9.リンファ
白い霧が立ち込める大木のそばで、リンファは座り込んでいた
普段ならここで稽古をしているけど今日は何故かそれをする気力が湧かない
疲れてもいないし、どこかが痛いわけじゃないけど、動けない
「これ、リンファ」
後ろから話しかける先生
「休むならしっかり休みなさい、休息にも努力が重要だよぉ」
「あ、先生……」
「さっきの激闘はすごかったねぇ 危険な目にはあってほしくないけど、師匠としては誇らしいよ」
そういいながら先生はリンファの隣に座る
「実戦に勝る稽古はないというけれど、ここでも多対一の戦い方をもっと教えてあげないとね」
リンファは何も言わず、所在なさそうに自分の頭を触る
「君が悩んでいるのは、あの友達の女の子のことかな?」
「先生には隠し事できないなぁ……」
大木の枝が風で静かにざわめく
「君の考えていることは理解しているつもりだよ、いい考えとは思えない」
「僕……これしか思い浮かばなかったんだ」
「……でも、それをしようとする気持ちは痛いほどわかるんだぁ」
「先生……」
「どういう決断をしようとも、私は君の味方だからねぇ」
「……ありがとう先生、じゃあ、行ってきます」
リンファはそういうとピョンッと立ち上がり、霧の中を走っていく
「君が自分の意志でここから出るのは初めてだね、頑張るんだよ」
霧が深くなる中、大木に向かってズドンと寸勁を叩き込む先生
「この世界に祈る神などいないのが実に腹立たしいねぇ……!」
その表情はリンファには見せられないほど、険しい
目覚めるとそこはあの廃屋のベッド
枕元にはアグライアだけ
「こ、ここは……?」
「目覚めたか、よかった……」
心底ほっとするアグライア
「ゴブリンはお前の活躍で撃退できた、生き残っていたゴブリンも逃げ去ったよ」
「ミ、ミナは!?」
「心配するな、大きなけがなどはしていない 今は動ける村人総出でゴブリンの死体処理と村の応急修理をしているはずだ」
「そ、そうですか……よかった……」
安堵するリンファ
部屋に窓こそないが、外から騒がしく釘を打つ音や話し声が漏れ聞こえてくる
「飲め、水だ」
「あ、ありがとうございます……痛っ」
「ど、どうした!?」
「だ、大丈夫です、水が口の傷にしみちゃっただけです」
「そうだったか、お前が気を失っている間に回復魔法をかけてやるべきとはおもったんだが……」
「い、いえ……魔法かけられちゃうと痛みでどうなってたかわからないので」
会話が途切れる、お互い何かを言いたいがどういっていいのか
何を言っていいのかわからなくて言いよどむ
「あんな大技を持っているとは驚いたぞ、王都の高位魔導士でもあれほどの広範囲魔法を撃てる者は何人もいない」
「あ、ありがとうございます アグライアさんのお陰で打ち込むことができました」
「そ、そうか」
「でもあの技はあまり撃てないですね……こんなにも体に負担があるとは思わなかったです」
包帯が巻かれた傷だらけの足をさするリンファ
「そのようだな……応急処置はしたが折れているかもしれん」
傷だらけの両腕をじっと見つめるリンファ
ゴブリンの脅威は撃ち払った、たくさんのゴブリンの命を奪った
同じ色の血を流すゴブリンをこの手で
『僕は、何者なんだろうな……』
そんなことを考えるけど、答えは出ない
ゴブリンを倒したことが正しかったのかなんてわからない
今からやろうと思っていることも正解とは思えない
人間でもないゴブリンでもない、何者でもない僕はきっとずっと間違えてしまうんだろう
でも、やらなきゃいけないことがある
「アグライアさん、お願いがあります」
村の広場にはたくさんのゴブリンの死骸が積み重ねられていた
その死骸から離れた位置に無事だった村人たちが多数立っており、その中にミナもいた
みんな遠巻きにゴブリンの死骸を見つめている
「では始める、いいというまで顔を上げないほうがいいぞ」
アグライアが魔玉剣を逆手に構えると詠唱を始める
『我が神ルミナスよ、ここにある彷徨える命だったものの残滓を……』
時間にして3分くらい、戦闘では使えないほどの長さの詠唱が終わると
魔玉剣が強く発光し、その光は帯となりゴブリンの死骸に降り注いだ
ゴブリンの死骸はその光に融けるように臭いも煙もなく分解されていく
光が弱まると、骨だけになったゴブリンが転がっていた
「もういいだろう、その骨は山に埋めて帰してやるんだな」
視線を上げゴブリンの骨に注目する村人
元々ゴブリンに限らず山の獣や魔物の亡骸はその一部だけでも山に帰すのが自然の掟だった
だが村人の一部は穢れの象徴であるこの廃屋の井戸にゴブリンの死体を意図的にうち捨てていた
迫害する対象が死してもなお、村人はこの廃屋を損壊させることで迫害を続けていたのだ
「騎士様、この度はご尽力を賜り村人を代表して心より感謝を申し上げます……」
村長がアグライアに向けて大きく頭を下げる
「神聖騎士としてなすべきことを成しただけだ、諸君らに死人が出ず騎士として安堵している」
怪我人こそでているが、死人が出なかったのはリンファのお陰と言ってもいいだろう
「騎士様のおかげでその汚らわしい穢れをこの地から排除していただける事にも重ねて感謝いたします」
その言葉にアグライアの眉間が険しく動くが、アグライアは反論をせず押し黙る
貴様の言うその汚らわしい穢れが命を懸けて戦ったからこそ難を逃れたのだぞ!
