第十四話 小人(こびと)
小人と聞いてどんなものを思い付くだろう? 妖精や精霊など可愛らしいイメージが大半だと思う、グリム童話の白雪姫に出てくる7人の小人は有名だ。日本では北海道にコロボックルという小人がいたとアイヌの言い伝えにある。少し前に流行った『小さいおっさん』も小人と呼んでいいのかも知れない。良い小人だけでなく邪悪な小人もいる。血で染まった赤い帽子を被っている『赤い帽子の小人』や悪戯好きのゴブリンなどだ。
哲也も小人を見た事がある。可愛らしいイメージとは程遠い醜悪な小人を……。
朝食を終えた哲也が部屋に戻って二度寝でもしようと廊下を歩いていた。
「明け方までテレビ見てたから寝不足だ」
欠伸をしながら階段を上がると何やら騒ぎが聞こえてきた。
「またか……女みたいだし看護師さんもいるから行かなくてもいいかな」
聞こえてくる叫び声から、どうやら女性が暴れているらしい、看護師らしい声も聞こえてくるので大丈夫だろうと哲也はそのまま階段を上がっていく、
「ダメですよ喜多川さん、何もいないから落ち着いてください」
香織の声が聞こえてきた。哲也が階段を駆け下りる。
「香織さん大丈夫……おわっ! 」
思わず叫びが口から飛び出た。
看護師の香織と早坂が挟むように取り押さえている女が上半身裸になっていた。
「哲也くん手伝って」
どうしたらよいものかと固まっている哲也に香織が声を掛けた。
「いや……でも……裸だし………… 」
「哲也さん頼むわ、力が強くて」
早坂にも言われて慌てて哲也が駆け付ける。
「小人が……払わないと……私を殺そうとしてる…………誠也みたいに私を…… 」
30歳前後だろうか? 上半身裸になった中年女性が目を吊り上げて怖い顔をしながら胸や背中や頭をパシパシ音が鳴るくらい強く叩いていた。
「わかりました」
床に落ちている女の服を踏まないように気を付けながら哲也が近付いていく、
「離せ! 払わないと……やっつけるのよ」
香織と早坂の間で暴れている女に哲也が手を伸ばす。
「落ち着いてください」
身体を叩くのを止めさせようと女の腕を哲也が掴んだ。
「頼んだわよ」
香織と早坂が離れる。
「任せてください」
必死なのか、暴れる力は強いが相手は女だ。どうにか取り押さえようと伸ばした手が女の胸を掴んだ。
「おわっ!! 」
無意識に掴んだおっぱいの柔らかさに哲也が声を出す。
「離して……小人が……やっつけないと誠也みたいに………… 」
動揺した哲也の腕をするっと外すと女はパシパシと自身を叩き始める。
「ダメよ喜多川さん、哲也くん何やってるの、しっかり捕まえて」
女は喜多川と言うらしい、本気で叩いているらしく喜多川の頬や胸や腹は真っ赤になっていた。
香織に叱られて哲也がまた喜多川に手を伸ばす。
「喜多川さん、落ち着いてください」
「離せ! 小人が……やっつけないと私がやられるのよ」
どうにか取り押さえようと後ろから手を回す哲也から逃れようと喜多川が暴れる。
「うぉう! 」
またおっぱいを掴んで哲也が声を出した。
「何やってるの? 態とじゃないでしょうね? 」
正面から見ていた早坂がじとーっと哲也を睨む、
「ちっ、違うから……そんなんじゃないから………… 」
必死で言い訳しながら哲也はおっぱいから手を離すと後ろから脇の下に腕を回して喜多川を羽交い締めにした。
その時、哲也は奇妙なものを見た。緑色をした小動物らしきものが羽交い締めした哲也の腕を伝って喜多川の肩まで伸びた髪の毛の中へと消えていったのだ。
「消えた……またやっつけられなかった……小人………… 」
暴れていたのが嘘のように喜多川がぐったりとおとなしくなった。
「小人? 」
喜多川が呟いた『小人』という言葉と先程見た小動物らしきものが頭の中で交差する。
「哲也くんもういいわよ、哲也くん」
考え事をしていた哲也の顔を香織と早坂が覗き込む、
「エッチなこと考えてるんでしょ、裸の喜多川さんに抱き付いて」
「ちっ……違うから、そんな事考えてないからね」
早坂にじとーっとした目で見られているのに気付いて哲也が慌てて喜多川から腕を離した。
「おっぱい触ってたしね、哲也くん、やぁ~らぁしぃ~~ 」
哲也をからかいながら香織が喜多川に脱ぎ捨ててあった服を着せてやる。
「違いますから、必死だったから……態とじゃないですから」
真っ赤な顔で反論する哲也を見て香織と早坂が笑い出す。
「あははははっ、わかってるわよ、助かったわよ哲也くん」
