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第十一話 嘘

 嘘と聞くと何を思い浮かべるだろうか? 昔ついた嘘、今ついている嘘、騙された思い出、イソップ寓話の狼少年を思い出す人もいるだろう。

 嘘には楽しい嘘と悲しい嘘と優しい嘘と悪意ある嘘がある。


 幼い頃に小さな嘘をついてバレないかドキドキした経験がある人も多いだろう、バレなくてほっとするか、バレて怒られて泣きながらも安堵するか、どちらも気持ちのいいものではない、そう思ってもう二度と嘘をつかないでおこうと誓うのだが子供だからか直ぐに忘れて同じような事を繰り返してしまう、そうやって大人になっていくのだろう。

 大人になった今でも嘘をつく人は多い、相手を思っての嘘や話しをスムーズに進めるためのちょっとした嘘などは誰でもつくだろう、嘘が犯罪になると詐欺である。騙して金品をせしめるのだ。虚言癖となるともはや病気である。


 哲也も小さい嘘をよくつく、磯山病院に入院してからは怪異な話しを聞くためにつくことが多い、たわいない嘘なので心はあまり痛まない、バレても冗談と済ませるような嘘ばかりだ。とんでもない嘘をつく人は何故そんな事をするのだろうと思う、そんな虚言癖の病人と知り合った事がある。信じてやればよかったと哲也は今も後悔している。



 ある天気の良い日、昼食を終えた哲也はジュースを飲みながら日向ぼっこをしていた。


「気持ちいぃ~~、あの芝生でゴロンって寝たいけど倒れたと思って騒ぎになるよな」


 ベンチの向かいにある芝生を見ながら独り言だ。


「コーラじゃなくてビールなら最高なんだけどな……ああ、何か眠くなってきた」


 ベンチで横になろうとしてハッと思い止まる。


「なんか爺みたいだな、こんなところ香織さんに見られたら笑われるぞ」


 見られていないかと辺りを見回す哲也の目に10メートル程離れたベンチに座っている女が映った。


「何だ? 」


 哲也と目が合うと女が右手を縦横に振り始めた。


「踊りにしちゃ変だけど……あっ! 」


 女の動きを思い出した。九字だ。怪異が好きな哲也は覚えていた。テレビか何かで見たことがある。九字切りだ。臨兵闘者皆陣列在前と唱えながら指で縦に4線、横に5線を書く護身の法である。


