397.ゴブリン・フロード
「気配なんて感じなかった……まるで突然湧いてくるみたいに何かが近づいて来てる……!」
沈黙の森に突如響く足音に戸惑いながら、リンファが立ち上がる
「私が目覚めるのを待っていたようだな……あの女らしい……」
そして同じくリーフもふらつく頭を押さえながら、ヨロヨロと身構えた
「転移術か……? だが発動の形跡すら見えなかったぞ」
「ちがう、転移じゃない……」
「転移術じゃない? じゃあなんだというんだ!」
アグライアの言葉にリーフが目を伏せる
「どこかからやってきたんじゃない、生えたんだ……何もない場所に、奴らは生まれる……」
「そ、そんなバカな!?」
「もうこの世界を昨日までの常識や法則で計らない方がいい…… もうこの世界の神は狂っているからな」
音もなく、光もなく、時間すらも必要なく 何者かが産まれ闇から這い出す……
そんなバカな話を信じられるわけもないが、そんなリンファ達の都合など気にもせず現実にその足音は止まることなく迫ってきた
「想像できる荒唐無稽の事態は全て起こりうると考えていい、それくらいこの世界は捻じ曲げられてしまったんだ……」
「じゃ、じゃあ今からくるこいつらは何だって言うんだよ……神代王とか蛮龍とでもいうのか……?」
リーフは冷や汗をかきながらリンファの言葉にわずかに笑う
「そうであってくれればどれだけマシか……」
「そ、それってどういう……」
リンファの言葉を待たず、闇よそれらは現れる
狂った世界を創り上げた女神の歪な笑顔が目に見えるような、それらは笑いもせず泣きもせず……無表情で立ちはだかる
その姿は……
「なっ……!?」
アグライアが顔面を蒼白にして絶句する
「狂ってやがる……!」
リーフがその姿に思わず唾棄し拳を握りしめる
そしてリンファは……茫然と呟いた
「僕……だ……」
緑の皮膚、尖った耳、鋭い爪……そして何より、美しい青い瞳
無機質に見つめるその瞳は、その美しさを皮肉にも際立たせた
ここにいる全員が自らの目を疑い、リーフだけが忌々しそうにそれを睨みつける
リンファの目の前に……複数のリンファが現れた
「なんて……なんてひどいことを……!」
込み上げる怒りを抑えられず、アグライアは剣を握りしめる
あの時、ゴッデスの力で見せつけられたあの地獄の様な光景が、今まさに目の前に広がっているのだ……怒りを抑えるなど到底難しい
「ほ、本当に存在してたのか……! あのババァ……!」
グリフが構えたナイフでロベリーをかばいながら、目の前のリンファそっくりの存在に怒りを燃やした
「な、なんで僕そっくりの奴が……!?」
「ゴブリン・フロード……あの女が作り出した人間用の標的だ」
「ひょ、標的……!?」
目を見開くリンファに、リーフが冷や汗を流しながらゆっくりとうなづく
その頷きは錆付いた歯車の様に、とても苦しそうな動きだった
「標的はお前だ……リンファ お前を人間に狙わせるために、こいつらを作ったんだ」
「な、何のためにこんな……!?」
「あの女は人間を使って遊んでいるのさ……この世で一番憎い存在を一番愉快な方法で仕留める為にな」
フロードの首に撒かれたバンダナが揺れる
かつて母が優しく巻いてくれた、あの暖かいバンダナと寸分たがわぬ模様がたなびいている
「僕の顔を人間に覚えさせるために……こいつらを作ったって言うのか……!?」
「それだけじゃない……こいつらは……」
フロードがその綺麗な瞳をギョロつかせ、突如リンファに襲い掛かる
その顔は恐ろしいほどに無表情で、まるで精密な絵画を思わせた
武器も持たず無表情で襲い掛かってくるフロードの手をリンファは無意識に捌く
だが、その一瞬の交わりでリンファは気づいてしまった
そしてそれに気づいたとき、寒気と怒りが同時に込み上げた……
リンファそっくりのフロードは……持っていなかった
万物全ての存在が有しているはずのそれを、持っていなかったのだ
「ここまで……ここまで同じ存在を作ったのか……!」
リンファの叫びを潰すように、フロードは襲い掛かる
狂ったようにリンファを狙ってくる
リンファはそれらに残った左の拳を重ね、膝を打ち、技を繰り出す
だがそれらの技は、いつものリンファの技とは違っていた
それらの打撃はただフロードに直撃する
魔導発勁の共振も、魔力の共鳴も発生しない
ただ一撃が刺さり、フロードを吹き飛ばす
それはリンファの技が鈍っているわけはない
フロードには、魔力が存在しなかった
「お、おわぁ!? な、なんで……オイラただ牽制しただけなのに……!?」
グリフが手をかざしたままそれを見て茫然とする
襲い掛かってくるフロードからロベリーを守る為に闇雲に放った、何の変哲もない炎の魔法
通常であれば皮膚をわずかに焼くのが精々の微弱な火球
だがその火球を受けたフロードは……まるで油を染みこませたボロ布の様に轟轟と音を立てて燃え盛りながらのたうち回った
悪夢のような光景を見せまいとグリフがロベリーの視界を塞ぎながら、立ち尽くす……
だがそんなのたうち回るフロードを踏み越え、更にフロードが迫ってきた
武器も持たず、魔力も持たず、魔力への抵抗も持たないフロード……
それは正にゴブリンハーフ
魔法を使えない世界の異物、欠陥品
リンファは襲い掛かるフロードの、鏡に映った様な自分の顔を打ち付ける
自分そっくりの顔が緑の血を吐き、地面に倒れ伏した
その倒れ伏すフロードのその姿がリンファに語り掛けてくる
『本来お前はこうだったのだ』と
こんな風に、無残に処分されるはずだったのだ……と
「こんなものを作ってまで僕を痛めつけたいのか……それほどまでに僕が憎いのか!!!母さん!!!!!」
リンファは緑の血に染まった拳を握りしめながら、漆黒の空に絶叫した――――




