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02

その日麻希(まき)は、ドタキャンされたと友人に泣きつかれて急遽合コンに参加することになった。普段から麻希がそういった席を苦手として出たがらないのを知っているにも関わらず、2限終了のチャイムと同時に鬼気迫る勢いでやってきた友人は余程困っていたらしい。方々へ声をかけたが全滅だったと言う。麻希としてはそれでもやはりできることなら断りたかったが、先週倫理の講義で代返(だいへん)してもらった「貸し」のことを持ち出されては逃げ場がなく、渋々了承するに至った。午後をずっと憂鬱に過ごしたのは言うまでもない。不運にも4限目は今年麻希が履修登録したことを後悔している講義ダントツ1位の民俗学である。教授は致命的なまでにマイクの扱いが下手で、何度もハウリングさせてはその都度「んー、フフッ!」と鼻の奥で笑わないと気が済まないという厄介な癖を持つ。今日も今日とて惜しみなく披露される悪癖のおかげで、講義の中身はまるで頭に入ってこない。ポインターの赤いライトがぐるぐると忙しなく何かを指し示しているのを能面で見つめるばかりだ。無抵抗に感情を逆撫でされ続ける90分間はいつにも増して長く感じられた。



駅で待ち合わせて初対面、機嫌が良くなかったことを差し引いても、軽く挨拶をした時の印象は最悪だった。ちょうど正面に立った男は「これはハズレだな」がモロに顔に出ているのを隠そうともしない。そんな相手に笑ってみせることができるほど麻希は人間ができていないので、代わりに「こちらこそ願い下げ」と顔に書いてみせる。男がはっきりと引きつったのを見て多少溜飲が下がった。こういう時にさっと仮面を被って上手に立ち回れるような人になるには、せめてあと3回は生まれ変わらないと自分には無理と思っている麻希である。隣を伺えば友人2人も、それから男性陣も似たり寄ったりな面持ちでいた。「早く帰りたい」。皮肉なことに気持ちは一つだった。

良くも悪くも「素直」という共通点を持った6人が、もう一つの共通点に気づくのはそのすぐ後のことだ。

白々しい乾杯で幕を開けてみれば、全員揃って酒好きだったのだ。相手に気に入られようだとか、あるいは探りを入れてみようだとか。そういう心理戦が生じない只の飲み会は思わぬ盛り上がりを見せた。安くて早くてそこそこ美味い居酒屋は、やはりそこそこに混んでいて。ちょうど良い喧騒をバックミュージックに、のっけから下心を失っていた飲兵衛たちはざっくばらんに喋りたいことを喋り、食べたいものを食べ、そして飲んだ。初めは、大学の授業がどうのだとか、バイト先の笑い話とか。それから酒が進んで、奥の席で黙々と食べていた男に隣の男がお前も少しは喋れよと突っ込むと、曰く「なんか知らんがこの焼いたエビのやつがむっちゃ美味い。ヤバい美味い。」と。そんなにか、それなら皆んなで食べてみようという話になり、いざ取りかかると麻希のエビの殻剥きが満場一致でど下手くそ認定され、「というか逆にお前は上手過ぎるわ、どんだけ剥きまくってんだ!」と奥の席の男が突っ込まれながらもどんどん剥いていく。「別にそこまで美味しくもなくない?普通じゃない?」と麻希が言うと、「いやいやそれは阿久津さんが剥くの下手なせい!」「てか麻希のエビほとんど身残ってないじゃん!」などと突っ込まれ。不服の声を上げる麻希に、ワースト2位だった方の友人が目の前でエビ剥きマシーンと化している男から顔を背けて「私もそんなに…」と同調すると、麻希の前に座っていた男も「うん、まぁ確かに言うほどじゃないな…。」と叛逆の意思を見せる。結局3対3に分かれて、果たしてこのエビは美味いかそうでもないかの議論が白熱し、アルコールに浸かった判断力で追加注文した3皿目がそろそろ食べ終わろうかと言うところで、店員が小皿を持って申し訳なさそうに顔を出した。「申し訳ありません、つけダレを忘れていました」と。一瞬の静寂の後、酔っ払いたちは大いに笑った。通路側に座っていた「そんなに美味しくないのでは?」派の麻希がなんとか笑いを収めて店員からつけダレを受け取ると、ツッコミ担当みたいになってた「美味い」派の男が「じゃあもう一皿注文します!」なんて声を上げるからもうダメだ。困惑しきった顔で、けれどしっかりと注文は受けていった店員の姿が麻希の腹筋に止めを刺す。両手の先をエビ臭くした6人は、すっかり打ち解けていた。