「なっ、なんで僕に向かって九字を切るんだよ…… 」


 弱り顔の哲也の元へ女が歩いてきた。


「貴方、悪い霊が憑いてるわよ」

「へっ!? 」


 真面目な顔で話す女の前で哲也がぽかんと呆れ顔だ。


「う~ん、そうねぇ……先祖が悪いことをしたのね、それで悪霊が憑いてるのよ、だから病気になって入院させられたんだわ」

「先祖がどうこう言われても……入院って? お姉さんも患者でしょ? 」


 呆れる哲也に構わず女が続ける。


「土地神が怒ってるわよ、先祖が聖域に悪さをしたのよ」

「あのぅ……話しがまったくわからないんですけどぅ………… 」


 哲也が小さな声で聞き返す。神様とか言い出す患者は多い、目の前の女もその手の類いだろうと刺激しないように言葉を選ぶ。


「はいはい、わかってます」


 女がわかっているというように哲也の前で手を振った。


「私は幽霊が見えるのよ、霊能力者よ、それで貴方に悪い霊が憑いているのが見えたから祓ってあげようと思って来たのよ」


 やっぱり……、哲也の目が残念な人を見る目付きに変わった。

 好きなタイプなら嘘とわかっていても相手をするのだが残念なことに目の前の女は哲也の好みのタイプではなかった。


「済みません、僕は患者じゃなくて警備員ですから、悪霊が憑いて入院させられたんじゃないですから」


 相手を刺激しないようにやんわりと言いながら哲也が腰を上げた。


「私が嘘をついているって言うの? 」


 立ち去ろうとした哲也の腕を女が掴んだ。


「いや、そういうつもりじゃ……なん? 」


 言い訳しようとした哲也が女の足下を見て目を見張る。細長い白いものが女の左足首に巻き付いていた。


「それって蛇ですか? 」


 哲也が指差すと女が左足首を見る。


「何言ってんの? 蛇なんていないじゃない」


 女が怪訝な顔付きでこたえた。


「えっ!? いやそこに…… 」


 言いかけて言葉を止めた。哲也の見つめる先で白い蛇のようなものがすーっと消えていったのだ。

 哲也をじろじろ見ながら女が口を開く、


「貴方、本当に警備員なの? 服が違うようだけど……患者じゃないの? 」

「けっ、警備員ですよ、ちゃんと見回りもしてますからね」


 少し焦ってこたえると哲也が続ける。


「霊能力者って凄いっすね、それで僕にはどんな霊が憑いているんですか? 」


 哲也は本物の警備員ではない事を誤魔化すように話を変えた。


「そうよ、私には見えるんだから…… 」


 喜々として話を始める女の向かいで哲也がほっと胸を撫で下ろす。


「そうねぇ、貴方には土地神が祟っているわね」

「土地神ですか? 」


 そうねぇって今考えただろ……、哲也は事を荒立てまいと愛想笑いで頷くだけだ。


「そうよ、貴方の先祖が神聖な場所に悪さをしたのよ、それで神様が怒ってるのよ、このままだと大変なことになるわよ」

「マジっすか? 祟らないようにするにはどうしたらいいんですか? 」


 真剣な顔で話す女に哲也が訊いた。ハッキリ言ってまったく信じていないが女が何を言うのか興味が湧いたのだ。


「私に任せなさい」


 女が座っている哲也の頭に左手を置いた。


「臨兵闘者皆陣列在前! 」


 哲也の頭の上に左手を置いたまま右手で九字を切る。


「なっ!! 」


 哲也は思わず吹き出しそうになるのをぐっと堪えた。そこらの幽霊ならともかく土地神様に九字切りなど通用するとは思えない。


「これでいいわ、私が祓ってあげたからね、あとは部屋の四隅に塩を盛りなさい、それで祟りは静まるわよ」

「はぁ……ありがとうございます」


 納得した様子でうんうん頷く女に哲也が気の抜けた声で礼を言った。


「私は早瀬美香はやせみか、貴方、名前は? 」


 女がしゃがむと哲也の顔を覗き込む、好みのタイプではないが直ぐ傍に顔を近付けられて哲也の頬が赤く染まる。


「早瀬さんっすか、格好いい名前ですね、僕は中田哲也です。中田って名前は先生や看護師さんに何人かいるので哲也って呼んでください」

「哲也くんね、わかったわ」


 お世辞を言う哲也にニッコリと微笑むと早瀬が隣に座った。


「この病院は危険ね、危ない霊が沢山いるわ、哲也くんに憑いてた霊なんて可愛いものよ」

「まぁ心の病の人が入ってくる病院ですからね、患者さんには色々いてもおかしくはないですよね」


 得意気に話し出す早瀬に哲也が適当に合わせる。


「それもあるけど、患者だけじゃないわよ、先生や看護師にも悪いのがいっぱい付いてるわよ」

「そうなんですか? 見えるなんて凄いっすね」


 変に反論して争うのもバカらしいと益々得意になる早瀬を持ち上げた。

 適当に相槌を打ちながら暫く話していると向こうから看護師の香織がやってきた。


「哲也くん、こんな所にいたんだぁ」

「あっ、香織さん」


 香織を見て哲也の顔がパッと明るくなったのを早瀬は見逃さない。


「探してたのよ」

「マジっすか? 何の用です。何でも言ってください」


 嬉しそうな哲也の隣りに座っている早瀬に香織がペコッと頭を下げる。


「もう仲良くなったの? 哲也くん、さっすがぁ~~ 」


 香織の棘のある言い方に哲也が慌てて口を開く、


「そっ、そんなんじゃないから……さっき知り合って……霊が見えるって言うからお祓いしてもらっただけだから」


 哲也を無視するかのように香織が早瀬に声を掛ける。


「早瀬さん、病院には慣れましたか? 」

「別に……病院なんて何処でも一緒でしょ? 」


 優しく声を掛ける香織に早瀬がムスッとこたえた。


「そうね、入院して楽しいなんてないわよね、何かあれば言ってね」


 弱り顔の香織に哲也が助け船を出す。


「ところで香織さん、僕に何か用っすか? 」

「そうそう、手伝ってもらおうと探してたのよ、晩御飯食べたら机運ぶの手伝ってくれない? 新しいのと入れ替えるのよ」

「任せてください、夕食の後ですね」


 嬉しそうに引き受ける哲也の隣で早瀬がつまらなさそうに鼻を鳴らす。


「ふ~ん、警備員ってそんな事もするんだ」

「違う、警備員って言っても僕は…… 」


 本当のことを話そうとした哲也の言葉を香織が遮る。


「そうよ、哲也くんは特別なの、色々手伝ってくれて助かってるのよ」

「香織さん…… 」


 庇ってくれた香織を見つめる哲也の恋しているような目付きを早瀬が苦々しい顔で見ていた。


「頼んだわよ、じゃあ、後でね」

「はい、飯食ったら直ぐに行きますよ」


 嬉しそうに返事をする哲也に手を振ると香織は歩いて行った。

 座っている哲也の腿を早瀬がポンポン叩いた。


「あの女と付き合ってるの? 」


 ぼーっとしていたところに突然訊かれて哲也が焦る。


「えっ!? ちっ、違う……香織さんは看護師で……優しいから……だから…… 」


 どぎまぎして言葉にならない哲也を見て早瀬がニッコリと微笑んだ。


「そうなんだ。付き合ってないんだ。良かった」

「なっ……うん、付き合いとかそういうんじゃない……僕は………… 」


 僕は好きなんだけどなと言おうとした哲也に早瀬が抱き付いた。


「哲也くん」

「なっ!? ちょっ、ちょっと…… 」


 突然のことに驚いて動けない哲也の耳元に早瀬が口を近付ける。


「あの女はダメよ、悪い霊が憑いてるわ、私でも祓えないくらいの悪霊よ、あんなのと付き合えば哲也くんも地獄に落ちるわよ」

「香織さんに……っていうか香織さんとはそういうんじゃないから」


 ドキドキして香織を好きだと言おうとした事とは反対のことを言ってしまう哲也を正面から早瀬がじっと見つめる。


「そうなの? 私には嬉しそうに見えたけどなぁ」

「ちっ、違うから……香織さんは看護師で……時々話しをするだけだから………… 」


 焦りまくる哲也の態度に早瀬が嬉しそうに口元を歪めた。


「本当ぅ? それなら遠慮しなくていいわよね」

「遠慮って? 」


 哲也の質問には答えずに早瀬が一方的に話し出す。


「私は病気じゃないのよ、それなのにこんな病院に入れられて……薬とかバカみたいに飲まされてさぁ……周りに居るのもおっさんとか爺ばかり……同い歳くらいのも変なヤツばかり、まともなのは哲也くんくらいよ」


 言いながら早瀬が体を押し付けてくる。


「私も病気じゃないし哲也くんも警備員さんだし、お互いまともでしょ、だから仲良くしようよ」


 唇が触れるくらい、いや、何度か頬に唇が当たっていた。意外に大きな胸が哲也の二の腕を挟み込んでいる。

 好みのタイプではないが哲也は真っ赤になっていた。


「ちょちょちょっ……早瀬さん……ダメだから………… 」

「なぁに? 何がダメなの」


 艶のある潤んだ目で見つめ甘え声を出すと早瀬が哲也の頬にキスをした。


「違う! あの……そろそろ夕方の見回りだから」


 哲也は飛び上がるとペコッと頭を下げて走って行った。


「うふふっ、哲也くん可愛いぃ~~ 」


 走り去る哲也の背に声を投げると早瀬の顔付きがさっと変わった。


「でもあの女は邪魔ね」


 哲也と話していた優しい顔とは全く違う恨むような顔付きで呟いた。



 夕方の見回りを終えて食事を食べ終わると香織の手伝いをしに哲也がナースステーションに向かう、


「土地神の祟りだって、神様なんかに祟られたら今頃死んでるっての……まぁ気持ち良かったけど………… 」


 早瀬に抱き付かれたのを思い出して弛んだ頬をパンパン叩く、


「でも香織さんに見られたら大変だぞ……何なんだろうな早瀬さんって……何が霊能力者だ……自分に憑いてるヘビみたいなの見えてないじゃないか」


 独り言を言いながら長い廊下を歩く、早瀬は好みのタイプではないがハッキリ言って抱き付かれたのは嬉しい、だが感情の起伏の激しさや人の話をまったく聞かない態度など心の病を負っている人特有の症状に余り近付かない方がいいのではないかと考えていた。


「何の病気で入ったのか香織さんに聞こう」


 階段を下りて一階のナースステーションへと入っていく、


「おぅ来たな」

「嶺弥さんも? 」


 本物の警備員である須賀嶺弥が哲也を見て『よう』と言うように手を上げた。

 奥から笑顔の香織がやってくる。


「哲也くん、待ってたわよ」

「僕はともかく嶺弥さんにまでこんな事頼んで…… 」


 哲也がじとーっと香織を見つめた。


「だって哲也くん一人じゃ大変でしょ」

「いや、そういう事じゃなくて…… 」


 ケロッとした顔で言う香織に文句を言おうとした時、後ろから哲也の背を嶺弥がドンッと叩いた。


「あはははっ、少し早めに出勤してきたら捕まっちゃった。香織さんに頼まれたら断れないからな」


 夜勤続きで大変なのに楽しそうに笑う嶺弥を見て哲也は文句を言う気もなくなった。

 香織が使い古した事務机をポンポン叩く、


「この机をロビーに運んで頂戴、それで新しい机がロビーに置いてあるから交換で持ってきて欲しいのよ」


 香織の後ろで女性看護師たちが話し出す。


「うちの男共は忙しくてさ」

「鉄の机を2つも入れ替えるからね、女の子だけじゃ大変だから…… 」

「そうそう、か弱い女じゃ重くて運べないからね」


 いつも怒鳴ってるくせに何がか弱いだ……、哲也は喉元まで出てきた言葉を飲み込んだ。


「まぁ、そういう事だからさっさと運んじまおう」


 作業着の裾を捲ると嶺弥が机に手を掛けた。反対側で哲也も机を持ち上げる。


「頑丈にできてるだけあって結構重いっすね」


 机を運び出す二人に香織が声を掛ける。


「じゃあ、頼んだわよ、終ったらケーキあるから一緒に食べましょう」


 哲也がバッと振り返る。


「マジっすか? やる気出てきたっす」

「香織さんたちとお茶出来るなら悪くないな」


 嶺弥も乗り気だ。


「嶺弥さん、さっさと片付けましょう」


 急にやる気を出した哲也と嶺弥が重い机を運んでいくのを見て香織だけでなく他の看護師たちも楽しそうに声を出して笑った。



 30分程で机の入れ替えが終り、約束通りケーキを御馳走になる。

 何も物が置いていない新しい机を哲也たちが囲む、香織入れて女性看護師が5人に哲也と嶺弥を入れて7人で和気藹々(わきあいあい)でケーキを食べる。


「早瀬さんは何の病気なんですか? 」


 思い出したように訊いた哲也を香織が睨み付ける。


「他の患者さんの事は話せません」


 嶺弥や仲間の看護師が居るので普段より怖い顔だ。当然だ。本来なら話していいことではない。

 哲也が慌てて違うと手を振った。


「違うんです。一寸問題あるから聞いといた方がいいと思って……嶺弥さんも気を付けた方がいいと思うから」


 昼間、早瀬が幽霊が見えると言ってお祓いされたことから抱き付かれたことまで全て話した。もちろん蛇のようなものが見えたことは話していない。


「また女の子にちょっかい出したのね」


 じろっと睨む香織と並んでケーキを食べていた女性看護師たちが一斉に話し出す。


「哲也くんってそんな人だったんだぁ…… 」

「真面目だって思ってたのに……評価変わっちゃうな」

「いや、結構格好良いからね哲也くんは……まぁそれなりにモテるでしょ」

「患者じゃなくて嶺弥さんみたいに働いてるなら付き合ってもいいってくらいには格好良いわよね、私なら嶺弥さんを選ぶけど」


 哲也の品評会が始まった。中の1人はあからさまに嶺弥に気があるのがわかる。


「哲也くんはいいヤツだよ、男から見ても信用出来るし、まぁ女の子に弱そうなのは本当だけどね」


 嶺弥にまでからかわれて哲也が香織に泣き付く、


「違うから……僕からは何もしてないです……っていうか僕は被害者みたいなものですから……香織さん助けてください」

「あははははっ、わかってるわよ、早瀬さんなら仕方無いわよ」


 楽しそうに大笑いすると香織が続ける。


「本当はダメなんだけど年齢の近い哲也くんや嶺弥さんには話しといたほうがいいかな、言い寄られて勘違いしたり逆に勘違いさせるといけないからね」


 同意を求めるように香織が他の看護師たちを見回す。


「そうね、嘘をついて困らせることもあるかも知れないから話してもいいんじゃない」

「哲也くんと嶺弥さんなら他の患者に言い触らしたりしないから大丈夫でしょ」


 同僚たちの同意を得て香織が説明してくれた。



 早瀬美香はやせみか20歳、虚言癖のあるパーソナリティー障害、演技性人格障害だ。

 演技性人格障害えんぎせいじんかくしょうがいとは、注目されたい、目立つために自分を飾り立てる。他人を過度に挑発する。異性に対しては性的誘惑をする。気分が不安定で頻繁に変わる。周囲の影響を受けやすい、話しは凄いが大雑把など、目立って構ってもらいたくて嘘も平気でつく心の病だ。


