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マシン・ブレイカー ―Crusaders of Chaos―  作者: マシン・ブレイカー制作委員会
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七話 二つの異質

「……この辺りが限界、か」

 ――荒廃した都市の中、瓦礫の影に隠れている男が、淡々とそう口にした。

 その周囲は機械兵の闊歩する音が何重にも重なっており、抜け出すことはほとんど不可能といってもいい状況だった。それは例えではなく事実であり、つい先程頭を覗かせただけで銃弾の雨嵐が降り注ぎ、いくつかが彼の頬を掠めている。

「……できれば安らかに死にたいが……まぁ、ここまでしたらそんなこと、許されるわけがないだろうな」

 そういって男は懐から何かの機械を取り出した。

 それは、機械兵のAI(人工知能)である。それも一つだけではなく、四つほどだ。まだかすかに光っているところから、抜き出して間もないことが分かった。

 ただ、彼に武器らしい武器はない。

 そのAIを握る右手は、いくつもの深い傷が付いており、とめどなく血が流れ出していた。左腕に至っては青黒く変色しており、素人目に見ても折れていることが分かるほど痛々しい状態だった。

 つまりは、素手で鋼鉄の体を持つ機械兵を破壊したということだ。

 無駄なく絞り込まれた肉体だけを武器に生き残った。

 言葉にすれば簡単に聞こえる事実であるが、その過程は非常に過酷なものであった。

 ……半年前に起こった、機械兵の日本侵略と虐殺。

 その火の粉は、都市部の人間だけではなく、彼のような最下層の人間にも容赦なく降り注ぎ、いくつもの命が奪われた。金も権力も地位もない彼らに自衛の手段など当然あるわけがなく、多くの人々がなすが儘に撃ち殺されたのは世界の記憶に新しい。発展が遅れていた地方都市はほぼ全て壊滅状態に陥り、今や残っているのは『人間の防衛能力』を保有していた都市だけだった。

 事の発端に関してはいくつもの情報が交錯している。

 ロボやアンドロイドを統括していたネットワークが、テロリストに掌握された……

 致命的なエラーを事前に仕込まれていた、計画的犯行……

 一人の研究員が、何かしらの思惑を持って、ネットワークを支配……

 このように、様々な情報や憶測が飛び交い、生き残った都市の人々は混乱に陥っている。

 ――だが、外で常に機械兵に襲われるリスクにさらされている人間には、そんなことなど気に掛ける余裕はなかった。

 一つ行動を間違えれば、物言わぬ死体になりかねない、広大な処刑場で生きる彼らにとって、何よりも生き残ることが最優先であった。

 襲いかかってくる機械兵がいれば、時には逃げ出し、時には複数人で抵抗し……ありとあらゆる手段を用いて、生き延びる術を模索した。それは決して生易しいものではなく、逃げそびれて撃ち殺され、踏みにじられ、皆殺しにされることも少なくなく、例え迎撃に成功したとしても、その被害は尋常ではなく、『次』の恐怖に怯えるばかりで希望など持つことすら許されない、そんな状態だ。

 ……彼もその例外ではなく、共に戦っていた仲間は、現在機械兵の足元で何の慈悲もなく、感情もなく踏み潰されている。先程まで息のあった戦友は、わずか数分前にもがき苦しみながら……逝った。

 そして、一人残された彼は、濁った空を仰ぎ、一つため息を吐いた。

「……これしかない、か」

 ……男がそういって懐から取り出したのは、拳大の爆弾……いわゆる手榴弾というものだった。ただ、状態はお世辞にも良いとは言えないものであり、恐らく破壊力も不十分。自決用としては少々心許ないものだが、男はそれをおもむろに口に咥えたのだった。

「……さて、今からそっちに行く……親父、御袋。二人の冤罪、結局晴らせなかった不甲斐無い俺を、許してほしい……」

 唯一動く右腕で、安全ピンを勢い良く外すと彼はそのまま背にある瓦礫にもたれかかり、静かに目を閉じた……


 ――次の瞬間、鋭い風斬り音が彼の目の前を走った。


 咥えていた手榴弾は遠くに放り出され、機械兵にぶつかると同時に爆発し、その鋼鉄に覆われた頭を吹き飛ばした。

 ……爆発音が遠くで鳴ったこと、そして未だに己の意識が残っていることに疑問を感じた男は、静かに目を開ける。

『くだらない尊厳死をしようとしていたところ申し訳ありません。先程までの戦いを拝見し、こうして声をかけた次第です』

 ……彼の目の前には、機械兵がいた。

 全身を陽光すら飲み込みそうな黒い装甲で固めた、狼の形をしている。赤く光る二つの瞳は、静かに彼を見据えていた。

「……死者の遣いに犬の形をしたものなんてあったか?」

『死者の遣いですか。ずいぶんと失礼な物言いですね。まぁ、冷静でいていただけるのならば構いませんが……』

「意外と覚悟すると振り切って落ち着くようでな、こうして話の通じる機械兵がいても、驚かないものだ。で? 紛失した手榴弾の代わりに介錯でもしてもらえるのか? できれば頭は砕いておいてくれると助かる」