「厨房でエビ卓ってあだ名ついてるよ絶対。」

「もう何を食べてもエビ味じゃない?」

「これやっぱり素エビが一番美味かったかも。」

「あれ!阿久津さんちょっと剥くの上手くなってない?」

「えぇ?そんなそんな。エビの人に比べたらまだまだ。」

「エビの人は剥いた殻も綺麗だよ。」

「うわ本当だ。エビの人のお皿、まだエビ入ってるみたいに見える!」

「おいお前女子たちにエビの人って呼ばれてるぞ!エビの人で定着してるぞ!」

「お前は多分ツッコミの人って呼ばれてるよ。」

「いや誰のせい!?」

「なぁこれやっぱ素エビが一番美味くね?タレない方が良くね?」

「おいヤメろ!お前までエビの人と化すな!俺を挟んでエビトークするな!!」

「挟んでって…エビだけにってこと?」

「ツッコミの人ちょいちょいボケたがるよね。」

「ね。微妙なの入れてくるよね。」

「あの、なんでいつの間にか俺味方いない感じなの?」

「ん…本当だ、私もタレないほうが好きだわ。」

「エビの人まだ増えるの!?」

「「「「「追加注文したのお前だろ。」」」」」

「容赦ないねみんな!!」


後にも先にもこんなにエビの話で沸く飲み会はないだろう。それからも素面に返れば何が面白いんだか分からないような下らない話にますます花を咲かせて。

だから。誰が言い出したのだか分からないが、王様ゲームが始まったとしてもそれは本当におふざけでしかなかった、はずなのだ。









「ーーーーーーーーーー!」


その言葉を耳にした刹那、麻希は世界から切り離されたような感覚に陥った。いや、周囲と自分との世界が「ズレ」たのだ。喧騒が聞こえない、一つの音もない。座っていたはずなのに、薄っぺらな座布団の下の硬い木の感覚も消えている。足をつけていたはずの床も感じられなくなっている。それは圧倒的なズレだ。存在するが存在しない。ないのは世界と自分、どちらか。輪郭があやふやになるようだった。このまま溶けて消えても、誰も気づかない。

吸った息の吐き方が分からなくなる。


「おーい。おーいってば。なぁ。」


呼ばれて、ハッとした。声は確かに自分にかかった。それだけのことが、麻希に自分を思い出させる。

麻希は視界いっぱいに映る『王様』の顔を見た。


「ちょっと聞いてる?無視は酷いぞー。」

「…え?」


昔からの知り合いと話しをするかのように極めて軽い調子でのたまった王様は、物理的にも非常に距離が近い。麗しきご尊顔にうっかり息がかからないように、なんて考える余裕はなかった。張り詰めた息とともに(こぼ)れた疑問符は掠れて酷く小さい。呆然とするばかりの麻希を見て、王様は眉根を寄せた。


「おーいって。4番。君でしょ?」


4番と聞いて、あの気味の悪い割り箸を思い出す。


「…あ、はい。」


そうだった。麻希は4の番号を引いて、それで王様は命令を下したのだ。「世界を救え」と。「そして愛を叫べ」と。

…。

…。

…え?世界?


「もー。ちゃんと聞いてた?いいかな?君は使者になるんだ。」

「…シシャ?」


王様は少し身を引いて『空間』に腰掛けて見せると、大真面目な顔で頷いた。


「そう、使者。ところで君バイトとかしてる?うち基本兼業禁止なんだけどさ、まぁ急なことだし、多少の融通は利かせるつもりだよ。シフト調整は追々やってこう。君にとってはかなり特殊な勤務形態だろうし、何より最初は時間の感覚が掴みにくいだろうからね。大丈夫、慣れちゃえばなんてことないさ。あぁ、給料は月末に銀行振込ね。口座は今度教えてもらうとして、えーっと、とりあえず今夜からで良い?最初の1ヶ月は試用期間ってことになるけど、君の能力次第では昇給もあるからね。大いに励んで!そんなとこかなぁ…あ、何か質問ある?」


ペラペラと流れるように語る声は澄んでいて、よく耳に届いた。しかし悲しいかな、理解には遠く及ばない。遠く遠く及ばない。最後におまけのように付け加えられた言葉は、非常に頼りない猶予に思えた。けれども、どんなに頼りなくともみすみす手放すことはできない。何でもいい、何か打開の手がかりをと口を開いた。


「あ、あります、質問!あの…質問…あっ、えっとその、仕事…?は、具体的にはどういうことをするんでしょうか?」


疑問は山ほどあったが、結局麻希の口から出たのはそんな言葉だった。


「具体的に?うーん、具体的にか…難しいな。何せ手の足りないことは五万とあるもんだから、そういう細々(こまごま)した問題全般を片付けてくれる…オレの手足になって動いてくれる…使い…えーっと、確かいい言葉があったはず…?…あぁそうだ!こっちの世界風に言い換えるとサービス業だね!多分!」


多分違うし、具体的でもない。


「ま、現地でサポートも入るからさ、詳しいことはそいつらに聞いて。気軽に考えてもらって大丈夫だよ。」


先ほどから王様の大丈夫にはまるで根拠がないことに、残念ながら麻希は気が付いてしまっていた。何かは分からない。でも確実に、何かとんでもないことに巻き込まれようとしている。もしくは既に片膝くらいまで巻き込まれかかっているのをひしひしと感じる。なんとかして、いやなんとしてでも、この状況から逃れなければ。そう野生の勘が告げていた。


