#20 デブリーフィング
ブレイクショット作戦の第一段階は終了した。
アストック共和国とオルバイン山地の境界線上に建設された前線基地を破壊するという大目標は果たされたが、期待された捕虜と情報は得られなかった。
また別の側面では、長く続いた苦戦からの反攻作戦に意気上がっていた友軍が、一弾も撃たずに作戦を終えるという不完全燃焼をもたらした。
「出番もないまま退散かよ」
「そう悄気るな、戦争はまだ終わらない」
そう愚痴る戦車中隊長――マニング少佐をニコルは慰めたが、成果もなく基地へ戻る戦車は、ガスタービンエンジンにも心無しか元気がない。
勝負はまだついていない。次も、それが駄目ならそのまた次も、機会はまだ残っている。そうでなくては困る。
だが、そのニコルの言葉は、半ば自分に向けたものだった。
ようやく見つけた相棒の仇、黒犬のナバレスを取り逃がした。脳が沸騰するほど頭にきて、地団駄を踏んで叫びたい気分だった。
※
「その通り、まだ戦争は終わらない」
その翌日。作戦の最終評価を行うデブリーフィングの終了間際に、エグゼールは宣言した。
「こちらが、敵の占領地域の一平米すら奪取していない状況には、何らの変化もない」
「じゃあ今度は、こっちから攻め込むんですか?」
「無論、そうなって行くだろうよ」
マットとリナルドの言葉はこの場に集まるメンバーの予想を代弁していたが、エグゼールの予想はそれと異なっていた。
「純軍事的に考えれば、敵は縄張りとして掌握した山地に我々を引き入れ、迎撃するのが上策だ」
険しい地形に地上部隊の進行は阻害され、敵にとっては待ち伏せするに容易い。高所に設置されたレーダーと地対空ミサイルは、航空戦力の脅威となる。
そして、見通しの良い平地でもあれだけこちらを苦めた無人機隊は、複雑な地形も苦にせず襲ってくるだろう。
「しかし私は、敵はその有利を捨てて境界線を越え、アストック領内への侵攻してくると予想している」
馬鹿な、というのが、その時ブリーフィングルームに居合わせた者たちの反応だった。
アッセンブルのメンバー以外にもビッグビーク戦車中隊や第五七飛行隊のルーキー達はもちろん、スカイ・ギャンビットのクルーですら、そのような話はにわかに信じ難い。
「戦闘における有利もそうですが、王国はアストックとの戦争状態を認めていません。その方針が今になって変わると?」
キルシュ・コーウェンが思わずという感じで席を立つと、鮮やかな金髪をシニヨンにした美女に視線が集まった。マットを始めとして、彼女の騎士を志す者は多い。
このブリーフィングに先立って、女王を撃墜の危機から救ったジャグは褒美のキスを賜ったが、その代償として羨望と嫉妬の眼差しをダース単位で浴びせられたものだった。
「これはブレイクショット作戦の承認時、今後の有力なシナリオとして、すでに上層部に説明したものだが……」
王国はオルバイン山地を実効支配しつつも併合は宣言していない。自国領ではない土地に軍を進駐させておいて、そこへ侵入する者あらば撃退するという姿勢をとっている。
だからと言うべきか、周辺国の中で唯一表立った敵対行動をとるアストック共和国に対するこれまでの武力行使も、山地の防御を目的とした予防的な先制攻撃に留まっていた。
「ただしそれは、我が軍を領域外に釘付けにできていてこその戦略だ。こちらが山地へ兵力を送り込むのに成功すれば、取り巻く状況に変化が出る」
王国のオルバイン山地占有を良しとしない国は多い。三千年の不可侵も、一度誰かが破ってしまえば元の鞘には収まらない。それは各国の為政者たちの、共通認識と言っても過言ではないだろう。
真っ先に開戦したアストックが強かにやり返されるのを見て、資金や物資の援助でお茶を濁していたその連中も、我々が山地へ進軍するのを見れば、引っ込めていた食指を伸ばすに違いない。
「そうなると、敵としては厄介だ」
無尽蔵の無人兵器を主体とした戦力に、敵は多大な自信を持っている。仮に仮想敵国の全てを相手にしても、負けるつもりは無いだろう。