 注目されたい、過度に自分を飾り立てたい、自分は人とは違うと思わせたい、この様な事で嘘をつくのだ。ぶっちゃけ『かまってちゃん』である。

 嘘に嘘を塗り固めてバレるとキレたり自殺未遂など自傷行為をすることもある。これもその場を逃れるための嘘だ。死ぬつもりなど全く無い、他人を巻き込むことも多い厄介な病である。


 早瀬が磯山病院に入院させられたのも霊が見えると嘘をついて知人から金品を騙し取ったのを訴えられたからだ。入院させるので刑事事件にしないで欲しいと親が頼んで相手が示談したのだ。


「彼女の話す事は信じちゃダメよ、全部嘘だからね、酷い虚言癖だからね、幽霊が見えるとか霊能力があるとか全部嘘だからね」


 付け加えるように言った香織の向かいで哲也がわかったと言うように頷いた。


「虚言癖か……何で直ぐにバレるような嘘つくんだろう」


 哲也の心配するような顔を見て香織が優しい目をして口を開く、


「本人は何も悪いと思わなくて嘘をつくからね、何度も嘘をついているうちに自分でついた嘘を本当だと思い込んで霊能力者だとか言い出すことも多いのよ」

「土地神が祟ってるとかあからさまだったから直ぐに嘘だってわかったけど早瀬さんはマジ顔で嘘ついてる目じゃなかったもんな、あの顔で言われたら不安定になってる人とかは騙されちゃうんだろうな」


 哲也の隣でケーキの最後の一切れを口に放り込んで食べていた警備員の嶺弥が戯けるように話し出す。


「嘘をついている後ろめたさや悪気が無いから表面からはわからないんだよ、自信たっぷりで言われると信じる人も出てくるって事さ」

「哲也くんは怖い話しとか好きだから特に気を付けるのよ、話が合うってわかったら早瀬さん何するかわからないわよ」


 向かいで注意する香織を哲也が見つめる。


「でも何で嘘をつくようになったのかな、こういうのって切っ掛けがあるよね、嘘をつかなきゃ生きていけなかったとしたら悲しいよね」


 寂しそうに話す哲也の背を隣りに座る警備員の嶺弥がドンッと叩いた。


「色々あるさ、だからここに入ってきたんだろ、嘘とわかった上で付き合ってあげればいいんだよ、酷い嘘だといけないことだと叱ってやればいい、焦らずゆっくりとな、ここはそういう病の人が集まる病院だからな」


