閑話:陳平の辣腕光る:咸陽の蹄音、競馬興国の策 前編
紀元前215年、冬の始まり。
秦の始皇帝――嬴政こと佐藤誠――が匈奴遠征に行く前の事である。
この日、誠は陳平を呼び出し、匈奴遠征に行く前に重要な指示を下すことにした。
韓信と李斯が脇に控え、静かに耳を傾ける中、誠は袍の袖を軽く振って陳平に告げた。
「陳平、朕は匈奴との交渉をまとめるつもりだ。成功すれば、北辺から良血の馬が大量に咸陽に入ってくる。北辺の馬は速く、強く、耐久力がある。良い馬だ。朕は国内に馬を今後もっと増やして更に品種を改良し、秦の国力を底上げする産業を興したい、それをお前に任せる」
誠は言葉を続ける。
「朕が知る『競馬』という仕組みを教えてやる。馬を走らせ、民に賭けさせ、勝者に褒美を出す娯楽だ。豪族を巻き込み、騎手を育て、馬を揃え、朕が遠征から戻るまでにできる限り進めておけ。詳細はこうだ!」
誠は現代の競馬を基に、紀元前の秦に適した仕組みを丁寧に説明した。
豪族や有力者が馬主となり、秦と旧六国の名馬を集める。
騎手は将兵から募り、名誉ある役目として競わせる。
民は賭けで楽しみ、賭け金には上限を設けて乱れを防ぐ。
調教師、飼料屋、馬具職人等、様々な需要が増えて、馬産業全体を活性化させる――誠の言葉は、まるで未来から持ち込んだ設計図のようだった。
陳平は目を輝かせ、軽薄な笑みを浮かべて応じた。袍の裾が揺れ、彼の声には自信が滲む。
「陛下、そいつは面白い話でさ! 民が馬に熱狂し、豪族が金を出し、騎手が名を上げる。馬産業が育ち、税金もガッポリ入る――一石四鳥も夢じゃねえ! あっし、陛下が戻るまでにこの『競馬』というものをバッチリ形にしてみせやす。豪族の説得も、馬集めも、騎手の訓練も、しっかり手配してみせやす!」
誠の知識では周王朝時代に、馬術や馬を使った競技が貴族の間で人気になった時期もあったが、現代の競馬のような形式ではなく限定的なものであり、何より戦争に忙しい時期なので大衆娯楽にまでなかなか昇華しなかったように記憶していた。
誠は今の秦の状況ならマッチすると考えとりあえず、陳平に丸投げしてみる事にした。
誠は陳平を見て、とりあえず気合を込めて言った。
(俺には無理だがお前ならやれる! 絶対やれる!)
そういう心境で。
「陳平、競馬は民の心を掴み、秦を富ませ、国力を上げる要だ。豪族をまとめ、馬と騎手を揃え、仕組みを盤石にしろ。朕が遠征から戻った時、結果を見せてみろ。失敗してもかまわん! 予算は惜しみなく使ってよい! お前が良いと思った通りにやれ! ある程度は目を瞑る! しかし、不正は許さぬ。それだけは留め置け!」
陳平は深々と頭を下げ、ニヤリと笑った。
「陛下、ご安心を! あっし、命賭けて競馬を成功させやすぜ! そいで秦を盛り上げてみせやすよ!」
(いや、命はかけなくていいよ……。でも、こいつの命懸けという言葉は軽く聞こえてしまう。)
その緩さが陳平の持ち味だなと感じる誠であった。
広間に陳平特有の緩い空気が流れ、韓信は眉を寄せつつも、陳平なら問題なくこなすであろうと思った。
李斯はその様子を、静かに様子を見守っていた。
「李斯、もしも陳平の手に余りそうなら、助力を頼む」
「は、陛下の仰せのままに」
李斯は相変わらずの忠臣であり、秦国になくてはならない人材だが、あまりに仕事が多忙過ぎて『競馬』の政策を任せたら過労死してしまうだろう。
なので誠は陳平主導で『競馬』を進める事にした。
陳平は即座に動き出した。
まずは秦と旧六国の豪族や有力者に接触し、競馬の魅力を売り込んだ。
遠くの地にいる有力者には早馬で使者に文を持たせ周知に留め。
陳平は咸陽に集めている旧六国の有力豪族を中心に直接交渉した。
陳平は軽薄な笑顔と鋭い言葉で、相手の心を巧みに掴んだ。
「魏の盧氏、匈奴の良馬を預かり、競馬で勝てば名声と金が手に入る。馬主になれば、始皇帝の覚えも良くなるぜ?」
「斉の田氏、競馬場で馬が走れば、商売の目も増える。旧六国の誇りを馬で示さねえか?」
豪族たちは当初、競馬という未知の事業に懐疑的だった。
だが、陳平は「始皇帝直々の大事業」「馬主の名誉は子孫にまで響く」と説き、さらには交易の利益や民の支持、副次的な様々な要素をちらつかせた。
盧氏が軍馬を、田氏が俊足馬を、趙の趙氏が耐久馬を、燕の韓氏が寒さに強い馬を提供する約束を取り付け、秦と旧六国の名馬が次々と集まった。
陳平の交渉術は、まるで市場で絹を売りさばく商人のように鮮やかだった。
次に、陳平は将兵から騎手を募集した。
「競馬の騎手は始皇帝の目に留まる名誉な役目だ! 馬を操り、民の喝采を浴せば、名が上がり、家族の誇りになるぞ!」
と呼びかけると、若き将兵たちが殺到した。
騎手になることは一種のステータスとなると認識され、訓練場は馬を駆る若者たちの熱気で溢れた。
軍の監修の下、騎手たちは軍の馬術を基に競馬用の技術を磨き、馬との一体感を追求した。
ある若者は
「馬と心が通じた瞬間、戦場より生きてる気がした」と語り、騎手の人気は将兵の憧れとなった。
競馬場の建設は咸陽の南、川沿いの平地で急ピッチで進んだ。石と木で囲まれた楕円形のコースは広く、観客席は一万人を収容できる規模に設計された。
陳平は賭け金の上限を厳格に定め、衛兵を配置して乱れを防いだ。
調教師には馬の血統を調べさせ記録し報告させ、分かりやすく何処のどういう馬か、明示するよう厳命し、飼料屋には栄養価の高い草を確保させ、馬具職人には軽くて丈夫な鞍を開発させた。
競馬場開発地周辺には商人が集まり、酒、焼き魚、果物、馬の模型を売る屋台が並び、早くも活気が生まれていた。
陳平は夜な夜な帳簿を広げ、豪族の出資、馬の管理費、騎手の報酬、建設の進捗を計算した。
そうしてとてつもない額の金銭が動く事を陳平は実感した。
この事業はとてつもない利権収入になる!
それに今なら自分の思うままに構造をいじれる。
そして、彼の頭の片隅には、ほんの少し「余計な利権構造を仕組み」金を懐に入れる誘惑がちらついた。
陳平は軽薄な笑みを浮かべつつも、ふと誠の、
「不正は許さぬ!」
という言葉を思い出し、帳簿を正直に整えた。
「なる程、あっしが、こう考えるのはあの時点でお見通しという事ですか、陛下。流石っすわ」
陳平はそう呟いて誘惑を断ち切った。
――少なくとも、今のところは……。
長くなってしまったので 前編、後編でわけまする。