防御に有利な山地で籠城戦紛いの戦闘であれば、恐らく幾らでも持ち堪える戦力はある。味方の損害を敵のそれが上回れば、攻め手が先に音を上げるであろう算段は立っているはずだ。
しかし、負担は軽いに越したことはない。
そして、戦争とは外交における一つの手段に他ならない。仮にも実際に鉾を交えてしまえば、今後の外交関係に禍根を残す。上っ面では仲良くできても、これまで通りという訳にはいかない。傍観者には傍観者のままいて欲しい。
「ならば、いっそアストックを徹底的に叩いて、威を示すのが得策。と、敵は考えるはずだ」
敵の大戦略を語ったエグゼールは、ブリーフィングルームの演台に両手をついた。
「そこでだ。その侵攻してくる敵の先鋒を迎え撃つのが、この作戦の第二段階となる。厳しい戦いにはなるが、付き合って貰うぞ」
わからない話ではない。いち軍人の視野であれば、戦争の趨勢は戦略とそれを支える戦術、戦闘の積み重ねと映りがちだが、エグゼールの言うことには、なるほど説得力があった。
これまで苦戦を続けた相手だ。国境線にタッチダウンを決めるまでに二年を要した。兵だけでなく国民の士気を挫くのに、充分すぎる犠牲も出た。
だが、その話を聞いて怯む者は、ここにはいなかった。
「付き合うも何も、命令とあらば戦うまでですよ」
「頼もしいな、バンクロイド大尉」
片眉を上げたニコルが獰猛な笑みを浮かべると、それが周囲に感染していく。アッセンブルの活躍とブレイクショット作戦の成功は、厭戦気分を吹き払う絶好のカンフルとなった。
空調の効くブリーフィングルームが静かに熱を帯びていくのを見ながら、エグゼールは目を細めた。
「そこでだ。諸君にはこいつの相手をして貰うことになる」
壁面にあるモニターに表示されたそれを見て、高揚する戦意にざわついていた室内が静まり返った。
「……んん?」
その場にいる全ての者が、怪訝な顔で首を傾げた。超望遠の、恐らくは衛星写真に写っているその物体は、機首も尾翼も存在せず主翼のみで構成された、いわゆる全翼機だった。
しかし違和感がある。ブーメランのような機体を真上から撮影し、その下に見える雲と山との距離感がおかしい。
「デラムロ軍が防空の要として配備している、航空要塞エイシャルハッドだ」
全長約四〇〇メートル。全幅約一〇〇〇。スクラムジェットの燃料を空中給油で補いながら成層圏を巡航し、その体内に一五〇機のUAVを飲み込んで空を飛ぶ航空母艦。無数の対空機銃とミサイルで針ネズミのように武装した、それはまさに超空の要塞だ。
「こいつかよ……」
リナルドが苦り切った顔になった。他の者は唖然として言葉も出なかった。
軍事技術大国であるデラムロ王国が建造したこの超兵器は、軍人でもそうでない者でもその存在を知らぬ者はない。しかし、いざそれが攻めてくるとなると現実味がなかった。
「みんな頑張れ。残念だが俺には飛べる機体がない」
ニコルが不敵な笑みを引き攣らせると、そのうしろに座っていたネリアが椅子の背を蹴った。
しかし、実際にニコルの機体が無いのは事実だ。作戦中に一機を失い、残る予備機のひとつは分解整備に回り、ひとつはパーツを抜かれてスカスカの状態になっている。
「心配すんな。俺のお古をやるよ」
「お前のお古って、ストームかよ。そいつはゴキゲンだが、お前はどうする?」
「フッ……そいつは後のお楽しみだ」
出逢った当初の人工知能らしさを、ジャグはすっかり失っている。その勿体つけた物言いにニコルはしかめっ面を返した。
しかし今は、それどころではなかった。この規格外の巨人機が本当に攻めてくると言うのなら、まともな戦法が通用するとは思えない。ニコルが周囲を見渡せば、そこにあるのは茫然自失と意気消沈の顔ばかりだった。
「まったくしょうがない連中だな。一度の勝ちに浮かれたかと思ったら、次の瞬間にはこのザマだ。見てみろ、俺たち指揮官の顔を」
ニコルの言葉に全員の視線が前を向いた。部下の顔が赤くなったり青くなったりするのを見て、エグゼールは目が笑うのを隠せていない。
いち大佐でありながら航空戦力による特殊部隊を設立し、トップダウンが当たり前の軍の中でフリーハンドの作戦権を握っている。結果として、散々だった全軍の対無人機撃墜レートを五分に戻し、国土の制空権を取り戻した男は、余裕の笑みを浮かべていた。
