第十二話 地蔵
地蔵と聞いて何を思い浮かべるだろうか?
道路の脇に祀られている立派なものや寂しい山道にぽつんと建つ苔むしたお地蔵さんは誰でも見たことがあるだろう、笠地蔵や身代わり地蔵などの昔話を思い出す人もいるだろう、昔から祀られているものだけでなく事故で死んだ子を供養するために近年建てられたものも多い、お地蔵様の一つ一つに物語があると言ってもいいだろう。
多くの人が石で出来たお地蔵さんを思い浮かべると思うが木で出来たものや土を焼いて作ったものも存在する。
辞書で調べてみると次のように書いてある。
仏教の開祖である釈迦牟尼世尊の死後、弥勒菩薩の出現までの間、衆生を教化・済度する菩薩のことである。つまりこの世に生きているもの全てに法を説いて人々を迷いから解放し悟りを開かせる菩薩様ということだ。日本では旅人や子供を守ると言われている。
哲也もお地蔵さんと関わりを持った人を知っている。もっともその人にとってはあまり良いものではなかったようである。
ある夜、見回りをしていた哲也は騒ぎを聞きつけC棟へと駆け付けた。
「子供が……子供が来るんだ! 頭を投げて……頭が外れるんだ。俺を見て笑うんだ。助けてくれ…………勘弁してくれ…… 」
217号室に人だかりが出来ていた。夜の10時なのでまだ起きている患者はたくさんいる。それらが物珍しげに集まっていた。
「島村さん、大丈夫ですから安心してください」
「ハイ、もう大丈夫です。お化けなんていませんから、全て幻覚ですからね」
看護師が宥める声が聞こえてくる。どうやらナースコールで駆け付けたらしい。
「香織さん来てるのか」
聞き覚えのある声に野次馬を押し退けて哲也が部屋へと入っていった。『ハイ、大丈夫です』と少しキツい口調で言っていたのが香織だ。
「どうしたんです? 手伝いましょうか」
気軽に声を掛けると香織が振り返った。
「哲也くん来てくれたのね、でももう大丈夫よ、眠剤飲ませたから直ぐに眠るわ」
香織の向こう、ベッドに横たわった中年男がうわごとのように呟いている。
「子供が……子供が来るんだ。子供が頭を………… 」
子供が現われて頭をぶつけてくると言うのだ。頭突きではない、子供が両手で頭を抜いて投げ付けてくると言うのだ。胴から離れた頭がケラケラと笑うと怯えていた。
「そうっすか」
睡眠薬が効いていたのか落ち着いた様子の患者を見て哲也は見回りに戻っていった。
「子供か……変な気配も感じなかったし只の幻覚だな、でも頭を抜いてぶつけてくるってのは一寸面白そうだな」
長い廊下を見回りながら哲也が呟いた。怪奇なことが起こる時に感じる気配というものを感じなかったので只の幻覚だと、そういう患者だという認識だ。
同じような患者は沢山いるので気にもしない、神様だとか幽霊だとかを見るという患者は沢山いるのだ。重度の薬物依存者が入る隔離病棟などそういう患者ばかりだと聞いたこともある。
「異常無し、戻って仮眠しよう」
見回りが終り怠そうに伸びをすると自分の部屋があるA棟に戻っていく、途中C棟の前を通るが騒ぎは既に収まっていた。
深夜3時前、目覚まし時計の音で哲也が起きる。
「うう……もう3時か……見回り行かなくちゃ」
寝惚け頭で起きると見回りに行く、
「ふぁあぁ~~、今日は眠いなぁ~ 」
何度も欠伸をしながら廊下を歩いて行く、昼寝は勿論、面白いテレビがやっていたので夕方も仮眠をしていないので眠くて仕方がない。
B棟の見回りを終えてC棟へと入る。
「うわぁ! 来るなっ、来るなぁぁ~~ 」
いつものように最上階まで階段を使って上ろうとしていると2階の廊下から悲鳴が聞こえてきた。
「何だ? 夜暴れる患者はいなかったはずだけど」
訝しがりながら2階の廊下に出た。A棟から近いB棟とC棟の患者は殆ど顔見知りだ。苦しんでうんうん唸る声ならともかく幻覚を見て来るなと悲鳴をあげる患者は今は居ないのを知っていた。
「来るな……止めろっ! 頭が…… 」
悲鳴が聞こえたドアの前に哲也が立った。
「さっきの部屋だ。睡眠薬飲んで寝てるはずだぞ」
C棟の217号室だ。夜10時の見回りで子供の幽霊が出ると騒いでいた部屋だ。
「島村さんか……知らないな、新しく入ったんだな」
ドア横のネームプレートには島村清吾と書いてある。
「島村さん、入りますよ」
哲也はノックをしてからドアを開けた。
「やっと来てくれた。看護師さん、助けてくれ、子供が……子供が来るんだ。子供が頭を投げ付けてくるんだ」
ベッドの上で布団を頭から被って島村がブルブルと震えていた。
部屋の明かりを点けると哲也が辺りを見回す。何も異常は無い、ベッドの上で島村が震えているだけだ。
「島村さん、大丈夫ですよ、何もいませんよ」
哲也が優しく声を掛けると頭から被っていた布団を剥いで島村が顔を見せた。
夜10時の見回りではちらっと見ただけだったが島村は40歳くらいのがっしりした働き盛りといった中年男性だ。少し強面の厳つい顔の肉付きもよく精神を病んでいるようには見えない。
「子供が……子供が出たんだ。幽霊だ。頭を外して投げ付けてくるんだ……ここに頭が転がってたんだ」
直ぐ前のベッドの上を指差しながら島村が続ける。
「頭だけで笑うんだ。厭な声でケラケラ笑うんだ」
哲也がベッドの上をポンポン叩きながら口を開く、
「幻覚ですよ、何もいませんよ、怖いって思っていると幻覚が見えるんですよ、幽霊の正体見たり枯れ尾花って言うでしょ、見間違いって事ですよ」
「看護師さん、本当なんだ信じてくれ……本当に子供の幽霊が出るんだ」
縋るような目で見つめる島村の前で哲也が弱り顔で続ける。
「僕は看護師じゃないですよ、警備員です。警備員の中田哲也です。哲也って呼んでください」
「警備員さん……そうか服が違うな、そうか、警備員の哲也くんだな」
余程パニくっていたのだろう哲也が白衣を着ていないのに気付いた様子だ。
「そうか警備員さんか…… 」
か細い声で呟く島村の右横、窓で何かが動いているのが哲也の目の端に映った。
「なん? 」
サッと横を見た哲也の口から思わず声が出た。ソフトボールくらいの丸いものがひょこひょこ上下するように窓に映っていた。
確かめようと哲也が窓に近付く、その後ろから島村が声を掛ける。
「どうした? 子供の幽霊じゃ…… 」
既に丸いものは見えなくなっていた。何かの影でも映っていたのかと窓を開けて確かめるが2階の窓に影を落とすような物は何処にもなかった。
「何でもありませんよ、風でも入れようと思ったけど寒いですね」
窓を閉めると哲也は何でもないと言うように微笑んだ。
「本当か? 子供の幽霊を見たんじゃないのか? 」
怯えが混じった怪訝な目で見つめる島村の前で哲也が笑い出す。
「あははははっ、お化けなんているわけないじゃないですか、幻覚ですよ、島村さんは心の病で幻覚を見てるんですよ、だから次に現われたら追い払ってやればいいんですよ、怖がる心が見せている幻覚ですから怖がったらダメですよ」
島村を怖がらせまいと態と明るく言った。
「幻覚なんかじゃない、本当に出るんだ。頭をぶつけてくるんだ。ベチャって当たる感触もあるんだ。俺があんな事をしたから…… 」
