
「最後に見た男があんたにそっくりだった」
「僕にそっくり? 」
自身を指差す哲也の向かいで五味が頷く、
「改めて見ると間違いない、あれは警備員さんだ。だから…… 」
緊張したのかゴクリと唾を飲み込んでから五味が続ける。
「だから驚いたんだ。次は警備員さんが殺されるんだ。彼奴が追い掛けてきたんだ。細長い影のような殺人鬼が…………ここなら安全だと思ったのに…… 」
小さなテーブルの向こうから神妙な表情をした五味が身を乗り出す。
「初めは只の予知夢だと思ってたんだ。でも違った。最後に見た細長い影のようなヤツ、彼奴が全部悪いんだ。彼奴が俺を操って……寝惚けた俺を外に出して殺そうとしてるんだ。殺された女と爺さんも俺みたいに寝惚けて外に出たのかも知れない、全部彼奴がやったことなんだ。だから、だから警備員さんは……哲也くんは逃げた方がいい、殺されるぞ」
「殺されるって言われても…… 」
五味の迫力に哲也が腰掛けたまま仰け反るように身を引いた。
「今なら間に合う! その為の予知夢だ。女と爺さんは何処の誰だか分からなかったから何も出来なかったが哲也くんは違う、殺される前に会えたんだ。だから逃げるんだ。警備員なんて辞めて逃げるんだ」
「辞めろと言われても…… 」
哲也が口籠もる。辞めるも何も哲也は本物の警備員ではない、患者だ。先生の許可がないと病院の外に出ることなど出来ないのだ。
「死にたいのか! 直ぐに逃げるんだ。予知夢は本当なんだ。俺が殺される前に哲也くんが殺されるんだ……だから俺も逃げる。次に殺されるのは俺だ」
睨み付ける五味の目が普通じゃない、狂気が宿っていると言ってもいいギラついた目だ。
自分が殺されるなど縁起でもないと思いながら哲也が引き攣った顔で口を開く、
「予知夢ですか……大丈夫ですよ、ここは安全です。この病院は高い塀に囲まれていて部外者は入れませんから、警備員も看護師さんも沢山いて見回りもしているし門とか玄関には監視カメラも付いてますから」
「絶対って言い切れるのか? 哲也くんは俺が殺されたら責任取れるのか? 」
目を血走らせて口角泡を飛ばす五味にヤバいものを感じながら哲也が落ち着かせるように優しく声を掛ける。
「五味さんの先に殺されるのが僕ですよね、じゃあ、僕が殺されるようなことになればその後で病院を代わればいいじゃないですか、今代えてくれって言っても入院したばかりじゃ通りませんよ、それこそ病状が悪化したって思われて下手したら隔離病棟へ移されるかも知れません」
哲也の優しい物言いに少し落ち着いたのか五味が椅子に座り直す。
「でもそんな事したら哲也くんが死ぬんだぞ」
「大丈夫ですよ、僕は警備員ですよ、護身術は一通り出来ますから簡単に首を絞められたりしませんよ」
護身術なんて何一つ出来ない、嘘をつきながら優しい笑顔を作る哲也の前で五味が考え込む、
「警備員……昼間の須賀ってヤツは凄かったからな」
「嶺弥さんは柔道と空手の黒帯ですからね、僕はその須賀さんの部下ですよ、だから安心してください、殺人犯なんて逆に取り押さえてやりますよ」
嶺弥のことを凄いと言われて哲也が嬉しそうにこたえる向かいで五味がわかったと言うように頷いた。
「黒帯か……そうだな、予知夢でも哲也くんが死ぬのは見てないからな、首を絞められてたけど追い払ったからな……だから細い影のヤツが姿を見せたんだ。でもその後で俺が死ぬのが見えたけど………… 」
不安顔で見つめる五味に哲也が胸を張って口を開く、
「大丈夫ですよ、予知夢の時と違ってここは病院ですよ、予知夢のようにはなりませんよ」
「 ……そうだな、少し様子を見てみるよ」
「安心してください、見回りも重点的にしますから、じゃあ、僕はこれで」
「ありがとう哲也くん」
部屋を出て行く哲也の背に五味が顎だけを動かすようにして頭を下げた。
その夜、深夜3時の見回りで哲也がB棟へと入っていく、
「異常なぁ~し」
いつものように最上階から下りながら見回っていく、五味の308号室前で足を止めた。
「予知夢か…… 」
呟きながらドアに顔を付けるようにして中の様子を伺う、
「異常無しっと、夜中に暴れるよりましだな」
五味の話は信じてはいない、自分が殺される話しなど信じられないといった方がいい、強迫観念による妄想だと考えている。
「細い影のようなヤツか…… 」