「そんな器用なことできる人じゃないしね、哲也さん」
「勘弁してください」
2人の前で哲也が苦虫を噛み潰したような顔だ。
笑いながら香織が喜多川に向き直る。
「大丈夫? 」
「 ……済みません、もう大丈夫です」
喜多川は目を吊り上げていた怖い顔から一転して気弱そうな顔で頭を下げた。
「部屋に戻りましょう、少し横になった方がいいわね」
優しく声を掛ける早坂に背を押されるように喜多川が長い廊下を歩いて行った。
白衣に付いた埃をポンポン払う香織に哲也が困ったような顔を向けた。
「喜多川さんっていつ入ってきたんです? 」
「昨日よ、昨日の昼、昨日も暴れたから注意してたんだけど…… 」
何とも言えない顔でこたえる香織に哲也が続ける。
「それでどんな病気なんです? 服脱いで身体を叩くなんて……薬か何かで幻視して騒ぐのと同じに見えたけど、小人って言ってたし…… 」
哲也は鎌を掛けた。幻覚を見るような重症の薬物中毒患者は隔離病棟へ入れられる。ここに居るわけはないのだ。
「薬とかじゃないわ、ノイローゼよ」
「ノイローゼ? 」
「育児ノイローゼで事件を起こしてここに入ったのよ」
哲也の興味津々な目を見て香織が大きな溜息をつく、
「誰にも言っちゃダメよ」
一言注意すると香織が話を始めた。
喜多川遙香33歳、ふくよかな体型に丸い顔、おとなしそうな女性に見える。3歳になる息子の誠也が疳の虫で暴れ出したのを切っ掛けに育児ノイローゼとなりその挙げ句、我が子を殺してしまう、誠也が暴れ出すのは小人が悪さをするからだと言って小人を追い払おうとして床に叩き付けて死なせたのだ。
疳の虫とは3歳くらいまでの乳児が起こす神経症の一種で突発的に泣き出したり暴れ出したりする事を言う。夜泣きや癇癪、惹き付けなどをよく起こす乳児には悪い虫が取り憑いているとして神社やお寺でお祓いなどをしてもらう事もある。
「余り酷いようだと隔離行きね、注意はするけど彼女一人に構っていられないから、哲也くんも気を付けてあげてね」
最後に付け足すように言うと香織はナースステーションへと歩いて行った。
自分の部屋に向かって歩きながら哲也が呟く、
「育児ノイローゼか…… 」
喜多川を取り押さえたときに一瞬見えたリスのような小動物を思い出す。
「でも確かに見えたよな、小人かどうかはわからないけどさ」
普段なら直ぐにでも聞きに行くのだが今日は本当に眠たかった。
「昼ご飯はいいから寝よう」
哲也は大きな欠伸をすると怠そうに階段を上っていった。
夜10時の見回りで哲也がD棟へと入っていく、
「ぐかぁあぁぁ~~ 」
いつものように最上階まで上がろうとした時に叫びが聞こえて哲也が駆け出す。
「大丈夫ですか? 」
ドアをノックしながら部屋番号とネームプレートを確認する。
「喜多川さん? 」
D棟の209号室は喜多川の部屋だ。
「小人め! 何処へ行った? 私は……誠也の仇を討ってやる」
怒鳴り声が聞こえる。喜多川の返事を待たずに哲也がドアを開けて部屋に入った。
「なん!? 」
明かりの消えた部屋の中で喜多川が裸になって踊るように頭や胸や腰など全身を叩いていた。
「喜多川さん、落ち着いてください」
声を掛けながら哲也が部屋の明かりを点ける。
「小人め! 何処へいった」
怒鳴る喜多川の後頭部、肩まで伸びた髪に15センチくらいの緑色をした人形のようなものがしがみついているのが見えた。
「喜多川さん、頭の後ろ! 」
哲也は思わず叫んでいた。
「頭か!! 」
喜多川が後頭部に手を伸ばす。次の瞬間、人形のようなものが髪の中へと姿を消した。
「居ないじゃない! 」
喜多川がバッと振り返ると哲也を睨む、
「髪の中に入っていったから…… 」
哲也がしどろもどろにこたえる。喜多川は肩に掛かるほどの長い髪だが15センチほどの人形のようなものが隠れていれば直ぐにわかるはずだ。
哲也を睨み付けたまま喜多川が髪の毛をグシャグシャ掻いた。
「何処にも居ないじゃない? 」
「嘘じゃない、確かに見たんだ」
必死で弁解する哲也を見て喜多川が首を傾げる。
「あんた誰? 」
「僕は警備員です。叫び声が聞こえたから来たんです……それより服を着てください」
少し落ち着いたらしい喜多川から哲也が慌てて顔を逸らした。
喜多川はパンツだけしか身に着けていない、眉間に皺を寄せて目を吊り上げた怖い顔に本気で叩いたらしく体中に赤い手形が浮いている。素っ裸でも少しも嬉しくない。
「ふ~ん、警備員ねぇ~ 」
疑うように睨みながら喜多川が服を着る。