身を乗り出して話す島村の『あんな事』という言葉に興味は引かれたが今は見回りの途中だ。しかも深夜3時過ぎである。話しは明日にでも聞こうと哲也が口を開く、
「僕は見回りがありますから、何かあったらナースコールを押してください」
「ナースコールを押しても誰も来てくれないんだ。昨日も、その前も……今日は哲也くんが来てくれて本当に助かったよ」
部屋から出て行こうとした哲也が足を止めた。
「誰も来ない? おかしいな壊れてるのかな」
試しに哲也がナースコールを押した。ランプが光っているので故障とは思えない。
「夜の10時頃は看護師さん来てましたよね」
困り顔で訊くと島村が頷いた。
「ああ、来てくれた。でも深夜は誰も来てくれないんだ。どうせ幻覚だっていって相手にしてくれないんだ」
恨むように話す島村を見て哲也が顔を顰める。
「それは一寸酷いですね、明日にでも聞いておきますよ」
「頼んだよ……今日は哲也くんが来てくれて助かったよ」
がっしりした身体に厳つい顔の島村が頭を下げるのを見て哲也が気を利かせる。
「部屋の明かり付けたままにしておきましょうか? 」
「いいのかい? 怒られるんじゃないのか? 」
喜びを浮かべながらも不安に訊く島村の前で哲也が胸を張る。
「任せてください、先生たちには僕が言っておきますよ、これでも信頼されてますから島村さんが幻覚を見なくなるまで明かりを点けたままで眠れるように頼んでおきますから」
規定では9時消灯である。トイレに行く時などを除いて9時以降に部屋の明かりを点けるのは禁止だ。夜10時の見回りも消灯しているかを確かめるためのところが大きい。
「ありがとう哲也くん、明かりがあれば安心して眠れそうだ」
島村がベッドに横になるのを見届けて哲也は部屋を出て行った。
見回りを再開してC棟の最上階へと階段を駆け上がる。
「事情が事情だし先生も許してくれるだろう」
部屋の明かりを点けたままでいいと勝手に約束したのを今更不安に思うがいざとなれば池田先生や香織に泣き付こうと考えた。
最上階の長い廊下を見回りながら哲也は窓に映った丸いものを思い出す。
「あの丸いのは見間違えだな、寝不足だし変な感じもなかったしな、それよりも…… 」
哲也が顔を顰めて続ける。
「ナースコールにこたえないってどういう事だ? 明日、香織さんに問い質してやる」
幾ら幻覚だとわかっていてもナースコールを押されたら確認するのが看護師の仕事だ。わざと行かなかったのではないかと哲也は疑っていた。
翌日の昼間、昼食を終えた哲也がナースステーションの近くで香織が出てくるのを待っていると後ろからガシッと肩を掴まれた。
「何をしている? 」
振り返ると看護師の佐藤が睨み付けていた。
如何にも体育会系といった筋肉質に強面の大男が佐藤だ。香織とは同期で仲はいい、香織曰く寡黙で実直、頼りになる相棒らしい、寡黙といえば聞こえはいいがいつもムスッと怒ったような顔をしているので哲也は苦手だ。
「えへへ……佐藤さん、おはようございます」
少し引き攣った顔で挨拶する哲也の前で佐藤が表情一つ変えずにムスッと返す。
「もう昼だぞ、それで何をしていた」
「えへへっ、いえ別に……それじゃあ」
愛想笑いをしながら逃げようとする哲也の腕を佐藤が引っ張った。
「何を企んでる? またお化けとか下らないことをやっているのか」
下らないと言われて哲也がカチンときた。
「違うっす! 昨日……深夜3時だから今日か、見回りしてたらC棟の島村さんがナースコール押したけど看護師が来なかったって…… 」
昨晩の出来事を哲也が話した。じっと聞いていた佐藤の顔が険しく変わる。
「だからどうなってるのかなって……聞こうと思って香織さんか誰か出てくるのを待ってたんだけど…………島村さんの嘘かも知れないし、島村さんの事は僕も昨日知ったから」
怒鳴られると思った哲也が言い訳するように付け加えた。
「それが本当でナースコールを無視したのなら問題だ。一緒に来い」
「どっ、何処に行くんすか? 」
目の前にあるナースステーションとは逆方向へ腕を引っ張る佐藤に哲也が足を踏ん張って抵抗した。
「C棟だ」
「C棟? あっそうか、C棟のナースステーションじゃないと意味無いっすね」
「そういう事だ」
踏ん張っていた哲也が歩き出す。
病棟が何棟もある磯山病院にはナースステーションも数カ所ある。哲也の部屋があるA棟のナースステーションはA棟とB棟が担当でC棟とD棟の担当はC棟にあるナースステーションだ。
廊下の角から香織がやってきた。
「あら、珍しいわね、仲良く散歩かな」
腕を引っ張られるように歩く哲也を香織がからかった。
「違うっす。男と手を繋いで散歩する趣味は無いですから」
佐藤ではなく香織ならどんなに嬉しいかと思いながら哲也が昨晩の事を説明した。
「哲也くん、本当なの? 島村さんは眠剤でぐっすり眠っているはずでしょ」
疑うように聞き返す香織に哲也が真剣な表情で話し出す。
「マジっす。睡眠薬飲むのは僕も見てたからおかしいとは思いますけど島村さんは起きてました。子供の幽霊が出るって怯えてましたよ、それで部屋の明かりを点けたままでいいって……勝手なことして済みません、明かりを点けたままで眠れるように許可も取ってあげたくてナースステーションで香織さんを待ってたら佐藤さんに…… 」
「本当なら大変ね」
考え込む香織の顔を佐藤が覗き込む、
「昨日の夜勤は誰だ? 場合によっちゃ辞めてもらうように進言する。他の看護師にまで迷惑が掛かるからな」
怖い顔の佐藤に臆しながら哲也が口を開いた。
「佐藤さん、そんなに怒らなくても……ナースコールが壊れてるって事も有り得るっす」
基本的に優しい哲也は大事にしたくなかったので香織に相談しようと思っていたのを佐藤に捕まったのだ。
香織の顔が険しく変わる。
「ナースコールは壊れてないわよ、昨日の夜に呼ばれて島村さんの部屋に見に行ったからね、壊れてないのは私が確認済みよ」
思い出して哲也も頷く、
「そういや10時の見回りの時に香織さんも居ましたね、C棟だからおかしいって思ってたけど」
「時間あったからC棟に行って後輩の相談に乗ってたのよ、そしたらナースコールが鳴ってその娘と一緒に島村さんの部屋に行ったってわけ、だから壊れてるはずがないわね」
事の重大さに哲也も顔を強張らせた。幻覚を見て騒ぐだけだとわかっていてもナースコールが鳴れば確認しに行くのが当然だ。無視するなど有り得ないのだ。何度も鳴らす酷い患者なら隔離病棟へと移す手続きを取るだけだ。
「ナースコールが壊れてないって事は島村さんが言うように幻覚で騒いでるから無視されたって事ですか」
「他にも複数同時にナースコールがあって看護師が出払ってて島村さんまで回らなかったとも考えられるけど…… 」
言葉を濁す香織の横から佐藤が口を挟む、
「3日続けてそんな事があるのか? C棟の連中に聞けばわかる事だ」
仲間の看護師を庇う香織と違い佐藤は厳格に対処するつもりだ。
「そうね確かめに行きましょう」
哲也と香織と佐藤がC棟へと向かって行った。
確認した結果、ナースコールの故障ではなかった。だが看護師たちは深夜3時頃にナースコールなど鳴っていないと証言した。
昨日だけではなく前の夜も鳴っていないと言う看護師たちが哲也に疑いの眼を向ける。