 話し終えると嶺弥が腰を上げた。


「そろそろ夜勤の引き継ぎに行かないと」


 壁に掛かる時計をちらっと見て哲也も立ち上がる。


「御馳走様、また何かあれば呼んでくれればいいよ」

「御馳走様です。僕もこんな手伝いならいつでも大歓迎ですよ」


 会釈する嶺弥の隣で哲也が満面の笑みを浮かべて言った。


「あっ、そうだ。早瀬さんの部屋って何処なんです? 」

「ええーっと、B棟の215号室よ」


 去り際に哲也が訊くと書類を見ながら香織が教えてくれた。

 いつの間にか午後8時前になっていた。夕食を食べた後7時前から手伝ったから彼此1時間ほどナースステーションに居たことになる。



 翌日、昼食前に建物内をぶらぶら歩いていた哲也はレクリエーション室に人だかりが出来ているのを見つけた。


「貴方の守護霊は室町時代の武士ね」


 人だかりの真ん中で早瀬が男性患者の頬や胸に手を当てて何やら呪文のようなものを唱えていた。若い女に触られて男共は嬉しそうな表情だ。


「虚言癖か…… 」


 呟くと哲也が近寄っていく、嘘だとわかっているのだ。これが元で諍いにでもなれば面倒だと止めるつもりだ。


「何をしているの早瀬さん? 病院内でそういう事をしてはダメだって言ったでしょ」


 反対側の廊下から香織が注意しながらやってきた。

 集まっていた男性患者たちがさっと別れて道が出来る。


「どういうこと早瀬さん? 霊能力はダメって約束したはずよ」


 前に立つ怖い顔をした香織から早瀬はサッと目を逸らして俯いた。


「私は別に……みんなが見て欲しいって言うから………… 」

「みんながそんな事言うわけ無いでしょ、早瀬さんから霊が見えるとか言ったんでしょ」


 近くで見ていた哲也の腕を男の患者が引っ張った。


「哲也くん助けてよ、悪気は無いんだ。早瀬さんと話がしたいだけなんだよ」

「話しですか…… 」


 哲也も男だ。おっさんたちが若い早瀬に触られて喜んでいるのもわかる。


「どうにかしてくれよ哲也くん、俺たち喧嘩なんかしないからさ」

「哲也くん、いいだろ、遊びみたいなもんだよ」


 親しくしている患者たちが哲也に助けを求めてきた。


「まったく…… 」


 溜息をつくと哲也が香織の傍に行く、


「香織さん、急に止めろって言っても無理ですよ、僕が監視してる時には許してやってくれませんか? 何かあれば止めますから、お願いします」


 俯いていた早瀬がパッと顔を上げて哲也を見つめる。

 香織が早瀬に向けていた怖い顔を哲也に向けた。


「哲也くんは黙ってて、これも治療の一環なのよ」

「ゆっくり治していくしかないって言ってたじゃないですか、行き成り全てダメって言っても無理ですよ」


 ゆっくりって言ってたのは嶺弥さんだっけ? 昨日の話を思い出しながら言う哲也を見つめていた香織の表情が崩れた。


「仕方無いわね、哲也くんの見回りまで、夕方までですよ」


 姉が弟を叱るように言うと香織は周りの患者たちを見回した。


「それと、患者さんたちだけじゃダメですからね、看護師や哲也くんが居ないとダメだからね、約束破ると二度と許可しませんからね」


 最後に早瀬に向き直る。


「わかったわね、早瀬さん1人で勝手に霊能力とかするのはダメですからね、約束しなさい、破れば二度と霊能力とかさせませんからね」

「 ……わかったわよ、哲也くんが居ればいいんでしょ? だったらわかったわよ」


 プクッと頬を膨らませた不服顔で早瀬が約束した。


「じゃあ、任せたわよ」


 笑顔で哲也の肩をポンッと叩くと香織は歩いて行った。

 怖ぇ……、香織さん目が笑ってないんだもんな……。何かあれば全部自分の責任になると緊張している哲也の腕を早瀬が引っ張った。


「哲也くん、ありがとう」


 艶のある潤んだ目で嬉しそうに礼を言う早瀬から哲也がサッと離れる。

 昨日、行き成りキスをしてきた時の目だ。こんな場所で抱き付かれたりしたら他の患者に恨みを買いかねない、騒ぎを監視する役目の自分が騒ぎを起こせば言い訳出来ない。


「どうしたの? 」


 距離を置いた哲也を見て首を傾げる早瀬の口元が愉しそうに歪んでいる。


「いや別に……僕はここで見てるから早瀬さんは霊視の続きをすればいいよ」


 焦りながらこたえる哲也に微笑みかけると早瀬が患者たちを見回した。


「じゃあ、続き始めましょうか」

「次は俺の番だ」


 嬉しそうに頬を緩めた爺さん患者が早瀬の前に座った。

 早瀬のデタラメ霊視が再開される。哲也は後ろの椅子に座ってそれを見守っていた。


「貴方には戦国武将が憑いてるわよ」


 爺さんの頭に手を当てて早瀬が言った。肩や背を摩られて爺さんは嬉しそうにうんうん話しを聞いている。

 嘘ばっかり言って……、呆れて見ていた哲也が目を擦る。椅子に座っている早瀬の足下に白い蛇のようなものが絡み付いていた。


「うわっ!! 」


 哲也が思わず叫んだ。蛇のようなものは初めて会った日に見たものよりも大きくなっていた。

 叫びを聞いて早瀬が振り返る。囲んでいた患者たちも哲也に注目だ。


「どうしたの? 」

「足に…… 」


 教えようと指差す先で蛇のようなものが消えていった。


「私の足がどうかしたの? 」


 確認するように足を見る早瀬の向かいで爺さん患者がニヤッと笑いながら口を開く、


「早瀬さんの足に見とれてたんだろ、厭らしいなぁ、哲也くんは」

「違うから、何か居たように見えただけだからね」


 慌てて違うと手を振る哲也を見て早瀬が悪戯っぽく笑う、


「うふふっ、私に見とれたのなら嬉しいわ」

「違うって言ってるでしょ」


 弱り顔の哲也を無視するかのように早瀬が前に向き直る。


「はいはい、じゃあ、哲也くんは放って置いて続きしましょうね」

「だから違うって……変な気持ちで見てたんじゃないからな」


 誤解を解こうと声を掛けながら哲也は先程見た蛇のようなものは何だろうと考えるが答えは出てこない。



 昼食の時間になり哲也がここまでだと止めさせる。


「お昼だ。今日はここまで続きは明日だ。みんな御飯食べに行くように、約束破ったら二度と遊べないからな、わかったら今日は解散だ」


 中年男性を霊視していた早瀬が手を離した。


「そうね、今日はここまでにしましょう、約束したからね、続きは明日しようね」


 早瀬が笑顔で言うと集まっていた患者たちがおとなしく従った。

 患者たちが食堂へと向かってレクリエーション室を出ていく、


「哲也くん、一緒に御飯食べましょう、食堂で食べるんでしょ? 」


 立ち上がると早瀬が哲也の顔を覗き込んだ。


「いや、僕は…… 」

「私と一緒じゃ嫌なの? 哲也くんは私が嫌いなのね」


 断ろうとした哲也の前で早瀬がキッと怖い顔になる。


「そういうのじゃないから……わかったよ、一緒に食べよう」

「それでいいのよ、哲也くんに憑いてる土地神はまだ完全に祓ってないからね、私の言う通りにすれば祟りとか無くなるからね、土地神を祓うまで哲也くんは私と一緒に居た方がいいのよ」

「わかったから、一緒に食べるから…… 」


 早瀬に押し切られるように哲也が返事をした。

 ハッキリ言って早瀬は苦手なタイプだ。我儘は可愛いと思えるがこうしなさいと命令するような我を押し付けてくるタイプは苦手なのだ。おまけに顔も好みでは無い。


「あっ、薬持ってこなくちゃ、飲むの忘れるといけないからお昼食べたら直ぐ飲みなさいって先生が言ってたからね」


 レクリエーション室を出た廊下で早瀬が振り返る。


「哲也くんついてきて、部屋に薬を取りに行くから」


 口元に笑みを湛えて言う早瀬に不穏なものを感じて哲也が断ろうとする。


「僕は先に行ってるからさ…… 」


 早瀬がサッと哲也の腕を掴んだ。


「ダメよ、一緒に食べるって約束でしょ? 」

「席取っとくから…… 」

「ダ~メ! 一緒に行くの」


 腕を引っ張られて哲也が仕方無く早瀬の部屋まで付いて行く、


「僕はここで待ってるから…… 」

「ダメよ、逃げるつもりでしょ」


 ドアの前で待つという哲也の腕を引っ張って部屋の中へと入れる。


「哲也くん、さっきはありがとう、嬉しかったわ」


 部屋に入ると同時に早瀬が哲也に抱き付いた。


「ちょっ……ダメだから…… 」


 焦る哲也に早瀬が唇を重ねた。


「だっ、ダメだって! 」


 驚いた哲也が少し乱暴に早瀬を引き離す。


「痛い…… 」

「ごっ、ごめん、急にキスされて吃驚したから……あんな事はダメだからね」


 顔を顰める哲也の向かいで早瀬が目を潤ませる。


「何でダメなの? 好きなの! 哲也くんのことが好きなのよ」

「患者とそういう事しちゃダメなんです。僕は警備員だからね、だから困らせないでくれ」


 泣き出しそうな早瀬を置いて哲也は逃げるように部屋を出て行った。


「あの女ね……香織とか言った。あの女が悪いんだわ」


 哲也が出て行ったドアを見つめて早瀬が呟いた。哲也に向けていた可愛い顔とはまったく違う目を吊り上げた怖い顔だ。



 食堂でトレーを持って配食の列に並んでいる哲也の腕を早瀬が引っ張る。


「哲也くん、あそこ空いてるわよ、あそこで食べましょうね、私の席取っといてね」


 笑顔で一方的に言うと後ろの列に並びに行った。

 先程あんな事があったばかりなのに何も無かったかのようにケロッとしている早瀬に哲也は怖さを感じた。

 食事を受け取ると早瀬が指差した席へと座る。無視しようかと考えたのだが早瀬がキレて騒ぐとヤバいと思ったのだ。


「さっさと食っちまおう、こんなところ香織さんに見られたら何言われるか分からないからな」


 辺りを見回して食事の監視役に香織がいないことを確認すると哲也が掻っ込むように食べ始めた。


「御飯はゆっくり食べないとダメなんだよ」


 料理が並んだトレーを持って早瀬がやってきた。


「席取ってくれたのね、ありがとう哲也くん」


 ニコッと笑うと哲也の隣りに座る。

 口の中のものをお茶で流し込むと哲也が話す。


「うん、一緒に食べる約束だからね」


 愛想笑いで言うと哲也はまたガツガツと食べ始めた。

 隣から早瀬が身を乗り出して哲也の顔を覗き込む、


「そんなにお腹減ってたの? デートの時はゆっくりと食べなきゃダメよ」


 吹き出しそうになった哲也が口を手で押さえる。出そうになったものを必死で飲み込むとテッシュで手を拭きながら口を開く、


「でっ、デートって……そっ、そんなんじゃないから」


 焦って声が上擦る哲也の隣で早瀬が声を出して笑い出す。


「あははははっ、照れる哲也くんカワイイぃ~~ 」

「違うから……照れとかじゃないから、一緒に食べようって言うから食べただけでしょ」


 周りの視線が気になって哲也が必死で弁解する。


「あはははっ、冗談よ、冗談、哲也くん本気にするんだからぁ~~ 」

「勘弁してくれ」


 弱り顔で呟くと哲也は残っていた御飯とおかずを全て口の中に放り込んでお茶で流し込む、


「御馳走様でした」


 手を合わせて言うと早瀬に向き直る。


「じゃあ僕はこれで…… 」


 腰を上げようとする哲也の腕を早瀬が握る。


「ダメよ、私が食べるまで一緒だよ」


 早瀬はまだ何も食べていない、付き合っていられないと哲也は言い訳を考える。


「夕方から見回りがあるからさ、警備員だから…… 」


 掴まれた早瀬の手を離してくれとポンポン叩いた。


「夕方ってまだお昼じゃない」


 離してくれない早瀬の隣で哲也が弱り顔で続ける。


「警備員だからやることいっぱいあるんだ。見回りだけでも夕方と夜の10時と深夜3時の3回あるからね、昼までは暇だけど夕方からは忙しいんだよ」


 じっと見つめながら話しを聞いていた早瀬がニッコリと笑う、


「じゃあ夕方まで一緒に遊べるね」

「いや……あの……きょっ、今日は用事があるから」


 しどろもどろでこたえる哲也に笑顔の早瀬が食い下がる。


「何の用事? 」

「香織さんに頼まれてて…… 」


 咄嗟に嘘をつくと早瀬の顔がさっと変わった。


「あの女ね……ダメよ、あの女には近付かないで」


 先程までの可愛い顔ではない、眉間に皺を寄せて目を吊り上げた怒り顔だ。

 豹変に臆しながらも哲也が反論する。


「近付かないでって香織さん看護師だし、僕の担当だし、A棟だから毎日会うし…… 」


 無理だと言おうとした哲也の言葉を早瀬が遮る。


「ダメよ! あの女には悪い霊が憑いてるのよ、近付くと哲也くんも呪われるわよ」

「呪われるって、そんな事…… 」


 全部嘘だと言いたいのをぐっと堪えて言い直す。


「僕は土地神様に呪われてるんだよね? だったら香織さんに近付いても同じでしょ? 」


 穏便に済まそうと作り笑いで言う哲也の隣で怖い顔の早瀬が話し出す。


「違うわよ、あの女に憑いてるのはもっとたちが悪いのよ、哲也くんに憑いている土地神より悪いものなの、だから近付いちゃダメ! 哲也くんは私の言う通りにしていればいいのよ、そうしたら悪霊なんて祓ってあげるから」


