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第二十話 首縊(くびくく)りの木

 昔から木に纏わる怪異は多い、悪戯したり切ると祟りがあるなどは定番だ。所謂いわゆる曰く付きの木というヤツだ。御神木として祀られている木もある。柳の下に幽霊が描かれている幽霊画も多い、水場によく生えている柳の垂れ下がる葉を不気味と感じて怪異と結びつけられたのだろう。

 昔話の聞き耳頭巾では動物たちの声が聞こえる頭巾を被ったお爺さんが長者の娘が病気だと聞いて駆け付けると烏たちが病気のことを会話していた。なんでも新しく建てた蔵が楠の根を圧迫していて苦しんだ楠が祟って娘を病気にしたらしい、蔵をどけると娘の病は治りお爺さんは長者に褒美を貰ってハッピーエンドとなる。この昔話でも木が祟って災厄を起している。日本だけでなく世界各地に木に纏わる物語や伝承が残っている。


 木は人間などより遙かに長く生きる。何百年どころか千年以上生きている木もある。その事から神秘に思われて色々な伝説が生まれたのだろう。


 動物のように木は動くことが出来ない、危険が近付いても逃げることが出来ないのだ。だからといって何も出来ないのだろうか? 

 哲也も木に纏わる怪異を知っている。動けない木が人を操って怪異を起したのだ。動けないからこそ人智を越えた力があるのかも知れない、そんな話しだ。



 昼過ぎ、哲也がいつものように病院の敷地内をぶらぶら散歩していると黒塗りの大型バンが大きな正門から入ってきた。


「何だ? 新しい患者でも来たのか」


 哲也が足を止めて見ている先で大型バンは病院の本館前に止まった。


「いつもの送迎用の車と違うし…… 」


 本館から看護師の佐藤と警備員の須賀嶺弥が出てきて車を迎える。


「あっ、嶺弥さんだ……佐藤さんはわかるけど何で嶺弥さんが出迎えるんだ? 」


 何事かと見ていると厳つい大男2人に挟まれて小柄な男が車から降りてきた。


「物々しいな、何かあったのかな」


 怪訝な表情で見ている哲也の前を佐藤と嶺弥に案内されるように男たちが病院の本館へと入っていった。


「小柄のおっさんは患者みたいだけど……嶺弥さんに訊いてみるか」


 何があったのかと近くのベンチに座って嶺弥が出てくるのを待った。

 20分程して厳つい男2人と共に嶺弥が出てくる。小柄な男と佐藤はいない、やはり小柄な男は患者だったらしい、嶺弥と少し会話をすると男たちはやってきた時と同じように大型バンに乗って帰って行った。

 嶺弥はそのまま警備員控え室に戻るようだ。哲也が駆け寄っていく、


「嶺弥さぁ~ん」

「 ……哲也くんか」


 いつもは爽やかな笑みを見せる嶺弥が嫌そうな顔だ。


「嶺弥さん、さっきのは何なんです? 新しい患者が来たみたいだけど」


 笑顔で訊く哲也の前で『やっぱり』という様子で嶺弥が大きな溜息をついた。


「見てたのか…… 」

「見てました。それで何なんです? 物々しかったけど」


 普段の調子で訊く哲也の前で嶺弥が真面目な顔で口を開く、


「哲也くんは知らなくてもいい、余計なことに首を突っ込むのは哲也くんの悪いところだ」


 ムッとした顔で哲也が食い下がる。


「だって気になるじゃないですか、いつもの送迎とは違うし……あの厳つい人たちひょっとして警察官とかじゃないですか? 」

「そうだ。警察関係だ。これ以上は知らなくてもいい、余計なことに首を突っ込んで怖い目に遭うのは哲也くんなんだよ、これ以上は俺たちに任せて貰おう」


 険しい表情で話す嶺弥を哲也がじっと見つめる。


「俺たちって……嶺弥さんたち本物の警備員に任せろってことですか」

「そういう事だ」


 嶺弥の向かいで哲也が膨れっ面になる。


「僕だって警備員ですよ……いいです。嶺弥さんが教えてくれないんだったら香織さんに聞きますから、香織さんは絶対に教えてくれますから」


 拗ねる哲也の前で嶺弥がまた大きな溜息をついた。


「 ……まったく」

「教えてください、嶺弥さんから教えて貰いたいです」


 嶺弥の表情が緩んだのを見て哲也が笑顔で訊いた。


「哲也くんも警備員の一員だからな」


 普段の優しい顔で嶺弥が話をしてくれた。


 先程やってきた小柄な男は代田守しろたまもる35歳だ。死体遺棄及び死体損壊罪などの罪で捕まるが心神耗弱しんしんこうじゃくとして磯山病院に措置入院してきた。

 殺人事件を起した主犯格である西垣尚史にしがきなおじ35歳を手伝って死体を運んだり木に吊すのを手伝ったらしい、西垣は実刑を喰らって刑務所に入っている。


「木に吊したって? 死体を? 」


 意味が分からないという顔で見つめる哲也の向かいで嶺弥が頷いた。


「そうらしい、何でも首吊り自殺に見せかけて殺人をしていたらしい、主犯格の西垣は自殺幇助だけでなく殺人でも実刑を喰らっている」

「連続殺人か……それで物々しかったんだな」


 殺人事件の犯人の一味と聞いて哲也の顔が険しく変わる。

 ちらっと哲也を見てから嶺弥が続ける。


「代田は木に吊すのを手伝っただけで自分は人は殺めていないと言っているらしいが殺人事件に関係して措置入院してきた患者だ。注意するに越したことはない、隔離病棟へ入れてもいいのだが警察がまだ取り調べをするらしい、それで暫くこちらに入れておくことになった」

「なんで代田は措置入院になったんです? 」


 尤もな意見だというように嶺弥が話し始める。


「気弱だった代田は元から少し心を病んでいたらしい、それが西垣の死体遺棄を手伝っているうちに木から手が伸びてくる幻覚を見るようになって、自分も木に取り憑かれてしまうと妄想して騒ぎ出して重度の統合失調症だと診断されて措置入院してきたんだ」

「木から手が伸びる……木のお化けってことですか? 」


 パッと顔を明るくした哲也を嶺弥がジロッと睨み付けた。


「代田に言わせればそうなるな、だが全て代田の妄想だ。罪の意識が見せたのかも知れないな、というわけだから代田には近付くな、女性の看護師も近付けない、佐藤さんが担当だ。哲也くんのことだから木のお化けに興味を持つだろうが相手は連続殺人事件の片割れだ。絶対に近付くな約束だぞ」

「わかりました。約束します」


 緊張した面持ちで約束する哲也を見て嶺弥が優しい顔で微笑んだ。



 3日後、代田のことなどすっかり忘れていた哲也が昼食を終えて腹ごなしにぶらついていると遊歩道の端でじっと木を見つめている小柄の男を見つけた。


「あれは? 代田さんか」


 3日前、物々しい男たちに連れられてやってきた代田守しろたまもるだと直ぐにわかった。


「何してるんだ? 」


 哲也は近くのベンチに座ると代田を観察するように見つめた。


「小鳥? 」


 木を見ているのだと思っていたが代田は小鳥を目で追っているようだ。

 哲也が目を凝らすと小鳥はトカゲか何かを咥えているように見えた。


「あっ! モズだ。モズの速贄はやにえだ」


 小鳥が木の枝にトカゲを刺すのを見て哲也は思い出した。

 モズとは雀より一回り大きな鳥で長い尻尾が特徴だ。トカゲやカエルに虫など小動物を木の枝に刺す習性がある。それをモズの速贄はやにえと呼ぶ、餌の豊富な秋に獲物を刺して置いて冬に食べると言われているが半数以上は忘れてそのまま干からびて朽ちたり他の鳥や動物などに食べられてしまう、干物にされた小動物は堪ったものではないが餌の少ない冬に速贄を見つけた鳥や動物にとっては御馳走が置いてあるようなものである。


