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第三十八話:とある秦の強過ぎる精兵の話 後編の肆

 韓信の上奏と始皇帝・項羽の対話


『咸陽の宮殿』


【韓信の上奏】


 咸陽の宮殿は、冷たく荘厳な静寂に包まれていた。大広間の玉座に座す始皇帝・嬴政(佐藤誠)の眼光は鋭く、臣下たちが息を潜めて並ぶ。



 韓信が玉座の近く迄近づき、一歩進み出て平伏した。


 広間の空気は剣呑で、わずかな衣擦れの音さえ響く。


「陛下、臣、韓信、謹んで上奏申し上げます」


 韓信の声は低く、しかし確固として広間に響いた。


 誠は無表情で韓信を見据え、短く命じる。


「申せ」


 韓信は姿勢を正し、言葉を慎重に選ぶ。


「会稽の乱の首謀者、項梁とその甥・項羽の件にございます。項梁は牢にて病に侵され、命が危うく。項羽は叔父を救うため、陛下に忠誠を誓う意志を示しました。臣、項羽をこの場に連れ、其の心を直に確かめる機会を請い願います」



 広間が一瞬にしてざわめいた。項梁、項羽の名は反乱者として忌まわしく、臣下たちの間に動揺が走り、衛兵にもその動揺が伝わる。


 ある者は眉をひそめ、ある者は囁き合う。


 誠の目は韓信を貫くように鋭くなり、低い声で問う。


「韓信、反乱者を朕の前に立たせるだと?  そなたの意図は何か。項羽の武勇が惜しいか、それとも朕をなにかしら試す気か?」


(確かに、俺は項梁、項羽の件で悩んでいたが、だが、こんなふうに正面から上奏されると困る……。しかし、項羽が本当に忠誠を誓うというなら、少し試したい気持ちもある)


 誠はそう思っていた。



 韓信は一瞬息を止め、始皇帝の威圧に耐えながら答える。


「陛下、臣はただ、陛下の御心が人材を惜しむことを知るが故。項羽の力は、秦の敵を討つ剣となり得ます。項梁の病は、項羽の心を動かす好機かと。臣、陛下の悩みを解く一助となればと進言いたします」



 誠は黙して韓信を凝視する。項羽と項梁への複雑な思い——国の落ち度、武勇の価値、反乱の罪——が胸に渦巻く。広間の空気はさらに重くなり、臣下たちは誠の次の言葉を待つ。


 ややあって、誠は冷たく言い放った。



「良かろう。項羽を連れて参れ。だが、韓信。一言でも無礼があれば、その場で首を刎ねる。そなたもその覚悟で臨め」


 韓信は額に汗を滲ませ、深く頭を下げた。



「謹んで承ります」



ーーーー


『始皇帝と項羽の対話(咸陽の大広間)』


 咸陽の大広間は凍てつく緊張に支配されていた。


 柱に刻まれた龍の彫刻が松明の光に揺れ、臣下と、衛兵たちが立ち並ぶ。


 玉座の誠は、威厳を保ち、威圧感を放ちながら、広間を睥睨する。


 韓信が脇に立ち、項羽が衛兵に囲まれて入場した。


 項羽は鎖を外され、粗末な麻布の衣に身を包むが、その巨躯は広間を圧倒する。



 項羽の体躯は八尺(190センチ)を大きく超えて九尺(210センチ)はあろうかというくらいに大きくなっていた。


 (でかい!)