「夕方と夜の10時と深夜の3時頃に見回りをしてます。それで叫びが聞こえたんで駆け付けたら喜多川さんが騒いでて……小さい何か、人形のようなものが頭の後ろに付いてたんです。本当です」
後ろを向きながら哲也が説明した。宥めるような優しい声だ。裸の喜多川に騒がれて疑われるなんて御免である。
「本当に小人が見えたのね」
「小人かどうかはわかりませんが人形のような何かが見えました」
「そう……もういいわよ」
哲也が振り返ると喜多川の顔から険が消えていた。
「信じてあげるわ、見えたって言うのはあんただけよ……あんた名前は? 」
「僕は中田哲也です。哲也って呼んでください」
ほっと安心してこたえる哲也を見て喜多川がニヤッと笑う、
「そう、哲也くんね、助けに来てくれたのね、ありがとう」
企むような笑みに嫌な気配を感じて哲也がナースコールを指差す。
「看護師さん呼びましょうか? 」
看護師を呼んで喜多川と二人きりという状況から抜け出したかったのだ。
「無駄よ、彼奴ら小人なんて信じてくれないから呼んでも無駄、病人扱いして薬飲めって言って終わりよ」
憎むように言うと喜多川は引き攣るように口角を上げて笑みを作る。
「それより小人の話しを聞いて頂戴、見えるんだったら退治するのを手伝って頂戴、息子の誠也の仇を討ちたいのよ」
期待するようにじっと見つめてくる喜多川の向かいで哲也が慌てて口を開く、
「話しなら聞きますけど……今は仕事中なので明日にでも聞かせてください、見回りしないと怒られるから、警備員ですから……すみません」
ペコッと頭を下げる哲也の前で喜多川から笑みが消える。
「見回りか……わかったわ哲也くん、じゃあ明日にでも小人退治の作戦を考えましょう」
いつの間にか仲間に組み込まれてる……、哲也が愛想笑いをしながらこたえる。
「わっ、わかりました……じゃあ、僕はこれで」
「じゃあ、明日の朝にでも私の部屋に来て頂戴」
哲也はこたえずに黙って部屋から出て行った。
「冗談じゃない、さっきみたいに裸になってるところを香織さんや早坂さんに見られたら言い訳出来ないぞ……悪いけど喜多川さんには近付かないようにしよう、行くなんて返事もしてないしな」
階段を駆け上がりながら哲也が愚痴った。
翌日、哲也が昼食をとっていると向かいの席にガシャンと乱暴に食事の載ったトレーが置かれた。
「うっ!! 」
何事かと箸を止めた哲也の喉から変な声が出た。喜多川が向かいの席に座ってじっと睨んでいる。
哲也は持っていた箸を置くと手を合わせて拝むように無言で謝った。
「なんで来てくれないの? 」
蛇に睨まれた蛙だ。哲也は拝むように謝りながら口を開いた。
「ごっ、御免……忙しかったんだ。だから…… 」
喜多川の顔がぱっと笑顔に変わる。
「じゃあ、昼からなら大丈夫ね」
「いや、あのぅ…… 」
小人には興味はあるが喜多川は苦手だ。断ろうとした哲也の向かいで喜多川の目が吊り上がっていく、
「嫌なの? 手伝ってくれないの? 」
「いや、そんな事は……わかりました」
何をされるかわからない恐怖から哲也はその場限りの返事をした。
「いただきます」
笑顔で食べ始めた喜多川の向かいで哲也が何とも言えない顔でガツガツと食べていく、
「先に食べ終わっても待ってるのよ、私が食べ終わるまで哲也くんはここに座ってなさい」
笑顔で言う喜多川の目の奥が笑っていない、さっさと食べて逃げようとした哲也の魂胆などお見通しだ。
「ちょっと用事があるから……僕は警備員だから」
どうにか断ろうとする哲也を見て喜多川がニヤッと悪い顔で笑った。
「警備員の真似してるだけでしょ? 全部聞いたわよ、見回りの邪魔はしないから昼間は私を手伝って頂戴」
看護師か古参の患者に聞いたのだろう、逃げ場は無いと哲也が項垂れた。
「 ……わかりました」
「ふふっ、手伝ってくれたら御礼にいい事してあげるわよ、哲也くん可愛いし」
力無くこたえる哲也の向かいで喜多川が楽しそうにニヤついた。
昼食を食べ終わると二人して喜多川の部屋に向かった。
「じゃあ、小人の話しを聞かせてください、どうして小人が見えるようになったのか喜多川さんが事故で子供を失ったのは知ってます。それも全部……言いたくなければいいですけど話しを聞かないで、理由を知らないで協力は出来ません」
小さなテーブルを挟んで座ると哲也が訊いた。我が子を死なせてしまったことは話し辛いだろう、話してくれなければ協力出来ないと言って帰ることが出来るとも考えた。