『勝手に執行人のように扱うのはやめていただけませんか? これ以上は時間も無さそうなので……』

 爆発で場所をほぼ完全に特定したのだろう、先ほどまでそれなりに距離のあった足音が、すでに近くで響き渡っている。

 ほぼ囲まれているこの状態で見つかれば、即座に銃弾を撃ち込まれるだろうことは例えどれだけ愚かであろうとも容易に想像がつく。だからこそ、彼は目の前の狼の言葉に耳を傾けた。

 そして、狼から伝わる女性の声は、はっきりとこう言った。


『その捨てようとしている命。よろしければ、私に預けていただけませんか?』


 ……それが、久我原くがはらいさむと、ガーディアンギア・叢雲の最初の邂逅だった。



 ――その奇妙な邂逅から、早くも二年が経った。

「鋼鉄200kg、銅線100kg、機械兵のAI8個……か。これなら5万が妥当だな」

「……そうか。また相場が低くなったな。もう少し値は上げられないのか、ガナード?」

「冗談言うなよ、いさむ!? これ以上値段上げたら俺が干からびちまう! ただでさえ食うもんに回す金を削っているのに、これ以上減らすとなると餓死しちまうって!!」

 高い壁に囲まれた街の外側。辛うじて町の体をなしている場所……いわゆるスラムのとある一角、かろうじて隠れ家と言えるような場所で、そんな会話が繰り広げられていた。

 罅の入ったゴーグルを付けた筋骨隆々の金髪男・ガナードは、目の前に積まれている瓦礫の山から降りながら左手の指を全て立てた。その返答に、もう一人の男・勲は少々躊躇いがちに交渉をすると、即座に否定の答えが返ってきた。

「だがな、以前の取引を計算すると、あからさまに下がりすぎだろう」

 勲の言うとおり、一年ほど前ならばこの量で8万を越えるのは確実であり、高く取引される時期には10万に達することもあった。スラムにおいて一日普通に生活するには目安として4千必要であり、今回は普通の単純計算で約日分の生活費を稼げたことになる。

 だが、彼・勲は単純に今日を、明日を食いつなげばいいという人間ではない。

 彼は傭兵のような職を生業としており、機械兵との戦いを五体満足で生き延びる必要がある。

 そのためには装備を整え、万全の体制にするための費用が上乗せされ、さらに消費が激しくなるのだ。つまり、今回のように相場が低くなり、副業(廃鉄拾い)での収入が少なくなれば、命の危険にもつながる。だからこそ、彼は文句を言わずにはいられなかった。

「まぁ、そりゃあ最近は腕に覚えのある【能力者ウェイカー】様が俺たちの仕事を殆ど根こそぎ持って行っちまうからな。知ってるか? この量、あいつらが持ち帰ってきた場合だとこの五倍の値はくだらねぇらしいぞ」

 と、ガナードは無造作に貨幣を詰め込んだ麻の袋を軽く叩いてそう言ったあとに、それを勲に手渡した。額としては決して安くはないが、だからと言ってそれが適正のものであるかと言われれば否定しか出ない。いつ廃鉄を集めまわっているところを撃ち抜かれるか分からない環境を一日以上歩き回っての額としては少ないくらいである。

「……それだけあればしばらくは遊んで暮らせるか?」

「バカか? 俺たちのような底辺に遊べるような場所も物もねぇだろうよ。まぁ、俺の場合は新しい『戦車タンク』用エンジンに手を出しちまうんだろうけどよ」

「お前の趣味は相変わらずだな……そう言えば戦車で思い出した。お前のこの前言っていた模造品はどうしたんだ? あれなら最新型の性能をそっくりそのまま使えると随分喜んでいた気がするが……」

「あぁ、あれな……」

 勲の言葉にガナードは突如歯切れが悪くなった。しばらくの間迷ったように言葉を詰まらせていたが、いきなり吹っ切れた表情になると口を開いた。

「実はよ、完成したにはしたんだけどよ。どう動かしても向こうの公開している数字に届かねぇんだ。で、ちょいと知り合いに調べてもらったら、燃焼機関のところに倍化魔法がかけられてるってことが分かったんだ。そりゃ、馬力も圧倒的になるだろうよ……」

「……あぁ、それは、まぁ……気の毒に……」

 勲はそれ以外の言葉が見当たらなかった。

 というのも、勲はガナードがそのエンジンの作成にどれだけの金をかけたのかを知っているからだ。投資金額はおよそ十万……少なくとも半年ほど生活の心配はしなくても済む金額だ。

 ガナードは、その新型エンジンを自分で作り、自身の所有する戦車に搭載することで元を取り返そうと張り切っていた。それを耳が痛くなるほど語られた勲なだけに、かける言葉が無かったのだった。

