第十九話 友達
友達の友という字は共と同源で共の意味は一緒、同じという事だ。つまり友達とは一緒に何かをしたり遊んだりする気の合う人という事である。何らかの関係で互いを知っているだけの人は知人と呼ぶ。
友達と言っても様々だ。自分自身の事よりも大切だと思えるような親友もいれば上辺だけの付き合いの友人もいる。良い友もいれば悪い友もいる。悪友だが何故か憎めない友人を持っている人もいるだろう。
昨今はネットゲームやSNSなどで知り合い実際には会ったことの無い友人を持つ人も多い、所謂広く浅い付き合いというやつだ。中には2~3回ほど挨拶程度に遣り取りしただけで友達と思い込む人もいる。そういうのは友達ではなく知人というのだが本人はわかっていないのか少し素っ気なくしただけで怒り出したりするので困ったものだ。
友達に悩まされている人を哲也も知っている。尤もその人に言い寄ってくるのは友達どころか知人でもない本人のまったく知らないものだった。
昼食を終えた哲也が腹ごなしに病院の敷地内をぶらついていると看護師の東條香織が新しい患者を連れてくるのを見つけた。
「新人さんだ。結構可愛いな、二十歳……いやもっと若いな」
香織の後ろを歩くショートカットの若い女を見て哲也が顔を綻ばせる。
「あっちはD棟とF棟だぞ」
自分と同じA棟なら何時でも遊びに行けるのにと思いながら哲也が後を追っていく、
「また……何か用なの? 」
笑顔で近付いてきた哲也に香織が素っ気ない、
「えへへ、新しい患者さんでしょ? 挨拶でもしようかなって」
おべっか笑いの哲也の向かいで香織が後ろにいる若い女を紹介する。
「ハイハイ、この娘は篠山さん、今日からD棟に入るのよ」
素っ気なく言うと続けて哲也を篠山に紹介する。
「この人は中田哲也くん、警備員さんです」
香織がさっさと消えろと言うように手を振った。
「ハイ、挨拶は終わり」
哲也の顔から笑みが消えていく、
「そんなぁ……名前だけじゃなくてもうちょっとこう、何て言うか……篠山さんとは歳も近そうだし」
「近いわよ、篠山さんは18歳だから哲也くんより一つ下ね」
じろっと哲也を睨みながら香織が続ける。
「それで歳が近いから何なの? 」
哲也の下心などお見通しだ。
「いや……だから……友達にでもなれるかなって」
しどろもどろで哲也がこたえると香織の後ろにいた篠山がブルブルと震えだした。
「とっ、友達……トモダチ…………いやぁ~~ 」
篠山は悲鳴を上げるとその場に蹲った。
「篠山さん! 」
香織がしまったというような顔をして篠山の脇にしゃがんだ。
「大丈夫よ、何もいないわ、化け物なんて何処にもいないから安心して……今のは前にいる哲也くんが言った言葉よ」
優しく声を掛けながら香織が篠山を抱き締めた。
「とっ、友達って……トモダチって…… 」
ブルブル震える篠山を片手で抱きながら香織が反対側の手で哲也を指差した。
「大丈夫だから、今のはあの人が言っただけよ、だから安心して」
「あの人が……そう……よかった」
香織にもたれ掛かっていた篠山の震えが収まっていく、どうやら友達という言葉は禁句らしい。
「あのぅ……ごめんなさい」
申し訳なさそうに謝る哲也を香織が睨み付ける。
「哲也くんは邪魔だから向こうへ行ってて」
篠山を支えるようにして香織が立ち上がった。
「邪魔って……ごめんなさい」
言い返そうとした哲也だが香織の怖い目に自然と口から謝罪が出た。
「まったく哲也くんは…… 」
愚痴りながら香織が篠山を連れて歩き出した。
「ダメと言われて引き下がる僕じゃないです」
10メートル程後ろから哲也が2人を追っていく、
「友達が怖いなんてどんな病気なんだ? 化け物とか言ってたし」
哲也は興味津々だ。病状を聞きたいだけではない、可愛い篠山のことをもっと知りたいと思ったのだ。相変わらず惚れっぽい。
「あっ、嶺弥さんだ」
前を歩く香織と篠山に本物の警備員の須賀嶺弥が何やら話し掛けていた。
警備員の控え室や宿直室がF棟の脇にあるのでこの辺りで嶺弥たち本物の警備員と会うことは多い。
「僕は追い払ったくせに…… 」
楽しそうに会話する3人を見て哲也がムッとして呟いた。
「あっ、でもチャンスだ。あの中に入れば自然と篠山さんと会話できるぞ、嶺弥さんなら追い払ったりしないしな」
ニヤッと企むような顔をして哲也が早足で近付いていく、
「よろしくお願いします」
「困ったことがあれば何でも言ってくれ」
頭を下げる篠山に軽く手を上げて挨拶を返すと嶺弥が2人から離れていく、
「ああ……もう話し終わったのか、まぁいいや、嶺弥さん連れてもう一度話し掛けよう」
前から歩いてくる嶺弥に哲也が駆け寄る。
「ん? 哲也くん、散歩かい? 」
爽やかな笑みを見せる嶺弥に哲也がおべっか笑いをしながら話し掛ける。
「はい、散歩してました。それで香織さんが新しい娘を連れてきたから…… 」
「ダメだよ哲也くん」
哲也が話し終える前に嶺弥がダメだと言うように首を振った。
「えぇ……まだ何も言ってませんけど」
弱り顔の哲也の向かいで嶺弥の顔から笑みが消えた。
「篠山さんには近付くな」
「なっ! なんでそんな事言うんすか? 」
ムッとする哲也を見て嶺弥が真剣な表情で口を開く、
「危険だ。篠山さんは他とは違う」
「違うって? 何がです」
「それは…… 」
怪訝な顔で聞き返す哲也を見て嶺弥は口籠もってから続けた。
「とにかくあの娘には近付くな、香織さんに聞いたんだが厄介な病状らしい、哲也くんと年齢も近い、何か間違いがあってからでは遅いんだよ」
「嶺弥さんがそう言うなら…… 」
要領を得ない物言いに違和感を感じたが兄のように慕っている嶺弥に反発する気も無いので適当にこたえておいた。
嶺弥の表情が緩んでいく、
「夕食が終ったら控え室に来るといい、アイスを買ってあるから一緒に食べよう」
「御馳走になります」
普段の優しい笑みの嶺弥を見て哲也が安心したように笑った。
夕方の見回りで哲也がD棟へと入っていく、
「さっさと終らせて飯食ってからアイス食いに行くかな、警備員控え室へ行くのも久し振りだな」
鼻歌交じりで見回りをしていると騒ぎが聞こえてきた。夕食の時間帯だ。患者は全て食堂へ行っているはずである。
「何だ? まだ食堂へ行ってないのか」
やれやれと言うように呟くと哲也が駆け出した。
「猿みたいな化け物が……トモダチって………… 」
「大丈夫よ、そんなものいないわよ、この病院なら安心だから」
3階だ。怯える声とそれを宥める声が聞こえてきた。
「香織さんだ……もう1人は篠山さんか」
哲也が部屋に近付いていく、聞き覚えのある声色と『友達』と怯える叫びで直ぐにわかった。
「やっぱり篠山さんだ。309号室覚えたぞ」
ドアの横にあるネームプレートを見て哲也が頷く、
「収まったみたいだな」
ドアをノックしようとした手を止めた。出てくるのを待って香織から聞けばいいと考えたのだ。
「今日はこの部屋で一緒に食べましょう、食事を持ってきてあげるわね」
暫くして香織が出てきた。
廊下で待っていた哲也を無視するように歩き出す香織を慌てて止める。
「ちょっ!! 待ってくださいよぉ」
「待ちません、哲也くんは見回りの途中でしょ」
つっけんどんな香織に哲也が弱り顔で続ける。
「何怒ってんですか? 僕が何かしたなら謝りますから」
「何も怒ってないわよ、哲也くんが仕事の邪魔するからでしょ」
怒っていないと言いながら香織は怖い表情だ。
「邪魔なんてしてないっす……そりゃ篠山さんの事を聞こうと思ってたけど……騒ぎが聞こえたから来たんですからね」
弱り切った哲也の向かいで険しい顔をした香織が『わかった』と手を振る。
「ハイハイ、わかったわ、騒ぎは収まったから哲也くんは見回りに戻りなさい」
「なん……わかったっす。見回りに戻るっす。その代わりに終ったら篠山さんの事を教えてください」
パッと笑みに代わると哲也が交換条件を出した。
「ダメよ、篠山さんに近付くのは禁止します」
普段なら折れて教えてくれるのだが今日の香織は怖い顔のままだ。
「 ……んじゃ、いいです」
ムッとした哲也が篠山の部屋のドアに手を伸ばす。
「直接篠山さんに聞くっす」
ドアノブに触れようとした手を香織が掴んだ。
「わかったわ、食堂へ行きながら話しましょう、篠山さんの食事を運ぶのを手伝って貰うのに丁度いいしね」
香織の呆れ顔を見て哲也がニッと笑う、
「了解っす。だから香織さんは好きっす」
「まったく調子いいんだから…… 」
溜息をつく香織の後をついて哲也が歩き出す。
見回りの途中だが好奇心が勝った。見回りは後回しだ。嶺弥にアイスクリームを食べに来いと誘われた件もあるし今日の夕食は諦めて遅れた見回りをした後に警備員控え室でカップ麺でも食べるつもりである。
食堂へと行く道すがら香織が篠山のことを教えてくれた。
篠山詩乃18歳、癖毛なのか短い髪がカールしている。美人と言うより可愛いといったタイプだ。
篠山は幻聴に悩まされていた。声が聞こえてくるというのだ。それだけではない、小さな猿のような化け物を見るという、恐怖のために錯乱して自分の部屋に火を付けたこともある。幸い母親が直ぐに見つけて父と共に消火して大事にならなくても済んだが心の病という事で両親が磯山病院へと入院させたのだ。