「速贄が気になってるのかな? 教えてやりたいけど……嶺弥さんと約束したからな」


 モズの速贄を初めて見たのだとすると不思議に思うだろうと哲也が教えてやろうか迷っていると代田が騒ぎ出した。


「うわぁあぁぁ~~、手が……手が出てきた……追ってきたんだ…………首縊りの木が……俺を……わあぁあぁ~~ 」


 悲鳴を上げながら此方へ走ってきた代田の前に哲也が手を広げて立った。


「どうしたんですか? 落ち着いてください」


 哲也の広げた手に代田が縋り付く、


「てっ、手が……白い手が木から出てきたんだ」


 震える声を出す代田の前で哲也が首を傾げる。


「手? 木から手が出てきたんですか? 」

「そうだ……白い手が出てきて鳥を……モズを包み込んだんだ。モズの速贄を……首縊りの木が生け贄を欲しがってるんだ」


 少し落ち着いたのか代田の声から震えが消えている。どうやらモズの速贄は知っているらしい。


「白い手ですか? 」


 哲也が木を見つめるが手など見えない、モズが刺していったトカゲが木の枝にぶら下がっているだけだ。


「手が……嘘じゃない……見たんだ……本当なんだ」


 真剣な表情で必死に話す代田の前で哲也が頷く、


「わかりましたから落ち着いてください、僕と一緒に確認しに行きましょう、大丈夫ですよ僕は警備員ですから」

「警備員……確認か……わかった一緒に見に行こう」


 怯える代田を連れて木の前に行く、哲也が目を凝らして探すが白い手など何処にも見えない。


「代田さん、まだ手は見えますか? 」

「 ……もう無い、でもさっきは見えたんだ。あの、あのモズの速贄を、モズが刺すのを手が包み込んでたんだ」


 哲也の隣で代田が木の枝を指差した。


「モズの速贄か…… 」


 モズのお気に入りの木なのか三つほど速贄がぶら下がっていた。


「光の加減か何かでモズが手か何かに見えたかも知れませんよ」

「そんなんじゃない! 手が生えてきたんだ。にゅーっと伸びてきたんだ。首縊りの木が俺を追ってきたんだ」


 怒鳴る代田を見つめる哲也の顔が曇る。


「首縊りの木ですか? 」


 思わず訊いていた。自殺に見せかけて殺した人を吊っていた木のことを言っているのは直ぐにわかった。

 首を何度も上下に振るように代田が頷く、


「そっ、そうだ。化け物の木だ……あいつの所為で俺は……首縊りの木の所為で病院なんかに入ることになったんだ」


 落ち着かせるように哲也が優しい口調で話し掛ける。


「もう見えないなら大丈夫ですよ、それより首縊りの木の話しを教えてくれませんか? 僕は警備員の中田哲也です。哲也って呼んでください、何かあれば力になりますから話しを聞かせてくれませんか? 」


 嶺弥にダメだと約束させられたが好奇心が勝った。

 代田がキッと哲也を睨み付ける。


「ダメだ! どうせ信じない、俺がおかしくなったと笑うだけだ」


 険しい顔で睨む代田を哲也が真剣な目で見つめ返す。


「僕は信じますよ、僕も幽霊を見たことがありますから、この病院にも幾つか怪談があるんですよ、その中で岩田さんって幽霊の話があって、その岩田さんの幽霊を見て酷い目に遭いましたから」


 哲也が見てしまうと怪我をしたり失敗をしたり不幸になる岩田さんの話を聞かせた。


「見ると怪我をする岩田さんか…… 」


 考え込む代田に哲也が畳み掛ける。


「僕は2回も見て大変でした。本当に怪我をしたんです。それで幽霊は信じてますから代田さんの話しも聞かせてください、僕に何か出来るなら力を貸しますから」


 神妙な顔をして代田が頷いた。


「哲也くんだったな、わかった話そう……でも笑ったりしたらその場で止めるからな」

「笑ったりなんかしませんよ」

「わかった。俺の部屋に行こう」


 代田の後をついて哲也が歩いて行く、


「D棟か…… 」


 哲也がちらっと警備員控え室を見る。代田は連続殺人事件の犯人の仲間だ。何かあった時のために警備員控え室に近いD棟にされたのだろうことは想像に難くない。

 D棟の200号室が代田の部屋だ。ナースステーションの真上の部屋で普段は使っていない部屋である。


「ここなら佐藤さんも直ぐに来れるな」


 代田の後に続いて呟きながら哲也が部屋に入る。


「適当に座ってくれ……結構良い部屋だろ、警察の取り調べが終るまでだけどな」


 取り調べが終れば隔離病棟に移されるのは本人も知っている様子だ。

 円椅子をテーブルの前に持ってくると哲也が座った。


「ジュースでも買ってくればよかったな」


 向かいに座る代田を見て哲也が口を開く、


「後でお菓子と缶コーヒーでも差し入れしますよ」

「わるいな……それじゃあ話すか」


 疲れた顔をして代田が話を始めた。

 これは代田守しろたまもるさんが教えてくれた話しだ。



 大きなビルやマンションもあるが周辺には田畑が広がり彼方此方に林や森が残る田舎の町に代田は住んでいた。

 代田の住んでいる町内に曰く付きの木がある。昔から何人もが首を吊って死んでいる木だ。いつしか首縊りの木と呼ばれるようになっていた。

 町の人間は元より遠くの町や違う県からもふらりとやってきて首を吊っていく、縁起でもないと木を切るが新芽が伸びてきていつの間にか大きな木となりまた人が首を吊る。昔から繰り返されてきたらしい。

 いつの頃からか木を切ると祟りがあると言われ、近所の人は誰も近寄らなくなった。


 件の木がある小さな森の反対側に代田の住んでいるアパートがある。

 子供の頃から住んでいる町だが両親が死んで暫くして持ち家を処分すると今のアパートで暮らすようになった。気の弱い代田は人付き合いが苦手で一軒家での近所付き合いを煩わしく思って町内会や青年団などに入らなくてもいい余所者の入居しているアパートに引っ越したというわけだ。

 缶ビール一つで酔っ払う代田は深酒もしないしギャンブルもしない、インターネットやテレビがあればそれでいい、代田は何の不満もなくひっそりと暮らしていた。



 工場勤務をしていた代田が夜勤明けの早朝を自転車に乗って帰りを急いでいた。

 まだ日も昇っていない早朝の4時半だ。普段なら8時頃まで仕事をしているのだが工場の機械が調子悪く時々メンテナンスが入って今日のように早朝で仕事が終ることがある。会社としては無駄な時給を払いたくないのだ。


「早く帰って飲んで寝るか」


 コンビニで買った缶ビールと弁当の入った袋を自転車の前籠に入れると代田はアパートに向かって漕ぎ出した。


「明日も……明日じゃないな、今日も良い天気だな」


 夜空を見上げて呟いた。風もなく良い天気だ。

 首縊りの木がある道に差し掛かる。近所の人は通らない道だが代田は平気だ。もちろん首吊り自殺が何度も起きているのは知っている。子供の頃から数えて15人以上が死んでいるのは知っていたが自分には関係ないことだと代田は気にもしない。