 香織のことを悪く言われてムッとしたのか腕を握る早瀬の手を哲也が掴んで引き離す。


「悪いけど悪霊とか信じてないから、だから僕には構わないでくれ」


 立ち上がった哲也の隣で怒ったような怖い顔をしていた早瀬が悲しそうに俯いた。


「哲也くんは私の事が嫌いなのね、どうせ病気の女とか思ってるんでしょ? 哲也くんなら私の話しも聞いてくれると思ったのに…………他の人と同じなのね」


 他の人と同じというのが哲也の琴線に触れた。信じてもらえなくて苦しんでいた人々が色々な怪異に遇ってきているのを見てきたのだ。


「違うから、早瀬さんが嫌いとかじゃないからね、相談事とか話があるなら聞くから、でも今は用事があるから、警備員は色々忙しいんだよ」


 弱り顔で言い直した哲也を拗ねた顔の早瀬が見上げる。


「じゃあ、後で話しを聞いてくれる? 」

「わかった。約束する」


 早瀬がパッと顔を明るくした。


「それじゃあ、今はこれでいいわ」


 騙された。泣き真似だ……、虚言癖で今まで何人も騙してきたであろう早瀬にいっぱい食わされたと思ったが後の祭りだ。


「じゃあ、近い内に私の部屋に来てね、色々話し合いましょうね」

「 ……わかった。暇が出来たら行くよ」


 コロコロ表情を変える早瀬に戸惑いながら哲也は食器の入ったトレーを持って歩いて行った。


「暇が出来たらか……見回りしてるって言ってたわね、夜の10時と深夜の3時…………哲也くんは渡さないんだから」


 悪戯顔で呟く早瀬の声は食堂を出て行った哲也には届かない。



 その日の夜、10時の見回りで哲也がB棟に入っていく、普段の通り最上階まで上がって一フロアずつ下りながら見回る。

 9時消灯なので廊下や部屋の明かりは消えているがテレビの明かりがぼうっと漏れている部屋も多い、他の患者に迷惑が掛からなければテレビやラジオなどは音を押さえている分には見て見ぬ振りだ。


「音、大きいですよ」


 大きな音を出している部屋を見つけてはノックして注意する。殆どの患者は直ぐに音を小さくしてくれる。夜という事もあり、プライベートなこともあるのでドアを開けて注意するのは稀だ。


「3階は異常無しっと」


 非常灯だけが照らす階段を下りて2階へと出た。


「ん? 」


 視線を感じて長い廊下を見渡す。向こうでドアが閉まったような気がしたが気のせいだろうと歩き出した。


「うぅ……痛い……痛たた………… 」


 呻き声を聞いて哲也が駆け付ける。


「どうしました? 」


 声を掛けながらドアを開ける哲也の目にドアに掛かっているナンバープレートが映る。215号室、早瀬の部屋だ。


「早瀬さん、どうしました? 」


 窓から入る月明かりだけの薄暗い部屋を懐中電灯で照らす。


「早瀬さん? 」


 ベッドで寝ているはずの早瀬がいない。


「哲也くぅ~~ん」

「おわっ! 」


 横から急に抱き付かれて哲也がよろけてドア横の壁にもたれ掛かる。


「待ってたのよ、哲也くん」

「はっ、早瀬さん…… 」


 驚いて身を堅くする哲也に横から抱き付いた早瀬が胸を押し付ける。


「話しを聞いてくれるって言ったでしょ? 」


 早瀬は病院で支給されている寝間着姿だ。ブラも付けていないので薄い布一枚越しに意外に大きな胸の感触が伝わってくる。


「はっ、はっ、話しって…… 」


 どもった声で聞き返す。左半身を包み込む柔らかな早瀬の身体に今度は気持ち良くて動けない。


「昼間約束したじゃない、色々話しを聞いてくれるって……だから待ってたのよ」


 哲也の耳元で囁くように早瀬が言った。


「そっ、それは暇な時で今は仕事中だから…… 」

「話しだけじゃなくて色々しましょうね」


 哲也の話を一切聞かずに早瀬が胸元を広げた。


「おわっ! 」


 生のおっぱいの感触に哲也が声を上げるのを見て早瀬が妖艶に微笑んだ。


「ねぇ、続きはベッドで…… 」

「うわっ! 」


 引っ張るように歩き出す早瀬に足がもつれたのか哲也がその場に転がった。


「ああん、哲也くんったらぁ~~ 」


 床に倒れた哲也の上に早瀬も態と倒れ込む、


「哲也くん好きよ、愛し合いましょう」


 薄暗い中でもわかるくらいに上気した顔を早瀬が近付けてくる。


「だだだっ、だから、だから今は仕事中だから…… 」


 テンパりながらも哲也は必死で早瀬を引き離そうとした。


「見回りなんて適当でいいじゃない、そんな事より、愛し合いましょうよ」


 離すまいと早瀬がしがみつく、


「適当って何言ってんだ! 僕は……何? 」


 警備員として真面目に仕事をしているのが自慢なのだ。適当と言われてムッと怒って引き離そうとした時、哲也の足が何かに締め付けられた。


「ひぃっ! へ……蛇が…… 」


 足下に白い蛇が絡み付いていた。哲也だけではない、早瀬など足だけでなく腰の辺りまで蛇が絡み付いている。


「蛇? またそんな事を言って……ダメよ哲也くん、逃がさないんだから、あんな女に哲也くんは渡さないんだから」


 早瀬がしがみつく、同時に足に絡んだ蛇の締め付ける力が強くなる。


「うわぁぁ~~ 」


 叫びながら早瀬を押し退ける。そのままバッと起き上がって辺りを見るが既に蛇は消えていた。


「蛇とか変な事言って……あの女の事なんて忘れなさい、哲也くんには私が合ってるのよ、私となら幸せになれるのよ」


 立ち上がった哲也を床に座り込んだ早瀬が睨み付けた。

 売り言葉に買い言葉で哲也がムッとして口を開く、


「あの女って香織さんの事か? 香織さんとはそんなんじゃないからな」

「あの女の事はどうでもいいっていうの? 」


 床に座って哲也を見上げる早瀬の口元がニィーッと嬉しそうに歪む、


「それなら私でいいじゃない、あの女なんてどうでもいいんでしょ? 」

「どうでもいいって……香織さんは僕の担当だから………… 」


 香織が好きだということを探られて哲也の怒りが焦りに変わるのを早瀬は見逃さない。


「あの女はダメよ、悪霊が憑いてるわ、それだけじゃない、強欲で気が強くて……確かに美人だけどそれだけよ、あんな女に惚れても碌な事にならないわよ、哲也くんは私と一緒になる方がいいのよ、そうすれば幸せになれるわ」


 香織を悪く言われて哲也が怒って言い返す。


「香織さんの悪口ばかり言ってるけど早瀬さんだって嘘つきじゃないか、霊能力があるとか嘘をついて騙して金を巻き上げたんだろ? それでこの病院へ入れられたんだろ、全部知ってるんだからな、虚言癖のパーソナリティー障害だ」


 言った後でしまったという顔をする哲也の前で早瀬の顔が強張っていく、


「なんで……あの女が話したのね」


 悔しげに呟くと険しい顔をして続ける。


「違うのよ! 嘘じゃない、私には霊能力があるのよ、哲也くんに取り憑いている悪霊も他のみんなの守護霊もちゃんと見えてるんだから…… 」


 この場に及んでも嘘をつく早瀬を見て哲也が呆れ顔で質問する。


「じゃあ何で蛇の霊が見えないんです? 」

「蛇の霊? 何を言ってるの」


 険しい顔で見つめる早瀬に哲也が静かに話し始めた。


「僕は自分が霊能力なんて持ってないと思ってます。でも時々見えるんですよ、幽霊とか妖怪とか、何でか知らないけど時々見るんです。それで早瀬さんには蛇が見えたんですよ、さっきも足に絡み付く白い蛇が見えたんだ。早瀬さんが霊能力を持ってるなら何故見えないんです? 僕に見えるものが何で見えないんです」