「まぁ、俺らの金は生きるためくらいにしか使われないと思われているらしいから、こうして削れるところで削ってるってこった。随分と迷惑な話だよな」

「……あながち間違っていないのが、逆に」

「そうだな……それじゃあ、俺はそろそろ行くとしよう」

「お、もうか? 女でも待たせているのか?」

「……当たらずも遠からず、だな。というわけだ。俺はこれで……」

「…………え、マジでか?」

 冗談めかして言ったガナードは、予想外の答えに驚きを隠せない様子だった。ガナードが呆気に取られているうちに、勲は絡まれないよう彼の隠れ家を抜け出した。


 ……勲はガナードの隠れ家から出ると、雑然とした道路もどきを歩いた。道の脇からは幾つもの視線が彼の持つ貨幣の詰まった麻袋に注がれており、中にはそれを奪い取ろうと画策する者もいた。

「よう兄ちゃん。ちぃとその持ってるもんを見せてくんねぇか?」

 そのうちの一集団が、彼の行く手を遮るように立ちはだかった。人数は五人であり、全員銃やらハンマーやらといった武器を携えており、これみよがしに振り回して軽く威嚇をしていた。

「ここいらはなぁ、俺たちの縄張りなんでねぇ……通行料としてその袋のもん全部いただこうか?」

「何もしないで渡せば何をしねぇよ。何もしなければ、な?」

「おいおい、お前それ『心臓が動いてる』とか言ってコロッとするつもりだろ! 相変わらずひでぇな!」

 ……勲が何も行動を起こさないどころか、返事もしないので野盗集団は調子に乗って高らかにそんなことを言い出した。手遊びをされている銃は、止まるたびにその口を真っ直ぐに向けており、露骨に焦りを誘っていた。

 ……だが、それでも勲は動きを見せる様子がなかった。

「おーおー……もしかして、チビって言葉が出ないってか?! 情けねぇ……」

「……一度だけ、警告をしておく」

 さらに男たちが挑発を重ねようとして、気を緩ませた瞬間を見計らって、勲はようやく口を開いた。

「……周囲の警戒を怠る者に、命は無いと思え」

「……テメェ、言ってくれんじゃねぇか!」

 勲の軽い警告を、挑発と受け取った男たちは即座に戦闘態勢を取った。

 銃を持っている男たちはその照準を勲の脳天にあわせ、引き金を引く……その瞬間だった。

 ――一枚の巨大な鉄板が突如、彼らの間に降ってきたのだった。

 一辺3メートルはあろうそれは、すべての弾丸を受け止め、直後深々と地面に突き刺さった。

「な……一体何事だ!?」

『先程からこちらで準備していたのですが……全く気付いていないとは驚きです』

 慌てて周囲を見回す男たちに、呆れたような女性の声が投げられた。声のした方向に揃って顔を向ければ、そこには――


 ――鋼の狼がいた。


 道から数十メートルほど離れた場所にある小さな屑鉄の山の頂上に立ち、ようやく気付かれると勢い良く飛び上がり、勲の前に砂煙を上げながら着地した。その地面を揺るがすような音から、相当な重量であることはその場を見る誰もが理解できた。

『全く……勲様は本当にトラブルを呼び込むようで。ここまで来るともはや不運を招く天然記念物指定ものですね』

「俺とて好きで巻き込まれているわけではない。できれば平穏無事に過ごしたいが、そんな願いが叶えられない環境であるだけだ。俺の運不運は関係ないだろう……と、信じたい」

『そうですね。そういうことにしておきましょう』

 そう適当に受け流しながら、突然表れた腰ほどの高さのある鋼鉄の狼は勲の敵へと向き直った。

『さて……そちらの方々には随分と我が主をもてなしていただいたご様子で。その御礼としてはささやかではありますが、とある旅へのご案内を致しましょう』

 一歩、また一歩と、その狼はゆっくりと男達に歩み寄った。その脚先が、一歩進むごとに罅のない脚跡を残し、男たちを恐怖させた。

「て、てめぇ……! まさか機械兵の回し者かぁ!?」

「その心配は無用だ。機械兵は人類の敵……その認識はそちらと一切変わりはしない」

「んな言葉、誰が信じられるか! 現にてめぇはその機械兵を操って……」

『先程から機械兵機械兵と……失礼を承知で申し上げますが、私をあのような意思無く、狂者に支配されるだけの兵器と一緒にされてもらっては不愉快です』

 その言葉を吐き捨てると同時、狼は地面を強く蹴り飛ばし、弾丸の如き勢いで男達に体当たりを見舞った。

 数百キロを優に越える鋼鉄の塊がぶつかると、男たちの体は紙くずのように軽々と吹き飛び、砂埃を舞い上げながら数十メートルほどの場所まで転げていった。

「かはっ……! て、てめぇ! 覚悟しやが……」

『遅すぎます』

 男のひとりが素早く銃を狼に向けようとしたが、それよりも早く、狼の脚によって銃は弾き飛ばされた。それも、一つだけではなく、全てを。

 数秒間空中を彷徨った後、三丁の銃は揃って瓦礫の山の向こうへと姿を消した。

『……さて、ここで退いていただければ私たちはこれ以上後追いはしません。ですが、これでも歯向かうというのならば、ガーディアンギアの誓約に従い、我が主に害を為さんとする貴男方を殺さなければなりませんが?』