 誠は率直に思った。


 この時代は銃火器もなく、人間の平均身長も165あるかないかである。


 そんな時代にこんな立派な体躯を持つ人間が、槍や剣を持って暴れたら、そら誰も近寄りたくないし、戦いたいとも思わないだろう。


 そう感じる程に項羽の存在感は異質だった。


 汗と血の匂いがわずかに漂い、彼の鋭い目は誠と一瞬交錯する。


 衛兵の注意が一斉に項羽に向けられ、臣下たちの視線は敵意と好奇に満ちている。



 項羽の胸には、項梁の弱々しい姿が焼き付き、怒りと屈辱が沸き上がるが、彼はそれを押し殺す。



 韓信が低く告げる。


「項羽、陛下の前に立つ栄誉を忘れるな。無礼は死を招く。ここでの間違いは取り消しが聞かぬ故に、慎重に受け答えせよ」


 韓信も、いざこの場に立つと流石に緊張した。

 秦の連座制度は誠により、緩和されたとはいえど、秦の法律で、人材の推薦は、推薦者が責任をとる。


 この法事態は残っている。


 この韓信の上奏は項羽を推薦している行為に他ならない。


 ここで、項羽が下手を打てば、始皇帝お気に入りの、韓信とはいえただではすまない。


 出過ぎた真似をしたのかもしれない……。


 項羽を見る始皇帝の態度に韓信は不安をおぼえた。


 その思いを知ってか知らずか、項羽は一瞬、韓信を睨むが、項梁の状態を思い出し、意を決する。



 項羽は重い足取りで広間の中央に進み、両膝をつき、額を床に押し付ける稽首の礼を取った。


 項羽の人生で初めての最敬礼に、広間は水をかけたような静寂に包まれる。


 項羽は今の今迄、人生で本当に一度足りとも頭をここ迄低く下げて礼等とった事はなかった。



 その人生初の迫力だろうか、


 衛兵も、他の臣下達も沈黙が続く。


 そして、史実の項羽を知る誠が受ける衝撃は臣下達の何倍以上のものがあった。


 項羽という人物が史実通りの人物なら、絶対にこんなふうに、頭を下げる事はあり得ない!


 短気、短慮で傲慢で矜持の塊のような男である。


 その項羽が稽首の礼をとる。


 この異質な状況に誠はかなり心が動かされた。



 そして項羽は口上を述べる。



「楚の項羽、始皇帝陛下に謁見を賜り、恐懼に耐えませぬ!」


 項羽の声は低く震え、広間に反響する。


 屈辱と決意が交錯するその声は、まるで獣の咆哮のようにも聞こえた。


 誠は玉座から項羽を見下ろし、声を張る。



「項羽、そなたがこのような、殊勝な態度をとるとはな。少しは牢で学んだと見える。しかし、そなたは大罪を犯した身。本来はこの場に立つ資格はない。しかし、韓信の上奏ゆえ、特別に朕が話を聞く、何を申したい? 述べるがよい」




 項羽は顔を上げ、誠の眼光に正面から立ち向かう。


 広間の空気が一層重くなり、衛兵がわずかに動く。


 項羽の瞳には、抑えきれぬ激情と項梁への深い思いが燃える。彼は拳を握り、声を絞り出す。



「陛下、俺は確かに罪を犯した。悪徳徴税官を殴り殺し、乱を起こした。だが、俺の叔父、項梁は俺を庇っただけだ! 真に罪があるのは俺なのだ。そして今、叔父上は牢で病に苦しみ、死にかけている! どうか、叔父上を会稽に帰し、病を癒す許可をいただきたい! その為なら俺の命を差し出しても構いませぬ!」


 項羽の叫びは広間に轟き、臣下たちが息を呑む。衛兵が一歩踏み出し、韓信の手が剣の柄に触れる。


 誠は無表情で項羽を見つめ、内心で葛藤する。


(この項羽の項梁を慕う深い情は本物だろう。項梁への忠義、楚への誇り、そして自らの罪を背負う覚悟。それに、悪徳徴税官の件は国の落ち度でもある、しかし、無理に法を曲げれば法の意義が揺らぐ。項羽が秦に、俺に本当に忠誠を誓うというなら、それは確かに嬉しい気持ちもある。項羽の武勇は有事に役に立つ……。)