「本当にそんな事があったのか? 」
「冗談だったら今のうちに言ってくれ」
看護師たちに責めるように言われて哲也が必死で言い返す。
「嘘なんてついてないですから、島村さんが子供の幽霊が出るって怯えてたから部屋の明かりを点けたままにして見回りを再開したんですから」
C棟の看護師たちの後ろに居た新人の看護師が前に出てきた。
「哲也さんを疑いたくはないけど1時頃に見回りをしたときは島村さんぐっすりと眠っていたわよ、10時に騒いだから心配して部屋の中を見たのよ」
後輩の女性看護師が香織の顔を窺うようにして言った。
同意するように頷くと香織が哲也を見つめる。
「キツい睡眠薬を飲ませたから朝まで起きるはずがないのよね」
その場の全員が哲也を見つめる。
「睡眠薬飲んで横になるところまでは僕も見てました。けど……嘘なんて言ってません」
疑われて焦る哲也の肩を香織がポンッと叩いた。
「わかってるわよ、こんな嘘をついても哲也くんには何の得もないからね」
「香織さん…… 」
信じてもらえて嬉しそうな哲也を見て香織が続ける。
「真面目に見回りしてる哲也くんの御陰で患者さんが助かった事も何度かあるからね」
香織の隣で黙って話しを聞いていた佐藤が頷いた。
「そうだな、お化けだの何だの言うバカだが警備員として真面目にやっているのは俺も認める。だがこのまま済ます訳にはいかんぞ」
普段ならバカと言われてムッとするところだが佐藤が味方についてくれて哲也の顔に安堵が広がる。
「そうね、暫く様子を見ましょう、また同じような事があれば深夜でも直接ここのナースステーションに連絡を入れるって事にしましょう、わかったわね哲也くん」
わかったかと言うように香織が哲也の肩をポンポン叩いた。
「了解しました。また島村さんが騒いだら僕がナースコールを押して暫く様子を見ます。看護師さんが来なければ僕が走ってナースステーションに行って確かめますよ」
疑いを晴らすためにも哲也は張り切って引き受けた。
A棟へと戻る途中で香織が島村の事を話してくれた。本来なら他の患者の病状を話すのはダメなのだが今回は特別だ。哲也が訊く前に話してもらえるなど初めての事である。
島村清吾42歳、子供の幽霊が出ると突発的に癲癇を起こす。パニック障害とのことだ。パニック障害とは突然理由もなく強い不安に襲われ、動悸、息苦しさ、頭痛や眩暈などを起こす精神疾患である。
磯山病院へ入ってきたのは子供の幽霊と間違えて近所の小学生を車で轢いて死なせてしまい心神喪失で罪に問えないとして措置入院させられたのだ。
話しの最後に香織が注意を付け加える。
「一応言っておくけど他の患者には話しちゃダメよ」
「わかってます。他の人には話したりしませんよ、聞いているのと聞いていないのとじゃ、対応の仕方に違いが出ますからね」
いつもの事なので哲也が慣れた様子で返した。
「困ったもんだが今回は仕方無いな」
黙って聞いていた佐藤も渋い顔で認めてくれた。
普段ムスッとして苦手な佐藤が賛成してくれたのを見て哲也が安心した様子で続ける。
「ついでに頼むけど、島村さん、部屋の明かりが点いてれば安心して眠れるらしいから特別に明かりを点けたままで寝てもいいように許可もらえませんか」
「そうね……私の方から頼んでみるわ、J棟に部屋を換えてもらいましょう、それまでは部屋の明かりを点けててもいいわよ、現場の判断で許可したって事にしてあげるから」
引き受けてくれた香織に哲也が嬉しそうに頭を下げる。J棟は隔離病棟へ送るほどでもないが問題のある患者を集めている病棟だ。
「ありがとうございます。早速、島村さんに知らせてきます。それとC棟の看護師さんにも言っておきますね」
哲也は踵を返すとC棟へと入っていった。
部屋の明かりを点けて寝てもいいと取り敢えずの許可を貰ったのを話しに行くついでに島村から子供の幽霊の話しを聞くつもりだ。あんな事と言っていたのが気になっていた。
C棟のナースステーションへ行って島村の部屋の明かりは消さないように頼むとそのまま217号室へと向かう、
「島村さん、部屋の明かりを点けて寝てもいい事になりましたよ、取り敢えず様子見って事で1週間くらいだけですけど…… 」
正式に許可を得たわけではないので哲也の声が尻窄みだ。
「本当か? 明かりを点けたまま眠ってもいいんだな」
パッと顔を上げた島村に哲也が笑顔で口を開く、
「本当ですよ、今晩から明かりを点けたままで寝てください、取り敢えずって事なので1週間くらいですが島村さんが騒ぐ事なく眠れるようなら明かりを点けたままでもいいJ棟に部屋を換える事になると思います」
「明かりさえ点いてれば子供の幽霊も出てこないよ、本当に助かったよ、ありがとう哲也くん」
喜ぶ島村に子供の幽霊の話しを聞こうと哲也が切り出す。
「それで……一寸訊き辛いなぁ~~ 」
言葉を濁す哲也に島村が笑みを向ける。
「何だ? 何か聞きたいのか? 何でも聞いてくれ、昨日助けて貰ったし、明かりを点けて寝てもいいって許可までもらってくれたんだ。何でも話すよ」
「じゃあ訊きますね」
一呼吸置いて哲也が続ける。
「子供の幽霊の事を聞かせてください、僕は警備員です。夕方と夜の10時と深夜の3時に見回りをしています。何かあれば昨日のように力になれるかも知れません、だから話しを聞かせてくれませんか? 島村さんが話したくないなら無理には聞きませんけど」
島村の顔が強張っていく、
「余り話したくはないんだが……哲也くんにはまた助けて貰うかも知れないからな、わかった。話すよ、少し長くなるからそこに座ってくれ」
島村が指差す椅子へ哲也が座った。
これは島村清吾さんが教えてくれた話しだ。
島村が住んでいた町に地蔵があった。普通乗用車がギリギリ擦れ違う事の出来る細い道路の脇に建つ何の変哲もない石で出来た地蔵だ。屋根の無い石の台座に置かれた小さな地蔵は誰言うとなく身代わり地蔵と呼ばれていた。
細い道だ。車社会になると地蔵を邪魔だと思う人も出てくる。現に地蔵を乗せている台座の石ははぶつかった車によって傷だらけだ。
島村も何度もぶつけた口だ。新車をぶつけて大きな傷が出来た時には地蔵に向かって悪態をついたこともある。だが事故を訴えるものは誰も居ない、自分の車だけでなく地蔵の修繕費を払うことになるからだ。勿論、島村も保険など使わずに自腹で車を直していた。
車だけでなく子供たちも困っていた。登下校するのに使う道だ。狭い道に歩道などは無い、気持ちとばかりに白線が引いてあるだけだ。その白線を途切れさせて建っているのが地蔵だ。車が来ると通り過ぎるまで地蔵の前で待つことになる。
そういう事もあって忌忌しく思っている悪ガキも結構いた。その悪ガキたちの中に地元の有力者の息子がいた。小学四年生になると悪ガキ仲間と一緒に地蔵に悪さを始めた。供えられた花をバラバラにしたり地蔵に落書きをするなどは優しい方で花火で地蔵を焼いたり石を投げ付けて当てて遊んだりしていた。
小学生の悪ガキは地蔵に悪さをすると有名だったが地元の有力者の息子だったので誰も文句を言えなかった。
そんな折り、道路の拡張工事の話しが持ち上がる。
地区の自治会で話し合いがもたれ、島村が地蔵の撤去を提案する。