 ――それは酷く冷め切った言葉だった。

 一切の誇張はない。

 もし、彼らの一人でもこれ以上反抗しようとすれば、容赦無くその鋭い脚で突き殺されるだろう。それを本能的に察した野盗たちは、恐れで体を震わせ、後ずさりし……


「「「「うわぁぁああぁあぁあ!??」」」」


 ……間の抜けた悲鳴と共に、逃げ出していった。

 そして、その場に残されたのは鋼鉄の狼と、勲だけになった。

『――周囲に敵影無し。撃退完了の確認をしました』

「ご苦労だった、叢雲」

『お気になさらず。主を守ることが私の存在意義なので』

 野盗たちの背中が見えなくなると、狼は足早に勲の元へと歩み寄った。表情などは無いが、それでも言葉には自身の役目を果たした事への喜びの色が滲んでいる。

『……しかし、都市がすぐ近くにあるというのにあのような輩に絡まれるとは……勲様もつくづく運の無い御方ですね』

「だから俺とて好きで巻き込まれているわけではないと……あぁ、もう。これ以上の議論は不毛だ」

『そうですね。ですが、不運の中にも、かけがえのない幸運が巡ってきたことはお忘れのないよう……』

「それはもうしばらく様子を見てからだ。もしかしたら、その幸運の女神だと思っていた相手が疫病神かもしれないからな」

『本人を前に随分な言い草ですね。噛み付きますよ?』

「俺より短い脚でできるものならやってみろ。受けて立つ」

 ……そんな軽い口論をしながら、一人の男と一領の狼は道を行く。

 かつて、機械兵の度重なる侵略行動により、草木一本生えぬ不毛の大地を。

 その先に、過酷な運命が待ち構えていることをかすかに感じ取りながらも。


『……機械兵八体でこの金額、ですか』

 背中に通貨が入った麻袋を乗せて歩きながら、叢雲は言った。

 その全てが最大硬貨の10であるため、その枚数は5000枚にのぼり、その重量もそれなりのものになっているはずにも関わらず、叢雲は余裕を持った様子だった。とはいえ、先程それ以上の重量のある鉄板を軽々と投げていたことを考えれば、当然と言えば当然だろう。

『旧知であるガナード様がお相手だからこそ、これより酷いことにならなかったと考えれば十分とは言えませんが妥当でしょうか?』

「その口ぶりだと他での相場を知っていそうだな」

『知っている、というよりも計算した結果ですね。勲様が交渉をしている間に他の交渉を盗聴していたのですが……あの量ならば三万行けば良い方でした』

「……本当、ガナードには頭が上がらないな」

『そう言うのならば相場事情を知りながら金額交渉を持ちかけるのはお止めになればよろしいかと。わざわざ慣れない日本に身を置きながらも、自身の愛機の開発を続け、生きるために戦っているのですから……と、そんな話をしているうちに目的地が見えてきましたね』

 言われて勲は視線を上げた。

 叢雲の言うとおり、そこには巨大な外壁に囲まれた都市があった。

『……勲様の生まれ故郷ですか。どうでしょう、帰ってきたことへの感慨深さなどはあるのでしょうか?』

「……感慨、か」

 尋ねられた勲は、どこか自虐的な笑みを浮かべた。

「……生まれた故郷に戻りながらも、何も感じない俺は恐らくどこか狂っているのだろうな。感動もなければ、憤怒もない……感情を失っているわけでもないのに、何も無いから、何も思わない。どこかで狂気に溺れていれば、憤怒を持って睨むことができただろう。どこかで悲壮に満たされていれば、慈悲を求めて縋り付いただろう……だが、俺には……こうして故郷に臨もうとしている今になっても、何も感じるものがない」

『……先程の失言は忘れていただけますでしょうか? 私も、主の言葉は消去しますので』

「……構わん。お前は今付き従っている主が、常人から外れている心を持っていることを、重々承知しておけ。事の次第によっては……お前の目的を達するために、俺を切り捨てろ。同情や憐憫は一切不要だ……良いな?」

『了解しました。それでは、主が道を外れたときは、その時の最善を選ぶよう努めます』

 そう言って、彼女は先を行った。

 その言葉の中に、彼の求めるものは無かったが、これ以上この話題に関する問答をするつもりが彼女にないことを察すると、先程同様の速さで歩き出した。

 それから四時間程度で彼らは都市の出入り口にたどり着いた。既に太陽は沈んでおり、辺りは徐々に闇が侵食し始めていた。二十メートルはあろう巨大な門に対してそれなりに警戒をしているためだろう、門番らしき装備をした人間が三十人ほどそこに構えている。

「止まれ」

 銃口を向けられた勲は、両手を挙げて後ろを向くことで抵抗する意が無いことを示した。叢雲は門前にたどり着く前に姿を隠したため、銃口はほぼ全て彼に向けられているが、それでも彼に動揺は微塵も見られなかった。