「何だ? 」


 ゆっくりと自転車を漕ぐ代田の目に白いものが見えた。


「シーツか? 布団じゃないな」


 まだ日の昇らない薄暗い森の端にある大木に白いものがぶら下がっていた。

 何だろうと代田が近寄っていく、


「ひわっ! 」


 情けない悲鳴が口から漏れた。同時に自転車がよろけて足をついて止まる。


「くっ、首っ、首吊りだ…… 」


 白い服を着た女がぶら下がっていた。


「だっ、ダメだ……死んでる」


 中年の女性だ。ぴくりとも動かない、確認するまでもない、生きていないのは直ぐにわかった。


「どっ、どうしよう…… 」


 スマホを取り出す代田の前で中年女性がぶらぶらと揺れ出した。

 もしかして生きているのかもと代田が凝視するが振り子のように揺れるだけで生きているようには見えない。


「かっ、風か? 」


 風で揺れているのだと思ったがぶら下がった人を揺らすような風など吹いてはいない。

 何が原因で揺れているのかと自転車を押して少し前に出る。


「ひわぁぁ! 」


 代田が悲鳴を上げた。ぶら下がった女の後ろ、大木の幹から白い腕が伸びていた。

 首縊りの木から白い腕が何本も生え出てぶら下がっている女を押して揺らしている。


「ひあっ……ひああぁ………… 」


 持っていたスマホを自転車の前籠に落とすように入れると代田はサドルに跨った。


「ゆっ、幽霊だ…… 」


 怖くなった代田は自転車を漕いで逃げ出した。

 アパートに帰っても気が弱く人付き合いの苦手な代田に通報するなどの考えは浮ばない。


「みっ、見間違いだ……初めて首吊りを見たから怖くてお化けに見えたんだ」


 コンビニで買った缶ビールを飲むとそのまま布団に潜り込む、酒が弱い代田は酔いが回って直ぐに眠りに落ちていった。


 翌日、職場の工場でも首吊りの話題が持ち上がる。余所から来て死ぬなんて迷惑だとあからさまに死者の悪態をつくものも居る。人付き合いの苦手な代田は会話の中には入らない、仕事上での会話以外はせずに黙々と働いて帰るのが常だ。



 5日ほどしてまた工場の機械が止まって日も昇らぬ早朝に代田は帰りについた。


「もういいだろう、せっかく温めて貰った弁当も冷めるからな」


 暫くは首縊りの木がある道を通らずぐるっと森を回って遠回りして帰っていたが今日からまた通ることにする。遠回りをするとコンビニ弁当が冷めるのだ。


「首吊りはともかくお化けなんて俺の見間違いだ」


 首縊りの木のある森が見えると自転車を漕ぐ足に力が入る。


「早く帰って飲んで寝よう」


 酒は弱いが酔うのは好きだ。缶ビール一本で気持ち良くなってぐっすりと眠れるのだ。

 力を込めて自転車を漕いでいると首縊りの木が見えてきた。


「まさか…… 」


 薄暗い先、首縊りの木に灰色のものがぶら下がっている。

 自転車が近付いていく、直ぐに人だとわかった。


「 ……何も見てない、俺は何も知らんぞ」


 灰色の背広を着た男が首縊りの木の大きな枝にぶら下がっていた。

 代田は見ない振りをして通り過ぎようとした。


「ひぁあぁ~~ 」


 ぶら下がっている男を横目でちらっと見た代田が悲鳴を上げた。よろけて転けそうになる自転車から足をついて踏ん張ってその場に止まる。


 ギッギッギッ、代田の見つめる先で背広を着た男が揺れている。男を揺らすほどの風など吹いてはいない。


「おばっ、おばっ、お化けが…… 」


 斜めになった自転車のハンドルを握りながら代田が身を固くする。

 首縊りの木の太い幹から白い腕が何本も生え出てきて男の体をまさぐっている。白い手が撫でる度に男がぶらぶらと揺れていた。


「たたたたっ、たすっ、助けて…… 」


 自転車を立て直しペダルに足を掛けて逃げようとした時、後ろから肩を叩かれた。


「ひゃあぁぁ~~ 」


 悲鳴を上げながら振り返ると男が立っていた。


「ひぃぃ……助けて………… 」


 怯える代田の前で男が笑った。


「何だ。誰かと思ったら代田じゃないか」

「へっ!? 」


 目の前に立つ男の顔に代田も見覚えがあった。


「俺だよ、西垣だ」

「西垣…… 」


 顔を顰めて記憶を追う代田のハンドルを握る手を西垣がポンポン叩く、


「久し振りだなぁ、中学の時以来だから20年は経つか」

「ああ……西垣くんか、思い出したよ」


 パッと顔を明るくした代田を見て西垣がニヤッと企むように笑った。


「災難だったな」


 ぶら下がっている背広姿の男を指差して西垣が続ける。


「トイレに行こうと起きて窓を見たらこれが見えてさ、俺の家、あそこだからさ、2階から首縊りの木が丸見えなんだよな」


 ぶら下がっている男を差す指をそのまま後ろに回して2階建ての家を指差した。昔から大地主だった西垣の大きな家が直ぐ近くに建っていた。

 西垣尚史にしがきなおじは小学校や中学校の同級生だ。気が弱く人見知りのする代田とは正反対の性格でクラスの人気者だった。裕福な事にたいする妬みもあってどちらかというと嫌いな級友で殆ど話し掛けたことはない。