若者から中年世代は邪魔だと思っているものが多く賛成してくれたが昔から住んでいる年寄りは反対した。それを聞いた主婦たちが年寄りたちに抗議する。拡張しても立派な歩道が出来るわけでもなくギリギリ車が擦れ違うことの出来る道路が普通の二車線になるだけで地蔵が道を塞げば子供たちの通学の邪魔になると言われては年寄りたちも飲むしかない、地蔵は近くの公園へ移動させることで決着がついた。
道路工事が始まる。島村が磯山病院へ入院してくる8ヶ月ほど前だ。
狭い道の片側ずつ工事していく、一車線潰す事になるので当然渋滞が出来る。田舎の町だが島村の家がある近くは細い道しかなく、回り道をするにも大変で方々で渋滞が出来て結局通い慣れた工事中の道を通る事になる。
「朝も夜も渋滞じゃやってられないな」
仕事帰り、渋滞に捕まった島村が愚痴を言いながら車をのろのろ走らせていると地蔵が見えた。
「まだあるのか? さっさとどかせば少しは通りやすくなるんだ」
工事しているのは反対側の道で地蔵はまだ置いてあった。
道の奥の信号が赤になり島村の運転する車が地蔵の横で止まった。
「何だ? あはははっ、こりゃいい、眼鏡地蔵か……バカガキの悪戯だな」
有力者のバカ息子の悪戯だろう、地蔵の顔に落書きがされていた。マジックで眼鏡と頬に渦巻が描いてある。
「クソみたいな地蔵を見なくて済むと思うと清々するぜ、でもな……撤去じゃなくて移設かよ、旨く行ったと思ったのにな……まぁ、いざとなったら全部バカガキの悪戯で済ませばいいか」
地蔵を睨み付けて悪態をつくと通り過ぎていった。
数日後、渋滞でのろのろと車を走らせて前を通ると地蔵の頭が落ちていた。
「ヤバい! バレたか…… 」
頭の無い地蔵の足下、台座の上にソフトボールくらいの地蔵の頭が置いてあるのを見て島村が思わず声に出した。
通り過ぎた所に渋滞の交通整理をしていた警備員を見つけると話しを聞いた。
「あれですか? 子供が壊したらしいですよ、なんでもバットで殴りつけたとか」
何度か聞かれたのだろう、またかと言うように教えてくれた。
礼を言うと島村は渋滞を抜けていった。
「くくくっ……やった。バカガキがやってくれたぜ、これでもう心配は無くなった」
声を潜めて笑いながら帰りを急いだ。
家に帰って妻に訊くと近くの公園に移動させることを知らなかった悪ガキが『どうせ撤去されるのなら最後に悪さをしてやれ』と地蔵を叩き壊そうとバットで殴り掛かったらしい、悪戯で首が取れた地蔵は移動後に修繕するということで頭はそのまま胴体の横に置かれたままとなった。
翌朝、島村は渋滞を避けるために30分程早く家を出た。
「あははははっ、身代わり地蔵じゃなくて首無し地蔵だな」
悪ガキに首を落とされた地蔵の前を悪態をつきながら通る。
「30分早く出るだけで違うもんだなぁ」
渋滞は出来ていたが7分ほどで通り抜ける事が出来た。昨日20分以上掛かっていたのと比べると3倍早い。
工事している狭い道を抜けて広い道路へ出た。
「帰りもこうだといいんだが、流石に仕事を早く抜けるのは無理だな」
赤信号で止まると缶コーヒーを開けて飲む、長い渋滞に備えて持ってきていたのだが今日はスムーズに進んで渋滞の途中で飲むのを忘れていた。
『青に変わったよ』
後ろから声が聞こえて反射的に振り返る。
「なっ! 」
後ろの座席に子供がちょこんと座っていた。幼稚園児くらいの男の子だ。坊主頭に半袖のシャツとズボンを穿いていた。
「お前何してんだ!! どっから入った? 勝手にこんな事していいと思ってんのか」
怒鳴りつける島村を見て男の子が奇妙な声で笑い出す。
『ケケケッ、ケケケケッ、お前も勝手にしただろう、だから僕も勝手にしただけだ』
「何笑ってんだてめぇ! 何処のガキだ! 親を呼んで土下座させてやる」
島村がキレた。運転中でなければ子供だろうと殴っていたかも知れない。
『ケケッ、ケケケケッ、そこのガキだ。ケケケケケッ』
男の子は身を乗り出すと運転席と助手席の間から頭を覗かせた。
「そこって何処だ? 何処の家だ」
信号は青に変わっている。後ろの車にクラクションを鳴らされて怒鳴りながら車を発車させた。
「くそっ、何処のガキだ。そこに止めるから一寸待ってろ」
車が走り出すと同時にゴロンっと何かが助手席に転がった。
ハンドルを握りながら島村がちらっと見る。
『ケケケケケッ、ケケケケケッ』
男の子の頭だけがゴロンと助手席にあった。身体は無い、生首だ。
状況が掴めないで身を固くする島村と横向きになった生首と目が合った。
『ケケッ、ケケケケケッ、ケケケケケッ』
奇妙な声で笑う頭だけの男の子を見て島村の全身が総毛立つ、
「うわぁあぁあぁぁ~~ 」
叫びながらブレーキを踏んだ。
急停車した助手席から子供の頭が転がって落ちていく、
『ケケケケッ、危ないよ、ケケケケケッ』
奇妙な笑い声と同時に衝撃を受けた。後ろを走っていた車が追突したのだ。
「お化けだ……幽霊だ………… 」
島村が震えていると後ろの車から出てきた男が運転席の窓を叩いた。
「急に止まりやがって、どうすんだよ」
怒鳴る男を見て島村がドアを開ける。
「たっ、助けてくれ……幽霊が……子供の幽霊が………… 」
怯えながら助手席を指差す島村を見て怒鳴っていた男の顔から怒りが消えていく、
「幽霊? 」
男が首を伸ばして助手席を見るが生首は消えていた。
「何も無いぞ、お前薬か何かやってるんじゃないのか? 」
「違う! 本当に幽霊が…… 」
怯えながら島村も探すが助手席にも後ろにも何も居ない。
「消えた……幽霊だ。本物だから消えたんだ」
「いいから車を端に避けろ、通行の邪魔だ。警察呼ぶから逃げるなよ」
狼狽える島村に命令すると男はスマホを取りだして通報しながら自分の車に戻っていく、
「幽霊が……事故らせたのか、くそっ! 」
冷静になったのか島村は車を道路脇に停車させると悔しげに呟いた。
直ぐに警察が来て双方から聞き取りをする。詳しい話しは後日となるが島村が余所見をしてブレーキを掛けて後ろの車が追突したと認めたのでお互い怪我も無く、島村が相手の車の修理費を払う事で決着がついた。
その日の夜、仕事を終えた島村が帰り道の渋滞に捕まってのろのろ車を走らせながら車内で愚痴っていた。
「仕事は遅刻だし、修理費はいるし、踏んだり蹴ったりだ」
昼間、事故を起こした相手から電話があって20万近くの修理費を請求された。
「くそっ、ムカつく! 」
怒鳴りながら窓を開けると空き缶を地蔵に投げ付ける。
「ざまぁ見ろ、クソ地蔵が」
カーンという心地好い音を立てて地蔵に当たる空き缶を見て島村が大笑いだ。
渋滞を抜けて家の近くの住宅街をスピードを落として走っていると後部座席に気配を感じた。
『ケケケッ、空き缶捨てちゃダメなんだよ、ケケケケケッ』
島村が振り返ると今朝見た男の子が奇妙な声でケラケラ笑っていた。
「うわぁぁ~~ 」
慌ててブレーキを踏む、幸いな事に島村の車以外に走っていなかったので事故にはならなかった。
急停車した島村の膝の上にゴロンと何かが転がってきた。
『ケケケッ、危ないよ、ケケケケッ』
膝の上に乗る男の子の生首がケラケラ奇妙な声で笑った。
「ひぃぃ~~、幽霊だぁ~~ 」
ドアを開けて飛び出す島村の後ろで生首がゴロッと座席の下に転がっていく、