「貴様の所属とここに来た理由、そしてそれを証明する物は持っているか?」

久我原くがはら勲と申します。訪問の理由は後日行われる機械兵討伐への参加のために。証明物に関しては……警視総監・井伊殿署名の証書がここにあります」

 そう言って勲……久我原は懐から小さな筒を出し、中に入っていた一枚の紙を取り出した。

 生産拠点が無くなったために貴重品となった紙は、主に階級の高い人間しか所有できない。だからこそ、久我原がそれを持っていたことはその場にいる全員を驚かせた。

「……そこに置いて、そのまま静かに離れろ」

「……分かりました」

 言われるままに行動を取ると、兵士の隊長らしき者が首で合図をし、一人の兵士が恐る恐るその紙へと歩み寄り、拾い上げた。

「……見たところ、本物のようです」

「そうか……1から3番部隊は銃を下ろせ」

 その合図を受けた兵士の『半分』が、命令通りに銃を下ろした。

 ……正確に言うのならば、未だに銃を構えている兵士たちは『1から3番部隊以外』である。つまりは警戒態勢の維持。それが、国家レベルでの重要人物の証書を所持したスラムの人間に対する反応だった。

 事件以前から根深く存在する格差問題は、中流から下流階級との隔たりが特に酷く、世界的に危機的な状況に陥りながらも呪いではないかと疑いたくなるほどに差別が続いているのだった。

 幸い、先程名前の挙がった『警視総監』などといった一部の理解ある有能な人間は、そのような隔たりを微塵も気にかけることなく協力を申し出る度量があるのだが……それが下の人間にまで浸透しているかどうかは完全に別問題だった。

「失礼、証書は恐らく本物だろう。だが、門は時間が時間なので開門することができない。本来ならば兵舎を一時的に利用して休んでもらうべきなのだろうが、あいにく今は負傷兵が多く溢れているのでな……」

「いえ、自分は野宿に慣れているので構いません。その代わりとは何ですが、翌朝開門した際は優先して通過させて頂ければ助かります」

 ……国の重要人物の紹介ある人間を、危険な世界に置いておく、というのはまともな対応ではない。だが、久我原はそれに目くじら立てるわけでもなく、静かに妥協案を出した。さすがにこれまで却下すれば、何かの拍子で井伊総監の耳に届いたあと兵士たちがどのような処罰を受けるかを、勲は知っている。それを熟知しての脅迫混じりの妥協案だった。

「……分かった。ならば、後日この証書を掲示すれば優先的にここを通そう。では、無事を祈る」

「そちらこそ……それでは」

 ……静かな攻防が終わると、久我原は静かに光のない世界へ向かって歩き出した。未だに銃口が下ろされる気配はなく、敵意・害意・嫌悪……あらゆる負の感情をその背に受けながらその場を立ち去った。

 歩き始めて三十分ほど経過した頃。

『……随分と大和男児の質が落ちたものですね。武器も携えていない人間に対して、常時殺意をぶつけるとは……』

 途中で合流した鋼鉄の狼・叢雲が堪えきれない様子でそう呟いていた。辺りは既に闇に覆われており、叢雲の目が赤く怪しく輝いていた。

「もう慣れたことだ。それに、この情勢ならばあれほどの警戒もいくらかは仕方ないだろう」

『そうですか。勲様は後日共に戦うであろう相手に銃口を向けられて許せるほど寛大とは思いませんでした。私ならば今すぐにでも邪魔になりかねないと判断して事故を起こしてしまいそうです』

「……時々、お前が本当に機械なのかを疑問に思う。気持ちは分かるが落ち着け。こんなところで内輪揉めなどしては相手に付け入る隙を与えてしまう……思うところはあるだろうが、耐えろ」

『それがご命令と在らば』

 不承不承、といった様子ではあったが、叢雲は渋々了解した。その返事を受け取った久我原は、一つ溜め息を吐くとそのまま周囲を見渡した。辺りは事件以前に立ち並んでいた高層ビルのガレキが積み重なっており、生ぬるい風が道に沿って吹き抜けた。

「……さて、寝床としてはこの辺りが妥当……」

「失礼します! 先程お訪ねしてきた久我原殿で間違いないでしょうか!?」

 久我原が寝場所探しに移ろうとしていたところを、一人の男が大声量で声をかけてきた。それに対して久我原は、振り返らずにガレキをどかしながら答えた。ついでになるが、叢雲は既にその人物の気配を察していたために離れた場所で待機している。

「……先程から追跡していたようですが……どのような用件でしょうか?」

「いえ、先程の上官の無礼を謝罪すべく、失礼を承知で追わせていただきました!」

 ……その予想外の言葉に、久我原は思わず彼の顔を見た。

 宵闇の中であっても、久我原にとっては慣れきった世界。だからこそ、彼が完全透明のゴーグルに、右肩に背負ったアサルトライフルという一般兵の装備をしているということは分かった。身長は恐らく160代後半の、兵士としては比較的小柄な体格だった。

「第一に、総監の紹介人物である貴男を迎え入れなかったこと! 第二に、最後まで貴男に対し警戒態勢を解かなかったことを含め、不快にさせてしまったことを謝らせていただきます! 申し訳ありませんでした!!」