「いいわよ、哲也くんなら全部話すわ、あれは7日……いや8日前だったかな」
哲也の予想に反して喜多川は喜々として話し出す。
これは喜多川遙香さんが語ってくれた話だ。
喜多川は夫と3歳になる息子と三人で暮らしていた。
生活は楽ではなく1DKの小さなアパート暮らしだ。24歳で結婚したが妊娠しづらい体質だったらしく30歳になってやっと子供を授かって幸せいっぱいだった。
子供が大きくなる前に戸建てに引っ越そうと工場勤めをしていた夫は休日返上で働くようになり子供の世話は喜多川に任せっきりになっていった。
息子の誠也が3歳になって暫くして疳の虫で騒ぐようになる。おとなしく昼寝をしていたかと思うと突然、手足をばたつかせて泣き出したり、美味しそうにおやつを食べていたのが急に頭を振って暴れ出しテーブルの上を滅茶滅茶にするなど日に数回は暴れるようになっていた。
夫に相談しても反抗期だろうと軽く流すだけで仕事が忙しいと相手をしてくれない。30キロ離れた町に夫の実家はあるが姑とはあまり良い関係ではなく頭を下げてまで相談したいとは思わなかった。両親は既に亡くなっていて兄弟もいない喜多川には相談する相手は誰も居なかった。
疳の虫を封じればいいと聞いて神社やお寺で祓って貰うが息子は一向に良くならない、日に日に心労が重なった喜多川は癇癪を起こすようになり暴れる我が子を躾と称して叩くようになっていた。
ある日、保育所から帰ってきた息子の誠也がまた疳の虫で暴れ出した。
「嫌い、嫌い、来るな……くっつくな……どっか行け! 向こう行け」
3歳になり片言で話せるようになっていた誠也が何やら喚きながら辺り構わず玩具を投げ付ける。
先程まで楽しそうに笑いながら遊んでいたのだ。それが急に頭をブンブン振って暴れ出し遊んでいたブロックだけでなく大事にしている戦隊ロボットまで引っ掴んで投げ出した。
「何をしてるの誠也! 玩具は投げちゃダメって言ったでしょ」
騒ぎに気付いた喜多川が物凄い剣幕で叱りつける。
「嫌い、嫌い、どっか行け! 向こう行け! 」
母の叱り声も聞こえないのか誠也は暴れるのを止めない。
「ダメって言ってるでしょ! 」
怒鳴りながら喜多川が誠也の頬を引っ叩いた。一度ではない往復するように何度も叩く、
「痛い……痛い……うわぁあぁ~~ん」
誠也が大声で泣き出してやっと我に返ったのか喜多川はその場にへたり込んだ。
「あんたが悪いのよ、泣いてないで玩具を片付けなさい」
泣いている我が子を叱りつける。躾だと言って甘やかす事はしない、甘やかすから暴れるんだと考えていた。
「ちゃんと片付けないとおやつあげないからね」
喜多川は疲れたように床にゴロッと寝転んだ。片付けろと言うが部屋は荒れている。誠也が投げた玩具だけではない、雑誌に新聞やチラシ、それに脱いだ服など辺りに転がっている。疲れ切った喜多川は掃除をしなくなっていた。
夫は片付けろと叱るが喜多川が育児を全部任せて何を言っているのとヒステリックに言うと反論もせず自分は忙しいんだと家にさえ帰らなくなっていた。
「真二のヤツ、私に全部任せて…… 」
真二とは夫の名前だ。恨めしげに呟く後ろで先程までわんわん泣いていた誠也の泣き声がピタッと止まった。
やっと終ったと喜多川がゴロンと寝返りを打つように振り向いた。
「なん…… 」
思わず口から出た。べそをかきながらまた遊びだした誠也の頭の後ろに緑色の15センチくらいの小さな人の形をしたものがくっついていた。
なんで人形が……、玩具の人形かと思ったその時、それが動き出した。
「なっ!? 」
確かめようと上半身を起こした喜多川の目の前で人形が頭の後ろから誠也の耳に噛みついた。
「ぎぎゃあぁぁ~~、また来た! 嫌い、嫌い、ひっつくな、来るな! 」
誠也が叫びを上げて暴れ出す。
あの人形が……全部彼奴が悪いんだわ……、玩具を投げて暴れる誠也を喜多川が呆然と見つめていた。
「誠也! 」
我に返った喜多川が暴れる息子から人形を引き離そうと近付いた。
「誠也、おとなしくしなさい」
暴れる我が子を抱きかかえるようにして探すが人形は消えていた。
あれは何だったのだろうと考えながら暫く抱いていると息子はおとなしくなった。
「誠也はあの人形の事知ってるの? 」
息子を正面に座らせると喜多川が訊いた。
「違う、人形違う、小人、あれは小人……ガイコツみたいな小人が噛むの、ケケッて笑うの、だから向こう行けって……ママが怒るから………… 」
怒られると思ったのか泣きべそをかきながら誠也が教えてくれた。
