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Dogmacula  作者: 芦静一
Part 1
7/26

初動 Black breaks the stillness

 藍は、清々しい朝の青空の下、木々に挟まれた下り坂を歩いていた。四方どこを見ても緑が生い茂り、まるで森林浴場と見間違えそうな景色が広がっているが、そこを歩く藍の表情は明るいものではなかった。


 特別作戦『Dogma seizure』ーー作戦名に組織名を背負ったその作戦の内容は、国を操る大企業・神矢財閥の跡取り候補、神矢圭の殺害。


 (出来れば思い出したくなかった名前だ......)


 藍は苛立った気持ちを抱えたまま、木々の間を歩いた。足元で、自分の足が小枝を踏み砕く乾いた音が聞こえた。


 自分の過去を握り潰そうと、爪が柔らかい手の平の皮膚に食い込むのも構わず、拳を握ってみる。


 が、そんな事で過去が消える訳も無く、藍の両手はただ震えるだけだった。


 神矢財閥、藍を地獄から救い、現実に叩き落とした、れっきとした正義だった。


 神矢財閥は、国全体が発展過程に入る前から経済を支配してきた、古参の大企業だ。


 その名からわかるように、神矢一族によって経営されるその企業は、主に兵器販売によって巨万の富を築いている。その中でも、銃器の開発・製造を中心とし、国軍の主要武器として使われる『華銃』は、この十年で最大の発明だといわれるレベルである。


 『華銃』は、弾丸を必要としない。

 どのような構造で、どんな技術を用いているのかは不明だが、空気を弾として打ち出すのだ。


 それも、単なる空気の塊としてでは無く、撃ち抜いた者の肉体を削り落とす刃の形で。


 この銃は連射する事も可能であり、その時、特徴的な音を発する。それはミキサーの音によく似ている。


 そしてその銃で殺された者は、何の奇跡か全身をミキサーにかけられたような、肉と内臓のゲル状の塊と化す。



 そんな、悪魔のような武器を製造している大企業、神矢財閥は皮肉な事に正義を名乗っている。


 彼らは自分たちの掲げる正義のため、時に悪人の殲滅と言う最も野蛮で、しかし善良な方法によって、世界を浄化してきた。



 始まりは約三十年前の事だ。当時既に圧倒的な財力を蓄えていた神矢財閥の跡取り--現在はCEOである神矢央が、国内のある駅前に突如として現れた。


 そんなに広くない国ではないが、それでも神矢財閥の本社が所在する都市部からは遠く離れた場所に位置したその駅は、都市に財を独占され貧困となった農村の吐き出す、多くのホームレスが住み着いていた。



 青年の上着に刻まれた神矢財閥の鷹の紋章を、負け犬達は呆然と見つめた。


 何故、こんなところに?


 そういえば今度の跡継ぎは正義感が強いと聞いた。


 もしかすると、俺たちを救いに来てくれたのか?



 そんなホームレス達の希望は命と共に、残酷と言えるほど見事に散った。



 青年の両腕に抱えられた太い丸太大の円筒は、生きた人間を焼き尽くす炎を吐いた。


 青年の右手から放たれた卵型の物体は、周囲の建物を巻き込み、紅い血と共に爆発した。



 駅は十分も経たない内に崩壊し、血の付いた瓦礫が栄養失調で痩せ細った死骸達を埋葬した。


 そのニュースはその翌日の新聞で一面を飾った。ただ淡々と事実だけが語られた。


 神矢財閥の権力を恐れた報道陣は、批判はおろか褒め称える事すらできなかったのだ。


 黒い文字で記される出来事に一般大衆は沈黙し、その下の人間達は絶望した。



 そして、事件から5年に及び、大量の社会のゴミと呼ばれる者達が、大量の生ゴミへと姿を変えた。


 神矢央が重役を務めるようになり、少し落ち着いてはいるものの、現在も神矢一族による制裁は神矢央の三人の子供達に引き継がれている。



 『Dogmacula』とは元々、神矢一族から逃げて来たストリートチルドレンが集まってできた組織であり、その名前も、神矢央が新聞のインタビューで告げた言葉からとったものである。


 Dogmaとmacula--『平和で理想的な世界を穢す、小汚いシミや汚点』と言う、社会的弱者を人間ではないと切り捨てる価値観を含んだ意味である。


 いつか神矢一族を倒す、と言う意志が少なからずある事は、この名前が示している。


 いつか、あの鷹の紋章を燃やし尽くす。という、執念が。



 「そりゃ、いつか来るとは思ってたけど......」


 その言葉を口に出し、藍は思わず溜息をついた。足が自然と止まっている。心の中でその続きを、諦めとともに呟く。


 (なんで私なんだ.......)


 はっきりと口に出して言ってしまうと、自分の心がポキリと折れてしまいそうだった。



 どうしようもなく怖い。


 あの日、あの酒場で見た鷹の紋章、少年の深い樹海のような目は、今でも藍の精神を縛り付けている。


 藍が人を殺そうと銃を向ける度、少年の禍々しい声が頭の中を這いずり回るのだ。



 「もし君が汚い膿になったら、ぼくが取り除かなくちゃならないんだ」


 頭の中で感情が爆発し、何も考えられなくなる。なんの感情か?


 言うまでもない。死神への恐怖だ。



 勿論、藍も理性ではわかっている。どこで自分が人を殺そうが、神矢一族がわざ

わざ自分を殺しにくるわけが無い。


 ただ、それでも藍は殺す事ができない。


 幼い頃の恐怖は藍の心を、理性など手の届かないほど根底から完全に支配する。


 結局震える指を何とか操り、照準を相手の頭から足に移す事になる。藍にとって、神矢財閥、そして、あの鷹の紋章を上着に刻んだあの少年は、自分を救った英雄ではなく、いつか自分を命を奪う処刑人だ。



 (ただ......)


 藍は回想をやめ、静かに目を閉じた。


 (いつかは越えるって決めたんだ。この恐怖も、弱い自分も。大丈夫、私はあの時とは違う)


 神経を身体の全てに集中させ、頭の中を空にして、息を大きく吸い込む。


 その直後、脳の真ん中で熱を持った何かが藍の全てを飲み込んだ。森の中で大きく目を見開く。


 その瞳は青く輝くいつものものではなく、世界をそのまま逆さに反射する、漆黒だった。


 「私にはこれがある。だから今まで、そしてこれからも生き延びる」


 遠くで烏が鳴いた。静寂は途絶えた。

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