哲也が見回りを再開する。五味の話した『細い影のようなヤツ』だけが気に掛かった。霊現象だと思えるものはそれしかない、もっとも、全て夢だといえばそれまでだが。
「B棟異常無しっと! 」
B棟から出るとC棟へと向かう、コンクリートが敷いてあるだけの細い道を歩いていると後ろに気配を感じた。
「嶺弥…… 」
警備員の嶺弥だと思って振り返ろうとした哲也の首に冷たい手が触れた。
「うわっ! なん? 」
驚く哲也の首が絞められていく、
「ぐがっ! やっ、止めろ……がっ、ががっ」
首に掛かる手を解こうと哲也が暴れるが相手は背が高く上から押すように締め付けてくる。
「ぐぅぅ……ぐぐっ……ぐがっ! 」
哲也は持っていた警棒代わりにもなる長い懐中電灯で背後の男を突くように殴りつけた。
『ぎへっ! 失敗か』
男の声が聞こえたような気がするが哲也はそれどころではない、苦しげにその場に蹲って荒い息をどうにか整えた。
「くそっ……誰がこんな事を………… 」
息を整えて辺りを見回すが既に誰も居なかった。
「予知夢か……あれが細長い影のようなヤツだな」
立ち上がるとズボンに付いた汚れを払う、急に後ろから襲われたので顔は見ていない、わかっているのは哲也よりも遙かに背が高いという事だけだ。
「予知夢の通りだ……五味さんが危ない! 」
哲也が慌ててB棟へと戻っていく、階段を駆け上がり五味の308号室のドアをそっと開けた。
「よかった……本当に予知夢なら部屋の中は安心だな」
ベッドですやすやと眠っている五味を見て哲也はそっとドアを閉じた。
警戒しながら見回りを再開する。
「細長い影のようなヤツか……五味さんの話は本当だ。悪霊か何かだとしたら…… 」
襲われたことは誰にも話すつもりはない、幽霊などと話せば病状が悪化したのだと思われて薬やカウンセリングが増えるだけだ。
警戒しながらだったので普段より時間は掛かったがその後は何も起らずに見回りを終えた。
「僕が殺されるか……縁起でもない」
部屋に戻ってベッドに潜ると安心したのか恐怖が襲ってきてブルッと震えた。
2日経った。緊張した面持ちの哲也が夜10時の見回りに出る。一昨日の出来事は五味には話していない、怖がってパニックを起して暴れるといけないと思ったのだ。
「誰だ! 」
棟と棟を繋ぐ細い道を歩いていた哲也がバッと振り返る。
「風か鼠か…… 」
構えていた警棒にも使える懐中電灯を安堵の息と共に下ろす。
「触ることは出来たからな、幽霊でも何でも殴ることは出来るはずだ」
ハッキリ言って怖い、だが殺されてたまるかという気持ちが上回っていた。
何も異常は無く夜10時の見回りは終った。
仮眠を取ると深夜3時の見回りに出て行く、
「B棟異常無し! 」
辺りを見回しながら哲也がB棟から出てくる。一昨日はこの辺りで襲われたのだ。弥が上にも緊張が高まっていく、
「昨日も何もなかったしな、一度で諦めたのかな……五味さんも僕が死ぬ顔は見てないって言ってたし」
C棟へと入るとほっと安堵して呟いた。予知夢によると襲われるのは外だ。本当に予知夢だとしたら建物内では襲われないので安心できる。
「C棟異常無しっと」
普段のように軽い口調で哲也がC棟から出てきた。
「もう大丈夫そうだけど一応気を付けるか」
用心しながら歩き出す。
哲也の後ろ、C棟の建物の影から何かが飛び出してきた。
「なん!? 」
驚く哲也の首に五味の両手が掛かる。
「いっ、五味さん…… 」
見知った顔を見て一瞬気の緩んだ哲也の首筋に五味の両手が食い込んでいく、
「ぐがっ……ぐぐぅ……うぐぅぅ………… 」
余りの苦しさに霞んでいく哲也の目に五味の顔が歪んで見える。
『ひひっ、死ね、死ねぇ~ 』
影だ! 灰色の細長い影がそこにいた。五味の顔を付けた細長い影を一瞬だか確かに見た。
「がっ……ぐぐぅぅ………… 」
哲也の気が遠くなっていく、
「何をしている! 」
身体から力が抜けて崩れていく一瞬、大声が聞こえたような気がした。
「哲也くん、大丈夫か、哲也くん」
身体を揺さぶられ頬を叩かれて哲也が目を覚ます。
「 ……嶺弥さん? ここは? 」
頭がクラクラする。心配するような嶺弥の顔が見えた。
「哲也くんよかった」
優しく微笑む嶺弥の顔を見ているうちに哲也の頭がハッキリとしていく、
「うわぁぁ~~、助けて! 嶺弥さん助けて! 」