診断結果は重度の統合失調症だ。火を付けたり窓ガラスを割ったり、錯乱すると手が付けられなくなるので本来なら隔離病棟へ入れてもいいほどなのだが本人が嫌だというので暫く普通の病棟で様子を見る事になった。
「話しは教えたわよ、篠山さんには近付いちゃダメよ、約束だからね」
「なんでダメなんすか? 」
不服そうな哲也を香織がじっと見つめる。
「篠山さんは危険なの、錯乱すると物に当たるのよ、手当たり次第に物を投げたり止めに入った人に噛みついたりして攻撃的になるのよ、だから哲也くんがお化けの話しとか聞きに行って篠山さんが錯乱して暴れでもしたら本当に隔離病棟に移されるわよ、だから篠山さんには近付いちゃダメよ、哲也くんが怪我でもしたら心配だけどそれ以上に篠山さんが心配なのよ」
ふざけの一切無い真面目な顔で話す香織を見て哲也が頷いた。近付くなと嶺弥が言っていたのはこの事かと納得した。
「わかりました。正直、話しは聞きたいですけど篠山さんがそんな状態なら止めておきます」
哲也が約束すると香織の表情がすっと緩んだ。
「もし話し掛けられても友達という言葉は使っちゃダメよ、化け物が『友達』と囁くって幻聴が聞こえるらしいのよ、だから友達という言葉は禁句よ、ある意味それがスイッチになって錯乱したりするのよ」
「了解っす」
香織の笑みに哲也も安心顔でこたえた。
食堂からトレーに載った夕食を篠山の部屋まで運ぶと哲也は見回りを再開した。
3日経った昼間、暖かな日差しの中、哲也が敷地内をぶらついているとベンチに一人で腰掛けている篠山を見つけた。
「篠山さんだ…… 」
項垂れているような篠山に自然と足が向かう、
「こんにちは、篠山さん」
挨拶する哲也を篠山が怪訝な表情で見上げる。
「僕は中田哲也、篠山さんが看護師の東條香織さんに連れられて来た時に会ったから篠山さんの名前は知ってるんだ。僕は警備員をしてるから、夜とか建物内を見回りしているから何かあれば相談してください」
警戒している篠山の前で哲也が出来るだけ刺激しないように言葉を選んで自己紹介をするように話した。
「ああ……哲也くんって香織さんが呼んでたわね」
思い出したのか篠山の顔から険が消えていく、それを見て安心したのか哲也が笑みを作って話し掛ける。
「今日は天気が良いから散歩してたんだ。そしたら篠山さんが……篠山さんが居たからさ、一緒に食べようと思って」
日向ぼっこでもしながら食べようと持っていた洋菓子を差し出した。2つある洋菓子は池田先生に貰ったものだ。
「ありがとう、哲也くん」
お菓子を受け取った篠山のはにかむような笑みを見て哲也の頬が赤くなる。
「礼なんていいよ、僕も貰ったお菓子だからさ」
近くで見るとやっぱり可愛いなと思いながら哲也が続ける。
「何か悩み事でもあるの? 入院で困ったことでもあったのかな? 病院のことなら大抵のことはわかるから何でも僕に訊いてくれ」
香織と嶺弥に近付くなと言われたのだが項垂れていた篠山を放っておける哲也ではない。
「哲也くん…… 」
嬉しそうに言葉を詰まらせる篠山の隣りに哲也が腰掛けた。
「僕は19歳だ。歳が近いからさ、病院のことだけじゃなくて何でも相談に乗るよ」
錯乱して暴れると聞いているので哲也は先程から言葉を選んで話しているので所々で変な話し方になっている。
「19歳……私より1つ年上だったんだ。くんとか呼んでごめんね、哲也さんって呼ばないとダメだね」
申し訳なさそうに頭を下げる篠山を見て哲也が笑い出す。
「あははっ、いいよ、1つ年上なんて誤差みたいなもんだからさ、それに僕なんかより篠山さんの方がしっかりしているよ、だから『くん』でも『さん』でもどっちでもいいよ」
「哲也さんって優しいね」
篠山に見つめられて哲也の頬が益々赤く染まっていく、照れを隠そうとして哲也が何気なく口を開いた。
「そっ、それで篠山さんは何で磯山病院へ入院してきたの? 」
しまったと思ったがもう遅い、篠山の病状などは香織に聞いて既にわかっている。友達という言葉に怯えるわけや化け物のことを聞きたいと思う気持ちが口から出たのだ。
「病気なんかじゃない……私は病気じゃないのよ」
一瞬で険しく変わった篠山の顔を見て哲也が慌てて頭を下げる。
「ごっ、ごめん、話さなくてもいいから……変な事訊いてマジでごめん」
謝る哲也の顔を篠山が覗き込んだ。
「 ……何でも相談しろって言ったよね」
「うっ、うん、何でも相談してくれ、僕に出来ることなら何でも力を貸すから」
篠山の機嫌が直るならと哲也が必死で頷いた。
哲也をじっと見つめて篠山が続ける。
「じゃあ化け物を退治するのにも力を貸してくれる? 」
「化け物? 」
哲也がサッと顔を上げた。聞きたいと思っていた話しを篠山の方から振ってきたのだ。
正面から哲也を見据えて篠山が話し出す。
「山から憑いてきたらしいの……猿みたいな化け物、そいつが『友達』って付き纏って離れないのよ」
「それを退治するのか? 」
「うん、1人で追い払おうとしたんだけどダメだった……挙げ句に病気だって入院させられて…………だから私は病気じゃないのよ」
篠山が哲也の手を握り締めた。
「哲也さんは手伝ってくれるわよね」
「化け物退治か……わかった僕に出来ることがあるなら手伝うよ、その前に詳しい話しを聞かせてくれないか? 」
包むように手を握られて真っ赤な顔をしてこたえる哲也を見て篠山が安堵したように息をつく、
「よかったぁ~、哲也さんなら信じてくれる気がしたわ、わかったわ、全部話すわ」
とても心の病とは思えない、錯乱して暴れるなんて想像も出来ない、篠山がハッキリとした口調で話を始めた。
これは篠山詩乃さんが教えてくれた話しだ。
それなりに名の通った大学に受かった篠山はアウトドア愛好会というサークルに入った。
登山部のように本格的な山登りなどはしない、ハイキングやキャンプなどをして楽しもうというサークルだ。基本的に彼方此方に行って遊ぶだけだが部室や他の設備も使える学校公認のサークルである。
篠山がサークルに入って2ヶ月になる。その間に近場の山や海などに何度か日帰りで遊びに行った。新人も揃ったという事で恒例になっていた2泊3日のキャンプが決まる。
キャンプなどしたことはなかったがテレビや本などを見て憧れていたので篠山のテンションは上がった。
場所はサークルOBの親族が持っている山だ。整備されたキャンプ場と違って設備などないので全て自分たちで用意しなければならない、不自由さはあるが山奥なので誰にも邪魔されずにバカ騒ぎが出来て新人の歓迎会に代々使われている。
山奥と行っても大きな山ではなく小さな山が連なっている場所でキャンプ地の直ぐ傍まで土が剥き出しの山道が通っているので車で行く事が出来る。
今回キャンプに行くのは男女会わせて14人、3台の車で連なって山道を進んでいく、2台は先輩が持っているRV車で残りの1台はレンタカーのワゴン車だ。
「うわっ、思ってた以上に山奥だ」
先輩の運転するRV車の後部座席で篠山が楽しそうな声を上げると助手席に乗っていた部長が振り返った。アウトドア愛好会では責任者を部長と呼んでいる。
「猿はいないけど熊は出るぞ」
「マジ? 熊は一寸嫌だな」
篠山の隣に座る設楽恵が顔を強張らせる。設楽は大学に入って知り合った篠山が一番親しくしている友達である。
「部長、また嘘言って怖がらせる」
運転していた先輩である佐山が部長をジロッと睨んでから続ける。
「熊なんていないよ、この辺りは大昔に猟が盛んで薬目当てに熊撃ちをやって全滅したって聞いてるよ、まぁもっと山奥なら今でも熊がいるかもしれないけどさ」
「佐山先輩ありがとう」
嬉しそうに言うと設楽が助手席の部長を睨み付ける。
「部長は嘘ばっかり言って怖がらせるんだからぁ……この前の海でもサメに襲われた人がいるとかバカな事言ってたし」
「そうそう、10年程前にサークルのOBが食われたって言ってたよ」
設楽の隣で篠山も楽しそうだ。何かと優しい佐山に気のある設楽が誘うので部長の車に乗ったのだ。
「そんな事言ったっけ? 」
とぼけながら部長が続ける。
「サメと熊は嘘だけどこの山には化け物がいるんだぞ」
「またまたぁ~ 」
篠山がバカにするように言うと部長が助手席から首を伸ばして振り返った。
「マジだって、この山の持ち主に聞いたんだって、何でも山子とか言う妖怪が出るらしい、猿に似た妖怪で山に入った人間に悪戯するんだぞ」
真剣な表情を作って話す部長に篠山が乗った。
「その山子って妖怪はどんな悪戯するんですか? 」
「う~ん、エロい悪戯かな」
真面目な顔を崩してエロい顔で笑う部長を見て設楽が呆れ声を出す。
「部長みたいな妖怪だ」
「何だとぉ~、まぁ否定はしない」
怒る振りをしてから部長が篠山を見つめる。
「俺にエロい悪戯されるのと妖怪にされるのとどっちがいい? 」
「どっちもやですよ」
「そうそう、部長も妖怪も同じです」
篠山だけでなく隣に座る設楽も即答だ。
「マジかよ……一寸は期待したんだがなぁ」
残念そうに言うと部長が頭を引っ込めた。それを見て篠山と設楽が大笑いだ。
「でも妖怪とか面白そうだね」
「悪戯くらいなら怖くないよね」
楽しそうに話す篠山と設楽の会話に運転しながら佐山が入る。
「猿に似てる妖怪って、それって猿でしょ? この山、昔から猿はいないって言われてるから何処かから猿が紛れ込んで来たの見て妖怪だって騒いだだけでしょ」
「あっ、そうか」