「小人……彼奴が噛みついてくるのね」
先程、誠也の耳に噛みついた人形のようなものを思い出した。
「うん、全部小人が悪いの」
べそをかく我が子を喜多川が抱き締めた。
「もう大丈夫よ、小人なんてママがやっつけてやるから」
我が子の頭を撫でながら優しい声を掛ける喜多川の目が憎しみに燃えている。
「ママがやっつけてくれるの? 」
誠也が見上げると喜多川の表情がサッと緩む、
「そうよ、小人なんてやっつけてやる。ママは強いんだからね……じゃあ、一緒に片付けしようか」
「うん、ママごめんなさい」
息子と一緒に部屋掃除をした。誠也が投げた玩具だけでなく散らかしっぱなしだった雑誌や服も全て片付けて掃除機をかけた。
「誠也が手伝ってくれたから綺麗になったわ、ありがとう誠也」
久し振りに綺麗になった部屋を見て喜多川が微笑みかけると誠也も嬉しそうな笑顔になった。
翌日、保育所から誠也が戻ってくる。不思議な事に保育所では誠也は暴れた事は一度もないと聞いてあの小人は家に居るのではないかと喜多川は思っていた。
「ぎぃぃ~~、噛んだ! 小人が……ママぁ~ 」
おやつを食べながらテレビを見ていた誠也が暴れ出す。
「嫌い、嫌い、来るな、向こう行け……怖い、怖い………… 」
テレビのリモコンを放り投げ、おやつを撒き散らし、コップを倒してジュースがテーブルを伝って床を濡らすが喜多川は動かない、小人の正体を見てやろうと床に伏せて寝たふりをしていた。
暴れる我が子を観察していると人の形をした緑色の15センチほどの小人が見えた。
「しうぅ…… 」
喜多川が震える悲鳴をあげた。
小人の姿は誠也がガイコツと言っていた通り、目と口を大きくした猿の髑髏に薄い皮を張り付けただけのような頭、毛は生えていない、服も着ていない、顔も身体も全身深緑色だ。猿のような顔の大きな目が赤く光っている。横に広げた口にはギザギザに並んだ小さな歯が見えた。
「嫌い、嫌い、あっち行け! 向こう行け! 」
後頭部にしがみつく小人を追い払おうと誠也は手足をばたつかせるが手が触れそうになると肩や背中に逃れて直ぐに後頭部に戻ってくる。
頭から離れないんだ……、観察していた喜多川は小人の動きにパターンがあるのに気が付いた。
『ケケケッ、ヒヒヒヒッ、ケケケケッ』
意識を集中していると小人の笑い声が聞こえてきた。早口で鳴く鳥のようだが耳に触る嫌な声だ。
「嫌い、嫌い、来るな、あっち行け! 」
暴れる息子に喜多川は寝返りを打つように寝たふりをして近付く、
「あっち行け、嫌い、嫌い、来るな小人」
誠也の振り回す手が喜多川の身体に当たった。同時に喜多川がバッと起き上がると誠也の後頭部に手を伸ばした。
『ヒヒヒッ、ケケケケッ』
指先が当たった感触はあったが小人は奇妙な笑い声を残して消えていた。
「どっ、何処にいった」
喜多川は暴れている息子を乱暴に押し倒して小人を探す。
「あの化け物何処に逃げた」
「痛い、ママ、痛いよぉ~~ 」
おとなしくなった息子の声を聞いて喜多川が我に返る。
「ごっ、ごめん……痛かったわね、ごめんなさいね」
喜多川が抱き締めると誠也はわんわん泣きだした。
「全部小人が悪いのよ、誠也もママも悪くないわ、全部小人の所為よ」
誠也の頭を撫でながら言う喜多川の目付きが異常だ。
何度か同じような事があり捕まえようとするが何処に隠れるのか小人は捕まらない、週に三度ほどしか家に帰ってこなくなった夫に相談するがバカを言うなと一喝されて相手にもされなかった。
「真二のヤツ、何が仕事よ! 自分だけが偉いと思ってるの! 」
夫は当てに出来ない、自分が捕まえるしかないと考えていた喜多川の目にテレビの中で芸人が相方を叩いているのが映った。
「捕まえようとするからダメなのよ、叩き殺せばいいんだわ」
喜多川は新聞紙を丸めて棒を幾つも作った。小人を叩き潰すつもりだ。
「死体でもいいのよ、叩き殺して真二に見せてやる。小人が全部悪いって……私も誠也も悪くないって教えてやる……悪いのは小人と仕事ばかりで何もしない真二よ」
何時でも使えるように部屋の彼方此方に新聞紙を固く丸めた棒を置いた。
「ダメよ誠也、その棒は小人をやっつけるのに使うのよ」
棒を振り回す息子に喜多川が優しく声を掛けた。
「これでやっつけるの? 小人をバ~ンって叩くんだね」
「そうよ、これで叩き殺してやるわ、小人なんて一発よ、だから遊んじゃダメ、遊ぶならママが作ってあげるわ」