恐怖が一気に押し寄せてきて哲也は叫びながら嶺弥に縋り付いた。
「もう大丈夫だよ、安心しろ哲也くん」
抱き付く哲也の背を嶺弥が優しくポンポン叩いてくれた。
嶺弥の温かさに哲也から恐怖がすっと消えていく、
「誰かに襲われて……ありがとうございます」
哲也がはにかむように嶺弥から離れた。
「襲ったのは五味さんだよ」
気が付かなかったが嶺弥の後ろに五味が立っていた。
「てっ、哲也くんごめん……俺が……俺が……… 」
何か話そうとするが五味はブルブルと震えて言葉にならない、その顔は薄暗い夜でもわかるほど真っ青だ。
「五味さんが? 」
怪訝な顔をした哲也が答えを求めるように嶺弥を見つめた。
「たぶん夢遊病だ。哲也くんの首を絞めている五味さんを見つけて俺が引き離した。驚いたよ、五味さんは眠っていたんだ。逃げようとした五味さんを捕まえて頬を叩いて起したら何も覚えていない、外に出ていることに驚いていた。それでわかったんだ。医者じゃないのでハッキリとした病名はわからないが夢遊病ってヤツで間違いないだろう」
「夢遊病…… 」
驚いて哲也が五味に向き直る。
「済まん哲也くん……俺はまったく覚えてないんだ。でも須賀さんが言うならそうなんだろう、予知夢じゃなくて夢遊病だったんだ。俺は……俺は…… 」
焦りを浮かべる五味に嶺弥が声を掛ける。
「取り敢えず部屋に戻りなさい、詳しくは明日にしよう、俺に話しても仕方がないからな、明日一番で先生に診てもらおう」
優しく言った後で哲也に向き直る。
「哲也くんも今日は戻れ、後は俺がやっておく」
「わかりました」
頷くと哲也が五味に微笑みかける。
「病気じゃ仕方ないですよ、先生に相談して対策を考えましょう、今日は戻って寝てください、僕も寝ますから」
「哲也くん……本当に申し訳ない」
五味が深々と頭を下げた。
見回りを中断すると哲也が五味を部屋まで送っていった。
「夢遊病か……だとすると事件は全て………… 」
B棟へと入っていく哲也と五味を見つめて嶺弥が厳しい表情で呟いた。
翌日、問診を受けた五味は睡眠時遊行症だということがわかった。問診には哲也と嶺弥も参加して昨晩のことを説明した。五味を気遣って襲われたことは話さずに寝ながら歩いていたことだけを話す。襲われたなどと話せば隔離病棟送りになりかねない、哲也の優しさだ。
睡眠時遊行症とは所謂、夢遊病と呼ばれているものだ。眠っているはずなのに起き出して何かしらの行動を取る睡眠障害である。
家の中をうろうろと歩き回る軽度のものから外を歩き回り家から遙かに離れた場所で目を覚ます事もある。重度のものには車を運転した事例もある。暴力行為や性的活動に及ぶ場合もあり本人だけでなく周囲も巻き込む厄介な障害だ。
多くの場合、数分から数十分ほどで目を覚ましたり再び普通に入眠して動かなくなるのだが稀に1時間以上も歩き回ることもある。
12歳以下の子供に発症する場合が殆どだが大人でも発症する。大人に発症する原因の多くがストレス過多や鬱病など精神に問題のある場合が多い、不眠症や睡眠リズムの乱れなど他の睡眠障害によって引き起こされることもある。
昼食後、哲也は五味の部屋を訪ねた。
「哲也くん……昨日は済まなかった」
青白い窶れた顔で五味は謝りながら部屋に入れてくれた。
「その事なんですが…… 」
「わかってるよ」
言い辛そうな哲也に座れというように椅子を指差すと向かいに五味が座った。
「予知夢じゃなくて夢遊病だ……夢遊病で出歩いて俺が襲ったんだ」
「僕もそう思います」
椅子に座ると哲也が続ける。
「五味さんは病気です。夢遊病で結果的に事件を起したんだ。態とじゃない、意識もなく眠ったまま事件を起したんです。だから…… 」
女と老人を殺したのは五味だろう、夢遊病で寝ながら2人を殺したのだ。夢で見た通りに首を絞めて殺したのだ。
何とも言えない苦い表情の哲也の向かいで五味が自嘲するように笑う、
「わかってる。俺が殺したんだ。夢で見た通りに……夢で見たんだ。ふわふわと浮いているような良い気持ちだった。苦しむ顔を見ていると気持ち良かった。自分が死んでいるのは怖かったが他の奴らが苦しんでるのは楽しかったんだ」
恍惚とした表情で話す五味を見て哲也はブルッと震えた。
「五味さん」