「死ぬなら余所で死ねっての、暫くないと思ったら続けてこれだもんな、本当にいい迷惑だぜ」


 ぶら下がっている男に悪態を付く余裕のある西垣を見て少し落ち着いたのか代田が今見たことを話す。


「お化けの仕業だ。首縊りの木から手が出てきて死んでる男を触ってたんだ。その男が死んだのも首縊りの木のお化けの所為だ」

「お化け? 」


 怪訝な顔の西垣に代田が必死な顔で続ける。


「見たんだ。白い手が木から出てきてぶら下がってる男を撫でてたんだ。何本も……10本以上の白い手が木から伸びてたんだ」

「白い手? 首縊りの木から生えてたのか? 」


 西垣が首縊りの木を見つめる。白い手はいつの間にか消えていた。背広を着た男がぶら下がっているだけだ。


「死体を初めて見たからビビって変なものが見えたんだな」

「ちっ……違う、この前も…… 」


 前に見た女の事を言いかけて代田は慌てて止めた。通報しなかったことを変に疑われてはヤバいと思ったのだ。


「仕方ないなぁ……俺が通報しておくから代田は帰っていいぞ」


 スマホを取り出す西垣を見て代田は内心ほっと安堵した。


「悪いな西垣くん、こういうの苦手だから助かるよ」


 愛想笑いをしながら代田が自転車に跨った。


「俺の部屋から丸見えだからな、何度か通報したことがあるんだ。警察にあれこれ聞かれて面倒だけどな、代田のことは話さないから安心しろ」

「ありがとう、じゃあ」


 帰ろうとした代田の自転車の後ろを西垣が掴んで止める。


「ところで代田は今どこに住んでんだ? 」

「俺? 俺は向こうのアパートだ」


 首縊りの木がある森の向こうを代田が指差すと西垣が少し考えてから続ける。


「アパート? 確か2つあったな、青山荘とハイツ西」

「よく知ってるな、俺が借りてるのはハイツ西だ」


 感心する代田を見て西垣が笑顔で頷いた。


「そうか……わかった。じゃあ、後は俺に任せて気を付けて帰れよ」

「うん、じゃあ」


 ニコニコと笑顔で見送る西垣に不穏なものを感じたが首吊り自殺に巻き込まれるのは御免だと代田は自転車を漕いで帰って行った。



 2週間経った。また機械の調子が悪く日の昇る前の早朝、工場から自転車に跨った代田が出てきた。


「ボロ機械め、週に一度は止まってるぞ、そのしわ寄せで今週休み無しだ。まぁ給料減るよりはいいけどな」


 代田が愚痴りながら自転車を漕いでいく、本来なら明日は休みなのだが機械のメンテで止まった分の作業を休日返上ですることになったのだ。


「少しだけど時間外手当も出るし、今日はちょっと良い酒買うか」


 いつものようにコンビニに寄って弁当と缶ビールなどを買うと帰りを急ぐ、


「西垣くんの言う通り、お化けなんて見間違いだ」


 あれから首縊りの木の前を何度も通ったが白い手は見ていない、代田自身も死体を見たショックからありもしないものを見たのだと思うようになっていた。


「腹減った。さっさと帰って飯食って寝よう」


 自転車を漕いで首縊りの木のある道へと入っていく、


「何だ? 」


 代田が自転車を止めた。前の道路を誰かが何かを引き摺っているのが見えた。


「誰だ……首縊りの木…… 」


 自殺者かと代田は道にはみ出す森の木々に隠れるように自転車を寄せた。


「何を持っているんだろう」


 森の木々に隠れるようにして代田が自転車を押していく、前を歩いているのは男だ。

 大柄な男が大きな袋を重そうに背負っている。工事現場などで廃材やゴミを入れる大きなガラ袋だ。

 首縊りの木の前で止まった男を見て代田も足を止めた。


「あいつは」


 道の端に2週間前に会った西垣が立っていた。その足下に大きなガラ袋が転がっている。


「何だ西垣か…… 」


 代田から緊張が一気に抜けていく、普通なら話し掛けているだろう、だが気の弱い代田は手前の木々の影に隠れたままだ。



 日も昇らぬ薄暗い中、西垣が動いた。


「何をするんだ? 」


 小声で呟く代田の見つめる先で西垣がロープを首縊りの木に投げて引っ掛ける。


「ひへへっ、旨く吊ってやるからな」


 西垣が笑いながらガラ袋に手を突っ込んだ。


「人間だ…… 」


 代田は我が目を疑った。ガラ袋から人の頭が見えている。


「ひへへへっ、良い女だ。殺す前に可愛がってもよかったんだが証拠が残るとアレだからな……ひへへへへっ 」


 ガラ袋を脱がすように女を出すと西垣はその首に輪になったロープを掛けた。


「しっ、死んでるのか? 」


 身を固くして見つめる代田の前で西垣が木に引っ掛けたロープを引き始める。


「いひひっ、結構重いな」


 西垣が足を踏ん張って体重を掛けるようにしてロープを引くと首に輪を掛けられた女がムクッと体を起すようにして持ち上がる。


「くっ、首吊りだ…… 」


 立ち上がるように女が吊られていくのを見て代田の全身を戦慄が走った。

 女の首にロープを掛け、そのロープを木の枝に投げて引っ掛けると反対側から引っ張って吊すのだ。


「にっ、西垣が首吊りを………… 」


 ガタガタと震えながらも代田は目が離せない、


「ふへっ、ふひひひひっ、来た……来た来たぁ~~、気持ちいいぃ~~ 」


 先程まで重そうに息を切らせていた西垣が嬉しそうに叫びを上げる。


「ひあっ! 」


 思わず声を漏らした代田の見つめる先、首縊りの木から白い手が何本も出てきて女の死体を撫で始める。


「ふひひっ、ふひひひひっ、いい……良い気持ちだぁ~~ 」


 西垣が軽々とロープを引っ張ると女の死体が宙に浮いた。

 代田が震える手で自転車のハンドルを握った。


「手が、手が手伝ってるんだ」


 首縊りの木から伸びた何本もの白い手が女を持ち上げていく、重そうに顔を歪めていた西垣が笑いながらロープをするすると引っ張っていく、


「ふひひっ、もう直ぐだ……もう直ぐ………… 」


 自転車をそっと方向転換させて逃げようと跨った代田が何がもう直ぐなのかと気になって振り返る。


「ひあぁぁ…… 」


 代田の口から震える悲鳴が出た。軽々とロープを引っ張っていた西垣を木から何本も伸びた白い手が包み込むように撫でていた。


「ふああぁぁ……気持ち良いぃ…………あっ、ああぁ………… 」


 白い手に撫でられて西垣が快楽を感じたような喘ぎ声を出した。


「ヤバい…… 」


 震える声で呟くと代田は前に向き直って自転車を漕ぎ出した。


「ふああぁあぁ~~、気持ち良いぃ……堪んねぇ~~ 」


 後ろから西垣の喘ぐような声が聞こえるが代田は振り返りもしないで必死で逃げていく、


「ふあっ、ふあぁあぁ~~ 」


 気持ち良さそうに声を出しながら西垣が逃げていく代田をじっと見ていた。



 首縊りの木のある道から離れて少し大きな通りに出るまで代田は必死で自転車を漕いだ。

 ガソリンスタンドやレストランにコンビニ、町の明かりを見て代田が落ち着いていく、


「にっ、西垣が……西垣が首吊りを…………白い手が……見間違いじゃない……首縊りの木の幽霊だ。西垣は取り憑かれてるんだ」


 ペダルを漕ぐ力を緩めるとゼイゼイとついていた息を整える。


「西垣が…… 」


 遠回りをしてアパートへと帰った。

 西垣が殺したのかどうかはわからないが女を吊っていたのは確かだ。怖くなったが気が弱く人付き合いの苦手な代田は通報などはしなかった。首吊り死体を2回も見たのに何もしなかったのを知られて面倒なことになるのを避けたかった事もある。