 声高に、一気にそう言うと、その兵士は勢い良く頭を下げた。

 ここまで来ると、久我原は驚きを通り越して呆然とすることしかできなかった。

「私は自衛兵のしがない一兵であるため、たいそれたことはできませんが……本日は夜風が冷たいと伺い、些細ではありますがこちらをご用意しました! よろしければお使いください!!」

 久我原が答えないことを、何かと勘違いしたのか、兵士の言葉は早まると同時に震えが生じ始めた。彼の手には二枚ほど毛布が握られており、それをかすかに震える手で、真っ直ぐに差し出していたのだった。

「……有り難くお借りします」

「……! はい!」

 久我原が丁重にそれを受け取ると、兵士は勢い良く敬礼をした。その動作は慣れないようで不器用なものではあったが、素直であるために不思議と笑って見過ごせるものだった。

「……その、ところで、私が追いかけているのはどの辺りから気付いていたのでしょうか?」

「自分があの門を離れて100メートルほど離れたところで、他の兵に気付かれないよう兵舎に戻り、その後遠回りで追いかけていたところから、ですね」

「ほぼ最初からじゃないっすか!? それなら早く言ってくださいよ!!」

 先程までの緊張した様子など、一気に吹き飛んだようにその兵士は切り替えした。恐らく、それが素の口調なのだろう、慌てて口を抑えていた。

「お気になさらず。確かに自分は総監署名の証書を持っていますが、それさえなければただの人……普段通りに接していただいても構いません。それに、自衛兵としてはまだ経歴も浅いでしょうから、無理をしなくても構いません」

「そ、そうっすか……それじゃあ、お言葉に甘えて……」

 肩の力が抜けたのか、彼は大きな溜め息を一つ吐くと、気を持ち直して再び話し始めた。

「ええっと……そういえば自己紹介がまだっすね。俺は樋川ひかわって言います。久我原さんの言うとおり、つい最近自衛兵になったばかりなんで、まだまだ慣れていないところが多いんで……正直助かります。けど、久我原さんは随分と言葉が丁寧で……」

「よく言われます。ですが、癖のようなものなので気にしないでいただいて構いません」

「は~……そうサラリと言えるところが凄いっすね……俺には真似できそうにないっす」

 非常に感心したのか、樋川は思わず腕を組んでいた。

「……ですが謝罪とこの毛布を渡すだけでここまで来る貴方も相当なものかと。この時間帯は数が少なくなるとは言え、機械兵がさまよっていますからね」

「あぁ、実はそれだけじゃなくて……久我原さんって総監の証書を持っているってことは、凄腕の軍人か傭兵ってことですよね?」

「腕に関しては明言しませんが……確かに、傭兵を生業とはしています。ですが、それが何か?」

「……実は、少しでもいいんで、外の世界の話を聞かせて欲しいんっすよ」

 そう語る樋川は、照れたように頭を掻いた。

「何言ってるかわからないと思うかも知れないっすけど……俺、もう少し実力が付いたら、外の世界を見て回りたいんすよ。けど、当然といっちゃ当然なんすけど……おふくろと妹に猛反対されていて……それで、一応判断材料として、外の世界を知っている人からはどんどん話を聞きたいんすよ」

「成程、そういうことですか……」

 話を聞いた久我原は、しばらく考え込んだがすぐに樋川に向き直った。

「……ならば、自分はこれから『死にかけた時の事』だけをお話します。それを聞いた上でも、外の世界に出るかどうかの覚悟を見せてください」

「……わ、分かりました!!」

 ……一瞬、樋川は久我原の気迫にたじろいだが、再び敬礼と共にはっきりと答えた。

 それから二時間ほど、久我原は自身の経験を語り始めた。

 街から出た直後、いきなり機械兵に襲われ、近くには自衛兵がいながらも置き去られたために死にかけたこと。

 街への移動の最中に戦闘が起こり、流れ弾の雨が降り注いで出血多量になったこと。

 道中、僅かな金品を持っていたがために、野盗の集団に襲われたこと。

 あらゆるマイナスの経験を可能な限り詳細に語った。

 当然、その異様な世界の話を聞いた樋川は、驚いた様子……それどころか、恐れた様子を隠せなかった。

 けれども、それだけの話を聞いても、決して耳を塞がなかった。

「……これが、自分の経験したことですが……これを聞いても決意は変わりませんか?」

「……いや、まぁ……正直に言うと、外の世界を舐めてたっす。どれだけ俺が恵まれた環境でのほほんとしていたのかも、少しだけ分かりました」

 少しだけ、と言った辺り、それまでの話がまだ序の口であることは察しているのだろう。

 けれども、彼の目に宿っている炎は、決して弱まっていなかった。

「けど、それでも俺は、外に行きたいっす」

「……その理由、よろしければ聞かせていただけますか?」

「構わないっす。と言っても、たいそれたもんじゃないっすけどね……外の世界には親父がいるかもしれないんですよ。っていうのも、親父は事件の時、仕事の都合で偶々海外に出ていて、それからずっと音沙汰なし……なんですけど、外から来た人の中に、ごく稀に親父に似ている人の話を持ってくる人がいるんですよ。お袋も妹も、親父と連絡が取れなくなってからは、随分気が弱くなって……」

