五 憤怒の制裁
男たちは恐らく、いや、確実に、件の“柄の悪い男たち”であろう。
最初に声を掛けてきたリーダー格らしき男が、獲物を品定めするかのように朔哉を見て、そして八千斑を見るなり、ゴキブリでも見つけたような顔をした。
ナイフを手に立っている若い男の金髪の脳天に、いきなり拳を落とす。
続けざまに、鉄パイプを握っている青年の頬を殴り抜く。
「オダぁ! マキノぉ! これのどこがとんでもねえ美人だよ! ゲロ吐きそうなブスじゃねえか。おまけにビョーキ持ちと来た! てめえの目は節穴か!?」
殴られた男たちはきょとんとして、八千斑の顔を見て明らかに戸惑った表情をする。
彼らの目から見て、どこからどう見ても、人生で一度も出会ったことのない、これから出会うこともないだろう美人である。だというのにリーダーは“ゲロ吐きそうな”様子で床に唾を吐き、苛々と大きな舌打ちを響かせる。
「何年もくだらねえ見張りさせやがって、やっと役得だと思ったのによお……まあ、いいさ。ブスならブスなりに、どう扱おうが心が痛まねえでいいってもんよ」
男は朔哉を見下ろし、重度の喫煙者特有の臭い息を吹きかけながら、
「兄ちゃん、何があったかは知らねえが、あんたが持ってるもんは俺らにとっちゃ不都合なもんだ。渡してくれりゃあ、あんただけは無事に返してやるんだが……」
黄ばんだ歯を見せつけてにたにたと笑う。
朔哉の双眸に、一瞬で怒りが燃えた。
「断る」
「いいじゃねえか。兄ちゃんも処分に困ってるだろ。そんなブス、こんな暗がりじゃねえと抱けねえよな?」
「人を美醜で判断するな。それに、何を勘違いしてるか知らんが、私は警――」
「……うるっせえんだよ!!」
男が、マキノなる青年の手から奪った鉄パイプを、やにわに振り下ろした。
予備動作もなく、他人を害することに躊躇のない、瞬間的な怒りの沸騰に判断が遅れた朔哉の前に、八千斑が咄嗟に飛び出す。
金属が骨に当たる鈍い音がした。
呻きながら押さえた手の隙間から、血が滴り落ちてゆく。
額が割れでもしたのか、朔哉は急いで胸ポケットからハンカチを引き抜いたが、傷口に当ててやるそばから赤く染まっていった。
「てめえこそ勘違いすんじゃねえ! これはお願いじゃなくて命令なんだよ! 正義漢ぶるんじゃねえ、クソガキが! 『はい』だけ言ってろ!」
いつも通りであれば、これが勝利宣言だったのだろう。
吼える男の後ろでにやにやと成行きを見守っていた四人が、突然、その下卑た笑みを凍り付かせた。
オダの足ががくがくと情けなく震えだし、マキノは小さく「ひっ」と引き攣った声を上げさえした。
「ああ? てめえら、なんの真似……」
リーダー格の男は眉間に皺を寄せて、彼らの視線の先を――額を手で押さえて膝を突く八千斑と、その手の隙間からハンカチを押し付けてやっている朔哉の後ろから、猛然と向かってくる人影を、見た。
「な、なん――」
眼鏡のフレームで和らげられてなお鋭すぎる三白眼の、射抜くような眼力。
遠近法ではじめは認識できなかった、男にとってははるか見上げるほどの長身。
スーツ越しにも分かる、明らかに一般人のものではない分厚い筋肉。
――殺される。
本能に訴えかける恐怖に、男の頭の中に、警報が鳴り響いた。
「て、てめえらッ! 何してんだ! 守れ、俺を!」
目上の命令に従うよう刷り込まれてしまっている憐れな舎弟たちの中から、マキノが飛び出した。
振り下ろされた鉄パイプを、仁道は異常なほど冷静に、右手首の腕時計で受け止める。