『ケケッ、ケケケケッ、空き缶捨てちゃダメなんだよ、ケケケッ』
後ろで奇妙な笑いが聞こえるが島村は振り向きもせずに道路の端に逃げていった。
「お化けが……生首が………… 」
しゃがみ込んで震えていると車がやってきて道路の真ん中で止まっている島村の車の手前に停車した。
「島村さん? やっぱり島村さんだ。何してるんです道の真ん中に止めて、故障ですか? 」
近所に住んでいる顔見知りの男を見て島村が自分の車を指差した。
「お化けが……生首が出たんだ」
「生首? 本当ですか? 」
興味を持った男が島村の車を見に行くと直ぐに戻ってきた。
「何もありませんよ、島村さんお酒飲んでるでしょ? ダメですよ飲酒運転は……まぁ家も直ぐそこですし邪魔になりますから早く帰ってください」
「なん……わかった」
飲酒運転していると間違えられても反論もせずに自分の車を見に戻る。
「 ……よかった。何も無い」
安堵すると席に着いて車を走らせる。
「おわっ! 」
足に何か当たって慌てて車を止めた。
「 ……さっき飲んでたコーヒーだ」
島村の足下に空き缶が転がっていた。
「捨てたはずの空き缶が何で…… 」
地蔵に投げ付けたはずの缶コーヒーの空き缶だ。島村の頭の中に『空き缶捨てちゃダメなんだよ』と男の子の声が蘇る。
「居たんだ……幽霊が居たんだ………… 」
島村は震えながらハンドルを握ると何処をどう通ったかも覚えていないがどうにか帰る事ができた。
真っ青な顔で帰ってきた島村を見て妻が声を掛けるが疲れたとだけ言ってそのまま布団に潜り込む。
夜中、島村が目を覚ました。
「喉が渇いた……腹も減ったな」
夕食を食べていないのを思い出し枕元の目覚まし時計を見る。
「なんだ。まだ夜の1時か……何か食うか」
起きようとした島村の腹の上にドンッと何かが乗ってきた。
『ケケケッ、何を食べるの? 僕も食べたい、ケケッケケケケケッ』
島村が寝ている布団の上に車の中で見た男の子が立っていた。
「ひぃぃ…… 」
『ケケッ、ケケケッ、何を食べるの? ケケケケケッ』
恐怖に身を固くする島村を見下ろして男の子が奇妙な声で笑った。
「あぁ……うわぁあぁあぁ~~ 」
布団を巻くって島村が飛び出した。
這いずるようにドアへ向かって逃げる島村の後ろでゴロンと何かが転がった。
『ケケッ、ケケケケッ、これを食べなよ、お腹減ってるんでしょ、ケケケケッ』
言葉に釣られるように見たくないのに島村は振り返ってしまう、
「ひぃぃ……生首が………… 」
腰を抜かしたのかその場で動けなくなった島村の傍へ男の子の頭が転がってくる。
布団の上に倒れていた首の無い身体がムクッと起き上がると島村の手前に転がっている頭を両手で拾い上げた。
『ケケケッ、これを食べなよ、僕の頭、美味しいよ、ケケケケッ』
首の無い身体が男の子の頭を島村に差し出す。
『お腹減ってるんでしょ、食べていいよ、ケケケケケッ』
30センチと離れていない目の前で男の子の青白い生首がニタリと笑った。
「ひいぃぃ……うぁわぁぁ~~ 」
大声を出して暴れている所を妻に抱き止められた。
いつの間にか男の子の幽霊はいなくなっている。島村は全てを話すと妻は疲れているから幻を見ると言って近くの心療内科に相談しに行く事となる。
翌日、仕事を休んで近くの病院へ行くとストレスから不安定になっているのだと言われ薬を処方された。軽度の鬱などに効く薬らしい。
「幻覚か……そうだよな、子供の幽霊に呪われるような事してないからな、そうだ幻覚だ。仕事だけじゃなくて工事の渋滞とかでイライラしてたからな、でももう大丈夫だ。薬を貰ったからな」
車を運転して家へと向かう、カウンセリングを受けて医者に話しを聞いてもらい心も軽くなっていた。
「休みを貰ったし今日は家でのんびりするかな」
工事をしている細い道に差し掛かる。昼間なので渋滞は無いが工事のために片側通行となっているので前から来る車と交互に道を通るので少しの間待たされる。
「飯食って薬飲んで昼寝でもするか」
すっかり安心しきっていると後部座席に気配を感じて島村が振り返る。
『ケケケッ、よかったね、治るといいね、ケケケケケッ』
坊主頭に半袖シャツとズボンを穿いた幼稚園児くらいの子供が座っていた。
「ひぅぅ……幻覚だ。ストレスから精神がおかしくなってんだ」
病院で診てもらった帰りだ。島村は幻覚だと自分に言い聞かせて必死でハンドルを握り直した。
『ケケケケッ、今日は事故らなかったね、ケケケケケッ』
後ろから声が聞こえるが島村は無視して振り返らない。
『ケケケッ、こうやるとね外れるんだよ、ケケケッ』
何が外れるんだと島村はバックミラーで見てしまう、
「うぅぅ…… 」
無視するつもりが驚きに呻きが出た。
男の子が両手で耳の辺りを挟んで首を上に抜いたのだ。
『ケケッ、ねっ、外れるでしょ、ケケケケケッ』
上に伸ばした両手を前に持ってくる。
『ケケケケッ、おじさんの頭も外れるかなぁ~~ 』
助手席と運転席の間から男の子の青白い生首が島村を見つめた。
「おっ、俺の頭を…… 」
『僕が外れるんだからおじさんも外れるよね、ケケケケケッ』
焦る島村を見て男の子の頭がニタリと笑う、灰色に近い青の顔にニタリと開けた口だけが真っ赤だ。
「いっ、嫌だ……消えてくれぇ~~ 」
島村が叫んでブレーキを踏む、急停車した衝撃で男の子の頭が島村の膝の上に転がってくる。
『ケケッ、ケケケケッ、危ないよ、事故っちゃうよ、ケケケケッ』
「生首が……うわぁ! うわぁあぁ~~ 」
叫びながら膝の上の男の子の頭を払い落とす。
『ケケッ、ケケケケケッ』
奇妙な声で笑いながら足下に落ちた男の子の頭が消えていった。
「ああぁ……頭が……幽霊が………… 」
ブルブル震えていると後ろからクラクションが聞こえた。島村が咄嗟に振り返る。
車間距離を大きく取る人だったので事故にならなくて済んだが相手は車の中でカンカンに怒っている。
少し落ち着いたのか島村は車を道路脇に寄せた。通り過ぎていく後ろの車に拝むように両手を合わせて謝る。故障でもしたのかと思ってくれたらしく降りて怒鳴ってくるような事はなかった。
「危なかった…… 」
走っていく車を見ながら島村が呟いた。
「そっ、そうだ。お祓いしてもらおう、幽霊が取り憑いてるんだ。お祓いしてもらおう」
とても幻覚だとは思えなかった。幻覚だったとしてもお祓いしてもらって幽霊が出てこなくなるならいいと島村は町で一番大きな神社へと車を向かわせた。
それなりに由緒ある神社で自身は勿論車もお祓いしてもらう、御札を貰って家だけでなく車にも貼った。妻は気持ち悪がったがこれで安心するならと嫌々納得してくれた。
3日が経った。島村が元気よく家を出ていく、
「やっぱ30分前に出ると空いてるなぁ」
軽い口調で言うと工事している細い道を抜けていく、御札が効いたのか、薬が効いたのか、男の子の幽霊は出てこなくなった。
仕事を終えて夜の7時過ぎに帰路につく、
「幽霊も出なくなったし、彼奴にも心配掛けたからな、ケーキでも買っていくか」
怯えていたのが嘘のようにすっかり元のように戻った島村は心配を掛けた妻のためにケーキでも買おうと普段通る道から外れて手作りのケーキ屋へと車を向かわせた。
「おわっ! 」