息子の誠也が遊ぶため用に新聞紙を軽く丸めて棒を作って手渡した。
棒を振り回して遊んでいた誠也が手足を振って暴れ出す。
「嫌い、嫌い、あっち行け! 」
肩や後頭部を払う誠也に気付いて喜多川が目を凝らす。
いた! 緑色の醜悪な小人だ。喜多川は近くに置いてあった固く丸めた新聞紙の棒を握り締めた。
「こいつが!! 」
息子の後頭部にしがみつく小人目掛けて力一杯殴りつけた。
「ぴぎゃ! 」
悲鳴を上げて誠也が前のめりに倒れた。
『ケケケッ、ヒヒヒヒッ』
倒れた誠也の首筋から小人が這い上がるようにして出てくる。
「まだ生きてか! 」
喜多川が小人目掛けて棒を振り落とす。
「ひぐぅっ!! 」
呻きをあげる誠也の頭の上で小人が奇妙な声で笑う、
『ヒヒヒッ、ケケッ、ケヒヒヒッ』
「此奴が! 此奴が! 」
ヒステリックに叫びながら喜多川が何度も棒を叩き付けた。
叩く度に誠也の呻きが聞こえていたがいつの間にか聞こえなくなる。
『ケケケッ、ヒケケケッ』
新聞紙の棒をすり抜けてバカにするように笑う小人を見て喜多川がキレた。
「お前が! 殺してやる!! 此奴が、此奴が」
倒れた誠也の両足を掴んで持ち上げると床に叩き付けた。
『ヒヒヒッ、ヒケケッ、ケケケケッ』
楽しげに笑いながら小人が動かなくなった誠也の頭をクルクル回る。
「まだ居るか! お前がぁ~~、殺してやる! 此奴が、小人が! お前が悪いんだ。お前がぁ~~ 」
我が子を何度も床に叩き付けているところを警官に取り押さえられた。騒ぎを聞いた近所の人が通報したのだ。
誠也は酷い有様だ。床に叩き付けられた事によってまだ柔らかい頭蓋骨が割れて脳が飛び散っていた。
「小人が……全部小人が悪いのよ……彼奴が…………小人が………… 」
真っ赤に染まった床にへたり込んで喜多川が虚ろに呟いた。
この事件は育児ノイローゼに因るものとして扱われ、小人が見えると暴れる母親は心神耗弱として措置入院させられた。
夫とは離婚した。元々仲の悪かった舅や姑が子殺しの女など世間体が悪いと離婚を勧めたのだ。喜多川の所為で仕事も辞める事になったといって夫は離婚を切り出した。優秀な弁護士も立てられて頼るものの無い喜多川は離婚に応じるしかなかった。
醜悪な小人の所為で喜多川は全てを失ったのだ。
これが喜多川遙香さんが教えてくれた話しだ。
話し終えた喜多川が虚ろな目で呟く、
「全部小人が悪いのよ……私の幸せを全部奪っていったのよ」
哲也は喜多川にしがみついていた緑色の人形のようなものを思い出す。
「酷すぎますよ、喜多川さんは殺したくて殺したんじゃない、あの小人を退治しようとして仕方無く……結果的にお子さんを死なせてしまっただけじゃないですか」
話しを聞いて適当に相手をして帰るつもりだったのだがあまりの仕打ちに哲也は同情した。
「そうなのよ……全部小人の所為なのよ、誠也を殺すつもりなんてなかったのよ、それなのに………… 」
肩を震わせて泣く喜多川を見て哲也が頷いた。
「小人を退治しましょう、僕も手伝いますから」
「本当……ありがとう哲也くん」
喜んだ喜多川の顔が直ぐに曇る。
「でもどうしたらいいか……何度も捕まえようとしたけど触る事も出来ないのよ」
哲也が自信ありげに頷いた。
「任せてください、僕なら捕まえる事が出来るかもしれない、何度か幽霊に触った事があるんですよ」
哲也は一緒に見回りをしていた警備員の園田俊之や水子霊が気付かせようと落とし物をよくすると言っていた滝川美渚の事を思い出した。
園田が幽霊だとは気付かずに普通に冗談を言い合ってポンと叩いたり、滝川を襲うストーカー男の幽霊を殴ったりしていた。何故かはわからないが自分は霊を触れるのだと確信を持っていた。
「本当なの? 」
驚き顔で訊く喜多川に哲也が真剣な表情で返す。
「絶対とは言えませんが多分出来ると思います。一緒に捕まえましょう」
じっと哲也を見つめて喜多川が頷いた。
「本当なら哲也くんに任せるわ、一人じゃ後ろに回った小人は見つけられないのよ、だから手で叩いて追い払っていたのよ」
上半身裸で手形が付くまでバシバシと叩いていた喜多川を思い出して哲也の頬が赤くなっていく、
「じゃあ、僕は見回りがあるから明日にでも何か作戦を考えましょう」
まだ昼の2時を回ったところだが哲也は見回りがあると嘘をついた。小人を退治する作戦を一人で考えたいという事もあるが何より喜多川と二人っきりで長時間居るのを看護師に知られると不味いと考えた。
「うん、私も何か考えてみるわ、ありがとう哲也くん」