「……成程」

「自分でも馬鹿なことだとは分かってるっす……けど、それでもまた家族一緒に過ごしたい……だから、危険だと分かっていても、俺は外の世界に、親父を探しに行きたいんっす!」

 身を乗り出しかねない勢いで、彼は語った。

 体は僅かに震えていた。だが、それも自分の拳で胸を叩き、必死に押さえつけようとしていた。

「……ならば、幾つか助言をしておきます」

「ほ、本当っすか!?」

「えぇ。ですが、一つでも『条件』を満たさない限り、旅に出ないようお願いします。自分も、自殺志願者を出して後味の悪い思いはしたくないので」

「……分かりました」

 ……久我原の脅迫にも近い威圧感を前にして、樋川は息を飲んで了承した。

「では条件を……の前に、貴男の『能力アギト』と最大持続時間、ご自身で理解できている弱点を教えていただけますか?」

「えぇっと……アギトは俺自身のスピードを100キロまで上げる『加速アクセル』っす。最大持続は全開で三十分程度、弱点は……最高速度を出すまで二秒ほどかかることと、速度が上がるごとに方向変換が難しくなることっすね」

「……ふむ」

 ある程度情報を得た久我原は、五秒ほど考え込むと、すぐに口を開いた。

「とりあえず、全開持続時間が少なくとも三時間になること、次に最大速度到達時間を一秒未満にすること。最後の方向転換は七割出力で全方向転換ができれば恐らく問題ないでしょう」

「……えっと、訓練方法とかは……?」

「至極単純ですが……二年ほど、長時間全開で機械兵相手に実戦をするようにしてください。当然、単独です。スタミナを付けるにはただひたすらに限界になるまでの訓練を繰り返すしか今のところ分かっていませんので。その中で自身がより生き残れる可能性を高めていけば、自然と外の世界を旅出来る程の実力は備わるようになります。目安としては一週間野宿しつつ、機械兵を『疲労無く』六体倒せれば良いでしょう。ただ、六体同時に相手にする必要はありませんので、大丈夫です」

「……二年っすか。長いっすね」

「妥当な線かと。焦って実力不相応で出てしまえば、三日と持たず踏み潰されるのは明白なので。それができないというのならば……諦めたほうが賢明でしょう」

「……いや、やってみるっす。俺が死ぬと、お袋と妹に負担をかけますけど……どうせなら挑戦して死ぬ方が良いっすから」

 そう言うと、彼は自身を奮い立たせるよう、拳で胸を叩いた。

「アドバイス、ありがとうございます! 今はまだ未熟っすが、親父を引き戻したら日本を取り戻す一兵士として尽力するつもりっす!」

「……そうですか。頑張ってください、としか言えませんが……ご武運を」

「十分過ぎる程っすよ! ……それじゃあ、翌朝の訪問お待ちしています! では!!」

 最後に一つ、気合の篭った敬礼を一つしたあと、樋川は全速力でその場を立ち去った。

 先程話していた彼の『アクセル』の能力だろう、短い加速時間で尋常ではない砂埃を巻き上げて姿を消した。

 ……残された久我原はそれを見送ったあと、樋川の向かった方向とは真逆に向かって歩き出した。

『お疲れ様でした……随分とお話が弾んでいたようでしたが?』

 その横に、叢雲が寄ってきた。

「そうだな。身分を一切気にせずに話しかけてくる相手は久しぶりだったからな。つい口が動いていた」

『そのようですね。《能力者ウェイカー》でないにも関わらず、《能力アギト》の鍛錬法を指南するというのも奇妙な話ですが』

 ――叢雲の言うとおりだった。

 久我原勲は、傭兵を生業にしているものの、武器としているものはその身体一つのみと言っても過言ではなく、多くの傭兵が持つ《能力アギト》を備えていないのである。

 ……では、そんな状態で、どうして今日こんにちまで生き延びてきたのか?

 それは、彼の戦い方を見れば即座に分かるだろう。

「……雑談はここまでだ。ひとまずあの《集団》を間引くぞ」

 そう言った久我原の視線の先には、機械兵の群れがあった。夜間でもはっきりと分かる『光り輝く目』に加え、何重にも重なった重々しい足音が響き渡っている。六本の足を持つその姿と最も数が多いことから《ウォーリアー・アント(通称・アント)》と呼ばれる最弱の機械兵である。

『……了解しました。では、合図を』

 叢雲の言葉を受け、久我原は構えた。


「護神装甲―”叢雲”―」


 その言葉を発すると、鋼鉄の狼は幾つものパーツに分解し、久我原の周囲を回り始めた。その最中さなかに、幾つも組み合わさることで新たな形に切り替わり、次の瞬間にはその鋼鉄は彼の全身を覆い尽くしていた。