角を曲がった所で叫びを上げた。ブレーキを掛けると同時に車に何かがぶつかったショックが伝わる。
「ヤバい!! 坊主大丈夫か? 」
島村が慌てて車から降りていく、飛び出してきた子供を轢いたのだ。
『ケケケッ、大丈夫だよ、頭が外れただけだよ、ケケケケッ』
車の前に坊主頭の生首が転がっていた。
「ひぅっっっぅ…… 」
島村が言葉にならない悲鳴を上げると車の中へと逃げていく、
「なっ、生首が……幽霊が…… 」
慌ててエンジンを掛けるがなかなか掛からない、焦っていると運転席横の窓がノックされた。島村が反射的に振り向いた。
「うわぁぁあぁ~~ 」
頭の無い男の子が窓を叩いていた。早く逃げようとエンジンを掛ける。
「掛かった! 」
前を向いてハンドルを握った島村の目にボンネットに転がっている男の子の頭が映る。
『ケケケッ、轢き逃げするの? 中に入れてよ、ねぇ、入れてよ、ケケケケケッ』
「ばっ、化け物め!! 」
怒鳴りながら車を走らせる。生首がゴロンとボンネットの上を転がって落ちていった。
暫く走って個人がやっているケーキ屋の前に車を止めた。
「中に入れてって言ってたな……御札か? 御札があるから中に入れないんだ」
運転席の上、頭の上に貼ってある神社から貰ってきた御札を見つめてほっと息をつく、安心すると笑いが込み上げてきた。
「ははっ、ふはははっ、彼奴入れないんだ。あの化け物、車に入れないからあんな悪戯しやがったんだ」
冷静さを取り戻すとケーキを買って家へと帰った。
翌日、仕事を終えて帰っていると工事している細い道の辺りで人影が車の前を横切った。
「うおぅ! 」
驚いてブレーキを踏んで車を止める。
ドンッと軽い衝撃が起きて、車のボンネットの上に男の子の頭が転がった。
『ケケッ、事故だよ、中に入れてよ、病院へ連れて行ってよ、ケケケケッ』
「うぅぅ…… 」
行き成りで驚いたが直ぐに落ち着きを取り戻す。
「やっぱりだ。入ってこれないんだ。入ってこれないなら怖くないぞ」
島村がアクセルを踏んだ。
『ケケケケッ、轢き逃げするの? 犯罪だよ、ケケケケッ』
「煩い! 化け物めが!! 」
ボンネットの上を転がって落ちていく生首に悪態をつくと振り向きもせずに通り過ぎていった。
同じような事が数日続いた。神社で貰った御札の御陰で車の中には入ってこれないという安心感と心療内科で貰った薬の効果もあって落ち着いて対処出来るようになっていた。
残業もなく普段より早く帰路についた島村が車を走らせていた。
「こっちの道はもう終わりだな、次はこの道だ。クソ地蔵もこれで見なくて済む」
細い道の二車線のうち一つの工事が最終段階だ。この頃になると他の車も島村のように時間帯を変えたり道そのものを変えたりして長い渋滞は出来なくなっていた。
地蔵の辺りを通り過ぎようとした時、人影が車の前に飛びだしてきた。
「また出やがった! クソがっ!! 」
島村がアクセルを踏んだ。
毎晩のように出る男の子の幽霊にはすでに怖さなど消えている。怖さより忌忌しさが勝ってスピードを出して人影を轢いた。
「ざまぁみろ! クソ幽霊が!! 」
ドンッという衝撃と共にボンネットの上にゴロンと男の子の生首が転がった。
「同じような事しやがってビビるかよ! 」
目の前にある生首に悪態をつく、普段なら奇妙な声で笑う男の子の頭が今日は動かない、それどころか男の子の頭が真っ赤に染まっていた。
「 ……何だ? まさか! 」
本当に人を轢いたのかと慌てて車の外に出た。
「なにっ!? 」
島村が驚いて動きを止めた。ボンネットの上に地蔵の頭が転がっていた。灰色の石で出来た地蔵の頭だ。
「地蔵が……見間違いかよ、クソ地蔵が!! 」
車は地蔵が置いてある台座にぶつかって止まっていた。有力者の息子である悪ガキがバットで殴って頭を落とした地蔵だ。ぶつかったショックで地蔵の足下に置いていた頭が飛んで車の上に転がったのだろう、
「俺の車が……また修理しなきゃならないじゃないかよ、クソ地蔵がっ! 」
ボンネットの上に転がる地蔵の頭を乱暴に何度も叩いた。
「こんなもの移転なんてしないでさっさと撤去して捨てればいいんだよ」
暴言を吐きながら地蔵の頭を両手で抱え持つ、その時、後ろから奇妙な笑い声が聞こえてきた。
『ケケケッ、ケケッ、捨てちゃうの? ねぇ、捨てちゃうのその頭、ケケケケケッ』
聞き覚えのある笑い声に島村が振り返ると台座の上に乗った地蔵の足下に置かれた石で出来た地蔵の頭がケラケラと笑っていた。
「ひぅぅ……なっ、なんで………… 」
驚きながらも何故地蔵の頭がそこにあるのか疑問が浮ぶ、では自分が今持っているものは何なのか? 島村が抱えてあるものを見つめた。
「うわぁあぁぁあぁぁぁ~~ 」
大声で叫びながら抱えていたものを放り投げた。
島村の手から離れて地面に転がったのは地蔵の頭ではなく男の子の頭だ。
「なななっ、なんで……悪ガキが………… 」
一目でわかった。有力者の息子である悪ガキだ。何度も地蔵に悪戯をして挙げ句にバットで殴って地蔵の頭を落とした悪ガキだ。その悪ガキの頭が真っ赤に染まって地面に転がっていた。
『ケケケッ、おじさんが轢いたんだよ、ケケケケケッ』
石で出来た地蔵の頭が奇妙な声で笑う、島村が振り向いて見つめる先、地蔵の台座と車の間に悪ガキの身体が挟まれていた。千切れた首の辺りからまだ血が流れている真っ赤に染まった身体、その手にはマジックが握られていた。地蔵に悪戯でもしようとしていたのだろう、そこへ島村の車が衝突して挟まれて頭が千切れ飛んだのだ。
「ちっ、違う……俺が轢いたのは幽霊だ……子供の幽霊が………… 」
『ケケケケケッ、おじさんが轢いたんだよ、ケケケッ、ケケケケケッ』
奇妙な声で笑う地蔵に島村が殴り掛かる。
「違う! 違う! 俺が轢いたのは幽霊だ。幽霊が……彼奴が…… 」
車で突っ込んで撥ねたのは幽霊でも地蔵でもなく悪ガキだったのだ。
島村は錯乱しているところを警察に取り押さえられた。
その後も子供の幽霊が襲ってくると暴れる島村は心神喪失のため罪に問えないとして磯山病院へ措置入院させられたのだ。
これが島村さんが語ってくれた話だ。
「留置場に暫く入ってたんだ……そしたら悪ガキの幽霊が出てくるんだ。俺が轢き殺した悪ガキがお前が轢いたと言いながら頭を外してぶつけてくるんだ。その様子を坊主頭のガキが見てて奇妙な声でケラケラと笑うんだ」
話を終えた島村は一気に老けたような窶れた顔で引き攣った笑みを浮かべた。
「そんな事があったんですか…… 」
哲也は掛ける言葉が浮んでこない、島村は轢きたくて悪ガキを轢いたのではない、幽霊にしろ心の病にしろ、それから逃れようとして起こした事故だ。それがわかっているから刑務所ではなく措置入院になったのだ。
悩むような哲也を見て島村が引き攣ったような笑みのまま続ける。
「信じてくれたようだな、哲也くんが明かりを点けて寝てもいいって許可を取ってくれた御陰で今日はぐっすり眠れそうだよ、本当にありがとうな」
「僕はそんな……島村さんが困ってたから………… 」
礼を言われて照れる哲也の向かいで島村が腰を上げた。
「長い話しを聞いてくれてありがとう、一緒に晩御飯を食べに行こうか」
いつの間にか夕食の時間になっていた。