笑顔の喜多川に見送られて哲也は部屋を出て行った。
夜10時過ぎ、哲也が見回りでD棟へと入っていく、
「作戦は思い付かなかったな、先ずは近くで小人を見ないとな、素早いから両手で挟んで捕まえるしかないな」
呟きながら最上階まで上がっていく、どうやって小人を退治しようかと考えたが良いアイデアは浮んでこない、だが小人を捕まえるイメージは浮んでいた。素早く逃げる小人を片手で追い込んでもう片方の手で挟んで捕まえる方法だ。
「後は噛みつかれても絶対に離さない、噛みつくって聞いてなかったらビビって絶対に離してるよな、でも聞いてるから大丈夫だ。覚悟を決めて挑もう」
最上階から下りながら順に見回っていく、209号室、喜多川の部屋から怒鳴り声が聞こえて慌てて部屋に飛び込んだ。
「大丈夫ですか喜多川さん」
「小人がっ! 何処へいった? 今日こそ捕まえてやる」
哲也の声が聞こえていないのか、目を吊り上げた怖い顔をして喜多川は上半身裸になってバシバシと頭や背中を叩いていた。
「喜多川さん…… 」
哲也が目を凝らす。喜多川の首筋、肩まで伸びた髪の毛の間から緑色をした15センチほどの人の形をしたものが見えた。
「小人だ!! 」
哲也が思わず叫んだ。目と口を大きくした猿のガイコツに薄い皮を張ったようだと言っていたが哲也には本で見た事のある目だけが大きく皺くちゃ老人の顔をした醜悪な悪い小人に見えた。
「哲也くん来てくれたのね」
哲也に気付いて喜多川の表情が緩んだ。
「見ましたよ緑色の小人、一緒に捕まえましょう」
「頼んだわよ、哲也くん」
「おわっ! 」
振り返った喜多川を見て哲也がサッと視線を逸らす。喜多川は上半身裸だ。
「何してんのよ、こっち見なきゃ捕まえられないでしょ」
「そっ、そうだけど…… 」
胸を隠そうとしない喜多川に哲也が焦って真っ赤になっている。
「何照れてるのよ、哲也くんになら見られても平気よ」
「いや……そのぅ……後ろを向いてください、僕は喜多川さんの手の届かない後ろ頭や背中に来たら捕まえますから」
真っ赤になっている哲也を見て喜多川がニヤッと意味ありげに笑う、
「わかったわ、旨く退治出来たら御礼をするわね」
後ろを向いた喜多川の首筋に醜悪な小人がしがみついていた。
「喜多川さん動かないで! 」
小人に見えるように哲也が左手を伸ばす。反対の右手は下からそっと伸ばした。
『ケケケッ、ケヒヒヒッ』
小さいが甲高い奇妙な声で笑う小人に左手が触れたと思った瞬間、サッと小人が逃げていく、
「つっ、捕まえた」
下から伸ばした右手が小人を掴んだ。同時に逃がすまいと左手を添える。
「捕まえましたよ喜多川さん」
「がっ……哲也くん」
喜多川が苦しそうに呻いた。
「なん!? 」
哲也が慌てて手を離した。確かに小人を捕まえたはずが喜多川の首を絞めていた。
「大丈夫ですか喜多川さん」
「ぐぅ……だっ、大丈夫よ、それより小人は? 」
振り返った喜多川が喉を摩りながら苦しげに訊いた。
「逃げられました。捕まえたと思ったんですが……喜多川さんの首を絞めてました。すみません」
頭を下げる哲也の前で喜多川が忌忌しげに口を開く、
「小人よ、小人の仕業だわ、哲也くんが謝る事はないわ、誠也の時も……だから殺してしまったのよ、態とじゃないのよ」
首を絞めていたのを咎められなくて哲也はほっと安堵して頷く、
「わかります。信じます。僕も確かに捕まえたと思ったから」
「全部小人が悪いのよ、私は悪くない……全部小人と真二と誠也が悪いのよ」
喜多川の目に狂気が浮んでいた。
小人と育児を任せっきりだった夫の真二はともかく死なせてしまった我が子の誠也にまで悪態をつく喜多川を見て哲也が顔を顰める。
「あっ! 」
肩からひょいっと姿を現わした小人がトトッと走って喜多川の耳の中へと消えていった。
「どうしたの? 小人? どこに、何処に居るの? 」
身体をくねらせて探す喜多川に哲也が神妙な面持ちで話し出す。
「落ち着いて聞いてください、耳の中へ入っていきました。喜多川さんの左の耳の中へ入って消えたように見えました」
「耳の中……どこに? 出さなきゃ! 」
喜多川が慌てて耳に指を突っ込んだ。
「笑い声が聞こえる……耳の中にいる……小人が…………出さなきゃ」
ブンブン頭を振る喜多川を哲也が押さえ付ける。
「落ち着いてください、大丈夫ですよ、小人が耳に入るわけないです。僕の見間違いです。大丈夫ですから…… 」
確かに入っていくのを見たが暴れる喜多川を宥めようと嘘をついた。