 ――自律型強化装甲・ガーディアンギア――

 かつて、事件を起こしたネットワーク型機械兵とは大きく異なり、独自の思考回路を持つことで人間との対立を拒否した兵器である。

 ただ、このガーディアンギアにもゆるぎない欠点がある。

 それが、装甲する人間がいなければ真の性能を発揮できない、という点である。

 ギア単体では、最弱の機械兵にも劣る性能しか出すことができない……また、その装甲する人間に相応の身体能力が備わっていなければ強化機能は意味をなさず、拘束具と大差なくなってしまうという問題を抱えている。

 しかし、扱える人間がいれば機械兵を遥かに上回る戦闘能力を有する……それが、ガーディアンギアである。

「良し……叢雲、機体状況!」

『極めて良好です。ですが、武装は相変わらずゼロであるため、無理な戦闘は控えていただくよう忠告しておきます』

「十分。敵の数は?」

『――四体。下級ばかりで構成されていることから推測するところ、恐らくは偵察部隊のようなものでしょう』

「把握した……ならば、一気に畳み掛ける!!」

 同時、鋼の戦士が飛んだ。

 圧倒的な速度により大気は震え、次の瞬間、彼の姿は機械兵の真正面にあった。

《――人間発見。排除しま……》

「遅い!」

 突如目の前に現れた鋼の戦士に対し、即座に戦闘態勢に移ろうとする《アント》だったが、それよりも遥かに速く、戦士の拳が懐に叩き込まれた。

 重量二トンを越えるアントの体は、装甲が凹む音と同時に空高く打ち上げられていった。仲間がやられたことで、残った三体は胴から伸ばした銃の口を久我原に向けた。

《――警戒レベル上昇。排除します》

 人工音声が出るよりも速く、銃口は火を吹き、音速を越える弾丸が雨霰あめあられのように降り注ぐ。機械による精密な射撃は、普通の人間には到底真似できない驚異であり、四肢・胴・脳天を集中的に弾丸をばら撒き、残りは逃げ道を遮るように散らす……投網のような攻撃を避けられるのは至難の技だろう。

 ――だが、その男は違った。

 容易く命を奪うその雨の中を、あろうことか真っ直ぐに《飛んだ》のだった。

 一歩。

 たったそれだけで、数十メートルあった距離を一息で詰め、勢いを乗せた拳で、最後列に構えていたアントの脳天を貫いた。

「……二つ、そして、戦闘終了だ」

 残った二体のアントが即座に銃口を変えようとしたが、それよりも先に轟音が二体を襲った。

 ……最初に空中へと打ち上げていたアントが、丁度二体の頭に落ちてきたのだった。その衝撃は例え足のような末端部であろうとも、足だけでも相当な重量があることに加え、重力加速によって何倍にも跳ね上がっており、鋼鉄製のその体を容易く歪ませて、壊した。

『一分四二秒六八……二分切り、お見事です』

 戦闘が完全に終わると同時、久我原を纏っていた装甲は剥がれ、元の狼の姿へと戻った。

『成程、敵の体を攻撃手段にする、ですか……新たに戦術の一つとして記憶しておきます』

「そうしてもらえると助かる。それに、アントのような下級相手ならばこういった手段も通用するかもしれないなら、積極的に試すことにしよう」

『何はともあれ……お疲れ様でした』

 言いながら叢雲は廃鉄となったアントに近寄ると、おもむろにそのアントたちの装甲を剥がし始めた。前足二本を器用に使い、何かを探しているようすだった。数秒後、その脚にはガナードとやりとりをしていたようなAIが引っかかっていた。

『……AI、四つ確保。ですが真新しい情報は……精々、機械兵が二週間後に一個中隊で襲撃する予定がわかった程度ですね』

「……そうか。まぁ、それは耳を傾ける相手がいれば伝えることにしよう」

『相変わらず人間に対しては厳しい対応ですね。私ですら裸足で逃げ出したくなるほどです』

「……お前は靴も靴下も履いていないはずでは? それにその四本足は裸足なのか?」

『……ものの例えです。本気で返されるとは思っていませんでしたが』

 久我原の素朴な……というより天然な疑問に対し、叢雲は呆れたように答えた。

 残念なことに、久我原勲は幼くしてスラムで育ったがために、それなりの知力・計算力は備えていても、文に関する能力が乏しいという問題点があるのだった。

『……まぁ、それはさておいて……勲様の【組織嫌い】は相変わらずのようで。一歩間違えれば、あの都市が蹂躙され尽くされますが?』

「しかし、俺には都市を助ける義理もない。尋ねられれば答えるが、尋ねられなければそれまでのこと……危険意識を持っていれば、それで済む話でしかない。俺が進んで義理を果たすのは精々、人の情を忘れていない知り合いだけだ」

 ……その言葉には、感情という感情が、全くと言っていいほど篭められていなかった。恨んでいないことは間違いないだろう。しかし、だからと言って正の感情を抱いているわけでもなく、生まれ故郷でありながらも、ただひたすらに、一つの都市としてしか見ていないのだった。

 ――彼の背景を知る叢雲は、その言葉に対して、それ以上言葉をかけることができなかった。


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