 翌日の昼過ぎ、夜勤の代田が寝ていると西垣が訪ねてきた。


「にっ、西垣くん…… 」


 上擦った声を出す代田を見て西垣がニヤッと笑った。


「本当にハイツ西に住んでるんだ。ふ~ん」


 ドアから顔を出す代田の後ろ、部屋の中を覗いて西垣が嬉しそうに鼻を鳴らした。


「なっ、何も見てないから……俺は何も喋らないから……だから…… 」


 代田が震える声で知らないと首を振った。

 西垣がジロッと代田を見据える。


「だから? 」

「だっ、だから安心してくれ」


 必死で話す代田を見て西垣が相好を崩す。


「やっぱり代田だったんだな」


 ニタリと厭な笑みをする西垣を見て代田はしまったと思った。自分だとバレていなかったかも知れないのに自らバラしたのだ。


「違うんだ! 俺は何も知らない、誰にも言わないから……だから、だから安心してくれ」


 必死で言い訳する代田の向かいで西垣がニタニタ笑いながら口を開いた。


「あの女は自殺志願者だ」

「自殺志願者? 」


 顔を顰める代田の前で西垣が頷いた。


「そうだ。奴らは自殺志願者だ。死のうとしてやってきたんだ。だから何も気にする必要はない」

「だっ、だからって…… 」


 何か言おうとした代田の腕を西垣が掴んだ。


「死ぬつもりだったんだ。俺は少し手を貸しただけだ。俺がしなくても自分で首を吊ってたさ……だからさぁ」

「だっ、だから? 」


 今度は代田が訊いた。


「だから代田は何も見てないって事にしてくれ、今朝のも警察に通報していつもの自殺ってことで片が付いた」


 厭な顔で笑いながら西垣が封筒を差し出した。


「工場勤めじゃ大変だろ、何か旨いもんでも食ってくれ」


 差し出された封筒を代田が握る。厚みで一万円なら10枚ほどが入っているだろうことは直ぐにわかった。


「友達を売ったりしないから……誰にも言わないから安心してくれ」


 厄介事に巻き込まれるなど御免だ。元から話すつもりは無かった事もあって代田は封筒を受け取った。

 それを見て西垣が含み笑いをする。


「代田はいいヤツだな、俺のいう事を聞いてくれればもっと良いことがあるぞ」

「いう事って? 」


 封筒を握り締めながら代田が西垣を見つめた。


「ふひひっ、まぁ、おいおいな、じゃあ今日は帰るわ、夜勤だろ? しっかり休めよ」


 厭な笑いを残して西垣は帰っていった。

 ドアを閉めると代田は水道の水をコップに入れてゴクゴクと喉を鳴らして一気に飲んだ。


「住んでるところを教えたのはマズかったな」


 少し落ち着いたのか奥の部屋、布団の上に座り込む、


「10万か……口止め料って事か」


 封筒には一万円札が10枚入っていた。


「どうせ通報なんてする気がなかったんだ。有り難く貰っとくさ」


 代田はそのまま布団に潜り込むと目を閉じた。



 4日ほどした早朝、日も昇らぬ薄暗い道を代田が自転車に跨って帰っている。


「今日も故障だ。マジでいい加減に機械を買い換えろよなクソ工場が」


 工場の機械が調子悪くメンテナンスの為に午前4時に帰された。


「また休日出勤だろうなぁ~~ 」


 愚痴りながら首縊りの木のある道へと入っていく、


「代田、代田っ! 」


 大きな家の前で名前を呼ばれて代田が自転車を止めた。


「西垣くん…… 」


 屋敷と言っていい大きな家の2階の窓から西垣が手を振っていた。


「代田、一寸待っててくれ」


 代田が気付くと西垣は窓から顔を引っ込めて見えなくなった。

 正直言って関わり合いになりたくはないが口止め料を貰って見て見ぬ振りをした罪悪感もあるので無下には出来ない。

 暫くして玄関から西垣が出てきた。


「丁度良かった。手伝ってくれ」


 笑顔の西垣が大きなガラ袋を背負っていた。


「それって…… 」


 絶句する代田を見て西垣がニヤッと企むように口元を歪ませた。


「速贄だよ速贄、モズの速贄、知ってるだろ? あれと同じさ」

「モズの速贄って……人間をか? 」


 顔を顰める代田の前で西垣が声を出して笑い出す。


「ふひひっ、怖い顔するなよ、こいつも自殺志願者だ。俺は手伝ってやっただけだ」

「手伝ったって…… 」


 代田がハッと思い付くような顔をして西垣を見据えた。


「俺にも手伝えってか? 」

「そうだ。嫌とは言わせないぞ、知られた以上は仲間になれ……それとも警察にチクるか? 」


 ニタリと厭な顔で笑う西垣から代田が目を逸らす。気弱な代田の出来る精一杯の抵抗だ。


「ちっ、チクったりしないけど…… 」


 西垣が代田の肩をガシッと掴んだ。


「心配するな大丈夫だって、只の首吊り自殺だ。今まで旨く行ってきたんだ。何の心配もない、お前は誰か来ないように見張っててくれればいい、なにも吊すのを手伝えって言わないからさ」

「 ……わかった。見張るだけだぞ」


 少し考えて代田がこたえた。気弱で喧嘩などしたことのない代田が大柄でがっしりとした西垣に敵うわけもない、断って何かされると考えると怖くて命令を利くしかない。

 西垣は掴んでいた手を離すとそのまま代田の肩をポンッと叩いた。


「流石代田だ。代田なら手伝ってくれると思ってたんだよ、じゃあ行こうか」


 自転車を家の前に止めると代田は西垣に着いていった。



 大きなガラ袋を重そうに背負いながら西垣が首縊りの木の前にやってきた。


「ふぅ……太ってるから重いな」


 ニヤッと笑いながら西垣がガラ袋に手を突っ込んだ。


「男か…… 」


 険しい顔で見つめる代田の前で西垣がガラ袋を脱がすように中年男を出した。


「次はロープだ」


 西垣が手慣れた様子でガラ袋の底からロープを取り出す。

 その時、倒れていた中年男がぴくりと動いた。


「うぅ……うっ、うぅぅ………… 」

「息を吹き返しやがったか」


 言うか早いか西垣が男の首にロープを巻き付ける。


「ぐがっ…… 」


 西垣がロープを引くと中年男がカッと目を見開いて代田に手を伸ばす。


「たっ、助けて…………ぐががっ! 」


 助けを求めながら中年男が口から泡を吹いてロープを解こうと首を掻き毟る。


「ふひひひひっ、堪んねぇなぁ、最後にビクつくところが最高だ」


 男の首を絞めながら西垣が恍惚の表情だ。

 暫くビクビクと震えていた男が動かなくなった。


「ふひひっ、二度も楽しませてくれたぜ」


 どうしていいのかわからず強張った顔をして突っ立っていた代田を見て西垣がニタリと笑う、


「ちょっと手違いがあったな」

「ちょっとって……殺人だろ、俺は関係ないからな」


 険しい顔をして帰ろうとした代田の腕を西垣が掴む、


「待てよ、見張りする約束だろ」

「自殺じゃない殺人だ! そんな手伝いできるかよ、俺は帰るからな」


 代田が西垣の手を振り解く、薄々わかってはいた。だが目の前で見たのだ。これ以上関わり合いになると大変だと代田は精一杯の虚勢を張った。

 薄笑いを浮かべた西垣がジロッと代田を睨んだ。


「ふひひっ、いいのか? アパート追い出されても」

「追い出される? 」


 代田が逃げようとした足を止めた。


「お前が住んでるハイツ西は俺の持ち家だぞ、お前を追い出すなど簡単だ」

「そっ、そんな…… 」


 驚く代田の前でニタリと笑いながら西垣が続ける。


「保証人のいないお前に貸してくれる部屋があるのか? 保証人無しでもいい物件はあるが相場より2割ほど高いぞ」


 黙り込んだ代田を前に西垣が続ける。


「見張るだけでいい、手伝ってくれれば追い出したりしない、それどころか家賃を只にしてやるからさ、ずっと住んでていいぞ、代田は永久に家賃只だ。なっ代田……俺の言う通りにしてれば他にも良いことあるぞ」

「 ……わかった。見張りだけだからな」


 愕然とした表情で代田がこたえた。


 昔からの大地主である西垣は町の彼方此方に土地や物件を持っている。代田が今住んでいるハイツ西も西垣の持ち物だ。

 両親を亡くし、兄弟もいない、頼る親戚もなく保証人になってくれる人などいない代田は部屋を借りるのに苦労するのだ。それだけではない、交友も広い西垣が声を掛ければ代田に部屋を貸してくれる不動産屋などいなくなるだろう、この町に住み続けたいのなら今住んでいるアパートを追い出されるわけにはいかないのだ。


「ふひひひっ、そうこなくっちゃな」


 楽しそうに笑いながら西垣は首を絞めて殺した男にロープを掛け直した。


「じゃあ、見張りは頼んだぜ」


 反対側のロープを首縊りの木の枝に投げて引っ掛ける西垣に代田は無言で頷いた。

 少し離れて見張る代田に引っ掛けたロープを引っ張りながら西垣が話し掛ける。


「助かるぜ、新聞配達やってるヤツに見つかりそうになった事があるんだ。代田が見張っててくれると安心して吊れるからな」


 代田は何もこたえない、早く終ってくれと祈りながら見張りをしていた。


「ふひっ、ひひひっ、来た……来た来た……気持ちいぃ~~ 」


 嬉しそうな声を聞いて振り返ると西垣が気持ち良さそうに声を上げている。


「ふひひっ、ふひひひひっ、いい……良い気持ちだぁ~~ 」


 重いと言っていた男の死体がするすると持ち上がっていく、代田が目を凝らすと首縊りの木から白い手が何本も生え出て男の死体を撫で回していた。


「ふわぁぁ…… 」


 情けない悲鳴を上げる代田を見て西垣がうっとりとした表情でニヤリと笑った。


「ふひひひっ、これな、何か知らんが凄く気持ち良いんだ。セックスなんかよりずっと気持ち良い、この木じゃないとダメなんだ。一度隣の木でやったけど全然気持ち良くない、首縊りの木が気持ち良いんだ……俺はこのためなら何だってやるぜ、ふひひひひっ」