「もうこんな時間か……すみません、僕は夕方の見回りがありますから」
「そうか、警備員も大変だな」
「大変ですけど島村さんみたいに感謝してくれる人もいますからやり甲斐はありますよ」
哲也はペコッと頭を下げて部屋を出て行った。
「早く見回りしないと、嶺弥さんたちもうやってるぞ」
急いでC棟を出て行くと何気なく振り返って島村の部屋を見上げた。
「何だったんだろう? 足場は無いし、映るような影も無いぞ、鳥にしては真ん丸だったし………… 」
窓にひょこひょこ見えていた丸いものを思い出して嫌な気配は感じなかったが何か憑いているのかも知れないと哲也は思った。
深夜3時、哲也が見回りでC棟へと歩いて行く、
「あれ? 何で明かり消えてるんだ。看護師さんが消したのかな」
島村の部屋を見上げて哲也が首を傾げた。部屋が真っ暗だ。夜10時の見回りでは点いていた明かりが消えていた。
「何かあったのかな? 」
哲也は胸騒ぎを感じて駆け出した。
見回りを後回しにして島村の部屋へと向かう、
「うわぁあぁ~~、来るな……止めろ……止めてくれぇ~~ 」
悲鳴が聞こえてノックもせずに部屋へと入る。
「島村さん大丈夫ですか!! 」
ベッドを見るが島村は居ない、哲也は直ぐに明かりのスイッチを入れる。
「あれ? 何で? あっ、点いた」
何故か一度では明かりは点かない、スイッチを二度押すと明かりが灯った。
「止めろ……俺が悪かった……幽霊だと思ったんだ…………助けてくれぇ」
島村は部屋の隅で布団を被って震えていた。
話しを聞いていた哲也は何があったのか直ぐにわかった。悪ガキの幽霊が出たのだと。
「島村さん、もう大丈夫ですよ」
優しく声を掛けながら部屋を見回す。異常は何も無い、ふと窓を見た。
「大丈夫ですよ…… 」
窓に何も居ないのを確認して哲也自身も安堵して呟いた。
「明かりが……哲也くん…………また出たんだ。悪ガキの幽霊が頭をぶつけてくるんだ。血塗れの頭を………… 」
ブルブルと震える島村を安心させようと哲也が笑みを作って優しく声を掛ける。
「もう大丈夫ですからね」
言いながらナースコールを押した。ランプは光っているので看護師が来るはずだ。
島村を落ち着かせるように声を掛けながら暫く待ったが看護師は来ない。
「看護師さんを呼んできますから少し待っててください」
「てっ、哲也くん、一人にしないでくれ」
「直ぐに戻りますから」
まだ震えている島村を置いて哲也が走って行った。
1階のナースステーションへ行くと事のあらましを話す。看護師たちは慌ててナースコールを確認するが何処にも異常は無い、島村が押したというナースコールは勿論、駆け付けた後に哲也が押したものも伝わっていなかった。
哲也の言っていた事が嘘では無いと証明されたがナースコールは壊れていない、何故か深夜にだけ島村の部屋のナースコールが使えないのだ。
哲也は看護師を2人連れて島村の部屋へと戻る。
「ああ……哲也くん戻ってきてくれたんだね」
島村は布団を被りながら椅子に座って震えていた。
「看護師さんを連れて来ました。もう大丈夫なので安心してください」
哲也の顔を見て安堵した島村に女性看護師が近寄っていく、
「島村さん、どうしました」
女性看護師がしゃがむと声を掛けながら島村の脈を取る。
「幽霊が……子供の幽霊が出たんだ」
「幽霊? 見間違いですよ、ちゃんと薬を飲みましたか」
震えながらこたえる島村を見てまたかと言うように男性看護師が訊いた。
「見間違いじゃない……本当に出たんだ。薬はちゃんと飲んだ。幻覚なんかじゃない、本物の幽霊だ。ガキが……悪ガキが頭を外してぶつけてくるんだ」
ムッと怒ってこたえる島村の脈を測っていた女性看護師が立ち上がる。
「異常無し、顔色は少し悪いわね、眠れないのなら薬を渡しますけど、どうします? 」
「睡眠薬はいらない、それより明かりを消さないでくれ、消さないって約束だろ、何で消したんだ」
責めるような島村の向かいで女性看護師が慌てて口を開く、
「私は消してませんよ、0時頃に見回った時は点いてましたよ」
女性看護師が男性看護師を見つめた。
「俺も消してないぞ、俺は2時前に見回ったけど明かりは点いてた。話しは聞いていたから消すなんてしてないぞ」
違うと手を振りながら言うと男性看護師が島村に振り返る。
「じゃあ、誰が……島村さん、詳しく話してくれ」
怪訝な顔をして島村が話を始めた。
「誰も消してない……そんなはずないぞ、目が覚めたら明かりが消えていて……看護師さんが消したのかと点けに行こうとしたんだ。そしたら……そしたら悪ガキが足下に居たんだ。ナースコールを押す俺に頭をぶつけてきたんだ。怖くて飛び起きて震えていたら哲也くんが来てくれたんだ」
話しの流れで島村だけでなく看護師たちも哲也を見つめた。
「僕が来たときには明かりは消えてました。見回りでC棟に入ろうとして島村さんの部屋を見上げたら真っ暗で明かりが点いてなかったんで慌てて駆け付けたら幽霊が出たって……それでナースコールを押しても誰も来ないから看護師さんを呼びに行ったんです」
哲也が自身も思い出すようにして説明した。
話しを聞いていた男性看護師が思い付いたように口を開いた。
「誰も消していないなら他の患者が気を利かせて消したんだよ」
「そうね、患者さんには島村さんの部屋の明かりの事は伝えてなかったわね」
女性看護師が同意するように言うと島村のベッドを整える。
まだ震えている島村を落ち着かせようと看護師たちが島村の仕事の話しなど何気ないことを話し掛ける。
その様子を見ながら哲也が呟く、
「そういや、スイッチを二度入れたな…… 」
考えていた哲也がハッと思い付く、
「誰も消してない……僕がスイッチを切ってまた入れたんだ」
哲也が押す前に照明のスイッチは『入』になっていた。それで一度目に押した時には点かなかったのだ。当然だ。『入』になっていたスイッチを『切』にした事になるからだ。次に押して『入』になって明かりが灯ったのだ。
「スイッチを押さずに明かりを消すなんて…… 」
誰がそんな事が出来るだろうか? 接触不良でそういう事もあるかも知れないが島村さんのは違うと思った。その時、ふと気になって窓を見た。
「なん!? 」
窓にひょこひょこ丸いものが見えた。背の低い子供が飛び跳ねて窓から中を覗いているような感じだ。
子供じゃない、あれはお地蔵様だ。ソフトボールくらいの丸い頭を見て哲也にはわかった。嫌な気配を感じないのはお地蔵様だからだと思った。
「みんな窓を…… 」
看護師たちに見てもらおうと声を掛けようとしたときには既に丸いものは見えなくなっていた。
「哲也くん、どうしたんだ? 」
看護師たちとの日常会話ですっかり落ち着いた島村の顔を見て哲也は話すのを止めた。
「何でもありません、見回りの途中だったのを思い出して……じゃあ、僕はこれで」
ペコッと頭を下げると哲也は部屋を出て行った。
見回りを再開した哲也が階段を上がりながら呟く、
「明日話そう、今話したら看護師さんに怒られるからな」
島村が見ている幽霊は子供ではなく地蔵ではないのかと訊きたかったが看護師も居るし深夜と言う事もあり止めたのだ。
翌日、昼食を終えると哲也は島村に話しを聞きに行った。