「わかってるよ、自首するよ……夢のままだとよかったのに……本当に予知夢ならよかったのに………… 」
譫言のように呟く五味の向かいで哲也が腰を上げる。
「それなら僕はもう何も言いません」
ペコッと頭を下げて哲也が部屋を出て行く、
「夢ならよかったのに……全部夢なら………… 」
哲也に見向きもしないで五味は呆然と座ったままだ。
自首するという五味の言葉を信じて哲也は先生たちに話したり警察に通報などはしなかった。
その夜、五味は病棟の屋上から飛び降りて死んでしまう、自身が夢で見た通りに割れた頭から血を流して倒れて死んでいた。
深夜3時の見回りで嶺弥が倒れている五味を見つけて大騒ぎとなった。直ぐに警察が呼ばれて哲也も嶺弥と一緒に事情聴取を受けて解放されたのは日が昇ってからだ。
「自ら命を絶ったか……今回の事件は五味さんが犯人だと考えるのが妥当だろうな」
嶺弥の厳しい表情を哲也が覗き込む、
「僕もそう思います。でも五味さんには生きて全てを話して欲しかったです。自首するって約束したのに…… 」
悔やむような哲也を見て嶺弥が続ける。
「罪の重さに耐えられなかったか、怖くなって逃げたのか……逃げる先は死しかなかったのか、いずれにしろ後は警察の仕事だ」
「そうですね…… 」
嶺弥が哲也の背をドンッと叩く、
「哲也くんが気に病むことはないさ、ここではなるようにしかならないのだから…… 」
「なるようにしかって? 」
以前同じようなことを香織から聞いたのを思い出す。
「亡くなった五味さんには悪いがもう少し考えて欲しかったな、屋上の鍵が開いていたのをこっぴどく叱られたぞ」
嶺弥がはぐらかすように話題を変えた。
「それ僕も気になってました。どうやって屋上のドア開けたんだろう五味さん」
乗ってきた哲也を見て嶺弥が微笑む、
「それこそ哲也くんが好きな怪異が起きたのかも知れないな」
屋上のドアが開いていたのは警備不備だと責められたが鍵はきちんと管理していたので不備はない、五味が何らかの方法で鍵を開けたのだろうと今回は叱られるだけで済んだ。
「怪異ですか…… 」
何とも言えない表情の哲也の背を嶺弥がドンッと叩いた。
「腹が減ったな、牛丼でも買ってくるか、哲也くんにも奢ってやるから警備員控え室で一緒に食べよう」
哲也の顔がパッと明るくなる。
「牛丼っすか、いいっすね、食べたら昼まで眠るっす」
「じゃあ決まりだ」
牛丼を買いに走る嶺弥を哲也が笑顔で見送った。
殺人を犯した罪の意識はあるが同時に自分の中の闇を知って五味は自ら命を絶ったのではないだろうか、自ら命を絶つことによって自身の闇に勝ったのか、それとも逃げたのか、今となっては分からない。
今回の事件は怪奇な出来事に違いはないが心霊とは関係のない気もする。
五味が夢遊病で起した事件だ。だが知らない人の顔までハッキリと夢に見るだろうか? 被害にあった女性と老人は五味の住むマンション近くの住人だったので知らない間に顔を見ていてそれが夢に現われたと考えることは出来る。しかし、哲也はどうだろうか? 入院してくるまで会った事のない哲也を夢に見たのだ。
五味の言っていた細長い影のようなヤツも気に掛かる。一瞬だが哲也も見た。あれは何だったのだろう? 首を絞められた事による酸欠で五味が歪んで影のように見えたのだろうか? いずれにせよ何か不可思議な力が働いたのは確かだろう。
もう1つ疑問が残る。なぜ屋上の鍵は開いていたのか? 普段使わないので閉まっているはずだ。見回りでも必ずチェックするのだ。それもあって一番始めに最上階まで上ってから各階を下りながら見回るのだ。夜10時の見回りでは屋上の鍵は閉まっていたのを確認している。哲也だけではない、本物の警備員である嶺弥と他の1人も確認しているのだ。だとしたら誰が鍵を開けたのか、鍵は警備員詰め所と各棟のナースステーションで管理しているので患者が手にすることなどは出来ない、特殊な鍵ではないので針金や金属片を使えばピッキングで開けることは出来るだろうが五味にそれが出来たのかはわからない。
夢遊病による事件ということで決着がついたが五味が見た夢に関しては予知夢だといってもいいのかも知れない、只の予知夢だったのか、それとも五味の言う通り何かに操られていたのか、今となっては分からないが五味が夢で見たように首を絞められて殺されなくて良かったと哲也は思った。