成る程と頷く篠山の隣で設楽が憧れるように視線を送る。
「流石佐山先輩だわ」
設楽が気があるのを知っている篠山は援護するように佐山を持ち上げる。
「ほんとだね、佐山先輩は何でも出来るもんね、何処かの部長とは大違いだよね」
「うん、アウトドアの知識は凄いしスポーツ抜群だし頭も良いし…… 」
恋する乙女の目付きになっている設楽を見て篠山も嬉しそうだ。
「ははっ、褒めても何も出ないぞ」
爽やかに笑う佐山の横で部長が偉そうに胸を張る。
「その佐山を部下に持つ俺はもっと凄いって事だぞ、敬えよ新入部員ども」
「典型的なダメ上司だわ、佐山先輩かわいそう」
「なんで部長になれたんだろう」
呆れ声を出す設楽の隣で篠山が不思議そうに部長を見つめた。
「それは俺がアウトドアのエキスパートだからだな」
「マジ? 只遊んでるだけと思ってたよ」
ドヤ顔で言う部長に篠山が聞き返すのを聞いて佐山が冗談交じりで口を開いた。
「部長が詳しいのはカレーの味付けだけでしょ」
佐山の一言で車内が爆笑に包まれる。
土が剥き出しの細い山道を通ってキャンプ場に着くと早速テントを張った。1つのテントに4人が入る。全部で14人だから4つのテントを張る。篠山は設楽と先輩の女子2人と一緒にテントを組み立てた。
朝の8時から車を走らせて来たがテントを張り終えた頃には午後2時を回っていた。
「テントはオッケーだな、んじゃ飯の用意でもするか」
サークルメンバーを集めて部長が指示を出す。
「先ずは水だ。水汲みは新人の仕事だからな、残りの男は火を起せ、女はカレーを作れ」
部長が篠山たち新入部員の前に水を入れるポリタンクを並べた。
「美味しい湧き水があるって言ってたよね」
「水くらい初めから入れとけばいいのに…… 」
楽しそうな篠山と違って設楽は厭そうな顔だ。
「力仕事かよ……男の仕事だろ」
ブツブツ文句を垂れる設楽の前に佐山がやってくる。
「湧き水まで案内するよ」
佐山が道案内を買って出た。この場所をキャンプ地にしているのは飲める湧き水が近くにあるからである。
「あぁ~ん、佐山先輩優しいぃ~~ 」
先程まで愚痴っていた設楽が真っ先に水を入れるポリタンクを持ち上げた。
佐山について獣道を上っていくと小さな沢があった。更に登ると岩の間から水が湧いていた。
水汲みを終えた帰り道、篠山は蹲っている男の子を見つける。
「どうしたの? 怪我してるじゃない」
10歳くらいだろうか? 男の子は転んだらしく左の膝が擦り剥け血が出ていた。
「一寸待ってて」
篠山はポリタンクから先程汲んだ水を出してハンカチを濡らすと男の子の傷口をそっと拭いてやる。
「どうしたの? あっ、その子誰? 」
「知らない、それよりも怪我してるから」
後ろから顔を出した設楽に構わず篠山は携帯していたポーチから傷薬を出して男の子の傷口に塗ってやった。
「これでいいわ、あんた地元の子? 」
絆創膏を貼ってやると男の子を安心させるように笑みを作った。
男の子はコクッと頷いた。
「おら、この山の子だ」
ボソッと言うと山道を駆け下りていった。
後ろで見ていた設楽がムッとして口を開く、
「何なのよ、ありがとうも言わずに」
「あはははっ、礼なんていいわよ、恥ずかしかったのよ」
笑いながら言うと篠山は水の入ったポリタンクを持ち上げた。
「んじゃ行こう、早くしないと部長にどやされるよ」
そこへ後ろにいた佐山がやってきた。
「何があったの? 男の子がいたようだけど」
佐山を見て篠山が話す前に設楽が口を開く、
「地元の子だって、転んで怪我したみたい、篠山さんが薬塗ってやったのに礼も言わずに逃げていったわよ」
「だから礼なんていいって……困ってる時はお互い様でしょ」
照れるように話す篠山の向かいで佐山が首を傾げる。
「男の子一人か? 」
「そうみたいだったけど……慌てて走って行ったから下に友達でもいるんじゃないの」
「地元の悪ガキって感じだったよ、猿顔の悪戯小僧って感じの」
頷いてこたえる篠山の横で設楽が思い出すようにして言った。
「変だな…… 」
佐山がおかしな事に気が付く、整備されたキャンプ場ではなく、サークルOBの親族が持っている山である。大きな山では無いが山々の間を抜ける山道を通って近くの町まで車を飛ばしても30分ほど掛かる距離だ。歩いてなら3時間以上は掛かるだろう、車も無しに10歳ほどの男の子が遊びに来る場所ではない、いくら地元の悪ガキでも一人で来るような場所とは思えないのだ。
険しい顔で話す佐山を見て篠山と設楽の顔が強張っていく、
「もしかして部長の言ってた妖怪じゃないの」
「まっ、まさかぁ…… 」
青い顔をした篠山と設楽が顔を見合わす。
「あははははっ、妖怪なんて部長の作り話だよ、何年この山でキャンプしてると思ってるんだ? それに山の中で地元の人に会うなんてよくあることさ、あの子も親と一緒に来たんだよ、山菜とか湧き水を汲みに時々来るって聞いたことがあるからさ」
怯えさせまいとしたのか佐山が笑い飛ばすように言った。
キャンプ地に戻ってみんなでカレーライスを作って夕食にする。
山の夜は早い、あっと言う間に辺りは暗くなるがキャンプは夜が本番だと焚火をして宴会が始まった。
篠山も普段より少し多目に酒を飲んで好い感じに酔っ払ってテントに倒れ込んだ。
どれくらい眠っただろう、篠山が目を覚ました。
「うぅ……設楽さん? キャンプに来てたんだ」
隣りに眠っている設楽が見えた。他のみんなも眠ったらしく騒いでいた声も消えている。
酔いと眠気が重なってボケていた頭が徐々にハッキリとしていく、
「トイレ…… 」
尿意を感じて起き上がろうとした時、何かが聞こえてきた。
『あの子が欲しい~、あの子じゃわからん…… 』
何処か遠くから歌うように声が聞こえる。
「はないちもんめだ…… 」
篠山は浮かせた頭を枕代わりに丸めた着替えにまた落とした。『はないちもんめ』とは二組に別れて歌いジャンケンをして相手チームの人を取り合う子供の遊びだ。昔の遊びで今の子供はあまりしないだろう、篠山も遊んだ記憶は無いが歌はもちろん遊び方も何となく知っていた。
「誰か酔っ払ってるのかなぁ」
呟きながらスマホで時間を確かめる。深夜の2時を回っていた。
『あの子が欲しい~、あの子じゃわからん…… 』
先程よりも近くから聞こえるような気がした。
「子供? なに? 」
篠山が寝袋の中で身を固くする。大人の声ではない、少し舌足らずな子供の声に聞こえる。酔っ払って誰かがふざけているのだとも考えたがテントの外で騒いでいるような気配は無い。
『あの子が欲しい~、あの子じゃわからん…… 』
テントの傍で聞こえた。怖くなった篠山は潜るように寝袋の中に入った。
「トイレ…… 」
我慢すればするほど尿意が襲ってくる。もう我慢できないと、寝袋から頭を出して近くで寝ていた設楽を起した。
「設楽さん起きて……ねぇ設楽さん」
「んん? どうしたの? 」
怠そうに目を擦る設楽を見て篠山がほっと安心して続ける。
「歌が聞こえるのよ、はないちもんめが…… 」
「はないちもんめ? 」
篠山に言われて設楽がじっと聞き耳を立てる。
「何も聞こえないよ」
いつの間にか声は消えていた。
「さっきはマジで聞こえてたんだって」
起されて不機嫌な設楽に篠山が必死だ。
「寝惚けてたんだよ」
また眠り始める設楽の手を篠山が引っ張る。
「トイレ……お願い、ついてきて」
「トイレ……仕方ないなぁ」
必死で頼む篠山の向かいで設楽が寝袋から起き上がった。
2人してテントから出ると近くの木々の間に入っていく、少し離れるとしゃがんで用を済ませた。
「ありがとう設楽さん」
「いいってことよ、私も行きたかったんだ」
テントに戻ると寝袋に潜り込む、先程のことは寝惚けていたのだと篠山も気にせずぐっすりと眠った。
翌日も楽しく遊んだ。仲間の一人がカメラが趣味でフィルムカメラを持ってきていて撮りまくっている。スマホのカメラもいいが現像して出来る紙の写真もいいと篠山も沢山取ってもらった。
「みんな集まれ、全員で写真を撮るぞ」
部長の一言で参加した全員が並んで集合写真を撮る。
「よしっ、全員変な顔しろ」
「何で変な顔なんですか? 」
思わず訊いた篠山に部長がニッと悪い顔で笑う、
「我がサークルの伝統だ。後で誰が一番変な顔か投票するんだぞ」
「やな伝統だなぁ」
「じゃあ撮るぞ」
口では嫌だと言いながら篠山もノリノリで変な表情を作る。
「はいチーズ」
『トモダチ』
部長の声に被るように舌足らずな子供のような声が聞こえた。
「へっ? 」
変顔を作っていた篠山がぽかんと辺りを見回す。
「はいオッケー 」
シャッターが切られて撮影が終る。
呆然としている篠山の背を設楽がポンポンと叩く、
「篠山さんどうしたの? 」
「うぅん……友達って聞こえた」
言い辛そうな篠山の顔を設楽が覗き込む、
「何それ? 誰の友達? 」
「ううん、何でもない空耳よ」
篠山がぎこちない笑みを作った。ハッキリ聞こえたわけではない、自分でも空耳だと思い直してまたみんなと遊び出す。
あっと言う間に時間は過ぎて夜になる。明日の昼に帰る予定だ。昨日以上に宴会は盛り上がる。中には仲良くなって森の奥へと消えていくカップルもいた。
「今日は戻らないから先輩たちにも言っといてね」
篠山に耳打ちすると設楽は小さなテントに走って行った。いつの間に作ったのか小さなテントから佐山が顔を出す。