 厭な声で笑う西垣の体を包むように白い手が撫でている。

 代田の見ている前で西垣がブルッと震えた。


「ふああぁぁ……気持ち良いぃ…………あっ、ああぁ………… 」


 快楽が頂点に達したのか西垣がロープにぶら下がるようにして動かなくなった。

 その間にも首縊りの木から伸びた白い手は男の死体と西垣を撫で回している。


「てっ、手が……白い手が……お化けだ。首縊りの木のお化けだ………… 」


 震える声で言うと代田は自分の頬を両手で挟むようにバシッと叩いた。


「西垣! お前は首縊りの木に取り憑かれてるんだ。離れろ、その木から離れろ」


 精一杯の声を出した代田を西垣が視線の定まらないとろんとした目で見つめる。


「ふへへっ、何言ってんだ。お化けなんているわけないだろ、俺の邪魔するな」

「西垣……俺は帰るからな」


 西垣には白い手は見えていない様子だ。怖くなった代田はその場から逃げ出した。


「ふああぁあぁ~~、気持ち良いぃ……堪んねぇ~~ 」


 西垣の喘ぐような声が聞こえるが代田は構わず自転車に乗って家へと帰っていった。



 その日の昼、夜勤に備えて寝ている代田を西垣が訪ねてきた。


「とっといてくれ、手伝ってくれた礼だ」


 西垣が封筒を差し出す。


「そんなものいらない、その代わりもう手伝いはごめんだ」


 いらないと手を振る代田を西垣がじろっと睨んだ。


「ダメだ。受け取れ、これからも手伝うんだ。何かあったら電話するからよぅ」


 いらないと振っていた代田の手を掴むと西垣が凄んだ。


「俺の電話番号知ってるのか」


 顔を強張らせる代田を見て西垣がニヤッと笑った。


「ああ、アパート更新した時に携帯の番号書いてただろ、俺はこのハイツ西のオーナーだぞ、それだけじゃない、お前の勤めてる工場な、あれは俺の親戚がやってんだ。少し調べればお前の収入も勤務態度も全部わかるぞ」


 ニヤつきながら西垣が代田の手に封筒を握らせる。


「なぁ悪いようにはしない、見張りをしてくれるだけでいいんだ。それだけで小遣いもやるし家賃も只だ。工場の方にも旨く言ってやる。正社員にしてやってもいい、今パートだろ? 時給の高い夜勤でどうにか暮らしてるんだろ? 正社員になったら夜勤しなくても給料は上がるしボーナスも出る。なっ、俺の言う通りにしとけって」


 代田は黙って封筒を受け取るしかなかった。アパートを追い出されるだけでなく仕事も失ったら生きていけない。


「わかった……でも見張りだけだからな、殺しはごめんだ」


 観念した様子で項垂れる代田の前で西垣が楽しそうに笑い出す。


「ふひっ、ふひひひっ、何言ってんだ殺しなんてしてないだろ、あれは自殺だ。彼奴らが勝手に首を吊って死んでるだけだ。ふひひっ、それに……それにあんな気持ちの良いこと他の奴らにやらすかよ、ふひひひひっ」


 散々笑った後で西垣の顔からすっと笑みが消えた。


「警察にチクったりしたらお前も仲間だって言うぜ、この町で暮らせないようにしてやるからな」


 感情の消えた冷たい顔で脅すと西垣は帰っていった。

 奥の部屋、布団の上に代田が座り込む、


「10万か……あんなヤツが金持ってて何で俺は貧乏なんだろうな」


 金の入った封筒をテーブルの上に投げるように置くとふて腐れて布団に潜り込んだ。

 大地主である西垣は土地や賃貸物件を幾つも持っていて働かなくとも遊んで暮らしていけるのだ。



 代田は仕方なく西垣を手伝うことになる。

 西垣は首縊りの木を見に来た自殺志願者を言葉巧みに自分の家に休ませて油断したところをロープで首を絞めて殺していたのだ。快楽殺人だ。

 殺すのに性的興奮を感じるがそれだけではない、あの首縊りの木に吊す時に何とも言えない快感を感じるのだと代田に話した。

 代田は木から出てくる白い手に包まれて喘ぐ西垣を思い出してゾッとした。


「だから白い手が出てきて死体やお前を撫でてるんだ。あの木は化け物の木だ。普通の木じゃない、マジでヤバいんだ」


 白い手のことを何度も話すが西垣は取り合わない、手伝うのが嫌で作り話をしていると考えていた。


「マジでヤバいんだって……吊すのはいい、でも首縊りの木はダメだ。他の木に代えよう、他の木に代えるなら死体を吊すのを手伝ってもいい」


 必死で話す代田を西垣が笑い飛ばす。


「手なんかあるか、俺は見てない、お前がおかしいんだ。あの木じゃなきゃダメだ。他の木じゃ気持ち良くない、首縊りの木が……あの木だけが気持ち良いんだ」

「見張りだけじゃなくて俺も殺すのを手伝ってもいい、だから木を代えよう、あの木だけは、首縊りの木だけは止めてくれ」


 何度か手伝っているうちに代田もおかしくなっていた。死体を木に吊すことに罪悪感を感じなくなっている。

 自分も白い手に包まれて殺人者になるのではとの恐怖に心が蝕まれていく、頭痛や肩凝り、眩暈などが頻繁に起る。体調を崩し病院へ行くと自律神経失調症と診断された。

 暫くして鬱になり工場も止めてしまう、口止め料として西垣から月に20万ほどの金も貰えるしアパートの家賃も只だ。生きていくのには困らない。



 2ヶ月ほど経ったある日の夕方、夕食の食材を買いに行った帰り、首縊りの木のある道を通った。


「雀か……違うな、ちょっと大きいな」


 直ぐ目の前を小鳥が横切って代田が自転車を止める。


「おお、カエル咥えてるぞ」


 小鳥が自分の頭より大きなカエルを咥えているのに興味を持ったのか代田は帰るのも忘れて観察するように小鳥を目で追った。


「何処かに巣でもあるのかな? 」


 巣に餌でも運ぶのかと見ていると小鳥は首縊りの木に止まった。


「速贄か……モズの速贄だ」


 小鳥が咥えていたカエルを木の枝に刺した。モズの速贄はやにえだ。


「ふあぁぁ…… 」


 代田が情けない掠れた悲鳴を上げる。

 首縊りの木から白い手が1本出てきてカエルを枝に刺しているモズを包み込んでいく、


「手が……モズが…… 」


 キィッキィーッ、切なげに一言鳴くとモズは飛んでいった。

 モズのいなくなった枝に刺さるカエルを白い手が撫でている。


「モズが…… 」


 言いかけた代田が目を見開いて絶句した。

 首縊りの木の彼方此方にモズの速贄がある。トカゲ、カエル、小魚からバッタやカマキリなどの虫まで木の枝のそこかしこに刺さっていた。


「モズも……モズもあの手に取り憑かれているんだ」


 また一羽、モズが飛んできて木の枝に獲物を刺し始めた。直ぐに白い手が伸びてきてモズを包み込む、


「モズの速贄……首縊りの木が死を集めてるんだ」


 周辺の木にはモズの速贄は刺さっていない、首縊りの木にだけクリスマスツリーの飾り付けのように小動物がぶら下がっていた。


「西垣も速贄とか言ってた。あいつ、やっぱり取り憑かれてるんだ……あの木は死を集める木だ。化け物の木だ」


 真っ青な顔をして代田は自転車を漕いでアパートに帰った。



 部屋に入ると代田は買ってきた食材を台所の流しの横に置いて直ぐに奥の部屋へと入っていく、


「もう止めだ! あんな事してたら俺まで首縊りの木に取り憑かれる」


 怖くなった代田は西垣を手伝うのを止める事にした。もちろん住み場所も収入も失うのを覚悟している。


「貯金は340万ある。口止め料を貰ってるから現金も60万ほどはあるな」


 タンスの引き出しに隠すように置いてあった預金通帳を確認すると部屋の中を見回す。


「荷物は軽トラ借りたら一回で済む……食うだけだったら二年は持つ、その間に仕事を探せばいい」


 この町を離れて余所へ行こうと考えた。幸いな事に引っ越すくらいの蓄えはある。2年なら働かなくても暮らしていける蓄えはあるのだ。代田はまだ35歳だ。探せば保証人のいらない賃貸はあるだろう、そこで次の仕事を探せばいい。