「白い蛇……そんなものいないわよ、それこそ見間違いだわ…… 」


 戸惑いながらこたえる早瀬は何か思い付いたようにフッと笑った。


「そっ、そうだ。哲也くんに憑いている土地神が見せているのよ、惑わされてるのよ、だから哲也くんは私を信じて言う通りにしなきゃダメなのよ」


 全部口から出任せだ......、神妙な表情をして哲也が首を振る。


「見間違いから悪霊の所為ですか……わかりました」

「わかりましたって? 」


 不安気に顔を窺う早瀬を哲也が見据える。


「もう僕に構わないでください、ハッキリ言って迷惑です。僕は早瀬さんの事は何も思ってませんから、好きとかそう言うのじゃないから、もう付き纏わないでください」


 これ以上話しても無駄だと哲也はきっぱりと言い切った。


「なっ……哲也くん………… 」

「それじゃあ、見回りの続きだから」


 驚く早瀬を置いて哲也は部屋を出て行った。


「許さない……あの女も哲也くんも……私をバカにして、絶対に許さない、絶対に…… 」


 薄暗い部屋の中、床に座り込んだ早瀬が怒りも露わに何度も呟いた。



 翌日から早瀬は哲也を見ても無視するようになった。元々好みのタイプではなかったので一安心だがあれ程付き纏っていたのが嘘のようである。それどころか霊能力者紛いのこともしなくなった。朝も昼も他の患者たちとおとなしくテレビを見ているだけだ。態度の急変にやはり心の病気なんだと哲也は改めて思った。


 4日ほどが経ち、昼食後ぶらついていた哲也を香織が呼び止める。


「哲也くん、暇だったらアニマルセラピーの援護に行ってくれない」


 哲也がパッと顔を明るくする。


「世良さんの所ですか? 」

「うん、2人も急に休んじゃってドタバタしてたから手伝ってあげて欲しいのよ」


 弱り顔の香織の向かいで哲也が笑顔満面で引き受けた。


「了解しました。世良さんの手伝いなら喜んでしますよ」


 アニマルセラピーはE棟の1階にある。責任者である臨床心理士の世良静香せらしずかは背中の中頃まで掛かる長い髪にほっそりとした頬に切れ長の目をした大人の女だ。哲也は香織の次に好きなのだ。