「設楽さん…… 」
小さなテントは佐山が持ってきたのだろう、佐山に手を引かれて嬉しそうに設楽が入っていった。
「旨くやったなぁ~~ 」
憧れていた佐山といい関係になった設楽を見て羨ましそうに言うと篠山はテントに戻って寝袋に潜り込んだ。
良い気分で酔って直ぐに眠気が襲ってきた。
『あの子が欲しい~、あの子じゃわからん…… 』
眠りに落ちる寸前、声が聞こえてきて篠山が目を開けた。
「はないちもんめだ」
横になりながら篠山が呟いた。時刻は夜の0時を少し回っている。昨晩と違ってテントの外ではまだ騒ぐ声が聞こえていた。
『あの子が欲しい~、あの子じゃわからん…… 』
風に乗ってくるような歌声だ。だがハッキリと聞こえた。
「おい? 」
「聞いたか? 」
「あの子が欲しいって…… 」
「かごめかごめ? 」
「違うよ、はないちもんめだ」
テントの外が騒がしくなる。みんなも聞こえた様子だ。
『あの子が欲しい~、あの子じゃわからん……そうだんしましょ 』
更に大きく聞こえて篠山もテントから飛び出した。
「男共集まれ! 見に行くぞ」
懐中電灯を手にした部長が近くにいた数名の男たちと共に声の聞こえた藪の中へと入っていった。
「子供の声だよね」
「うん、男の子の声だったよ」
いつの間にテントから出てきたのか設楽に篠山が頷いた。
暫くして部長たちが戻ってくる。何かあったと口々に聞かれるが全員黙って頭を振った。
「誰も居なかったぞ、今日はお開きだ。予定変更して明日の朝に帰るぞ」
全員が気味の悪さを感じていたが誰も言葉には出さない、部長はじめ男たちはビビっていると思われたくないとでも考えたのだろう、14人もいるので心強いという事もある。
「君子危うきに近寄らずだ。山では色々なことが起きる。でもそういうものだと思って詮索はしない方がいいんだ」
真相を確かめようと息巻く男子も数名いたがサークル内で一番経験の豊富な佐山の一言で収まった。
「そういう事だ。それじゃあ寝ろ、明日一番で帰るぞ」
部長の指示で宴会を中断して全員がそそくさとテントに入っていった。
先程まで宴会をしていたのが嘘のように辺りが静まり返る。篠山も2人の先輩と共に寝袋に潜るようにして身を固くしていたが酔いと疲れでいつの間にか眠っていた。
翌朝、直ぐにテントを畳んで山を降りる事にした。
昨晩の事は遠くで鳴いた動物の鳴き声が人の声のように聞こえたのだろうと部長が説明した。全員納得したわけではないが、かと言って説明できないので納得した振りをするしかない。
3台の車に別れて山道を下っていく、
「おかしいな? 」
運転していた佐山が呟いた。助手席で眠っていた部長が目を開ける。
「どした? 迷ったか? 」
部長がカーナビを弄り始める。携帯電話の電波は通じないがカーナビのGPSは衛星から電波が飛んでくるので車の位置はわかる。もっとも舗装もされていない私有地の山道だ。カーナビにも正確なマップなどなく、山のどこら辺にいるのかという見当がつく程度だ。
「分かれ道もそんなにないし、迷うはずないんだけどな」
「山は降りてんだ。このまま進め」
部長に命じられて佐山が車を走らせる。
「やっぱ変だ」
15分ほどして佐山が車を止めた。先頭なので他の2台も当然止まる。
「同じ場所だ。あの木に見覚えがある」
窓を開けると佐山は枯れて半分折れた木を指差した。
「見間違いだろ? 」
「いや、確かに…… 」
呑気な部長に何か言おうとして佐山が止めた。後ろで不安そうな顔をしている篠山と設楽に振り返る。
「大丈夫だから、山って言っても小さい山だ。迷ってもこのまま走れば何処かの国道に出るよ、国道に出たら少し走れば何処かの町に出るよ」
2人を心配させまいと佐山が優しく微笑んだ。
「あぁん、流石佐山先輩」
「本当、頼りになるね」
深い関係になった設楽が甘えるように言う隣で篠山も安心顔だ。
「佐山の言う通りだ。国道に出れば携帯も繋がるようになるし心配無いって寸法よ」
何もしてない部長が偉そうに胸を張るのを見て篠山と設楽が声を出して笑う、
「あはははっ、部長って何で部長になれたんですか? 」
「佐山先輩の方が部長って感じだよね」
笑う2人を見て部長がニッと悪い顔で口を開く、
「人徳だな、心の広い俺様の人徳だ」
「先の部長が適当に指名したんだよ」
佐山の一言で車内が爆笑に包まれた。
1時間ほど走るが一向に国道に出ない、それどころかドンドン寂しい山奥へと入っている様子だ。
「やっぱおかしい、グルグル同じ道を通ってる感じだ」
佐山がまた車を止めた。風に乗って歌が聞こえてくる。
『あの子が欲しい~、あの子じゃわからん…… 』
「おい、早く車を出せ! 」
部長の叫ぶような声で佐山が直ぐに発車させる。
『あの子が欲しい~、あの子じゃわからん…… 』
車を追って声がついてきた。
「なに? なんなのよぉ~~ 」
「もう嫌! もう家に帰りたい…… 」
後ろに座っていた設楽と篠山が抱き合って怯え声を出す。
「もう止めて……家に帰して………… 」
『あの子が欲しい…… 』
篠山の怯え声に反応するように声がピタッと止まった。
「おい、道に出たぞ、国道だ」
部長が指差す先、アスファルトで舗装された道が見えた。
佐山がそのまま車を走らせる。土が剥き出しの山道から舗装された国道に出た途端にカーナビが現在位置を示した。
「反対側だぞ、山を突っ切って反対に出たんだ。だから時間が掛かってたんだ。迷ったんじゃなくて反対に進んでたんだ」
カーナビを見て部長が言うと後ろに座っていた篠山と設楽の顔にも安堵が浮んだ。
「おかしいなぁ、反対に進んでたつもりはないんだがなぁ」
ボソッと呟くように言った佐山の腿を部長がポンと叩く、
「間違いは誰にでもあるさ、遠回りになるがぐるっと山を回って帰ろう」
「 ……方向を間違うなんて初めてだけどなぁ」
首を傾げながら佐山が車を走らせる。電話も通じるようになっていた。
当初の予定通りの時刻に帰ることができた。もっとも昼にキャンプ地を出るはずだったのを朝から出たのでその分余計な時間が掛かった。2時間ほど余計に山道を走っていたことになる。
何日かして現像したとサークルの先輩が写真をくれた。個別に撮ってくれた写真と集合写真だ。
集合写真の篠山の写っている後ろ、大きな木の枝にぼやけてハッキリと見えないが猿らしきものが写っていた。猿がいないと聞いている山なのでお化けだ何だと友人同士で盛り上がる。挙げ句の果てに山で聞いた声の主ではないかと驚かす先輩まで現われたが篠山たちは笑い飛ばした。もう済んだことだ。山での怖い出来事も思い出の一つとなっていた。
焼き増しして貰った写真を持って家に帰る。篠山は両親の持ち家である建売住宅から電車で大学へと通っていた。
「ここに写っているの、みんな友達なの」
リビングにあるテーブルの上に置いていた写真を母が見て訊いた。
「そうよ、サークルの友達よ」
シャワーを浴びた篠山がジュースを片手にやって来る。
母が集合写真に写る佐山を指差す。
「あっ、この子いいわね、イケメンじゃない」
「佐山先輩ね、格好良いでしょ、でも残念、設楽さんに取られちゃった。私も狙ってたんだけど設楽さんになら譲ってもいいかなって」
戯けて言うと母の隣り、ソファに座って写真を手に取る。
「設楽さんね、あの子は母さんも好きよ」
互いの家を行き来するほど仲良しなので設楽のことは母もよく知っている。
「この人もサークルの友達なの? 」
「うん、全部友達よ、サークルのメンバーしか参加してないから」
他の写真を見ていた篠山は母の持っている写真も見ずにこたえた。
「でもこの人……猿みたいね」
「えっ? 」
猿という言葉に反応して篠山が母の持つ写真を見つめる。
「なっ……知らない……こんな人知らない」
篠山が絶句する。設楽と一緒に写っている写真だ。篠山の後ろから男が半分頭を見せていた。猿顔の男だ。
「何で? 誰なの? 」
貰ってきた写真を広げて他に写っていないか探し始める。
『ト・モ・ダ・チ…… 』
たどたどしい幼子のような声が聞こえたが篠山は点けっぱなしになっていたテレビの音だと気にしない。
「他には写っていないわね、顔の半分しか写ってないし光の加減で知らない人のように見えるのよ、こんな猿顔友達にいれば直ぐわかるでしょ? カメラの具合で歪んで写ったりするのよ」
篠山の怯えを感じとったのか母が宥めるように言った。
「う、うん、そうだよね、これ一枚しか写ってないし……明日にでもみんなに訊いてみるわ」
写真をしまうと篠山は2階にある自分の部屋へと上がっていった。
翌日、大学へ行くと写真のことをサークル仲間に訊こうと仲の良い設楽を見つけて一番に話し掛ける。
「ここに写っている写真なんだけど…… 」
「ん? どうしたの」
写真を持って固まっている篠山の顔を設楽が覗き込む、
「消えてる……なんで…… 」
後ろから半分頭を出していた猿顔の男が消えていた。勘違いではない母も見たのだ。
「ここに男が写ってたのよ、猿みたいな顔した男が…… 」
昨日のことを説明するが設楽は見間違いだと相手にしてくれない、サークル仲間にも話したが写真を撮ってくれた先輩がネガを確かめたが何も写っていないと言って篠山の見間違いで決着がつく、篠山もこれ以上雰囲気を悪くしたくないので食い下がるのは止めた。