「止めるぞ俺は!! 」


 決意するように呟くと代田は夕食を作り始めた。


「飯を食って荷物を纏めよう、スーパーで段ボール箱を8個貰ってくれば全部入るな」


 夕食を終えると一番近くのスーパーへ行って段ボール箱を貰ってきた。


「西垣に見つからないように明日の夜に出て行くとして、今晩中に荷物を纏めるかな、布団は置いていくか……汚いし買い換えればいい、じゃあ最後の一眠りだ」


 代田は眠気を感じて布団に潜り込んだ。長い間深夜から早朝の勤務を続けていたこともあってすっかり夜型人間になっていた。横になるとあれこれ引っ越し先を考える。


「取り敢えずウィークリーマンションを借りて部屋を探すか……それとも荷物だけトランクルームに預けるか…… 」


 考えているうちに寝入ってしまう、どれくらい寝ただろうか電話の音で目が覚めた。


「西垣だ…… 」


 スマホの着信を見ると西垣からの電話だ。


「もしもし…… 」


 重い口調で電話に出ながら時刻を確かめる。深夜の2時半だった。

 西垣からの電話は今晩手伝ってくれとのことだ。自殺志願者とか言っているが全てが自殺をするために首縊りの木を見に来たのではないことは代田も知っている。西垣は興味本位で見に来ただけの人まで口車に乗せて家に招き殺しているのだ。


「 ……わかった。4時に行くよ」


 電話を切ると重い溜息をつく、


「これで最後だ。終ったらハッキリと断ろう、脅してきても無視だ。荷物を纏めて軽トラを借りて明日の夜にでもこの町から出て行ってやる」


 代田は必要な物だけを段ボール箱に詰めだした。本気でこの町を出てやり直すつもりだ。



 午前4時過ぎ、自転車に跨った代田が西垣の家へと着いた。


「ふへへっ、待ってたぜ」


 いつものように2階の窓から西垣が手を振る。

 暫くするとガラ袋を背負った西垣が出てきた。


「今日は女だ。酒飲ませて酔ったところを後ろから絞め殺した。バタバタ暴れてな……ふひひっ、気持ち良かったぜ」


 楽しそうに顔を歪める西垣の前で代田も薄ら笑いが浮んでいた。


「女なら楽だな、見張ってるから早く済ませろよ」

「ふひひひっ、言うじゃないか」

「もう5回も手伝ってるんだ。慣れたよ」


 不気味に笑う西垣を軽くあしらうと代田が歩き出す。


「ふひひっ、それでこそ代田だ。仲間にしてよかったぜ」


 後ろから西垣が死体の入ったガラ袋を背負って続いた。



 首縊りの木の前に来ると西垣はガラ袋から女の死体を引っ張り出してロープを首に巻き付ける。反対側のロープを枝に引っ掛けると引っ張って女を吊していく、


「ふひひっ、来た……気持ち良いぃ~~ 」


 喘ぎを上げる西垣に首縊りの木から伸びた白い手が纏わり付く、


「西垣、マジで見えてないのか? 白い手がいっぱい出てきてるんだぞ」


 見張りするのも忘れて代田が訊くが西垣は恍惚の表情で首を横に振る。


「まだ言ってるのか? 手なんて見えないよ……それより邪魔するな、もう少しでイキそうなんだ」


 わかったと言うように頷くと代田は見張りに戻っていく、白い手は怖いが流石に何度も見てるので慣れて悲鳴を上げるほどではない、昼間悲鳴を上げたのは西垣ではなくモズまで白い手に操られていると思ったからだ。