文字盤のガラスが砕ける音に打撃が通ったと誤認した隙を突いて、鉄パイプを掴む。
そう細くない鉄の棒が、数秒もかからずねじ曲がった。
「ひっ、ひぃっ……ご、ごめんなさ……」
無様に許しを乞う青年に冷たい一瞥をくれた仁道に、もう一人の男がナイフを腰だめに構えて突進していったが、易々と躱された挙句、無防備な背中に体重を乗せた前蹴りを叩き込まれ、顔から地面に落ちて顎を打ち、動かなくなった。
それでも蛮勇を捨てなかった更にもう一人は、長身を活かして組み合うことこそ叶ったものの、すぐに警察柔道仕込みの支釣込足で転ばされ、背中を硬い床にしたたかに打った痛みに悶え苦しみながら、地面を転がる羽目になった。
最後の一人はもはや敵ですらなく、オダはナイフを落として腰を抜かしてしまっていた。
「く、くそ、てめえら、使えねえ……おい! こいつを見な!」
リーダー格の男が懐を探って取り出したのは、黒光りする拳銃である。
だが、仁道は嘲るように片眉を上げただけだ。
「……お、おい!こいつが何か分からねえのか!?」
構わず、一歩進む。
男は拳銃を構え、狙いをつける。
「撃つぞ! 脅しじゃねえ、撃つぞ!」
構わず、一歩進む。
男は引き金に指をかける。
「こ、この……化け物……!」
構わず、一歩進む。
仁道の手が、男の、拳銃を持つ手首を掴んだ。
「……知ってるさ」
絶対零度の声と眼差しに、引き金にかかったままの指が止まった。
掴まれた手首が鉄パイプを曲げる握力でひねられ、骨ごとねじられる激痛に、男はただ叫ぶ。
やっと立ち直った四人の舎弟たちが武器を拾ったことで、静観するしかなくなっていた朔哉は声を上げようとしたが、ふと、地面の揺れに気付いて、入り口のほうを見た。
自動ドアのガラスが、轟音とともに砕けた。
棚が薙ぎ倒され、汽笛じみた野太い咆哮がびりびりと空気を震わせる。
巨大な黒い影が、突進してくる。
男たちが抵抗すらできず、おろおろと慌てふためいた挙句、紙切れのように飛ばされていった。
「……大丈夫やで、仁道ちゃん……」
ようやく血が止まったらしい八千斑が、痛みを堪える声色で言う。
仁道はそこでやっと正気を取り戻したように、手首で吊り下げていた男を地面に落とし、彼のもとへ駆け寄った。気遣うその表情に、機械的なまでの冷酷さはどこにも見当たらない。
「えらいことさせてもうたな。でも、ありがとうな」
あれほど勇敢に戦ったにも拘わらず、まさか感謝されるとは思わなかったかのように、仁道は黒い瞳に動揺を浮かべた。
「……いや、俺は……」
「何が『いや』なん。助けてくれたんやろ」
「……だが……」
目を合わせることを恐れてか、仁道は俯き、腕時計の割れた盤面を見つめる。
八千斑は傷付けられたいきものを見る目をして、血まみれの手をシャツの裾で拭うと、かすかに震える広い肩をやさしく叩いた。
「『どういたしまして』って言うてくれたら、おれは嬉しいんやけどな」
慰めるでも窘めるでもない、知り得ぬ温度を帯びた穏やかな声に、仁道は顔を上げた。
黄金のまなざしに眩しげに目を細め、強面にも長身巨躯にも不釣り合いな幼さで、おずおずと口を開く。
「……どう、いたしまして」
八千斑は満足げに微笑む。
それから、血で赤く染まった顔をアームカバーの腕で雑に拭いながら立ち上がり、
「心配かけたな、天満さんも、おまえも。それ、死んでまうからあかんで」
制止する声に、折れた手首を押さえて地面に転がるリーダー格の男を踏み付けようとしていた、黒い影――バイドゥーリヤは、ふんと鼻を鳴らして、前脚で男の尻を蹴った。