学食で篠山と設楽が並んで食べている。
「ほんとに写ってたんだって」
サークル仲間には見間違いという事で済ませたが仲の良い設楽には信じて貰いたくて朝から写真のことばかり話していた。
「はいはい、わかったわかった」
何度も聞いた話しに設楽が『わかった』と手を振ってこたえる。知り合って間もないが親友のように仲良しなのだ。頭ごなしに否定することはしない。
「もう……本当なのに………… 」
『トモダチ、トモダチ』
ムスッと怒る篠山の耳にたどたどしい幼児のような声が聞こえた。
「どうしたの? 誰か探してるの? 」
辺りを見回す篠山を設楽が怪訝な顔で見つめる。
「うん、友達」
キョロキョロしながらこたえる篠山の横で設楽が食事の載ったトレーを持ち上げる。
「誰? 邪魔なら私席外すわよ」
「ううん、違うの、友達って声が聞こえたから…… 」
呆然と話す篠山を設楽が覗き込む、
「大丈夫? 今日の篠山さん変だよ」
「えっ、そんな事ないよ、いつもと一緒だよ」
ハッと我に返ったように笑みを作ると篠山は食事を食べ始めた。
この日を境に声が聞こえるようになる。家にいる時も大学にいる時も、遊んでいる時も勉強している時も、何処からか『トモダチ』と聞こえてくるのだ。辺りを探しても幼児のような声を出す人は何処にもいない、それどころか部屋に一人で居る間にも声は聞こえてきた。耳がおかしくなったのかと耳鼻科に行ったが何も異常はないと言われた。
3日が経った。授業が終ってサークルの部室へと向かっていると声が聞こえてきた。
『トモダチ、トモダチ』
篠山が険しい顔をして辺りを見回す。
「どうしたの? 」
「何でもないよ、ちょっと耳の具合がおかしくて…… 」
心配そうに顔を覗き込む設楽に篠山が作り笑いだ。
部室の開きっぱなしのドアから篠山と設楽が入っていく、
「おぅ、おはよう」
ボロボロのソファーに座って漫画雑誌を読んでいた部長が軽く手を上げて挨拶だ。
部室と言っても大学の敷地の端に建つプレハブで出来た小屋みたいなものだ。生徒数も多く羽振りの良かった昭和時代に作ったもので彼方此方が傷んだボロ小屋だが部室を持つサークルは半数も無いので文句など言えない。
「おはようってもう昼ですよ」
呆れ顔の篠山を見て部長が声を出して笑い出す。
「はははははっ、昨日泊まって今起きたからおはようであってるぞ」
「泊まったんですか? ここに? 」
よく見ると部長の足下に寝袋が転がっていた。
「アウトドア愛好会だからな」
「いやいやいや、アウトドアじゃないですから部室ですから」
篠山が顔の前で『違う』と手をブンブン振った。
奥でスマホを弄っていた佐山が振り返る。
「部長の相手をマジでやると疲れるだけだぞ」
「佐山先輩、ちわ~~ 」
設楽が愛想を振りまいて駆け寄ると隣にちょこんと座った。
部長の前にあるテーブルに篠山がコンビニの袋を置いた。
「まったく……ジュース買ってきたんですけど先輩たちも飲みますか? 」
部室には部長と佐山の他に四人ほどがいた。
「おぅ、丁度喉が渇いてたんだ」
「はいはい、部長は飲むのわかってますから、佐山先輩たちは飲みます? 」
部長を軽くあしらうと篠山が奥にいる先輩たちに訊いた。
「うん、頼むよ」
佐山始め他の先輩たちも手を上げたり返事をしたりして飲むと意思表示した。
「了解、2リットル2つ買ってきて正解だわ」
篠山が洗面台横に置いてある棚にコップを取りに行こうとした時、また声が聞こえた。
『トモダチ……トモダチ…… 』
じっと身を固くする篠山の見つめる先、大きな棚がグラグラと揺れていた。
「じっ、地震! 」
振り返った篠山の目に顔を引き攣らせている部長が映る。
「ぶっ、部長………… 」
篠山が絶句した。
先程置いたジュースのペットボトル2本がテーブルの上を滑っていた。2本のペットボトルが互いに行き来するように交互にテーブルの上を何度も滑っている。
地震で滑っているのかと思ったが違った。テーブルもソファも部長たちも揺れてはいない、ペットボトルだけが動いているのだ。
「きゃあぁ~~ 」
後ろで設楽が悲鳴を上げた。反射的に篠山が視線を移す。
「ひぅっ!! 」
篠山が息を吸い込むような悲鳴を上げる。
部室の奥に畳んであった寝袋やロープが宙に浮いて漂っていた。風で煽られたのではない、寝袋を吹き飛ばすような風など窓を開けていても入ってくることなど有り得ない。
『トモダチ、トモダチ……お前はトモダチ』
直ぐ近くで声が聞こえて篠山がバッと振り返る。
「ぴぃ……ひぅぅ………… 」
喉から声にならない悲鳴が出た。グラグラと揺れる棚に猿のようなものがしがみついている。幼稚園児くらいの背をした猿のようなものが棚を揺らしていたのだ。
「きゃあぁあぁぁ~~ 」
篠山が大きな悲鳴を上げると猿のようなものがすっと消えた。同時に棚の揺れが止まる。
「ばっ、化け物が…… 」
今見たことを部長や先輩に伝えようと篠山が振り返る。
「へっ、へへ……吃驚した」
頬を引き攣らせて笑いながら部長がテーブル上のペットボトルを見つめていた。
「なっ、何なのよ……怖い、佐山先輩」
設楽が佐山に抱き付いて震えている。
「あいつだ…… 」
テーブルを滑るベッドボトルも部室の奥で宙に浮んでいた寝袋とロープも元に戻っていた。全て先程見た猿のようなものの仕業だと篠山は思った。
「みんな落ち着け、あれだ……ポルターガイストとか言うヤツだ」
部長に続けて佐山も話し出す。
「ポルターガイストか……電磁波か何かが一時的に強力に掛かって物が動いたりするヤツだな」
「そうだ。霊現象とか言う奴らもいるが電磁波とか音波や振動などが偶然波長を合わせて物が動いたりするんだ」
みんなを落ち着かせようと話す部長の前に篠山が出てくる。
「違う……違います。私見たんです。化け物が……猿のような化け物が棚を揺らしてました。ペットボトルも寝袋もそいつの仕業だと思います」
前に立つ篠山を見上げて部長が顔を顰める。
「化け物か……篠山ちゃんは幽霊とか信じてるの? 」
「信じるとかじゃなくて見たんです」
顔を強張らせる篠山を見つめて部長が頷いた。
「そうか……化け物の仕業としてもう居なくなったんだよね」
「はい、棚にしがみついてたけどもう消えました」
「それじゃあ、もう大丈夫だ」
「大丈夫って……化け物がいたんですよ、『友達』って声も聞こえるんです。お祓いとかした方が………… 」
部室の後ろで佐山や設楽たちも心配そうに見つめている。これ以上話しても変なヤツだと思われるだけだと篠山は言い返すのを止めた。
翌日も同じような出来事が起きた。噂は直ぐに広まり幽霊部室だと面白がってサークルとは関係のない学生たちも見に来て大騒ぎになるが部長や佐山が只の噂話だと説明して直ぐに収まった。
おかしな出来事は篠山の家でも起きていた。
物が消えるのだ。直ぐ傍に置いてあった物が消えて有り得ない場所で見つかる。机の上に置いていたスマホがベッドの布団の中で見つかったり、風呂場で消えたシャンプーが部屋のテーブルの上に置いてあったり有り得ないことが次々と起きた。その度に『友達』と舌足らずな子供のような声が聞こえた。
3日ほどして学食で一緒に食べていた設楽が篠山の顔を覗き込む、
「どうしたの? 最近元気ないわよ」
「うん…… 」
「悩みがあるなら話して、私に出来ることがあれば何でもするからさ」
俯く篠山に設楽が優しく訊いた。
窶れた顔をして篠山が話し出す。
「声が聞こえるって前に話したよね、声だけじゃなくて化け物が見えるのよ、猿みたいな化け物が……友達って私を見て笑うのよ」
「部室で見たって言ってたわね」
顔を強張らせる設楽の向かいで篠山が頷いた。
「うん、部室じゃなくて私に取り憑いているみたい……どうしよう設楽さん」
「どうしようって…… 」
設楽が言葉を詰まらせた。
部室での出来事は設楽も見ているのだ。部長や佐山が電磁波だ共振だと言うが設楽はじめ他のサークル仲間も信じていない、事ここに到って全員が霊現象だと思っていた。
「きっ、気のせいじゃないの? あまり思い詰めるとダメだよ」
優しく声を掛けると設楽が腰を上げる。
「私、佐山先輩と会う約束してるから……ごめんね」
設楽が逃げるように食堂を出て行った。
次の日、怪現象の原因は篠山だと噂が広がっていた。
篠山が悪霊に取り憑かれているから変な事が起きるのだという噂だ。一緒に居ると悪霊に取り憑かれるとサークル仲間は篠山を避けるようになるが設楽と佐山と部長だけは気にするなと優しかった。
気晴らしに佐山がドライブに誘ってくれた。部長と設楽も一緒だ。
「んじゃ、佐山と篠山ちゃん、俺と設楽ちゃんでダブルデートだな」
はしゃぐ部長を見て篠山が慌てて口を開く、
「なっ、何言ってんですか! デートじゃないですよ、だいたい佐山先輩は設楽さんと付き合ってるんですからね」
部長がバッと振り返る。
「えっ? マジか? だって佐山は篠山ちゃんが…… 」
「ちょっ、部長! 」
佐山が慌てて部長の肩を掴んで部室の奥へと引っ込んだ。
奥で何やらヒソヒソ話す2人を見て篠山が苦笑いしながら設楽に話し掛ける。
「まったく部長は……ねぇ設楽さん」
隣を見ると設楽が怖い目で睨んでいた。
「そうね、部長は仕方ないわね」
「設楽さん、何怒ってるの? 」
「何でもないわ、ちょっとトイレ行って来るから」