「見間違い……小人は入ってないのね」
「 ……はい、何処かへ逃げましたよ」
ベッドにへたり込む喜多川に哲也が優しく声を掛ける。
「看護師さん呼びましょうか? 」
無言で首を振る喜多川から哲也が離れる。
「見回りの途中だから…… 」
「小人が……全部悪いのよ……真二も誠也も…… 」
ブツブツと呟く喜多川を置いて哲也は部屋を出て行った。
「確かに捕まえたと思ったのに……でも感触は無かった。首を絞めている感触だけだ……本当に小人は居るんだろうか? 喜多川さんの話しを聞いて僕も幻覚を見ただけなんじゃないのか? 」
長い廊下を歩きながら思い返す。幽霊だった警備員の園田を触った時やストーカー男の幽霊を殴った時のような感触が一切無かった。
深夜3時の見回りで喜多川の部屋であるD棟の209号室に近付くとドンドンと壁を叩くような音が聞こえてきた。
「喜多川さん、大丈夫ですか? 」
哲也はノックをして部屋に入った。
「小人が……全部お前らが悪いのよ……私の苦労も知らないで真二のヤツ……誠也が居なければ……なんで私だけがこんな目に…………彼奴らさえいなければ楽が出来たのに…………あんな男と結婚なんてしなければよかったのよ……バカみたいな子を産まなくても済んだのに…………小人も見なくて済んだのに………… 」
薄暗い部屋の中、ブツブツと怨嗟を吐きながら喜多川が壁に頭をぶつけていた。
「喜多川さん…… 」
異様な光景に哲也が言葉を詰まらせる。ドンドン聞こえていたのは喜多川が壁に何度も頭を叩き付けていた音だ。
「全部彼奴らが悪いのよ……小人も真二も誠也も…………何が離婚よ、何もしなかったくせに…………浮気をしているのは知っているのよ……私一人に任せて……誠也なんて産まなければよかった…………小人も真二も誠也も……全部死ねばいい……全部死ねば…………全部彼奴らが悪いのよ」
目を吊り上げ口元から涎を垂らしながら喜多川が何度も壁に頭をぶつける。
哲也は耳を疑った。夫が浮気していたなど初めて聞いた。育児を手伝わない夫を恨むのはわかる。だが我が子に死ねばいいなどと言う喜多川に狂気を感じた。
『ケケケケッ、ヒケケケッ』
甲高い笑い声が聞こえた。喜多川の後頭部に緑の醜悪な小人がしがみついていた。
「くそっ! 」
我に返った哲也が捕まえようと手を伸ばす。
『ケケッ、ケヒヒヒッ』
奇妙な笑いをあげて小人が喜多川の耳へと入って消えた。
「ひあぁ~~、笑いが聞こえる。小人が頭の中に………… 」
喜多川は叫ぶとガンガン音を立てて壁に頭を叩き付けだした。先程より激しく叩き付けるのを見て哲也が慌てて止めに入る。
「喜多川さん落ち着いてください」
「があぁあぁ~~、離せ! 小人が……叩き出すのよ」
哲也の腕の中で暴れる喜多川の額から血が流れている。
「小人が……全部奴らが悪いのよ………… 」
正気を失ったように暴れる喜多川を見て哲也がナースコールを押した。
駆け付けた看護師と一緒に押さえ付けるが喜多川は錯乱したままだ。暴れる喜多川に手を焼いた看護師はストレッチャーに縛り付けて運んでいった。
喜多川は戻ってこなかった。自傷行為をするという事で隔離病棟へと移されたのだ。
確かに育児ノイローゼだが喜多川は我が子を殺したくて殺したのではない、助けたくてその結果、死なせてしまったのだと思っていた。我が子に取り憑く小人を追い払うのに夢中になって子供を叩き付けてしまったのだとそう思っていた。だが隔離病棟へ運ばれる前に聞いた喜多川の怨嗟の言葉が哲也の耳に残った。
「私は悪くない、小人が……全部奴らが悪いのよ……小人も真二も誠也も……全部死ねばいい……全部死ねば…………全部彼奴らが悪いのよ」
哲也は自分が見た醜悪な小人が全て悪いと思っていたが本当は喜多川は夫や我が子を憎んでいたのだろう、事件の後、直ぐに離婚した夫を呪っていたのだ。夫が浮気をしていたのを知っていた。家に寄りつかなくなったのは仕事が忙しく喜多川が育児ノイローゼになっただけではなかった。疳の虫で暴れる我が子に苛立ちや憎しみが向かったのではないだろうか、叱られるのを避けようと小人が悪いと作り話をした我が子、その妄想がいつの間にか喜多川には見えるようになったのではないだろうか。
喜多川の耳の中へと消えていった醜悪な小人、あれは何だったのだろうか? 夫や我が子を恨む喜多川が作り出したものだとしたら……我が子さえ憎むようになった喜多川の心中を考えると哲也は何とも言えない重い気持ちになった。