「まったく……しっかり頼んだわよ」


 呆れる香織の前で哲也が胸を張る。


「任せてください、香織さんや世良さんだけじゃなくて犬や猫も好きですから」

「犬猫と一緒にするな! 」

「あはははっ、じゃあ行ってきます」


 怒鳴る香織に手を振ると哲也が廊下を早足で歩いて行った。

 その様子を廊下の向こうで早瀬がじっと見ていた。


「そろそろいいわね……私をバカにして……思い知らせてやるから」


 怒っているのか笑っているのか引き攣るように口元を歪ませて早瀬が呟いた。



 深夜3時、哲也が見回りでB棟へと入っていく、


「眠いなぁ……昼間走り回ったからな」


 欠伸をしながら怠そうに階段を上る。アニマルセラピーの手伝いで犬や猫の世話だけでなくセラピーを受けている患者たちの面倒も見て身体はくたくただ。


「犬って何であんなに元気なんだろうな、猫だけだと楽なんだけど…… 」


 最上階から下りながら各階を見回っていく、


「うぅぅ……苦しい……誰か、誰か助けて………… 」


 2階へ下りると呻きが聞こえた。哲也が慌てて駆け付ける。


「215…… 」


 ドアの前で哲也が躊躇する。B棟の215号室は早瀬の部屋だ。5日前に苦しむ振りをして抱き付かれたのを思い出したのだ。


「だっ、誰かぁ……くっ、苦しい………… 」


 喘ぐような声が聞こえて哲也が慌ててドアを開ける。


「大丈夫ですか」


 まだ疑っているのか直ぐには踏み込まない、用心して先に部屋の明かりを点けるとベッドの上に丸く膨らんだ布団があるのを見つけた。


「早瀬さん! 」


 今度は本当だと、布団の中で早瀬が苦しんでいるものだと哲也が駆け寄る。


「早瀬さん、大丈夫ですか」


 丸まった布団に哲也が手を掛けた時、後ろから早瀬が抱き付いた。


「哲也くん、捕まえたわよ」

「なっ……うおぅ! 」


 思わず叫んだ。抱き付いてきた早瀬は裸だ。寝間着どころかパンツも穿いていない。


「なっ、なにを…… 」


 焦る哲也をベッドに押し倒すと早瀬はナースコールを押した。


「哲也くん好きよ、抱いて、愛し合いましょう」

「ちょ、ちょちょ……違う…………ダメだから」


 早瀬が胸で包み込むように哲也の頭を抱き締めた。


「ああぁ…… 」


 柔らかくて気持ちいいおっぱいの感触に哲也が動けなくなる。


「うふふ、哲也くんの好きにしていいのよ」


 妖艶に微笑みながら早瀬がドアを見つめた。

 リノリウムの廊下からペタペタと慌てて走ってくるような音が響いてくるが早瀬の胸に抱かれた哲也には聞こえない。


「大丈夫ですか早瀬さん!! 」


 ドアを開けて看護師が入ってきた。


「いやぁ~~、やめてぇ~~ 」


 早瀬が悲鳴を上げて哲也を突き飛ばす。


「助けてください……行き成り襲ってきたんです」


 ドアの前にいる看護師に早瀬が縋り付いた。


「なっ!? なんで…… 」


 何が起きたのかわからない哲也が慌てて上半身を起こした。


「これは…… 」


 絶句する女性看護師に早瀬が泣き付く、


「警備員さんが行き成り襲ってきたんです」

「ちょっ! 早瀬さん何を…… 」


 弁解しようとした哲也の言葉を看護師の大声が遮った。


「何をしたの哲也さん! 貴方って人は………… 」

「違う! 僕は何も…… 」


 言いかけた哲也が言葉を引っ込めた。ベッドの周りに破れた寝間着が散らばっている。逃げながら早瀬が撒いたのだろう、全て早瀬の狂言だと気が付いたのだ。


「どういう事だ早瀬さん」


 哲也は弁解するのも忘れて早瀬を睨み付けた。

 看護師の腕に縋り付きながら早瀬が大声を出す。


「あの男が襲ってきたんです! 寝ている私を無理矢理……私を……あの男が……怖かった……助けを呼ぼうってナースコールを………… 」


 騒ぎを聞きつけて近くの部屋の患者が何事かと集まってきた。

 看護師がベッドからシーツを抜き取って裸で泣いている早瀬に被せてやる。


「怖かったわね、もう大丈夫だからね」


 早瀬に優しく声を掛けると看護師が哲也に向き直る。


「なんて事をしたの哲也くん」

「違う! 僕は何もしてない、早瀬さんがやったんだ」


 必死で弁解する哲也を看護師が怒鳴りつけた。


「いい加減にしなさい!! 自分が何をやったのかわかってるの」

「だっ、だから僕は何もしてない、本当です。早瀬さんが仕組んだんです」


 そこへ警備員の須賀嶺弥がやってきた。A棟から見回る哲也と違い嶺弥はE棟から見回っているので丁度騒ぎを聞きつけてやってきたのだ。


「哲也くん、何があった? 」


 哲也がこたえる前に看護師が口を開く、


「須賀さん、丁度良かった。哲也さんを捕まえてナースステーションまで連れて行ってください」


 嶺弥が険しい顔を看護師に向ける。


「哲也くんを? 何をしたんです」

「早瀬さんに乱暴しようとしたんです」

「哲也くんが? 」


 振り返った嶺弥に哲也が必死の形相で口を開く、


「違う! 僕は何もしてない、早瀬さんに嵌められたんだ」

「話しは後で聞きます。須賀さん頼みます」


 犯人と決めつけているように言う看護師に須賀が頷いた。


「 ……わかった」


 嶺弥が掴もうとした腕を哲也が振り解いた。


「僕は何もしてない! 犯人扱いされて堪るか!! 」


 怒鳴る哲也を嶺弥が見据える。


「俺は信じてるよ、だからおとなしくしてくれ」

「嶺弥さん……わかりました」


 兄のように慕っている嶺弥に哲也はおとなしく従った。

 嶺弥に腕を掴まれて哲也が部屋を出て行く、その様子を早瀬がじっと見つめていた。



 ドアの近くに集まっていた患者たちを看護師が追い払う、


「はいはい、騒ぎは終わりよ、消灯時間だからね、早く部屋に戻りなさい、トイレ以外で部屋を出ないこと、わかったわね」


 野次馬の患者たちが自分の部屋に戻っていくのを見て看護師が早瀬に向き直る。


「早瀬さん大丈夫? 詳しい話しは明日聞くわ、今日は寝なさい、一人で怖いなら暫く誰か付けるけど」


 優しく声を掛ける看護師に早瀬がぎこちない笑みを見せた。


「大丈夫です。一人で眠れます。看護師さんが早く来てくれたので服を脱がされただけで済みましたから……ありがとうございました」

「そう……何かあればナースコールを押してね、後で見回りに来るわね」


 ベッドに潜り込む早瀬を確認して看護師も部屋を出て行った。


「ふふ……くふふふっ、旨く行った。私をバカにするからそういう目に遭うのよ、次はあの女ね、哲也くんは謝ってくれば許してあげるけどあの女は絶対に許さない」


 布団の中で早瀬が声を殺して大笑いだ。



 深夜だというのにナースステーションで哲也はたっぷりと絞られた。

 実直な哲也と虚言癖のある早瀬、どちらを信じるかは一目瞭然で疑いは直ぐに晴れたが隙があるからと香織に軽蔑するように言われて哲也はがっくりと落ち込む、


「まったく、気が多いから付け込まれるのよ」

「ごめんなさい…… 」


 叱る香織の向かいに座って俯く哲也は消え入りそうな声だ。

 嶺弥が哲也の肩をポンポン叩く、


「相手が早瀬さんでよかったな、他の人ならもっと大事になっていたところだぞ」


 見回りの他にも仕事があるというのに哲也が心配で付き添ってくれたのだ。

 偶然宿直だった哲也の担当の池田先生が話し出す。


「何度も注意したはずだよ、女性患者の中には性的誘惑をしてくる人も多いから気を付けなさいって言ったはずだよ、みんな心の病気だよ、早瀬さんが嘘をつくのも、哲也くんが見たっていう白い蛇も、みんな病が心をむしばんでいるからだよ」

「すみません……テンパってたから幻覚だと思います」


 項垂れながら哲也が謝った。

 説明する過程で白い蛇のようなものの事も全て話していた。疑いを晴らすのに精一杯で隠す余裕など無かったのである。


「嶺弥さんが居たからよかったものの……次からは気を付けなさい」


 弟を叱るように香織が言うと哲也が嶺弥に頭を下げた。


「嶺弥さんありがとう」


 目に涙を溜めて礼を言う哲也の前で嶺弥が照れ臭そうに頭を掻いた。


「破れた寝間着を見て直ぐにピンときたよ、哲也くんはやってないってね」


 嶺弥が集めて持ってきてくれた早瀬の破れた寝間着が証拠品となる。細かく破り過ぎだ。服を脱がすだけならそこまで破る必要はないくらいに破られていた。服を破られるほど暴れたのに早瀬には引っ掻き傷一つ無いというのもおかしい、第一それ程暴れたのなら近くの患者が気付いてもおかしくない、両隣の患者に聞いたが看護師が駆け付けるまでは悲鳴一つ聞こえなかったと証言してくれた。これで他の先生や看護師たちも哲也が無実だと信じてくれたのだ。


「早瀬さんにも困ったものだねぇ…… 」


 ナースステーションを出て行く哲也に池田先生の呟きが聞こえてきた。



 相手が虚言癖のあるパーソナリティー障害の患者ということもあり騒ぎにしたくないという哲也の意向もあって早瀬は注意されただけで済んだ。


 翌日の昼間、定期検診を終えた早瀬に看護師が話し掛ける。


「哲也さんで良かったわね、他の警備員や看護師にあんな事をすれば隔離病棟に入れられてるわよ」

「何で私が……隔離病棟なんて嫌よ」


 少しも悪いと思っていない様子の早瀬を見て看護師が溜息をついた後で話し出す。


「先生や看護師の中には哲也さんのようになったら大変だと貴女を隔離病棟へ入れろって言う人もいたのよ、そこまでするのはかわいそうだって哲也さんが庇ってくれたのよ」

「哲也くんが…… 」


 少しは悪いと思ったのか何とも言えない表情で早瀬が呟いた。



 暫くは何も無かったが5日ほどした昼間、レクリエーション室でテレビでも見ようかと長い廊下を歩いていた哲也に焦りを浮かべた早瀬が泣き付いてきた。


「哲也くん助けて」

「ごめん、もう早瀬さんとは関わるなって言われてるから」


 足早に去ろうとする哲也の腕に早瀬がしがみつく、


「お願い、話しを聞いて……この前のことは謝るから」


 哲也が立ち止まったのを見て早瀬が頭を下げた。


「この前は本当にごめんなさい、本当に悪いと思っているの」


 池田先生や香織を交えての場では叱られて仕方無くと言った様子で反省の色無く表面上でしか謝らなかった早瀬が神妙な面持ちで頭を下げていた。


「 ……話しくらいなら聞くけど」


 哲也が表情を緩めるのを見て早瀬がほっと安心した様子で話し始める。


「蛇の幽霊が襲ってくるの、寝ている私に巻き付いて殺そうとするのよ」


 哲也の顔が強張っていく、


「何だそんな事か……祓えばいいよ、いつもやってる臨兵闘者皆陣列在前って九字を切って祓えばいい、霊能力者の早瀬さんなら簡単なことでしょ」


 早瀬の手を振り払うと哲也は足早に廊下を歩いて行く、


「待って哲也くん…… 」


 追い掛けようとした早瀬の目に廊下の先に立つ香織が映った。


「嘘じゃない、本当なのよ、哲也くん…… 」


 叱られるのを恐れてか早瀬は追い掛けるのを止めた。

 哲也は振り返らない、昨日の今日だ。虚言癖のある早瀬の言葉を信じる事なんて出来なかった。蛇の霊の事も哲也自身が話したことを使って構って欲しくて嘘をついているのだと、また何か企んでいるのだと思ったのだ。


 普段なら声を掛ける香織の脇を哲也が無言で通り抜けた。


「それでいいわ哲也くん、早瀬さんは構っちゃダメよ、抑制が利かないのよ、一度構うと次から次へとやってくるわよ」


 香織の後ろで哲也が立ち止まる。


「わかってます。もう懲り懲りです」


 香織が振り返ると哲也の背をバンッと叩いた。


「あははっ、流石の哲也くんも今回は懲りたようね」

「嘘つきは勘弁ですよ、お化けの方が余程マシです」


 沈んだ顔でこたえる哲也を香織が覗き込む、


「本当? もし私が大嘘つきだったら……この病院のみんなが大嘘つきだったらどうする? 」

「香織さんが嘘つきだったらか…… 」


 少し間を置いて哲也が口を開く、


「香織さんなら騙されてもいいですよ、香織さんや池田先生なら嘘でも信じますから」

「そっか…… 」


 香織の顔が一瞬寂しそうに見えた。


「シュークリーム御馳走するわよ、池田先生が持ってきてくれたのいっぱいあるから食べにおいで」


 哲也の顔がパッと明るくなる。


「シュークリームは香織さんと同じくらいに好きっす」

「私はシュークリームと同じレベルか! 」

「香織さんと一緒に食べるなら何でも美味しいですよ、早く行くっす」


 嬉しそうに歩き出す哲也の後ろをムッとした顔の香織が歩いて行った。



 夕方の見回りを終えた哲也が少し遅い夕食を食べていると隣りに早瀬が座ってきた。


「付き纏っても無駄だから、余りしつこいと先生に言うから」


 素っ気ない哲也の隣で早瀬が頭を下げた。


「この前の夜のことは謝るわ、本当にごめんなさい、二度とあんな事はしない、だから話しを聞いて、お願いだから私を助けて」

「僕には無理だよ、早瀬さんと違って霊能力なんて持ってないからね」


 早瀬の顔も見ないでこたえると哲也は食べる速度を速めた。


「嘘じゃないのよ、今度のは本当なのよ、蛇が……白い蛇が巻き付いて私を殺そうとするのよ、本当なのよ」


 訴えるように話す早瀬の横で哲也は無視するかのように黙々と料理を口に運んでいく、


「嘘じゃない! 本当なのよ、何で信じてくれないの」


 泣き出しそうな顔をちらっと見て哲也は口いっぱいに頬張ったものをお茶で流し込む、


「あんな事して信じられるわけないでしょ、同じ事されたらどうです? 僕が早瀬さんを騙して酷い事したらその後で謝ってきたからって信じられますか? 」


 感情を抑えて淡々と話す哲也に早瀬が深々と頭を下げた。


「本当にごめんなさい、この前のは謝るわ、だから許して……今度は本当なのよ」

「あの事はもういいです。腹は立つけど謝ってくれたから……だから許します。でも早瀬さんを信じることは出来ません、信じるには少し早すぎます。早瀬さんが嘘をつくのを止めて僕だけじゃなくてみんなと腹を割って話せるようになれば信じます」