苦笑いのままで訊く篠山を睨みながら低い声で言うと設楽は部室を出て行った。
次の土曜日、篠山は部長たちと一緒にドライブへと行った。
車は佐山の持っているRV車だ。近くの山をぐるっと回って何か美味しいものでも食べに行く予定だ。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎて夕食を食べて帰路につく、
「夕日が綺麗、良い景色ねぇ、食事も美味しかったなぁ」
「うん、楽しかったわね、またみんなで来たいわね」
窓の外を流れる景色を見ながら篠山が言うと隣に座っていた設楽も笑顔でこたえた。
助手席に座っている部長がくるっと振り返る。
「俺と佐山の奢りってのを忘れるなよ」
「部長は恩着せがましいんだから、黙ってると格好良いのにぃ~ 」
篠山が部長を見て呆れ声だ。最近起っていた騒動を忘れて久し振りに楽しんだ。
『トモダチ……トモダチ……お前はトモダチ』
どこからか声が聞こえてきて篠山が身を固くする。
「うわっ!! 」
佐山が叫んだと思ったら車が大きく揺れた。
「痛てて……みんな大丈夫か? 」
運転していた佐山が後ろに座っていた篠山と設楽を心配そうに見た。
事故だ。佐山のRV車は山道から外れて左に突っ込んで木にぶつかって止まっていた。左で良かった。右側は山の傾斜が急で崖のようになっていた。落ちれば大怪我、下手をすれば死んでいるだろう。
「首を少し捻った」
助手席で部長が首を摩りながら佐山を見つめた。
「友達って聞こえたな」
「ああ……手が引っ張られた。もう少しで崖の下だったぞ」
佐山が頷いた。崖のようになっている右側に腕が引っ張られたのだが佐山は咄嗟に反対側にハンドルを切って木にぶつかるだけで済んだのだ。
たどたどしい幼児のような声が2人にも聞こえたらしい、強張っていた篠山の顔が色を失っていく、
「みっ、みんなにも聞こえたんだ……ばっ、化け物の声だよ、猿のような化け物が………… 」
「全部あんたが悪いんじゃない! 」
隣に座っていた設楽が叫ぶように言った。
「設楽さん…… 」
「そうよ、全部篠山さんの所為よ、部室でポルターガイストが起きるのも事故も全部篠山が悪いのよ、篠山は悪霊に取り憑かれているのよ、こんな奴と一緒に居たらこっちまで取り憑かれるわよ、最悪女のサゲマンよ」
呆気に取られる篠山を設楽が罵倒した。
「なっ……何でそんな事言うのよ」
親友だと思っている設楽に滅茶苦茶言われて篠山は泣き出しそうだ。
「何でも、こんなも、無いわよ、最悪だから最悪って言ったのよ、あんたの所為で他の人も迷惑してるのわかってんの? あんたが部室に来るから他のメンバーが来なくなったの知ってんの? 早く辞めろってみんな思ってんのよ」
罵倒していた設楽のトーンが落ちる。
「それなのに佐山先輩は……こんな奴の何処がいいのよ」
「酷い……友達だと思ってたのに………… 」
「何が友達よ、冗談じゃないわ、悪霊に取り憑かれてる友達なんてごめんよ」
泣き出した篠山に設楽が止めの一言を言い放った。
そこへ部長が仲裁に入る。
「もうその辺で止めとけ、それ以上言うと俺が怒るぞ」
ジロッと設楽を睨むと部長が佐山に向き直る。
「車動くか? 」
「ああ、バンパーに傷が付いただけだ」
「んじゃ、さっさと帰ろう、安全運転でな」
ちらっと篠山に視線を送ってから佐山が車を発車させる。
その後は一言も会話も無く佐山が各自の家まで送っていった。
事故の話しは直ぐに噂として広まった。しかも篠山に取り憑いた悪霊が全ての原因だと、篠山と一緒にいると悪霊に取り殺されると尾ひれまで付いていた。
話しを信じたサークル仲間から篠山がいるのなら辞めたいとの申し出が幾つも届く、部長や佐山が宥めるがメンバーの大半が篠山を排除する側に回った。
サークル存続の危機だ。事ここに至っては部長としても篠山を庇いきれない。
「篠山ちゃん、悪いんだけど辞めて貰えるかな」
部室に呼び出すと部長が申し訳なさそうに言った。
「部長……わかりました」
部長と佐山だけが庇ってくれていたのを知っている篠山には断ることなど出来ない、どっちにしろサークルの殆どが自分を避けているのだ。居心地の悪い場所に居る理由など篠山には無かった。
「ごめんな、こんな事になって残念だ。部長失格だな……本当にごめんな」
バッと頭を下げる部長に篠山が泣き出しそうな顔でか細い声を出す。
「いいんです。私に化け物が取り憑いているのは本当だから………… 」
「その事なんだが…… 」
他には誰も居ない部室で部長が篠山を正面から見据えて口を開いた。
「どうも噂を流しているのは設楽みたいなんだ」
「設楽さんが……なんで? 」
驚く篠山の前で溜息をつくと部長が話し始めた。
「やっぱり知らなかったか……佐山のヤツな、篠山ちゃんが好きなんだ。サークルに入ってきた時から一目惚れしてたんだ。彼奴イケメンのくせにシャイなところがあってな、好きだと言えずにさ、この前のキャンプで酔った勢いで設楽とデキてさ、それでズルズルと設楽と付き合うことになったんだけど……彼奴生真面目でさ、設楽の処女を貰ったからってなんか責任感じたみたいだ」
一呼吸置いた部長の前で篠山が驚き顔で呟く、
「佐山先輩が私を…… 」
篠山も佐山が好きだったのだが親友だと思っていた設楽に遠慮して応援する方へまわったのだ。
部長が頷いてから続ける。
「うん、今でも佐山はお前のことが好きだぞ、でも設楽を捨てれるヤツじゃない、彼奴とは中学からの付き合いだ。優しすぎるんだよ彼奴は……女の勘ってヤツか、佐山が篠山のことを諦めきれないのがわかったんだろうな、それで設楽は悪い噂を流して篠山ちゃんを追い出そうとしたんだと思う」
話し終わると部長はまた頭を下げた。
「済まんな、先輩から預かったサークルを守る義務があるんだ。勝手に作ったサークルじゃなくて学校公認のサークルだ。俺が終らせるわけには行かないんだ」
篠山が慌てて口を開く、
「そんな……謝らないでください、部長は悪くありません、部長は……部長と佐山先輩は……2人だけはどんな時でも私の味方だったじゃないですか、それに……それに私も辞めるつもりだったんです」
「ごめんな、他の事ならどうにかするんだが、どうにも篠山ちゃんに何かが取り憑いてるのは事実らしい、出来るだけ早くお祓いとかした方がいいぞ」
頭を下げたままで部長が言った。悪いと思っているので自分の顔を見れないのだろうと理解した篠山が頭を下げた。
「じゃあ失礼します。サークルは今日で辞めます。佐山先輩にありがとうって言っておいてください」
泣き声で言うと篠山は部室を出た。
涙を拭いながら歩いていると幾つか並んだ部室として使われているプレハブ小屋の影から設楽が出てきた。
「こんにちは篠山さん、どうしたの? 目にゴミでも入ったのかな」
バカにしたように話し掛けてきた設楽を篠山が睨み付けた。
「信じてたのに……全部あなたが……設楽さんが悪かったんだね」
設楽が凄い剣幕で言い返す。
「何よ! 私が悪いって言うの? あんたが悪いんでしょ、悪霊に取り憑かれてるんだから、あんたの所為でサークル全体の雰囲気が悪くなったのよ」
「それは…… 」
悪霊の事を持ち出されては篠山は反論できない、篠山自身も全ての出来事が猿のような化け物の仕業だと思っているのだ。
「もう……もう友達なんて信じない」
泣きながら駆けていく篠山を設楽が勝ち誇ったように笑って見つめた。
サークルを辞めた篠山は大学も休みがちになる。噂は既に大学中に広まっていた。
猿のような化け物をどうにかしようと神社でお祓いをして貰ったが声が聞こえたり変な出来事は収まらない、挙げ句に講義中に窓ガラスがバンバン叩かれたり壁に掛けてあった時計が何度も落ちたり大勢の前で奇妙な事が起きて篠山の居場所は何処にもなくなって部屋に籠もるようになった。
「全部……全部あの化け物が悪いのよ」
恐怖はいつか憎しみに変わっていた。
「化け物をどうにかしないと…… 」
篠山は暖房に使っていた灯油の残りをポリタンクから500ミリのペットボトルに移して部屋に置いていた。もうこの頃にはノイローゼのようになっていたのだ。
『あの子が欲しい、あの子じゃわからん…… 』
深夜、はないちもんめがどこからか聞こえてきて篠山が目を覚ました。
篠山がベッド脇のテーブルの上に置いていた灯油の入ったペットボトルに手を伸ばす。
『トモダチ、トモダチ……僕はずっとトモダチだよ』
枕元に猿のような化け物が立った。
「お前が! お前が! 」
篠山は蓋を開けたペットボトルを化け物に投げ付けるとライターで火を付けた。
「消えろ化け物! 死ね! お前の所為だ……お前の…………ひへっ、ぐひひっ、あはははっ……ひははははっ 」
錯乱している篠山を母が取り押さえる。
炎は父が直ぐに消した。灯油だったのが幸いした。ガソリンならあっと言う間に炎が回って大事になっていただろう。
ぼやで済んで大事にはならなかったが心の病だと篠山は磯山病院へと入院させられた。
これが篠山詩乃さんが教えてくれた話しだ。
「今思えばあの山から……キャンプの時に助けた男の子が化け物だったのかもしれない、化け物と知らずに助けたからこんな事になったのかもしれない」
話しの最後に窶れた顔で篠山が付け足した。
「そうかも知れませんね化け物に人の道理がわかるとは思えないし、初めから篠山さんを狙っていたのかも知れない、でもそれ以上に設楽とか言う人が酷すぎます」