「あの…やっぱり、私…」


何がやっぱりなのかは麻希自身にも分からなかったが、今この状況の全ての方がずっと訳が分からないので、ちょっとした言葉のおかしさなんてどうだっていいことである。


「私にはちょっと、難しいな、というか…バイトもありますし、あの、駅前の本屋なんですけど、店長良い人で…ほら、最近は電子とかも便利ですけど、紙の本の良さも感じますし…」


しどろもどろってこういうことを言うのだな、と思いながら麻希は続けた。


「それで…なので、シシャっていうのは、お断りさせていただけたらなと…。」


決まりの悪そうな顔で告げた麻希を見て、王様はぱちりと瞬いた。

良くも悪くも。気まずい沈黙は、長くは続かなかった。


「うーん…でもさ。」


王様はニコッとわらって、言う。


「王様の言うことは?」


麻希は頭の中をひっくり返した。ひっくり返して懸命に探した。

答える言葉は1つしか見当たらない。


「………ぜったい。」

「そ!それじゃこれからよろしく、四の使者殿!」


満足げに頷いた王様は、それだけ言って跡形もなく消えた。









「…き!ねぇ麻希ってば、しっかり!」

「っ!えっ…あれ、ここって…。」


目の前でパンッと手を鳴らされて麻希は覚醒した。いつの間に、店の外に出たのだろう。


「もう、麻希まで飲み過ぎ?気分悪い?」

「あ…ううん。全然、大丈夫。」


友人の手が麻希の背を撫でる。だんだんと感覚がはっきりしてきた。さっきまでのは、一体何だったのだろう。


「本当?伊藤くんも急に具合悪くなったみたいだったし、ヤバかったらちゃんと言ってよ?」

「うん、本当に平気だから…伊藤くん?」


誰だっけと続ける前に、友人ーーー片岡(かたおか)八重(やえ)が呆れ顔で「エビ剥いてた人」と答える。そうか、彼はそんな名前だったっけ。


どうもエビの人こと伊藤くんは、かなりグロッキーな状態らしい。タクシーを呼んで、伊藤くんとその友人たちは店の中で待機中だという。真っ青な顔をして背を丸めている伊藤くんに皆病院へ行くことを勧めたが、本人は油汗をかきながらも「悪酔いしただけで寝れば治る」と言って譲らない。彼のことをよく分かっているらしい伊藤くんの友人たちは早々に説得を諦め、代わりに彼に着いて家に行くことを選んだ。そんなものはいらないと尚言い募る伊藤くんを無視して、5人の意見はまとまった。今やれるだけの介抱は終わって、これ以上皆で居てもできることはない。送れなくてごめんと謝る2人に、ギリギリと奥歯を噛み締めて痛みを誤魔化しているらしき伊藤くんをよろしく頼んで、麻希たち3人は店を後にしたのだった。


そう八重に説明されると、そういえばそんなことがあったような、気がしてくる。

どうにもあの王様ゲームから、麻希の記憶は歪んでいる。

王様ゲームはどうなったんだっけ?と聞くと、そんなに前から記憶がないのか!と怒られた。全然盛り上がらず、さらっと流れて、また馬鹿話に戻ろうか、と言うところで伊藤くんの前に座っていた友人ーーー(いずみ)美晴(みはる)が、彼の尋常ならざる顔色の悪さに気がついた。そこから解散に至るまでの流れは以下同文という話だった。


「ねぇ、王様ゲームってさ。あれ誰が言い出したんだっけ?」

「えー?そんなのあたしだって覚えてないよ。」

「だよね…。あっじゃあ、王様引いたのは誰だったっけ?」

「あ~誰だっけなあれ。あたしも酔ってたし…てか何。やけにこだわるじゃん?」


麻希にも説明のしようがなかった。不思議な時間のこと。そして、『王様』のこと。麻希たち6人の中の誰でもなかった気がするのは、やはり酔っていたせいなのだろうか。あれほど間近で見たはずの相貌が一切思い出せない。


「あ、そういえばさ。王様は覚えてないけど、あの時確か」

「2人とも!!」


八重の隣でスマホを弄っていた美晴が、慌てたような声を上げた。


「電車!あと10分だって!」

「うわっ、ギリかな…麻希行ける?」


2人の目が、麻希を見据えている。瞳の中には夜の街灯りの中佇む自分が映っていて。八重も美晴もここにいて、麻希も確かにここにいるのだと、4つの目が教えてくれる。なんだか胸が軽くなったような気がした。


「もち!絶対乗る!」

「えっ、麻希!?」

「は!?ちょっとそんな急に走っ…っとにもう!吐かないでよ!?」


2人の手を引いて、麻希は駅に向かって駆け出した。

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