「あっ、はあぁぁ~~、気持ち良いぃ~~ 」


 西垣の絶頂に達したような声が聞こえて静かになった。


「速贄か…… 」


 首縊りの木に吊された女の死体を見て呟くと代田が近寄っていく、


「今日で止めにするからな、手伝うのはこれで最後だ」


 恍惚の表情で座り込んでいた西垣がサッと顔を上げた。


「何か言ったか? 」


 薄ら笑いを浮かべながら西垣が立ち上がった。


「もう手伝わないって言ったんだ。俺は止める」


 奇妙な声で笑いながら西垣が代田の肩に手を置いた。


「ふひっ、ふひひひっ、何言ってんだ? 今更止められるわけないだろ、お前も共犯なんだぜ」


 肩に置いた西垣の手を代田が払い除けた。


「わかってる。だから西垣のことは誰にも話さない、だからもう止めさせてくれ」

「ふひひっ、ふひひひひっ、わかった金か? 金だろ? まったく……30万だ。今まで20万だったのを30万にしてやる。だから止めるなんて言うなよ」


 西垣が代田の肩をポンポン叩く、代田が欲を出したのだと考えたらしい。

 肩を叩く西垣の手を叩き返すようにして代田が乱暴に払った。


「止めてくれ! 金の問題じゃない、このままじゃ俺も化け物に取り憑かれる。だから止めるんだ」


 怒鳴る代田の向かいで西垣が叩かれた手を擦りながら口を開く、


「ふひひっ、そんなに欲張るなよ、30万以上は出せないぜ、死体を吊すだけで30万貰えりゃ充分だろ」

「だから金じゃないって言ってるだろ! 」


 怒鳴った代田に西垣が掴み掛かる。


「今更抜けようなんて出来るかよ、お前はずっと俺を手伝うんだ」

「止めてくれ……俺はもう嫌だ」


 胸倉を掴まれた手を離そうともがく代田を西垣が力一杯押した。


「秘密を知った奴を逃がすと思うか? 」

「だっ、誰にも言わないから勘弁してくれ」


 押し倒された代田が情けない声を出した。気が弱く力もない代田が大柄の西垣に敵うわけもない。


「ダメだ!! 信じられねぇ」


 西垣が代田の首に手を伸ばす。


「がっ! 」

「ふひひっ、悪いな代田、死んでもらうぜ」


 もがく代田の首を西垣が絞める。


「ぐがっ!! やっ、止めろ! 」


 火事場の馬鹿力とでも言うのか代田が西垣を払い除けると逆に跨って近くに落ちていたロープをその首に巻き付けた。


「殺されて堪るか! 」


 代田が鬼気迫る顔で西垣の首を絞める。


「はがっ……ぐぅぅ………… 」


 呻き苦しむ西垣の顔を見ていると何やら得も言われぬ快感が湧いてきた。


「あっ、ああぁ…… 」


 気持ちの良さに声が出た。快感を感じながら首を絞めている自分の手に白い手が絡み付くのが見えた。


「ふわぁっ! ひぃぃ…… 」


 代田が悲鳴を上げて西垣から手を離す。

 首縊りの木から伸びた何本もの白い手が自分と西垣を撫で回していた。


「てっ、手が……嫌だ……俺は嫌だぁ~~ 」


 腰でも抜けたのか代田が這いずるように逃げ出す。


「うぐっ……ぐははぁ…………くそっ、代田め! 」


 西垣が嘔吐しながら身を起した。


「嫌だ! 俺は嫌だ! 化け物に取り憑かれるなんてごめんだ」


 ヨロヨロと立ち上がって逃げ出す代田を西垣が追う、


「逃がすかよ! 」


 道路の真ん中で西垣が代田を捕まえた。


「たっ、助けてくれ…… 」


 白い手に恐怖した代田は戦意喪失だ。抵抗することもなくその場にしゃがみ込んだ。


「ふひひっ、ダメだ!! 手伝わないのなら殺す」


 ニタリと不気味に笑いながら西垣が代田の首にロープを巻いた。


「ふひっふひひっ、今日は2人だ。男と女、2人を吊って……木も喜ぶ、ふひひひひっ」


 殺される! そう思った時、誰かが悲鳴を上げた。


「きゃあぁぁ~~、人殺しぃ~~ 」


 新聞配達だろうか? バイクに乗った中年女性が大声で叫んだ。


「ヤバい! 」


 驚いて手の緩んだ西垣を押し倒して代田が逃げ出す。


「きゃあぁぁ~~、誰かぁ~~、人殺しよぉ~~ 」


 中年女性の叫びを聞いて西垣がサッと走って逃げていった。

 代田は反射的に木の陰に隠れる。咄嗟のことでわからなかったが首縊りの木の横だ。


「誰かっ!! 誰か来てぇ~~ 」


 まだ叫んでいる中年女性を隠れながら見ていた代田の手足に白い手が絡み付く、


「ふはっ、うわぁぁ~~、嫌だ! 嫌だ。俺は違う……俺は何もしてない…………化け物め……俺は嫌だ」


 逃れようともがくが白い手は代田を離さない、無数の白い手が手足だけでなく頭や胸に絡み付き代田を覆っていく、


「嫌だ……助けて……俺は嫌だ………… 」


 首縊りの木が俺を放さない、そう思った代田が半狂乱になって暴れる。


「ひひっ、ふひひひっ、手が……白い手が……首縊りの……木の化け物が……手が俺を……ひひっ、ふひひひっ、ふひひひひ」


 代田は駆け付けた警察官に取り押さえられた。

 譫言うわごとのように木の化け物と繰り返しながらも代田は西垣の凶行を白状した。

 西垣は逮捕されて代田は心神耗弱しんしんこうじゃくで罪に問えないとして磯山病院へ措置入院が決まった。代田が直接人を殺めていないということも大きく関係したのは言うまでもない。

 これが代田守しろたまもるさんが教えてくれた話しだ。



 小さなテーブルを挟んで座る代田がニタリと不気味に笑った。


「ふひひっ、変な話しだろ……警察も医者も誰も信じない、でも、でも俺は手を見たんだ。首縊りの木から伸びる白い手を……俺は見たんだ」

「僕は信じますよ、木の幽霊は見たことありませんが他の幽霊なら何度か見てますから、代田さんは危険だと感じて逃げたんでしょ? 木の霊に取り憑かれなくてよかったですよ」


 向かいに座る哲也を見て代田がニヤつきながら続ける。


「ああ、俺はどうにか助かったが西垣は死刑だ。死刑になるって警察が言ってた。木の呪いだ。最後に自分も吊られるんだ」

「呪いですか……快楽殺人犯ですから無期か死刑になるのは当然ですね」


 否定しないで話しを聞く哲也の態度に気を良くしたのか代田が饒舌に話し出す。


「首縊りの木は死を集める木だ……人だけじゃなくて小鳥や他の動物もあの木に獲物を引っ掛けていくんだ。あの白い手は何だったのか……西垣の首を絞めた時、凄く気持ちが良かったんだ。あの快感が忘れられなくて西垣は殺してたんだ……全部あの木が………… 」


 うっとりと目を細める代田の向かいで哲也が顔を顰める。


「快感ですか、西垣の快楽殺人も木の霊がさせていたって事ですか? 」

「たぶんな……金持ちの西垣は幾らでも女を買えたはずだ。それ以上に快感を与えてくれる木から逃れなくなって殺し始めたんだと思う、それくらい気持ちが良かったんだ。手に包まれた時、恐怖を感じたけど気持ちも良かったんだ」

「代田さん…… 」


 言動が怪しくなる代田の前で哲也が何とも言えない顔で呟いた。


「西垣には白い手が見えてなかった。俺も見えなかったらあの木に取り憑かれてたかも知れない……あの気持ち良さは今まで感じたことがなかった」


 恍惚とした焦点の定まらない目で話す代田を見て既に取り憑かれているのではないかと哲也は思った。



 部屋のドアがすっと開いて看護師の佐藤が入ってきた。


「おい、何をしている? 」

「さっ、佐藤さん」


 驚いて声を上擦らせる哲也を佐藤が睨み付ける。


「この部屋は関係者以外は立ち入り禁止だぞ」

「ちっ、違います。散歩してたら代田さんがいてモズの速贄を見てパニくってたから部屋まで送っただけです」


 佐藤の怖い顔を見て哲也が腰を上げた。


「じゃっ、じゃあ僕はこれで…… 」


 佐藤にペコッと頭を下げると哲也は逃げるように部屋を出て行く、


「ふひひっ、差し入れ頼んだよ」


 後ろから代田の厭な笑いが聞こえたが哲也は振り向きもしないで長い廊下を歩いて行った。



 1週間後、病院の敷地内の木にモズの速贄を見つけた代田は首縊りの木の霊がやってきたと騒いで正気を失い警備員の嶺弥と哲也に取り押さえられた。


「ふひっ、ふひひひっ、手が、白い手が……俺も取り込むつもりだ……西垣のように俺も……あの木は死を集める木だ…………白い手で俺を……ふひひっ、ふひひひひっ」


 木を指差しながらモズの速贄を撫でる白い手を見たと騒ぐが哲也には何も見えなかったし気配も感じなかったので代田の幻覚だろう、罪の意識か、病気が悪化したのか、どちらにせよ代田は暫く治らないだろうと哲也は思った。

 警察の取り調べも全て終わっていたので代田は当初の予定通り隔離病棟へと移される事になった。


 正気を失い車椅子に乗せて連れて行かれる代田を見送りながら哲也は考える。


「本当に木の霊がいるとして、西垣の快楽殺人が木の霊を呼び出したのか? 木の霊が西垣に快感を与えて快楽殺人を促したのか? それとも…… 」


 哲也が険しい顔を更に顰めた。


「木の霊は全て代田さんの妄想だったら、死体を吊っているのをたまたま見てしまった代田さんを西垣が脅して仲間に引き入れた。自分が気弱で西垣の脅しに屈したのを認めたくなくて木の幽霊の所為にしたのだとしたら………… 」


 西垣の心が病んでいて快楽殺人に走ったのか、首縊りの木が西垣を惑わせて殺人を起させたのか実際に会っていないので哲也には判断できない、だが首縊りの木が昔から西垣のように人を操って殺人を起させていたとしたら、首縊りの木と呼ばれるまでに何十人の人の命を奪ってきたのではないだろうか、動物とは違う何らかの力を使って獲物を集めていたのだ。初めは小さな小鳥のモズを操っていたのかも知れない、何十年も経ち力を持った木がモズの速贄のように人を欲したのかも知れない。


 植物は傷付けても痛みは感じないというが本当だろうか? ある種の植物は害虫がやってきて自分の葉を食べられると有毒物質を作り害虫に食べられないようにする。それだけでなく周りの植物たちにもフェロモンのような匂いを発して害虫が来たことを知らせるという、その匂いを察知した同じ種類の植物は有害物質を作り出し害虫に対抗するのだ。

 学者は痛みなど感じてはいない、只の反応だというだろう、だが植物たちには我々人間を含めた動物とは違う精神、意識があるのではないだろうか? 哲也はそう思っている。そのほうが夢があるからだ。何百年と生きてきた植物と意思の疎通が出来る未来があれば面白いと、そう考えているのだ。


 其れ故、今回の出来事は残念に思う、首縊りの木との意思疎通が旨く行っていなかっただけなのか? 植物にも人のように悪いものがいるのだろうか? どちらにせよ木の精霊がいるのなら哲也も会ってみたいと思った。


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