「設楽さんの事は言わないで! 」
同情する哲也の横で篠山が怒鳴るように言った。
「ごめんなさい、もう思い出したくもないのよ、友達だと思っていたのに………… 」
目に涙を溜めた悲しそうな顔を見て哲也が真面目な顔で頷いた。
「僕の方こそごめんね」
謝った後で優しい声で哲也が続ける。
「化け物をどうにかしよう、僕も力になるよ」
「どうにもならないわよ、神社でお祓いして貰っても無駄だったのよ」
篠山の口元には自嘲するような諦めの笑みが浮んでいた。
「今度は1人じゃない、僕も協力する」
「なんで? 何で信じてくれるの? 誰も信じてくれなかった……ポルターガイストが起きて信じてくれたと思ったらみんな怖がって避けるようになった。それなのに哲也さんは何で話しを聞いただけで信じてくれるの? 」
篠山にじっと見つめられて哲也の頬が赤く染まっていく、
「信じるよ、だって篠山さんは嘘をついている目じゃないから……何て言うのかな、何となく分かるんだよ、嘘じゃないって病気なんかじゃないって……説明できないけど僕にはわかるんだ」
「私は……私なら信じないわ、設楽さんや他のみんなが私を信じなかったように………… 」
篠山が視線を落として俯いた。友達に裏切られ何も信じられなくなっているのかも知れないと哲也が続ける。
「篠山さんみたいに怪奇な事で悩んでる人たちを何人も知ってるんだ。色んな話しを聞いたよ、悪い話しだけじゃなくて良い話しもあった。助けたくて力になろうとしたけど何も出来なかった事ばかりだった。だけど…… 」
哲也が視線を落とす。頭の中に助けたくても助けられなかった人たちが思い浮かぶ、悔しさを浮かべて哲也が顔を上げた。
「だから……篠山さんの力になりたいんだ。何も出来ないかもしれないけど、それでも何かしたいんだ。だから篠山さんも諦めないでよ、諦めたらダメだよ、化け物なんかに負けたらダメだよ」
「哲也さん…… 」
篠山の目から涙が溢れた。
「何も出来ないかもしれないけど諦めないで何かをしよう、僕も出来る事は何でもするからさ」
照れるように言う哲也を見て篠山がうんうん頷いた。
「先ずは化け物を確かめなくちゃ、僕なら見えると思う、幽霊を殴った事もあるんだよ、弱そうなら僕がぶん殴ってやるからさ」
戯ける哲也の隣で篠山の顔に笑みが浮んだ。
「幽霊を殴ったの? 本当? 哲也さんって凄いんだ」
「任せてよ、それで化け物が出てきそうな時間とか分かるかな」
篠山の顔が険しく変わる。
「毎晩……毎晩出てくるわ、毎晩友達だって、私を見て笑うのよ」
「毎晩か……何時頃か分かる」
真面目な顔で考える哲也に篠山が頷いた。
「深夜……何時かは分からないけど、深夜よ、深夜の1時過ぎから明け方まで必ず一度は現われてニタニタ笑って友達だって……はないちもんめが聞こえたら出てくるのよ」
篠山の顔に怯えは無い、寧ろ憎しみが浮んでいる。毎日のように化け物に悩まされているのだ。幾ら怖くとも慣れるのは当然だ。
「わかった。今晩の見回りから気を付けてみるよ」
ベンチに座っていた哲也が腰を上げる。
「夕方の見回りがあるから僕は戻るよ、先ずは化け物を見てから対策を考えよう」
「ありがとう哲也さん」
座りながら頭を下げる篠山に手を振ると哲也は部屋に戻っていった。
夜になる。10時の見回りでは化け物を見る事は出来なかった。
「深夜1時過ぎからだって言ってたからな、2時間ほど眠って1時過ぎたら何度か見に行ってみよう」
哲也がベッドに寝転がる。深夜3時の見回りだけでなく篠山の部屋だけ何度か見回りをするつもりだ。
「猿のような化け物か……10歳の子供くらいの小さな化け物だって言ってたから僕でも退治できるかも知れないな」
あれこれ考えているうちに眠りに落ちていった。
『あの子が欲しい……あの子じゃわからん………… 』
声が聞こえたような気がして哲也が目を覚ます。
『あの子が欲しい……あの子じゃわからん……相談しましょ………… 』
はないちもんめだ! 布団の中で哲也が身を固くする。
『トモダチ……トモダチ……僕のトモダチ…… 』
ベッドの脇、哲也の頭の傍に影が立った。
「くぅぅ…… 」
歯を噛み締めて哲也が叫びを飲み込んだ。
直ぐ傍に1メートル20センチほどの化け物が立っていた。全身が灰色の毛に覆われている。猿そのものではなく猿に似ている人の顔が付いていた。猿顔の老人といった顔だ。老人のような皺くちゃの顔付きなのに目だけがぎらついて光っていた。篠山が猿の化け物と言っていた通りだ。
『トモダチ……トモダチ……あの女はトモダチだ』
化け物がたどたどしい幼児のような声を出した。
「違う! 篠山さんはお前の友達なんかじゃない」
哲也はバッと起き上がると化け物に殴り掛かった。
『グエェ!! 』
化け物がバッと後ろに跳んだ。
『トモダチ……トモダチ……あの子が欲しい……あの子じゃわからん………… 』
化け物が壁を抜けるようにして消えていく、
「まっ、待て! 」
哲也が追おうと慌ててドアを開ける。長い廊下を見渡すが化け物の姿は何処にも無かった。急に怖くなって全身が震えてくる。
「ばっ……化け物が………… 」
ブルブル震える拳を哲也が見つめる。殴った感触はあった。
「何で僕のところへ…… 」
篠山のところにも出るかも知れないと哲也が駆け出す。
篠山には異常は無かった。念のために部屋の中を覗いたが篠山はすやすやと眠っていた。
「僕が邪魔をすると思って出てきたんだな」
何となく思っただけだが当たっていると哲也は確信した。
翌日、看護師の香織や警備員の嶺弥に見つからないように篠山の部屋に行くと昨晩の出来事を話した。
「哲也さんの所に出たんだ……私の所には出てこなかったわ」
驚く篠山の向かいで哲也が続ける。
「僕が邪魔をすると思ったんだ……でも殴る事が出来た。何とか出来るかもしれない、僕が彼奴を追い払うよ」
篠山の目に涙が浮んだ。
「哲也さん、ありがとう」
「じゃあ、僕は戻るから、見回りの時にまた顔を出すからさ」
照れて顔を赤くした哲也が部屋を出て行った。
篠山には近付くなと香織や嶺弥に言われているのだ。外ならともかく篠山の部屋にいるところを見つかれば言い訳など出来ない、2人だけでなく他の看護師や警備員に見つかるのもヤバいと考えたのだ。
その日の夜、10時の見回りを終えて仮眠していた哲也の枕元にまた化け物が立った。
『トモダチ……トモダチ……あの女はトモダチだ』
「違う! 篠山さんはお前なんかの友達じゃない」
哲也はバッと起きると化け物に殴り掛かった。
『グゲェ! 』
殴った感触はあった。化け物がバッと後ろに跳んだ。
『トモダチ……トモダチ……あの女はトモダチだ』
「違う! 篠山さんは友達じゃない」
また哲也が殴り掛かるが化け物はすっと横に避けた。
『トモダチ……トモダチ…… 』
嘲るように化け物が繰り返す。
「篠山さんから離れろ! 友達が欲しいなら僕がなってやる」
篠山を助けたい一心からか哲也の口から自然と飛び出した。
『トモダチ…… 』
化け物が嬉しそうにニタリと笑った。
『トモダチ……トモダチ……お前がトモダチ』
ニタリと不気味な笑いをしながら化け物の姿がスーッと薄くなっていく、
『あの子が欲しい……あの子じゃわからん……相談しましょ………… 』
はないちもんめの声と共に化け物が消えていった。
翌日から篠山に付き纏っていた化け物が消えた。見えなくなったと喜んでいた篠山の病状はみるみる回復していく、化け物を退治してくれたと礼を言われて哲也も嬉しそうだ。
化け物は消えたわけではない、篠山の前には現われなくなっただけだ。
『トモダチ……トモダチ』
夕方の見回りをしていた哲也が立ち止まって辺りを見回す。
「友達か…… 」
何とも言えない表情をして哲也が歩き出す。篠山から離れて化け物は哲也に付き纏うようになっていた。
同時に体調が悪くなる。今まで眩暈など起した事の無い哲也だが頻繁に立ち眩みをするようになる。お腹の具合もおかしくなり下痢気味だ。
「風邪引いたかな」
体が熱く頭も重い、哲也は見回りを終えると薬を貰いに池田先生の診察室へと向かった。
「何かフラフラするな……薬貰って寝よう」
「哲也くん大丈夫か? 」
ふらつく足で歩いていた哲也を支えるように横から嶺弥が肩を貸す。
「ああ……嶺弥さんだ」
熱が回っているのか哲也が寝惚けた時のような声を出した。
嶺弥の顔が険しく変わる。
「哲也くん何をした? 」
「哲也くんどうしたの? 」
そこへ香織もやってくる。
「熱がある。何かしたようだ」
哲也の代わりに嶺弥がこたえた。
「熱? 」
香織が哲也の額に手を当てる。
「ああ……香織さんだぁ~~ 」
熱で朦朧としているのか哲也が甘えるように香織に抱き付く、
「酷い熱だわ……哲也くん約束を破ったわね」
香織が怖い顔で叱るが朦朧としている哲也には伝わらない。
「そんな事より早く先生に診てもらおう」
哲也を背負って嶺弥が診察室へと向かった。
診察室のベッドの上で哲也が目を覚ます。
「池田先生……香織さんも……そうだ。風邪引いて………… 」
ガバッと哲也が起き上がる。
「薬が効いたみたいだね、もう大丈夫だ」
池田先生の優しい笑みを見て治療して貰ったのだと直ぐに分かった。だがおかしい、朦朧とするほどの熱がそれ程早くに引くだろうか?