そう言ってやりたいところをぐっと飲みこむ
それはリンファとの約束だった
『リンファの事で村人が何をいっても言い返さないでほしい』
『この事件にミナがかかわっていることを絶対に言わないでほしい』と
アグライアは出てくる言葉をグッとかみ殺す
「ミリアが死んだと聞き及んでいたから野垂れ死ぬと思っていたら……今日の今日までのうのうと生き延びよって」
「お前のせいでこの村は何年もろくでもないことばかりに見舞われるんだ!」
「お前とこの穢れた建物があるせいでゴブリンが襲い掛かってきたんだ!」
村人が段々と白熱し始め、罵声がリンファに浴びせられる
ミナは顔を伏せ、今にも泣きそうな顔をしている
「ミナがお前みたいな穢れと馴れ馴れしくしたからあれから村には不孝がつづいているんだ!」
その言葉が耳に飛び込み、ミナは身をこわばらせる
ミナが何をしたって言うんだ
幼いミナに、何を判断できたというんだ
リンファは強く拳を握りこむ
手のひらに爪が食い込み、ジワリと血がにじむ
幼いミナは、幼いなりに人を大事にしただけじゃないか
僕の存在が罪なら、僕だけを罰しろ
僕との出会いが過ちなら、優しく正してやればいいだろう
それが人じゃないのか、それがやさしさじゃないのか!?
ミナは何年この廃屋の呪いに責められなければいけないんだ
ミナはこの廃屋の神の紋章を何年苦しめられなければいけないんだ
リンファは自分が村人にどんな目にあわされたかという事よりも
自分を殺そうとしたミナの事を思う
母親が命を捨てた現場を毎日目の当たりにして、陰口を叩かれて
それでも必死に生きてきたミナ
それは一体どんな気持ちだっただろう
リンファと村人たちの間には、廃屋がそびえたつ
ボロボロの外壁に神の紋章が荘厳に映える
ミナに向けて罵声を浴びせる村人もいた
何を言っているかはわからない、でもミナに言葉を浴びせながら
廃屋に指をさして怒鳴っている
ミナとミナの父親は、必死にそれに耐えている
リンファは罵声を聞きながらスッと前に進みだす
その動きに虚を突かれ言葉を潜める村人たち
リンファの瞼が少しだけ下がり、睨むような眼になる
その視線はまるでこの村を襲ったゴブリンのようで
ミナ、つらかったね
ごめんね、僕の為にごめんね
リンファは足を進める
村人たちは近づいてくるリンファに慌て始める
僕にできることは少ないけど
君の苦しみのもとをちょっとだけ軽くしてあげるね
リンファはその歩みの向きを変える
その眼前には荘厳な神の紋章が備わる廃屋
かつて母が住んでいたと聞いた、ある意味ふるさとの家
ごめんねお母さん
でも、こんなものでミナが苦しむのが
僕には我慢できないんだ!
大きく息を吸い込み、その掌を華をように開く
腰を沈め、傷ついた右足をためらうことなく大きく強く踏みこむ!
【八極剛拳 地烈爆震脚】
リンファの足から血が噴き出し、地面が大きく揺れ動く
大地の魔力が建物にまるで血管を走る血のように走り、壁から柱まで建物全てに亀裂が生じていく
魔獣のうなりの様な大きな崩壊のうねりが村中に響き始める!
「まだだ!」
だがリンファは更にその傷ついた足を軸として肩をねじりこみ
その身を砲撃の様にひび割れた紋章の柱に炸裂させる!