 言い聞かせるように話すと哲也は残っていた夕食をまた食べ始めた。

 黙々と食べる哲也を目に涙を溜めた早瀬が見つめる。


「寝ていると苦しくなって目を覚ますと蛇が……白い蛇が体中に巻き付いてるの……怖くて苦しくて外そうとするけどダメで……蛇が首を絞めてくるのよ、絞め殺そうとしてるのよ……先生に言っても幻覚だって何もしてくれない、薬をくれるだけ……でも哲也くんなら、蛇が見えたって言う哲也くんなら信じてくれるって……助けて哲也くん、哲也くんしかいないのよ」

「蛇か…… 」


 思い出すように哲也が呟いた。早瀬に初めて会った時、足に巻き付いていた小さな白い蛇がおとしいれられた夜には大蛇のように大きくなっていた。

 哲也が信じてくれたと思ったのか早瀬の顔がパッと明るくなる。


「哲也くんが庇ってくれたんだよね、隔離病棟に移されそうになったって聞いたの、あんな事をした私を哲也くんが庇ってくれて隔離病棟へは行かなくて済んだって……本当に嬉しかったの、本当に………… 」


 哲也が箸を止めて早瀬を見つめた。

 哲也の目をじっと見つめて早瀬が続ける。


「今まで嘘ばかりついてきたわ、霊能力も全部嘘よ、霊なんて見えないし祓う事なんて出来ないわ、でも……でも嘘をつくしかなかったのよ」

「どうしてそんな事を……全部話してくれ」


 コクッと頷くと早瀬が話を始めた。


「私ね……私、独りぼっちだったの、勉強も出来ないし運動もダメ、友達も出来なくて……小学3年の頃だったかな、嘘をついたの、何の嘘かなんて忘れたけど、それで友達が出来たのよ、でもバレて嘘つきだって……友達だと思ってた奴らに苛められたのよ、その時思ったの、もっと嘘が旨ければバレなければよかったんだと…… 」


 一息つくと遠い目をして続きを話し出す。


「中学の頃からよ、霊が見えるとか嘘つきだしたのは……ぼっちだった私にも数人の友達が出来たわ、みんな同じようなぼっちみたいな子ばかりだったけどね、霊が見えるって霊能力があるって嘘で嘘を塗り固めたの……そうしたら何度か本当に幽霊が見えたのよ、いつの間にか本当か嘘かわからなくなってたわ」


 悲しそうな顔で大きな溜息をついた。


「高校を卒業して専門学校へ行っても嘘は止まらなかった。怖かったのよ、またぼっちになるんじゃないかって……だから安心するために嘘をついたの、挙げ句の果てに騙してお金を取ったの、後は哲也くんも知ってるようにこの病院へ入れられたわ、そうやって今まで生きてきたのよ……嘘がバレるとみんな怒って私から離れていった……実の親だって怒るばかりで私の事なんて…………でも哲也くんはこんな私を庇ってくれた。あんな酷いことをした私を庇ってくれた」


 涙を溜めた目でじっと見つめる早瀬は嘘をついているようには見えなかった。


「本当に嬉しかった」

「早瀬さん…… 」


 何か言おうとした哲也が右足を押さえてしゃがみ込む、


「いてっ! 痛てて……足が痺れる」


 腿から下、ふくらはぎから指先が締め付けられたように動かない、攣ったのではない、内部からというより外部から締め付けられている感じだ。


「何が……痛てて………… 」


 何かあるのかと確認するが哲也には何も見えない、直ぐに足の感覚が無くなってきて、更に痛み出す。泳いでいる時に足が痺れる腓返こむらがえりを何倍にもしたような痺れと痛みだ。


「ああぁ……蛇が………… 」


 真っ青な顔をした早瀬が哲也の右足を払うように何度も摩った。


「ありがとう楽になった。痺れも取れたよ」


 早瀬のマッサージが効いたのか締め付けるような痛みは直ぐに無くなった。


「蛇とか言ってたけど、もしかして今のは…… 」


 顔を強張らせる哲也を早瀬が驚いた顔で見つめた。


「見えなかったの? 」

「やっぱり蛇がいたんだな」


 焦りを浮かべる早瀬を哲也が見据える。蛇の霊が足を締め付けたとすれば説明がつく、だが哲也は蛇を見ていない。

 自嘲するように口元を歪めると早瀬が口を開く、


「 ……何でもない、蛇の幽霊なんて全部嘘よ」

「なっ……早瀬さん」


 呆気に取られる哲也の隣で早瀬が大声で笑い出す。


「あははははっ、本当にバカね、また騙してやろうと思ったけどお人好しすぎてバカらしくなったわ、哲也くんって本当に単純なんだから」

「また騙したのか…… 」


 悔しげに呟く哲也を無視するように早瀬が立ち上がる。


「あははっ、本当にバカね、何度でも騙せるわよ、また騙してあげるわ、あははははっ」


 苦々しい顔の哲也を置いて早瀬が笑いながら食堂を出て行った。


「くそっ!! 何だってんだ! 」


 怒りながら哲也が残りの料理を口いっぱいに放り込んだ。



 自分の部屋があるB棟へと敷地内を歩いていた早瀬が呟く、


「あの蛇、哲也くんに噛みつこうとしてた……私が話したから、私が哲也くんを巻き込んだんだ。私の嘘が………… 」


 流れる涙を手の甲で拭う早瀬の顔には諦めが浮んでいた。



 翌朝、シーツを体に巻き付けて死んでいる早瀬が見つかった。

 ベッドの柱にシーツを掛けて首を吊ったらしい、ドアノブよりも低いベッドの柱で首を吊れるかという問題があるが睡眠薬を飲んでいれば簡単だ。規定以上に睡眠薬を飲んで首に縄を掛けてベッドの脇に座る。眠りに落ちて倒れれば首が絞まって死んでしまうのだ。

 数日前から眠れないとキツい薬を貰っていたこともあり早瀬は構って欲しくて自殺未遂を試みてナースコールに手が届かずに本当に死んでしまったのだと判断された。

 首だけでなく腹や足にもシーツは巻き付いていた。ナースコールに伸ばした手には窓から外れた薄いカーテンが絡み付いていた。蛇が巻き付くというのは先生たちも聞いていたので狂言を装って構って欲しくてやったことだろうと片付けられた。


 蛇が巻き付いてくると助けを求める早瀬の泣き顔が哲也の頭に浮んだ。

 首吊りなら首にシーツを巻き付けるだけでいいだろう、狂言だとして手足にシーツやカーテンを巻き付ける必要があるのか? ナースコールに伸ばした右手だけでなく左手にも指が隠れるくらいにカーテンが巻き付いていた。どうやって両手に巻き付かせたのだろうか? 右手をグルグル巻にしてその後左手も巻けるだろうか? 

 蛇の霊がシーツやカーテンを操って巻き付かせたのではないだろうか? そうに違いないと哲也は思ったがそんな事を言っても先生たちは信じてくれないだろう、下手に騒ぐと自分の病気が悪化したと思われるだけだ。


「嘘じゃなかったんだ。足が痺れた時に蛇がいたんだ。僕には見えなかったけど早瀬さんには見えていたんだ。嘘じゃなかった。それなのに僕は………… 」


 哲也は一人自室で泣いた。

 早瀬は哲也に巻き付こうとしたヘビの霊を祓ったのだ。嘘つきの自分に親身になってくれる哲也を救うために蛇のことは全て嘘だと嘘をついたのだ。

 嘘ばかりついて信用されなくなった狼少年、だが狼少年も嘘をつきたくてついたのではなかったとしたら、心の病気だったら……。

 身勝手で自分のために嘘ばかりついていた早瀬が最後に他人のために、哲也を思って嘘をついたのだ。何故信じてあげなかったのか哲也は悔やんでも悔やみきれない。

読んでいただき誠にありがとうございました。

11月の更新は今回で終了です。


 沢山のブックマークありがとうございます。

 次回更新は12月22日を予定しています。

 22日から毎日1話、計4話を更新します。 


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