「須賀さんが運んでくれたのよ」
香織の隣りに嶺弥が立っていた。2人とも怖い顔だ。熱の事など考える暇も哲也には無かった。
「約束を破ったな? 哲也くん」
「篠山さんには近付くなって言ったでしょ」
「いや……別に…………ごめんなさい」
誤魔化そうとしたが本気で怒っている2人を見て哲也が頭を下げた。
「謝って済む事じゃないわ」
怒る香織を池田先生が止める。
「まぁまぁ、そう怒らないで哲也くんにも言い分があるだろうし」
池田先生がいつもの優しい顔を向ける。
「ねぇ哲也くん、何があったか全て話しなさい」
「先生……わかりました」
香織だけでなく嶺弥も本気で怒っているのを見て哲也は今までの出来事を素直に話した。
「化け物なんているわけないでしょ、篠山さんと親しくなりたかっただけでしょ」
「哲也くんは気が多すぎる。余計な事に首を突っ込むのは悪い癖だよ」
香織と嶺弥が並んで責める。
化け物の話しなど信じてくれない事は分かっていた。普段なら少しくらいは反論するのだが風邪を引いたのか怠くてそんな元気はない。
「これこれ、病人を責めちゃダメだよ」
2人を窘めると池田先生が優しく声を掛けてくれた。
「哲也くんは部屋に戻りなさい、今日は見回りは休んでゆっくりと眠るんだよ」
「わかりました。先生ありがとうございました」
素直に頭を下げると哲也は診察室を出て行く、
「困ったものだねぇ…… 」
池田先生と香織と嶺弥が何やら話す声が聞こえたが哲也は構わず部屋へと戻っていった。
薬が効いたのか夜になると哲也はすっかり元気になっていた。体は回復していたが薬の所為か眠くて夜10時の見回りは休んだが深夜の見回りは行こうと起き上がる。
「篠山さんの様子を見ないと……化け物は僕に取り憑いたみたいだから大丈夫だとは思うけど」
部屋を出て行く哲也は普段のきびきびとした動きとは程遠い、まだ疲れが残っている様子だ。
『あの子が欲しい、あの子じゃ分からん…… 』
A棟の見回りが終り外を歩いているとはないちもんめが聞こえてきて哲也が身を固くする。
「化け物め! 」
殴りつけてやろうと化け物が現われるのを待つ、
『トモダチ……トモダチ……ト・モ・ダ・チ』
背後におぶさった化け物が哲也の耳元で囁いた。
「うわぁーっ!! 」
叫びを上げて化け物を振り解こうとした哲也だが足がもつれるようにしてその場に倒れた。
「さっ、寒い…… 」
全身が熱くなったと思ったら直ぐに悪寒が襲ってきて余りの寒さにブルッと震えた。頭もクラクラしてきて意識が朦朧とする。
『トモダチ……トモダチ……僕のトモダチ…… 』
化け物の嬉しそうな声を聞きながら哲也の意識が遠くなっていく、
「哲也くん!! 」
意識が途切れる最後に嶺弥の声が聞こえたような気がした。
倒れた哲也の脇に嶺弥が立った。
「哲也くんは俺のものだ。ヤコ如きにやるわけにはいかんな」
嶺弥の全身がぼうっと白く光っている。
『トモダチ……ギギィ~~、邪魔をするな』
猿のような化け物が嶺弥を見上げて牙を剥く、
「邪魔をしているのは貴様だ! 哲也くんから離れろ」
嶺弥が化け物を蹴り飛ばす。
『ギヒィヒィィ~ 』
2メートルほど転がって化け物が悲鳴を上げる。
「ヤコ程度が俺に敵うと思っているのか」
『ヒギィ、ヒギギィィ~~ 』
凄む嶺弥を見て猿のような化け物が逃げていった。
哲也の脇にしゃがむと額に手を当てる。
「哲也くんは……よかった」
安堵している嶺弥の後ろに香織が立った。
「私の出る幕は無かったようね、それにしても貴方が力を使うなんて珍しいじゃない」
嶺弥が振り返って香織を見上げる。
「ヤコ如きに哲也くんを渡すわけには行かないからな」
「ヤコ? ああ、山子の事ね」
香織がとぼけ顔で頷いた。
哲也を抱えて嶺弥が立ち上がる。
「お前たちは山子と呼んでいるのか? たいした力は無いが人に憑く事もある厄介な連中だ。哲也くんに気付いて篠山から乗り換えようとしたんだろう」
「ところで俺のものとはどういう事なの? 哲也くんは私のものよ」
前を塞ぐように香織が立った。
哲也を抱えながら嶺弥がフッと笑う、
「ヤコを追い払うための方便さ、より強いものが憑いているとわかると奴らは直ぐに消えるからな……まぁ哲也くんが俺のものというのは間違っていないがね」
香織の目がキラッと光った。
「ふ~ん、ならここでハッキリさせましょうか? 」
哲也を地面に横たわらせると嶺弥が面白いとでも言うようにニヤッと口元を歪ませる。
「俺に敵うと思っているのか? 」
互いに構えるその体がぼわっと白い光に包まれていく、その時、影から池田先生が現われた。
「止さないか! それよりも哲也くんを部屋に運びなさい、山子に精気を吸われて消耗が激しいよ」
構えを解く2人の体から白い光が消えていく、
「チッ、命拾いしたな」
「それは私のセリフよ」
睨み合いながら2人が哲也に近付いていく、
「なによ! 哲也くんは私が運びます」
「助けたのは俺だ」
左右から哲也に手を伸ばす。
「うぅ…… 」
目を覚ました哲也から2人がサッと手を引いた。
「哲也くん大丈夫か? 」
「哲也くん大丈夫? 」
心配そうに哲也を見つめる2人の顔に険は無い、いつもの優しい顔だ。池田先生はいつの間にか消えていた。
「嶺弥さん……香織さんも………… 」
状況が分からないという顔をしている哲也に2人が心配そうに話し掛ける。
「哲也くん倒れたのよ、須賀さんが見つけてくれたのよ」
「今日は見回りはしなくてもいいって言っただろ、無理をするからそうなるんだ」
2人の間で哲也が起き上がる。
「そうだ……見回りしてて……化け物が背中に………… 」
話そうとした哲也の口に香織が手を当てた。
「幻覚よ、熱がぶり返して幻を見たのよ」
「そうだぞ、余り心配を掛けないでくれ、今日と明日の2日でいいから見回りは全て休んでゆっくりと寝てくれ、約束だぞ」
2人の心配そうな顔を見て哲也が頷く、
「済みませんでした。約束します。今日と明日はゆっくり眠りますから……今度は約束しますから」
「ならいい、俺は見回りがあるから後は任せたよ」
香織に任せると嶺弥がくるっと回れ右して歩いて行った。
哲也を支えるようにして香織が立ち上がる。
「私も怒らないわ、でも約束を破ったら承知しないからね」
「ごめんなさい」
謝る哲也を連れて香織が部屋へと戻っていった。
哲也の御陰で化け物は出てこなくなったと喜んでいた篠山だが翌日の朝、錯乱して看護師たちに取り押さえられた。
『トモダチ……トモダチ……やっぱりお前がいい……ずっとトモダチだよ』
「いやぁあぁぁ~~ 」
錯乱した篠山は元に戻る事は無かった。
「篠山さん、ごめん……僕には……僕の力じゃ何も出来なかった」
近付くなと厳命された哲也は隔離病棟へ送られていく篠山を見送る事しか出来なかった。
後になって篠山に取り憑いていた化け物が何かわかった。山子だ。落ち込んでいた哲也に何処かで話しを聞いたと嶺弥が教えてくれたのだ。
山の子と書いて「ヤコ」と呼ぶ、山に棲む妖怪で山の精気の凝ったものや年を経た猿が変化したものと言われている。6歳くらいの子供と同じくらいの大きさで猿と人を足したような顔に長い髪、体には短い毛が生えている。悪戯が好きで山に入った人の弁当を盗んだり道に迷わせたりする。一方、山仕事を手伝ったり怪我をした人を麓まで運んだりの良い事もする。地方によっては河童が山に入ったものだという所もある。山子や山童など呼び名も様々だ。
篠山はキャンプに行った山で取り憑かれたのだろう、精神を病んでいったのは山子の仕業かも知れないが信じていた友達に裏切られた事が一番心に応えたのではないだろうか? 化け物騒動で病んでいた心に止めを刺したのだ。
友達といって近付いてきた化け物、友達だと思っていたのだが違っていた人間、化け物以上に気を付けなければいけないものもあるのだと哲也は思った。
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次回更新は2月17日を予定しています。
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