【八極剛拳 金剛鉄山靠】
足だけではなく、その肩からも緑色の鮮血が噴き出す
稲妻の様な亀裂が紋章に刻まれ、轟音と共に建物が崩壊を始める
多くの悲しみと迫害を見つめてきた神の顔に緑の鮮血が注いだ直後、真っ二つに裂けて砕け散っていった
がれきの山となった廃屋と、大量の土煙
その煙に顔を覆いせき込む村人に、ゆっくりとリンファは近づき声を発する
『残念だ、とても残念だァ』
その声はリンファの普段のトゲのない優しい声とは似ても似つかない醜怪な響き
『あの日小娘を脅し、奪った指輪をダシに人を喰えなくて残念だったァ』
その言葉にざわめく村人と瞼を見開くミナ
『はらいせにゴブリン共の死骸を利用して村を滅ぼしてやれなくて残念だァ』
そういうと大声で下卑た笑いを響かせるリンファ
『策を弄したが失敗してしまったァ、残念だァ……次はもっとうまくやるから、待っていろォ』
その言葉に村人たちは恐怖と怒りから怒号を上げ、足元に転がった廃屋の残骸や石をリンファに投げつける!
「ふざけるな化け物!」
「脅しただと!ゴブリンを襲わせただと!この卑怯者め!」
次々と投げつけられる石を避けようともせず、ただ見つめるリンファ
アグライアが村人を止めようとするが、村人の怒りは収まらない
石を投げられ血を流すリンファを見てたまらずミナが声を上げようとすると、それまで動かなかったリンファが掌をミナに言葉を制する仕草をする
その動きに言葉をなくすミナ
わなわなと体が震え唇が揺れる
「ミナ、お父さん気づいてやれなくてすまない……怖かったな、脅されていままで何も言えなかったんだな!」
ミナの父がその肩を抱きしめるが、ミナは大粒の涙を流しながらリンファを見つめる
「ちがう……ちがうの……!」けれどその言葉は誰にも届かない
リンファの額に石がぶつけられる
村を救った英雄に礫が降り注ぐ
指輪を持ってきたあの日と同じ様に、恐怖と憎しみの石が降り注ぐ
でも、あの日とは違う
リンファはもう逃げない
村人を制しようとするアグライアに声をかけ、まっすぐ進む
アグライアは何かを言おうとしたが、言うのをやめてリンファを追いかける
村人の前を通り過ぎるとき、ミナとリンファの目が合うと
リンファはいつもの優しい瞳で、少しだけ笑いかけた
「ミナ、ずっと笑っていてね」
言葉にならない言葉が、リンファの口元からこぼれる
それに気づいたミナは堰を切ったように涙をこぼす
「ごめんなさい、ごめんなさいリンファあああ……!」
幼子の様になきじゃくるミナ
けれどその懺悔は怒号と喧騒にかき消される
村人の怒りと礫は、リンファの姿が見えなくなるまで続く
リンファの歩いた跡には、緑の血が点々とこぼれていた……
「あの大技はそんなに使えないと自分で言っていたではないか」
リンファの傷を手当てしながらあきれ顔でつぶやくアグライア
「す、すいません……」
「次に無茶をするようなら回復魔法を叩き込む、覚悟するんだな」
そんな軽口を叩きながら手当をすませると、アグライアが呟いた
「……お前はこんな結末でよかったのか?」
リンファは少しの沈黙の後、言葉を紡ぐ
「わからないです……何が正解かわかっていれば、きっと僕はこうならなかったと思うので」
「ミナにずっと笑って生きてほしい、あの村で暮らし続けるにしてもそうでないにしても……」
「そうか……」
それを聞いて、アグライアは足を止める
「ど、どうかしましたか……?」
「グローブを外せ」
そういいながらアグライアもグローブを外す
「え?どうして……」
「い、いいからグローブを外してくれないか」
不思議そうにアグライアから渡され身に着けていたグローブを外す
お互いの手が裸になる
するとリンファの前にアグライアが立つ
見れば少しだけ緊張しているように見える
少しの沈黙の後、何かを決心したように右手を差し出した
「あ、あの……アグライアさん?」
「握手を、しよう」
絞り出すように言葉を紡ぐ、アグライアの右手が少しだけ泳ぐ
「え、あの…… は、はい……」
その言葉にリンファも緊張を覚えながらおずおずと右手を伸ばす
お互いの手がぎこちなく泳ぐが、やがて意を決したアグライアの右手がリンファの右手を掴む
リンファはその手に驚きを隠せない
少しだけゴツゴツとしているけれど、力強くて熱いほどに温かい
生きている感覚に直接触れているようだと感動を覚える
あの日の冷たい手と同じとは思えなかった
「私は、アグライア… 神殿騎士団リリー・アグライアと言う」
握った手はやがて汗を帯びる
「これまでの無礼を詫びる、そして君を尊敬する」
アグライアのまっすぐな視線がリンファの視線と重なる
「君はとても気高い人間だ、リンファ」
アグライアはその時、初めてリンファの名を呼んだ
その言葉に一瞬だけあっけにとられたあと
こらえきれずリンファは笑顔で泣いてしまう
それを見ながらアグライアは微笑みながら言った
「君の涙は、透き通っていて美しいな――」