「で、当然、策はあるんでしょうね?」
未曾有の危機を予見しながら部下の狼狽を愉しむこの指揮官が、無為無策のままここに立っているはずがない。
そうニコルが視線で催促すると「バレたか」とでも言いたげにエグゼールは笑った。
「無論、勝つための算段はできている」
幼気な兵士たちへの悪戯を咎められて悪びれもせず片目を大きく見開き反対の目を眇めて笑った。
普段は隠されたエグゼールの暗い一面。怒りと憎悪に縁取られた暴力性と嗜虐心をそこに垣間見たニコルは、指揮官に同種の笑顔を返した。
「そうこなくちゃな」
見つめ合った男がふたりが悪そうな顔で笑っている。エグゼールの横に立つアマンダは、その光景にゾッと背筋を凍らせた。
※
そして、航空要塞エイシャルハッドを迎撃のための作戦は提示された。
その説明を受けたブリーフィングルームは再び茫然自失の空気に包まれたが、その意味合いは絶望ではなく「呆れてものも言えない」という類のものだった。
「よくもまあ、こんな作戦を考えるもんだ」
「よくこんな作戦を上層部が許可したな」
「とは言え、勝ち目はありそうだ」
エグゼールが開いて見せた手札を見れば、確かにこれなら勝負になるという気がする。感想の大半は「頭がおかしい」の一言に尽きるが、当の立案者はその評価を喜んでいた。
「何を運ばされているのかと思ったら、そういう事かよ」
「倉庫に山と積まれたアレは、このための物か……」
理由もわからず大荷物を運搬していた地上部隊と、謎の物資に首を傾げていた基地守備隊の兵は、エグゼールの種明かしを聞いて納得した。
準備はすでに万端整い、後は敵を待つばかりとなっている。それを知った部下たちは、銀髪の大佐の周到さと人の悪さに苦笑いするしかなかった。
「しかし、敵がこの基地を目指して来るのは間違いないんですか?」
再度、キルシュが声を上げた。
この作戦は、その点を疑わない前提の上に立脚している。それがもし見当違いであれば、アストック共和国の国土は敵の蹂躙に任せるままになるだろう。
「ここは、唯一にして最大の損害を敵に与えた基地だ。敵が放って置くはずがない」
方針を変えた敵が境界線を侵すとして、最も警戒する存在がこのアッセンブルなのは間違いない。
侵攻するには航空戦力だけでは不十分。しかし、地上部隊が展開するためには、やはり制空権の確保が重要になる。
共和国の境界線から、この第一九仮設空軍基地までの数百キロメートルなど、音速機にとっては指呼の間だ。オルバイン山地とアストックの境界線を広く活動範囲に収め、UAVを狩りまくる航空特殊部隊と、その根拠地たる航空基地は、敵の最重要攻略目標になる公算が極めて高い。
「我々に対して五〇機ていどのUAVでは歯が立たないのは、先日の戦闘で立証されている。よって敵は戦力を小出しにする愚を犯さず、要塞を担いでここに来る」
エグゼールの言葉で懸念を払拭されたキルシュが納得すれば、もはや他の者に反論はなかった。一度は萎えかけた気合が戻ると、兵たちの目には再び活気が漲りはじめた。
ヒソヒソと、しかし興奮気味に言葉を交わすルーキーたち。リナルドは敵の戦力評価に余念がなく、ヘックスは妻と娘の写真を眺めている。
マーフィーとフランクは派手な作戦に期待を膨らませ、どうにかアピールしようと首を伸ばして覗き込むマットに、キルシュは無視を決め込んでいる。
そして、喧々とやりあうニコルとジャグにネリアが混ざり、それを冷ややかな目で見るアマンダがいる。
それを見て、良いメンバーが揃ったものだとエグゼールは思った。常には薄ら笑いを貼り付けている口元がわずかに綻ぶ。しかし直後には、冷笑とも嘲笑ともつかない表情がそれに取って代わった。
罠は仕掛けた。猟犬たちの士気は高い。獲物にかける慈悲はない。
「細工は粒々、後は仕上げを御覧ぜよだ」
司令官の起立の声に、雑談を止めた部下たちが一斉に立ち上がる。
この後に起こるであろう演物を想ってほくそ笑む、エグゼールの表情はいつもの通りに戻っていた。