 秦は法治国家ではあるが、始皇帝の独裁国家でもある。始皇帝が、特別に恩赦を出すと言えば、それは罷り通る。


 しかし、誠はできる限り、法を曲げたくは無かった。


 誠は沈黙し、広間の緊張が頂点に達する。


 項羽の額に汗が滲み、衛兵達にも緊張が伝わる。


 ここで、誠が「この無礼者の首を刎ねよ!」と命じれば項羽の首はこの場で即座に飛ぶだろう。


 それは避けたい。


 しかし、項羽の願いをすんなり叶えてやる事もできない。


 臣下たちの視線が誠と項羽を行き来し、韓信の呼吸さえ聞こえる。



 ややあって、誠は低く、しかし威厳ある声で告げた。



「項羽、そなたの願いは聞き届けよう。項梁を会稽に帰し、そなたの命は朕がもらい受ける」



 誠は言葉を続ける。


「ただし、三つの条件を課す。果たせぬなら、そなたも項梁も斬首とする」


 項羽は身を硬くし、誠の言葉を一言一句飲み込む。


 誠は一つずつ条件を突きつける。


「一つ、そなたは秦に忠誠を誓い、朕の命に従う武人として仕える。そなたはまず、兵卒として軍に所属する事。


 二つ、項梁は会稽に帰すも、楚の旧貴族としての活動を一切禁じる。項氏の名が再び乱の旗印とならぬよう、そなたが責任を持つ事。



 三つ、そなたは韓信の下で一年、軍の規律と用兵を学び、秦に属する将兵として学び成長して国に貢献する。以上を果たす事を申し付ける」


 そこで、耐えかねた李斯が始皇帝に直訴する。


「乱を起こした者を、許し、登用する等、乱世の時期にしか有り得ぬ、所業にございます、陛下、ご再考願います!」


「李斯よ! そもそも、乱の原因になった徴税官の問題は、お前の作った仕組みに穴があったからだ。そして、朕の課税制度による歪が生んだ原因でもある!」


 誠は国の威信や矜持を項羽のために吹っ切る覚悟を決めた。


 それは、君主として、為政者としての振る舞いとしては間違いなのかもしれない。



「李斯よ! 朕は国を導く上で、新しい制度を作りより良くしてきた自負はある! そして、お前が作る朕の意思を明確にした法にも信頼はおいておる! しかし、穴があるなら、改める! 是正していく、そういう、柔軟な姿勢がこの国は必要だと朕は考えておるのだ! 故に、項梁、項羽の件はその柔軟な姿勢の一つの例だと受け止めてほしいのだ」


 李斯は言う。


「この国は陛下が法です! 陛下がそう言うのであれば、私には抗う術はごさいません。私としては法の仕組みの穴を塞ぎ。今後、徴税官が不貞を働かぬよう、より一層引き締める次第にございます。故に陛下の命に従います」


 そう言って引き下がった。


 誠は内心ホッとした。

 李斯さえ、うまく抑えれば法が揺らぐ事もない。

 項梁、項羽をどうにかする最難関は李斯だと思っていた故にかなり安堵したと言える。



 そして、一連の流れから、少しの静寂の時が立つ。



 項羽は始皇帝の出した条件を心に刻み、項梁の命を救うため、そして自らの未来を掴むため、迷わず答えた。


 広間の静寂を破るその声は、決意に満ちていた。


「陛下のご温情に深く感謝し、仰せに、すべて受け入れます! この項羽、秦に真実の忠誠を誓い、韓信殿の下で学び、項一族の名にかけて秦の未来に貢献致す次第! 必ずやこの恩に報いる事を誓約します!」


 そして、項羽は再び稽首し、額を床に叩きつけた。

 広間の臣下たちがどよめき、衛兵の達ぴりっとなる。 


 韓信は項羽の決意に目を細め、始皇帝の英断に内心で敬意を抱く。


 誠は玉座から立ち上がり、冷たく、しかし力強く命じた。


「項羽、顔を上げよ。今日よりそなたは秦の武人だ。項梁には直ぐに医者を手配し、療養させ、体調次第では即刻会稽に送る。だが、これだけは、肝に銘じて忘れるでないぞ、お前が約束を違えれば、そなたと項梁の首は地に落ちる。それだけは忘れてくれるなよ!」


 項羽は顔を上げ、目に涙を滲ませながらも、力強く頷く。


「陛下の深いご温情! 決して無にせず、約束は違えず、己の命は陛下のものであるという事を決して忘れませぬ!」


 こうして、項羽は秦に、始皇帝に深い忠誠を誓い、臣下となり、歴史の表舞台に返り咲く事になった。


 後年、始皇帝は手記に記す。

 この時、項羽を拾いあげた事は、中華にとってとてつもない益になる行いであったと。


 そして、項羽は史実の『西楚の覇王』という名よりも、もっと栄誉ある名を得る事になるのだが、それはまた別の話である。








 ーーーーーーーーーーーー


 項羽復活の章


 秦の強過ぎる精兵編 完



 ーーーー次回から新章ですーーーー



次回、どうしよう?


 項羽、鼎を持ち上げ山賊を討伐する!

 項羽、虞美人と出会う!

 項羽、愛馬の騅《すい》と出会い無双する!


 天下完全掌握編に戻る。


 悩みます。


 それでは皆様、また次の話で!


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項羽さん!誠さんも二人ともえがったね(T ^ T)
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