「おお、哲也くんか、なんだい? 何でも訊いてくれ」
二度も助けて貰った哲也の事を信用しきっている島村は笑顔で応じてくれた。
哲也が出てくるのは子供の幽霊ではなくてお地蔵様ではないかと昨日見た窓に映る丸いものの話しをすると島村はガタガタと震えだした。
「ハッキリ見えたわけじゃないけど人って言うより石みたいな灰色だったからお地蔵様なんじゃないかと思うんだけど…… 」
「ほっ、本当か? 本当に見たんだな」
震えながら訊く島村の向かいで哲也が頷く、
「島村さんに嘘なんてつきませんよ」
「そうだな……哲也くんが嘘なんてつかないよな」
ガタガタ震えながら島村が話を始めた。
「悪ガキがバットで殴って地蔵の頭を落としたって前に話しただろ」
「はい、聞きましたよ、地蔵に悪戯ばかりする悪ガキだって、権力者の息子で誰も文句が言えないってそれがどうかしたんですか? 」
縋るように見つめていた島村の目がいつの間にかぎらついている。
「ふへへ……確かにバットで殴った。でもな、でもそれで頭が取れたんじゃない、悪ガキが悪戯する前に俺が車をぶつけたんだ。それで地蔵の頭が外れたんだ。流石にヤバいと思ってな、その時、前にぶつけたときに修理に使ったパテが残ってるのを思い出してな、それで、そのパテで地蔵の頭をくっつけたんだ。自動車の修理用のパテだからカチコチにくっついたよ、色も灰色で目立たないしな」
一呼吸置いて続ける島村の口元が引き攣ったように歪んでいた。
「でもバレたらどうしようか怖くてな、そんな時に道路の拡張話しが出てきたんだ。それでバレる前に地蔵を撤去させようと思って自治会の連中に話しをしたんだが撤去じゃなくて公園に移転するって事になってな……そんな時に悪ガキがバットで地蔵を殴ってくれて頭を落としたのが俺じゃなくて悪ガキの所為になったんだ」
哲也を見つめて島村がニタリと不気味に笑った。
「憎たらしい地蔵を見なくて清々してたらな、悪ガキの親がさ、自分の子を供養するために元の場所に新しい地蔵を作りやがってな、古い地蔵も頭を修復して新しい地蔵の横に置く事になったんだ。邪魔な地蔵が2つに増えやがった」
話している島村の目付きが異常だ。
「ひへっ、ひひ……そいつらが俺に祟ってんだ。頭をぶつけてくる悪ガキとケラケラ笑う坊主頭のガキ……彼奴ら地蔵だ。地蔵だったんだ」
「事故って地蔵の頭が取れたときに何で正直に言わなかったんです? 」
間違いなく地蔵の仕業だと哲也も思った。普段から悪戯する悪ガキを島村さんの車に轢かせたのも、何度も車をぶつけた島村さんも、地蔵が2人に罰を与えたのだと思った。
「ふへっ……ふへへへっ……旨く行ったと思ったのに…………悪ガキじゃなくて地蔵が……地蔵が祟ってるんだ」
話しを聞いていないのか哲也にこたえずぎらついた目で続ける。
「ふへへっ、ふへっ……どうしよう哲也くん、地蔵の祟りなんて…… 」
「どうしようって……すみません、夕方の見回りがあるから僕はこれで」
島村の異常な目付きに嫌なものを感じて哲也は逃げるようにして部屋を出て行った。
その日の夜、哲也は夢を見た。
半袖シャツにズボンを穿いた坊主頭の男の子に手を引かれて病院内の敷地を歩いていた。
『こっちだよ、こっちだよ、ケケケケケッ』
奇妙な声で笑いながら歩く男の子に哲也は何の疑問も持たずについていく、
『この奥に居るよ、ずっと居たんだよ、ずっとここがいいんだよ、この場所じゃなきゃダメなんだよ、ケケケケケッ』
誘われるように藪の中へと入ると苔むした地蔵が建っていた。
「こんな所にお地蔵様があったのか…… 」
『ずっとここに居たんだよ、ここがいいんだよ、ケケケケケッ』
眩しい光を感じて哲也が目を覚ます。
「変な夢見たなぁ~~、島村さんに変な話しを聞いたからだな」
ケラケラと奇妙な笑い声が耳に残っていた。
「まだ6時だ。朝ご飯はいいから昼まで寝よう」
テーブルの上の目覚まし時計で時間を確認すると布団に潜って二度寝した。
島村が行方不明になる。寝ていた哲也も9時過ぎに香織に叩き起こされた。
「哲也くん、島村さんが行きそうな所知らない? 患者さんの中で一番親しかったでしょ? 何でもいいから思いだして頂戴」
「そんな事言われてもなぁ…… 」
二度寝でボケた頭で考えるが島村の行きそうな場所など思いつきもしない。
朝から看護師や警備員が総出で探したが見つからない、昼まで探して見つからなかったら警察に通報するという事になり哲也も捜索に加わった。
哲也は警備員の嶺弥と一緒に建物の外を探す。何処かの草むらに倒れている事も考えられるので長い棒を嶺弥に渡された。これで草を掻き分けて探すのだ。
普段行かないF棟の向こう、遊歩道を探していた哲也が脇にある藪の前で立ち止まる。
「何処かで見た事が……あっ!! 夢だ。夢で見た場所だ」
夢で見た男の子に手を引かれて入っていった藪と目の前の藪が同じである事に気が付いた。その藪から道が出ていた。草に覆われて一見すると獣道のように見えるが所々に平たい石が置いてあるので人工的に作った通路らしい。
「嶺弥さん、この先は何があるんですか? 」
藪から見える道を哲也が指差した。
「こんな所に道が……知らないな、何処に続いているんだ? 」
嶺弥が長い棒を使って藪を掻き分けて入っていく、
「誰も入った形跡なさそうですよ、嫌だなぁ…… 」
夢の通りに地蔵があったら気持悪いなと思いながら及び腰で哲也も続いた。
先を歩いていた嶺弥が大声を出す。
「島村さん! 」
「マジっすか? 」
後ろから哲也が顔を出す。
「島村さん、よかった無事で…… 」
哲也が言葉を飲み込んだ。地面に座り込んだ島村の横に苔むした地蔵があった。
「ふひっ、あへゃへゃ……ぐひぃ……ひひぃぃ…………はひゃひゃへぇぇ」
虚ろな目をした島村が地蔵に抱き付いて頭を撫でていた。
「先生を呼んでくるからここは頼んだよ」
驚いて動けない哲也の横を嶺弥が走って行った。
「夢で見た地蔵だ。島村さん…… 」
険しい顔をして哲也が呟いた。島村はもうダメだろう、色々な患者を見てきた哲也には直ぐにわかった。
島村の意識は戻る事がなく隔離病棟へと移された。
人の背丈と同じくらいある藪の中に建つ苔むした地蔵の事は先生たちも知らなかった。いつ誰が建てたのか、地蔵の様子から病院が建つ前にあったのではないだろうか?
島村はどうやって地蔵の事を知ったのか、何も知らずに彷徨って地蔵の場所に辿り着いたのか、誰にもわからなかった。
車をぶつけて地蔵の頭を落としたのを隠すために撤去を言い出した島村と普段から悪さをする悪ガキ、二人に地蔵が罰を与えた形になるが哲也は違うと考える。
子供を見守り助ける地蔵がこれ程酷いことをするだろうか? 再起不能になるまで島村に祟るだろうか? 二人を犠牲にすることで地蔵は元の場所から移動されなくて済んだ。
夢の中で坊主頭の男の子が言っていた『ずっとここがいいんだよ、この場所じゃなきゃダメなんだよ』という言葉が気に掛かった。
神仏を下手に動かすのはよくないと聞いたことがある。哲也の頭の中に嫌な考えが浮んだ。道路脇から動くのが嫌で身代わり地蔵が二人を身代わりにしたのだと……。
哲也は藪を刈って地蔵の周りを掃除すると花と饅頭を供えて手を合わせた。